火(ホ)と「ニワ」と鍋釜

庭を造るという現場から体験したこと、そして「人はなぜ庭を造るのか?」考え続けてきたことなどを、ぼちぼち綴るブログ。 等ブログの履歴などの情報は、最下部にあります。

火はホと読む。「ニワ」は庭と漢字で書かずカタカナで書く。鍋釜は漢字。
火は唯一人だけが制御できるエネルギー。「ニワ」は人としての基盤。鍋釜は人の食の道具。
一見、脈絡のない言葉がつながる。

岡山県久米郡美咲町境という所に「棚田のお宿 阿吽山房」がある。

山中の棚田と雲海の綺麗な場所。

この「阿吽山房」と御縁が出来たのは、2015年9月4日だった。

この宿に向かったのは、近くに在る山に「マリヤの陵墓」が在ると、上森三郎さんが言いだしたからだった。

上森さんは、周辺での宿を探したようだがなかなか見つからず、突然ネット上に現れたのが「阿吽山房」だったという。
(この時の経緯については「ピンポイントで示された無名の山に磐座があった!」参照)

その後、仕事上でも御縁が出来た。

「マリヤの陵墓の山」が真正面に見える場所に、露天風呂を作りたいという計画。

それについてアドバイスを求められ、今回で二度目の現地打ち合わせとなった。

まだまだ解決して行かねばならない問題もあるものの、具体的な方向性も見えてきた。

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露天風呂建設予定地から見た「マリヤの陵墓」。

何お得著もない山だが、山頂に磐座がある。
(「マリヤの陵墓での新発見」参照)

「阿吽山房」を訪ねるもう一つの楽しみは、周辺の聖地・磐座の探索。

今回は、露天風呂のための水源を探ることと、その源となる山を探ること。

その山は、阿吽山房の、北東側に在る「地理院地図」に451.9mの三角点で示された山。

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「Googleマップの衛星画像」で見たその位置。

4月18日、水源調査の後、ご主人の「高垣門土」さんと「阿吽山房」の裏山に出かけた。

前回打ち合わせに来たのは、3月20日、21日だった。

裏山に「愛宕大神」と「地神」の石碑があり祀られているのは、最初に来た2015年にすでに出会っていたが、その上の山に磐座があり「摩利支天」が祀られているのを見つけたという。

20数年この地で暮らしながら、今まで気付かなかった、と高垣さんは言っていた。

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「愛宕大神」の石碑。

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「地神」の石碑。

二つの石碑は、並んで祀られている。

最初この石碑に出会ったときから、この上の山にはきっと何か在ると思っていたが、今まで行けずにいた。

植林され、ジャングル化しているが、踏み跡もあり、進むのは容易。

すぐに、その石は現れた。

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写真では、いささか分かり辛い。

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三角形の先の尖った石で、これは意味があると直感的に感じた。

位置情報 ①
N34°56’46.34”  E133°54’40.96” 高度436.7m(誤差あり)

さらに下に石は繋がっているようだった。

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山頂に近づくと、比較的なだらかになり、小ぶりな石の組み合わせが見つかった。

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写真では分かり辛いが、方向性もある石の組み合わせで、あるいは「マリヤの陵墓の遥拝所」かもしれない。

位置情報 ②
N34°56’47.08”  E133°54’44.14”  高度457.9m

「地理院地図」にある三角点を探してみたが、見つからなかった。

高垣さんに案内されて、「摩利支天」に向かう。

それは山頂から少し南に降った所にあった。

人家の屋根も見える。

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石を積んだ「石塚」の上に「摩利支天」の石碑が建てられ祀られていた。

さほど古いものではなさそうだ。

しかし、そのすぐ手前にも「石塚」が在った。

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草が生えて分かり辛いが、明らかに「石塚」。

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くっきりと「摩利支天」、種字も彫られている。

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石碑を真横から見る。

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背後。

石碑としては、かなり尖がっているのが、特徴的。

位置情報 ③
N34°56’46.65”  E133°54’46.34”  高度451.2m(誤差あり、位置情報は撮影場所)

すぐ傍に、石が一個在った。

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表面に細い筋が沢山在るので、アップ写真も撮ってみた。

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「線刻」とも思えないが、「十字紋」がいくつか見えるのが、象徴的で面白く、意味深でもある。

