2008年04月05日
1年後
「僕たちは世界を変えることができない」を、夜の真っ暗な部屋で一人で見たいと思っているけれども、ありがたいことに夜に逢う人が毎夜現れて、まだ1年後の今、見ることができていない。
少しして、一人の夜がまた来たら、そのときは一人で、部屋を暗くしてまた見たいと思っている。
少しして、一人の夜がまた来たら、そのときは一人で、部屋を暗くしてまた見たいと思っている。
2008年02月15日
2月15日 昼下がり

ここで書いておくことは、今日は昨日に引き続くような最強の晴天であるということ。今日も東京は晴れている。見上げて、次にまたこの目線に戻したときにいくらか自分の気持ちもはっきりして、あるていどの安心なんてものでも手に入れていないかな、とは思ったりもするが、そのようなこともなく、そりゃそうだ。着地する、晴れた2月15日に。ヴァレンタインデーチョコはもらわなかった。
アディダスのジャージ一枚で昼間は歩ける。裏路地から、野方商店街に出る。電柱にぶら下がったスピーカーからはそれらしい音が流れている。それなりの昼の活気を得た商店街ぶらぶらと進む。何を考えていただろうか。部屋においてきた携帯に今頃メールは届いているだろうか。順番的にこちらで止まっているメールに返信は返ってこないだろうか、どうだろうか。
松屋に着く、完全につかまったよ俺は。
腹が減ったので松屋に来た。別に腹が減ったからって松屋に来る必要はなかったんじゃないか。そういういちいちの揺れに対してちゃんと対応できない、ドアは僕を拒まないから、入店。
券売機の前でとまどっているばあさんが、振り向いてカレーはどこかと聞いてくる。右上のボタンを指差す。礼もなく席に着く。別に喰いたくない、豚丼大盛り、まだ光っているから生卵を押す。
言うこともないな、出されたものを喰って、ごちそうさま言わないでだまって出る。
そのまま来た道を戻る。二階にあるガラス張りの美容室で髪を切る女性店員のスカートの角度、まぶしい晴天。今日は晴天。
締め切った窓から、大音量のハワイアンミュージックが流れてくる。口の中が気持ち悪いから交差点につばを吐く。
一階に住んでいる同棲カップルはいいともで大笑いしている。静かに階段をあがって部屋に入る。つけっぱなしの無音てぃーびーを消す。携帯に着信なし。ネット上の状況も変化なし。半径五メートル以内にある対象物が無理矢理関係している、事実上全世界ネットワークに翻弄されまくり。本当はほとんどが関係のないことばかりなのに。
流れはある、その流れがあることを知って拒むことは、危険なことだよ。
別に答えについて言及したいわけでもない。
歩き方。
ニーナシモンを昨日スモールミュージックで借りてきて、聴いてみたらうまく説明する語彙をまだ持たないが、とても良かった。
それを昼間に大音量で流す。じき止む。
結いをなくしていくことは、どうなのだろう、めりはりがなくなるのか。
2月15日
簡単に書いてみよう。久しぶり。
書いてみようと思った。まさかなにも書けないなんてな。まさかね。まさか。
今は、部屋でヨーキングのラジオを聴いている。さっきまで山口隆のオーマイレディオが流れてた。今日はそれを聴いて、スパイダースがかっこいいということを知った。しかし、それ以外の喋りは驚くぐらいにつまらない。一度聴いてみるといい、つまらなすぎて愛おしくなってくる。それに反してヨーキングは、いっつもへらへらしてて全てに対して共通するそのある程度の適当感が好きだ。自分があこがれるタイプの男像。別にこんなことは、どうでもいいか。さっき、寝起き眼でなんの理由もなく彼女に電話したのだけれども、しないほうがよかったのか。意味もなく一寸だけの電話ってのは、言葉の響きだけで、日常におかれた場合それはわずらわしいのか。想像の産物、夜の空を幾億ものの電波が飛び交っていて、それぞれを送信受信した相互がつながるっていう擬似状態。距離を埋める言葉はなに?ってか。毎日、おやすみといいたい。
なんで今ここに書いてみたりしているのか、そんな理由ないけど。適当だ。適当な言葉で濁さないで、まず書くべきことを書こう。
今や全て昔。流行のブログの一端である、この場所で起きたすべての事を今も愛しく思います。こう明言することはとても恥ずかしく、そして今必要なのかわかりませんが。わからないのなら、この明言からはじめようと思います。はじめよう?なにを。
それでも、昨年からの変化の過程のうち、自分はあまりにも多くのことをうやむやにしすぎたのではないかと思っています。勝手に今思っているのです。
今、目の前に一枚の手紙があり。その差出人は遠く離れた人で、遠く離れているから、手紙という手段を使って、手紙という形式でこそ伝えることができる事柄をこの自分に伝えるべく、この手紙はポストに投函され今目の前にある。僕はそれを読んで、多くのことを感じて、それは喜びであったり、驚きであったり、感激であったり、まとめて言えばなにかしらを波立てるなにかを受け取る。それを、そのまま胸にしまったまま眠ってしまった、そのことについて。
読んで欲しい文章としてではなく、思考としての文章を、どこでもないこの場所において、この先のなんかを期待しよう。
今時点、この文章をまとめるおおまかな話の筋も思いつかない。
今も手紙は大事にとってある。文面は記憶に焼き付けられ、自分はたしかにあの手紙を受け取った。受け取って、春が来て、雨が降り、夏が来て、それも過ぎ行き、秋の静けさ、冬の部屋、季節と共になにかしらの状況も変わって関係性も変わった。でも、それでもまだあの手紙の返事は書かれないままなのである。脳は腐れ、記憶もいずれなくす。三日前の午後三時の瞬間のことを全く思い出せない。そうやって消えていく。あのおっぱいの感触やら、涙の乗車券のジョンレノンのうぅ〜っていうあの切ない声や何かしらをどんどん忘れていく。忘れていくっていうことじたいに気づけていればまだいいが、そういうのはだいたい僕が寝ている間や、ぼーっとすごしたり、笑ったりしている間に進んでいく。忘れていく。
だからって別にこの忘れるということにそこまで言及したいわけでもない、人間がものを忘れるっていうことはもう知っているし、それは時として素晴しいことでもあったりするのだから。だから、別にそのことに対して青いまなざしでどうにもならん虚しさを吐くわけじゃない。
いずれ忘れる記憶であるのであれば、その忘れる寸前までに何ができるかってことなのではないのかってことだ。
今はまだ手紙を受け取ったことを覚えている自分、それに返事を書くことができていないとういうことに書かなければいけないという気持ちと、書くことができない不甲斐ない気持ち両方を持っている自分。
で、話をへし折ってまずはっきりと思うことは。誰かも知らない世界的にどうでもいい大学生の一人が、こんなスペース使って、必死なのか笑い狙ってんのか、誰でもない自分自身についてうーたらあーたらやって非常にうざいなあということ。うるさいよもう、勝手にしろよもう、うわあもう気持ち悪いなあネチョネチョ。
っていう、すんごい前から頭の中にある考えをここにいったんおいてから、今度は逆にその他の変に実用的に機能しようとするどこの暗黙で得た了解かを淡々と上のようなきもちわりい感情論全部排除した上でなんかまた勝手にやってるようなやつらにも反吐が出るということ。いや、別に反吐はでないは、反吐ってなに。ちがうなぁと思うだけ。別にもとからかっこいいわるいの選別もあやふやな自分だから、このような文章をここにおいてしまうことにもさほど抵抗感はない。
そしてそれら全てをまとめた上で自分に言いたいこと、
働けよ。
別に働かなくてもいいか。明言は避けたいね、できることならそうやって生きていたいけれども、この先を続けていこうとするなら、時々やってくるよはっきりとさせなきゃいけないときが。そのときにはやっぱり、ちょっと苦しみながらも、なにかしらいったん決め付けなければけなかったりもするのか。まぁ知らないよ。うわぁもうこんな文章、なにアップしちゃうの、自分でもなにかわかってないものアップしちゃうの。あっぱれ言論の自由。もともと不自由もあったことか。
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書いてみようと思った。まさかなにも書けないなんてな。まさかね。まさか。
今は、部屋でヨーキングのラジオを聴いている。さっきまで山口隆のオーマイレディオが流れてた。今日はそれを聴いて、スパイダースがかっこいいということを知った。しかし、それ以外の喋りは驚くぐらいにつまらない。一度聴いてみるといい、つまらなすぎて愛おしくなってくる。それに反してヨーキングは、いっつもへらへらしてて全てに対して共通するそのある程度の適当感が好きだ。自分があこがれるタイプの男像。別にこんなことは、どうでもいいか。さっき、寝起き眼でなんの理由もなく彼女に電話したのだけれども、しないほうがよかったのか。意味もなく一寸だけの電話ってのは、言葉の響きだけで、日常におかれた場合それはわずらわしいのか。想像の産物、夜の空を幾億ものの電波が飛び交っていて、それぞれを送信受信した相互がつながるっていう擬似状態。距離を埋める言葉はなに?ってか。毎日、おやすみといいたい。
