火(ホ)と「ニワ」と鍋釜

庭を造るという現場から体験したこと、そして「人はなぜ庭を造るのか?」考え続けてきたことなどを、ぼちぼち綴るブログ。 等ブログの履歴などの情報は、最下部にあります。

火はホと読む。「ニワ」は庭と漢字で書かずカタカナで書く。鍋釜は漢字。
火は唯一人だけが制御できるエネルギー。「ニワ」は人としての基盤。鍋釜は人の食の道具。
一見、脈絡のない言葉がつながる。

GARDENING研究会2018年12月定例会ご案内
                      2018年12月10日
                        武部正俊


日時 2018年12月16日 11時より17時
会場 河南町立中央公民館3階-旧河南町やまなみホール(大阪府南河内郡河南町大字白木1387番地    TEL0721-93-6222)
昼食費   1,100円
随時参加者会費 2,000円
申し込みは12月14日までにお願いします。
TEL 090-2599-7367 
FAX 072-290-2813
E-mail  masatoshi@omtakebe.com

12月は我々、庭に係わる職業は、一年の内でも最も忙しい季節となります。葉刈りと称する手入れ故です。
仕事としては、有り難いのですが、スケジュール調整が大変です。

月初めは暖かく楽でしたが、急な寒波襲来で、体調合わせが大変です。
風邪など召されないように。

来年1月の定例会は、若手・中堅造園家と共に、シンポジューム形式で開催する予定です。

予定は来年2019年1月20日(第三日曜日)、会場は河南町のやまなみホールです。

テーマは未定ですが、改めて告知しますので、広く多くの方の参加を希望します。


テーマ1・・武部は何故、庭を造って来たのか?・・・武部正俊
武部は、何も知らず、誰にも習わず、庭を造るという職業を始めてすでに50年を過ぎています。今までこの仕事を続けてこれた事を奇跡的にも思いますし、今では天職だとさえ思っています。

仕事を続けてこられたのは、様々な御縁故だと思っています。
仕入先も分からず、道具を買うすべも知らず、顧客のあてもなく始めた仕事ですが、有り難いことに今まで仕事が切れたことがありません。
思い起こしてみると、全てが「御縁」で繋がっています。

テーマ2・・横行する「ぶつ切り」について考える・・・武部正俊
街路樹や公園樹木の「ぶつ切り」が問題になっています。
まるでこれこそ正しい手入れ法と紛うほどです。
「ぶつ切り」に耐える樹木もありますが、多くは樹形が乱れ、哀れな姿をさらすようになってしまいます。

何故このような事が横行するのか、その原因などを探ってみます。
樹木手入れに対する、根本的な問いにもなります。

テーマ3・・その他の新作発表、その他もろもろ・・・発表者未定
武部の新作「三宮本通商店街の壁面緑化」について、発表しますが、他の方の新作発表にも期待しています。

その他、抱えている問題などありましたら、提示し合い、皆で解決策などを考えてみましょう。

案内は武部正俊のブログやフェイスブックでも公開しています。随時参加も可能です。
随時参加費は2,000円です。 

11月16日、神河町長谷の犬塚で祭があるので、「名古谷昌代」さんと共に行った。
(「神河町長谷の犬塚の祭」参照)

やはり決まった日にその場に行くことによって、体感と共に新たな発見があった。

当日、もう一ケ所行かねばならない場所があった。

その場所は、10月13日に「上森三郎」さん、田中孝子さんと共に行った、上森さんが「ダビデの陵墓」という山「熊ノ原」の山腹にある巨石。

ハイカーなどは「乙女岩」と呼んでいるようだが、我々は「宝珠岩」と名付けた。
宍粟市の聖地探索-2 ダビデの陵墓へ」参照)

その岩の形が何となく「宝珠」の世に思えた事と、このところ上森さん帯も僕も、何故か「宝珠」とよく出会い、キーワードにもなっていたからだ。

同行の名古谷さんも「宝珠」と縁が深い。

名古谷さん自身も、陶器製と思われる綺麗な「宝珠」を持ち歩いている。

それ故に、名古谷さんにもぜひ相対してほしいと思っていた。

10月13日はかなり苦労して歩いて行ったが、「熊ノ原」の「宝珠岩」と名付けた磐座の側まで林道があるのを確認していたので、「犬塚」から犬見川を遡り、砥峰経由で「熊ノ原」に向かった。

