火(ホ)と「ニワ」と鍋釜

庭を造るという現場から体験したこと、そして「人はなぜ庭を造るのか?」考え続けてきたことなどを、ぼちぼち綴るブログ。 等ブログの履歴などの情報は、最下部にあります。

火はホと読む。「ニワ」は庭と漢字で書かずカタカナで書く。鍋釜は漢字。
火は唯一人だけが制御できるエネルギー。「ニワ」は人としての基盤。鍋釜は人の食の道具。
一見、脈絡のない言葉がつながる。

1月4日に「外宮・多賀宮の謎」という記事を書いた。

過去記事の「白髭神社と内宮の磐座」で引いたラインが、「多賀宮」の真上を通るばかりか、社がそのラインに沿っている。 

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外宮・多賀宮の謎」で示した地図。(詳しくはリンク参照)

この発見により、僕は滋賀県高島市に行かねばならないと強く思った。

1月9日、まず高島の「白髭神社」に向かった。
(「白髭神社」については当ブログでも何度も登場しているので、検索結果をリンクしておく。

「白髭神社」に向かった目的は、「猿田彦大神」への挨拶。

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「白髭神社」の湖中の鳥居。

このはるか向こうに、外宮の「多賀宮」があり、その先に「内宮の磐座」がある。

それ故、正式参拝を申し込む。祈祷ではなくあくまでも挨拶。

宮司によるお祓いの後、玉串奉納。
極あっさりしたものだった。

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「白髭神社の磐座」。

「スクレーパー」状の稜線はきっちりと「南北」を示している。

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石室状の遺構の上にある石組。

石は大きくないが、美しくかつ威厳を感じる。

しかし、まだ謎ばかり。

「ホツマツタエ」によると、「猿田彦」は長田生まれ。

高島市には「永田」という地名があり、「長田神社」がある。

所在は知っていたが、まだ行ったことがない。

地図で見ても、平野部にある神社なので、そこから何が見えるのか?その確認をして見たかった。

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中央部の鳥居マークが「長田神社」。
赤丸ポイントは本殿の位置。
周辺には田圃が広がっているのが、地図からも分かる。
地理院地図に示されている地名は「永田」。

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鳥居から拝殿、本殿は一直線。

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本殿。

調べてみると祭神は「事代主命」と「天鈿女命」。

神戸市長田区長田町の「長田神社」の主祭神は「事代主神」。

しかし、高島の「長田神社」には「天鈿女命」が祀られているのに、「猿田彦」が祀られていないのには違和感を感じる。

「ホツマツタエ 三十六紋」には、

ナガタウマレノ ツチギミワ モトニカエラン

と記されている。
ここで示された「土公(ツチギミ)」とは「猿田彦」のこと。

神社と古事記」というHPの「伊勢の猿田彦神社」についての解説に、

倭姫命世記によれば、その子孫の大田命は天照大神(アマテラス)を祀る地として倭姫命(ヤマトヒメ)に五十鈴川川上の地を献上した。大田命の子孫は宇治土公(うじのつちぎみ、うじとこ)と称し、神宮に玉串大内人として代々奉職したが、その宇治土公が邸宅内の屋敷神として祖神のサルタヒコを祀っていた。

と記されている。

したがって、「長田神社」は「猿田彦」が帰った宮ではないかと推測もしていた。

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僕が興味を以て確認したかったのは、「長田神社」と「岳山」の位置関係。
「長田神社」から「岳山」がどのように見えるか?

「長田神社」に近づくにつれて、それはすぐに確認できた。

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中腹に白い山肌が見えるのが「岳山」。

岳山」には、2016年3月21日に登っている。

その中腹に、草木が全く生えず、真っ白な砂がむき出しになっているところが有った。

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この様な場所が4か所ほどあり、「岳山」を顔に見立てると、まるで口髭のように見える。
それ故に、「猿田彦」を「白髭」ともいうのかと、僕は思っている。

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この山腹の白砂の所から、琵琶湖を挟んだ対岸に「伊吹山」が見える。

