2008年02月15日

2月15日

簡単に書いてみよう。久しぶり。
書いてみようと思った。まさかなにも書けないなんてな。まさかね。まさか。

今は、部屋でヨーキングのラジオを聴いている。さっきまで山口隆のオーマイレディオが流れてた。今日はそれを聴いて、スパイダースがかっこいいということを知った。しかし、それ以外の喋りは驚くぐらいにつまらない。一度聴いてみるといい、つまらなすぎて愛おしくなってくる。それに反してヨーキングは、いっつもへらへらしてて全てに対して共通するそのある程度の適当感が好きだ。自分があこがれるタイプの男像。別にこんなことは、どうでもいいか。さっき、寝起き眼でなんの理由もなく彼女に電話したのだけれども、しないほうがよかったのか。意味もなく一寸だけの電話ってのは、言葉の響きだけで、日常におかれた場合それはわずらわしいのか。想像の産物、夜の空を幾億ものの電波が飛び交っていて、それぞれを送信受信した相互がつながるっていう擬似状態。距離を埋める言葉はなに?ってか。毎日、おやすみといいたい。

なんで今ここに書いてみたりしているのか、そんな理由ないけど。適当だ。適当な言葉で濁さないで、まず書くべきことを書こう。

今や全て昔。流行のブログの一端である、この場所で起きたすべての事を今も愛しく思います。こう明言することはとても恥ずかしく、そして今必要なのかわかりませんが。わからないのなら、この明言からはじめようと思います。はじめよう?なにを。
それでも、昨年からの変化の過程のうち、自分はあまりにも多くのことをうやむやにしすぎたのではないかと思っています。勝手に今思っているのです。

今、目の前に一枚の手紙があり。その差出人は遠く離れた人で、遠く離れているから、手紙という手段を使って、手紙という形式でこそ伝えることができる事柄をこの自分に伝えるべく、この手紙はポストに投函され今目の前にある。僕はそれを読んで、多くのことを感じて、それは喜びであったり、驚きであったり、感激であったり、まとめて言えばなにかしらを波立てるなにかを受け取る。それを、そのまま胸にしまったまま眠ってしまった、そのことについて。

読んで欲しい文章としてではなく、思考としての文章を、どこでもないこの場所において、この先のなんかを期待しよう。


今時点、この文章をまとめるおおまかな話の筋も思いつかない。

今も手紙は大事にとってある。文面は記憶に焼き付けられ、自分はたしかにあの手紙を受け取った。受け取って、春が来て、雨が降り、夏が来て、それも過ぎ行き、秋の静けさ、冬の部屋、季節と共になにかしらの状況も変わって関係性も変わった。でも、それでもまだあの手紙の返事は書かれないままなのである。脳は腐れ、記憶もいずれなくす。三日前の午後三時の瞬間のことを全く思い出せない。そうやって消えていく。あのおっぱいの感触やら、涙の乗車券のジョンレノンのうぅ〜っていうあの切ない声や何かしらをどんどん忘れていく。忘れていくっていうことじたいに気づけていればまだいいが、そういうのはだいたい僕が寝ている間や、ぼーっとすごしたり、笑ったりしている間に進んでいく。忘れていく。

だからって別にこの忘れるということにそこまで言及したいわけでもない、人間がものを忘れるっていうことはもう知っているし、それは時として素晴しいことでもあったりするのだから。だから、別にそのことに対して青いまなざしでどうにもならん虚しさを吐くわけじゃない。
いずれ忘れる記憶であるのであれば、その忘れる寸前までに何ができるかってことなのではないのかってことだ。
今はまだ手紙を受け取ったことを覚えている自分、それに返事を書くことができていないとういうことに書かなければいけないという気持ちと、書くことができない不甲斐ない気持ち両方を持っている自分。


で、話をへし折ってまずはっきりと思うことは。誰かも知らない世界的にどうでもいい大学生の一人が、こんなスペース使って、必死なのか笑い狙ってんのか、誰でもない自分自身についてうーたらあーたらやって非常にうざいなあということ。うるさいよもう、勝手にしろよもう、うわあもう気持ち悪いなあネチョネチョ。

っていう、すんごい前から頭の中にある考えをここにいったんおいてから、今度は逆にその他の変に実用的に機能しようとするどこの暗黙で得た了解かを淡々と上のようなきもちわりい感情論全部排除した上でなんかまた勝手にやってるようなやつらにも反吐が出るということ。いや、別に反吐はでないは、反吐ってなに。ちがうなぁと思うだけ。別にもとからかっこいいわるいの選別もあやふやな自分だから、このような文章をここにおいてしまうことにもさほど抵抗感はない。

そしてそれら全てをまとめた上で自分に言いたいこと、
働けよ。


別に働かなくてもいいか。明言は避けたいね、できることならそうやって生きていたいけれども、この先を続けていこうとするなら、時々やってくるよはっきりとさせなきゃいけないときが。そのときにはやっぱり、ちょっと苦しみながらも、なにかしらいったん決め付けなければけなかったりもするのか。まぁ知らないよ。うわぁもうこんな文章、なにアップしちゃうの、自分でもなにかわかってないものアップしちゃうの。あっぱれ言論の自由。もともと不自由もあったことか。

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