林道は比較的整備されていて、簡単に「熊ノ原」の登山口にたどり着けた。

目の前に巨石がいくつかある。

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やはり目立つのは「宝珠岩」。

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「宝珠岩」の割れ目が示す方向は、南東。

この先に何が在るかも調べねばならない。

再度「宝珠岩」に来て思ったのは、「掃除」だった。

名古谷さんは、あちこちで磐座の掃除を献身的にやっているのに刺激されたのかもしれない。

特別な道具は持ってきていなかったが、いつも持ち歩いている、イタリアで買った鉈が万能道具のように使える。

夢中になって掃除を始めたので、掃除を始める前の写真を撮り忘れてしまった。

前回来た時の写真を掲載しておこう。

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(「宍粟市の聖地探索-2 ダビデの陵墓へ」よりコピー)

三つの岩に見える間の落ち葉の積もった窪みがどうなっているのか、氣になっていた。

掃除をしている時の写真も全く撮り忘れている。

落ち葉の下には、腐葉土が堆積し、割れ目に生えている根が絡みついている。

苔は簡単にはがすことが出来たが、根の絡んだ腐葉土を取り除くのは、かなりの労力を要した。

鉈の刃で細根を切り、さらに鋏で根を切り、太い根は鋸で切った。

岩肌が見えるまで、腐葉土を掘り除いていった。

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掃除を終えた状況。

割れ目に生えている右側の樹木は、すでに枯れている。

左側の株立ちの樹木は元気だが、株立ちになっているという事は、以前に根もTから切られたか、あるいは強風で折れたことを示している。

やはりこの方向から見ると「三弁宝珠」を思わせる。(「三弁宝珠」については、
宍粟市の聖地探索-2 ダビデの陵墓へ」参照)