「伊吹山」は「日本武尊」の伝説が残る場所。

【伝説】日本武尊(やまとたける)が東の国征伐から帰る途中、伊吹山に荒神がいることを聞き、その荒神を征伐するために伊吹山に登られました。
 山頂近くに達すると大きな白いイノシシが現れたため、尊は弓矢で威嚇してさらに進まれました。
 しかし、なぜか急に毒気にあたって熱を出し気を失われました。実は、このイノシシは山の神の化身で、その怒りにふれたからです。 
 家来は、尊を背負って退散し、麓の清水が湧くところで尊に冷水を含ませると、たちまちに目が醒められました。
 以来、この地は醒ケ井と呼ばれています。また、一説には、日本百名水の一つ、山麓の大清水の泉神社湧水とも伝わります。
 その後、尊は伊勢の「能ぼ野」に行かれ、ここでで亡くなったとされています。
(「日本武尊の伝説」より) 

「岳山」と「伊吹山」 の位置関係も興味深いのだが、まだよく分からない。

「岳山」は「猿田彦」を象徴する山。
山麓から山頂まで「磐座」だらけだった。

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山頂にも巨石・磐座。

写真には撮りにくかったが、三角に尖った磐座は、「猿田彦」を思わせる。
高島の「岳山」は巨石・磐座だらけ-参照)

「長田神社」周辺から「岳山」がよく見える。

しかも、「長田神社」の南側に「和田打川」から取り入れた水路が流れていて、そこに不思議な石組がある。

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「長田神社」側から水路に向かって広い階段が有り、水路の中には石組。

その石は天端が平らで、上に立つことが出来る。

その石の上に立つと、「岳山」がよく見える。

さらに下流側にもう一組。

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さらに複雑な石組で、右側のは「舟形石」。
左側の石は天端が平らで、この石の上からも「岳山」がよく見える。

水路は間知石とコンクリートで固められているので、ごく最近改修されたものと思うが、おそらくこの石組は古くからあったのではあるまいか。

ここにも広い階段。

何らかの祭事が行われるのであろうか。

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「舟形石」の指し示す方向にはクッキリと「岳山」。
四ケ所の山腹の白砂が、その存在を示している。

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道路側から見た石組。

幅の広い階段は、この石組と「長田神社」の祭事を意味付けていると思うのだが、まだ検証は出来ていない。

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上流側の石組。
シンプルで美しい。

この水路の石組は、明らかに「岳山」と長田神社」の関係を示していると、僕には思われた。

「長田神社」の祭神はやはり「猿田彦」でなければつじつまが合わない。

「猿田彦」の根拠地のここでも、「猿田彦」は隠されている。

何故に?

伊勢と出雲の繋がりを示すものとして、「内宮の磐座」と「出雲の弥山」を、以前から「地理院地図」上で繋いだりしていたが、途中に神社マークが多くみられるものの、特別な場所を示していないので、このラインをあまり重要視していなかった。

伊勢の内宮の真北に巨大な磐座が在る。

この磐座に僕が出会ったのは 、2011年8月15日だった。

内宮の近辺に磐座が在るのではないかと探し始めて、半年ほどたってからであった。
そして僕は「内宮の磐座」と名付けた。

この「内宮の磐座」については、「イワクラ学会」で発表はしているが、当ブログなどで公表することは控えていた。

僕自身が、封印していたと言っても過言ではない。
その時期にまだ達していないと思ったからだった。

2015年出雲で「イワクラ・サミット」が開催された時、出雲大社の東にある「弥山」が気になり、登ってみた。
そして。磐座を発見した。(出雲の「弥山」は「ミヤマ」 参照)

出雲大社の神体山は、その北側にある「八雲山」とされているが、むしろ東側に綺麗な三角形の山として聳える「弥山」こそ神体山として相応しいのではないかと思っていた。

「弥山」と仏教用語的な呼び名になっているが「ミヤマ」が変化したのではないかと、僕は勝手に思っている。

「内宮の磐座」と「出雲の弥山」を繋いだ時、そのラインが「武部」という地名の真上を通ることは見付けていたが、それ以外特別な場所が無かったので、冒頭にも書いたように、あまり重要視していなかった。

今年1月11日に「吉野信子」さん率いる「カタカムナ」研究グループと共に、「内宮の磐座」で神事を行った。
80名もの人々が、各々の個性を持ちながら一つになっての神事だった。

