<卒乳を終えて>

先月、末の娘が卒乳しました。私にとってもおそらく、最後の卒乳。感慨深かったです。そして、私の胸は、これから「さあ!」と言わんばかりに猛スピードで「垂乳根の母」になることでしょう。胸って、服をかっこよく着こなすためではなく、ただただ、次世代、赤ちゃんのための「ごはん」なんだなあと、毎度思わせられますね(笑)
その点着物は、垂乳根の母も美しく見せてくれる装いだと思うのですが、夢は現実とならず、未だ気楽な洋服暮らしです。
スタイルのいい女性は私は大好き(レズビアンではありません)で、魅力的だと思うものですが、けれど、強がりではなく、私は自分のからだが誇らしいというか、いとおしく思えます。20代30代、40代と、母乳で育て上げることができたのだから、どんなにまな板のようになったとしても、なんか、誇らしいというか、私は自分の体でよかったなあと思い、感謝しています。

子育てって、しっかりと愛を伝える事ができれば、育成してあげれれば、手段は、帝王切開だろうが、自然分娩だろうが、母乳だろうが人工乳だろうが、なんだっていいのだと思います。もちろん、影響はあるでしょう。私は今回の出産は、産後初めて点滴を受けまして、その副作用を後に大きく感じました。でもそれは、対処すればいいだけのこと。ドクターは思いやりのある尊敬できる方だったので、何の心残りもなく、また、副作用含めて、病院で産む事が、私には必要で必然でした。
◯◯じゃなかったから、ダメなんだ、ということはありませんよね。

でも、授乳は嬉しかった。子供達が嬉しそうに吸って、だんだんまどろんで、そして乳房にそえる小さな手がいつも好きでした。本人は何も覚えていないでしょうが、あの安心が、彼らの心の無意識に、残っていく事を願います。事情で授乳できないお母さんも、きっと、こころの授乳はなさっておいでのことと思います。それは、赤ちゃん達の確かな安心になることでしょう。

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娘は今月で、1歳と5ヶ月になります。これは、もっとだいぶ小さなときの風景ですね。
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先月少しずつ、授乳回数を減らしていきました。長男と同じタイプで、なかなかやめられないのではとドキドキしましたが、長女ほどあっさりでもなく、長男ほどには苦心せず、卒業しました。
一度、「もう卒業した」と思ってから3、4日後、「ぱいぱい」といって、泣き出したことがありました。なんとも、哀しそうに、小さな胸を震わせて、私の膝につっぷして、「うっうっ」とこらえるように泣く娘。「うわーーーーーん」と感情いっぱいに泣くのではなく、自分をおさえるように泣くのです。幼心に、これは、耐えねばならぬことだとわかっているのでしょうか。

胸がいっぱいになり、与えてやりたい誘惑を、ようようこらえました。娘がこんなにがんばっているのだから、親も耐えなければなりません。何をおおげさな!と驚かれるかもですが、小さな女の子には、人生最大の試練だと思うのです。私たち大人も、沢山のことに直面しますが、宇宙からみれば、些細なことでしょう。それと同じで、大人には、たかだかおっぱいでも、1歳と少しの子には、それまで、命と安心と喜びの全てだったおっぱいと離れるのですから、一大試練です。


せめて、私のしてやれることは、抱っこでした。
抱っこって、不思議です。子供達の望む事は、時々、ただ、「抱っこ」それだけだったりします。
なんて、無欲なんでしょう。ただ、お母さんの腕に抱かれる事だけが望みだなんて。
このひとときが、将来の何かになればいいなあと願いをこめて、腕(かいな)に抱き、子守唄を歌う。おおきくなあれ。あなたのはやさで。あなたにふさわしく、一歩一歩。
大丈夫、大丈夫、あなたのなかには、あなたの前の命がいっぱいならんでいる。40億年の昔から、あなたは生きてきて、今あなたがいる。人は、大きくなろう、成長しよう、生き残ろう、よくなろうという意思そのものなのだ。
と思ったところで、人類の歴史の凄惨さが頭をよぎり、スイッチを消すことにしました。だまって、彼女のひびきをききとるのに、余計な考えは邪魔ですね。

彼女の呼吸に合わせて、ゆっくりと歩く時間。
世界は動いていて、そしてここで、小さな命がまた一つ、自立しようとしている。もちろん、その食事の用意はほぼ私がします。彼女は私なしでは生きられない。
けれど、これからは、母を経由せず、自分で食べ、咀嚼し、己をつくっていく。自立のはじまりです。一心同体だった母子が、少しずつ、二心二体になっていく。
嬉しくもあり、さみしくもあり。

辛そうに、おっぱいを偲ぶ(という漢字を使いたくなる様でした)娘に、「成長するとき、人は何かをこらえて、我慢するのだ」というシンプルな事実を、改めて教えられました。逆に言うと、人生はその繰り返しですよね。娘がこんなにがんばっているのですから、私も何か我慢しないとなあ、とちょっと反省。


