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第43回 「日 展」   

第43回 「日 展」 


 芸術の秋の一番メジャーな催しは日展だろう。

 正式には日本美術展覧会だがそんな呼び方をしても誰にも通じないくらい、「日展」という名称は我が国最大の秋の総合芸術展として芸術家のあこがれの登竜門であり殿堂として誇り高くそびえている。


々饋慧堊1900年ころより始まった官展の流れをくみながら、1946年日本美術展覧会となった「日展」は、「日本画」「西洋画」「彫刻」の三部門でスタートした。
以後「工芸」についで1948年に「書」と、20年の間隔を置いて二つの科が加わり、五科の総合芸術展となった。


 東京のあと全国七会場を巡回し、芸術に関わる人も関わらない人も50万人が会場に足を運ぶ。

 現在改装中の上野都美術館で百年近く開催され続けていたが、百年を迎える2007年の節目に展覧会場は国立新美術館に移った。
 そして2011年度第43回日展は、国立新美術館で五回目の開催を迎えた。

作品解説があるということなので万障を繰り合わせて会場に出かけ、以下は先生の解説なども織り交ぜながらの鑑賞日記です。


第十一室は日展の「書」部門を支えている現代重鎮作家の部屋。

 杉岡先生98歳、古谷蒼韻先生90歳、他にも90歳近い先生方や80歳代の大先輩の作品がオーラを放ちながら並んでいる。さすがに大先輩の緒作品は壁に2段掛けされていない。

 杉岡華邨 98歳 「妹 おもふ」
⊃岡華邨「小竹の葉はみ山のさやにさやげども…」
98歳は存在そのものが偉大な芸術ということで、この作品に関して論ずる必要はないのかもしれない。
潤渇、太細はなく、二集団の分かれと最後の二行の傾きが散し書のなごりを残している。



 自らの歩行も、食事も睡眠も厳しい日々であることだろう。まして筆を持ってよくぞここまでと思うと、解説していただいた先生の言われた言葉もうなずけてくる。

 「60代から70代はミケランジェロ風の構築的構造的な作品、そして今はジャコメッティーの針金状の感じを受ける。夏の読売展の時からまた違って、ここまで進化されるとは私も予想をしなかった。2・3年後には1本の線になっているかもしれない」。

 ご自分の師を、言葉の限りに礼を尽くし讃え守り抜くこの先生のお人柄の方に感動してしまう。

 杉岡華邨先生、98歳。はなやかでエネルギッシュに走り続けたかっての時代ははるかに遠く、目の前にあるのは無垢な童子のぼんやりとした無欲な心象風景、それだけだった。


<参 考>
 56歳 「大和三山        69歳 「玉藻」 

大和三山56歳玉藻69歳










 「一人の作家を見るとき、そこに至るまでのさまざまな作品があるので、目の前の一つだけを観て『きれい』『きたない』『上手』『ヘタ』を論じるのではなく、そこに至る経緯の全てを含めて観ることが大事である」と解説を付け加えられた。

 家に帰り文化勲章受章者杉岡華邨先生のかっての作品図録を取り出す。一番華やかなりしころの作品はため息が出るほどの美しさであった。



古谷蒼韻 90歳          新井光風 謙慎書道会会長 「和之至」 
古谷蒼韻90歳新井光風








新井先生が書作している姿を誰も見たことがないということはつとに有名だ。師の書きぶりから弟子は筆法を学び掴んでいくのだがそれができない弟子たちの努力は大変で、
「だからみんなよく勉強していますよ」
とは会場におられた田中節山先生のお話。

 
新井先生も西川寧先生にそういう指導しかされなかったので、御自分で見つけ出すまで睡眠時間をけずっての戦いだったと何かで読んだことがある。


日比野光風 「春秋」       日比野実 「雪」
日比野光風日比野実







 京都のかなの家の名門日比野家の二代目、といっても別に世襲ではないのだがやはり能筆家の血が脈々と受け継がれていく。

 今は、光風先生の息子さんで五鳳先生にとってはお孫さんにあたる日比野実さんが活躍されている。
 また、何といってもやはりお孫さんの土橋靖子さんの活躍と人気はずば抜けていてかな書道会の旗手といえるのではないだろうか。



土橋靖子                部分拡大土橋靖子の土橋靖子の










 「澄み切って無理がない、これは都会育ちの余裕」という解説でした。
 会場では二段掛けの下段に展示され、しゃがんでの拝見となったことがもったいないと思った。

 土橋先生の個性はこぼれるほどの抒情や優雅さだが、現代書道二十人展に加わられたころからそこにさらに強さが加わり、表現の幅の広がりを一段と感じずにはいられない。

 部分拡大の写真を改めて見ると、厳しい線が高く響きあいながら下に落ちていくことに気付く。土橋先生こそ誰よりも進化を遂げながら頂上に向かっていると思うのだが、日々どれほどの鍛錬の蓄積があってのことだろうと妥協のない強い線条に驚く。



<参 考>
日比野五鳳 ひよこ 
IMG_NEW五鳳先生から100年以上、京都のかなの家は「みずほ会」として全国に派生し、平安王朝の雅の書の伝統を守りながら現代の書に活かしきってその勢いは誰もが認めるところだと思う。
                    