僕は「猿田彦」のごとくその導き役だった。

この神事によって、「天地人」が真に繋がったとさえ思われた。

この神事の記録は僕は取っていない。

映像作家の「アツミ ケンジ」さんがつぶさに撮ってくれているので、いずれ発表されるかもしれない。

僕は、僕自身が封印してきた「内宮の磐座」のそれを解く時がやっと来たように今思っている。

その封印を特に先立って、「地理院地図」上で再び「内宮の磐座」と「出雲の弥山」を
繋いでみた。

そこに、興味ある地名が現れた。

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右下が「内宮の磐座」。
左上が「出雲の弥山」。

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紫のラインと繋がっている赤丸ポイントが「内宮の磐座」。

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紫のラインで繋がっている赤丸ポイントが「出雲の弥山」。

尾根上の赤丸ポイントは、磐座を見つけた場所。
その場所は、出雲大社の真東。

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「出雲の弥山」から紫のラインを辿って行くと「武部西・武部東」という地名の真上を通る。

すぐ近くに「荒神谷遺跡」がある。

「斐川町神庭(ヒカワチョウカンバ)」という地名があるのも気に入っている。

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さらに辿ると、「上森原」、「上森川」という地名が。
岡山県苫田郡鏡野町。

上森三郎」さんを暗示するかのよう。
近くに「王子」という山もある。

「中田」という地名もあるが、逆さま。

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さらに降ると「吉野」。
岡山県勝田郡勝央町。

吉野信子」さんを暗示する。

もう一人「田中孝子」さんを暗示する地名がないものか探ってみる。

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ラインから少しだけ離れているが「田中上」という地名が示されている。
やはり有った。
島根県雲南市大東町。

偶然のこじつけと言ってしまえばそれまで。

今、隠された謎を解こうと探索を続けている、僕の身近な人の名が、地名として繋がるのは、何ともはや不思議な縁を感じる。

伊勢と出雲の融和。
あるいはそのカギを我々が握っているのかもしれない。

方法論は、各々違う。

その違いを統合して行くことによって、より確固たるものになる可能性をここに強く感じる。

この御縁を大切にしなければならない。

僕は僕自身の封印を解こう。

まずは「内宮の磐座」。

これから大変な作業が待っているかもしれないが、11日の神事によって、僕にも覚悟が出来た。

1月10・11日と、「カタカムナ」研究家の「吉野信子」さん率いるグループと一緒に、外宮、伊雑宮、内宮などに、「カタカムナ的神事」のために向かう。
僕は「内宮の磐座」を案内することになっている。

「内宮の磐座」については、2014年9月大阪で開催された 「イワクラ学会10周年記念大会」で、研究発表したものの、当ブログなどではまだ公表していない。
今のところ、封印しているが、間もなくこの封印も解くことが出来るかもしれない。

資料作成のため、過去ブログを読み返していて、興味深い事に気付いた。

その過去ブログは、 2015年1月26日に書いた「白髭神社と内宮の磐座」。

「内宮の磐座」と滋賀県高島市の「白髭神社の磐座」を 、「地理院地図」上で結んでみた。

その時、「外宮の神域」をラインが通る事には気付いていたが、やや太い線を引いたため、正確にどこを通るかまで見ていなかった。

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「外宮の神域」はまるで城郭のように、水で取り囲まれている。

赤の垂直ラインは「浅間山(センゲンザン)」から延びる「南北ライン」。
(「行った場所は、石・岩・磐座だらけ-速報」参照。その他はまだ詳しく書いていないようだ。)

紫のラインは「東西ライン」。
(「内宮と外宮の東西軸-1 伊豆諸島の鵜渡根島と白山」、「内宮と外宮の東西軸-2 対馬の伊豆山」参照。)

細い茶色のラインは、「内宮の磐座」と「白髭神社の磐座」を結んだライン。

拡大してみよう。

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「外宮」の主な配置がよく分かる。

「多賀宮」は小さく分かりづらいのでさらに拡大。

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茶色のラインが「多賀宮」の真上を通っている。

しかも地図上で見る「多賀宮」の配置角度が、茶色のラインの角度とほぼ一致している。

この発見の意味は極めて大きい。

「多賀宮」は、「内宮の磐座」の方向を向いている。
まるで「内宮の磐座」を遥拝しているように見える。

また「多賀宮」を参拝する人は、「多賀宮」を通して「白髭神社の磐座」を拝んで入り事にもなる。

殆ど全ての参拝者は、そんな意識は全くないだろうが。

ここで「外宮の南北軸」についても、若干説明しておかねばならない。

「内宮」の真北には「内宮の磐座」と名付けた巨大な磐座が在り、南には「八禰宜山」という綺麗な三角形の山があり、この山にも磐座が一杯ある。

「内宮の磐座」と「八禰宜山」を結んだ「南北軸」に沿って「内宮の東西の御敷地」の境界が設けられている。(正確には5m程度東にずれているが。)