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祈りをささげる高垣さん。

僕はいつもの我流の挨拶。

再び最初に見た石の位置に戻り、下を覗いてみると、藪の中に点々と石が繋がっている。

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光り輝き、誘っているように感じたので、ここを降ってみる。

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最後に出て来た石は、一番大きく、方位石のようでもある。

位置情報 ④
N34°56’47.60”  E133°54’41.01”  高度423.5m

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iPhone6の磁石で方位を調べてみると、ほぼ南北。

この石のすぐ下は道で、高垣さんはこの石の存在について、今まで気付かなかったらしい。

しかしこの部分から上がって行く獣道があり、獣道のある場所も気になる場所だと、高垣さんは言う。

猪がゴロゴロしたような場所によく出会うが、おおむねそのような場所は心地の良い場所で、猪もきっと気持ちが良いのだろう。

獣道とて同じなのかもしれない。

今はジャングル化してしまて、周辺の見通しも効かないが、高垣さんが山主さんに相談して、周辺整備をして見ると言ってくれている。

帰ってから、iPhone6で撮影した写真の位置情報を、「地理院地図」に落としてみた。

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③の「摩利支天」と②の「方位を示す石組」を結ぶと、ほぼ④の「方位石の近くを通り、「マリヤの陵墓」に至る。
赤のラインがそれ。

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「摩利支天」から「マリヤの陵墓」に至るレイラン。

山頂部の見通しをよくすれば、「マリヤの陵墓」がはっきり見えるはず。

摩利支天」は、

摩利支天(まりしてん, 梵: Marīcī, 訳:陽炎、威光)は、仏教の守護神である天部の一柱。日天の眷属である。

原語のMarīcīは、太陽や月の光線を意味する。摩利支天は陽炎を神格化したものである。

陽炎は実体がないので捉えられず、焼けず、濡らせず、傷付かない。隠形の身で、常に日天の前に疾行し、自在の通力を有すとされる。これらの特性から、日本では武士の間に摩利支天信仰があった。

とウイキペディアにある。

姿は、

元来二臂の女神像であるが、男神像としても造られるようになった。三面六臂または三面八臂で月と猪に乗る姿などもある。

とあり、猪に乗る姿が特徴的。

「摩利支天」の「マリ」は「マリヤ」に繋がる音のようにも思える。

摩利支」は「真理子」にも繋がるようにも思える。

近く、この真理子という名前の方二人と会うことになっているのも、暗示的で面白い。

先の地図に示したように、①の「三角形の磐座」と「マリアの陵墓遥拝の石」とを繋ぐと、「二上山」の「二上神社」に繋がる。

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道路わきの墓地に在る「遥拝石」。(2018年3月20日撮影)

石塔の所に見える山が「二上山」。

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「遥拝石」の詳細。
きちんと組まれているのがよく分かる。

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「遥拝石」から見た「マリヤの陵墓」。

「二上山」には3月20日、高垣さんに案内してもらって、登っている。

「二上山」はその名の通り、二つの峰を有する山。

その688.9mの三角点の在る山頂付近には、素晴らしい磐座が在る。
(いずれ報告したい。)

もう一方の東側の山には「二上山蓮華院両山寺」が在り、さらに上に「二上神社」が鎮座している。

祭神は、「伊弉諾命・伊弉冉命」。

「二上」は「二神」でもある。

2015年にもこの辺りに行っているが、磐座を確認した程度で、詳しい記録は残っていない。

「遥拝石」が、「マリヤの陵墓」と共に「二上山」の遥拝場所でもあったのを確認できた。

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紫のラインはピッタリと「二上神社」に至っている。

一方、①の「三角石」と④の「方位石」を結んだラインは、鳥取市泊の「甲亀山(コウキヤマ)」に至る。

「甲亀山」については、リンク先の上方位で、詳しい事はまだ分からない。

ただその山名が面白い。

また「甲亀山」に付いて調べていた時、突然「三角山(ミスミヤマ)」の上方が目に入った。

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その山名通り、急峻な三角山のようで、「ピラミッド」でもありそうだ。

場所は鳥取市用瀬町。

ウイキペディアによると、

山頂にある三角山神社の社伝に拠ると、天孫降臨のときに道案内を務めた猿田彦命が、この山に住んでいたことから「御栖山(みすみやま)」と呼ばれていた。これが「三角山」に転訛したとしている。