なんで今ここに書いてみたりしているのか、そんな理由ないけど。適当だ。適当な言葉で濁さないで、まず書くべきことを書こう。
今や全て昔。流行のブログの一端である、この場所で起きたすべての事を今も愛しく思います。こう明言することはとても恥ずかしく、そして今必要なのかわかりませんが。わからないのなら、この明言からはじめようと思います。はじめよう?なにを。
それでも、昨年からの変化の過程のうち、自分はあまりにも多くのことをうやむやにしすぎたのではないかと思っています。勝手に今思っているのです。
今、目の前に一枚の手紙があり。その差出人は遠く離れた人で、遠く離れているから、手紙という手段を使って、手紙という形式でこそ伝えることができる事柄をこの自分に伝えるべく、この手紙はポストに投函され今目の前にある。僕はそれを読んで、多くのことを感じて、それは喜びであったり、驚きであったり、感激であったり、まとめて言えばなにかしらを波立てるなにかを受け取る。それを、そのまま胸にしまったまま眠ってしまった、そのことについて。
読んで欲しい文章としてではなく、思考としての文章を、どこでもないこの場所において、この先のなんかを期待しよう。
今時点、この文章をまとめるおおまかな話の筋も思いつかない。
今も手紙は大事にとってある。文面は記憶に焼き付けられ、自分はたしかにあの手紙を受け取った。受け取って、春が来て、雨が降り、夏が来て、それも過ぎ行き、秋の静けさ、冬の部屋、季節と共になにかしらの状況も変わって関係性も変わった。でも、それでもまだあの手紙の返事は書かれないままなのである。脳は腐れ、記憶もいずれなくす。三日前の午後三時の瞬間のことを全く思い出せない。そうやって消えていく。あのおっぱいの感触やら、涙の乗車券のジョンレノンのうぅ〜っていうあの切ない声や何かしらをどんどん忘れていく。忘れていくっていうことじたいに気づけていればまだいいが、そういうのはだいたい僕が寝ている間や、ぼーっとすごしたり、笑ったりしている間に進んでいく。忘れていく。
だからって別にこの忘れるということにそこまで言及したいわけでもない、人間がものを忘れるっていうことはもう知っているし、それは時として素晴しいことでもあったりするのだから。だから、別にそのことに対して青いまなざしでどうにもならん虚しさを吐くわけじゃない。
いずれ忘れる記憶であるのであれば、その忘れる寸前までに何ができるかってことなのではないのかってことだ。
今はまだ手紙を受け取ったことを覚えている自分、それに返事を書くことができていないとういうことに書かなければいけないという気持ちと、書くことができない不甲斐ない気持ち両方を持っている自分。
で、話をへし折ってまずはっきりと思うことは。誰かも知らない世界的にどうでもいい大学生の一人が、こんなスペース使って、必死なのか笑い狙ってんのか、誰でもない自分自身についてうーたらあーたらやって非常にうざいなあということ。うるさいよもう、勝手にしろよもう、うわあもう気持ち悪いなあネチョネチョ。
っていう、すんごい前から頭の中にある考えをここにいったんおいてから、今度は逆にその他の変に実用的に機能しようとするどこの暗黙で得た了解かを淡々と上のようなきもちわりい感情論全部排除した上でなんかまた勝手にやってるようなやつらにも反吐が出るということ。いや、別に反吐はでないは、反吐ってなに。ちがうなぁと思うだけ。別にもとからかっこいいわるいの選別もあやふやな自分だから、このような文章をここにおいてしまうことにもさほど抵抗感はない。
そしてそれら全てをまとめた上で自分に言いたいこと、
働けよ。
別に働かなくてもいいか。明言は避けたいね、できることならそうやって生きていたいけれども、この先を続けていこうとするなら、時々やってくるよはっきりとさせなきゃいけないときが。そのときにはやっぱり、ちょっと苦しみながらも、なにかしらいったん決め付けなければけなかったりもするのか。まぁ知らないよ。うわぁもうこんな文章、なにアップしちゃうの、自分でもなにかわかってないものアップしちゃうの。あっぱれ言論の自由。もともと不自由もあったことか。
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2007年10月18日
2007年07月27日
誰もいなくなった路地で

風通しの悪くなった書店の扉は開け放し。いくらかの夜風を待ち受けるが。無風状態の熱帯夜、寄ってくるのは街灯にたかる虫だけだ。
過去に浸ろうと木戸をくぐった黒い人が物言わず書棚を眺めているが、気づくといつの間にかいなくなっている。
夏の夜にはビートルズが似合う。リボルバーに針を落としたりする。
やっぱりクーラーがない蒸し暑い場所で書いたりしてます。
「コンクリート交響楽団」
http://blog.livedoor.jp/tokidoki_tabun/
http://blog.m.livedoor.jp/tokidoki_tabun/index.cgi?sso=a01a5a8deedd79e85c3e3b86e62e4479c1c7e737
無機質なコンクリートみたいに、電気信号のエレクトリックギターみたいにいきたいけれども、結局湿気と汗でじめじめ。たくさんごめんなさい。
昼間からやることなくて風街ろまん聴いてあらためて狂喜したり、三村京子が、天気がいいのよ!と叫んだりして。夜には下北沢できっとパラダイスのライブがあって、今日出るCDになんかが載るかもしれなくて、今日の扇風機が送る風は結局熱風で、そんな扇風機がすごい愛しくなったり。お金が全然無かったり、有名無実の不安だったり、ビートルズ流して右側のスピーカーだけを聴いてみたり、ベースを弾いて指が痛くなったり、夜の湯の浜海岸に行ってみたくなったり、いつのまにか夏だったり。
風通しとある程度の適当さを忘れてはいけないなーと。
誰も僕の世界を変えることができないなんてことなくて、日々変わりまくりの僕の世界。
ということ。さて金がない、風呂はいろう、洗濯物をたたもう、雪駄で出かけよう。
2007年07月06日
2007年06月30日
終われないこの世に
こんな文章書かれるべきじゃない。知っている、勝手に都合よく書くことを利用してることを知ってる。
腹が立つことが多すぎる釈然としないことが多すぎる自分が至らないことが多すぎる、自分みたいなものが存在していることが本当にあほらしくなってきてそんな自分でもまた人に関わって頼って生きていることに申し訳なくなる。でもまぁこうやって書いているようなこともどこまで本当なのかわからない。かっこつけてこんなこと書いてるのかもしんないなんもかっこうついてねーけど。ただ気分が良くないということはたしか、それは自分も含めかかわり合っている人のこともふくめたすべてに対して。
しかしまあそれをなんで自分は理解できてやれないのかが腹立つ。
怒るという行為があまり好きじゃない。怒られるのも好きじゃなければ怒るのも好きじゃない。
怒りなんてものはあんなもの自我っていう完全な理由を後ろ盾にしたただの快楽だよ。怒る理由見つけたとき、人間なんの迷いもない、声で体でそれを発露する。声で体で発露して、後ろめたさを必要としない衝動ぶつけてイライラしながらもどっかで快楽を味わってる。これは俺だけの話じゃないはずだ。
怒りなんてものは相当都合のいい手段。たしかにため込んだら人間やばいのかも知んないけど。それをぶん投げる瞬間確実にその怒りとは別物の快楽を感じてる。そんな思い切り投げたら壊れるよ。
なにがキレるだ、じゃあキレんなよと思う。
そんなえらそうなこと言ってたら怒りが俺に目を付けてきた、完全なる衝動が身の内から溢れて、淀みない暴力が溢れてくる。いくらそれ押さえようとしても声が震えて涙がでるだけで体は力を手に入れて何かを破壊しようとする。やわい拳がふられて、声とならない声が溢れて、血が上る。壁にめり込んだ柔い拳は、いくら怒りの衝動手に入れたからって、数学が苦手だからという理由だけで文系少年のカテゴリにはいるようなどうしようもない俺みたいなやつの拳がなにをどうこうできるわけない、ただ痛いだけで、それっぽい表情になって拳握ってるような自分が本当にあほくさくなって笑えてくる結局ただの自分だアホ自分。
怒る前に考えろよ。純粋な怒りが何生むよ?ただの快楽と破壊と後悔と、また新しい怒りを生むだけだろうが。安易なんだよ。ただの衝動で拳握る前に考えることがあるだろうが。
気持ちよくないことなんてたくさんあるわ、今解決してくれなくてウヤムヤを持ち続けなきゃいけないこともたくさんあるわ。そこでそんな非生産で後悔しか残さない快楽にはしんなよ自分。
だからって見せしめみたいな自己嫌悪に持ってったってなんもかわんねーよあほ。膝抱えて座りながらあたりチラチラ見てんじゃねーよ。
考えろ、行動に移せ、転がせ、そしてまた不条理や自分勝手なイライラやなんかにぶつかったら考えろよ。
言い訳文章始まり。
こんな文章書いて誰にどう見せようっていうのか。見せる気がないならここに書かなきゃいいのに、頼れるもんがなんもないただの若者はこんなこと書くために学んだわけじゃない読み書きの技術利用して、こんなちっちゃい携帯電話に向かってポチ!ポチ!ポチ!ポチ!
