火(ホ)と「ニワ」と鍋釜

庭を造るという現場から体験したこと、そして「人はなぜ庭を造るのか?」考え続けてきたことなどを、ぼちぼち綴るブログ。 等ブログの履歴などの情報は、最下部にあります。

火はホと読む。「ニワ」は庭と漢字で書かずカタカナで書く。鍋釜は漢字。
火は唯一人だけが制御できるエネルギー。「ニワ」は人としての基盤。鍋釜は人の食の道具。
一見、脈絡のない言葉がつながる。

9月17日、台風十八号は九州南部に上陸し、四国を袈裟懸けするように縦断し、瀬戸内海に出て、再び明石辺りに再上陸した。

夜半、僕の住む堺市南部でも強めの風が吹いていたが、雨は大して降らなかった。

僕は何故か、台風や雷などの自然の猛威が大好きで、何と無くワクワクする。

台風情報に耳を傾けたり、ニュースを聞いたり、ある種の緊張感も面白い。

大きな被害をもたらすことも在るが、地球全体を考えると、エネルギー分配上大事な現象だとも思う。

何故台風が発生するのかそのメカニズムも気になる。

奈良地方気象台の「台風はどうやって発生するの?」の説明が分かりやすい。

太陽熱と地球の自転エネルギーによって台風は発生するようだが、どこででも出来る分けではなく、限定されて場所で発生するらしい。

日本列島はその台風の進路となることが少なくない。

地震も多いが、台風もよく通る。

日本は天災の多い地域だと言えるが、それだけエネルギーに満ちた地域とも言える。

僕が参考にする台風情報サイトは、「デジタル台風」。

台風情報の宝庫。

今回の台風201718号には「TALIM」という名前が付けられている。

その日本列島付近の台風十八号の軌跡を、「デジタル台風の台風進路予想図」からコピーしてみた。

09-18-1
台風は明石付近に上陸し北東方面に進み、富山辺りから日本海に出ている。

この進路図を見ていて、気になる場所を通っている事に気付く。

09-18-2
中央部を斜めに通る白いラインが、台風の進路。

雌岡山(メッコウサン)」と「雄岡山(オッコウサン)」の間を通っている。

神戸市西区神出町に在る山。

どちらも綺麗な三角の山。

(ウイキペディアよりコピー)

実は、「雌岡山」には、8月19日「イワクラ学会」の「イワクラ・ミニツアー」で行って来たばかり。

(当ブログでの報告はまだ出来ていないが、「磐座みぃ~つけた新聞」に雌岡山磐座が紹介されている。)

L1143131
「雌岡山」の「姫石神社の磐座」(2017年8月19日撮影)

続いて台風が通ったのは、敦賀市の「氣比神宮」の近く。

「氣比神宮」には、2015年7月26日に「上森三郎」さん達と行った。
(「氣比神宮となぜか気になる猿田彦」参照)

背後の神体山「天筒山」も綺麗な三角形。

IMG_4981
「天筒山」(上記リンクブログよりコピー)

台風十八号はさらに北東に進み、富山市に至る。

09-18-4
9月10日に急遽行った富山の「武部神社」のすぐ傍を通る。

このシンクロニシティーをどう捉えたらよいのだろうか。

ただの偶然か、何らかの暗示か?

09-18-5
台風十八号の進路の北方、能登半島の中心部のような場所があり、「武部」という地名が在る。

そこには「健部神社」が。
(「武部神社とその背後の山、上ノ山レイライン-7 能登半島・武部の健部神社」参照)

「健部神社」には、まだ行けていない。

台風十八号の進路は、僕に能登半島の武部に鎮座する「健部神社」に行けと言うことか?

確かに僕も、武部という地名の場所に在る「健部神社」は気になって仕方がない。

9月15日、「武部神社とその背後の山、上ノ山レイライン-6 岡山・富山の武部神社のレイライン-2」を書きあげて、「まとやかなるやまとことは講座」を受講するためにに出かけた。

