2011年10月

2011年10月31日

モダンタイムス(上・下)

『モダンタイムス(上・下)』

伊坂幸太郎
(講談社文庫)
2011年10月14日 第1刷発行
ISBN978-4-06-277078-1
ISBN978-4-06-277079-8

「マンガよりも面白い」でお馴染みの(言うとるのお前だけやがな)伊坂幸太郎作品。
移動中読もうと空港で購入。飛行機の中でニヤニヤ。

ゴールデンスランバー』でちょっと「雰囲気が変わった」と感想に書いたけれど、むしろこの小説は今までの伊坂幸太郎作品の印象に近い。
雰囲気が変わった方がいいのか、変わらない方がいいのか。
そんなことを考えていたらあとがきに
「月並みな言い方にはなってしまいますが、この二つの作品(本書と『ゴールデンスランバー』)は、生真面目な兄と奔放な弟とでも言うような、二卵性の双生児に似ています。(p. 452)」
とあった。
なるほど、双子の兄弟か。なら変わってても、変わってなくてもいいよね。
(自分は『ゴールデンスランバー』が兄で『モダンタイムス』が弟だと思った)

『魔王』から50年後の日本にご興味があるならどうぞ。

他の著作の感想
砂漠
終末のフール
Story Seller
陽気なギャングの日常と襲撃
フィッシュストーリー
ゴールデンスランバー



oldcoinshark_fiddler at 01:01|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 小説 

2011年10月30日

セックス・アンド・デス

『セックス・アンド・デス-生物学の哲学への招待-』

キム・ステレルニー+ポール・E・グリフィス(Kim Sterelny, Paul E. Griffiths)
/太田紘史+大塚淳+田中泉吏+中尾央+西村正秀+藤川直也[訳] 松本俊吉[監修・改題]
(春秋社)
2009年7月25日 第1刷発行
原題: SEX AND DEATH An Introduction to Philosophy of Biology(1999)
ISBN978-4-393-32323-6

本書は紙数の都合上、いくつかの箇所が割愛されている。
しかし、以下リンクに紙面の都合上省略された翻訳箇所が掲載されている
http://www.shunjusha.co.jp/sex_and_death/
こういう風に割愛部分を補完するのはwebのいい利用方法だと思う。
(我が儘だけど、できれば一つのパッケージにしてもらったほうが嬉しいのは本音…)

著者の一人であるキム・ステレルニーの著書『ドーキンスvsグールド』を読んだことがある。
論争の多い二人の意見の相違点を上手く整理した著書だったと思う。
ただし個人的には非常に分かりやすい本だったけれど、二人の著書を読んだことが無いと面白さが伝わらないかもしれないとも思った。
なので、もしかしたら本書も各トピックを先に別の本で読んだ上で、本書を読んで整理する形の方が頭に入るかもしれない。

本書は入門書だけれど、同時に著者たちの意見が述べられている本でもある。
『利己的な遺伝子』の問題点を指摘した第4章は頭の整理になった。

ただし、第9章の種については、著者と自分の意見は異なっているように思う。
自分は、"種"は人間がうつろう世界を捉えるための手段であり、"種"とは生物が持つ特質では無く人間の頭の中にあるのだと考えている。
種とは人が生き物にかけた呪なのだ。(言いたかっただけやろというツッコミは無用です)
(参考: 種は生物多様性を表す単位になりうるのか
しかし著者は便宜的に種が実在することは可能だと主張しているように思える。
「種領域効果については激しい論争があるが、もしもこの考えが正しいとすれば、(略)この種領域効果は、生物界の安定度と変化を測定する基準として種が用いられる一例である。我々の種分類が、我々の知覚や時間の限界を生物界の滑らかな連続性へ投影したものにすぎず、自然の中には存在しない境界を見つけているだけなのだとすれば、このような仕方で種を用いることはできないだろう。
 そういうわけで、種が実在すると認めよう(p.174)」

この展開には納得がいかない。
<種が「生物界の安定度と変化を測定する基準」として用いられている⇒種が実在しなければいけない。>
「生物界の安定度と変化を測定する基準」として種が用いられている例として「激しい論争」があるものを持ってきておいて、上のような主張をするのはおかしい。
せめて、一般的な合意がとれているものを例に出して主張すべきである。
気のせいかもしれないが、そもそもの前提に関して著者らの議論は雑な印象を受けた。

