火(ホ)と「ニワ」と鍋釜

庭を造るという現場から体験したこと、そして「人はなぜ庭を造るのか?」考え続けてきたことなどを、ぼちぼち綴るブログ。 等ブログの履歴などの情報は、最下部にあります。

火はホと読む。「ニワ」は庭と漢字で書かずカタカナで書く。鍋釜は漢字。
火は唯一人だけが制御できるエネルギー。「ニワ」は人としての基盤。鍋釜は人の食の道具。
一見、脈絡のない言葉がつながる。

「中村東山」の山頂直下で「岩屋」と「法道仙人」と思われる石仏に出会えたのは、ラッキーだった。
(「神河町の一対のメノラーの山に登る-2 中村東山の岩屋」参照)

その時「上森三郎」さんは、僕が登ったのとは別ルートで山頂にいた。

上森さんから電話があったので、田中孝子さんと共に、「岩屋」の左横の急傾斜を木に掴りながら登り、山頂に向かった。

上森さんは、山頂から見える山を観察しながら「コンパスグラス」で方位を測り、フィールドノートにメモしていた。
このメモが、次なる発見に繋がるようだ。

山頂部の一番高い所に、自然石で作った祠が在った。

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祠には、二体の石仏が祀られている。

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左の石仏は、岩の上に腰を掛け、顎髭を生やし、左手に錫杖を持ち、右手に巻物のようなものを持っている。

足元は風化して分かり辛いが、この像は明らかに「役小角」。

磐座探索をしていると「役小角像」にはよく出会う。

「役小角像」は、真正面を向いて怖い顔をしているのが多いが、ここのは、やや首を傾げ、穏やかな優しい顔。

右の石仏も、岩の上に腰を掛け、顎髭は無く、僧形。
右手に錫杖を持つように作られていたのかもしれないが、欠損している。
光背は、「不動明王」の火炎のようにも見える。

この石仏が、「法道仙人」かどうかは、僕にはよく分からない。

山頂部の祠の前は、広場状になっている。

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手前に、小石で囲った「炉」のようなものが在る。
燃えカスもあるので、「炉」と思って間違いないだろう。

古いものとは思えないが、代々このような「炉」が作られ、火を焚いていたかも知れない。

真っ暗なの新月の夜など、このような山頂で火を焚けば、遠くからでもよく目立つだろう。

上森さんが言う「メノラーの山」の峰々の山頂で火を焚けば、それはそのまま「メノラー」そのもの。

この場の火の痕跡は、「メノラー」を意識した物かどうかは分からないが、興味深い。

そしてまた、このような狭くても平らな空間は、僕の求めている「原初のニワ」。


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位置記録用にいつも「iPhone6」で写真を撮る。
GPS機能によって緯度・経度・高度が記録される。
撮影した写真ファイルのプロパティの詳細から、位置記録を読み取ることが出来る。

場所や天候などによって、GPS感度は左右されるが、山頂部では精度が高く、半径5mの精度。

スマホの地図アプリ「Geographica」を表示して、三角点の上に置くと、ピッタリ符合することが多い。

上の地図の赤丸ポイントは「地理院地図」上に示した位置情報。
「地理院地図」も、位置情報を正確に読み取れる。

「iPhone6」による位置記録と、地図上のポイントが少しずれて、山頂部分に赤丸ポイントが来ない。

10m程度ずれている。

これは、むしろ地図の精度の問題ではないかと思う。
林道や登山道も、しばしばずれる。

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山頂から北西方向に在る、上森さんが「卑弥呼の陵墓」であるという「婀月山」がよく見える。
「婀月山」という山名も、上森さんが名付けた。

中央のドーム状の山がそれ。

上森さんが、「見てほしいものがある!」と言うので、先にそちらに行く。

山頂から尾根筋を少し下ると、

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石・岩が次々に現れる。

去年の台風21号によって、岩の上の檜が倒れていた。
岩面が綺麗に見えていたが、写真にはうまく収まらなかった。

台風が、岩の上に生えた樹木をなぎ倒し、はぎ取る。
象徴的で面白い。

「石・岩・磐座」に日の光を当て、世に知らしめよ!と言うことか?

これらの石・岩は。磐座と言えるかどうかは分からないが、何らかのランドマークにはなるのではないだろうか?