「ひよこ」を図録で眺めながら、買い上げた東博に展示の予定を尋ねたことがあるが、「今のところその予定はない」とのことだった。





池田圭鳳 「あらし」            部分拡大 
池田圭鳳の11池田の




                   
 池田先生は五鳳先生の愛弟子だった。現在光風先生、土橋先生とともにみずほ会を率いておられるが、また独自の書美の世界を展開されている。

 この作品の前を素通りする人はいないと思うほど、美しさと品のよさにおいては群をぬいていた。


高木厚人 源氏物語より         拡大部分
高木厚人の高木の2











 このところ全ての作品の素材は源氏物語からとられているのではないだろうか。

 4月にぶらりと入った京都の漫画専門店で見つけた大和和紀さんの「あさきゆめみし」は、高木先生の心の中に源氏旋風を巻き起こした・・・というお話を、教室で何度も楽しく話された。

 ご自分の心情と好い素材とがぴったりと合った時、作品の出来はこんなに引き上げられるのかと思うほどこの度の日展出品作は見事だと思った。

 例年の日展鑑賞会では「僕のは見ないで下さい・・」といいながら笑い飛ばされるのだが、今年は墨継ぎの箇所の苦心や、「直球で行こうと思ったが、渇筆部で力んで泥臭くなってしまった」などと振り返られる余裕からも相当の自信作のように感じた。


井茂 圭洞 一東書道会会長 「国のまほろば」
井茂圭とう井茂の2












 井茂先生が書面の作り方を和泉式部集という古筆を参考にされていることは何かにつけてよく聞いてきた。

 墨をつけて小さく入り、二・三文字書き進めぐっとボリュームを出す。かすれが出始め、そのまま最後のガサガサのかすれのまま我慢してやっと墨をつけるという、和泉式部集の墨継ぎの演出の仕方をヒントに紙面づくりを研究してこられたという。

 墨茎のあと麗しくというような縦の流れは見えないが、白と黒のきれいなグラデーションと際立つ余白の美しさにいつも目を見張らせられる。

 独特の文字の形と紙面づくりはお弟子さん方も踏襲されていて、会場には似た作品が何枚かあった。



黒田賢一  正筆会会長 「涼風」
黒田賢一これからの日展の仮名を背負う先生と前置きされて、響きが高く余白が白く見えるところが素晴らしいと解説された。
会派によって仮名書も千差万別で、このように切り込みながら右へ左へと動き回るのはなんと忙しいことだろう。


 漢字作品に見えなくもないほど情緒的とか雅というイメージのかな書とは違い、平安かな書きが現代書に進化をして行った時の姿の一つなのだろう。



第十五室は特選の部屋

上林三玲 特選 「古都の歌」 折帖
上林美怜折帖





 出品数一万強、内入選数一割弱、内閣総理大臣賞一点、日展会員賞一点、特選十点。

 上林三玲さんの「古都のうた」は、現代にあって平安に誘われるようなしばし時間を忘れるほどの作品だった。
 その線の見事さ、一枚一枚の構成の工夫と、観れば観るほどに「今日の一点」はこれしかないと思ったものだ。

 折帖なので観ることができるのはガラス戸の中に広がっている5枚だが、できることなら手を伸ばしてページをめくってみたいと心底思う。

上林美怜上林美怜上林









上林上林








 そして作者に聞いてみたい。
「このお作品はおいくらで譲っていただけますか?」

 上林三玲さんの作品を見た後は、後一回りした会場だがどの作品も虚ろで目に入らなくなってしまった。




 昔々、二十代の頃日展・院展など足しげく通った。

 日展は「洋画」「日本画」がお目当てで、「書」に寄ることはなかった。「書」を始めてからは「書」以外に行くことはなくなったが、今年は「洋画部門 百一歳で初入選」と言う記事にひかれて洋画会場へ。

川合正成 百一歳 初入選        大岩雄典 十八歳 初入選
「 茶房 」              「 エドワード・ホッパーを夢見て 」
 洋画初入選101歳川合正威「茶房」洋画初入選18歳大岩雄典「エドワード・ホッパーを夢見て











 同じ部屋に隣同士に並んで架けられていた。
茶房でくつろぐ老画家、その玄孫程の若者は窓から見える地平線の向こうの、あこがれの異国の画家を思う。

初入選のお二人は、これまでの最高齢と最年少ということだ。


金山桂子 文部科学大臣賞          小関修一 日展会員賞
「 2011年・光に向かって 」        「 佳き日 」

文部科学大臣賞光に向かって金山圭子日展会員賞「佳き日」小関修一














 大震災をテーマにした作品も・・・・。

伊勢崎勝人「それでも大地は蘇る」   西川誠一「溜まり」 

伊勢崎勝人それでも大地は蘇る西川誠一「溜まり」













 東日本大震災のただ中に、打ちのめされながら絵筆を動かして完成されたのだろう。
 あれからもうすぐ10ヶ月になる。「忘れてはいない」「忘れてはいけない」、画家のメッセージが聞こえる。