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窪み部分。

深い割れ目があるので、水はあまり溜まらないかもしれないが、水が手前に流れ出す構造に成っている。

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角度を変えて見た全体像。

苔を剥がす事によって、この岩肌に面白い特徴があるのを見つけた。

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「盃状穴」のような窪みが沢山ある。

これはおそらく人工ではなく自然に出来た窪みだと僕は思う。

そこで氣になるのが、石質。

例によって「地質図Navi」で調べてみる。

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赤丸を打った所が「熊ノ原」。

黄土色部分の地質の説明、

火成岩
形成時代:中生代後期白亜紀カンパニアン期~マーストリヒチアン期
岩石:安山岩・玄武岩質安山岩 大規模火砕流

とある。

神河町付近の山には確かに「安山岩」が多く、造園用石材の採取もされている。

しかし、この「宝珠岩」には、「安山岩」特徴は見られず、「溶結凝灰岩」ではないかと思う。

「溶結凝灰岩」の成因が、火砕流らしいので、「地質図Navi」の説明にある「大規模火砕流」からも推察できるように思う。

僕には、岩石学や地質学の知識が全くないので、的確な判断は出来ないが・・・

掃除している過程で、剥離した石片なども出て来たので、剥離によって「盃状穴」のような窪みが出来たのかも知れないと、推察している。

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窪みのアップ。

天然であれ、このような窪みが多数ある事が興味深い。

掃除をすることによって、「宝珠岩」の亀裂もハッキリ分かる。

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南東~北西方向を示す割れ目。

冬至の日の出方向から、夏至の日の入り方向に当たるようだ。

この方向に何が在るのか?まだ調べていない。

掃除が終わった後、名古谷さんは持って来た「宝珠」を「宝珠岩」の上に置いて「レイキ」を行っていた。

僕は周辺をウロウロ。

つづいて、上森さんが「バト・シェバの陵墓」という「出石山(ヒツイシヤマ)」に向かった。

今年(2018年)5月初旬に、ある連絡が入った。

「壁面緑化の仕事があるが、出来ないだろうか?」という問い合わせだった。

連絡の主は「植山環境設計事務所」の「植山祥二」さんだった。

20年以上会ってなかったが、旧知の人だった。

植山さんは、かつて芦屋の「越智工務店」に勤めていて、同じ現場の仕事をしたことがある。

その後退社して、設計事務所を営んでいるらしい。

その「越智工務店」の事務所には、今も「壁面緑化」が残っている。

植山さんはそれを知っていたので、ネット上で僕の名を検索して連絡して来たらしい。

今から30年以上前になると思うが、「壁面緑化(垂直緑化)」に情熱を燃やしていた時代があった。

おそらく僕は、「壁面緑化」の先駆者の一人だったと思う。

一番最初に造った小規模な「壁面緑化」は話題になり、新聞記事になったり,NHKのニュース番組で取り上げられたりもした。

小規模ではあったが、垂直壁面の薄い膜状の設備でも、植物が十分育つ事が確認できた。

垂直壁面という環境での植物の育ち方についても観察できた。

可能性を見出し、ビジネスにもなると思ったが、それ以上の開発はしなかった。

作庭そのものが忙しかったし、資金も無いしという状態ではあったが、庭を造るその事への情熱の方がより深かったからだ。

しかし、壁面緑化の実験をしたことによって、得られた植物栽培のノウハウは大きく、その後の植栽技術にも生かすことが出来た。

1990年に大阪の鶴見緑地で開催された「国際花と緑の博覧会」では、壁面緑化の展示も行われていたようだ。

僕の造った壁面緑化はさほど多くなかったが、唯一残っているのが芦屋の「越智工務店」事務所の壁面だけだ。

花博の前に造っていたので、すでに30年近く経っている。

今も健在で、芦屋の花の人気スポットになっている。

芦屋市主催の「オープンガーデン」で何度も一位を取っている。

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まだ植え替えたばかりでいささか寂しいが、春にはほぼいっぱいに茂る。(2018年12月4日撮影)

厚みはわずか5cm。

給水は、天端からの「点滴潅水」。

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極わずかなスペースに、サルスベリも植えている。

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この丸い葉は、「カンパニュラ-ポシャルスキアナ」。

これは制作当時に植え付けたもので、今もこの環境で生き続けている。

春には広がって、ブルーの星型の花を沢山付ける。

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球根類も面白い生え方をしている。

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天端部分には、宿根草類が幾種類も残っている。(矮性のキンギョソウは今回植え足した)

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「越智工務店」の事務所の半地下部分にも、椿や花水木も植えている。

奥行き30cmばかりの狭い場所で、しかもコンクリートの上に植えられているが、今もしっかり元気に生きて花も咲かせている。

すでに30年ほど経っているが、何の問題も出ていない。

壁面緑化部と同様に、自動潅水装置を使って潅水している。

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横から見ても、なかなか見事。

一見過酷な環境に見えるが、工夫次第で、こんな場所でも植栽の可能性を証明してくれている。

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花水木も沢山蕾を付けていて、毎年見事に咲いて、道行く人の目を楽しませてくれる。

植物の生命力は強い。

それ故に、畏怖すべき存在でもある。

植物を扱う者は、これを決して忘れてはならない。

この「越智工務店」の壁面緑化があったからこそ、今回の仕事に繋がった。

まさに、御縁なのだ。

しかし、クリヤーして行かねばならない問題が多々ある。

先ずは、現場の状況を見、クライアントの望みを聞かねばならない。


つづく

2018年1月28日、「上森三郎」さん、田中孝子さんと共に、神河町の聖地探索に向かっていた。

山に入ると雪が深まり、さらに進むと危険と感じたので、探索を中止し、周辺の興味深い場所を訪ね回った。

最終、前を通ったのが長谷の「犬塚」だった。

「犬塚」の存在は以前から知っていたが、

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雪故に目立つこの石碑が氣になり、上森さんに車を停めてもらった。

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どうも石・岩のようなものが在るようだが、雪に埋もれてよく分からない。

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「八幡山ピラミッド」よく見える。

俄然、「犬塚」が氣になりだした。

その時の記録は「やっぱり、石・岩・磐座に呼ばれているような?!」に書いている。

そして1月30日、「神河町長谷の犬塚は重要ポイント」を書いた。

(「犬塚」の由緒については、上記リンクに書いているので、興味ある方はどうぞ。)

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「犬塚」を中心に、周辺の氣になるポイントと繋いでみた。(
神河町長谷の犬塚は重要ポイント」よりコピー)