今は、樹木に覆われているが、麓の粟賀町や中村から、夕日が当たって光るさまが見えたかもしれない。

尾根を少し戻ると、

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庇状の石が在り、ここから上森さんを「岩屋」へと案内する。

2月17日土曜日、「聖地神河ひろば」で「上森三郎」さんのセミナーが開催されたので参加した。

11時過ぎに到着すると、上森さんが一人で準備をしていた。

すると上森さん曰く「セミナーは早めに終えて、犬塚へ行きましょうか?」と。

僕は一人でも再訪したかったので、勿論賛成。

1月28日に、偶然と言おうか、引き寄せられたと言おうか、「犬塚」にご縁が出来た。
(「神河町長谷の犬塚は重要ポイント」参照)

当日は雪が積もっていて、詳しく観察できなかったが、「犬塚」は磐座の上に建てられているとの思いを募らせていた。

「犬塚」は「播州犬寺物語」で有名な「法楽寺」と、勿論所縁。

「法楽寺」は、「法道仙人」開基のお寺とされ、俄然「法道仙人」が気になり始め、加西市の「一乗寺」にも行った。

(「法道仙人の法華山・一乗寺-1 一乗寺から法華山に登る」、「法道仙人の法華山・一乗寺-2 見子大神」参照)

「犬塚」と出会ってからの感は、バッチリだった。

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この立派すぎる石碑に目が留まり、「犬塚」と出会った。
石碑そのものは古いものではないが、石の形といい彫られた文字といい、実に堂々として美しく素晴らしい。

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お堂の中には、「宝篋印塔」が祀られているとという。

まだ出会っていないが、下記の「宝篋印塔」と同時代の物であれば素晴らしいのだが。

福本福山宝筐印塔(写真提供:神河町教育委員会)
中村から南に行った福本(ふくもと)の福山集落(ふくやましゅうらく)には、牧夫長者(まいぶちょうじゃ)の屋敷跡と伝承されてきたところがある。現在は稲荷の祠(ほこら)がまつられている。その背後の山頂付近には、犬の供養塔とされる宝筐印塔(ほうきょういんとう)と五輪塔(ごりんとう)もある。宝筐印塔は南北朝期の形式を示す優品である。そこから谷を一つ隔てたところにある五輪塔は、各時代のものを寄せ集めたもののようだ。

(兵庫歴史ステーション「犬と人」よりコピー)

3台の車に相乗りして、「犬塚」に向かう。

先ずは、挨拶。
そしてすぐさま、お堂の背後の探索。

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お堂の真裏に露出している石。

ジーっと見つめていると、眠っている犬のように見えて来る。

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これも、前回確認している。

問題はこの下。

かなりの急斜面で、ジャングル化しているが、下ってみる。

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かなりの巨石が繋がっている。

「ヤッパリ!」という思い。

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このようにすっぱり切れた面のある石も。

谷間なので、朝日・夕日で光ることは無いと思う。
あるいは「方位石」か?

一応、iPhoneで方位を測ってみた。

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南北ラインからは少しずれている。

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参道右側の石。

この奥にもいくつか石が在る。

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など。

この右側に、ひときわ目立つ巨樹が生えている。

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樹皮の剥離具合から「カゴノキ」と判断する。

「カゴノキの大木」の生えている場所は、経験的に「聖なる場所の印」では無いかとも思っている。
(「カゴノキ」でブログ内検索、参照)

この近くでは、杉の「大年神社」に沢山生えている。

「犬塚」の「カゴノキ」の凄さは、

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「異種樹木の合体」。

左側の樹木は「カゴノキ」。
右側のは詳しく観察できなかったが、あるいは樫類か?


「夫婦杉」など、同一種が二本合体した樹木はよく見かけるが、本当の意味からとらえれば、「異種樹木合体」で「陰陽合体」を表すのではなかろうか。

しかも、見え方は「白と黒」。

「播磨犬寺物語」で登場する忠犬も「白と黒」。

「空海」を高野山に案内した犬も「白と黒」。

「白と黒」は「陰陽」でもある。

この「異種樹木合体」が、この場の意味をより高めているようにも思う。

「カゴノキ」は「鹿子の木」と書くように、バンビの斑点からの連想と思われるが、そのイメージはまるで違う「蛇」。

「カゴノキ」の白い斑点は、古い樹皮が剥がれ落ちた痕跡。

この剥がれ落ちた樹皮は、蛇の鱗に似ているという。

(「三郎プロジェクト」の「大蛇伝説と御神木カゴノキを考える」よりコピー)

本文の一部をコピー。

このカゴノキ,樹皮のまだら模様が話題になることが多いのだが,剥げ落ちた樹皮について話されているものは少ない。剥げ落ちた樹皮は左の写真を見ればその大きさがわかるが,だいたい3センチから10センチほどの大きさで形もさまざまで,蛇の鱗のような形にも見える。なによりも表面の硬くてザラザラとした感触はぬくもりのある木の皮とは思えない。
形もヘビの抜け殻についているウロコとよく似ている。