その他、進化心理学の分野の話などは整理されて分かりやすいのだけれど、少しあっさりと終わってしまった印象を受けた。
やはり、他の関連本を読んだ上で整理した方がいいのだろう。
今回は過去に読んだ関連本のリンク+今後読もうと思う宿題本を挙げて終わろうと思う。
(メモ書きみたいな記事ですいません。
散々時間かけたのに、結局意見がまとまらなかったという。。。情けない。)

  • 進化論の射程』(本書と同じ、生物学の哲学本)
    『人間の進化と性淘汰』チャールズ・ダーウィン(p.4 に引用あり)[ 宿題本]
    生物をめぐる4つの「なぜ」』(p. 19 とp.49 にティンバーゲンの4つの区分に関する議論)
    『ワンダフルライフ』(p.45 多様性と異質性に関する言及)
    『利己的な遺伝子』(主に第3章全体に関連)
    『延長された表現型』
    (p. 66「彼の提案は、進化単位の階層のあるレベルではたらいているように見える選択プロセスは、多くの場合それより低いレベルでの頻度依存プロセスとして理解されうるというものだ。」,
    3・4 延長された表現型,
    p.81 ドーキンスは『延長された表現型』の中で、この「利己的ヌクレオチド」説について論じている。そしてその中で、進化的遺伝子概念はひっそりと、そして正しくも葬り去られているのである)
    理系人に役立つ科学哲学』(第7章に少々関連?)
    働かないアリに意義がある』(第8章に関連)
    系統樹思考の世界』『分類思考の世界
    (第9章に関連。自分は現在、系統学的種概念の立場で種を捉えている)
    『過程としての科学』デヴィット・ハル (第9章体系学に関連)[宿題本]
    自己デザインする生命』(p. 198 で述べられている目的論的思考を排除することへの疑問)
    『ダーウィンの危険な思想』(第10章に関して)
    進化の運命』(p. 222 で述べられている収斂進化の決定版)
    『恋人選びの心―性淘汰と人間性の進化 』(第12章 進化心理学に関連して)[宿題本]
    生物がつくる<体外>構造』(p. 276 で述べられているガイア仮説への肯定的主張)
    『盲目の時計職人』(p. 276 で述べられているガイア仮説への否定的主張)
    『自己組織化と進化の論理』(13・3 シミュレーションと創発)


(その他、生物学の哲学に関してお勧め本があれば、教えていただければ嬉しいです)

-自分用メモ-
生物学の哲学への招待というサブタイトルだけれど、割愛された序文にあるように進化生物学が大きく扱われている。
進化論の射程』も同じく進化生物学にまつわる哲学から生物学の哲学への拡張を試みた本だったと思う。
進化論が哲学の問題になることは直感的には分かる。(序文にもあるように「進化論からは実際に概念的問題と経験的問題の際立った混合物が生じているのだ」)
読んでいる本が進化関連の本中心であるということもあるのだけれど、どうも生物学の哲学には進化生物学の哲に重きを置いた本に偏っている印象がある。
エリオット・ソーバーが『進化論の射程』で正しく指摘したように、進化生物学が他の生物学に比較して大きく扱われなければならないという自明の理由は無い。
「では、ドブジャンスキーの考えによって、進化論と生物学の他の分野との非対称性が確認されるのだろうか。確かに、進化に注意を払わなければ、生物学で完全に理解できるものは何もない。しかし、同じことが分子生物学と生態学についても言うことができる。これら二つの分野から与えられる情報がなければ、生物学的現象で理解できるものは何もない。(p.18)」

自分は最近、進化生物学に軸を置かない、生物学の哲学はどのようなものになるのだろうかという疑問を感じることがある。
分子生物学からの生物学の哲学へのアプローチは物理学の哲学のようになるのか。
それともやはりローカルな生物学の哲学が分子生物学にも求められるのか。
今後の関連本を読む上で意識してみようと思う。