「外宮」の北側はほぼ平地で、神社は在るものの、磐座らしいものは今のところ見つけていない。

しからば南と思い「地理院地図」で探ると、「178mの小さな山」があり、そのコンタラインは円錐形状で尖っている。

「内宮」の宇治橋前の駐車場から五ケ所湾に抜けて行く道がある。
急峻な山岳道路で、その峠が「剣峠」。

「剣峠」の西側に「八禰宜山」が聳える。

「剣峠」から五ケ所湾に向かって下って行くと、綺麗な三角形の山が、眼前に見える。(
行った場所は、石・岩・磐座だらけ-速報」参照。)

この山が、先ほど示した
「178mの小さな山」。
この道を通る度に気になっていた山でもある。

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この山は「浅間山(センゲンザン)」という。
登った記録が、
行った場所は、石・岩・磐座だらけ-速報」。

中腹から山頂にかけて磐座だらけ。

山頂には「宝永山」が祀られていた。

この「浅間山」は、明らかに「富士山」を象徴する山。

山や磐座は簡単には動かない。

この「浅間山」が「外宮」の起点になっているのではないかと、正確な南北ラインを引いてみた。

すると「外宮」のパワースポットとして知られた「三ツ石」に至る。

この「南北軸」を基準とするならば、「外宮」の正宮はやや西にずれていることになる。

しかし「多賀宮」はほぼこの「南北軸」上に位置する。

つまり「内宮の磐座」と「白髭神社の磐座」を結んだ軸線と、「浅間山」起点とする「南北軸の交点」に「多賀宮」は位置している。

これはただ事ではない。大きな意味を秘めている。

しかもこの「南北軸」は「三ツ石」を通る。

興味深いのは「三ツ石」あたりを「中央構造線」が通っていること。

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Googleマップに示された中央構造線ライン」。

この地図では、「中央構造線」は、「三ツ石」のすぐ南側を通っている。

このラインの精度がどれほどのものか、僕には理解できないが。「三ツ石」のすぐ傍を通っていることには違いがないのであろう。

「中央構造線」は世界有数の大断層で、この断層面全体がずれ動けば、日本は南北に分断されかねない。

また「中央構造線」上には、聖地や神社が多いと聞くが、まだ詳しくは調べていない。

地質は極めて重要だと思っている。

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「地質図Navi」で見た、「外宮」周辺の地質。

「地質図Navi」の説明によると、白い部分は、

後期更新世-完新世(H)の海成または非海成堆積岩類
説明: 約1万8000年前~現在までに形成された最も新しい時代の地層

とあり、極新しい地層。

黄土色部分は、

三波川変成岩類の泥質片岩(弱変成相)
説明: 約1億2000万年前~6000万年前に地下深くのやや強い圧力で形成された泥岩起源の三波川変成岩類

と古い地層で、「多賀宮」はこの境界線上の小高い部分に鎮座している。

実は地層的には、「内宮の磐座」の在るところと地質は同じ。
(「内宮の磐座」は石灰岩質が熱変性を受けた「大理石」だと考えているが、ここではまだ述べない。)

また、標高も参考になる。
「地理院地図」の表示によると「外宮の正宮」のある場所は、海抜5m。
正宮の辺りは若干盛土されていてこれ。
「三ツ石」のあたりだと3.6mしかない。

「多賀宮」は20.4m。

ちなみに「内宮の正宮」の辺りは26.6m。
「内宮の磐座」辺りは30.6m。

この高度差にも、何らかの意味を感じる。

「多賀宮」により強い興味を感じたのは、今回の参拝旅行でたぶん同行することになる方の、Facebookへのコメントから。

それには、「ベラ・コチェフスカ」という超能力者の「多賀宮」での体験であった。

その出所を調べてみたら出て来たので、少し長いが引用させてもらう。

出所は「伊勢神宮に祭られるイスラエルの神 ”ヤハウェ”