興味深い繋がりが見えてくる。

打ったポイントの殆どの場所に行っている。

まだ登っていないのは、「笠形山」だけ。

そして俄然氣になりだしたのが「法道仙人」。

先ず氣になったのが、「法道仙人」が最初に開いた寺院が、加西市坂元町の「法華山・一乗寺」。

それで、「俄然気になりだした、法道仙人と、法華山・一乗寺」を書いた。

2月3日、「法華山・一乗寺」に向かった。(「法道仙人の法華山・一乗寺-1 一乗寺から法華山に登る」参照)

すぐ傍に在る「見子神社」にも行った。(「法道仙人の法華山・一乗寺-2 見子大神」参照)

見事なレイラインで次々に繋がる(「法道仙人と六甲の磐座に導かれ見つけたレイライン」参照)

2月11日上森さん達と、「法道仙人」が修行をしたという「中村東山」にも登った。(「神河町の一対のメノラーの山に登る-1 中村東山の石の塔」、「神河町の一対のメノラーの山に登る-2 中村東山の岩屋」参照)

そして2月17日、雪の消えた「犬塚」の再確認に行った。(「長谷の犬塚は磐座」参照)

「犬塚」は、磐座の上に建てられたお堂であることが確認できた。

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このような「カゴノキ」の「異種合体木」も確認できた。(
長谷の犬塚は磐座」よりコピー)

「カゴノキ」は、聖地に生える樹木であると、僕は確信を持っている。

「異種合体木」も同じ。

「犬塚」ではそれが両方在る。

僕が住む泉北地区にも「法道仙人」開基の寺が在った。

その名も「鉢峰山・法道寺」。

真ん前の「國神社」には行っていたし、その時「法道寺」にも寄ったが氣付かなかった。

7月8日、「國神社」に行き
「鉢峰山・法道寺」の確認も出来た。(「鉢ケ峯寺の國神社の不思議-02 國神社の立地の重要性」参照)

勿論、「六甲山」も「法道仙人」所縁の地。(「法道仙人と六甲山の磐座に導かれて見つけたレイライン」参照)

「法道仙人」との繋がりと共に重要なのは、「犬塚」の位置。

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先ず、「市川」の本流と「犬見川」合流点、三つ巴を描く。

上森さんが「イエスキリストの陵墓」という山、「タダイの陵墓」という山、「卑弥呼の陵墓」という山、の尾根の合流点でもある。

勿論、川を挟む形にはなるものの、この尾根筋も三つ巴を描く。

上森さん曰く、「イエスキリスト=大黒、タダイ=恵比寿、卑弥呼=弁財天」。

そして上森さんは、イエスキリストの命日は、11月17日だと言う。

さらに卑弥呼が入定したのも、11月17日だと言う。

実はこの11月17日の前日、16日に「犬塚」で祭があることを、ネット上で知った。

其処此処に知らぬ顔あり夕焚火」という俳句の題名のブログ。

村の一大イベント「犬塚まつり」

犬塚では、毎年、この季節に祭りが執り行われています。
当番は集落持ち回りで、今年はわが大川原集落が担当。この役が回ってくるのは4年に一度ということで、「オリンピックと同じや」と多分10回は聞きました。
祭りの目玉は、こどもたちによる「奉納相撲」。

とあり、4年の一度の集落ごとの持ち回りで、毎年11月16日に開催されていることを知った。

このブログは、

犬塚まつりは、大川原だけでなく長谷地区全体のお祭り。日頃なかなか出会うことのない、離れた集落の方や子育て世代のご夫婦との交流が新鮮でした。

土俵際で相撲を応援して、寒くなってきたら火の傍に戻って・・・というゆるやかな人の行き来が心地よく感じられる夕べ。主君思いの犬の物語は、今も村の傍らにひっそりと息づいています。

と締めくくられていた。

行かねばの思いが募ったが、このブログ以外に何の情報も見つからない。

「兎に角行く!」と決めて、11月16日出かけた。

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「犬塚大明神」の幟旗、お堂にも幕が。

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土俵も作られ、焚火もされているが、誰もいない。

祭が開催されることは確かなようだ。

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「犬塚」の神紋は「三つ葉葵紋」

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徳川家の「三つ葉葵紋」と全く一緒。

不思議に思えたので、「三つ葉葵紋」について調べてみた。

このように三つ葉葵の使用を制限する一方で、元禄7(1694)年には将軍綱吉の命によって、葵紋のルーツである賀茂神社の復興策が推進されます。 賀茂神社の賀茂祭りは応仁の乱以来200年間途絶えていたのですが、これを復活させるとともに名称を葵祭と変えさせます。