とある。

「猿田彦大神」が祀られている。

登山記録を見ると、巨石・磐座も在るようだ。

このレイラインは、②の「方位石組」と「三角山」の2点間だけをを繋いだだけなので、強い関係を示す信頼性は乏しい。

しかし僕にとっては、今最も気になる神「猿田彦大神」と繋がる切っ掛けになった。

いずれ「三角山」にも登らなくてはならない時が来そうな気がする。

さらにまた「二上山」、「三角山」の数字も繋がる。

そして「甲亀山」もそれに加わって来る。

益々、面白くなる。

そして、「阿吽山房」のある場所の聖地性と、
「阿吽山房」との御縁とは、決して偶然で片づけられる事柄ではない。

まさに「シンクロニシティ」であり、導かれている気がする。

上森さんの会社、「株式会社T.T.C」は旅行業通禄もしている。

次回の企画は、恒例の「マリア様のお墓参りツアー」。

2018年7月20日(金曜日)~21日(土曜日)。

勿論宿泊先は「棚田のお宿 阿吽山房」。

4月16日、宇陀市の「八咫烏神社」の近くで作業が始まった。

この現場に行く時は、先ず「八咫烏神社」に挨拶する事にしている。

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この場所から見る「伊那佐山」は格別。

挨拶した後、不意に左手の林道が気になったので登ってみた。

少し進むと、空気が変わった気がした。


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「尼塚」と書かれている。

墓所なのだろうか。

林道はこの辺りで行き止まりで、細い道が続いているので、行ってみた。

何か石・岩が出てこないか期待していたが、そのような物はまるでない。

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「丸塚」とある。

その天端は何故か窪んでいた。

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周辺は孟宗竹の竹藪。

しかし、その場所に立つと、清々しい気分がした。

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その位置。

あまり時間が無いので、元来た道を降る。

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「八咫烏神社」には、「樫原神宮遥拝所」があり、広場状になっている。

横から見ると、そこに生えている樹木がりりしく見えた。

帰ってから「尼塚・丸塚」に付いて調べてみた。

すると「八咫烏神社の宮司さんが書いているブログ」が見つかり、「宇陀市榛原高塚の「七塚まいり」」という興味深い記事が見つかった。

「七塚」とは八咫烏神社の周辺にある塚跡のこと。
具体的には…
「尼塚」「弓張塚」「山伏塚」
「丸塚」「王塚」「犬塚」「高塚」の「七塚」。

ここにも「犬塚」があるようだ。

神河町長谷の「犬塚」がものすごく気になっている。
(当ブログにも「犬塚」からの繋がりをいろいろ書いている)

「八咫烏神社」にまつわる「犬塚」にはまだ行っていないが、どう繋がるのか、興味津々。

宮司さんのブログはさらに続く、

これらの塚跡の由緒は詳らかではありません。
いつごろ出来たのか、どなたが葬られたのかさえも。

しかし、唯一、発掘調査がおこなわれた「高塚」からは、
その際は弥生時代の土器や木製農具が出土したそうです。

(日本の正史である続日本紀に
 文武天皇の御代『慶雲2年(705年)に八咫烏社を祭る』と
 記述が見え、これが当社の創祀と伝わるとされていますが、
 実は弥生時代すでにその原型は形成されていて、慶雲2年に
 文武天皇によって神社としての体裁と名称が与えられた?
 …などと勝手気ままに想像するのは楽しいですねw)

さて、高塚集落では、これら塚の存在を知りながら
特別な行事は永らくおこなわれていませんでしたが、
数年前、地元で
「高塚集落の有志で行事しようやないか」
という気運が高まり、杭をたて塚跡を顕彰し、
年に数回、「七塚まいり」をおこなっています。

と。

今も、祭祀されているようだ。

お祀りの方法は、それぞれの塚跡に
花と御供(おにぎり)を供えて、般若心経を三巻します。
その間に参加者は順次、あらかじめ汲んで来た水を
塚跡にかけていきます。

目に見えず、しかも誰かも知らず、それでも拝む。

これは日本における根本的な信仰のかたちに思えてなりません。
自然発生的で素朴。

そういった「ひとの営み」は
とても美しく
また愛おしいことだと感じています。

と結ばれている。

やはり、導かれその場に行くと、新たな発見があり、次に繋がる。

4月14日材料段取のために河南町に向かっていた。

外環状線を走っていた時、「錦織神社(ニシゴリジンジャ)」の看板が目に付いた。

しょっちゅう通る道だし、「錦織神社」の存在もしているし、だいぶ前に一度行ったことがある。

ふいに「行かねば!」という思いが起り、細い道に入った。

集落の中の道は狭い。

神社のある場所は分かるのに、入り口が分かり難い。

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一の鳥居。

参道はほぼ南北で真っ直ぐ。

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案内板を見ても、その参道の真っ直ぐなのがよく分かる。

参道が示す方向は暗示的なので、後で調べる事にする。

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参道脇には、新しく設置された燈籠と共に、このような石が沢山並んでいる。

