タイペイ。

 
10月24日。水曜日。

阿呆みたいな仕事。

昼からは最近僕の部屋に敷布団、掛布団をはじめ寝具を一式持ち込みはじめた人間としての良識を疑わざるをえない細谷くんと散歩も兼ねて世田谷代田にあるグラスホッパーギターまで。

わざわざ多忙な僕のスケジュールを抑えた上で楽器屋に誘ってきたということなのだから、これは間違いなくサプライズでギターを買い与えたときの僕の喜ぶ顔が見てみたいという細谷くんなりの憎い演出だと踏んで、わざとらしくなく驚いてみせる所作を頭の中で何度も何度も反芻していたのだけれど、結局のところただの細谷くんの買い物に付き合わされただけだったから行って損したと思う。

そのうえ世田谷代田までの道案内までさせられて、ほんのすこし道を間違えただけなのに何度も何度も意地悪くなじられて、行って損したと思う。


夕方は下北沢の地下一階にある某喫茶店でおしゃべり。

大豆をそのまま吸い込んでいるかのような錯覚に陥るほどのえげつない無調整感を醸し出す豆乳ラテをちびちび啜りながら、細谷くんの話はそっくりそのまま綺麗に聞き流して、僕はいつまでも来ないモンブランをひたすらに待っている。

お連れ様のアイスコーヒーとセットにすることで50円お得になりますが。という気の利いたサジェスチョンを二つ返事で呑んだにもかかわらず、それ以降一向に運ばれてくる様子のないモンブランを僕はひたすらに待っている。

30分ほどひたすらにイソフラボンを摂取した後になって、見兼ねた細谷くんが店員さんに話してくれてようやく念願のモンブランにありついたのだけれど、ひとりだったらたぶん何も言わずにお金だけ払って帰っていたと思うから細谷くんと一緒でほんとうによかったと思う。

だけど、そもそもひとりだったらこんなお洒落なカッフェになんて来てなかったと思うから、やっぱり行って損したと思う。


カッフェを出てからは細谷くんの所用に付き合うかたちで古書ビビビへ。

しばらくひとりで本棚を眺めて過ごすけど、何処からともなく細谷くんが僕の一番好きな南Q太の古い漫画を探してきてくれて、そういう優しさには到底足らないような些細な気遣いみたいなものがほんとうに有り難くて、ついついツンデレになってしまった。

持ってる。って言わなければ買ってくれたんだろうか。

言って損したと思う。

  
三軒茶屋まで歩いて帰る。 
 
 

 



噛む。

 
10月11日。木曜日。

阿呆みたいな仕事。

夜からは祖師谷の阿部くんと待ち合わせてご飯。


三軒茶屋の中心地、キャロットタワーの根っこのあたりからひょろひょろと伸びた世田谷線に乗っかって山下まで。

節足動物と乗り換えが激しく苦手な僕は、そこからは小田急線の線路沿いをぼっつらぼっつら歩いて祖師谷大蔵まで。

足早に家に急ぐ人のどうでもいい行列に並んだりしながら、かつて歩き慣れていたはずの世田谷の路地裏を頼りない足取りで歩く。


約束の時間から十分ほど遅れて待ち合わせ場所の駅前広場に着くと、こちらが目視するよりも一寸早く、どこかで見覚えのある身の丈170cm強の人影が気怠そうなモーションでこちらに近づいてくるのが視界の隅に引っかかる。

そう、それこれが阿部、その人である。

実に何年かぶりの気恥ずかしさにやや伏し目がちにもなりながら、どっぷりと暮れた祖師谷の街をただただ従順に阿部の後ろをついて行く。




思い返せば阿部くんとはじめて会ったのはもう10年以上も前のことである。

鼻息もたちまち白く濁る一月の下北沢で、当時まったく面識のなかったはずの阿部くんから唐突に中華まんをひとつ買い与えられたことを今でもはっきりと覚えている。

生憎、知らない人から貰った物をむやみに口にしてはいけないと樺太帰りのおばあちゃんから常々諭されていた僕は、お決まりの愛想笑いを一定時間へらへらと浮かべてから、「ぬくもり」と呼ぶにはややアグレッシブな温度のそれをそのままお尻のポケットにねじ込んでやり過ごした夜のことを今でもはっきり覚えている。


なんの因果か、あれから阿部くんとは一緒にバンドを組んだりもしたし、週1ないし週2のペースで松陰神社にお参りに行ったりもしたのだけれど、なぜだか未だにあのときの中華まんの真意を聞けないでいる。

そんなに腹ペコに見えたんだろうか。

だとしたら不本意である。


ありがちな世間話をなんとかやりくりしながら、さほど馴染んでもいない阿部くん馴染みの店で遅い夕食。

出てくる魚料理が軒並み美味しくて、さすが阿部だと思う。


何年かぶりの阿部くんは、ここのところずっと仕事で忙しくしているという。

休日もないようなものだし、サービス残業は当たり前だと言う。

それでも今の仕事が天職だと言う。

人より何倍も遠回りして、いい歳してまだ半人前の癖に、それでも自分は今の仕事に向いていると恥ずかしげもなく言う。

どこからその自信が湧いてくるのか凡庸な僕には皆目見当もつかなかったけれど、なかなか言えないことだと思うからさすが阿部だと思う。


愛憎蠢く新宿歌舞伎町(のうどん屋)で、まるでナイフみたいに尖っては触るものみな傷つけていたギザギザハートの阿部の面影はすっかりぼやけて消えて、今僕の目の前に居るのはだらしなく頰を赤らめた何処かの学校の阿呆教師である。