三つ葉葵を将軍家の紋とし、由緒正しき賀茂神社の祭礼を葵祭りと呼ばせることで、葵紋の権威を高めようとする方策だったのです。

こうして三つ葉葵の紋所は、かつての天皇家の菊紋に匹敵する権威の象徴として君臨することになるのです。
(「徳川家康の家紋 三つ葉葵はどんな意味を持つ紋所なのか?」よりコピー)

徳川時代には、厳しくこの紋所の使用は制限されていたようだし、天皇家の「菊花紋」に匹敵する権威の象徴だったとか。

その「三つ葉葵紋」が、何故ここで使用されているのか不思議に思うし、「犬塚」の権威を示しているのかもしれない。

「犬塚」伝承にあるような、忠犬を祀ったものというよりは、「狼=大神」の等式が成り立つのではないかと、かねがね思っている。

同行の「名古谷昌代」さんは、お堂の裏側でレイキを行っていた。

何度も来ている場所だけど、僕はそこいらをウロウロ。

すると世話役らしい方が二人やって来た。

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土俵の真ん中に、おがくずを山のように盛り始めた。

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そして真ん中に、「榊」を挿した。

東向けに挿すらしい。

このおがくずを「ひっこ」というらしい。

「ひっこ」というのは木を切る際にでるクズで、転倒時のクッションのために土俵の中と外に薄く撒きます。あまり厚くなると、滑りやすくなりかえって危険なので注意が必要なのだそうです。
(「其処此処に知らぬ顔あり夕焚火」よりコピー)

そして、お堂の扉を開けてくれた。

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念願の「宝篋印塔」と出会うことが出来た。

大きなものではないが立派な作りで、古式を示している。

神河町には「犬伝承」に伴う「宝篋印塔」がもう一ケ所祀られているらしい。

福本福山宝筐印塔(写真提供:神河町教育委員会)
中村から南に行った福本(ふくもと)の福山集落(ふくやましゅうらく)には、牧夫長者(まいぶちょうじゃ)の屋敷跡と伝承されてきたところがある。現在は稲荷の祠(ほこら)がまつられている。その背後の山頂付近には、犬の供養塔とされる宝筐印塔(ほうきょういんとう)と五輪塔(ごりんとう)
もある。宝筐印塔は南北朝期の形式を示す優品である。そこから谷を一つ隔てたところにある五輪塔は、各時代のものを寄せ集めたもののようだ。
(兵庫歴史ステーション「犬と人」よりコピー)

福本の「宝篋印塔」にはまだ出会えていないが、形はよく似ていて「犬塚」のものは少し小ぶりのように思う。

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石質は「竜山石」だろうか?

細部を見ても、素晴らしいと思う。

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「一石五輪塔」もいくつか堂内に安置されている。

元々は、「宝篋印塔」も「一石五輪塔」も、この「犬塚の磐座」に祭られていたものと想像する。

この時世話役の方から、興味深いことを聞いた。

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お堂の真裏に、小さな磐座が在る。

この磐座が最頂部にあるので、石は小さいが最も大事な石ではないかと思っていた。

この石の前には半場埋もれてはいるが、小石での囲いが成されている。

「昔、ここに水が湧いていたと聞いている!」と言う。

60代後半ぐらいと思うその方も、「水の湧いていたのは見たことがないが、そのように聞いている!」と言った。

これでこの場の重要性がさらに強まった。

この場所は、1103.4mの「段ヶ峰」から「タダイの陵墓」をへて続く尾根の最末端。

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(「長谷の犬塚は重要ポイント」よりコピー、元ネタはGoogleマップ」の衛星画像)

