狭山養生鍼灸院

福西式お灸・指圧blog

江戸時代、庶民のたのしみであった人形浄瑠璃の中にはお灸の場面がよく出てきます。前回に続き、近松半二作の『新版歌(しんぱんうた)祭文(ざいもん)』から『お染久松野崎村の段』をみてゆきましょう。

 

場面は久松が父・久作の背中をもみ、許嫁(いいなずけ)のおみつが久作の足にお灸をすえているところです。

 

◇    ◇

 

 「アツゝアツゝえらいぞえらいぞ、明日が日死なうと火葬はやめにして貰ひませう。

丈夫に見えてももう古家、屋根も根太(ねだ)も、こりゃ一つ時に割普請(わりぶしん)ぢゃ、アツ・・・・・・」

 「ヲゝ父様の仰山な、皮切仕舞でござんす、ホンニ風があたると思や、誰ぢゃ表を開けたさうな、閉めて参れよ」

と立つを引きとめ、

 「はてよいわいの、昼中にうっとしい、ナウ久松々、コリャ久松、よそ見ばかりして居ずと、しか/\と揉まぬかいの」

 「サァよそ見はせぬけれど、エエ覗くが悪い、折が悪い/\悪い」と目顔の仕かた、

 「ヤ悪いの覗くのと、足に灸こそすえて居れ、どこもおみつは覗きはせぬ」

 

                「皮切」はお灸から出た言葉

 

 右文中、〝根太〟とは床板を受けるために床下にわたした横木のことです。また〝割普請〟とは、一つの普請をいくつかに分け、分担して作業をすることをいいます。この場合、久松は久作の背中をもみ、おみつは足に灸をすえており分担して孝行がなされているので割普請といったのです。

 

 文中『皮切(かわきり)』という語があります。これは当時〝物事のはじめ〟という意味の普通名詞として一般に使われていました。現在でもこの意味で使われています。しかし、その語源は、まさにこのお灸にあったです。

 

 『皮切』とは、1壮目の灸、すなわち1回目の灸のことです。つまり、最初のお灸をすえると、その灰を取り除かずに少しつぶして、その灰の上に次のもぐさを置き火をつけます。すると、2壮目は下敷になった灰によって、熱さが緩和されるのです。

 

 しかし、こんなすえ方は古いものであって、私が提唱する『八分灸』では、もぐさが八分ぐらい燃えた時に、毎回もぐさを取り除きます。 

狭山養生鍼灸院 福西佐元
      [上記は地方紙に掲載されたものです]



 




   図のお灸器具(3000円)を用いて「熱くない、アトのつかない“八分灸”」のすえ方とツボの取り方をお教えします。肩や腰をはじめ全身に御自分で施灸できます。
 一度来院されるのが最善ですが、無理な方には電話またはLineの動画でお教えします。お気軽にご連絡ください。
      お灸器具jpg


                                     TEL  :   072-367-3792


 お灸に関する江戸時代の風俗を示すものとして、人形浄瑠璃のお染久松物語をご紹介しています。前回に引続いて近松半二作『新版歌祭文(しんぱんうたざいもん)』から『お染久松野崎村の段』を取り上げましょう。

 

 前回は、久松の父・久作に対し、親孝行として久作が背中をもみ、許嫁(いいなずけ)のおみつが久作の足にお灸をすえようとしているところでした。今回はいよいよ本番になるところです。

 

                    ◇      ◇  

 

 燃ゆる思ひは娘気の、細き線香にたつ煙、

「サア/\親子ぢゃとて遠慮はない。(もぐさ)痃癖も大づかみにやって呉れ」

「アイ/\きつうつかえて御座りますぞへ」

「さうであらう/\次手(ついで)七九をやってたも、オットこたえるぞ/\

「サアすえますぞえ」

「アツアツアツゝえらいぞえらいぞ、明日が日死なうと火葬はやめにして貰ひませう、丈夫に見えてももう古家、屋根もねだもこりゃ一つ時に割普請(わりぶしん)ぢゃアツ・・・・・」

 

     

                     暮しに生きるツボの名称

 

