東海林太郎さんの歌で知られた“お染久松”の物語は、熟年の人にとっては懐かしいものです。そこに出てくるお灸についてお話をしましょう。

 

 大阪の商家、油屋の娘であるお染と丁稚の久松とが恋仲になりますが、身分の違いで恋は成就せず、結局心中してしまうという悲恋物語です。

 

 当時、つまり江戸時代前期の実話をもとに、多くの人がいわゆる“お染久松もの”を書いています。今回引用するのは、近松半二作の人間浄瑠璃『新版歌祭文(しんぱんうたさいもん)』から『お染久松野崎村の段』です。なお、句読点とフリガナは私の独断と偏見でつけました。

 

<出て来る久作「どうじゃ、鱠は出来たであらう、(さて)祝言の事婆が聞いてきつい(よろこび)、ぢやが齢はよるまいもの、さっきのやっさもっさで取上したか頭痛もする、いかう肩がつかへて来た。アゝ(だいだい)の数は争はれぬものぢやはいの」、「さようなら、そろそろ私が()んであげませうか」

「ソリャ久松(かたじ)けない、老いては子に随へぢや、孝行にかたみ恨みのない様に、おみつよ、三里をすえて呉れ」

「アイアイそんなら風の来ぬ様に」と、なにがな表へあたり眼、門の戸ぴっしやりさし艾、燃ゆる思ひは娘気の、細き線香に立つ煙、・・・・・・>

 

お灸のことは当時の常識

  

 久松の養父である久作が、久松とおみつとの結婚の儀を大変喜んでいる様子、および久松には肩をもんでもらい、おみつには『三里』に灸をすえてもらう様が描かれています。『三里』のツボは、すねの骨(𦙾骨)の外側にあり、膝の下端で押して最も痛む所に取ります。当時にあってはこんなことは誰でも知っている常識だったのです。

 

 また、おみつが風の来ぬようにと戸を閉めたと記されています。これもお灸をすえる時の常識だったのです。風が吹いてくると、もぐさの火がイコッてしまい、熱くなるからです。『さし(もぐさ)』というのは、普通にお灸をすえる時のもぐさをいいます。『さし』とは、ヒフにさし当てるとの意から出た接頭語です。

 

 なお、私の本『家庭でできるお灸療法』(日東書院)にはツボについて詳しく記しています。書店でお求め下さい。

狭山養生鍼灸院 福西佐元
      [上記は地方紙に掲載されたものです]



 




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