これを見ると、道路によって「犬塚」が分断されていることがよく分かる。

このような分断がいつ行われたかは分からないが、道路が出来る事によって、水道が切られてしまったのかも知れない。

ここで湧いていた水は、極めて重要な「聖水」だった可能性が大だ。

利便性が、その「聖水」を切ってしまった。

俄かに、この場所の掃除をしたくなったが、当日はもう一つの目的があったので、別の機会にと思い、その世話役の方に「ここの掃除をさせてもらって良いだろうか?」と訊ねてみた。

「ここはもう寂れてしまっているので、多くの人に知ってもらいたい。インターネットなんかで、伝えてほしい!」と訴えられ、掃除に付いても快諾してくれた。

電話番号も教えてもらったので、来年にでも「犬塚・掃除」の企画を立ててみたい。

当日の祭は午後6時からとか。

先ず仏式の法要が営まれ、6時半から「子供相撲」が開催されるらしい。

参加したいが、残念ながら時間が無い。

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世話役の方。

少し緊張気味ながら、カメラに収まってくれた。

11月17~18日は、上森さんの会社「T.T.C」企画の「第16回:「イエス様の命日・宝珠の旅」と題したツアー。

勿論僕も参加した。

ツアーでまず向かったのが、「法道仙人」開基の「一乗寺」。

繋がりが深まり、「犬塚」の重要性が、益々高まった。

「八禰宜山」から「地理院地図」にも記されている「八大龍王」に向かう登山道は、さほど起伏も無く歩き易いが、尾根筋近くを歩いていても、残念ながらほとんど見通しはきかない。

尾根筋に時々現れる巨石・磐座群については「八禰宜山~八大龍王へ-3 尾根上の巨石・磐座群と地質」に書いた。

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「剣峠」から「八禰宜山」経由、「八大龍王」までの登山ルート。

西側の366mの山まで行きたかったのだが、雨は止んだものの、ガスが架かって何も見えないので、「八大龍王」へと向かった。

尾根筋から少し降ると、社を覆っている屋根が見えて来た。

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社は残されているものの、「八大龍王」は「朝熊山山頂」に遷座されている。

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上二枚の写真は「朝熊山山頂」の「八大龍王」。

一見立派になり、車で乗りつけできるが、「八大龍王」を祀るにふさわしいかどうか、聊か疑問。

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こちらは、割拝殿かお籠り場か?すでにボロボロ。

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社の右手には、新しい石碑。

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「福引山・飯盛寺跡」と書かれた石碑。

ネットで調べてみたが、情報はまるで無し。

下の平らな石が氣に成る。

大きくはないが、天端は真っ平。

何らかの祭祀がおこのわれていた場所だと思った。

そして、磐座が在るとの確信も持てた。

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このような、龍頭・舟形の手水が在った。

しかし、石製ではなく、セメントで作られたもの。

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このような形の手水を見たのは初めて。

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少し上に、石仏。

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大きな「如意・宝珠」を両手で持っている。

穏やかな顔が何とも良い!

ここでもまた「如意・宝珠」が現れた。

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石仏の左手に階段。

今年は台風が多かったので、いささか荒れ気味だが、参拝に来る人もほとんどいないようだ。
「朝熊山」に遷座されているので、致し方ないかもしれない。

巨石・磐座に付いては、つづきで書くとして、社の左手に興味深い場所が在った。

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石垣と割拝殿。

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その左下に、まるで泥沼。

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泥沼は、かつて聖水の溜まった池だったのだろう。

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聖水の湧き出る井戸が在った。

近付くと、数匹の蛙が井戸に飛び込んだ。

大きさや形から、たぶんカジカ蛙だと思う。

水を飲んでみたが、甘くおいしかった。

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ほぼ南北。

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「水神明王」の石碑。

「八大龍王」だけに聖水が重要。

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泥沼化してしまっている池から、かつては聖水が滝となって流れ落ちていたのかもしれない。

落ち葉や枯れ枝で、荒れた感じがぬぐえない。

8月27日、生駒の「八大龍王・総本山・龍光寺」に行った。

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ここにも「小桜龍王」として祀られている聖水の湧き出る池が在った。。(「生駒の八大龍王と稲倉神社の磐座-1 八大龍王の磐座」よりコピー)

龍には聖水が欠かせない!

「八禰宜山」の西側に在る「八大龍王」には聖水があり、さらに巨石・磐座群も続々見つかった・

やはりただならぬ場所。

巨石。磐座につづく


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