尾林星ブログ

sei obayashi blog

りあす亭ライブありがとうございました〜
最近ちょっとした文章を書くという事が困難です。
ちょっとのつもりが収集がつかない文をつい長々と書いてしまうのです。
最近嬉しかったことは実家から木彫りのセミクジラを回収してきたことです。
すかさずライブ予定をば



◆9/24(日)宮古自動車学校フェス
午前10:00~スタート
入場無料
Mr.Blitz/HOLIC/勇次/尾林星/G-STYLE/宮古水産高校太鼓部/ほか
屋台、ゲーム、教習体験、フリーマーケット等
※僕の出番は12:30頃〜



◆10月9日(祝・月)神保町 試聴室

吉田悠樹「roam」発売記念ライブ

開場 13:30 / 開演 14:00
予約 2,500円 (1ドリンク, スナック込)

出演:吉田悠樹 (二胡、歌、ギター)
ゲスト:関口萌 (ドラム)、服部将典 (ベース)、尾林星 (ギター)、藤井洋平
PA:片岡敬

ライブのご予約は神保町 試聴室へ




◆10/15(日)まんなかマルシェ〜うたのいち

場所:中央通り坂庄駐車場(なあど産直とおでんせプラザの間)

時間:10:00〜15:00

ツジヤマガク/NORISHIGE/DIMPLES/ヒラナイマコト/沼里翼/尾林星

http://mannaka-marche-2017.webnode.jp




 

ご無沙汰です。
週末東京でライブしま〜す
共演の穂高亜希子さんはパイカル時代からの友達です
少し森田童子を思わせるような心揺さぶられる歌い手です

開始時間遅めなのでお仕事の後、用事の後、
ぜひ遊びに来てください!


◆9/10(日) 下北沢lete
 "ほしと音楽 うたと秋の夜" 尾林星/穂高亜希子 ツーマンライブ
open19:00/start20:00 予約2000円+d/当日2300円+d
予約:レテ
http://www.l-ete.jp/  or 各出演者まで


◆9/15(金)りあす亭

無料 2ステージ 11:30~/14:00~ 


◆9/24(日)宮古自動車学校フェス 

諏訪神社の例祭で奉納ライブした。住所 盛岡市 門 須磨10
諏訪神社、秘境だった。
本殿で神事と宴会があり、そこから10mくらいのところに離れの舞台がありそこで演奏。
ずっと雨がふってたのでライブ中、参加者の皆さんはずっと本殿から酒盛りしつつ盛り上げてくださり。
雨降りしきる10mを感じながら演奏するという新感覚。
楽しんでもらえたようでよかった。皆さんフレンドリーに接してくださり刺身と茶碗蒸しをたらふく食わせていただいた。とても楽しかった。
来年もやりたい。



【今日の道程】

八時過ぎ盛岡アイーナ着▶︎ガソスタで洗車(初)▶︎イオンタウン▶︎諏訪神社▶︎紅茶の店しゅん▶︎
ナナック▶︎帰宅

紅茶の店しゅん、いい店だった!

ゆきんこが遂に免許とった!

一日晴れたのみで結局また雨。しかも土砂降り。

もう頭を切り替えて水中で暮らしているのだと思うことにした。



【近日ライブ予定】(来てね!)

◆8/26(土) 宮古カントリーズカフェ

「田んぼで山からお星さま」

 with 島津田四郎/ツジヤマガク

18:30/19:00 ¥2000(drink代別途)


◆9/3(日)宮古長根寺 うにまる主催「オテライブ」
 無料※100名限定、要整理券(三上きも乃会館、リラパークこなり、カントリーズカフェで配布) 
17時会場 17時半開演 


◆9/9(土)中野サンプラザ13Fコスモルーム 笹口騒音 円庭鈴子 結婚披露パーティー
18:00会場18:30開宴
会費¥15000    ※参加希望の方は笹口君か円庭さんに直接お問い合わせください


◆9/10(日)下北沢lete

"ほしと音楽 うたと秋の夜" 尾林星/穂高亜希子 ツーマンライブ open19:00/start20:00 予約2000円+d/当日2300円+d 予約:レテ

or 各出演者まで 



◆9/15(金)宮古りあす亭(末広町6-4)
手しごとフリーマーケット 10時〜
尾林星ミニライブ 1️⃣11:30~  2️⃣14:00~


 