講義が始まってすぐの時間帯だから、午後7時過ぎに「上森三郎」さんから電話が入った。

僕のブログを読んでの連絡だった。

上森さん曰く「岡山の武部神社と神島を繋いで二等辺三角形に成るポイントは、富山の武部神社ではなく、能登半島の武部に在る健部神社なんですよ!」と言うことだった。

僕もいささか不思議に思っていた。富山の「武部神社」と繋ぐと誤差が41.69kmもある。
上森さんが、これほどの誤差があって「二等辺三角形」という分けが無い。

しかし、富山市文殊寺に「武部神社」があり、僕はそこに行った。
そして帰ってから、「地理院地図」上でラインを引いてみて、その誤差に気が付いたのだった。

富山の「武部神社」について調べていた時に、石川県鹿島郡中能登町武部に「健部神社(タケベジンジャ)」が在るのは知っていた。

そして上森さんはこのようにも言った「武部さんが富山の武部神社に行ったのは、呼ばれたのですよ!」と、言葉は違ったかもしれないが。

確かに、僕が行ったのにはそれなりの意味があると思える。
少なくとも「タケベ」と名が付く神社が、次々に繋がりそうだ。

能登の「健部神社」について「地理院地図」にラインを引いて調べてみた。

09-16-1
岡山の「武部神社」から能登の「健部神社」までの距離は、362.38km。

岡山の「武部神社」から「神島」までの距離は271.22km。
能登の「健部神社」から「神島」までの距離は270.25km。

誤差は0.95km。

誤差は極僅かだし、「神島」島内で誤差0kmのポイントを探すのも可能。

09-16-3
ちなみに僕がポイントとしたのは、170.7mの神島の最高峰。

09-16-2
能登半島の「健部神社」はこのような場所。

低く伸びる尾根の裾にあるようだ。

背後の尾根に磐座が在るかどうかは分からないが、在る可能性があるようにも思う。

地名が「武部」であるにもかかわらず、神社名が「健部」であるのは不思議に思う。

少ない情報の中から「健部神社」を探ってみた。

祭神:倭健命 少彦名命 伊弉諾命 菊理媛命 天照大御神素盞嗚命 薬師大明神 建御名方命 猿田彦命

「猿田彦」が祀られているのが、僕には嬉しい。

由緒:当社は古来、手次宮とよばれ、武部地区の産土大神として広く篤く崇敬されたお社であり、平安・鎌倉期に編纂された三州式内等旧社記にもその記載がみえる由緒ある古社であります。
また、古来、武部区には、手次宮(御祭神 少彦名命・薬師大明神、合祀社は神明社・滝祭宮)の他、諏訪社(建御名方命)、都智久良社(猿田彦命)の3社がありました。(「由来書上帳」船木家文書)
明治に入り、手次宮が村社に列し、さらに明治三十九年に神饌幣帛供進神社となり、明治四十一年には、先の諏訪社と都智久良神社を合祀して、現社名である健部神社と改称された歴史があります。

祭神の一番最初に「倭健命」つまり「日本武尊」が記されているが、由緒にはその名が無いのは、いささか不思議に思う。

明治時代に、合祀やらでぐちゃぐちゃになっている感じもする。

そんな中で「健部神社」と改称されているらしい。

「武部」という地名にもかかわらず「健部」としたのは何故か、いささか謎。

ちなみに、「地理院地図」上で「武部」という地名を探してみた。

〇栃木県那須郡那珂川町
(ここには「健武」という地名もあり、「
健武山神社」が在り、主祭神は「日本武尊」)

〇石川県鹿島郡中能登町
(「健部神社」のある場所)

〇島根県出雲市
(「武部東」、「武部西」と表記されている。「内宮の磐座と出雲の弥山を繋いだラインの妙味」参照)

〇長崎県大村市
(「武部町」と表記)

〇鹿児島県西之表市

「建部」と書く地名は、岡山県に多く、滋賀県にもある。

「健部」で検索しても何も出てこなかった。

「竹部」で調べると、岡山県、広島県、山口県、高知県、熊本県、大分県で見られた。

では、上森さんが見つけれくれた、「武部神社」→「神島」→「健部神社」→「武部神社」の二等辺三角形のライン上に何があるか探ってみよう。

「武部神社」→「神島」ライン。

09-16-4
先ずは、家島諸島の「上島」。
極めて重要な聖地で、当ブログでも度々登場している。
(「http://blog.livedoor.jp/omtakebe/search?q=上島」参照