-目次-
第1部 イントロダクション
 第1章 生物学の哲学とは何か-生物学の哲学と社会的問題
   1・1 生命を科学する
   1・2 人間に本性があるのか?
   1・3 真の利他行動はありうるのか?
   1・4 人間は遺伝子によってプログラムされているのか?
   1・5 生物学があれば、社会学はいらない?
   1・6 環境保全論者は何を保全すべきか?
 第2章 進化の定説
   2・1 生命の多様性
   2・2 進化と自然選択
   2・3 定説とそれへの挑戦
第2部 遺伝子、分子、生物体
 第3章 遺伝子の目から見た進化
   3・1 自己複製子と相互作用子
   3・2 自己複製子の特別な地位
   3・3 簿記論法
   3・4 延長された表現型
 第4章 生物体の逆襲
   4・1 遺伝子とは何か
   4・2 「能動的な生殖系列の自己複製子」としての遺伝子
   4・3 「差異生産者」としての遺伝子
 第5章 発生システムという代案
   5・1 遺伝子選択説と発生
   5・2 エピジェネティックな遺伝とその先
   5・3 相互作用主義コンセンサス
   5・4 発生における情報
   5・5 遺伝子を特権化するための別の根拠
   5・6 発生システムと延長された自己複製子
   5・7 真実のストーリーは一つか?
 第6章 メンデルと分子
   6・1 理論はいかに関係し合うか-置換・吸収・統合
   6・2 メンデル遺伝学とは何か
   6・3 分子遺伝学とは何か-転写と翻訳
   6・4 遺伝子調節
   6・5 遺伝子はタンパク質生産者なのか?
 第7章 還元論争
   7・1 反還元主義的コンセンサス
   7・2 還元は段階的なものなのか?
   7・3 遺伝子=DNA配列+文脈?
   7・4 還元主義的反コンセンサス
第3部 生物体、集団、種
 第8章 生物体、集団、超個体
   8・1 相互作用子
   8・2 利他行動という難問
   8・3 集団選択-テイク1
   8・4 集団選択-テイク2
 第9章 種
   9・1 種は実在するか
   9・2 種の本性
   9・3 真なる生命樹
第4部 進化的説明
 第10章 適応、完全性、機能
   10・1 適応
   10・2 機能
   10・3 適応主義への攻撃
   10・4 適応主義とは何か
   10・5 構造主義とバウプラン
   10・6 最適化と反証可能性
   10・7 適応と比較法
 第11章 適応、生態、環境
   11・1 生態学の定説
   11・2 生態学における歴史と理論
   11・3 自然の調和
   11・4 ニッチと生物
第5部 進化と人間本性
 第12章 社会生物学から進化心理学へ
   12・1 1975年とその後
   12・2 ウィルソンのプログラム
   12・3 ダーウィン的行動学からダーウィン的心理学へ
   12・4 進化心理学とその前途
   12・5 進化心理学とその問題
   12・6 ミームと文化進化
第6部 フィナーレ
 第13章 生命とは何か
   13・1 生命を定義する
   13・2 普遍生物学
   13・3 シミュレーションと創発

oldcoinshark_fiddler at 20:26|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 進化 | 哲学

2011年10月25日

編集者の仕事

『編集者の仕事』

ジル・デイヴィス/篠森未羽[訳]
(日本エディタースクール出版部)
2002年3月18日 第1刷発行
ISBN4-88888-321-1

10月のはじめCoSTEPのライティング集中演習を受けた。
その際、ライターと編集者の視点を考えることができた。
「編集者にとって一番重要なことって何だと思いますか?」
そう聞かれた時、自分は
著者が書いた文章が法律上問題が無いかということをチェックすることじゃないかと考えています。
と答えた。
(おそらく、『電子出版の未来図』に出ていた話だと思う)
その時貰った答えは
「それも大事だとは思うけれど、私は一番大事なのは企画力だと考えています。」
というもの。

読み手を想定して、
読み手が何を求めているのかアンテナをはって、
「何人に届ける」という目標をクリアできる。
そんなモノを企画できる能力。

肝に銘じると共に、読みかけていた本書を早く読み終えなきゃという気持ちになった。
本書の著者はイギリスで編集の仕事に携わっていた人だが、日本の編集という仕事も同じ部分が多いのだろう。
実際、CoSTEPで聞いたのと同じ内容の話も本書で出ていた。

