2017/1/31 の記事を改めて掲載しました。

校舎は、公民館になっている。

運動場は災害時緊急避難場所になっている。銀杏の樹は今も健在

 
 ジジの生まれたのは、暁霞村である。「暁霞」は「ぎょうか」とも「あかつか」ともよんでいた。美しい名前だと思う。

 小学校は、暁霞小学校である。ジジが卒業して、間もなく統合・廃校になり、当時の校舎は地区公民館として、今でも利用されてらしい。
 運動場は、災害時緊急避難場所となっている。
 国旗掲揚台が今でも残っている。二宮金次郎の銅像もあったが、いまは見当たらない。敗戦前の学校には、国旗掲揚台と二宮金次郎の銅像はセットでなくてはならないものだったようだ。お国の命令だったのだろう。

 敗戦後の食糧難のときは、この運動場を掘り起こして、を作ったような記憶がある。車道の脇には、大豆を植えた。車道と言っても、車はほとんど通らない。たまに、自転車が走るぐらいのも。
 町医者は馬に乗って往診していたらしい。やがて、その医者もオートバイに乗るようになった。

 校舎の側に銀杏の樹があった。根元に蜜蜂の巣があって、小さな穴からミツバチが忙しげに出入りしていた。銀杏は今でも健在だが、その大きさは、小学生のジジが見たのとあまり変わらないように思うが、そんなことはあるまい。
 根元の蜜蜂の巣はなくなっている。出入り口の穴の痕跡も残っていない。