考えて信じた結果裏切られてまた怒りが生まれるのだとしても、俺はイヤだとだけははっきり言える、そこまでいけてねーけど。結局怒り否定してもこの文章自体怒りの文章なんじゃねーのまったくらちがあかない。
真夜中の路地裏で雪駄はいた足でアスファルトの地面思いっきり蹴ったら、その隣でガマガエルが死んでいた。いったい自分はなにやってんだかとことんむなしくなった。携帯電話思いっきり地面ぶつけたってなにかが解決されるわけじゃない、連絡手段の欠如という新たなめんどくさい問題が生まれるだけだ。相手が完全に悪くても、壁ぶん殴ったバカみたいな音は相手に聞こえてんだよ。
別に何者になりたいわけでもない高尚な存在としてありたいわけでもない、ただの人間で十分だ、そんなもの本当にそれで十分だ。ただ、ただ自分は、無闇などっから来たかわかんないような快楽だけを生む怒りに支配されんのなんて勘弁なんだ。
とかいってどうしようもない時があるのだって知ってる、想像できる。俺が言ってるようなもんはただの日常の範疇を出ないもんだ。
そうやって気を許した瞬間自己嫌悪の嵐が吹き荒れる。無自覚な自分が立ちすくむ。
あーあ、もう勘弁なんだよ。謝っても人は求めるし、謝る意味なんてあるのかただの態度か、結局はその先か。ただのバカはもっと考えなきゃなんね。バカならバカほどさぼれね、考えなきゃなんね。
お別れしましょう。涙とかうざいし。ただの備品か。でもそのときは確かに必要だった。どうしようもねえ、結局自分のことしか考えれてねぇ。女の子とか友達とか知らない人とか、思惑が感情がぶつかってどうしようもなくなる。
結局こんな瞬間の人生、音楽だけかと思う。へたな結びの一言言うわけじゃない、理屈なしに言語以外の音像が単純に鼓膜を振動させる瞬間だけ何じゃないかと思う。まあその音像にまたそれぞれの思惑が絡まってまたわけわかんなくなるわけだけどさ。
人がいるんだよ、こう人がいる。その人は自分のことを知っているかもしれないし知らないかもしれない。言葉として言わずとも自分に対して思っていることがあるかもしれない、自分を嫌いかもしれない。でも目の前に人はいる、その人から見てまた目の前に自分がいる。この瞬間ここですべてを始める。すべてを始めていこうとする相互の考え。
こんな自分に都合良く利用されてるこの場所もそろそろちゃんと終わらせたいと思う。言ってることが違うくても、ここに書いている以外のすべての膨大な時間を酸素が必要なこの中野区の蒸し暑いボロ部屋を拠点として生きているわけだ。生活の二文字が崇高なものとして響く。いちおう俺だって生かされてるんだよ。適当な文章の幻想の中に残してきたのは思い出の景色だけ。そう考えたらやっぱり自分はなにかを生んだふりをしてどんどん殺してたのかもな。
情報に信憑性なし、この先の俺の態度だってどんなもんかわからない。その程度のものだったんだ。と、ネガティブにも終わらせたくない。きっかけなんて忘れたよただの今があるだけだ。無責任の罪は大きくても実感に自分が追いつくのは判決が出てから当分先のことになるだろう。
とりあえず。がむしゃらに生きようと思っても、どうやら難しいんだよ。俺はあんたじゃないしあんたは俺じゃないし俺は俺じゃないしあんたは俺以外でもない。
はい、だいぶ落ち着きました。ごめんなさいよろしくおねがいします。
腹が立つことが多すぎる釈然としないことが多すぎる自分が至らないことが多すぎる、自分みたいなものが存在していることが本当にあほらしくなってきてそんな自分でもまた人に関わって頼って生きていることに申し訳なくなる。でもまぁこうやって書いているようなこともどこまで本当なのかわからない。かっこつけてこんなこと書いてるのかもしんないなんもかっこうついてねーけど。ただ気分が良くないということはたしか、それは自分も含めかかわり合っている人のこともふくめたすべてに対して。
しかしまあそれをなんで自分は理解できてやれないのかが腹立つ。
怒るという行為があまり好きじゃない。怒られるのも好きじゃなければ怒るのも好きじゃない。
怒りなんてものはあんなもの自我っていう完全な理由を後ろ盾にしたただの快楽だよ。怒る理由見つけたとき、人間なんの迷いもない、声で体でそれを発露する。声で体で発露して、後ろめたさを必要としない衝動ぶつけてイライラしながらもどっかで快楽を味わってる。これは俺だけの話じゃないはずだ。
怒りなんてものは相当都合のいい手段。たしかにため込んだら人間やばいのかも知んないけど。それをぶん投げる瞬間確実にその怒りとは別物の快楽を感じてる。そんな思い切り投げたら壊れるよ。
なにがキレるだ、じゃあキレんなよと思う。
そんなえらそうなこと言ってたら怒りが俺に目を付けてきた、完全なる衝動が身の内から溢れて、淀みない暴力が溢れてくる。いくらそれ押さえようとしても声が震えて涙がでるだけで体は力を手に入れて何かを破壊しようとする。やわい拳がふられて、声とならない声が溢れて、血が上る。壁にめり込んだ柔い拳は、いくら怒りの衝動手に入れたからって、数学が苦手だからという理由だけで文系少年のカテゴリにはいるようなどうしようもない俺みたいなやつの拳がなにをどうこうできるわけない、ただ痛いだけで、それっぽい表情になって拳握ってるような自分が本当にあほくさくなって笑えてくる結局ただの自分だアホ自分。
怒る前に考えろよ。純粋な怒りが何生むよ?ただの快楽と破壊と後悔と、また新しい怒りを生むだけだろうが。安易なんだよ。ただの衝動で拳握る前に考えることがあるだろうが。
気持ちよくないことなんてたくさんあるわ、今解決してくれなくてウヤムヤを持ち続けなきゃいけないこともたくさんあるわ。そこでそんな非生産で後悔しか残さない快楽にはしんなよ自分。
だからって見せしめみたいな自己嫌悪に持ってったってなんもかわんねーよあほ。膝抱えて座りながらあたりチラチラ見てんじゃねーよ。
考えろ、行動に移せ、転がせ、そしてまた不条理や自分勝手なイライラやなんかにぶつかったら考えろよ。
言い訳文章始まり。
こんな文章書いて誰にどう見せようっていうのか。見せる気がないならここに書かなきゃいいのに、頼れるもんがなんもないただの若者はこんなこと書くために学んだわけじゃない読み書きの技術利用して、こんなちっちゃい携帯電話に向かってポチ!ポチ!ポチ!ポチ!
考えて信じた結果裏切られてまた怒りが生まれるのだとしても、俺はイヤだとだけははっきり言える、そこまでいけてねーけど。結局怒り否定してもこの文章自体怒りの文章なんじゃねーのまったくらちがあかない。
真夜中の路地裏で雪駄はいた足でアスファルトの地面思いっきり蹴ったら、その隣でガマガエルが死んでいた。いったい自分はなにやってんだかとことんむなしくなった。携帯電話思いっきり地面ぶつけたってなにかが解決されるわけじゃない、連絡手段の欠如という新たなめんどくさい問題が生まれるだけだ。相手が完全に悪くても、壁ぶん殴ったバカみたいな音は相手に聞こえてんだよ。
別に何者になりたいわけでもない高尚な存在としてありたいわけでもない、ただの人間で十分だ、そんなもの本当にそれで十分だ。ただ、ただ自分は、無闇などっから来たかわかんないような快楽だけを生む怒りに支配されんのなんて勘弁なんだ。
とかいってどうしようもない時があるのだって知ってる、想像できる。俺が言ってるようなもんはただの日常の範疇を出ないもんだ。
そうやって気を許した瞬間自己嫌悪の嵐が吹き荒れる。無自覚な自分が立ちすくむ。
あーあ、もう勘弁なんだよ。謝っても人は求めるし、謝る意味なんてあるのかただの態度か、結局はその先か。ただのバカはもっと考えなきゃなんね。バカならバカほどさぼれね、考えなきゃなんね。
お別れしましょう。涙とかうざいし。ただの備品か。でもそのときは確かに必要だった。どうしようもねえ、結局自分のことしか考えれてねぇ。女の子とか友達とか知らない人とか、思惑が感情がぶつかってどうしようもなくなる。
結局こんな瞬間の人生、音楽だけかと思う。へたな結びの一言言うわけじゃない、理屈なしに言語以外の音像が単純に鼓膜を振動させる瞬間だけ何じゃないかと思う。まあその音像にまたそれぞれの思惑が絡まってまたわけわかんなくなるわけだけどさ。
人がいるんだよ、こう人がいる。その人は自分のことを知っているかもしれないし知らないかもしれない。言葉として言わずとも自分に対して思っていることがあるかもしれない、自分を嫌いかもしれない。でも目の前に人はいる、その人から見てまた目の前に自分がいる。この瞬間ここですべてを始める。すべてを始めていこうとする相互の考え。
こんな自分に都合良く利用されてるこの場所もそろそろちゃんと終わらせたいと思う。言ってることが違うくても、ここに書いている以外のすべての膨大な時間を酸素が必要なこの中野区の蒸し暑いボロ部屋を拠点として生きているわけだ。生活の二文字が崇高なものとして響く。いちおう俺だって生かされてるんだよ。適当な文章の幻想の中に残してきたのは思い出の景色だけ。そう考えたらやっぱり自分はなにかを生んだふりをしてどんどん殺してたのかもな。
情報に信憑性なし、この先の俺の態度だってどんなもんかわからない。その程度のものだったんだ。と、ネガティブにも終わらせたくない。きっかけなんて忘れたよただの今があるだけだ。無責任の罪は大きくても実感に自分が追いつくのは判決が出てから当分先のことになるだろう。
とりあえず。がむしゃらに生きようと思っても、どうやら難しいんだよ。俺はあんたじゃないしあんたは俺じゃないし俺は俺じゃないしあんたは俺以外でもない。