◆9/24(日)宮古自動車学校フェス 


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明日は盛岡の諏訪神社(盛岡市門 須磨10)で13:30〜ライブです


昨日やっと青空が覗いたんだが今日はついに晴れた。と思ったらもう風が秋ぽいし、、、えーんえーん
約2週間。ずっと雨。たまに曇り、すぐにまた雨。
箱船の中のノア一行の気分てこんなだったかと思ったよ。
太陽が見えないことがこんなにジワジワと辛いとは。
うう、おれの夏はこれからだぜ

少し振り返ってみる。
お盆、釜石イオンでライブ(小学生たちが各種ワークショップに没頭してる中場違い感ありあり)、クロスロードでライブ(対バンの湯澤ひかりさん、偶然にも僕の実家の近く在住だった。洋楽的なセンスとパンクスピリットを感じさせる歌だった)、合間に油絵教室、ずっと雨が振っていた、、、

そして数年に一度来る石やら勾玉が気になり出す時期が巡ってきた。
思えば小さい頃から僕は石や鉱物が好きだった。

自分にとって最初のパワーストーンといえば小学2年か3年生だかの時、横須賀の博物館で買ってもらった人工の水晶か。付属してたデイスプレイ用ケースが冒険の匂いがしないのが気に入らず、接着されている部分からむしりとり石だけ持ち歩いていたのだった(何でも「自分使用」にしたい癖があった)。
それか近所の魚住さんが火山で拾って来た溶岩石だったか。当時「溶岩」というものにやたら興奮した覚えがある。実際触ってみたらざらざらして触り心地の悪さにがっかりしたが一応宝物箱に入れた。


まあ僕らはみな地球という巨大なパワーストーンに乗っかっているわけだ。
ちなみに明日からアメリカでは皆既日食が見れるそうだ




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人間を最も多く殺している動物は?(数/年間)

1位 蚊(72万5000/年)
2位 人(47万5000/年)

だそうだ

ちなみに3位 蛇(5万)、4位 犬(2万)と続く。


この夏、僕が直接的に殺した蚊の数は30匹くらいだろうか。

もしも蚊が血を吸う前に

「もしもし、大変申し上げにくいのですが、うちの子供を育てるためにどうしても血が必要なのです。
なるべく痒くならないように最善を尽くしますのでどうかあなたの血を少々分けてうんたらかんたら」

とでも言うものならば、僕は結構「どうぞどうぞ」と血を吸わせてあげていたかもしれない。
もしも蚊と人同士ことばを交わす事ができて、一言あるかないかで自分の命が左右されてしまうとしたら蚊にとって「コミュニケーション力」=「生きる術」といっても過言ではない。

人同士でも「ごめん」の一言が言えなかったために終わった関係や、「すみません」を言わなかったために大ケガを被ったりした人がどれだけいるだろうか。

実際、仕事をする上でもそういった一言に象徴される思いやりの有無は重要だろう。
人心への配慮が著しく欠けている人が居続けられる職場というのは相当限られると思われる。
というよりも仕事以前にそういった人と付き合える人自体が限られるだろう。
となるとやはり人にとってもコミュニケーション力というのは自分の生活や人生を大きく左右する要素といえる。


それにしても蚊やハエというのは鬱陶しい。僕だって殺生が好きなわけではないのでできれば殺したくない。それでも食事や睡眠を妨害され不快である事、コミュニケーションがとれないという事、体の大きさと姿形が余りにもかけ離れている故か共感というものがほぼ湧かない事などにより、蚊やハエを殺す事に僕は大して罪悪感は感じない。

でも共感できない、殺しても罪悪感を感じない一番の根拠は、姿形というより精神性なのではないかと思う。あとは「痛み」を感じているように見えるかどうかか。

蚊もハエも生きている以上意識はあろう。
でもその意識のあり方は蚊と人間ではだいぶかけ離れているように思われる。
でも僕は蚊になった記憶がないのでこれは思い込みの枠を出ない。


というわけで意識のあり方=精神性があまりにかけ離れているという思い込みは人をどこまでも残酷にする。
そういう場合、人は人にだって十分残酷である。なにしろ最も多く人を殺す動物ランキング2位は人間だ。人は「自分と違って自分より下等」と見なした相手は蚊なみに扱えるようである。


蚊やハエを追いかけ回したり、カビやダニ退治をしながら「なんでこんな忌々しい生き物がいるのか」と憤る時、ふと、地球からみれば人間はちょうどバクテリアくらいの大きさかもという思いが胸をよぎるのである。

















 

台風接近中!

