アンパンマンの町からジジ通信

 アンパンマン生みの親やなせたかしさんが生まれた町から、
ジジが発信する。

シャカドウに釈迦堂なし

2017/1/28 の記事を改めて掲載しました。

釈迦堂屋敷には、若一王子宮が鎮座している。釈迦堂屋敷には、若一王子宮が鎮座している。

釈迦堂は、山の手に移されている。釈迦堂は、山の手に移されている。釈迦堂の側に、お大師様と子安地蔵釈迦堂の側に、お大師様と子安地蔵

 
   ジジの生まれたのは、物部川の北岸の小高い所にあって、南の、やや見下ろす川向一帯をムカイと呼んでいた。そのムカイにシャカドウという場所があった。
 シャカドウは国道第195号線のすぐ近くで、バス停もあって、今でも、バス停「釈迦堂前」の標識が立っていて、小さな待合室もある。

 ところで、このシャカドウと呼ばれている場所には、釈迦堂はない。あるのは氏神様で、正式には若一王子宮という神社だ。子供のころから大人になるまで、この神社を釈迦堂と思い込んできた。

 釈迦堂が廃されて、シャカドウという地名だけが残る、ということは良くあることだが、もっと深い事情がある。
 この場所がシャカドウと呼ばれていたからには、もともとここには釈迦堂があったはずだ。その側に氏神様が並び建っていただろうが、主は釈迦堂であったのではないか。

 明治政府の「神仏混合すべからず」いう神仏分離令によって、同じ境内にあった釈迦堂と氏神様は引き離され、 釈迦堂は山の手に追いやられた。そしてシャカドウという地名のみ残った。
 なにも当時の人々が釈迦堂を嫌ったのではなく、ともに心尽してお祭していたはずだ。

 なにぶんにも山の手入れは難しい世相なので、釈迦堂のあるここは薄暗らく、淋しい場所となっていが、いまでも、旧暦4月9日には地元の人たちがここでお祭しているそうだ。
 釈迦堂から10メートルも離れていない所に、お大師様と子安地蔵がある。 この二つも釈迦堂とともにここに移されたものだろうか。
 いずれにせよ、お堂が三つ固まっていることで淋しさを和らげているように感じられた。


屋根瓦が地面に並ぶ (消滅した古井部落)

2017/3/3 の記事を改めて掲載しました。

 ここは山間の小さな部落だったのです。
 古井といって、小学校の同級生も二人いました。しかし、それは70年ほど昔のことです。

 今、きつい斜面を登って行くと、5軒ぐらいの屋敷跡が確認できるのですが、すべて廃屋。10年ほど前には最後の1軒に時折家人が帰ってきているようでしたが・・・

 周囲はすべて杉の植林で、小鳥の声も聞こえません。動物の気配もありません。
 崩れ落ちた屋根の上には落ち葉が降り積もって、すべては自然に還ろうとしています。









生活の跡、置き去り(消滅した古井部落)

2017/3/23 の記事を改めて掲載しました。

2009年12月2日撮影

洗濯機農機具アンテナ役場からの封書

 
 2009年12月に、古井部落のあった場所を訪れた時、すべての家々は廃屋となっていました。
 そのうちの一軒に、電気洗濯機が置き去りにされていました。故障で使えなくなったから放置したのではないでしょう。
 町のほうに新しい住居を構え転居して、時々は、ここに帰って来ていたが、やがてその足も遠のき、年月が経つうちに、このやうな有様になったのではないか、と想像します。
 ここは古くは、古井村(こいむら)でした。
 1889年(明治22年)に、河野、西峰、有瀬、有川、五百蔵、白川、西又の各村と共に統合して、暁霞村(ぎょうかそん)となりました。
 さらにその後の合併で、「高知県香美市香北町古井」となったのです。
 多くの古い村の名前は、部落あるいは地区の名前として、合併後も残っています。
 しかし、住人がいなくなって、部落が消滅した「古井」は単なる地名にすぎません。

 暁霞村史を見ると、
1847年(弘化4年)戸数12、人口53(男30、女23)
1954年(昭和29年)戸数7、人口39(男22、女17)となっています。
 そして、2003年(平成15年)に役場がつくった地区名簿には、古井地区の名前はありません。
 また、1994年(平成6)に出された「香北町電話帳」が手元にあります。43の部落ごとに、また、世帯ごとにつくられていますが、これにも古井部落の名前は載っていません。
 20年前には古井の家々には、人が住んでいなかったのでしょう。









記事の分類
記事検索
ninja AdMax









free L
amazon affiliate