伊勢外宮は「ヤハウェ」が祀られている“人類の聖地”

「世界一の超能力者」という肩書を持つベラ・コチェフスカさん は、伊勢神宮参拝の折、興味深いことを示唆している。

ベラさんと日本人スタッフ一行は、「外宮先祭(げぐうせんさい)」の故事にならったわけでもないだろうが、まず外宮の方に先に詣でることにした。

そして、外宮の本殿に参拝した直後、ベラさんに異変が起こった。まるで何ものかに吸い寄せられるように、突然、やや後方に位置する小高い丘に進み始め、スタッフも追いつくのに苦労する速度で階段を上がり始めた。
「神様が私を引っ張っていく」
とベラさんは言ったという。
小高い丘の上には、豊受大神の荒魂(あらみたま)を祀るという多賀宮(たがのみや)が鎮座している。「荒魂」というのは「荒々しい魂」の意ではなく、「顕レ魂」、すなわち必要に応じて神の意思が顕(あらわ)になること、顕現することを表現したものであろう。

多賀宮の神前に進み出たベラさんは、息をはずませながら、感慨深げに御神殿を見つめ、静かに手を合わせて祈りを捧げ始めた。と、次の瞬間、地面にひれ伏し、ハラハラと落涙(らくるい)した。何事かの霊的な感応現象が起こったことは明らかであった。

参拝中に何か神からのメッセージがあったのか、あるいはヴィジョンのようなものを見たのか、ベラさんは具体的なことは何も話さなかった。しかし、ここは大変な聖地であり、世界中の誰もが参拝に来て、祈りを捧げなければならない、という意味のことを言ったという。 

ベラさんは、日本の古代史のことなど、何も事前知識がない。ほとんどブリーフィングもなく、無知識同然のままに伊勢に参拝に来ている。

「大変な聖地」というのが、果たしてこの多賀宮のことなのか、あるいは外宮全体のことか、お伊勢全域のことなのか、定かではない。ともかく、人類のすべてにとっての聖地であるという意味のことを言った。

そしてこのようにも書いている。

日本は宇宙からのエネルギーを、直接受ける特別な聖地

と。

であるならば、その神は、イスラエルの神と言うだけではなく、日本の神であり、地球そのものの、あるいは宇宙の神。

ラインが示しているターゲットは、やはり「内宮の磐座」!

GARDENING研究会2016年1月定例会ご案内
                      

                                    2017年1月2日
                                       武部正俊


   日時 2017年1月15日 13時より17時
  会場 スイスホテル南海大阪 7階 橘
受付・会場   12時30分
パーティを含めた会費 10,000円
申し込みは1月10日までにお願いします。
TEL 090-2599-7367 
FAX 072-290-2813
E-mail  omtakebe@sakai.zaq.ne.jp


新年あけましておめでとうございます。

2017年の新年は、穏やかに開けました。

激動の年になるとの予測もあるようですが、私たちはひたすら日常をこなして行かねばならないと思います。


Gardening研究会の今年最初の定例会は、南海電車難波駅の上にあるスイスホテル南海大阪の
7階、  で開催します。

久しぶりの講演会とパーティーです。

今回は会員外の参加も受け付けます。こぞって応募してください。

受付人数は一応30名ですが、若干の追加は可能かと思います。
申し込みは、必ず上記に1月10日までにしてください。(参加申し込みは、メールが一番有り難いです)

準備予約の都合上、申し込みの連絡がない場合の、当日参加は受け付けません。(武部は、10,11日留守にしますので、12日には必ず受付の返信をします)


公演等の内容について

Gardening研究会の若手のホープでもある、甲田孝也君が、1年7ヵ月に及ぶ、アジア、中近東、ヨーロッパ、アフリカなど53ヵ国漫遊の旅から大晦日に帰ってきました。

ずいぶん瘦せたようですが、たくましい面構えになっているようです。
旅では多大な刺激を受け、この経験は甲田君の一生の宝にもなる事でしょう。
その宝のおすそ分けを、いただこうと企画しました。
Facebookで甲田君の発信を受け取った方も多いかと思います。

まだ旅のデータの整理も出来ていないと思いますが、まずはGardening研究会で、旅の話をしてもらいます。

甲田君と武部の対談形式で話は進めて行こうと考えていますが、勿論台本はありません。
映像も映す準備はしておきますが、おおむね対談で進めて行こうと思います。
勿論、参加者からの突っ込みは大歓迎します。