続いて、上森さんが見つけたポイントは「本居宣長旧宅」。
三重県松阪市殿町にある。

このポイントから、直角ラインを北方に向けて引くと、石川県かほく市宇野気に在る「倉稲魂神社」至ると言う。

9月10日の北陸への神社探索で、僕も「倉稲魂神社」に行った。

L1143490

L1143492

L1143495
この鉾型の幟竿が気になる。

09-16-6
「倉稲魂神社」は「内宮・外宮」の南北ラインのほぼ中間に在り、

しかも社と参道は「出雲大社」の方向に向いている。

09-16-7
「内宮・外宮」の南北ラインと「倉稲魂神社」→「出雲大社」のレイライン。

上森さんが注目する通り、この神社は極めて重大な意味を秘めた神社かもしれない。

伊勢の「内宮・外宮」と「出雲大社」を繋いでいる。

次に「神島」→「健部神社」。

09-16-8
岐阜県郡上郡美並村白山の「神明神社」の真上を通る。
赤丸ポイントがそれ。

神明神社」は「天照大神」を主祭神とし、「伊勢神宮・内宮」を総本社としているらしい。

美並村白山の「神明神社」は、白山を開いた「泰澄(タイチョウ)」が創建したと伝えられているようだ。

ここでも「白山」との繋がりが見える。

それに、すぐ横に面白い施設がある。

日本まん真ん中センター」。

1997年にたたられた施設で、世界最大級の日時計のモニュメントがあるそうだ。

「健部神社」→「武部神社」。

このラインには山のピークが多い。

丹後半島を通る。

09-16-9
赤ラインが「健部神社」→「武部神社」。
そのすぐ傍に、尖った「ハート形のコンターライン」の山が在る。
しかも鳥居マークが付けられていて、神社が在ることを示している。

しかし残念ながら、神社の情報が全く見つからない。

「ハート形のコンターライン」は方向性を表すので、その示す方向を探ってみる。
黒の細いラインがそれ。

09-16-10
指示していたのは、丹後半島北端の「岳山」。

ここには自衛隊のレーダー基地があり、最近米軍のレーダー基地も出来た。

「岳山」は、おそらく超古代からの大聖地で、ランドマークの山で、軍事基地、そして通信基地。

大陸との交流の上で大事な山であったろう。

それ故に今も、今も重要な軍事基地。

09-16-11
「Googleマップ」の衛星写真で見た「岳山」のレーダー基地。
拡大してみると、いくつか石らしきものも見えるので、かつては磐座が在った可能性が極めて高い。

今は、近づいて調査することも出来ない。

この丹後半島の「岳山」と繋いだのは、尼崎市武庫之荘の「磐長姫神社」。
(「武庫之荘の磐長姫神社からの繋がり-2 丹後半島の岳山」参照)

岡山県和気郡和気町の通常「和気アルプス」と呼ばれる山塊を通る。

09-16-12
低い山だが、綺麗な三角形の「和気富士」が在り、岩場も在るようだ。

この二等辺三角形は、面白い所を通る。

もう一度長距離ドライブをして、能登半島まで行かねばなるまいか。

つづく

9月9日、「上森三郎」さんのセミナーに参加した時、富山にも「武部神社」が在ると、教えてもらった。

岡山の「武部神社」と富山の「武部神社」を繋ぐラインを底辺とし、二等辺三角形に成る頂点を探すと、伊勢湾の「神島」に至ると上森さんは言う。

それで場所だけ調べて、僕は急遽9月10日に、わが愛車フィアット・パンダ4WDで富山で走った。
往復828kmにも及ぶハードドライブになった。

磐座は無かったが、面白い石が数個あった。
(「武部神社とその背後の山、上ノ山レイライン-4 富山の武部神社」参照)

富山の「武部神社」は隣のお寺「金城山・宝寿院」の開山「建部(武部)良瞬」が、近江国一宮である「建部大社」の祭神「日本武尊」を勧請したという。
時は、鎌倉時代の承久2年(1220年)だという。

富山の「武部神社」で拝むと、「白山奥宮・御前峰」を拝む建物配置になっている。
(「武部神社とその背後の山、上ノ山レイライン-4 富山の武部神社」参照)

09-12-2
拝殿の扁額には「神代霊地」の朱文字も見える。

太古より、この場所は重要な聖地だったに違いないと、僕は思っている。

この重要聖地を守るために「建部大社」より「日本武尊」を勧請し、「武部神社」として祀り、隣に「宝寿院」を創建したのではなかろうか。

神社や寺で注目すると良いのは、その配置と方向。

背後に重要ポイントがある場合と、前面に重要ポイントがある場合がある。

場合によっては数百km離れている場合も少なくない。

ちなみに、「武部神社」と
「白山奥宮・御前峰」の間の距離は約98km。

富山から帰ってから、岡山の「武部神社」と富山の「武部神社」と富山の「武部神社」と二等辺三角形に成るポイントを探してみた。

上森さんが言うように「神島」がそのポイントなのだろうか?