上で挙げた企画力の他、出版リストなど今まで考えていなかった話も出ていて勉強になった。
あくまでを出版するということは利益を生み出さなくてはいけないのだ。

アンテナを張る。
読者を想定する。
何人の読者が完成した文章を買うのか。
編集者になるのなら、そういう意識をもたねばならない。

ちなみに、このブログの想定読者は「自分」です。
本をネタにした日記みたいなものなので、たまに読んでくださる方は読みづらいかと思います。
公開すんなよという声が聞こえてきそうだ。。。
「ごめんなさい」と言いながら未来の自分に向けての日記を綴る日々。




-目次-
第一章 序論
 編集者になるためのルート
 本書の構成
 用語
   コミッショニング・エディター
   予算
   損益勘定
第二章 出版すべき本をどのように選ぶか
 著者を選ぶ
 選択の背景
 原稿依頼の実際
 本や企画の評価
   添え状
   企画の構成
   出版リストへの適性
   読者層
   競争
   アドバイザーを使う
   同僚からアドバイスを求める
   情報の取捨選択
   エージェントと付き合う
   直感と事実
 社内手続きと著者との取り決め
   企画書
   損益勘定
   原価計算
   原稿の長さと締切日の設定
   契約
 危険な領域
   妥協させられる
   テーマに近づきすぎる
   長さと締切日についての判断ミス
   資料の判断を誤る
   時期を逸する
   同僚との意見の相違
   高額のアドバンス
   目標を理解し、忘れない
 まとめのチェックリスト
   参考文献
第三章 企画の実行
 重要な執筆期間
   連絡の取り方
   定期的な進行チェック
   「安全」なスケジュール
   著者の世話をする
 原稿受領までのスケジュール
   予算
   予算修正のガイドライン
   スケジュール
   特別な取り計らい
 危険な領域
   不履行
   著者間の確執
   失敗
 まとめのチェックリスト
第四章 仕事をやり遂げる
 必要な作業
   原稿のチェック
   原稿整理や製作との連携
   宣伝文を書く
   必要書類の記入
   共同出版
   デザイナーへの指示
   マーケティングへの状況説明
   販売会議
   著者を参加させる
   覚えておくべき些細だが重要なこと
 危険な領域
   不十分な原稿を受け入れる
   事実と数字をチェックする
   市場の変化を見落とす
   状況説明不足
   著者のエゴに屈する
   自らのエゴに負ける
 まとめのチェックリスト
第五章 出版リストを立ち上げ発展させる
 リストを立ち上げる
   なぜ新しいリストを作り始めるのか?
   好機
   付加価値
   多様化
   収益の管理
   新刊本リストと既刊本リスト
   市場を支配する
   リストの規模と焦点
   市場の違いを考慮する
   コストの違いを考慮する
   発展と投資
 リストを発展させる
   リスト作りの方法
   新しいリストを発展させる
   既刊本リスト
   増刷
   タイミングよく増刷する
   正しい増刷部数
   表紙の変更
   価格の調整
   新版
   絶版
 効果的な道具としてリストを発展させる
   著者を引きつける
   競争相手を打ち負かす
   特定市場(ニッチ)に向けたリスト作り
 危険な領域
   市場規模の変化
   競争相手に真正面からぶつかる
   既刊本リストを無視する
   在庫切れ
   リストを当然のものと思う
   シリーズ化の落とし穴
   アドバイザー報酬についてのガイドライン
   競争相手を無視する
   他社の模倣
 まとめのチェックリスト
第六章 チームの一員として働く
 社内のチームワーク
   情報の提供
   説明
   熱意
   寛大さ
   他人の困難を理解する
   同僚とのかかわり
   エリート主義を避ける
   部局主義を避ける
 著者とともに仕事をする
   励ましと甘やかし
   著者に情報を提供する
   相互関係を築く
   「ノー」と言う時期と言い方
 危険な領域
   「スター」としての編集者
   一人よがり
   周囲に責任を押し付ける
   怠慢
   えこひいき
   悪い行動
   著者と競争する
 まとめのチェックリスト
第七章 編集者は過酷な仕事?
 大きな失敗
 小さな失敗
 暗い日々
 社風の変化
 最高の仕事?
第八章 本の前途


oldcoinshark_fiddler at 01:24|PermalinkComments(0)TrackBack(0) その他 

2011年10月24日

カーラのゲーム(上・下)