今日は児童施設「ゆうやけ」で夏休みコンサートをしてきた。

1夏が来て僕ら(真島昌利カバー)
2みんみんにゃ
3ひゅうずのテーマ
4sex sense
5Yes

6背中越しのチャンス)(亀と山P)
7アンパンマンのテーマ
8アブラハムの唄
9Monster(嵐)
10光(Breakerz)
11妄想日記(シド)
12千本桜
13おら東京さいぐだ(吉幾三)
14カラフルMIYAKO

アンコール
15島唄


毎度ながら後半は大人子供入り乱れての狂乱の盆踊り状態。
プライバシーの関係で動画公開とかできないのが残念なところ。
今日も楽しかった。
他人の曲を覚えるのはボケ防止になる。
何かやろうとする際、自分が無理なく出来るラインを自分で決めるというのも
とても大事なことだ。20代の時はそれが苦手だった気がするが、
20代は無茶をするのが醍醐味でもある年代だったとも思うのでよしとする。
というわけで今回はリクエストされた曲をワンコーラスずつだけ覚えていった。


ところで最近うちのギター教室に来てる中二の子はイエモンが好きだそうだ。
今日ゆうやけにいた初対面の子はドラゴンボールのTシャツを来てマジンガーZを歌っていた。
僕も小4くらいから流行を斜めに見るガキで古いものに興奮する性質だったがいつの時代もそういう子はいるようだ。
自分の意見や好きなものをわざわざ主張はしなくてもいいと思うが、
それを表明する事は同じような思いを抱えていた誰かにとってすごく嬉しいことだったりする。


新しい面々が増えて今後も楽しみなゆうやけ模様であった。



今日は立秋だったようで。暦の上では今日以降の暑さは「残暑」になるそうで。
宮古、めっちゃ涼しいんですけど・・・。梅雨開けと共に夏も終わったか。

おお、まだ行かないでおくれ僕の真夏の果実よ、、、! 


最近「風」をテーマにした曲が出来た。
僕にとって素晴らしい気づきや感動というものはしばしば風に乗ってやってくる。 

散歩してる時、
小便をしてる時、
駅に向かう途中、
皿を洗ってる時、

普段、自分は肉体と名前を持つ社会的存在として暮らしてるわけだが、
ある種の風に吹かれるとそういった諸々がバラバラに吹き散らかされて、
自分という存在のもっと根源的な何かを露わにされるような心地にさせられる。

そういう時、もしかしたら本当に誰かが風に乗ってやってきているのかもしれない。
鈍重な心と体を引きずって日々をやり過ごしてる自分に何かを教えようとしてるのかもしれない。


風というのは重さも形もないしふあっと吹き抜けては消えてしまう。
なのに心と体にえも言われぬ印象を焼きつけていく。自分の中に沈殿していた様々な記憶まで舞い上げられてしまう。


まるでいい映画や小説を読んだ後のような、時にはそれ以上の何かが残る。というか積もった埃が舞い上げられて何かが露出してしまうという感じだ。そしてもう何も要らないような、それと同時にいてもたってもいられないような、そんな気持ちに駆られて僕は沢山の曲を作った。
音楽は空気の振動だからとても風に近いというか風そのものといってもいいようなものだ。だから好きなんだと思う。