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さて、それを最後に、娘は本当に卒乳しました。今はもう、おっぱいをほしがることはなく、いつもご機嫌。おかげさまで、健やかにすくすくと育っています。食べるのは大好きでもりもりもりもり。
吸いたがることはなくなりましたが、おっぱいには、時々会いたいようで、覗き込んで、触って、嬉しそうにちょっと恥ずかし気に、くしゃっと笑って、それからまた遊びにいきます。
きっと、彼女には、心の基地なんですね。自分の体にも、おっぱいライフを支え続けてくれた、お味噌汁をはじめとした、食とまつわる方々に感謝です。佳い方に出会い、卒乳の手技もはじめて受けました。

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(長女と次女の先日のお弁当おやつ)

そんな娘は、先月から、週に二度、時間保育に通っています。なんでも、最初は親の方も相当ドキドキハラハラしますが、そしてそれは、三人目でも変わらずですが、先生方が優しく、本当に嬉しいです。すっかりなじんだ様子で、親がしてやれない遊びをやっていただけたり、歯磨きやトイレトレーニングも、親とより、ちゃんとやるように思います。同世代のお友達と出会わせてもらえることが、ありがたく。(なお、雲仙市は、第二子以降の通常保育は、今年度より全額無料という画期的な制度がスタートしています!)

給食は、お弁当を持っていかさせてもらっています。
仕事の都合というより、娘の成長も願って時間保育を始めましたが、いざ預けてみると、改めて、膨大な仕事量が眼前にせまってきました。まだまだ、本格的にアクセル踏み込むことはできませんが(子育ても大事な社会的な仕事だと思います。我が子とはいえ、将来の社会の一員を育てているのですから。)、出来る限りがんばるぞーと張り切っています。テストの採点など待ってくださっている生徒さんに感謝です。

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<食以外で、この頃の子育てで心がけていること>

・香料などをできるだけ吸わせない。

食べもの以上に、香りの粒子は、鼻や目の粘膜から吸収されて、直接血液、脳にいきます。現代は、洗剤や柔軟剤の香りが強く、悪影響を心配しています。家ではできるだけ、無香料、香りを楽しみたい時は良質のエッセンシャルオイルやお香にしています。困っているのが、お線香ですね。毎日使うから、費用との兼ね合いにちょっと悩んでいます。
食事もナチュラルな手作り、外食もいい蕎麦屋さんやイタリアンなどにすると、美味しいだけでなく、加工品の香料をとらずにすみます。


・肌や耳からの刺激を大切にする

プラスチックの手触りや音や、電子音はできるだけ避け、自然なものの肌触りと音の無数のヒビキに触れさせるようにしています。行間ならぬ、音と音の間に、例えば木の葉が落ちる音、木と木がぶつかる音には、無数の音が存在しますが、プラスチックや電気のおもちゃは、その一切が欠落しています。特殊な塾や教育に通わせなくても、身の回りで養える脳や発育にいいことがいっぱいあると思っています。


・子どもの成長スピードを尊重する

上記にも関係するのですが、例えばうちの子は、まだまだ手づかみで食べたがります。スプーンや箸では、いつか必ず上手に食べられるようになります。焦ってそれを教えるよりも、食材が指に触れる様々な触感が彼らに与える学びの方が大事だと考えています。同じような理由で、出来る限り、スプーンは木のスプーン、金属のシルエットの美しいスプーンなどにしています。お皿も同じです。が、若い頃は、経済力がなくて、プラスチックの安物もありました。今も裕福ではありませんが、いただきものや、若い頃から少しずつ買ったものが積み重なりだしました。これからも、少しずつ、良い影響のものを増やしていきたい。
なお、マクロビオティック中心に育てると、食器も滅多に割らないし、大して食べ散らかしません。あまりに散らかす子は、陰陽バランスが調っていないSOSで、その子が悪いのではないんですよ。


・達成感を大切にする

思う存分、やりたいことをやらせるようにしています。放任とか、無作法な子にしたいんではありません。もちろん。
だけど、「いたずら」と大人の目で断定して、止めさせる必要がある段階かどうか、慎重にしています。他人の迷惑にならないで、好きなだけやりたいようにやれる環境をできるだけ調えています。破りたい物をやぶったり、物を落としてみたり、水でじゃぶじゃぶ遊んだり。それぞれが、子どもの触覚・視覚・聴覚など発育に大事な学びであり、達成感が大事だと思っているんです。子どもの頃好きなだけやりたいことをやって満たされた感覚を得ることが、将来の心身の安定につながると思っています。
これも、子どもの体調が安定していると、そんなにめちゃくちゃなことはしません。危険も自分で避けます。あまりに何かを破壊したり、怪我の多い子どもは、胃腸の調子が悪い、など身体的理由があったりするのです。小さなうちは、壊すなと叱るのではなく、子どもが何を望んでいるか、感じとるようにつとめています。(大きくなっても、叱りはしても、理解し必要に気づいてやることは、家庭の仕事だと思います)