 洋画部門を見ながら「こんなだったかなー」と昔見た日展の記憶を探った。

 もっとモチーフが多岐にわたっていて、額におさまりきらないやんちゃな作品をたくさん観たように思うのだが、それは自分が若くて描き手と等身大だったからだろうか。

 上手く言い表すことができないがこじんまりとした極めて無難な、そしてこれは流行りか傾向か写実的な作品が多すぎるような気がした。


 会場でばったりと出会った書友に出品の有無を尋ねると、日展には出していない会派ということだった。

 日展とは無関係な立場で日々精進を積み重ねている芸術家も大勢いるということを思った。


 







コメント
1. Posted by ユズリハ   2013年11月01日 10:14
初めてコメントいたします。
ブログ、拝見しました。
日展を見に行かれたのですね?

でも、作品を写真で掲載されるのはいかがなものでしょう・・・
というのは、作品を書いた(作った)作家の許可無く、個人のブログに勝手に載せてはいけないのです。
というのは、作品を書くことによって、作家は生活の糧を得ているからです。
会場の入り口に「写真撮影禁止」と書いてありませんでしたか?
写真を撮った作品の作家に、ブログに載せて良いかと許可をもらいましたか?
最悪の場合、名誉毀損で訴えられることもあるかもしれません。
私も以前、ブログをしていたときに「著名な作家の本を購入しました」と写真付きで載せたところ、「この作家の許可をもらって載せているのか?」というような内容のコメントをもらいました・・・
日本中の書店で売られている本でさえ、そんなことをいわれるのですから、著作権のあり方を考えさせられました。(私はすぐにその内容のブログは消しました)
私はそれから会場の建物か入り口だけを写真にしております。
ですから、著作権のことも考えられて配信されることをお勧めします。
2. Posted by 面影   2013年11月01日 23:06
ユズリハさん、丁寧なコメントありがとうございました。
「日展」には今年はまだなのですが、そろそろ出かけたいなと思っておりました。
「撮影」は受付で許可の腕章テープを頂いて撮らせていただきましたが、著作権に関してはそんなに厳しいのですね。
教えていただき感謝申し上げます。
3. Posted by ユズリハ   2013年11月02日 10:32
追伸です。
前回はいきなり長文のコメントを書いてしまい、申し訳ありません。
「撮影の許可」をいただいてからの写真撮影されてのことでしたが、写真撮影許可をいただいたときに、「自信のブログに載せてよろしいでしょうか?」と仰いましたか?
作品は作家の所有物のため、確か・・・作家に許可がいると思うのです。
そしてその作家が書いた(描いた)作品に写真を載せながら自分の感想を書くと、日本中のいや、世界中のひとがブログを見ますね。そしてその「一人間」の感想がその作家のすべてを物語ってしまうという、恐れがあります。
私は昔、自信のブログに、街中で建っている彫刻の画像をブログに載せて、それに対する感想を書いたことがあります。「とても躍動的で素晴らしい!」と褒めたつもりでしたが、あとでそれを作った作家からコメントがあり、
「あの作品を作ったときの気持ちを考えず、勝手な感想を書くな!おまえに私の何がわかるのか!?」
としかられてしまいました・・・
芸術家というものは、けっこう気難しいひとが多いものだとも、他のひとから聞いたことがあります。
こちらが褒めたつもりでも、作家にとっては「命を削って・・・」いろいろな思いで作っているので、軽々しく一方的な感想を書いてはいけないな・・・と思いました。
あなたさまの感想は素晴らしいと思いますが、作家のなかには、苦々しく思っているかたもいると思います。
一流と呼ばれる作家は、才能はもちろん、「努力」は並大抵なものではないのです。「60年絵を描いているが、いまだ満足できたものはない。生活のためにしかたなく描いているのだ!」ということを言った日本画家の重鎮がいました。
4. Posted by ユズリハ   2013年11月02日 10:59
何度もすみません。
この日のブログに「こじんまりとした極めて無難な、そしてこれは流行りか傾向か・・・」という文面がありましたが、東日本大震災のあった年であり、各作家が作品に取り掛かった時期は5月以降からと思われます。
作家は大体1年前から草稿からの作品つくりに取り掛かります・・・
震災が無ければ、もっと華やかな作品だったと思いますが、3月11日以降、自粛傾向にあり、無難な作品に!という上からのお知らせがあった、ということで、作品内容が変わったと後で知りました。
一年のうちに、いろいろな展覧会に出品する作家はさぞあわてたことでしょう・・・
絵画教室や書道教室を運営しながら(高額な出品料をかせがなくてはいけないので)生徒さんをないがしろにはできません!
無難な、と思われた作品は、時間が無い時期に作り直したから・・・「無難な作品」になった、と思います。
5. Posted by 面影   2013年11月03日 08:08
おはようございます。
このたびはユズリハさんに多くを学ばせていただきました。
お社中展なども、居合わせた責任者や受付で了承を頂くことはありましたがそんなに深く考えてのことではありませんでした。
ユズリハさん、ありがとうございました。
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