というわけで僕に創作の師がいるとすれば「風」というのは紛れも無くその一人にあたる。

僕も誰かにとってのそんな風のようでありたいものだ。
形ももたず、姿も表さず、何も残さず。ただその風に吹かれた者は自分の中にある「何か」を見てしまうのだ。そしてそこに見たことにより、例えば今までと同じ生き方は出来なくなってしまうのだ。そう、これはホラーだ。
自分が信じる事、もしくは信じたいと思っていた事、それを小さな箱に閉じ込めておく事が出来なくなってしまうのだ。ひいっ!
何故なら自分が信じる通りに生きる事、それこそが自分がこの世に降り立った理由だとしか思えなくなってしまうからだ。そしてそうではない人生、何がしたいのか分からない人生、やりたい事があるのにやらない人生、自分自身に落胆しながら生きる人生、そういったものには最早耐えられなくなってしまうのだ。
あ、あ、あな恐ろしや、自分が思った通りに生きるしかないなんて!自分は自分が信じた通りの人間だと信じずにはいられないなんて!


以上、くれぐれも季節の変わり目の風には気をつけた方がいいと思う次第である。

8月6日はアメリカ空軍のB29爆撃機「エノラ・ゲイ」号の乗員が広島に原爆「リトル・ボーイ」(心底コケにしてたとしか思えないネーミング)を落とした日。


1941年に始まった太平洋戦争、当時の大日本帝国が呼ぶところの大東亜戦争について、僕が子供の頃学校や町内の大人たちから見聞きした事と言えば
そのほとんどは原爆や空襲による被害の悲惨さ、そして当時の日本という国の愚かさ、戦争というもの自体への嫌悪といったものだったと思う。

その後色んな人々の証言や色んな立場の人々の言説や著作に触れるにつれ、僕はこの戦争について興味を持つ事はあれど、これは誰が悪かっただの誰に責任があるだのという事にはあまり意味はないと思うようになった。


誰かの戦争観を妄信したり同調する必要はなく、ただ世に溢れている情報の海から実際に何が起きていたのかという事を自分なりに探る事は有用な糧になると思う。
生きている経験者に実際話を聞くのも良いかもしれない。
ただ僕は自分の祖父母が生きてる間にもっと話を聞けばよかったとかは今はあまり思わない。
第一そういう話をあまりしたそうではなかったし(そう、振ってみた事はあった気がするが)、僕は自分の祖父母たちと共有した時間に関して特に悔いはない。大した話をするわけでもなく、祖父母のいる居間でぼんやりとテレビを見たり絵を描いたり父が若い頃に買ったボロボロのギターをつま弾いたりした時間はとても贅沢だったと思う。

近頃「今の日本は明らかに戦争に向かっている」みたいな事を言う人を多くみかける。何となく実際に戦争が起きて「ほら自分が言った通りだ」と言いたいのかなと少し思ってしまう。人によっては。

多くの人の無関心な様に苛立っているのかなとも思うが苛立てば苛立つほどその人と無関心な人々との乖離は進むだけだと思う。

とある宇宙人が言っていた。「恐れ」と「ワクワク」は同じ種類のエネルギーだと。
僕はそれはとても言い得ていると思う。
たとえば心配性の人というのは、心のどこかで心配事が現実化するのを望んでしまっている場合がある。そうでないと自分の心配が無駄になるからだろうか。とにかく心配というのは今現在の自分の平安を損ねるほどに未来に対してネガティブに思いを馳せる事だ。
人によっては「心配」が「期待」の仮装だという場合がある。
「言わんこっちゃない」と言った時に少し気分がよくなっている自分を感じた事がある人は少なからずいるのではないだろうか。

本心から平和を望むならば、世間に向かって何か発信するのと同じくらい、自分自身の心に向き合う事は建設的な事だと思う。

僕はまだまだ多くの人は自分の「心」に無自覚だと思う。
ひいては「意識」、「意志」というものの持つ力を軽視していると思う。

今の世の中だって戦争状態にある地域は多く全く平和ではないわけだが、もし日本が今後国家として戦争状態になるならば、それは国民の多くがそう望んだからだと僕は思う。

これは冗談ではなく、僕はこの世にある最も危険なもののひとつは人の心の中にある「怖いもの見たさ」という気持ちかもしれないと思っている。そして「自分には力がない」とか「自分は愛されるに値しない」とか言う自虐的な信念もそうだ。そういった信念は超越的な力によって現実が破壊される事を無意識に望んでしまう。