はい、だいぶ落ち着きました。ごめんなさいよろしくおねがいします。
2007年06月27日
街には歌が欲しい。

ここではないどこかへ、ここではないどこかへ。
酔っぱらい集団が今夜だけは許してと大声をあげながら路地を練り歩いていく。
さっきペトラクラークのレコードが終わった。ドントスリープインザサブウェイはかわいい曲だ。ダウンタウンのすばらしさ。
今は音楽も止んで静かな真夜中がある。腹が鳴る。外では猫が悪魔みたいな声で泣いている。この庭にいる猫たちは愛想が悪い、いつも警戒して走り回ってる。
筋書き通りにはいかないよ。
この時期にスーツを着るのはつらい気がする。モテスリムじゃない、ぶかぶかのスーツ。ボタンダウンのワイシャツにネクタイを巻く。巻き方は覚えている、高校時代はブレザーだったから。
靴擦れする革靴をカパカパ鳴らしながら、駅までの長い一本道を歩く。
社会人ぽい手持ちカバンの中にCDプレイヤーを入れてブロンドレッドヘッドをイヤフォンで聴いているが、イヤフォンの長さが微妙に足りなくて、手持ちカバンを手持ちで持つことができない。胸で抱えてみる。
カバンを覗く、メモ帳とペンとCDケースとプレイヤー。何しにスーツ着て外を歩いているのか。
冷えた部屋の中できれいなOLさんの話を聞いていると、意識はわやわやとさまよう。開いたメモ帳に羅列されていくのは、この会社の企業理念や採用方法などではなく、パラダイスのことや音楽のことや人のことや彼女のことや、なんやらかんやら。さまよう頭の中は将来設計などではなく、せっかく池袋来たから帰りにジュンク堂書店寄っていこうというわくわくとどこのラーメン屋にいこうかという悩み。
ぼーっと机の上を眺めていたら、白い机の上にペンで「生活」と書いてあるのを見つけ、これが小説なんだよな、と、思って早く何かをしたくなった。
あいさつだけをしてすれ違って、ちょっとの時間だけ関係して、すれ違った後にはもうたぶんずっとさようなら。ということも、前ほど考えないようになった。
雲に覆われた灰色の下、スーツでそれとなく歩いてみる、さまになってるだろうか。まだまだまったく甘いよ。
ジュンク堂で森達也の放送禁止歌を買い、HMVの裏にあるばんからラーメンで替え玉頼んで、ディスクユニオンでペトラクラークとアラベスクとポップグループのレコード買ったら早く家に帰りたくなって、だから早く家に帰ってしまった。
久しぶりに会った父はそれほど変わってなどいなく、ただ奄美大島帰りの日焼けでしっかりと黒くなっていた。
駅から家まで歩いていくとりとめもない会話。住みやすそうな街だにゃーなんて言われて嬉しくなって。似てない親を部屋に招く。なんとなくいろいろなことが他人事ではなくなっていくような気がして、平日の曇りの午後、親父のタバコの煙の向こうに昨日買ったばかりのトーキングヘッズのレコードのジャケットが黙ってある。変な家に転がってきたなと、赤くペイントされた四人の目がむいている。
探される会話と、あやふやな十年後。
下の部屋の男女のセックスが真夜中に始まるといろいろなことに気を取られてしまう。ウィーアータイムの曲間に喘ぎ声が聞こえ二人は果てたようだ。
天井板一枚挟んでこんなことが起きてしまっている。僕はぼーっと床透けないかなーなんて思う。透けるはずなんてないんだけれども、ずっと考えているとなんで透けていないのかとても腹が立ってくる、だからだいたい寝てしまう。
いったいなんなんだろう、本気じゃないけど疑問はつきない。
新宿東南口で久しぶりに会った友達は二年前とは全然違うくて彼なりに確実に生活というものを自分の方にたぐりよせてた。目の前で演奏するパラダイスを見てかっこいいなと言って僕は嬉しくなってそれを見ている。出るとこ出れば見る人が見ればいい曲をやってるこのバンドが賞賛されるのなんてわかってたからわかってたけども、あんなに知らないたくさんの人が夜の新宿で立ち止まり、笑ったり話したり体揺らしたり拍手をしたりする光景を見たらもうニヤニヤしてたまらなかった。そうでしょそうなんだよかっこいいんだよこのバンド。
路上においてパラダイス至上最長時間のライブになりまだ人がいるのにやる曲がなくなってしまった。昨日の渋谷と高円寺の国家権力な人とロックだかなんだかただ酒に酔って意味不明な罵声を浴びせてきた親父に聞かせてやりたい。ごめんなさいすばらしいでしょう、でもまだ途中だ、今夜も深く深くふけたあとは太陽が昇って晴れるから、たまっていた洗濯物をする。ぐるぐると回る洗濯機と山手線、人間レコードラーメンメール携帯電話人間関係、会定常離。そうやってたまに気づいたときにもどっかで流れていて欲しい。
恥ずかしい言葉を言って恥ずかしくなることもあるけど、それをいつか言っておいてよかったと誇りたい。なんて思うおっぱい。
「明日世界が終わるのよ。」
なんて、僕らはなんでこんなにも世界の終わりに惹かれるのだろうか、終わらないこの世に。
まだまだまだまだだ
2007年06月22日
パラダイスについて
無善寺でのパラダイスライブ。
砂ガールの長い間奏は週末の東京の暗い夜の音。
ワンドリンクアサヒスーパードライ、団子2本、最後の曲、火花のように。
ビーズマンはもっとすごくなる気がしている。
昨晩のにぎやかな女の子の存在は素晴らしいことだと強く思う、昨晩のライブは本当に楽しかった。
無善寺の上を走る中央線の音は心臓の音に似ている。
駅前でパラダイスのお二人と別れる。最近の自分はパラダイスである。
ビートルズでもフーでもニックドレイクでもプライマルスクリームでもナンバーガールでもザゼンボーイズでもモーサムトーンベンダーでもシャングリラスでもジョンレノンでもフィッシュマンズでもカールトンアントシューズでもアットザドライブインでもカスケードでもカーペンターズでもゴーイングステディでも銀杏ボーイズでもストーンローゼズでもスライアンドファミリーストーンでもピンクグループでもモキックスでもなくパラダイスだ。
一生の中でこのようなバンドと出会えたことはとても幸運だ。危ないところだった、でもよかった。
まだまだこれから。
僕はパラダイスが死ぬか自分が死ぬか、どちらかが死ぬまでは、パラダイスについていく。ついていきたいと思っている。信用ならないけど。でもまぁ結構律儀な人間なので、ライブはほとんど皆勤賞。また来たのと笑われるのがとても嬉しく平和な日常な気がします。
こんな感じがいつまで続くのかなどと考えれるのも、それは今だから。同じ時代にこれほど近い存在として歌を聴けることを嬉しく思います。
ライブハウスの正体なんてものは案外ショボいもので、ライブハウスの暗がりの中、立って正面から見つめたいバンドなんてほとんどいないみたいです。下手な問題提起や、個人的感情うわごと、ナルシストも、けっこうだけれども、発表会ではなくて。自分はライブハウスに音楽を聴きにいってるのではなく、何かないかと思っていってる。
パラダイスに行く。パラダイスに行く。
新宿南口23時の路上で、彼のアコースティックギターであの曲が歌われたことを知らないだろう。一人も人が止まらなくても、一度聴いたら棺桶まで持ってきたくなるような歌が流れていたことを知らないだろう。
完全な主観であるが、その完全な主観を押しつけようと思って書いているわけじゃない。ただ書いてるだけだ。
ここもそろそろ誰も見なくなった頃だろう。長い長い間ほったらかしてたから。
でもまあ以前あれほどの長文を連発していたことが異常だったんだろう。そして今、途中の今、無闇に書きつらねることが必ずしも必要なわけでもない。書かない時間も必要だ。
こういう文章を書いて読むと気持ちが悪い、なにをいっぱしの作家みたいな言葉遣いで言葉を連ねて、書くということにたいしてなにをそこまで意識的になる必要があるのか。アホらしく思う。
でも今の時点で一つだけ伝えたいことがあるため、その気持ち悪い言葉を利用してここに書いている。
パラダイスというバンドについて。
しかし、なにもここまで大袈裟に語る必要があるのかはわからないが。
このバンドの歌を聴くことによって、一人の人間として生きていく上でおとずれる幸福な瞬間が、少しだけ増えるということは、自分の生活を持って保証する。
極論音楽なんてものはそうたいしたものではなく、一瞬の鳥肌や、ほほえみや、一生のあこがれやきっかけを呼ぶものとして機能するくらいのものだ。それと同時にそれが可能なのはやっぱり音楽しかなかったりもするのだ。
だから、なにも面と向かって言えない自分は、昨晩酔っぱらったようにしてうるさい女の人がパラダイスに向かって言った言葉を聞いて、本当に嬉しく思ったのだー。
パラダイスはまだまだこれからだ。
だから今から聴いたほうがいい。
夜にまかせて適当に書いた、もっとうまく書いて伝えたい。強くそう思う。
だから
恋せよ乙女。
七月七日に出逢え。
砂ガールの長い間奏は週末の東京の暗い夜の音。
ワンドリンクアサヒスーパードライ、団子2本、最後の曲、火花のように。
ビーズマンはもっとすごくなる気がしている。
昨晩のにぎやかな女の子の存在は素晴らしいことだと強く思う、昨晩のライブは本当に楽しかった。
無善寺の上を走る中央線の音は心臓の音に似ている。
駅前でパラダイスのお二人と別れる。最近の自分はパラダイスである。