上記第一部は、13時から14時30分ぐらいまでを予定しています。


第二部は、作庭・造園の未来について語り合う討論会にしてみたいと思っています。

昨今、雑誌・メディアなどで、緑・庭が大々的にテーマとして取り上げられています。
有難いことではありますが、多少違和感も感じます。

この仕事に係わる者が、真剣にその根本と未来へのビジョンに取り組んでいないと、かつてのガーデニング・ブームのように、メディアの熱が冷めてしまうとぽしゃってしまいかねません。

Gardening研究会が発足して20数年、毎月の定例会でその根本と最先端を論じ合いながら、視野を広めることに努めてきました。

それと、個人的な努力が相まって、この業界で注目される方々が幾人も出てきました。

主宰者として嬉しく誇りに思うと共に、常に更なる深みを目指さないと、世間からそっぽを向かれてしまいかねません。
お互いに刺激しあうことが大事だと思います。

15時ごろからパーティを始めます。
討論はそのまま継続して行きます。
17時までです。

各自、庭談義に花を咲かせましょう。

時間が早いので、二次会も考えています。
二次会にも参加される方は、その旨お知らせください。
人数が多い場合は、予約する必要があります。


この業界に関係のない方の参加も歓迎します。
 
こぞっての参加の意思表示を、お待ちしています。
 

「大碆(オオバエ)の巨石」から室戸岬に向かってさらに南下して行くと、前方に綺麗な三角形の小山が見えてきた。

あまりに綺麗な三角形なので、車を停めて写真を撮った。

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石らしきものが見えるので、ズームアップしてみる。

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やはり石が在る。
登ってみたいが、先を急ぐので帰りに寄ることにした。

この小山の麓には、鳥居も見えた。
きっと、磐座が在る。

10月10日、目的を果たした帰り、この小山に立ち寄った。
この小山の海側に「室戸海洋深層水研究所」がある。

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その近くから撮った小山。
慰霊碑が建っている。

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国道55号線のすぐ横の鳥居と狛犬。
鳥居の外側に狛犬がいるのは、珍しいような?

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鳥居の扁額には「北明神」と。

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鳥居を潜ってびっくり、石だらけ。
やはり予測は当たっていた。

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参道を除いて、残念ながらジャングル。

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かなりの巨石もあるが、写真では分かりづらい。

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これなど立派なもの。

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巨石だらけの様相。

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天然の手水鉢。

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コンクリート製の階段の脇にも巨石。

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階段の側に「スクレーパー」と思われる巨石。

この様な石は、方向を示す「方位石」であることが多い。

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東西ラインからほんの少しずれているが、何を示しているかは調べていない。

ジャングルの藪漕ぎを覚悟していたが、階段が有るので楽に登って行ける。

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面白い形の木も生えている。

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山頂付近も石。

「上森三郎」さんが珍しく、先頭を切って登って行く。

すると突然、悲鳴を上げて後ろに倒れ込んできた。

蛇が前を横切ったのだという。

何度も何度も聞かされている。
上森さんは蛇が大の苦手なのだ。
山に登る時僕を誘うのも、この蛇対策もあるようだ。

上森さんには何か「蛇の呪縛」が有るらしい。
これを解き放つのは容易ではなさそうだが、きっと解き放つ事が必要なのだと、僕は思っている。

「蛇」は極めて重要なキーワードなのだから。

山頂に覆い屋が有る。

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鍵が掛かっていなかったので、挨拶して開けてみる。

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額にこの神社の由緒が書かれている。

神社の正式名は「北野神社」と言うらしい。

古老の言い伝えによると この神社は元文元年 波荒れ狂う中 浜邊の岩の上に「神々しく光り輝く」物体が岩の隙間にとどまっていた その岩は 潮が満つと波間に消え 潮が引くと頭を出と言う岩で「みょうじんばえ」と呼ばれていた
その物を漁師が見つけ これは神さまが流れてきたと喜び 海岸の上に祭ったものと言われております
なお 祭った処にある山が地区の北に当たるため 「北野神社」と祭る