一人一人の心は力を持っている。その力を使って「力を持たない」という選択をする事もできる。
その力を使って「選択や決定を委ねる」という事もできる。その力を使って「人の不幸を願う」事もできる。そして自分が選択した事を「忘れる」という事すら出来る。


もしも僕がある日、みんなにこんな事を言われたら。
「あのさア、僕ら力を持つのがメンドクサクなったから、全部君に任せるよ。いろいろ適当に決めてよ。自分で決める責任とかって疲れるし。僕らは適当に楽な事だけして楽しむからさ。
あっ、僕らがラクして楽しめる舞台制作だけよろしく」

・・・・

そんなこんなで自分が「権力者」になってしまったとしたら。
まあ皆殺しにしたくなるだろうなと思ってしまうが、そこまでいかなくても自分に権力を押し付けた奴らをとことん見下していじめられるだけいじめてやろうと思うのはとても正常な感覚だと思う。

誰かが「一億総活躍社会」とか言ってたが、僕は受け取り方によってはその言葉には多いに賛同する。
ただしそれは「それぞれがそれぞれ自分の喜びのために活躍する社会」という意味だ。その先に利他や奉仕や滅私があるのならそれも多いに結構と思う。
つまり戦争が存在しない世界や一億総活躍社会が実現するために何より必要なのは、まず一人一人が自分を十分に喜ばす事、つまり率直なる自己愛に生きる事だと思うのである。ちなみに周囲を害する類いの自己愛というのは自己愛ではなく自虐の部類に入る。そして害される方もまた自虐的なのだ。

僕が思うに本来、愛とはいかなる加虐も被虐も必要としないものであり、人生には必要な事しか起こらない。だからこの世界というのは「愛の不在」というものを体験するための場所なのかもしれない。
もしも愛しかない世界にずっと住んでいたらやはり一度は憧れるだろう。「愛の不在」や「愛の欠乏」というものに。

というわけで自己愛を達成するためにまず「愛」とは何なのかという事をすべての人が十分体験する必要があると思われる。
そう、愛とは体験だ。それは真なる快さ、「存在している」という自覚の他に何も必要としない至高の状態、何も欠けておらず何も余ってない、すべてがあるべくしてそこにあり、自分もまたあるべくしてそこにある、それだけのことに感じる無上の恍惚、完全なる満足。
がいわゆる愛なのかは僕は知らない。
そんなものがあるなら是非体験してみたいものだ。

不安や欠乏感を煽るばかりの世間があるのは、人々が些細な不安や欠乏感をその場しのぎに埋めるというちっぽけな快楽に夢中になっていたいからなんじゃないかと僕は思うのだった。




追記

日本という国は、歴史の大きな流れの中で「このまま行くと最悪の場合どうなるか」という事を、世界に対して一度ならず示して見せた。結果的にではあれ。甚大なる被害と犠牲者と共に。
一度は這い上がった。そして今度は這い上がるどころかきっと羽ばたこうとしているのだ。

「欧米に比べて日本はどうたら」といった卑下するような文言もよく目にするが、まあそういう部分は確かにあるのだろうが巨視的に見れば地球人類において日本という国はやはり特別な国だと思う。

まあそれぞれに特別に決まってるとは思うが、日本に生まれた人々の役割というのはこれからの世界においてだいぶ大きいものがあるのではなかろうか。それは何か。それは日本の人々が持っている精神的な豊かさだと僕は思っている。
同い年の子供が集まっているクラスの中でも色んなやつがいるもんだ。
ひょうきんもの、ガキ大将、勉強ができるやつ、やさしいやつ、足が速いやつ、物知りなやつ。
その子が自然でその子らしくあることが周りにとっても一番のギフトになる。

ジミヘンは「心を国家に帰属させるな。帰属意識を持つなら地球に持て」と言ったが、自分を愛すること、家族を愛すること、街を愛すること、国を愛すること、星を愛すること、すべて同じだと思う。
ただ人によってそれぞれの段階というものがある。
結局、今の自分、今目に映るすべてを愛するということが現実を動かす力を持つのだと思う。
自分の目に映らない事や心に響かないことに対して頑張って不安になったり心配してみたり、問題意識を持とうしなくてもいいんだと僕は思う。


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磯の子公園でゴマダラカミキリ発見(発見者ひろし)

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