カゴノキの樹皮といい,剥げ落ちた樹皮のかけらといい,大蛇をイメージさせるには十分な気持ち悪さを持っている。「これが大蛇のウロコです」と差し出されたら黙って納得してしまいそうである。

このカゴノキが「祖母山」のふもとにある健男霜凝日子神社の御神木であり,「祖母嶽大明神」の化身が緒方三郎惟栄のご先祖様の大蛇であったというのは本当にうまくできた話だ。その上,緒方三郎惟栄にはヘビのうろこのようなアザがあったという話もある。

とあり、「蛇神」の象徴でもある。

僕も何故か、「カゴノキ」に対してはバンビという印象はほとんどない。

もっと強い威厳さえ感じる。

つまりそれは「大蛇」であり、「カゴ」は「神の子」ではないかとも思う。

「犬塚」の今は道路に囲まれた、三角地となってしまっている。

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(「長谷の犬塚は重要ポイント」よりコピー、元ネタはGoogleマップ」の衛星画像)

元々は北側の「段ヶ峰」→「平石山」→「高星山」から伸びて来る尾根筋の末端部で、「市川」と「犬見川」の合流点に落ち込む重要ポイントだったと思う。

その道路を隔てた尾根側に、祠が二つあった。

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上側の祠には、三体の石仏が祀られていた。

真ん中の石仏が気になったので、挨拶してから、涎掛けをめくらせてもらった。

「五鈷杵」を右手に持ったお馴染みの「空海像」だった。

「空海さん」に導かれているという上森さんをすぐに呼んだ。

「ヤッパリ!」なのである。

右手の「錫杖」を持った石仏は「役小角」であろうか?

下側の祠も覗いてみた。

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風化していて、何の像か分からないが、

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「中村東山の岩屋」で出会った「法道仙人」と思われる石仏によく似ているようにも思う。(「神河町の一対のメノラーの山に登る-2 中村東山の岩屋」よりコピー)

今までに僕は、「法道仙人」の像を見たことがない。

調べていたら、「林正治」さんの研究論文「法道仙人と陰陽師」が見つかった。

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PDFファイルだったが、「Sunipping Tool」でカットコピーさせてもらった。

右側の像が、何と無く「岩屋の法道仙人像」と似ている気がする。

「犬塚」の前の祠の石仏が「法道仙人」だとすれば、「中村東山」と「犬塚」は完全に繋がる。

しかも、「空海像」も「役小角像」まで祀られている。

三聖人が揃っている。

やはり、「犬塚」はただならぬ場所。

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「八幡山ピラミッド」が見通せる場所に、土俵。
ここで、「子供相撲」が行われるらしい。

相撲は神事。

もう一つ気になったのが、

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真新しい「注連縄」周辺で見られた。

当日は、2月17日。

太陰暦の正月二日。

しかも「戌年」。

何か特別な祭事でもあったのだろうか?

さらにもう一つ。

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「犬塚」の西側で、道路に挟まれた「平らな空間」。

このような空間が、何故あるのだろうか?

それは、祭祀空間であり、「原初のニワ」だろうか?

いずれ分かる時が来るだろう。

もう一つ、地図上に気がかりなマーク。

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何故か、「温泉マーク」が二つ。
天然温泉なのだろうか?

いずれ近い内にこれも分かるだろう。

「中村東山」の「石の塔」に付いてはすでに書いた。(「神河町の一対のメノラーの山に登る-1 中村東山の石の塔」参照)

「中村東山」の山頂には「法道仙人」を祀った祠があるという。

僕はこのところ、「法道仙人」が気になって仕方がない。(「http://blog.livedoor.jp/omtakebe/search?q=法道仙人」参照)

「上森三郎」さんが、「中村東山」に登ろうと言ってくれたのは、僕が「法道仙人」が気になりだした事と、上森さんが神河町に在ると言う「一対のメノラーの山」に登るタイミングが訪れたと判断したからだろう。

まるで「モアイ」のような「石の塔」から山頂に向けての登山道は、分かり辛くなっているが、登りはとにかく上へ向かえば良い。

かなりの急斜面に差し掛かった時、「こっちですよ~」と言って、上森さんはそこを避けてトラバースして行った。

僕はその時、何故か上森さんを追わず、その急斜面を直登して行った。

どこを通っても、山頂はもうすぐ。

急傾斜だが、木につかまって登れないことは無い。
それと、何と無く僕の感が働いていた。
何か在る、と。

そしてまた、何と無く「岩屋」在れば面白いとも思っていた。

感は的中した。

直登した先に、「岩屋」が在った。

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大きくはないが、「庇型の岩屋」。

位置情報
N35°3’43.34”  E134°47’52.65”  高度548.6m(誤差あり)