ビートルズでもフーでもニックドレイクでもプライマルスクリームでもナンバーガールでもザゼンボーイズでもモーサムトーンベンダーでもシャングリラスでもジョンレノンでもフィッシュマンズでもカールトンアントシューズでもアットザドライブインでもカスケードでもカーペンターズでもゴーイングステディでも銀杏ボーイズでもストーンローゼズでもスライアンドファミリーストーンでもピンクグループでもモキックスでもなくパラダイスだ。
一生の中でこのようなバンドと出会えたことはとても幸運だ。危ないところだった、でもよかった。
まだまだこれから。
僕はパラダイスが死ぬか自分が死ぬか、どちらかが死ぬまでは、パラダイスについていく。ついていきたいと思っている。信用ならないけど。でもまぁ結構律儀な人間なので、ライブはほとんど皆勤賞。また来たのと笑われるのがとても嬉しく平和な日常な気がします。
こんな感じがいつまで続くのかなどと考えれるのも、それは今だから。同じ時代にこれほど近い存在として歌を聴けることを嬉しく思います。
ライブハウスの正体なんてものは案外ショボいもので、ライブハウスの暗がりの中、立って正面から見つめたいバンドなんてほとんどいないみたいです。下手な問題提起や、個人的感情うわごと、ナルシストも、けっこうだけれども、発表会ではなくて。自分はライブハウスに音楽を聴きにいってるのではなく、何かないかと思っていってる。
パラダイスに行く。パラダイスに行く。
新宿南口23時の路上で、彼のアコースティックギターであの曲が歌われたことを知らないだろう。一人も人が止まらなくても、一度聴いたら棺桶まで持ってきたくなるような歌が流れていたことを知らないだろう。
完全な主観であるが、その完全な主観を押しつけようと思って書いているわけじゃない。ただ書いてるだけだ。
ここもそろそろ誰も見なくなった頃だろう。長い長い間ほったらかしてたから。
でもまあ以前あれほどの長文を連発していたことが異常だったんだろう。そして今、途中の今、無闇に書きつらねることが必ずしも必要なわけでもない。書かない時間も必要だ。
こういう文章を書いて読むと気持ちが悪い、なにをいっぱしの作家みたいな言葉遣いで言葉を連ねて、書くということにたいしてなにをそこまで意識的になる必要があるのか。アホらしく思う。
でも今の時点で一つだけ伝えたいことがあるため、その気持ち悪い言葉を利用してここに書いている。
パラダイスというバンドについて。
しかし、なにもここまで大袈裟に語る必要があるのかはわからないが。
このバンドの歌を聴くことによって、一人の人間として生きていく上でおとずれる幸福な瞬間が、少しだけ増えるということは、自分の生活を持って保証する。
極論音楽なんてものはそうたいしたものではなく、一瞬の鳥肌や、ほほえみや、一生のあこがれやきっかけを呼ぶものとして機能するくらいのものだ。それと同時にそれが可能なのはやっぱり音楽しかなかったりもするのだ。
だから、なにも面と向かって言えない自分は、昨晩酔っぱらったようにしてうるさい女の人がパラダイスに向かって言った言葉を聞いて、本当に嬉しく思ったのだー。
パラダイスはまだまだこれからだ。
だから今から聴いたほうがいい。
夜にまかせて適当に書いた、もっとうまく書いて伝えたい。強くそう思う。
だから
恋せよ乙女。
七月七日に出逢え。
2007年06月20日
日記

おらは死んじまっただ
この場所でさえも死んじまっただ
ちゃんと死ななきゃ ちゃんと生き返れない
フーを聴いている。
夜中、新宿から帰ってきてぼーっとしていたら無闇に時間が過ぎていって、いつのまにか朝が来ていた。
今夜も生き返れなかったみたいだ。返る、とつけるのも傲慢な気がする。うん。
どうせなら劇的な生き返りかたをしたいものだけれども、そううまくもいかない。どうしようもない連続を見せながらこの先二度と来るかわからないそれを、待ち望んでいる。一人部屋でなにもせず天井眺めながら。
キースムーンのタム回しに耳を傾ける。二ヶ月後と今日は大体同じだ。
彼は歌ってタイコ叩いて、さあいまさら自分は何だ。たかが人間、ビールをおいしく飲みたいなら恥を捨てろよ。
青いシャツ着て青空に焦がれて今に見てろと言い切った。言葉は必要。
腹が減ったリクルートナビゲーター
続く
2007年06月08日
「金がなくては」

がっついていきなさい。だから食べるときはがつっと食べなさーい、たーんと召し上がりなさい、どうそ゛、いいわよ、食いなさい。
ふわふわふわふわ。
ただ寂しかったんです。全部それです、ただ寂しかったんです。そのさびしいという土台の上にすべてがあったんです。そしたらもうなにをしようたってさびしさのうえに全部築き上げられちゃうんですね。だから
今の自分は全部をビールで流そうとしてる。なんも、こんなのなんもいいことないよ、日長な不安しかない毎日過ごして、夜になったらビールでふたを閉める、いいことあるかよ。と彼が言いました
五十年後の今日のことを想像したら、下手なことしゃべれないのよと彼女は言いました
もう過ぎるべき時間はとっくに過ぎてたんだなー、と彼は言いました
終営後の映画館に忍び込んで、押しつぶされそうな静寂の中思いにふけってたら、真っ暗のスクリーンにカウントがちらつきました、彼はこれだよ、これなんだよと思いました。ちっちゃな頃すぐそばにあったから今はいいと部屋に置きっぱなしにしたままなくしてたもんはこれだと思いました。
煉瓦敷きの商店街に灯る街灯の下を歩いています。いつからかずっと考えたままです。一人で出す答えは現状維持か否定か肯定のどれかです。
と、このように生きてるにわ生きてるけども明言を避けようとすると、もう僕なんてとんでもないことになるんですね。
しょうがない、あの憂鬱にはもうもどれない。
夜酒を楽しく飲むには、昼間ちゃんと生き延びなければいけない。再会と酒席のために俺は生きる。
久しぶりにヤンマガ呼んだら、わにとかげぎすが消えてた、バレーボーイズが高校卒業してた。
彼女にお礼の手紙を書けてない。彼女にちゃんとお礼の言葉を言えていない。彼女にその後のことを伝えれてない。彼にラブレス借りっぱなしだ。彼にファミリアトゥミリオンズ借りっぱなしだ。彼にウェンザキングダムカムズ貸しっぱなしだ。
あとは忘れた
「酒が飲みたくて」
2007年06月06日
昼間っから暇な神様

僕は、そうなったらこの名前しかないよな、という感じで、もう忘れたけどへんてこな名前を言った。それを聞いて2人でレミオロメンみたいだと笑った。
晴れた、天気だけは覚えている
午前7時 もう一度目をつぶる、午前10時からだとわかっていて、もう一度目をつむる、向こう側の太陽が眩しい、言い訳になる雨も今日は降らなかった 寝る
ねう゛ぁーまいんど
午前12時 シロアリを見つける すぐに倒す 開け放した窓から日差しと風が流れ込む 、そうめんを茹でて食べる、めんつゆがなくなる、シャングリラスに針を落とす
午後1時 開き直りの午後 洗濯機をまわす ブロークンフラワーズを見る 誰から届いた手紙なんだか、あいに旅に出た、旅にCDは必要だ
午後3時 洗濯物を干す 生活することにたいしてぜんぜんあれだな、見てやれてないな、たくさん靴下を干す、返していないメールを返そうと思う、着ないスーツが揺れている、赤いカーディガンも揺れている
うわーお先真っ暗!
双子座の運勢 「道が開けそう。」
たまにあるきっかけばかりが目立つ思わせぶりな一日
ブロークンフラワーズのメニュー画面で流れる音楽を延々と流しながら今夜男と飲もうかと考える
傾いた家、走るスクーターのエンジン音、風で揺れる電気のひも、サイコロだサイコロ、きょうは雨じゃなかった、だから雨の名前を呼ぶ必要もなかった
ゴミも出し忘れた、またNTTから手紙が来てる、落ちるのは簡単、これも全部手段、単体では成り立たない言葉、あーめんどくさいな
思い込みと勘違いと被害妄想が涼しい風とともに
2007年06月02日
「世界平和無理」の次。

早々と終電に乗ることをあきらめ、深夜だけれども全然混んでいる渋谷を歩いて一蘭に行ってラーメンを食べた。うまかった。いつもどおり替え玉を一回頼む。スープを飲み干す、ごちそうさま。
満腹になりそして気弱にもなり、歩いて帰るつもりだったけれども携帯で電車の時間を調べた。
まだ電車があった。
渋谷駅へと戻り山手線に乗った。
イヤフォンではツジコノリコを流している。ぼんやり。新宿で乗り換え、混雑中央線でイヤフォンが外れて途切れトギレ。
解放、ホーム、階段、改札。
ディスクチェンジ。ぱらだいすのはっぴいれいんを聴く。深夜の高円寺、歩くスピードが変わる。うれしくなる、どんどんうれしくなる。説明をすることがじれったい、ただうれしくなる。
星と暮らせを聴く。ハンドバッグを聴く。モキックスのセムセクシャルを聴く。もう本当にうれしくなる、いまさらまた誰かにこんこんと伝えたくなる、単純で安易でも確実な共感を誰かと共有したくなる。あの部分が〜とか、あのブレイクがとか、あの変拍子がとか、あの歌詞がとか、まるで自分のことかのようにニヤニヤと話し合いたくなる。すなガールを聴く。もう涙が流れてくる。それは思い出とか私情とかではなくて、完全に曲が持つ力によって涙が流れ出る。
このような文章なんてわざわざ書かれるべきあれでもないのかもしれないけど、もうすでにすばらしい曲が自分の隣にあって、その曲を演奏しているバンドが今はまだ東京の地下で無名を叫んでいるのだとしたら、そのすばらしい存在を僕の隣にいる人へ伝えるというくらいのことならできるんじゃないかと勝手に思った。
この文章を書くためにエピソードが用意されたわけではない。ぱらだいすの曲がこの文章を呼んだのだー。