磐座探索に山に出かけた時にも、登山道脇にこのような石が在ることが少なくない。

僕はそのような石を「道標(ミチシルベ)」と呼んでいる。

ここでは「道標」いらないので、浄化を促す石であろうか?

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「手水舎」。
脇の天端の平らな石の配置が気になる。

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参道を振り返る。
ここまで車で入ることが出来る。
一の鳥居前には、駐車スペースはない。

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長屋門のような、拝殿と社務所。

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「本殿」は、国の「重要文化財」。

彩豊かで美しいが、柵であまりよく見えない。

本殿の全体が見える写真がないものか探してみたら、あった。

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(「錦織神社(にしこおり神社」よりコピー)
極彩色で艶やか。

檜皮葺の屋根も優美。

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Googleマップ」の衛星写真で見た配置。

主祭神は、「建速素戔嗚命」、「品陀別命」、「菅原道真」の三神となっている。

参拝広場の左側に、「金刀比羅宮」と「弁財天」が祀られていて、その「金刀比羅宮」の両脇に置かれた「狛犬」の姿が非常にユニーク。

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焼き物のようだが、何で出来ているかはよく分からない。

こんな形の狛犬を見たのは、初めて。

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祭神名。

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当日気付かなかったが、石垣も美しい。

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見事な屋根のカーブ。

このような美しい神社が身近に鎮座しているが、森閑としていた。

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手水舎の傍に在った「遥拝所」が気になった。

真ん中の樹木は「神籬」であろう。

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細いが根っ子の状態から古木だと思う。
「榊」かどうかは、葉っぱが他の樹木と重なっていて、確認できなかった。

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周辺に「川擦れした小石」が表面に浮き出している。

ここはあるいは「石塚」であったのではなかろうか?

顕著な石塚を、いろんな神社で見たことがある。

「内宮」にも在る。

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真東向いているのも気になるので、後で調べてみる。

先ずは、参道が示す北方を探してみる。

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参道か2本のラインを、北方に向けて引いてみた。

この辺りでは、2本とも重なり、違いが分からない。

赤のラインは、京都府亀岡市に在る「三郎ヶ岳」に至った。

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「上森三郎」さんと同じ名前の山。

宇陀の「三郎岳」には、2016年11月6日に、上森三郎さん、田中孝子さん、そして僕の三人で登っている。
(「宇陀市の三郎岳はピラミッドか?」参照)

「三郎岳」に登ることによって、その後いろんな繋がりが出来てきた。

上森さんは、亀岡の「三郎ヶ岳」616mの山頂ポイントの重要性を指摘していた。

しかしまだ登っていない。

「錦織神社」からの繋がりが、果たして上森さんを動かすかどうか?

もう一本の黒のラインは、福井県大飯郡高浜町和田に鎮座する「新宮神社」に至る。

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地形的にも意味深な場所のように思える。

左の半島の先端には、「大飯原子力発電所」がある。

「新宮神社」を紹介したホームページには、

まつり
このような写真が掲載されていた。(「新宮神社(福井県大飯郡高浜町和田)」よりコピー)