「岩屋」には仏像が祀られている。

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今までに「法道仙人」の像を見たことがないが、この石仏は「法道仙人」に間違いないと、強く感じた。

田中孝子さんも、僕の後を追って、急斜面を登って来た。

この「岩屋」を見て、感激していた。

早く上森さんにも来てほしいので、携帯電話に電話したが繋がらない。

しばらくたって、田中さんに上森さんから電話が入る。

「山頂で待っている。」との事で、とりあえず山頂に行く。

岩屋の左手の急斜面を登ると、すぐに山頂だった。

その後、上森さんと共に「岩屋」に戻る。

「やっぱり武部さんだ!」と上森さんは言う。

僕がいなければ、「岩屋」に気付かなかった、という事だろう。

これが、上森さんと行く聖地探索の僕の役割だと、常々思っている。



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「岩屋」の天井部の一部がかなり赤い。
あるいは、火を焚いた証拠かもしれない。

「岩屋」の下に、興味深い石が在る。

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「岩屋」の床部分を成り立たせている石で、しかも平滑面。

「鏡岩」といえる石でもある。

ほぼ北面している。

石の表面を手で撫でてみると、風化のためか少しザラツイテいる。

この程度のザラツキなら、共石で磨けば、ツルツル・ピカピカに成るはず。

周辺に気が生えてしまって、今は太陽光が当たらなくなっているかもしれないが、春分から秋分までの日の出、日の入りの太陽の光がこの「鏡岩」の面に当たり、その反射光が、遠くからでも観察できるはず。

特に「夏至」前後の日の出・日の入りの太陽光で、この「鏡岩」は強く光り輝くはず。

その反射光は、「法楽寺」辺りからよく観察できるのではなかろうか。

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赤のラインは、「中村東山」の山頂の祠から、長谷の「犬塚」に引いたライン。

このラインは、「法道仙人」開基の「金楽山・法楽寺」の上の、「315mの山」の山頂を通る。

「法楽寺」は、「播州犬寺物語」で有名。

長谷の「犬塚」も「播州犬寺物語」一連の場所。

「犬塚」から「中村東山」までの距離は約8kmで、レイラインとしては短いが、「法道仙人」所縁で(「犬塚」と「法道仙人」の関係に付いては、まだ調べていないが)繋がり、「法道仙人」開基と伝わる「法楽寺」の本堂と参道が示す方位が「315mの山」に繋がる。

推測の域は出ないが、この「315mの山」から、「中村東山の鏡岩」の輝きの変化が見られたはず。

春分から夏至にかけて反射する光が強まり、秋分にかけては弱まって行く。

そして、秋分→冬至→春分にかけては、その反射光は見えない。

季節の動きと、生命の活動との対応を示す、この「鏡岩」の輝きは、神秘的であったと思われる。

まだこの「315mのやま」には登っていないが、機会を見つけて登ってみたいものだ。

ちなみに上森さんは、法楽寺の西側の三角点のある「230.5mの山」を注目している。
(上森さんの2月16日のブログ「戌年に犬塚の謎が解ける!?」参照)

イワクラ学会」の会員で、石・岩・磐座を訊ねる旅を続けている「南ことこ」さんのブログ「石と旅して。 I travel with stones.」に「石動く: 本殿裏の巨石 腰神神社 富田林市 大阪府」と言う記事があると、南さんの2月11日のFacebookが伝えてきた。