本当にそう思っている、一生に一度しかない21歳の六月の今、本当に思っている。
結局またこういう文章を書いてる。
2007年05月30日
不知火舞

ねー。
ね。
高円寺駅の北口を出て、バスロータリーの信号を渡る。この横断歩道はそれほど交通量が多くないのでけっこうみんな信号無視をして渡っていく、それでもクラクションが鳴ったのを僕は聞いたことがない。
そのまま「純情商店街」と書かれたアーチをくぐって続く道を歩く。セブンイレブンで女性ファッション雑誌を読んでいる会社帰りのOL。
煉瓦敷きの道を歩いていく、パン屋は閉まっている。ペンギンハウスはもうライブが終わってパブタイムの看板を出している。
夕方長い行列を作っている肉屋もシャッターが閉まっている。
終業後の美容室、店員が丸く囲んで楽しそうに話しているのが見える。
貸しボックス屋さんのドアからこぼれてくる光は万華鏡のよう。
風呂上がりの格好でドラマの青い袋を抱えている人とよくすれ違う。
白い外国料理屋のカウンターにはいつもXのヨシキがいる。たこ焼きやの店員は目が合えば僕へ向けてのいらっしゃいませを言ってくる。インド料理屋は暇そう。ステーキ屋の店員はモクモクとオーダーをこなす。
早稲田通り。なかなか信号が変わらない。短い青信号が赤に変わってしまっても少しの間は無理しても渡れる。大丈夫。
まだまだ長く続く一本道。
ずっとシャッターが閉まったままの高円寺カフェ。一組の恋人が静かに寄り添ってる大和花公園。会員がいないエロビデオレンタル屋。コインランドリー。コインパーキング。セブンイレブン、ファミリーマート。
窓から見える飲み屋のお姉さんは、お客と楽しそうに話している。汗をかきながら焼き鳥を焼いているオヤジさんと小さな排気窓越しに目が合う。
今にも崩れそうなぼろぼろのアパートの廊下には今夜も電球が灯っている、一升瓶が転がっている。
ヒールを鳴らすお姉さんを追い越して歩く。
小さな都会の川を渡る。
坂道。自転車のみなさんは老若男女みな立ち漕ぎに切り替える。
夜になっても干しっぱなしの洗濯物が揺れている、ブラジャーは見あたらない。
三味線の音が聞こえる。
道を右に曲がる。カーテンを閉めていない部屋の窓が見える。
赤いカーテンの部屋の女の人は引っ越してしまったみたいだ部屋が暗い。
今はポストを開けない、めんどうくさいから。
階段を静かにのぼる。
鍵を差し込んでまわす。
かちゃ
堅いドアを引く。真っ暗の部屋。
ただいまとは言わない、おかえりと返ってきたらイヤだから。
足下に気をつけながら、手探りで電気をつける。
かちゃ
大きく息をついた後、冷蔵庫から発泡酒を出して、一人であける。今日もおいしくてうれしい。
窓の外の道から見たカーテンを閉めていない僕の部屋の窓は、明るく変わった。
僕は待ち人

DVDの内容は、女の子二人と男一人が温泉旅行に行ってエロいことをするというもので、今まで何人の女と男が温泉旅行に行ってカメラの前でエロいことをしたであろうありきたりな企画もの。
どっかの駅で三人は待ち合わせをして、スレンダーキュートな女の子は一泊二日の旅行なのにカバン二つ分の荷物を持って登場する、もうひとりのぽっちゃりはにかみの女の子は小さな手持ちカバン一つでスレンダーキュートに笑顔でつっこむ、「荷物多すぎだよー」、「そうかなー」
電車に乗り込んで目的地へ向かう、その道中二人はバイブを忍ばされ公共の交通機関の中で声を忍ばせながら悶える、ありきたりな映像が、新幹線が、目的地へ進んでいく。
映像は海に切り替わる。説明がないのでよくわからないが、岩場にある柵にいくつもの南京錠がぶら下げられている、南京錠に名前を書いてそこに鍵をかけるとその二人は幸せになれるっていう海辺に柵があって誰か一人が始めれば始まってしまうような簡単なものがあって、女二人と男一人の三人はそれぞれの名前を書いてそこに鍵をかけた。
いつのまにか女の子たちは真っ白なTシャツに着替えている、二人は砂浜の波打ち際を歩く、季節はいつなのだろう砂浜には誰もいない、女の子は南京錠の鍵を海へと投げ入れた、すぐにわからなくなった。
二人がはしゃいで水をかけ始める、楽しそうなキャーキャーという声と波の音。
水平線に沈もうとしている太陽が海面で揺れている、揺れるその光の中2人のシルエットが揺れている、それをカメラは遠くから俯瞰してとらえている。
あの夕焼け空の下僕は
僕は、あの夜、中野の居酒屋で飲みながら話したみたいなことをずっと本気で話したり書いたりしたいと思う。
おもしろくもない笑えないモラトリアムな悩み話が、お尻の穴が二つあることに悩んでいるかわいい女の子の隣に着地すればいいと思っている。
そう強く思っている。
2007年05月19日
2007年04月30日
2007年04月20日
優等生
なんでここに書いてるか なんでいろんな人が読むここに書いてるか クリエイティブィティには中指を なんでここに書いて見せるのか と思いながらも なんでまたここに書くのか
真夜中 絶えるようにして寝る 弱すぎる 電気はかろうじて消す
朝 アラームで目覚める 夢が意味深 追求しない 弱いから 弱い弱いと
晴れている パンと牛乳をとる レットイットビーに針を落とす アクロスザユニバース
ライクアローリングストーン エフビーアイ シーアイエー ビービーシー
じき鳴り止む アイミーマイン
ゴーホーム
ビートルズは帰れなかった
ドラマにエロビデオを返しにいく 部屋を出る 朝から大工さんは隣で家を建てている ジャージを着て エロビデオを持って 行く
晴れている 晴れていると 思い出すことばかりだ 思い出す思い出すと繰り返し言っているが 明日になればもっと思い出すことが増えてしまう どんどん無くしてしまう キリがない
選挙カーが朝からひっきりなしにわめきあっている わめいて人を助ける ましなうたい文句聞こえてこない
庚申通り商店街 返却ボックスにエロビデオを入れる ガタン そんな朝
何書いてるんだなにかいてるんだなにかいてるんだ
大学
小学校レベルのレポートを読み上げ発表提出して 大学生気取り 山田君は就職活動しているの と教授 全然 と山田
芝生のキャンパスは夕闇に包まれていく 繋がりを求めなくなっている すぐに帰る
装着したヘッドフォンは短く刈った頭には不似合いで 別にどうでもよくて 音楽を聴いて 電車に乗る その音楽も聴きたくて聴いているのかわからない どんどん詰まっていくような気がする
乗り合わせたリクルートスーツの女学生は 疲れてずっと眠ったまま
同じ西武新宿線上り電車の景色なのに なんでこんなにも悲しいんだろうーかー
ツジコノリコが歌う ちっともそんなことない と ただそれだけで涙腺緩む どのような言葉であれ 少しの肯定は必要だ まだまだ途中のはず
たどり着いてしまう駅 別に一人 それなりの駅前の賑わい 他人事 金曜日の夜 いつのまにか他人事 ぼろいビデオ屋に入り 見たいわけでもないビデオ借りる 店内を少年がパックマンの様に止まることなくあるきつづけている 現住所を証明できるものを持っていない 次回持ってきてくれと 家に帰っても 証明できるものはない 店を出る よくわからない気持ち 支払をしていないことに気付く 気付かないことにする
スーパーに入る 肉と卵としめじとコロッケを なんとなく買う 財布が空になる
三日月は曇り空の向こう 東京新聞営業所の角を曲がる 見えてくる窓 真っ暗な部屋 タンタンと階段を上り ガタガタの鍵を差し込み ドアを開ける
真っ暗 ただいまと 言う 真っ暗
マジカルミステリーツアーに針を落とす 食器を洗い 肉と野菜を炒める ごはんをチンする 納豆をかける 食う
食っている途中 スモールミュージックの返却日であることに気付き 黒い袋に ロンセクスミスのファーストと金延幸子のレアトラックスとニックドレイクのデモ音源のアルバムを入れて 9時閉店に間に合わせるように 急いで家を出る 真っすぐな道
高円寺駅前 改札口にたむろする くそおとこたち
スモールミュージック 無事返却
そのまま意味もなく パル ルックをくだって歩いていく 青梅街道に突き当たる 少し安心している自分 安心している
薄着のまま歩くことを決意する 車はひっきりなしに行き交う うるさい
環七の交差点にあるファミリーマートで おとぎ話の歌手が コピー機を扱っている ユーフォークラブを覗いてみるが 看板は出ていない
東高円寺 駅の公園 阿波踊りの練習をしている子どもたち 風の強いベンチに座って 何かを書こうと考える
座りながら携帯をいじる 風が強くて震えてくる 歩き出す 駅が吐き出す帰宅者 足音 影 ファミリーマート セブンイレブン 真っ暗 昭和銭湯リニューアルオープン、ふなこしえいいちろう まついかずよ からお祝いの花束
路地 坂道 劇場の前でたむろする若者たち
見えてくる丸井の看板 佐世保バーガー 煉瓦坂 中野駅南口 高架下 北口の賑わい サンモール 金がないのにマクドナルドへ入る
真夜中 絶えるようにして寝る 弱すぎる 電気はかろうじて消す
朝 アラームで目覚める 夢が意味深 追求しない 弱いから 弱い弱いと
晴れている パンと牛乳をとる レットイットビーに針を落とす アクロスザユニバース
ライクアローリングストーン エフビーアイ シーアイエー ビービーシー
じき鳴り止む アイミーマイン
ゴーホーム
ビートルズは帰れなかった
