【中村屋】贔屓の友人が福岡から遠征してきたので、一緒に観劇した。
2024年2月の歌舞伎座は【十八代目勘三郎十三回忌追善公演】勘三郎さんが亡くなってもう1十三回忌!昼・夜ともに「中村屋」の勘九郎さんを中心に、温かいファミリーでの公演という感じの舞台だった。勘三郎さんを偲び、あの時抱っこされていた勘太郎クンがもう中学生、なんと月日の流れは速いことか!あまりにも早い、駆け抜けた人生だった。まだまだ素晴らしい舞台を見せて楽しませてくれた役者さんだったのに。
昼の部
・新版歌祭文(野崎村) ご存じ「お染久松」の物語。久松に寄せる許嫁の野崎村娘お光の健気で一途な恋。久松が奉公先のお嬢さんお染と恋仲と知り嫉妬するが、お染が懐妊していることを知り、身を引いて髪を下ろす。最後は二人を見送る尼となったお光。悲しい物語であるが、この話の元になった事件は、久松とお染が心中したという事実に基づいて創られた物語であること。お光の哀れで健気な姿に心打たれるが、若くして心中に追い詰められていった諸々のことを知ると、見るのが辛い一幕である。情感を通り越して切なくなる。鶴松君のお光は素朴でいじらしい感じが良いが、ちょっとまだこれからかなと思わせる。いろんなお役に挑戦して下さい。
お光…鶴松、久松…七之助、お染…児太郎、お光の父百姓久作…弥十郎他。
・釣 女…狂言「釣り針」に題材をとった松羽目物。縁結びの神様に妻を得たいと願掛けする大名とお馴染みの家来太郎冠者。お嫁さんを釣る釣り針にかかったのは、大名には目目麗しい上臈…だが、太郎冠者には。困惑する太郎冠者を慕う醜女の可愛らしさ。狂言ならではのおかしみが存分に発揮される一幕である。
太郎冠者…獅童、大名…萬太郎、上臈…新悟、醜女…芝翫。
芝翫さんは自分も楽しみながら太郎冠者の獅童さんを追い掛け回して愛を迫っている感じ、芸というより素で楽しんでいるような、それが面白かったけど。私が観た日はハプニングがあった。太郎冠者の投げた釣り針を外すのは後見さんの役目だが、松の木に絡んだのか、なかなか外れず、その間獅童さんがほんとに困惑(笑)しながらも、間を上手に繋いでいた。それを芝翫さんがここぞとばかり追い回して。場内はストーリーを外れた面白さで沸いていたようだ。これって「ご馳走?」だったのか、やりすぎ?だったのか。
・籠釣瓶花街酔醒(かごつるべさとのえいざめ)江戸時代、実際に起きた吉原での事件を元に河竹新七が創ったもの。
序幕…吉原仲之町見染の場より
大詰…立花屋二階の場まで
私のお目当てはこの狂言。場内の灯が消えて、黒御簾の御曲が流れる中、突然舞台が明るくなると、ここは花の吉原。観客席がざわめくこの瞬間は歌舞伎の舞台ならではだろう。商談で田舎から出てきたあばたの佐野次郎左衛門は、華やかな花魁道中に出会い、目を白黒させながら眺める。一瞬勘三郎さんが!と思ってしまう程声も姿も勘三郎さんそっくり。(勘九郎さんの方が骨太い男っぽさを感じさせるが。この男っぽさが後半の殺しの場で生き来るように思った)
そこへ吉原最高の花魁八つ橋の登場。七之助さんは艶っぽく色っぽく、玉三郎さんの八つ橋とはまた違う、妖しい美しさ。花道でのほほえみは「モナリザの微笑」と同じで謎めいて・・・次郎左衛門は雷に打たれたように、その笑みに魅入られてしまう。「村へは帰らない」と最後につぶやく時の勘九郎さんは、のちの哀しい展開を匂わせるものがあった。
人柄も気前も良い次郎左衛門は、せっせと八つ橋の元に通い、身請けの運びとなりますが、八ツ橋には繁山栄之丞というマブ(情夫)がいるのです。演じるのは仁左衛門さん、佳い男のいる浪人で、女に貢がせるのは当たり前と涼しい顔をして
いる二枚目。身請けの話に「俺というものがありながら」と。さらりと軽く演じる仁左衛門さんはまことに美しく、手前勝手なと思いながらも、女が惹かれるのは解るなあとうなずいてしまう、やっぱり仁左衛門さんは素敵です。
友人達に自慢の八つ橋を合わせたその万座の中で、八つ橋から愛想つかしの態度や言葉を投げかけられ、温厚な次郎左衛門は、打ちのめされ国許へしおしおと帰って行きます。数か月経ったある日、再び次郎左衛門は吉原に姿を見せます。穏やかに女将や八つ橋に無沙汰を詫び、祝儀を渡したのですが・・・八つ橋に誠意を裏切られたその恨みは深く残っていたのです。
このお芝居の題名にある「籠釣瓶」は次郎左衛門が以前に武士を助けた時に貰った刀の銘ですが、実はこれは【村正】という抜いたら人を殺さずにはいられないという妖刀だったのです。
刀を抜いた次郎左衛門は、妖刀村正に操られるように、八つ橋はじめ周りの人達を次々殺していくのでした。最初の頃の温和で穏やかな次郎左衛門が、恨みの刀を手に豹変していく様子を、勘九郎は父親より骨太く荒々しく演じます。
父十八代目勘三郎の至芸を次々我が物にしようと精進する勘九郎、玉三郎の至芸を追う七之助。それでいて、先達の二人とは違う勘九郎・七之助ならではの芸に拍手を送りたいいつも思います。祖父・父親の後を懸命に追っている、勘太郎クン・長三郎クン、頼もしいと👏を沢山送りたくなります。
佐野次郎左衛…勘九郎、八つ橋…七之助、繁山栄之丞…仁左衛門、他歌六・時蔵・松緑・鶴松・児太郎・橋之助・柱三・芝のぶ・歌女之丞、片岡亀蔵他。
それにしても、人形浄瑠璃や歌舞伎は、当時実際に起こった三面記事的なニュースを即物語にしたのが多いのに驚きます。それが当時の現代劇だったのでしょう。
(2024・2・15観劇)