10年前、2008年2月11日に行ったという記録だった。

僕はかつて河内長野市の山奥に住んでいたことがある。その頃すでに磐座には興味を持っていたものの、どのように探したらよいのかも分からなかった。

2008年と言えば、僕が「イワクラ学会」に入会した年であり、神社にも興味を持ちだし、初めて「内宮・外宮」に正式参拝した年でもある。

僕が今住んでいるのは堺市。

富田林方面には、仕事上しょっちゅう行っているにもかかわらず、地元の神社に付いてはほとんど何も知らない。

そんなわけで、嬉の「腰神神社」を知る由もなかった。

南さんの情報によると、磐座が在るらしい。

神社名は「腰神神社」といういささか変わった名。

そして僕は長年腰痛に悩まされている。

磐座と腰故に俄然気になった。

(ウレシ)」という地名も気になる。

それで急遽、2018年2月15日に行ってみた。

R170号線を、近鉄南大阪線の汐ノ宮駅近くから、石川を渡り少し南下すると、左手の山手に鳥居が見えてきた。


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道が狭く、駐車スペースを探すと、

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このような案内板があり、すぐ傍に駐車場がある。

僕と同じ、腰痛に悩まされる人たちが参拝に来るのかもしれない。

僕は「腰痛改善悲願」よりも、磐座。

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真新しいトイレもある。

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去年2017年10月28日に出来たようだ。
(「富田林市嬉 腰神神社の竣工式に出席いたしました。」参照)

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「腰神神社」の由緒書。

何と「猿田彦尊」が祀られている。

僕がこのところ最も気にかかる神が「猿田彦大神」。

正に呼ばれた感さえする。

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狛犬と拝殿。

右手の樹木にきゃだいな藤ノ木が巻き付いている。

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扁額。

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まるで大蛇のような、藤の古木。

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樹齢700年とか。
これだけの物であれば、天然記念物になっていても不思議ではないが、何の表記もない。

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藤が巻き付いた樹木の「板根」。

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「雪舟」の句。

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花が咲けば、見事だろう。

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凄まじい生命力さえ感じる。

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根はあちこちに伸びている。

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拝殿の右横に、気になる石組。

池状に窪んだところに組まれている。

古いものかどうかも分からないが、意味ありげ。

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その背後には、このような石も。

小さいが、今も祀られている。

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拝殿の左側にも、このような石が祀られていた。

右側の広場には、山を背に、いろいろ祀られている。

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二基の「宝篋印塔」。
年号は調べなかったが、この形は古いものではない。

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左側の石は「八大龍王」。

右側の石にも何か彫られているようだが、よく分からない。

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扁額には「国光大明神」とある。

祀る姿は「お稲荷さん」。

「国光大明神」で検索して見ると、「腰神神社」関連で出て来る。

一つまた繋がりが出来てしまった。

それは京都府南丹市園部町に鎮座する「生身天満宮」の摂社「国定国光稲荷神社」。

やはり「お稲荷さん」。

話は飛んでしまうが「生身天満宮」の摂社に「武部源蔵社」が鎮座。

またまた「武部」という姓に繋がりが出来てしまった。

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さらに右手には、「不動明王」と「泉」そして巨木。

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拝殿に置いてあったパンフレットによると、

国光大明神の横に在る岩の隙間から湧き出る聖水は、参拝する信者たちが、この水を飲めば持病が治ると言われ、近年でも数多くの人が訪れる。

とある。

さらに右には、

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このような石が祀られている。

これは、明らかに「男根」、「陽石」。

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石臼を「女石」として、セットにしているのであろうか。

その他、

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このような小さな石も祀られている。
この「丸石」は小さいが真丸。

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「力石」や、

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「沓脱石」のような石も、意味ありげに在った。

探している磐座は、

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拝殿の背後に在った。

かなりの巨石だが、落ち葉などに埋もれつつある。

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拝殿の左側から。

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ややアップしてみる。

近づいて観察したかったが、猪除けのワイヤーメッシュ製のフェンスに遮られて、傍には行けない。

巨石の一部は、社に覆われているようだ。

あきらかに、「腰神神社」は磐座を祀る神社。

パンフレットの冒頭にも、

腰神神社は嬉の石川東岸につらなるやまなみの最高峰、金胎寺山より派生する山腹の巨岩を御神体とする神社です。

とある。

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社に潜り込むような状態の磐座。

それに寄り添うように、小さな三角の石が祀られている。

このような「三角の石」を見ると、僕は何故か「猿田彦大神」を感じてしまう。

南さんはブログに、

裏手の竹やぶ。この上に巨石がゴロゴロしている。

と書いているが、如何に目を凝らしても、見当たらなかった。

この10年間で、落ち葉に埋もれてしまったのだろうか。

作を超えて探せが見つかるのかもしれないが、隙間を探すことが出来なかった。

探らねばならないのが、その位置と、レイライン的繋がり。

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「腰神神社」は、石川東岸にあり、富田林市で最も高い296mの「金胎寺山」と、二番目に高い278mの「嶽山」の真ん中あたりの西側の山裾に在る。