 右文中、①『痃癖』 はケンベキと読みます。この言葉は当時のいろいろな物語にたくさん出てきます。たとえば西鶴の『好色五人女』の中にもよく見かけます。

 

 これは現在の大阪地方ではケンビキと言われています。つまり、背中の上部で、肩甲骨と背骨の中間あたりを指します。久作は、親子であるからといって遠慮するな、艾も大づかみに、ケンビキをもむのも大づかみに、思いきってやってくれと言っているのです。

 

②ケンビキをもむついでに『七九』をもんでほしいと久作が言っています。

 

 『七九』とはシチクと読み、大阪地方ではいまも使われます。これは胃のツボで、背骨の両横、ケンビキよりも下方に当り、ちょうど胃の裏あたりを指します。これから先は私の独断になりますが、七九とは、胸椎(きょうつい)の7番から9番にかけてをいうものと思われます。実際に患者さんがいう場所と、胸椎の7番から9番にかけてとが一致するのです。

 

 古き大阪の言葉は、何百年も変っていません。


狭山養生鍼灸院 福西佐元
      [上記は地方紙に掲載されたものです]



 




   図のお灸器具(3000円)を用いて「熱くない、アトのつかない“八分灸”」のすえ方とツボの取り方をお教えします。肩や腰をはじめ全身に御自分で施灸できます。
 一度来院されるのが最善ですが、無理な方には電話またはLineの動画でお教えします。お気軽にご連絡ください。
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 東海林太郎さんの歌で知られた“お染久松”の物語は、熟年の人にとっては懐かしいものです。そこに出てくるお灸についてお話をしましょう。

 

 大阪の商家、油屋の娘であるお染と丁稚の久松とが恋仲になりますが、身分の違いで恋は成就せず、結局心中してしまうという悲恋物語です。

 

 当時、つまり江戸時代前期の実話をもとに、多くの人がいわゆる“お染久松もの”を書いています。今回引用するのは、近松半二作の人間浄瑠璃『新版歌祭文(しんぱんうたさいもん)』から『お染久松野崎村の段』です。なお、句読点とフリガナは私の独断と偏見でつけました。

 

<出て来る久作「どうじゃ、鱠は出来たであらう、(さて)祝言の事婆が聞いてきつい(よろこび)、ぢやが齢はよるまいもの、さっきのやっさもっさで取上したか頭痛もする、いかう肩がつかへて来た。アゝ(だいだい)の数は争はれぬものぢやはいの」、「さようなら、そろそろ私が()んであげませうか」

「ソリャ久松(かたじ)けない、老いては子に随へぢや、孝行にかたみ恨みのない様に、おみつよ、三里をすえて呉れ」

「アイアイそんなら風の来ぬ様に」と、なにがな表へあたり眼、門の戸ぴっしやりさし艾、燃ゆる思ひは娘気の、細き線香に立つ煙、・・・・・・>

 

お灸のことは当時の常識

  

 久松の養父である久作が、久松とおみつとの結婚の儀を大変喜んでいる様子、および久松には肩をもんでもらい、おみつには『三里』に灸をすえてもらう様が描かれています。『三里』のツボは、すねの骨(𦙾骨)の外側にあり、膝の下端で押して最も痛む所に取ります。当時にあってはこんなことは誰でも知っている常識だったのです。

 

 また、おみつが風の来ぬようにと戸を閉めたと記されています。これもお灸をすえる時の常識だったのです。風が吹いてくると、もぐさの火がイコッてしまい、熱くなるからです。『さし(もぐさ)』というのは、普通にお灸をすえる時のもぐさをいいます。『さし』とは、ヒフにさし当てるとの意から出た接頭語です。

 

 なお、私の本『家庭でできるお灸療法』(日東書院)にはツボについて詳しく記しています。書店でお求め下さい。

狭山養生鍼灸院 福西佐元
      [上記は地方紙に掲載されたものです]



 




   図のお灸器具(3000円)を用いて「熱くない、アトのつかない“八分灸”」のすえ方とツボの取り方をお教えします。肩や腰をはじめ全身に御自分で施灸できます。
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