・社会性より、今は、自己の確立を

俗に「三歳児神話」と言いますが、あれは、「三歳まで預けるな」という意味ではなく、「三歳までは自己確立の時間」ということだと思います。一歳すぐ同士の子ども達に、「とっちゃだめ」「◯◯しちゃだめ」と社会のルールをあまりに教え込むのはまだ早い。もちろん、「どーぞしてみようか」などと、誘うこと、距離を教えていくことは必要なことはあると思います。
けれど、そもそも、まだ、他者との関わり以前の段階です。大人の理想の子ども、都合のいい子どもになることを要求することが、教育ではない。今の時期一番大事なことは、しっかり甘えさせてやる事。(甘やかすのではなく)存在をしっかりと受け止めてあげることだと思います。

自分が確立されていないのに、あれもダメこれもダメと社会ルールを押し込まれると、子どもが大きくなったのちに、理由のわからないストレスや、消化力が弱い、などになる得ると、思ってはいたものの、開業して、沢山の成人した生徒さんを見て確信に近くなっています。科学的根拠はありません。私の意見ですから、間違っているかもしれませんが、私はそう思っています。

だから、若いお母さんを見ていると胸痛むことがあります。子どもさんが、人のものをとったりなんだりするのは、「性格が悪い」のではありません。まだ、わからないのです。そういう時期なだけ。「善悪」の前に、お子さんが一番必要としている、親やその代わりの誰かとのつながり、その中で皮膚感覚で見つけていく「自分」を、しっかり支えてあげられたら、その後に自然と備わってくるから、大丈夫だと思います。自分もお子さんも責めないで、もっと育児を楽しめるように、願っています。心身の健康の秘訣は自己肯定です。


・運動と足の発達

歩行器に入れる事は、避けます。手押し車はいいですよね。
自然と足腰が発達することが大事なので、強制ではなく、しかしできるだけ、お散歩や歩き回れる事。裸足の感覚。運動は本当に大事です。自然と動き回る事で、身についてくることが沢山あり、心肺機能が丈夫になり、頭もよくなります。
今の家は、古くて広いので、雨の日でも、家の中で充分に歩き回れたり、階段の上り下りができて本当に助かっています。都会は大変ですよね。家の中にいても大変、出かけても大変。もっと育児が楽しめる環境を、社会がお母さん達にプレゼントしないといけないですよね。お金というより、もっとソフトの部分、お金の使い方含め、知恵や環境が不足が必要でしょう。

また、靴は今のところいただきものばかりで(ありがたし!)すが、皆様、靴底のよいものくださるので、ありがたいです。ベビーシューズも本を参考に、三人目にしてようやくつくってみました!が、靴底だけは、何枚か重ね、クッションと、それでいて指先の敏感な感覚を妨げないようにちょっとアレンジ。甲のとこも、少し変えました。(「はじめての赤ちゃん服と小物」西東社 を参考)
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右左全然違う? はい(笑)

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最近は、安いペラペラの底の靴がうってあります。そんな靴でアスファルトの上などを長時間歩かせたりすれば、どんどん腰や背骨、首などに負担がかかり、疲れやすく、脳神経や内蔵などさまざまにトラブルがでてきます。大きくなって、小学生なんて、とても大事な時期です。経済より、発育を。
ちゃんと、理をふまえて、靴や服はつくっていただきたい。


関係ないようですが、動物園のコンクリートの上にいる象たちはどんなに辛かろうと思います。象は、何十キロ先の出来事も、その振動で感受できるほど、繊細な足の裏を持っています。それが、大地の土でなく、冷たく固いコンクリートの上で、何トンもある重い体を支えねばならぬなんて、どれほど肩や腰、骨その他に負担がかかることでしょう。
女性の多くは、合わないヒールで何時間も立ち続けて、身体中、頭までくたびれたりおかしくなりそうな感覚を持ったことがあると思います。あるいは、自覚以上に、体に負担をかけていることがあります。(ぺたんこ靴で体重のかけかたが悪くても同様です)
子ども達や生き物の、生活の理を尊重してやれたらいいですね。

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他にもいろいろあるけれど、
そんなことを、気をつけながら、育てています。私に甘えさせてやることを、一番に。そこから、規律や自主性が育まれると思っています。
もちろん、社会との関わりの中で、理想的にできないこともありますが、それはそれで、折衷点を探すのがまた、親の勉強でひいては我が子の教育かなと思います。「鎖国」するわけにも行きませんからね(笑)歴史上の「開国」はもっと切羽詰まった問題だったでしょうが、私はつい歴史の本が好きなもんで(人の人生がつまっているので)、あれこれ、こんなシーンで先人達はどうしたのかしらん、と想像して、勝手に役立てたりします。

ただ、「外観は内観」とは良く言ったもので、自分が調うほど、出会いも変わり、スムーズにいろんなことがうまくいくようになっていきました。合気道でも同じ事を教えられた気がします。
そしてやっぱり、人の判断には限界があるからこそ、要は台所と、そしてそれを支えてくださる農家さんや料理さんや職人さんたちですね。

マクロビオティックはじめるコース」受講生・修了生の方は、また、サポートサイト、少しアップしました。「ながさきプレス」の連載も終了しましたが、また色々とあちこち仕事もすすめています。何かお役に立ちますように。