アンパンマンの町からジジ通信

 アンパンマン生みの親やなせたかしさんが生まれた町から、
ジジが発信する。

音もなく我より去りし物なれど 書いて偲びぬ明日という字を

5月23日は木村久夫の命日(没後70年)です。

 
 戦犯として処刑された学徒兵木村久夫の歌碑が建てられています。
 場所は、猪野々の里(高知県香美市香北町)です。ここには吉井勇記念館があり、歌碑はここから少し離れた所です。
 もともとは、木村久夫が傾倒した吉井勇の歌碑の隣に建てられていましたが、勇の歌碑は記念館ができた際にそちらへ移設されました。









杉田ダム・発電所

貯水池側から見る。

ダムから下流をみる。左側の地下に水車と発電機がある。ダム式発電所の仕組み

 
 杉田発電所は、1959年(昭和34年)から、稼働している。
 香美市土佐山田町に、ダム・発電所が一体として建設されたものである。
杉田は、土佐山田町であるが、香北町との境に近いので、貯水池の大部分は、上流の香北町にある。
 したがって、ダム建設時に水没したところも、ほとんど香北町であったはずだ。我が家も、2・3枚の小さな水田が買収された。しかし、集落は、もともと川面よりも相当高い場所にあったので、人家が水没することはなかったのではなかろうか。
 物部川には、上流から、永瀬ダム、吉野ダム、杉田ダム3つの大きなダムがある。
杉田ダムは、上流の2つのダムとも連動して、下流の平野部に洪水の被害がないように、また、安定した給水を行える役割を担っている。

 ダムができると、魚は遡上できなくなる。アユやウナギなどは、稚魚が海から上流へとのぼってくるのだが、ダムを乗り越えることはできない。だから、ダムから上流の物部川には、これらの魚はいない。アユはおるにはおるが、それは放流したもので、天然のものではない。

 水力発電には、3つの方式があり、杉田発電所はダム式である。
水路式 上流で取水して、水道管を通して、下流の発電所へ送る。物部川では、支流にあって、山の急斜面に水道管を設置する。
(五王堂発電所、川口発電所、仙頭発電所)
ダム水路式 ダムを造って、貯水池の水を取水して、水道管で下流の発電所へ送る。(永瀬発電所)
ダム式 ダムを造って、貯水池の底に近い所から取水し
て、ダムの側の発電所へ送る。
(吉野発電所、杉田発電所)





懐かしい暁霞小学校へ行ってみた

2017/1/31 の記事を改めて掲載しました。

校舎は、公民館になっている。

運動場は災害時緊急避難場所になっている。銀杏の樹は今も健在

 
 ジジの生まれたのは、暁霞村である。「暁霞」は「ぎょうか」とも「あかつか」ともよんでいた。美しい名前だと思う。

 小学校は、暁霞小学校である。ジジが卒業して、間もなく統合・廃校になり、当時の校舎は地区公民館として、今でも利用されてらしい。
 運動場は、災害時緊急避難場所となっている。
 国旗掲揚台が今でも残っている。二宮金次郎の銅像もあったが、いまは見当たらない。敗戦前の学校には、国旗掲揚台と二宮金次郎の銅像はセットでなくてはならないものだったようだ。お国の命令だったのだろう。

 敗戦後の食糧難のときは、この運動場を掘り起こして、を作ったような記憶がある。車道の脇には、大豆を植えた。車道と言っても、車はほとんど通らない。たまに、自転車が走るぐらいのも。
 町医者は馬に乗って往診していたらしい。やがて、その医者もオートバイに乗るようになった。

 校舎の側に銀杏の樹があった。根元に蜜蜂の巣があって、小さな穴からミツバチが忙しげに出入りしていた。銀杏は今でも健在だが、その大きさは、小学生のジジが見たのとあまり変わらないように思うが、そんなことはあるまい。
 根元の蜜蜂の巣はなくなっている。出入り口の穴の痕跡も残っていない。


  
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