あきらかに、超古代から磐座を祭祀した場所だと思われる。

西側を南北に石川が流れるので、何時も夕日が当たる場所でもある。

この磐座も、かつては夕日に照り輝き、赤く時には金色に照り輝いていたはず。

神社という社を伴う祭祀形態が出来て、ただ祭るだけで、本来の意味は忘れ去られているようだ。

しかも、樹木で覆われ、落ち葉に埋没しかかっている。

どこの磐座を探索しても、同じような状況に陥っている。

位置的に注目すべき点は、「金胎寺山」と「嶽山」を繋ぐ稜線の東側に「龍泉寺」があること。

ウイキペディアには、

弘仁14年(823年)に空海(弘法大師)がこの地を訪れたと伝えられ、祈祷によって雨水を得て、境内の池には水が湛えられ、この時池の中に3つの小島ができたとされる。空海はこの島に小さな社を建て、聖天、弁才天、叱天を祀り、牛頭天王を鎮守としたという。

京都方面から高野山に至る「東高野街道」は、石川の西側を通ているようだが、「空海」も、「腰神神社」の磐座を祈り、山越えで「龍泉寺」に行っている可能性は強いと思う。
ちなみに「龍泉寺」の山号は「牛頭山」という。

「牛頭天王」は、「法道仙人」と一緒に日本に来たと言う伝承があるようで、「空海」と「法道仙人」繋がりもなんとなく感じる。

例によって、地図上の参道の向きから、レイライン的繋がりを探ってみる。

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ややこじ付けになるかもしれないが、北西に伸びる参道ラインは、島根半島の「潜戸(クケド)」に至る。

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潜戸」は「佐太大神」の生まれた洞窟として名高い。

「佐太大神」=「猿田彦大神」ともされている。

レイライン的には、もう一点注目すべきことがある。

それは伊勢の「内宮・外宮の東西ライン」。

この「東西ライン」の東端は、伊豆諸島の「鵜渡根島」で、西端は「対馬」。

僕は、「内宮・外宮の南北ライン」と共に非常に重要視している。

この「内宮・外宮の東西ライン」に、「腰神神社」の磐座は挟まれている。

それで、このレイラインに挟まれ、よりピッタリの面白いポイントが無いかと探してみた。

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それは「石鏡島(イジカジマ)」。

「石鏡島」に付いて非常に興味深い記事を見つけた。

石鏡の海上沖合い1キロにある石鏡島は、
昔から神の島として村人の崇拝をあつめています。


①空洞が鏡のようだった原型


②伊勢湾台風でこの姿に


③その後船の座礁で左柱を消失

古来、島の中央に東西に通ずる鏡のような空洞があり(写真①) 倭姫命(やまとひめのみこと)が志摩から伊勢へ帰る途中、この空洞がまるで鏡のようだったので名付けたと伝えられています。伊勢湾台風の被害で島の頭部を消失し(写真②)2本の石柱となり、さらにその後船の座礁で左の石柱を無くし(写真③)昔の面影は一変してしまいました。

伝説に往時この島の所有権をめぐり坂手、浦、石鏡と三者争いを起こしたとあります。

その結果「浦から鏡が見えますか?、坂手では見えません・・・まともに見えるは石鏡のみ」との裁決で、今日にいたるまで石鏡の象徴となっています。

(「石鏡島」より全文コピー)

まるで鏡のような空洞のある、岩の小島だったらしい。

「腰神神社」の緯度は、N34°27’46.68”で、「石鏡島」の緯度は、N34°27’26.14”なので、ドンピシャとは言い難いが、その形態故に何らかの繋がりを感じてしまっている。


ここでもやっぱり気になるのは「猿田彦大神」。

目が八咫鏡のように、また赤酸醤(のように照り輝いているという姿であった。

と「日本書紀」などに標される「猿田彦大神」。

無理やり繋ぎ、妄想に駆られる僕だが、「潜戸」と「石鏡島」に「猿田彦大神」を感じてしまう。

その繋がりから、「腰神神社」の磐座も、西日を浴びて照り輝いていたのではないかと想像する。

そして「腰神神社」には「猿田彦大神」も祀られている。

高野街道を高野山に向かって歩いていた「空海」もこの光景を見ていたかもしれない。

僕は、長年腰痛に悩まされている。
昨年は、仕事中脚立から落ち、背骨の一つを圧迫骨折してしまった。
骨折は治っているようだが、いささか変形しているとのレントゲン診断だった。
それ故か、このところ腰が真っ直ぐ伸びない。

「腰神神社」は、腰の病に霊験あらたかとか。

「腰をよくしてください!」とは祈らなかったが、お守りを一個買って帰った。

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「上森三郎」さんが、兵庫県神崎郡の神河町、生野町、市川町で見つけ出した聖地は数多い。