ドラマにエロビデオを返しにいく 部屋を出る 朝から大工さんは隣で家を建てている ジャージを着て エロビデオを持って 行く
晴れている 晴れていると 思い出すことばかりだ 思い出す思い出すと繰り返し言っているが 明日になればもっと思い出すことが増えてしまう どんどん無くしてしまう キリがない
選挙カーが朝からひっきりなしにわめきあっている わめいて人を助ける ましなうたい文句聞こえてこない
庚申通り商店街 返却ボックスにエロビデオを入れる ガタン そんな朝
何書いてるんだなにかいてるんだなにかいてるんだ
大学
小学校レベルのレポートを読み上げ発表提出して 大学生気取り 山田君は就職活動しているの と教授 全然 と山田
芝生のキャンパスは夕闇に包まれていく 繋がりを求めなくなっている すぐに帰る
装着したヘッドフォンは短く刈った頭には不似合いで 別にどうでもよくて 音楽を聴いて 電車に乗る その音楽も聴きたくて聴いているのかわからない どんどん詰まっていくような気がする
乗り合わせたリクルートスーツの女学生は 疲れてずっと眠ったまま
同じ西武新宿線上り電車の景色なのに なんでこんなにも悲しいんだろうーかー
ツジコノリコが歌う ちっともそんなことない と ただそれだけで涙腺緩む どのような言葉であれ 少しの肯定は必要だ まだまだ途中のはず
たどり着いてしまう駅 別に一人 それなりの駅前の賑わい 他人事 金曜日の夜 いつのまにか他人事 ぼろいビデオ屋に入り 見たいわけでもないビデオ借りる 店内を少年がパックマンの様に止まることなくあるきつづけている 現住所を証明できるものを持っていない 次回持ってきてくれと 家に帰っても 証明できるものはない 店を出る よくわからない気持ち 支払をしていないことに気付く 気付かないことにする
スーパーに入る 肉と卵としめじとコロッケを なんとなく買う 財布が空になる
三日月は曇り空の向こう 東京新聞営業所の角を曲がる 見えてくる窓 真っ暗な部屋 タンタンと階段を上り ガタガタの鍵を差し込み ドアを開ける
真っ暗 ただいまと 言う 真っ暗
マジカルミステリーツアーに針を落とす 食器を洗い 肉と野菜を炒める ごはんをチンする 納豆をかける 食う
食っている途中 スモールミュージックの返却日であることに気付き 黒い袋に ロンセクスミスのファーストと金延幸子のレアトラックスとニックドレイクのデモ音源のアルバムを入れて 9時閉店に間に合わせるように 急いで家を出る 真っすぐな道
高円寺駅前 改札口にたむろする くそおとこたち
スモールミュージック 無事返却
そのまま意味もなく パル ルックをくだって歩いていく 青梅街道に突き当たる 少し安心している自分 安心している
薄着のまま歩くことを決意する 車はひっきりなしに行き交う うるさい
環七の交差点にあるファミリーマートで おとぎ話の歌手が コピー機を扱っている ユーフォークラブを覗いてみるが 看板は出ていない
東高円寺 駅の公園 阿波踊りの練習をしている子どもたち 風の強いベンチに座って 何かを書こうと考える
座りながら携帯をいじる 風が強くて震えてくる 歩き出す 駅が吐き出す帰宅者 足音 影 ファミリーマート セブンイレブン 真っ暗 昭和銭湯リニューアルオープン、ふなこしえいいちろう まついかずよ からお祝いの花束
路地 坂道 劇場の前でたむろする若者たち
見えてくる丸井の看板 佐世保バーガー 煉瓦坂 中野駅南口 高架下 北口の賑わい サンモール 金がないのにマクドナルドへ入る
いっぱいおっぱいぼくげんき

新宿モーション ぱらだいすライブ 人たくさん ワンドリンクビール 笑顔 さようなら
新宿夜 信号待ちしていてもぶつかってくる人 出る舌打ち 出した瞬間後悔 嫌になる
携帯が壊れている 電話の相手の声が聞こえない 全然聞こえない どっかいじると聞こえるようになる 固いアスファルトに投げつけてぶっこわしたくなる できない
西武線は使わない 夜は混んでいるから 暗いから おも過ぎるから
アルタ前の交差点で気が変わる 集団心理 一人が動くと信号待ちをしている人間皆動き出す まだ赤 タクシークラクション 恥ずかしい
新宿駅をまわって 東南口 階段一段飛ばし 路上でゴスペラーズもどきがコーラスワーク それをカップルの男が批判 それが耳にはいってきてまた揺れる 風景
屋台ラーメンは昨日 占い師は神と打ち合わせの電話
サザンテラス ドーナツの箱を持った女性たちとばかりすれ違う 気持ち悪くなる 白い煉瓦だけを歩こうとするが 歩幅合わず 気持ち悪くなる ドコモタワー 小田急線踏切 柳
代々木駅前 らすた というよく行くラーメン屋
このラーメンでも食えばいくらか楽になるかと
混み合う店内 立って待っている自分をじろじろ見てくる男 舌打ち 意味がわからない 神宮球場帰りの集団 大声 中日の応援歌を歌い出す ラーメンをぶっかけたくなる 結局スープ飲み干す 連日ラーメン 頭が痛い 水を飲んで 味を忘れる まだ歌っている ごちそうさまも言えず だまって出る 寒い
電話 どうしようもない自分
最低って意味知ってるか 雰囲気で簡単に使って自分擁護するような軽い言葉じゃない 本当の最低は 本当に最低だ
本当に っていう言葉かんむりにつけなきゃ なにもかも響かなくなってる
最低
代々木駅から総武線 短く刈った頭は不格好 だからと いって きれいなマッシュルームも 洗脳されてるみたいでバカくさくなった 滑り込んでくる総武線 一分遅れ 女子達 疲れたサラリーマン 窓際
新宿混雑 はぐれる それが最後 記憶 あやふや 頼るほかない 一人 選んだ どうだろう 正しい気はしない 弱すぎてすぐ折れそう
大久保駅 停止信号 誰も喋らない いや 車内で携帯をつかう四十代女性一人 あとは静か ヘッドフォン音漏れもなし 停止信号解除 また動き出す
東中野
中野 中野では降りない 中野で降りたい 中野では降りない 中野では降りれない 中野では降りることがない ドアしまる
環七 高円寺 降りる 降りる気がしない 降りる意味があるのかわからない でも降りる
似たような女子が次から次へと溢れる 誰も目を止めようとしない 疲れる
改札を出る 見慣れない景色 北口 騒ぎ散らす酔っ払いサラリーマン集団 はや歩きで回避
純情商店街 工事中 ペンギン
まずいラーメン屋も 通り沿いということだけで人が入っている 店先で待ちぼうけブルドッグ
ドラマ 昨日借りた新作エーブイを返さなければ もうエロビデオは借りない つまらない 金の無駄
早稲田通り 横断 くらい商店街接続 白線をずっと歩いていく 白線をずっと歩いていく 白線をずっと歩いていく
コインランドリー 身内飲みの居酒屋 牡丹桜の咲く公園
夜勤日勤と働き狂っていたあの頃が一番楽しかった ほうりだされるとすぐ折れる 加えて雨が降り続くと 熔けてしまう
青空の写メール、雨上がりの夕方の商店街の雰囲気、ぱらだいすのライブ、いくらか気が楽になるが すぐダメになる 吐きそう 殴っていいのなら自動販売機一台壊したい ごめんなさい 部屋の中で叫びたくなる 迷惑 ごめんなさい
いじょうなし なんもなし ぜんぶなし 想い出迷子は ずいぶん昔に寝たっきり 今は一人で歩いている サラリーマンは無理だな 親から電話来る嘘をつく 携帯が鳴る たくさんなる 罪悪感 結果的に だいたいを無視 加えて罪悪感 CDケースが割れる
金もない 度胸もない 誠実さも 優しさも 平等も 思いやりも何もない 擁護養護
レコードの針が上がって B面にひっくり返すのは 自分の作業 ビートルズが キャロルキングが チボマットが ゴダイゴが 矢野アキコが イエローマジックオーケストラが ゴーイングステディが ウーアが ランタンパレードが ドアーズが バディホーリーが スライストーンが ニックドレイクが 金延幸子が みんなみんな じき 鳴り止む そこからは 全部自分
階段を上り 真っ暗な部屋のドアを開け 靴を脱ぎ 電気を点けて 座り込む とてもとても静かな部屋で ぽじてぃぶ と 繰り返して言ってみる
なにも帰ってこない 変わらない 笑えない
体か揺れている 上を見上げてみる 照明のヒモは揺れていない 頭おかしくなっちゃったかな と 一人でバランスとってみる 大丈夫か 遠くで親類が倒れた 家出はっぴいえんど 終わってからが怖いことは知ってた 知ってた 知ってた
どうしようもないレポートを明日まで書かなければいけない 書きたくもないものを 書かなければいけないから書かなければいけない 大学を壊したい さようならしたい
笑え笑えと無責任に言い過ぎた でも 今でも 最終的に笑えていればいいと思っている
まだ笑ってはいけない 僕は
どつぼ 想い出 ファンファーレ 拍手 船出 みんな幸せになれてください バカアホウンチゲリチンチン
時にまかせての歌詞通りの 晴天が広がることを願って また携帯をぶん投げてやることやって また暗くなる
じゃあ久しぶり
2007年04月05日
横を見るより上を見ろ
人に迷惑かけない程度、楽しく街を歩け
ティッシュ配りの女の子
大学に行ってきた、みんな楽しい、中国人を馬鹿にしてリクルートスーツを着る、マスゲーム、北、髪形、内定
三日雨が降って 今日みたいな日が晴れる 作ろうとして思い出を作る、思いは出れない、監禁、経験値貯め、どうせ忘れる
自分もだ、立場が違うだけで、どうせ自分もだ、どうせ忘れる
健康診断アンケートに人生が嫌になった、と書く
笑って書く、ふざけてる
どうだい?