背後の山が気にかかる。

東を向いた「遥拝所」についても調べてみた。

通常「遥拝所」といえば「伊勢神宮」それも「内宮」を遥拝する場所。

おおむねその角度があっていることは少ない。

それは明治時代以降「皇国」を強調するあまり、何処の神社にも造られたのだろうから。

しかし、「錦織神社」の「遥拝所」は僕にはそれより古い何かを感じた。

東を向いているので、そのような場所を「遥拝所」としたのではないかと、推測している。

正確に緯度を合わせると、「内宮」や「外宮」より北を指している。

その指し示す方向は、先日行った「猿田彦石」や「朝熊神社」の方向に近い。

その中間点辺りを指しているのが面白い。

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紫のラインが、「錦織神社」から真東に伸ばしたライン。

伊勢市神久という所に、二つの鳥居マークがある。

そのあたりに「久志本社」などが鎮座しているらしい。

久志本社(伊勢市神久)
その中にこのような写真が掲載されていた。

「山の神」とある。

僕にとって、これは何と無く面白い。

機会があれば、行ってみたくなる。

そしてそれは、何に繋がって行くのであろうか。

このところ何故か、導かれているという感じが強くなってきている。

4月10日、伊勢市二見町江の「猿田彦石」に行った後、不意に気になったのが「朝熊神社(アサクマジンジャ)」だった。

何故気になったのか分からないが、「朝熊山(アサマヤマ)」との文字合わせがあったのかもしれない。

スマホのカーナビで検索して見ると、一発でヒットした。

ところが、こんなところに神社があるのかという道に進んで行く。

そして川沿いの広場に到着した。

「朝熊神社」という神社名は知っていたが、予備知識は全くなかった。

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「五十鈴川」と「朝熊川」の合流点に在る小山の山裾に、「朝熊神社」が鎮座。

「朝熊山」の北側で、少し離れている。

「Googleマップの衛星写真」で見ると、古代は島であったのではなかろうかと思う。

川沿いの広場に車を停める。

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入口部分。鳥居は無い。

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振り返ってみると、川向うが気になる。

干潮時なのか、いくつか石が見える。

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参道の階段を登って行くと、それほど強くはないが「板根の樹木」もちらほら。

二社の神社が現れた。

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向かって右側が「朝熊神社」。

「内宮の摂社」で、摂社としては第一位の位であるらしい。

主祭神は「大歳神」。

「大歳神」とあれば、同時に「猿田彦大神」もと、感じてしまう。

朝熊神社

朝熊神社は内宮第1位の摂社であり、祭儀に関して別宮に準じた扱いを受けている。豊受大神宮(外宮)第1位の摂社である草奈伎神社においても同様の特別待遇を受けている。

社名・朝熊神社の「朝熊」(あさくま)とは、「浅隈」(あさくま=浅く曲がりくねった川)に由来する。ほかに空海が修行中、朝に熊が、夕に虚空蔵菩薩が出現したことにちなむとする説、コノハナノサクヤビメの異称「葦津姫」に由来するとする説などがある。

社殿は神明造の板葺で、写真にあるように一重の玉垣に囲まれている。神明鳥居を1基備える。古代には二重の玉垣に囲まれ、御倉も有していた。

朝熊神社の祭神は大歳神(おおとしのかみ)、苔虫神(こけむしのかみ)、朝熊水神(あさくまのみずのかみ)。3柱の神はすべて朝熊平野の守護神かつ五穀と水の神であるとされる。『皇太神宮儀式帳』は、桜大刀自(大歳神の子)・苔虫神・朝熊水神の3柱、『倭姫命世記』は前記3柱の親神の櫛玉命・保於止志神・大山祇を含めて6柱を祀るとしている。

(以上、ウイキペディアより)

苔虫神(コケムシノカミ)」とは、「岩長姫」のことでもあるらしい。

これは驚き。

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左側の「朝熊御前神社」。

朝熊御前神社

朝熊御前神社は、内宮の摂社27社のうち第2位である。社殿は神明造の板葺で、朝熊神社と同じ大きさである。祭神は朝熊御前神(あさくまみまえのかみ)である。

寛文3年(1663年)に朝熊神社の御前社として鏡宮神社が再興された]。その後、朝熊神社の隣に朝熊御前神社が建てられ、鏡宮神社は朝熊神社から独立した神社となった。

(以上、ウイキペディアより)

両社に挨拶をして、社の背後に目を凝らして見たが、「石・岩・磐座」らしきものは見当たらない。

気になったので、「五十鈴川」のほとりを少し探索してみた。

茂った樹木越しに、石が見えたので、藪の中に入ってみる。

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やはり、石が在った。
石の上には、檜が生えている。

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周辺には、いくつか石が見える。

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「板根の樹木」も生えている。

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石で囲われた痕跡もあり、あるいは祭祀されていたのかもしれない。