深夜0時をまわったばかりの商店街をほろよいの阿部くんと歩く。

駅前で一応のさよならをすませて、いつものように阿部くんを家まで送り、それから阿部くんに駅まで送ってもらうという付き合いはじめの高校生カップルみたいな壮大な人生の無駄遣いをした後で、ようやく環状八号線のあたりで次の約束もしないまま別れる。

10年前からずっとおなじようなことを繰り返している。

こういうとき阿部くんは絶対に振り返らない。

そんなとき僕はその後ろ姿がいつもたまらなく頼もしいと思う。

 
 


 
 
 

ほっとレモンを買っといて。

 
9月18日。火曜日。

阿呆みたいな仕事。

夕方からは、最近僕の部屋の床面積の四割くらいを不法に占有している細谷くんと吉祥寺まで。

京王井の頭線急行吉祥寺行の車両を軽やかに飛び降りて、不安になるくらい客入りの悪いいつものラーメン屋で遅い昼食。

いつもよりやや張り詰めた空気の中、いつもより歯ごたえのないもっちり細麺を黙々と奥歯で磨り潰す作業に没頭する。

でも思う。

一番大事なのは何を食べるかではなくて、誰と食べるかである。

テーブルの向こう側に座る誰かの笑った顔や、なんでもない相槌が最高の調味料なのである。

そういう意味ではこの日の食事は不合格である。



サンロード商店街を足早に通り過ぎ、どんよりと濁った井の頭公園の水面に思い出話を二、三個浮かべながらひたすらに歩く。

それにも飽きて、せっかく吉祥寺まで来たのだから先日買うことのできなかった細谷くんのギターケースを探しに行こうという無言の同調圧力に屈するかたちで駅前の山野楽器まで行く。

たくさんの人の手で紡がれ、たくさんの人の手を渡ってようやく店頭に並んだいくつものギターケースそのひとつひとつにいちいち難癖をつけて回る心根の腐りきった細谷くんと店内を徘徊。

それにしても、もうかれこれ十数軒の楽器屋を回ってようやく耐久性と携行性を兼ね備えた高スペックのアイテムを見つけたというのに、細谷くんときたら今度はフォルムがどうだとかデザインがどうだとか言いやがる。

僕はもうその頃には細谷くんのギターケースのことなんてどうでもよくなっていたので、「全然気にならないよ。全然気にならない」と心にもない嘘をついて、ついてからすぐに後悔をした。

誰かが道を踏み外したとき悪いことは悪いと言えるのがほんとうの友達だと思うし、ダサいものはダサいと言えるのがほんとうの友達だと思う。

僕の心の弱さが僕を間違わせた。

そういうことだと思う。




結論から言えば、この日、細谷くんはギターケースを買わなかった。

直視するのも憚られるようなあの「MAX」とかいうロゴマークを本体にあしらったクソみたいなギターケースを細谷くんは買わなかった。

口数も少なくなった帰りの京王井の頭線で、女子中学生の鋭利な三つ編みの先端が傍で眠っていた中年男性の鼻孔もしくは鼻腔に吸い込まれるという双方にとって不幸な事件の一部始終を目撃してしまった僕は、それでもどこかで安堵していた。

煩わしくなってなんとなくついたお為ごかしの嘘はいつまでも舌の上でうずくまっていたけれど、それでももし僕のあんな安っぽい言葉に流されて彼が自分を曲げていたのなら僕は彼を軽蔑していただろう。

今までだって彼は自分の目で見たものや感じたことだけを信じてやってきたのだし、これから先もそうであってほしいと思ったかったからだ。

それにあんなダサいギターケースを担いでいる人と一緒に歩きたくはなかったし、ましてや一緒に電車になんて乗りたくなかったからだ。

街で見かけても他人のふりをしていただろう。

だから僕は彼の決心がほんとうに嬉しかった。

たとえ世界中の人が「MAX」の味方をしたとしても、僕だけは彼の味方だと思った。

でなきゃ吉祥寺で現地解散だと思った。



途中下車した下北沢でぽつぽつ降り出した雨にぼんやり湿りながら、満席で座れなかった居酒屋を諦めてからは背中を丸めて三軒茶屋まで帰る。

それでいつもの居酒屋のいつもの奥の席に落ち着く。

なんだか昨日もここでこうしてこの人とお酒を飲んでいたような唐突な既視感に襲われたりもしたのだけれど、よく考えたら昨日もここでこうしてこの人とお酒を飲んでいた。

悲しい。
 
 
9月19日。水曜日。
阿呆みたいな仕事。

9月20日。木曜日。
阿呆みたいな仕事。

9月21日。金曜日。
阿呆みたいな仕事。

9月22日。土曜日。
阿呆みたいな仕事。
細谷くん「MAX」を買う。
 
  
 

  
 








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