新大久保には大久保から歩いて行く
上京している弟をぱらだいすのライブに連れて行く
やっぱり ぱらだいすの出番は一番目 街を走ることになる
三人よりも四人
地道にいろいろな人をライブハウスに連れていこう
こう思うのは 自分だけじゃないはずだ
共感ではなく共通のリズムで
どうしようもない日と同じくらい、いや少し少ないか ライブがある
理由 人の為
信じましょう、なんて、
同じ顔 電車 ヘッドフォンボリューム 急行に抜かれて さよなら 再会 商店街 階段 ドア 電気のスイッチ
愛だらけの山手線に乗って 久しぶりに池袋きた
ティッシュ配りの女の子
大学に行ってきた、みんな楽しい、中国人を馬鹿にしてリクルートスーツを着る、マスゲーム、北、髪形、内定
三日雨が降って 今日みたいな日が晴れる 作ろうとして思い出を作る、思いは出れない、監禁、経験値貯め、どうせ忘れる
自分もだ、立場が違うだけで、どうせ自分もだ、どうせ忘れる
健康診断アンケートに人生が嫌になった、と書く
笑って書く、ふざけてる
どうだい?
新大久保には大久保から歩いて行く
上京している弟をぱらだいすのライブに連れて行く
やっぱり ぱらだいすの出番は一番目 街を走ることになる
三人よりも四人
地道にいろいろな人をライブハウスに連れていこう
こう思うのは 自分だけじゃないはずだ
共感ではなく共通のリズムで
どうしようもない日と同じくらい、いや少し少ないか ライブがある
理由 人の為
信じましょう、なんて、
同じ顔 電車 ヘッドフォンボリューム 急行に抜かれて さよなら 再会 商店街 階段 ドア 電気のスイッチ
愛だらけの山手線に乗って 久しぶりに池袋きた
2007年04月04日
2000年代

とかさ バウスシアター 帰りの総武線で思ったりする 本当に それは
よかった あぶなかった でもよかった
狂いきった 音像を背にして、上半身裸の男が立って、何かを見ている
今夜の 東京の 夜は 本当に冷える
そろそろ
いや
そんな使命感なんて糞ほども必要とされていないけど いや そんなこといったら
なにかしたいとおもう なにか とは また あやふやだけれど まだ雨の春
雷と一緒にやってきた手紙も
きっかけをくれる
映画館を出る
今夜 東京で 三日ぶりにお月さまが顔を出す
いま、高円寺についた 。
2007年04月02日
さむばでぃーずうぉっちんぐゆー
新聞配達者だけが駆け回る 静かなまだ暗い朝の街、ヘッドフォンでインタイム聴きながら、高円寺駅へ向かって歩く境遇。
ガスコンロがなくて 近くのミニストップまで行って、シーフードカップヌードルにお湯を入れて持ってきたのは、午前1時の話
カップヌードルを食べ終え、ニックドレイクのピンクムーンが鳴り止んだのが午前2時の話
レコードの針をストロベリーフィールズフォーエヴァーに落としたのはいつの話?
大団円なんてない今日がまた、始まって、胃はもたれて、ろくなもんじゃない、池袋に向かう、早くしなきゃ戻ってくるときにクソみたいなラッシュに巻き込まれる
ごめんね雨
戻ろうか 始めようか
ガスコンロがなくて 近くのミニストップまで行って、シーフードカップヌードルにお湯を入れて持ってきたのは、午前1時の話
カップヌードルを食べ終え、ニックドレイクのピンクムーンが鳴り止んだのが午前2時の話
レコードの針をストロベリーフィールズフォーエヴァーに落としたのはいつの話?
大団円なんてない今日がまた、始まって、胃はもたれて、ろくなもんじゃない、池袋に向かう、早くしなきゃ戻ってくるときにクソみたいなラッシュに巻き込まれる
ごめんね雨
戻ろうか 始めようか
2007年03月29日
三月二十九日
三月二十九日
昔の話を
走ったら長い髪は揺れるんだねー
繋がりを無視して ベビーカーを押しながら走っている女の人の揺れた髪を見て 電車に乗っている そのひとはさっき急いでいた 僕は各駅停車
この車窓風景にさようならを
ベランダに干されたブラジャーを信じてもいいのか?
このヘッドフォンも これからの季節 暑くなる 曲を問わず
おー久しぶり おー なに いまなにしてんの
どっどっどっぱん とくっとぅくたんぱん
当たり前の下を 電車に乗っている 当たり前と思って
入間基地の広大さで 鬼ごっこをやろう こんな晴れた日に 暑い 暑い 冷たいコカコーラを
静止画 静止画 これも静止画 それも
桜の思い出は 音楽 もやがかった遠くの山 フロム乗車席
山形県
間違い電話がきっかけだった 素早いボタン操作 がどうしようもない現実 、なに欝気な顔してるんだ 気付かれるようなため息吐いて なにに繋げようと、不思議なものでこれは本当に不思議なものでシゼント流れるように変わっていくものようで
猫に勝手に名前をつけてどうするつもり 懐かしいわほんと いつぶりだろ ははは
いつか後また会おう、よくわからなかったら「ラララ」でごまかそう
終点
走ったら長い髪は揺れるんだねー
繋がりを無視して ベビーカーを押しながら走っている女の人の揺れた髪を見て 電車に乗っている そのひとはさっき急いでいた 僕は各駅停車
この車窓風景にさようならを
ベランダに干されたブラジャーを信じてもいいのか?
このヘッドフォンも これからの季節 暑くなる 曲を問わず
おー久しぶり おー なに いまなにしてんの
どっどっどっぱん とくっとぅくたんぱん
当たり前の下を 電車に乗っている 当たり前と思って
入間基地の広大さで 鬼ごっこをやろう こんな晴れた日に 暑い 暑い 冷たいコカコーラを
静止画 静止画 これも静止画 それも
桜の思い出は 音楽 もやがかった遠くの山 フロム乗車席
山形県
間違い電話がきっかけだった 素早いボタン操作 がどうしようもない現実 、なに欝気な顔してるんだ 気付かれるようなため息吐いて なにに繋げようと、不思議なものでこれは本当に不思議なものでシゼント流れるように変わっていくものようで
猫に勝手に名前をつけてどうするつもり 懐かしいわほんと いつぶりだろ ははは
いつか後また会おう、よくわからなかったら「ラララ」でごまかそう
終点
三月二十九日
見慣れた顔ばかり、静かなはず、詳しくはわからないけどだいたい決まっている
テレビがないといいな
植木等が亡くなったらしい なんか天気がいいな よくてよかったな
晴れだった昨日 今日もだけど
美人所長ともっと仲良くなりたかったな
とても仕事とは思えない雰囲気
楽しく汚れた場所をキレイにしてワックス塗って輝かせて なんにも知らない人からまた踏まれて またキレイにしてワックス塗って輝かせて 踏まれて そろそろ本当にセクハラの度合いがシャレにならなくなって来ていて それでも拒否しない自分はエムか、ただ楽しいんであればいいじゃないかと、いつかこんな普通の日が遠く思い出なんてになってほしくはない なら 一生掃除屋でもしてるから 足が止まる
昼休み 外で弁当を食った 陽射しは夏だった 桜が舞ってた 嘘だろ ホントかと思った 植木等が亡くなったらしい
妄想 、薄消し
晴れ
工事現場がうるさいな、久しぶりの休みでも、そんなこと知らないで携帯アラームは鳴って、鳴る前に起きている自分はそれをすぐに止める 沢山の窓から差し込む太陽 晴れ 窓の色は青 つけっぱなしの電気を消す はっぴいえんどミュージック、最近の自分にはうんざりしてたんだ!、当たり前をどうにか繋ぎ止めろ、くだらないジーコ主張、どんな存在?返事を返す、嘘だらけ花を贈る
笑った、
ではその一つの笑いへとつながる因果を100年前までさかのぼりなさい
汗かき 赤いカーディガンは この太陽で燃え出しそうだ 黒いショルダーバッグ 都立家政商店街 西武線下り電車
繰り返した小旅行 また終わる
テレビがないといいな
植木等が亡くなったらしい なんか天気がいいな よくてよかったな
晴れだった昨日 今日もだけど
美人所長ともっと仲良くなりたかったな
とても仕事とは思えない雰囲気
楽しく汚れた場所をキレイにしてワックス塗って輝かせて なんにも知らない人からまた踏まれて またキレイにしてワックス塗って輝かせて 踏まれて そろそろ本当にセクハラの度合いがシャレにならなくなって来ていて それでも拒否しない自分はエムか、ただ楽しいんであればいいじゃないかと、いつかこんな普通の日が遠く思い出なんてになってほしくはない なら 一生掃除屋でもしてるから 足が止まる
昼休み 外で弁当を食った 陽射しは夏だった 桜が舞ってた 嘘だろ ホントかと思った 植木等が亡くなったらしい
妄想 、薄消し
晴れ
工事現場がうるさいな、久しぶりの休みでも、そんなこと知らないで携帯アラームは鳴って、鳴る前に起きている自分はそれをすぐに止める 沢山の窓から差し込む太陽 晴れ 窓の色は青 つけっぱなしの電気を消す はっぴいえんどミュージック、最近の自分にはうんざりしてたんだ!、当たり前をどうにか繋ぎ止めろ、くだらないジーコ主張、どんな存在?返事を返す、嘘だらけ花を贈る
笑った、
ではその一つの笑いへとつながる因果を100年前までさかのぼりなさい
汗かき 赤いカーディガンは この太陽で燃え出しそうだ 黒いショルダーバッグ 都立家政商店街 西武線下り電車
繰り返した小旅行 また終わる
2007年03月28日
三月二十八日
急いだって たいていいつも そこには誰もいない
まだパンを食べる気はしないからヘッドフォンを続ける 電池が切れた センバツがやってるなんて知らなかった 開花宣言がされたなんて知らなかった 知らなかったんだー
プリアンプ、ガスコンロ、物干し竿、棚等
駅前のガードレール
まだパンを食べる気はしないからヘッドフォンを続ける 電池が切れた センバツがやってるなんて知らなかった 開花宣言がされたなんて知らなかった 知らなかったんだー
プリアンプ、ガスコンロ、物干し竿、棚等
駅前のガードレール