『カーラのゲーム(上・下)』
ゴードン・スティーヴンズ [藤倉秀彦=訳]
(東京創元社)
2000年1月28日 初版
ISBN4-488-80133-1
ISBN4-488-80134-X

後輩Nに『ジェノサイド』を返していたら、友人Oも小説を貸してくれた。

プロローグを読み始めたときは、読みづらいと思った。
ただ何となく、この読みづらさは読み進めるうちに解消されるだろうという直感があった。
自分の直感は正しかったと、現在自己満足している状態。

第一部を読んでいる感覚は『アドルフに告ぐ(1~4)』が近かった。
自分が普段考えないようにしている世界の事柄を突きつけられた。
(フィクションだけれど、フィクションであることが効果的なこともある)

読んでいて、小説を読むのは著者のゲーム・著者のルールでプレーすることに近いのかもしれないと思った。
少なくともこの小説はそう感じさせる作品だった。




oldcoinshark_fiddler at 00:58|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 小説 

2011年10月22日

生物のなかの時間

『生物のなかの時間』

西川伸一・倉谷滋・上田泰己
(PHP サイエンスワールド新書)
2011年10月4日 第1刷発行
ISBN978-4-569-79935-3

毎度、おなじみ友人Wが貸してくれた本。
友人の評「理解を超えるところはたくさんあるけど、いろいろ刺激的な部分はある。」

だいたい同じ感想。
対談系の本は『脳と日本人』以来だと思う。
今回は生物学者3人の鼎談だったので、『脳と日本人』みたいな読みにくさは無かった。
ただだからと言って簡単という訳ではなく、濃いなぁというのが第一印象。
鼎談や対談は一人が暴走しかけたときに、他の人が冷静に制御できるので安定感がある。
(暴走というのは言い過ぎだけど、生命観を熱く語って語りすぎちゃうことは往々にしてある。
そういうときに「いや、僕はそうは思ってなくて…」と続くと読んでいて、なぜかほっとするんですね。
そういう意味では、『脳と日本人』はお互いが相手の考えを拾ってさらに発展させる形式が多かったのでついて行きづらかったんだろう。)

光合成をおこなうシアノバクテリアにも時計遺伝子が存在し慨日リズムを持っている。(同じ原核生物の大腸菌にはない)
ただし、哺乳類・鳥類がもっている「時計」と、シアノバクテリアの「時計」は構造や動作が似ていても起原は別だろう。(つまりすくなくとも2回「時計」は発明されている)(p. 77)

細菌はイントロンをもっていないが、これはもとからもっていなかったのでは無くて、進化の過程で捨てた可能性が高い。(p. 104)

ボディプランを系統樹上に並べる(p. 178)

面白いトピック満載だった。
倉谷先生のあくまで生物の形から生命を観る視点は、自分がゲノム側から生命を観ることが多い分新鮮だった。
(慾を言えば、もう少し上田先生の話を広げてもらえたら、もっと面白い形になったんじゃないかとも思うけれど。

勉強になるというか、知的な刺激がもらえる本だと思う。



-目次-
まえがき 西川伸一
第一章 生命とは何か?
   ヒトのゲノム全長がつくられるのは四年後?
   動的平衡は化学的にもつくりうる
   生物学は部分と全体の問題がほとんど
   生物と他の存在との絶対的な違い
   半分生きている存在 クマムシ
第二章 宇宙の時間
   生物進化でも、エントロピーは増大している
   生物の時間を物理学で記述できるか
   発生では時間が空間化する
   ネットワークが生物の複雑さを生み出す
   タンパク質の時間
   「記憶」とエピジェネティクス-真核生物の凄さ
   発生学は社会主義
   情報を捨てるシステム
第三章 細胞の時間
   時計遺伝子の起源
   生物の時計は温度に依存してはいけない
   時計の正体は酵素
   ゲシュタルト-外界とのせめぎ合いで生まれた形態
   暗闇に生きる生物の時計
   時計をつくる
第四章 時間の発明
   生物が時間を必要とするようになった契機は?
   生物の時間は二度「発明」された
   時間は情報がなければ存在しない
   ヒトはさまざまなレベルの時間に絡め取られている
   時間が失語症を生む
   個体は国家である
第五章 発生の時間
   一斉に卵を産むウミガメの謎
   隣の細胞からのシグナルを受ける
   「後付け」にしないと複雑化できない
   咽頭胚さえうまく形成されればOK
   胚はルールブックの「後付け部分」を読んでいない
第六章 形の時間・進化の時間
   系統樹の書き方
   淘汰がゲノムに書き込まれているはず!
   共通祖先の姿を求めて
   相互作用と共進化
   実験進化学はどこまで可能か?
   生物学は、エンジニアリングか意味論か
   真核生物こそ最大の発明
   四十億年の必然性
第七章 脳の時間
   神経ネットワークの誕生
   人間に言葉を教えるのは「構造」?
   子供がまねをすることもゲノムに書かれている
   言語とDNA
   キーワードは「抽象化」
   文字ができた最大の意味
   第三のメディアの可能性
あとがき 倉谷滋