いずれもが大事な聖地には違いないが、上森さんのセミナーなどで頻繁に出て来るのは、「卑弥呼の陵墓」、「イエスキリストの陵墓」、「生野の地下聖堂」、そして「一対のメノラー」。

この「一対のメノラー」の存在が、この「埴岡の里」が大聖地である事を証明していると言う。

それは「神棚の榊」だとも言う。

その大事な「メノラーの山」なのに、何故か今までに一緒に登ろうという計画は持ち上がらなかった。

突然、「東のメノラー」と「西のメノラー」に登ろうという計画が持ち上がった。

2018年2月11日、上森さんと田中さんが待つ「聖地神河ひろば」に向けて出発した。

どのようなルートをとるか、全て上森さん任せで、僕は何の下調べもしていなかった。

後で知ったのだが、当日上森さんはこのようなブログを書いていた。

イワクラ学会の武部さんを、東のメノラーへとご案内

2018年2月11日(日)

 今日は、「未だ行ったことがありません」と言われるイワクラ学会の武部さんを、神河町の中村山にある背丈8メートルほどもあるモアイ像を見ていただきたいと思って私がご案内いたします。

そしてその近くには、今、武部さんが俄然気になるという法道仙人を祀った祠もありまして、ここにお連れいたします。

武部さんも神河町へと霊ラインが集まってくる不思議さに、だんだんと只事ではない何かをかぎ取ってきているようです。

不思議な巨大なモアイ像のような岩は、神河町にある神様の木である東のメノラーに在ります。

(全文コピー)

このブログの、アップ時間を見てビックリ。「2018-02-11 05:05:05」。
つまり、5時5分5秒。
「555」数字への、上森さんのこだわりと、気遣いには感動する。

常々「555」の数字は「神さまの数字」と上森さんはよく言ったいる。

しかも当日登る「中村東山」の標高は「555m」。

この「中村東山」には「モアイ」のような磐座が在り、「石の塔」と呼ばれていたらしい。

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白い工業団地の上に広がる山が、上森さんの言う「東のメノラー」。

左手の尖った山が「中村東山」。

この尖った山は、何処から見てもよく目立つ。

工業団地の東側まで車で行く。

林道はさらに上へと続いているが、ゲートがあって、そこからは徒歩。

入山禁止の看板が目立つが、但し書きがあり、山菜取り、キノコ採り、樹木採取目的での入山は禁止されているが、登山そのものまでは禁じられていない。

林道を進むと、いくつか方向を示すような石が現れる。

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この石組は、実に美しい。

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谷側の背面は、平滑面でまるで「鏡岩」のよう。
位置情報
N35°3’53.75”  E134°47’51.72”  高度316.0m(誤差あり)

気になるのは、対岸の岸壁。

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切り立った岸壁が、いくつも見える。

「ここが登り口!」と上森さんが指さした先を見てビックリ。

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案内板も道標もない。

よく見ると、丸太の階段が見えるが、草に覆われてしまっている。

上森さんは、地元の古代史研究家でありピラミッド研究家の「市川慎」さんに教えられて、2013年6月6日に単独で登っている。
(「神河町にモアイ像?があった!」参照)

その時は「石の塔」まで行くのに、1時間もかからなかったという。

丸太の階段の登山道に入ると、途端に猛烈なイバラ。

「簡単に登れる!」と言うことで、僕は鋏を持って行かなかった。

イバラには鋏が有効なので、いささか悔やまれる。

登山道はほぼ全面イバラ道で、イバラを避けるのが困難。

ほとんどが蔓状なので、靴底で押さえつけながら進む。

したがって、時間がかかる。

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ガレ場に出て、やっとイバラから解放される。

登山口から登り始めたのが、11時50分。
ガレ場に至ったのが12時25分。
僅かな距離を登るのに30分以上も掛かってしまった。

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黒の太いラインが、当日の登山ルート。

ガレ場には、面白い石も沢山在る。

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祠状に積み重なった石。

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「スクレーパー」状の石。

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かなり大きなのも出て来る。

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ガレ場の端には、岸壁状の岩。

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真っ直ぐな面を持つ「鏡岩」状の石。
この面は、北面している。

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かなりの巨石。

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この巨石の上に乗ると、北北西方向に、上森さんが言う「卑弥呼の陵墓」、「婀月山」がよく見える。