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古さは感じないが、延石による橋の痕跡もあった。

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桜の名所らしく、山桜が幾本か見られた。

桜の奥に、石が見え隠れしているのが、面白い。

『倭姫命世記』によれば、内宮の鎮座地を定めた倭姫命が垂仁天皇27年に石と化していた大歳神を祀る社を建てたのが朝熊神社の創始であるという]。確実なところでは、伊勢神宮の摂社の定義より『延喜式神名帳』成立、すなわち延長5年(927年)以前に創建された。また、『皇太神宮儀式帳』にも記載があることから延暦23年(804年)以前から存在したことになる。

(以上、ウイキペディアより)

「石とかしていた大歳神」とは、この石のことだろうか。


気になる「朝熊川」の対岸にも行ってみた。

細い橋が架けられている。

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対岸から見た「朝熊神社」が鎮座する小山。

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参道の奥に社が見える。

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帰ってから調べてみると、「鏡宮神社(カガミノミヤジンジャ)」という事だった。

遷宮のための古殿地も在る。

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よく見かける、仕切られた平らな空間も、甚く気になる。

このような空間も、僕の探し求めている「原初のニワ」。

気になる背後の川べりに行ってみる。

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川の中の石。
干潮時にだけ頭を出すのであろう。

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このような石も。
方向性を示しているようにも思うが、よく分からない。

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石垣近辺にも石。

さらに回り込んだところに、

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木柵で囲われた石。
明らかに祭祀されている。

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「勾玉型」。

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この角度で見ると、「胎児型」。

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石垣は比較的新しい。

この祭祀された石を取り囲むように造られている。

周辺の石群は、「勾玉型の石」を守るような配置。

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この角度から見ると、何と無く顔のように見える。

神鏡を奉斎する神社である。祭神は岩上二面神鏡霊(いわのうえのふたつのみかがみのみたま)で、鏡を依り代としている。

社名「鏡宮」は元来、朝熊神社の異称の1つであった。朝熊神社で白と銅の2面の鏡を奉安していたことに由来する名で、寛文3年(1663年)に朝熊神社の御前社として鏡宮神社が再興された。朝熊神社・朝熊御前神社と鏡宮神社は直線距離では100mも離れていないが、朝熊川を公道の橋で渡るとかなりの距離を移動しなければならなかった。そのため祭祀の便宜を図り、歩行者しか渡れない程度の幅の狭い橋が架橋された。これにより約200mの移動で済むようになった。


8畝3歩(≒803m2)ある境内には木の柵に囲まれた「虎石」があり、川の中には「潮干石」があるなど周辺には多くの岩が見られる。境内の樹木にはマツが多い。

「虎石」はかつての依り代であり、この岩の上に2面の鏡が祀られていた。

(以上、ウイキペディアより)

「勾玉型の石」は「虎石」というらしい。

水没しそうなこの石の上に、「二面の鏡」が祀られていたようだ。

いささか不思議に思うが、この場所は重要ポイントと思える。

帰りがけ、小山の裾を観察すると、いくつか巨石が見つかった。

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川沿いの石よりはかなり大きいが、祭祀するなら、やはり川沿いの石の方がふさわしいように思う。

石質が気になるので「地質図Navi」で調べてみた。

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元地図と、地質のレイヤーがいささか右にずっている。

「鏡宮神社」の鎮座地辺りも、同じブルーの地質だと思われる。

「地質図Navi」の解説にによると、

変成岩
形成時代: 中生代 前期白亜紀 アルビアン期〜新生代 古第三紀 暁新世 セランディアン期
岩石: 泥質片岩 高P/T型広域変成岩 緑泥石帯

とある。

伊勢・志摩辺りの地質は極めて複雑で、「中央構造線」も」「外宮」を通っている。

それだけ、地球から伝わる江Rねるぎーの高い場所だと思っている。

4月12日、「猿田彦石」と題したブログを書いていた時、一冊の本が出版元から届いた。

出版社は「創元社」。

本の題は「六甲岩めぐりハイキング-巨岩・奇岩・霊石を楽しむ9コース+α」。

book
帯には「岩に注目!」。

残念ながら表紙には「磐座・イワクラ」の文字がない。

著者は「江頭務」。

江頭さんは「イワクラ学会」の大先輩。

六甲岩めぐりハイキング」の価格は、1,400円+税。

「創元社」の本書紹介ページからのコピー。

岩を眺めると、ハイキングはもっと面白い!

