2011年03月20日

ジョギングでストレス発散!

土曜夜の地元仲間の結婚式二次会パーティの席でも
「あれ?old-cmanさん、こんな所にいて良いの?」
「てっきり、宮城の現地に行ってると思ってたのに!」
と声かけられました。

きっとこんな仕事してるから、何かあれば何を置いても現場に向かうのだろうと思われてるのも判るんですが、現実はそうでも無いんです。
カメラマン全員が現地に行ってしまったら、本丸を守る人が居なくなってしまう訳で、当然現地には多くのクルーを投入しますが、東京の本丸に残って都内の取材を担当する人員も必要なんですね。

私も地震発生以来、そんな本丸担当をやっております。
若い頃はそんな本社残留部隊に配属されると、早く現場に行きたい。そして現実を見て、撮って、伝えたい!とキリキリしていました。
でも、最近はいい歳ですし若いスタッフに頑張ってもらって、縁の下の力持ちでも良いかなと思える様になりました。

よく、大災害や大事故の時に社内で言われるのが
「行くも地獄、残るも地獄」
という言葉。
最前線で頑張って取材するクルーも大変だけど、連日手薄になった都内取材を支える残留部隊も又大変だという意味です。

思えば大津波以来、記者会見や雑感撮り、資料の接写ばかりの日々が続いてました。大災害の映像を社内で見ているしかないもどかしさで、やはり知らず知らずの内にストレスが溜まっていたのでしょう。

何ともスッキリしないので、今夕は久しぶりに隅田川にかかっている永代橋・中央大橋・相生橋を巡るいつものジョギングコースを2周、約6キロ弱を走った。
汗をドッとかいて、気分爽快!
又、明日からの取材に向けてリセットしました!

old_cman at 23:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)オフタイム 

2011年03月16日

2月11日、全てはこの日から始まった

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この日、3ヶ月に1度の糖尿病内科の検診日だった。
随分待たされて、昼過ぎに看てもらった結果は血糖値も良好で先生にお褒めの言葉を頂いた。帰りにカミさん、母と回転寿司屋で合流して遅い昼食を食べて帰宅。宿直勤務だったので、出社前まで少しのんびりしようとしていた矢先にグラグラときた。

いつもの事だろうと2階のリビングで吞気に座っていたら、そのうち激しい揺れに変わった。いつもとは揺れ方が全く違う。大きな横揺れは家が潰れるのではないかと身の危険を感じるほどだった。
大きく揺れてる最中に、1階の部屋に居た84才で足の悪い母が階段を遭い上がって来てきた。一人でいるのが余程怖かったのだろう。そのまま2階の踊り場で腹這いになったまま恐怖と戦っていた。
「大丈夫、大丈夫!」
と声を掛けたものの、私も母のそばに立っているのがやっとだった。

やっと長い揺れが治まり、腰が抜けてしまった母をリビングのソファに寝かせテレビを付けた。
各局、仙台沖震源の大地震の震度や局内やお天気カメラの大きく揺れてる映像を流し始めていた。各地の震度を見て事の重大性が見えて来た。

カミサんが都内に住む両親宅に電話するが、既に繋がらない。小学校に行っている娘が心配だとカミさんに言われた。
続いて、テレビでは大津波警報が太平洋側一面に出された事を伝え始めた。
東京での被害状況も判らない。停電、断水が在るかもしれないのでお風呂に水を張る様にカミさんに指示をして、娘の迎えに行こうかと思っていた矢先、防災ずきんを被った娘が帰って来た。
とりあえず家族は全員揃った。

その後、大きな津波に飲み込まれる各地の生映像を見始めて、改めて恐怖を感じた。
本当に大変な事になった。

本来、直ぐにでも出社しなければならないのだが、連絡の取れないカミさんの両親の事、停電、断水になって、避難するかもしれない事、目の前の腰が抜けた母親の事。その状態のまま会社に向かう事は出来なかった。

テレビの報道を見ながら、カミさんは避難する場合の事を考えて身の回りの荷作りをし始めた。この辺り、女性はシッカリしていると思った。

暫くはそんな状態だった。
東北地方の大きな被害と、東京は何とか大丈夫そうだという目安が立った段階で、出社する事にした。
(カミさんは「どうやって行くの?」と白い目で見ていたが)
阪神大震災のときは出社して、一晩東京で仕事をしたまま、翌朝に関西に飛ばされた経験がある。2〜3日分の着替えを鞄に入れて自宅を飛び出した。

しかし、
すでに地下鉄が止まってしまった大通りは人で溢れていた。タクシー町の人も大勢居て捕まりそうもない。直ぐに自宅に戻り自転車で出社する事にした。
築地、銀座、丸の内と歩道に溢れる人を避けながら40分位で会社に到着する事ができた。

会社では現地に向かう第一陣のクルーは既に出たあと。刻々と現地から入る映像を見ながら今後の対応を検討している最中だった。
しばらくして、史上初の原子力緊急事態が宣言される事態となった東京電力福島第1、第2原発関連の取材で経済産業省に向かった。大渋滞の中、赤坂から霞ヶ関まで1時間近くかかってしまった。
そのまま翌朝8時過ぎまで、掲載産業省内で断続的に開かれた原子力安全保安院の経過報告記者会見を撮る事になった。

緊急停止した原子炉の冷却用ポンプが停電でストップした。
電源車を現場に向かわせてる。
作業員の手当がつかないでいる。

今考えてみると、素人が聞いていても最初から説明が変だった。
でも、本当にまさか、まさかこんな事態になるとは夢にも思わなかった。
未だに悪夢を見ている気がしてならない。
今は何とか最悪のシナリオだけは避けて欲しいと願うだけだ。


old_cman at 23:57|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2011年03月08日

60年前のカメラ2....微妙です(笑)

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SEMFLEX S1 (FRANCE)

仕事を終えて、夕食後に昨日に引き続いてブローニーのネガからデジタル化作業をした。
今回のテスト撮影したフィルムは殆どが夜間の室内で撮ったものだったのだが、この画像は犬の朝の散歩の時に撮ったもの。

しかし、微妙ですねえ。
大きなブローニーのフィルムを使っているのに、どう見てもトイカメラのレベルだなぁ。
居酒屋の飲み代2回分位の値段だったし、レンズはキズだらけなのも織り込み済みだったが(笑)
内面反射の影響もあるのかな。
ともかくフレア防止用のフードは必須と思われるので探さないと。

よく「ベルチオ・カラー」とも言われて、パステル調の色合いで写ると言われてるSOM BERTIO社のレンズの感じだけは出ている様ですが(笑)


old_cman at 23:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)