沼津。。。。。

3月4日。

朝9時5分発、普通列車小田原行に乗り東京方面へ。

滞在時間にして16時間かそこいらの慌ただしい里帰りではあったけれど帰ってきてよかったと思う。

閑散とした自動改札の傍らのあの仏頂面の券売機をこれでもかっていうくらい連打して、今度はちゃんと藤沢までの切符を買う。

朝の気怠さと、おっさんをたらふく積載した東海道線がのんびりしたリズムでホームに滑り込んでくる。

気まずさと気まずさが膝を突き合わせるボックス席での邂逅を尻目に、僕はいつものようにドアのすぐ傍らの手すりと座席の隙間に入り込む。

今にも戸袋に引き込まれんばかりの前傾姿勢でもってドアに寄りかかりながら、変わってしまった町の寂しさと、何をやっても変われない町の悲しさを同時に奥歯で噛みしめる。


そういえば、よくおばあちゃんに連れて行ってもらったあのくたびれた映画館はまだあるんだろうか。

いつもいつも靴底を通して伝わるあの炭酸ジュースをこぼした後みたいなベタついた床の感触がたまらなく不愉快で嫌だったな。

チケット売り場の窓口のおばさんはいつも決まって不機嫌で、たまに理由もなく怒られたりしたから、それだけで一日を台無しにしたような気分になった。


通りを隔てて向こうにはもうひとつ別の映画館があって、これがほんとうに外観からして立派な映画館で、
毎年夏になると見るからに育ちの良さそうな家の子供が親子連れでドラえもん映画なんか観に行くもんだから、
なんだかおばあちゃんに手を引かれて頭の悪そうな子供の行列に並んでいる自分が途端に情けなくなって、あんなに楽しみにしていたはずの映画の内容なんてすっかり忘れてしまった。

それで、帰りのバスの中でおばあちゃんと些細な喧嘩をした。

それはほんとうに些細なものだったから、多分おばあちゃんは次の日には忘れていただろうけど、それからおばあちゃんと一緒に映画に行くことはなかった。

もともと母親と行くはずだったその映画の、
たまたま母親の仕事の都合で急遽行けなくなっただけのその映画の帰りのバスの中。
きっとおばあちゃんが一番悲しむその言葉を言うこともできずに、
ただ黙るしかできない自分が悔しかった。



電車は三軒茶屋に着いた。

働かなくてはな。



おわり。

沼津。。。。


3月3日。夜。

家族で食卓を囲む。

こういう時はたいてい寿司だ。

だから、僕みたいにたまに外から帰ってくる奴からしてみたら、こいつら毎日寿司ばっかり食ってやがるんじゃないかと思う。


今でもやっぱり食べられないけれど、小さい頃はあの舎利の上にふてぶてしくのさばる緑色のアレがほんとうに嫌で、だからいつもあの甘いたれが塗りたくってある穴子とかいう得体の知れないものばかり食べていた。

それで、いつのまにかあの家の食卓では僕は穴子しか食べない偏食家の末子という笑えるくらい安っぽいキャラ設定をされてしまっていた。

中学に上がる頃には、寧ろその設定を守るためだけに律儀に穴子ばかり食べるようになっていた。

それは大人になっても変わらなかった。

だから最近でも実家に帰る度にやたらと穴子の比率の高いお寿司が用意されていることが多いのだけれど、この日はそれがなかった。

それどころか両親共々そんな設定があったことすら忘れていた。

4年前にもあの茶番を、このお茶の間で繰り広げていたというのに。

幼少の頃から自分の喉元をぐりぐりぐりぐり締め付けて止まなかった優しい嘘からようやく解放されて胸を撫で下ろす一方で、ゆっくりゆっくり温めてきた家族という名前の共同幻想が崩れてしまったみたいで悔しかった。


そんなことよりも、わさびってのはいったいなんなんだろうか。

いったいなんのためにわざわざあんなものをご飯にのっけるのかわかんないな。

伊豆半島に地盤を持つなんらかの圧力団体が裏で暗躍しているとしか思えない。

でなけりゃ僕の舌が馬鹿なんだろうか。


ほんとうは日帰りするつもりでいたけれど、なんとかかんとかやりくりして明日の仕事は昼にずらせたので姉の用意してくれた暖かい部屋で眠る。

高校生の頃みたいになんだか無性に深夜のテレビが見たくなって、しばらく阿呆みたいに大量のスイッチが付いたリモコンを弄ってみたのだけれど、結局点け方がわからなくて情けなくなって寝た。

何年かぶりに目覚ましのアラームをセットしないで寝た。

寝た。






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沼津。。。

3月3日。夕方。

さかともえりの「どっちでもIN」を口ずさみながら来た道を戻る。

そのままの足で、近くに住んでいる4つ歳上の姉の家を訪ねる。

もうじき八つか九つになる甥っ子が駅でずっと僕が来るのを待っていたらしいのだけれど、馬鹿みたいに寄り道ばかりしていた僕とは見事に行き違ってしまって、結局、約束の時間から一時間くらい遅れて家に着く。

それで、しばらくのあいだなんとも不条理なルールのしりとりに付き合ったり、ちょうど静岡朝日テレビで放送されていた「ドラえもん新・のび太の日本誕生」を見たくもないのに一緒に見たりした。

それからWiiとかいうゲーム機で、あの、いろんなゲームの主人公が一堂に会してひたすら殴り合う世知辛いゲームをやったりもした。

サテラビューの出たくらいの頃には任天堂と訣別していた僕ではあったけれど、さすがにWiiのインターフェイスが画期的であるとやたらと喧伝されていたことくらいは知っていたわけで、
それで得意げになってあの細長いコントローラーをしばらく縦に握りしめていたけれど、聞くところによるとやっぱりあれは横に持つものだったらしい。

つまりはファミコンとおんなじだ。

使い古されたお馴染みのスタイルでコントローラーを握りしめると、なんとも言えない安心感が身体中から滲み出してきたのと同時に、結局そこに戻ってくる悲しさみたいなものが扁桃腺の奥の方に引っかかってどうにも拭いきれなかった。


それで、結局、八つか九つになる甥っ子に鼻で笑われるくらい見事に惨敗してしまったけれど、いったいなにがいけなかったんだろうか。

頑なにロックマンしか使わなかったのがいけなかったんだろうか。

小学生の頃に、イギリス帰りのクラスメイトの家にみんなで遊びに行って「ロックマン2 Dr.ワイリーの謎」をかわりばんこでプレイしていたときの、いつまで待っても結局まわってこなかった自分の順番を取り返すくらいの意気込みで頑なにロックマンしか使わなかったのがいけなかったんだろうか。


そういえば、甥っ子と戯れるのに夢中になって忘れていたけれど、母、トシ子さんはわりと元気だった。

手首の骨の他に、半月板と前十字靱帯、後十字靱帯を痛めていたけれど、わりと元気だった。

選手生命が心配になるくらいの大怪我だったけれど元気だった。

ここ4年くらい親には顔も見せていなかったし、連絡もとってなかった。
届いたメールはだいたいトシ子さんの日本語がおかしくて解読に時間がかかっていたから、そうこうしているうちに忘れてほったらかしにしていた。

ほんとうに阿呆だと思う。

今の僕は、あの公園のニホンザルとおなじくらい阿呆な顔しているんじゃないかと思う。

隣で一等阿呆な顔して全裸で踊る甥っ子をやや冷ややかに見つめながら、いろいろと思う。




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