oldcoinshark_fiddler at 10:15|PermalinkComments(0)TrackBack(1) 生物 

2011年10月20日

ジェノサイド

『ジェノサイド』

高野和明
(角川書店)
平成23年3月30日 初版発行
ISBN978-4-04-874183-5

今回は(初登場)後輩Nが貸してくれた本。
「進化について知ってたら、もっと面白いかなと思ったんです。どうですかね?」

内容には触れられないけど、思うところはあった。(小説でなかったらいっぱい書きたい。いい刺激を受けた。)
正直、著者と自分の生命観・人間観に違いはあると思う。

ただそれ以上に、この本は凄い。
科学的な内容だけなら、だいたいは知ってる内容だった。
その分、余計に凄いと思わされたのは、世間の描き方。
この本には少なくとも3つの世間が描かれている。
3つの世間を重ね合わせて、一つの壮大な世界が創られている。
変な話、負けた!と思ってしまった。
(厳しい見方をすれば、完全に世界に入り込んでないのだけれど。。。少し知識に邪魔をされた感はある)

日本人が書いたとは思えないSFだった。
私の後輩はまったくもって、いい嗅覚をしている。



oldcoinshark_fiddler at 23:55|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 小説 

2011年10月16日

夜のピクニック

『夜のピクニック』

恩田陸
(新潮文庫)
平成18年9月5日 発行
ISBN978-4-10-123417-5

後輩(になるであろう子)は本書のモデルとなった高校出身らしい。
「一度、通りすがりの車の人に『宗教?』って聞かれたんですよ。
たしかにみんな白いかっこしてましたけど。。。」
面白いエピソードを聞くことができた。
そんな話を聞いたので、また本書を読みたくなった。
(今回二回目)

初めて読んだとき、ふわっと感動した箇所がある。
(小説の中身を紹介しちゃいけないとは思うんですが、ここだけ紹介させてください。)

「なんでこの本をもっと昔、小学校の時に読んでおかなかったんだろうって、ものすごく後悔した。せめて中学生でもいい。十代の入口で読んでおくべきだった。そうすればきっと、この本は絶対に大事な本になって、今の自分を作るための何かになってたはずなんだ。」

「この本」とは何か?『ナルニアの国ものがたり』。
常々言っているけど、自分の小学校時代は『ナルニアの国物語』と『ズッコケ三人組』で作られている。
ただ好きな本が褒められて嬉しかったと言うわけじゃない。
自分にとって何が大事なのかを再確認した気になったのだ。
そして嘘でも幻でも、「これは自分にとって大事なものだ」と思えるものがあることはとても幸せなことだと思う。

何というか、あの頃読んでいた本たちが、自分の中でこんなにも大事なものになるなんて思いもよらなかったなぁとしみじみ考えた。
そう考えたら、今の日常も結構大事に思えた。
と、読み終わってそんなことを書きたくなった。

くさくさ。



oldcoinshark_fiddler at 04:42|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 小説 