ブラウザ上で操作できる「地理院地図」には、「作図・ファイル」機能があり、ポイントを打ったり、線を引いたり、円を描いたりする作図機能があり、その描いたデータを「KML形式」で保存したり、読み込んだりできる。

レイラインを調べる上では、最も強力なツールではないかと思い、活用している。

印を付けたポイントの2点間に、先ずラインを引く。

続いてポイント間の距離を半径として、各々のポイントから円を描く。円の二ヵ所の交点間に線を引くと、2点間に直行する2等分線が描ける。

09-15-1
それがこの地図。

僕が描いた直交する2等分線は「神島」からかなり離れている。

むしろ「内宮」の真南にある山「八禰宜山」の近くを通る。

この誤差は何故なのだろうか。

試しに、2点から2等分線の通るポイントの距離を測ってみると、誤差がある。

ブラウザによって誤差が生じるのだろうか?
(ちなみに今回僕が使ったのは「Google chrome」。
「Opera」も使っているが、こちらではポイントや線を引くのは問題ないが、何故か円が描けない。)

それで、岡山の「武部神社」、富山の「武部神社」を繋ぐラインを底辺とし、気になる場所にポイントを打ち、そのポイントと繋いで三角形を作り、両「武部神社」からの距離を測ってmその誤差を調べてみた。

09-15-2
それがこれ。

09-15-3
三角形を作ってみた各ポイント。

岡山の「武部神社」からと、富山の「武部神社」からの各距離を測り、その誤差を計算してみた。

「神島」 271.22km(岡山)-229.53km(富山)=41.69km
かなり誤差があり、二等辺三角形とは言えない。

「八禰宜山」 249.77km(岡山)-251.65km(富山)=-50.26km
これも誤差が大きい。

「外宮・多賀宮」 246.29km(岡山)-240.79km(富山)=5.50km
誤差は十分の一近くになる。

「内宮」 248.69km(岡山)-243.66km(富山)=5.03km

「内宮の磐座」 248.63km(岡山)-243.09km(富山)=4.59km

ポイントを打ったうちでは、「内宮の磐座」と繋ぐ三角形が一番誤差が少ない。

それでも、4.59kmの誤差は僕にっとっては大きい。
少なくても1km以下の誤差であってほしいと思うが、「内宮の磐座」は注目ポイントであり、しかも、岡山の「武部神社と上ノ山」→「家島の磐座」→「姫石明神」→「内宮の磐座」→伊豆諸島の「神津島」と繋がるレイラインとも関連づいて来る。
(「武部神社とその背後の山、上ノ山レイライン-3 壮大な主ライン」参照)

09-15-4
そのレイラインは、総延長473kmにも及ぶ壮大なもの。

その中心は何と言っても「内宮の磐座」。

P1190910
当ブログでは何度も登場している「内宮の磐座」。
http://blog.livedoor.jp/omtakebe/search?q=内宮の磐座かなり膨大な量になるが、参考までに)