写真では分かり辛いが、中央部の尖った山がそれ。

「婀月山」はどこから見てもドーム状だが、ここから見ると、やや尖って見える。

すぐ傍に、高圧線鉄塔が立っているのでよく分かる。

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ガレ場を横切ると、丸太階段と鎖場が現れる。

おそらくこの登山ルートは、観光開発の目的で、国の補助金を得て作られたのだろう。

しかし、殆ど知る人もいないので、誰も来ない。
この数年、おそらくここを登った人は極めて少ないのではなかろうか。
それ故、イバラの道と化している。

稜線上にたどり着くと、

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そこには「石の塔」。
位置情報
N35°3’42.76”  E134°47’56.00”  高度503.7m(誤差あり)

まるで「モアイ像」。

たどり着いた時間は、13時10分。

いばらの道と写真を撮りながらなので、1時間20分かかっている。

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首の部分は、かなり細い。

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しかも、ひび割れが多い。

よく落ちないものだ。
重量バランスがうまく取れていて安定しているのだろう。

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突端部の一段上から見る。

この面にも「人面」が浮かび上がっている。

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突端部の最高点には「方位石」を思わせる意味ありげな石組。

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そこからも「婀月山」がよく見える。
中央のドーム状の山がそれ。

大きな鉄塔も写っている。

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「石の塔」の上には、小さな石が乗り、装飾的な帽子のよう。

その下の丸い穴が気になる。

真丸で「盃状穴」のようにも見えるが、そうでは無いと思う。

このような穴は、他には見られなかったので、人工的に彫ったものか自然なのかは、分からない。

間近で観察すれば、ある程度の予測は付くが、この距離では結論は出せない。

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最大限までズームアップしてみる。
僕のカメラでは、これが限界。

小さいが、見事な丸さ。

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「石の塔」の首の部分を横から見ると、ここにも「人面」が浮かび上がる。

「石の塔」の立つ突端部は、三方急峻な崖。

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山側の急斜面から撮った「石の塔」。

この「中村東山」の「石の塔」の記録をネット上で探してみたが、「市川慎」さんと「上森三郎」さんの記事ぐらいしか出てこない。

「市川慎」さんの「中村東山の石の塔」。

もう一つの記事「八幡山近郊の巨石と不思議案内」より「神崎町中村/東山の巨石」。

ここに興味深い記事があるのでコピーしておく。

●神崎郡の最北部で生野町に接するこの地域は播磨風土記で「はにおかの里」と呼ばれた地域である。
その後の平安時代の郡制からは、生野峠を越えた現在の生野町の中ほどまでが神崎郡だった。生野町のど真ん中に播州地方と但馬地方の境界線が残っており、平安時代から昭和の戦後まで続いた。
昭和30年頃の村合併で生野町との境界は生野峠になり、市川を挟んで東を神崎町、西を大河内町とした。
平成16年、この神崎町と大河内町が合併して神河町となった。
この神河町の南半分の地域が江戸時代、姫路藩の支藩・福本藩の領域である。
この福本藩時代に作られた絵図が残っているが、この絵図の中に不思議な巨大石造物として3体の所在が記されている。
上の写真はその内の1つで、残り2点の所在が現在分からない。
場所は、旧・神崎町中村(現在、工業団地の出来ている谷筋)から南の市川町小畑のコゼ山へ至る辺りである。

朝来市の「青倉神社」にも、「中村東山の石の塔」に似た巨石磐座が在る。
(青倉神社には2017年10月30日に行っている。「朝来市の青倉神社と磐座」参照)

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「青倉神社」の磐座。(「朝来市の青倉神社と磐座」よりコピー)

しかし、「青倉神社」は福本藩からはかなり外れているが、形的によく似ているので、この磐座が、三体の一つとして記載されていた可能性も有り得るかと、思う。

市川さんも上森さんも、「中村東山の石の塔」のすぐ横に、もう一体あったのではなかと推測しているようだ。

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右側の岩が「石の塔」。
左側の上部が比較的平らで、ここにもう一つの「石の塔」が一対の形で立っていたのではないかとの推測。

地震か何かで、崩れたとの推測のようだ。

その推理も否定はしないが、僕は違う考えを持っている。

大きな何らかの力がかかって崩れたとするなら、現在の「石の塔」も同時に崩れる可能性の方が高いように思う。

それほど、首の部分は不安定に見える。

高さ7~8mもあろうかという不安定な形の塔状の巨石が、あまり知られることも無く現存している。

人工か自然かは別にしても、意味のある稀有な存在ではないかと思う。

やはりこの場所は、特別な聖なる場所なのだと、鈍感な僕も何と無く感じる。

さらにここから、555mの山頂目指して登る。

そこに何が現れるか?

つづく

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