2011年10月07日

こんな日本でよかったね

『こんな日本でよかったね-構造主義的日本論-』

内田樹
(文春文庫)
2009年9月10日 第1刷
ISBN978-4-16-777307-6

内田先生の著作を読むのは、『街場のメディア論』に続き2冊目。
失礼な言い方だが、内田先生の著作は呑み屋での面白い会話に似ている印象を受ける。
当たり前ながら別に酔っ払った文章というわけではないですよ。
なんというか精密な議論というよりは、「ふぅん。そういう考え方もあるのか」という気持ちにさせられるのだ。
考え方に幅ができた気分になるので、読んでいて楽しい本である。
ただ鵜のみにはできないし、もちろんイラっとする文もある。
(そして、なんで自分はイラっとしたのかを考えて、自分についても発見があったりなかったり。)

本書は「内田樹の研究室」というブログをコピペして編集したものらしい。
なので、毎日ブログをチェックしている人には購入する必要ないかもしんない。
(「『このブログに書かれているものはコピーフリー、転載フリー、盗用フリーです』と公言しています(p. 4)」とあるので、今度私めも盗用させていただこうかしらん。(盗用フリーって変な言葉ですね))

今回、自分の経験上、妙に納得がいったのは「言葉の力」。
「言語は私たちを幽閉している檻である。」


我田引水。自分の経験を語ってみる。
「本を読む」
この行動は当たり前だけど言語を媒体にしている。
ただ自分の中に入った「それ」は一端モヤモヤとしたものになる。
読書は自分にとってはモヤモヤを溜める作業だ。
(モヤモヤは言語化された思考ではなく、違和感という表現が近いです)
昔はモヤモヤを溜めこむだけだったのだけど、それだとモヤモヤが腐ってしまうことに気付いた。
そこで言語化してブログに書くことにしたのだけれど、これが難しい。
自分が確かにもっていたはずのモヤモヤは、けれど言語にした瞬間に何か違うものになってしまう。
ブログを始めたころはモヤモヤを全て言語化して吐き出していた。
しかし、それでは上手くいかないことに気がついた。
モヤモヤは腐らせてはダメだけれど、発酵しなければ言葉にしづらい。
何より吐き出しきってモヤモヤが無い虚無感はハンパない。
最近では、うまく言語化できないと思ったら、言葉にせずにモヤモヤとして残すようにしている。

うーん。。。うまく言語化できないなぁ。
言語化することの難しさやタイミングの重要さを言いたいのだけれど、そう言うとちょっと違う。

まぁとどのつまり、
「思考するとはどういうことか、それを言葉で表現するとはどういうことかについて、少しでも深く考えたことのある人間なら、自分の言葉が自分の世界の境界であるということについての痛覚や病識はあってよいはずである。」

自分は結局のところ「言語の虜囚」なのだ。
こんなブログでも今まで書いてきて、それをおぼろげながら感じるようにはなった。



-目次-
まえがき
一章 制度の起原に向かって-言語、親族、儀礼、贈与
   「言いたいこと」は「言葉」のあとに存在し始める
   言葉の力
   母語運用能力について
   白川静先生を悼む
   親族の基本構造
   礼について
   ひとはなぜ葬礼を行うか
   喪の主体を引き受けるということ
   政治運動の喪主
   原理主義と機能主義
   言論の自由と時間
二章 ニッポン精神分析-平和と安全の国ゆえの精神病理
   格差社会って何だろう
   「少子化問題」は存在しない
   不快という貨幣
   子どもたちの学力はなぜ低下したか
   未来とは他者である
   人生はミスマッチ
   ルーズ=ルーズ・ソリューション
   「すいません」の現象学
   それは私の責任です
三章 生き延びる力-コミュニケーションの感度
   生き延びる力
   生きていてくれさえすればいい
   女子大の「実学志向」は自滅への道
   「おむつ研究」は「コミュニケーション研究」である
   未来の未知性について
   「いいこと」と「正しいこと」
   コミュニケーション失調症候群
   親密圏について
   「顧客のニーズ」はあらかじめ存在するか
   おとめごころを学ぶ
四章 日本辺境論-これが日本の生きる道?
   辺境で何か問題でも?
   変革が好きな人たち
   愛国について語るのはもうやめませんか
   奉祝!55年体制復活
   そうだ、マルクスさんに訊いてみよう
   リセットの誘惑に弱い日本人
   フェミニンな時代へ
あとがき
文庫版のためのあとがき
   


oldcoinshark_fiddler at 01:09|PermalinkComments(0)TrackBack(0) その他