しかし今だ、神秘のベールに閉ざされ、その謎を解くカギは「レイライン」。

いささか強引かも知れないが、岡山の「武部神社」と富山の「武部神社」が作る近似二等辺三角形の頂点は「内宮の磐座」としたい。

これは、僕の希望的選択かも知れないが。

つづく

先ず、岡山の「武部神社」と富山の「武部神社」を繋いでみる。

09-13-1
上辺の赤ラインがそれ。

岡山の「武部神社」から富山の「武部神社」までの距離、約361km。

09-13-2
岡山の「上ノ山」南麓に鎮座する「武部神社」。

09-13-4
富山の「武部神社」。

ブルーの細いラインは「白山神社奥宮・御前峰」と繋がる。

この阿赤のラインで引いたレイラインは、一ケ所興味深い場所を通る。

09-13-3
兵庫県朝来市。
生野銀山」で名高い場所。

市川がU字型に曲がる場所。

すぐ近くに「姫宮神社」。

ここは「上森三郎」さんのフィールド。

P1100422
上森さんの発掘現場。(2013年11月10日撮影)
この岩は「鶴の頭で、人工的に造られた岩だ!」と上森さんが言う。

目が印象的。

ここに、「地下大聖堂」が在ると、上森さんは言う。

「姫宮神社」の宮司を説得して、発掘調査も始めたが、まだ検証するには至っていない。

しかし、上森さんは確信を持っているようだ。

そして、「世界の聖地」だと言う。

「世界平和のために、この地下聖堂を開かねばならない!」と上森さんは強調する。

僕にはその「地下聖堂」の存在については分からないが、勿論否定はしない。

上森さん達と、この場所に行く度に気になるのは、この市川の屈曲点。

IMG_2712
2015年11月17日撮影。
橋の向こう側が、市川の屈曲点。

IMG_2708
上森さんは、川の中にあるこの岩を「親子の龍」だと言う。

僕が気になるのは、川の一段上、橋や参道の一段下の、

IMG_2706
この場所。
自然に出来た水溜まりというよりも、何と無く庭園の雰囲気を持っているように思う。

さらに、ラインは609mの「古城山」のすぐ傍を通る。

「古城山」は本来は「古城山御林(コジョウサンオンハヤシ)」というようで、上森さんは「モーセ」を祀る山だと言う。

岡山の「武部神社」と富山の「武部神社」を結んだラインが、何故に「姫宮神社」や「古城山」のすぐ傍を通るのか、これは単なる偶然か、あるいは必然か。

気にかかるので、次回探ってみたい。

つづく

JR六甲道駅近くの「上森三郎」さんの会社T.T.Cのセミナールームで、「上森三郎セミナー」が、毎月開催される。

8月31日には、上森さんの5冊目の本「不死鳥のあしあと」出版され、上森さんはこのところノリノリ。

9月9日がその「上森三郎セミナー」開催日で、僕も参加した。


上森さんは絶好調で、講演も滑らか。

その休憩時僕に、地理院地図を示しながら、富山市にも「武部神社」が在ると教えてくれた。

岡山の「武部神社」と富山の「武部神社」を繋ぎその中点から垂線を上げると、伊勢湾の「神島」に至るという。

つまり、両「武部神社」と「神島」を繋いだ三角形は、「二等辺三角形」になると言う。

「行け!」という事かと解釈した。

帰ってから富山の「武部神社」を検索。

住所は、富山県富山市文珠寺、とある。

スマホのカーナビ・アプリで調べると、距離390km、4時間37分と出る。
相当に遠い。

日帰りでも何とかなると思い、9月10日6時過ぎ出発。

琵琶湖西岸のルートをとったので、高島市の「白髭神社」の「猿田彦大神」にまず挨拶。

「白髭神社」の位置から、いろんなインスピレーションをもらっている。

続いて、石川県かほく市宇野気の「倉稲魂神社(ウカノミタマジンジャ)」へ。

上森さんが「地理院地図」上に見出した神社で、行かねば思っていた神社。
(上森さんのブログ「倉稲魂神社には、祖神様がやっぱり待って居られましたぁ! 感動の瞬間でした」参照)

裏山の探索は出来なかったが、石・岩・磐座らしこ物は見当たらなかった。

ここも位置が大事で、神社の並びや参道は、きっちりと「出雲大社」を指している。

続いて、北陸道を走って富山市に入る。

カーナビに富山市文珠寺と入れて、導かれるままに進んで行くと、正面に鳥居が見える。

すんなりと「武部神社」に到着した。

L1143499
鳥居から奥は、うっそうとした杉木立。

ほぼ真っ平で、杉木立の範囲を「武部神社」の境内とすると、かなり広い。

鳥居の正面には、一対の燈籠。

元々参道はさらに先へと延びていたのだろう。
新しく道路が出来て、燈籠から先は、草が生い茂っている。

長い真っ直ぐな参道は、方向性を示しているので、後で検証してみる。

L1143500
鳥居の左手にあった案内板。

僕は、このような案内を一応参考にはするが、そのまま信じることは無い。

自分の感性を大事にしたいと思っている。

武部神社」のリンク先より、解説のコピー。

武部神社(富山市)概要: 武部神社の創建は鎌倉時代の承久2年(1220)に近江国(現在の滋賀県)出身の建部(武部)良瞬が勧請したのが始まりと伝えられています(詳細は判りませんが、近江国一宮である建部大社の分霊(日本武尊)が勧請されたと思われます)。明治時代初頭に神仏分離令が発令されるまで隣接する宝寿院の鎮守社として古くから神仏混合の形態を保っていました。御神体とされる木造男神像(鎌倉時代作、像高68.2㎝、杉材、一木造り)と木造女神像(平安時代末期作、像高60.6㎝、杉材)は当時の信仰の形態を示す貴重なもとして昭和40年(1965)に富山県指定文化財に指定され、特に女神像の制作年代は神像として富山県内最古級の古像とされます。拝殿は木造平屋建て、切妻、桟瓦葺き、妻入、正面1間向拝付き。本殿は一間社流造、銅板葺き。