関西のハイキングコースの定番・六甲山系も、岩を見て歩くとこんなに面白い!

神戸市~宝塚市まで広がる六甲山系。今は豊かな緑におおわれ気付きにくいかもしれませんが、実はその大部分は花こう岩でできており、ロッククライマーにも愛される大きな岩場や、見立てができるようなユニークな形を持つ奇岩、信仰の対象にもなっている霊石などが点在しています。これらの岩は一般のハイキングコースから、あるいはそれほど遠くない場所からでも観察することができるのです!

本書は、長年六甲山系の岩々を調べ歩いている著者が、歴史的な重要性や形の面白さなど、さまざまな観点から一見の価値のある岩をピックアップして紹介するガイドブックです。
ハイキングをしながら岩をめぐって楽しめるよう、初級・上級合わせて9コースを考案。さらにルートからは外れるものの、各地に点在する注目すべき石は、アラカルト編に収録しました。
登山史に残る有名な巨岩、ヘンな形の奇岩、ミステリアスな霊石、スリル満点の岩壁まで、100以上の岩々を掲載します。

さあ本書を持って、いつもとは一味違った六甲ハイキングを楽しみましょう!


<本書の特長>

・六甲山系でハイキングをしながら岩をめぐりを楽しめる9コースを収録。

・コース上の岩の中でも、特に伝承や歴史を持つ岩は「ピックアップ」でマニアックに解説。

・初級編/アドベンチャー編から実力に合わせてコースを選択可能。難易度や岩の見ごたえがひと目で分かるチャート付き。

・隣接するコースどうしを明示しているから、時間や体力に応じて複数のコースやスポットを組み合わせてプランを立てられます。

・コース全体を把握できる等高線マップ&岩の位置やルートがわかりやすいイラストマップの2種の地図を全コースに掲載。

・コースからは外れるものの、六甲山系に点在する注目すべき石はアラカルト編で紹介。

・コース&アラカルト合わせて、100以上の岩が登場します!

江頭さんは登山家でもあり、山を熟知されている。

磐座に付いては、文献からも精査されている。

江頭さんのホームページ「山魚のホームページ」には、膨大な資料、論文が掲載されている。

今回の本の執筆に伴い、ハイキングコースの再調査をされたらしい。

したがって、現況にあったガイドブックとなっている。

僕も若い頃、登山に夢中になっていた時代があり、六甲山はその練習場所だった。

当時の僕にとっては、岩は登る対象であり、今のような磐座に対する興味はまるでなかったし、磐座という言葉さえ知らなかった。

それは50年以上前。

当時を思い出してみると、六甲山の山容はずいぶん変わってしまった。

その最大は、樹木がずいぶん大きくなってしまって、見通しが悪くなってしまった事に尽きるように思う。

元々、六甲山は禿山だった。

それ故にがけ崩れなどが絶えず、災害の元にもなっていたようだ。

緑化が望まれ、大正時代から急ぐあまり、安易な緑化を行ったようだ。

それ故か樹木が大きくなりジャングル化し、巨石・磐座も見え難くなってしまっている。

それだけ探すのが難しくなっている。

まだ全てを読んだわけだはないが、ターゲットの巨石・磐座を巡るコースを詳しく説明してくれている。

それに加えて、それらの岩に対する伝承なども説明されている。

僕も、多くの人達に、「石・岩・磐座」に興味を持ってほしいと思っている。

切っ掛けは何だって良いと思っている。

接する内に、何か感じるのではなかと思うからだ。

ハイキングにプラス、「
石・岩・磐座」の存在意義を知れば、より自然の奥深さ、文化のすばらしさを垣間見ることが出来るのではないかと思う。

しかし、何らかのガイドがいなければ、「石・岩・磐座」に接するのは難しい。

それを補うのが、このガイドブック。

石・岩・磐座」を紹介した本は、このところ多く出版されるようになって来た。

喜ばしい事であるが、その場に実際に行くのは難しい。

石・岩・磐座」の在る場所の多くは山であり、たとえ低山であったとしても、登山・ハイキングの実践を伴う。

その両方をガイドする本は、今までになかったように思う。

その待望のガイドブックが、やっと出版されたという感じがする。

有難い限りだと、江頭さんに感謝したい。

六甲山周辺には、この本に紹介されていない「
石・岩・磐座」がまだまだ沢山ある。

次号の出版も期待したい。

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