とある。

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覆い屋の横に「丸石」も祀られている。

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山頂も石だらけだが、かなり草木に覆われてしまっている。

元は、岩頭を光らせていたのではあるまいか。

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山頂の北西方向に見える二つの峰が気になる。

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「Geographica」の記録。

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意味ありげな空洞。

山から下りて、海岸縁を見に行く。

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平たい岩礁が在るが、地図にはその名前は記されていない。

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室戸岬方面を望む。

帰ってから、「北明神」でネット検索していたら、面白い室戸の民話が出て来た。
ウツボと徳爺さん」と題されている。
(興味のある方は、リンクからアクセスして読んでみて下さい。)

この民話によると、「北野神社」の鎮座する小山は「丸山」と呼ばれていたらしい。

この巨石・磐座一杯の「丸山」という小山がずいぶん気になった。

ネットで調べても、めぼしいものは出てこない。

そんな時は「地理院地図」を使ってラインを引いてみると、いろんな発見がある。

まず気になったのが、二つの山の峰が見える北西方向。

そして、なぜか北北東方向の丹後半島。

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「地理院地図」上に引いた二本のライン。

まず起点の「丸山」付近。

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鳥居マークのある小山が「丸山」。

ラインは、北西側にある二つの峰の間を通る。

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ターゲットは、山口県萩市須佐の「高山(コウヤマ)」。

高山と書いて「コウヤマ」と読む。
高=神。
大和言葉の音を漢字で現すと、漢字の持つ意味に惑わされやすい。
「高山」は「神山」でもあるはず。

我が家の近くにも「荒山(コウゼン)」と呼ばれるところがある。
多治速比売神社」が鎮座する。
これも、荒=神であろう。

「須佐の高山」には、強い磁気を帯びた巨石があり「須佐高山の磁石石」として、国の天然記念物に指定されている。

この「磁石石」は間違いなく磐座であろうが、僕はまだ行ったことがない。

「丸山」~「高山」のライン上には幾つか興味深い場所があるが、その最たるものは、広島の「厳島神社」の神体山である「弥山」を通る事。

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「弥山」とはドンピシャではないが、「獅子岩」のすぐそばをラインは通る。
この様な、聖地を通るラインには、必ず意味があると思っている。

北北東に伸ばしたラインは、最初丹後半島の「依遲ヶ尾山(イチガオヤマ)」をターゲットにしてみたが、少しずれる。

それで、「竹野神社」のすぐ傍にある、上森三郎さんが「モーセの陵墓」という「217mの山」をターゲットにしてみた。

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「217mの山」が、上森さんが言う「モーセの陵墓」。

僕はこの山に二度登ったが、僕には「モーセの陵墓」かどうか判断はできない。しかし不思議な感覚の山でもある。
何と言っても、ここから見る「依遲ヶ尾山」が素晴らしい。

「丸山」~「モーセの陵墓」を結んだラインも極めて興味深い聖地を通る。

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高砂沖の「上島」。

当ブログにも「上島」は何度も登場している。(リンク参照)

「上島」には巨大な「人面岩」があり、その真北には、神河町の上森さんが「イエスキリストの陵墓」と言う山がある。

また、もう一か所、興味深い場所を通る。

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兵庫県多可町の「千ヶ峰」の中腹にある「神光寺」の真上をラインが通る。
下の赤丸は「五霊神社」。
「千ヶ峰」周辺は大聖地。


また、「北野神社」あるいは「北明神」という神社名から、気になるのは「北方」。

それでラインを引いてみた。

すると、「上森三郎」さんが指摘する極めて興味深い場所を通る。

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岡山県備前市穂波。
赤丸が人間国宝にも指定された陶芸家「藤原敬」記念館。

上森さんは「イエス・キリスト」はこの地で亡くなったと言う。

それ故か、この地のかつての地名は「和気郡伊里村穂波」であった。

上森さんは「伊里
(イリ)」を「イエス」と解釈するようだ。

磔刑の十字架には「INRI」と書かれている。

(上記リンクのウイキペディアより拝借)

イエスキリストの陵墓」についても、当ブログにいろいろ書いてきた。(興味ある方はリンク参照)

この様に、全く別の目的をもって「室戸岬」に行った時に、偶然見つけた巨石・磐座だらけの小山「丸山」が、俄然大きな意味を持ちだした。

地図上での発見は、まだ上森さんには話していない。
このブログを読んで、上森さんがどのような反応を示すのか・・・・???

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