祭神は「日本武尊」とされているが、何故かよく分からない。

隣の高野山真言宗の寺「宝寿院」の鎮守社とされているが、僕には神社の方が古いように思える。

09-12-1
「Googleマップ」の衛星画像からコピーした「武部神社」と「宝寿院」。

建物は比べ物にならないが、敷地は「武部神社」の方が広いように思える。

L1143503
鳥居の左手に、気になる石が三個並んでいる。

L1143533
右端の一番大きな石は、顕著に尖った川石。

このような石には、何らかの意味が込められているはずだが、今のところ深読みは出来ない。

L1143507
鳥居を潜ると、杉木立が両側に並び、参道が真っ直ぐに伸びている。

現在舗装されている参道は、少し曲って見えるが、本来は真っ直ぐだったのではなかろうか。

L1143508
狛犬と燈籠。

その奥に拝殿が見える。

遠近法を生かした構成か?

L1143509
立派な手水。

L1143510
参道の途中に電気柵。

猪でも出るのだろうか。

L1143511
拝殿の扁額。

09-12-2
扁額の右上に朱書きされた「神代霊地」が気になる。

「神代霊地」を探していて、面白い記事を見つけた。
(「大己貴(大国主)の国造り」の内「2.2ニニギの降臨伝承経路」より)

さて、そこから3㌔ほど南東の同町岩井川に小崎(こざき)神社(b)があって、「この社地は神代の霊地といわれ、猿田彦(さるたひこ)大神がとどまられたため、字(あざ)を猿山といっている。この霊地を汚すことがないよう後世菅原公を勧請した」と興味深い由緒を伝えている。というのは、『書紀』九段一書①によれば、ニニギの天孫降臨を導いたのは猿田彦ということになっているからだ。『書紀』によると猿田彦はそのつとめを終えると、伊勢の五十鈴川(いすずがわ)に向かったことになっているが、小崎(こざき)神社の伝承では、ニニギの降臨伝承経路途中のこの場所にとどまられたとあって、ニニギに同行していたことが暗示されている。この意味はのちに考えたい。

この論を参考にするなら、「武部神社」の鎮座する場所は、もともと重要な霊地で、その場を汚すことのないように、よく知られた「日本武尊」勧請した、とも解釈できる。

L1143512
拝殿の右側に二個、

L1143513
左側に一個、興味深い石が立てられている。

L1143514
右側の石の大きい方の裏面の模様がおもしろい。

小石も気になるところ。

L1143515
この石も、文字こそ彫られていないが、石碑のようで面白い。

何らかの意味を込めて立てられているのだろうか、読み取ることは出来ない。

L1143517
コントラストが強すぎて、左側の石が分かりづらいが、裏側から見ると三個の石の繋がりも興味深い。

L1143518
一段高い場所に建てられた本殿。

雪除けだろうか、覆い屋根が仰々しく、この場の雰囲気を壊してしまう。

石燈籠の中台の据え方も、上下が反対。

L1143519
本殿正面。

やはり背後の山が気がかり。

植林されてしまって、何も見えない。

L1143520
拝殿の左側にも、面白い石が羊歯に埋もれていた。

L1143521
拝殿と背後の山。

拝殿周辺は、湿地状で、日本最大級のアゲハチョウ「モンキアゲハ」が一頭飛び回っていたが、動きが速すぎて、カメラには収まってくれなかった。(前にもこの大型のアゲハチョウに出会ったことがある「内宮の南北軸の南端 標高64mの小さな山と人面岩」参照)

「武部神社」の背後の山は平らで、農場のようだ。

09-12-4
「Googleマップ」の衛星画像。
点在する樹木は、果樹であろうか?

「地理院地図」で見るとよりはっきり分かる。

09-12-3
208m付近が最高点で、地図で見る限りほぼ平ら。

当日、足を延ばして探索すべきだった。

紫のラインは、

09-12-5
「白山奥宮・御前峰」に至る。

「武部神社」の背後には「白山」。

向きはピッタリ。

その距離約68km。

これには大きな意味がありそうだ。

L1143527
「宝寿院」側から見た「武部神社」拝殿前の石。

L1143534
西北隅の道路側から見た、拝殿前の石。

少し離れた場所から見ても、この石は何故か目立つ。

どのような意味を秘めているのだろうか。

つづく

このページのトップヘ