火(ホ)と「ニワ」と鍋釜

庭を造るという現場から体験したこと、そして「人はなぜ庭を造るのか?」考え続けてきたことなどを、ぼちぼち綴るブログ。 等ブログの履歴などの情報は、最下部にあります。

火はホと読む。「ニワ」は庭と漢字で書かずカタカナで書く。鍋釜は漢字。
火は唯一人だけが制御できるエネルギー。「ニワ」は人としての基盤。鍋釜は人の食の道具。
一見、脈絡のない言葉がつながる。

「日吉大社・東本宮」の山道に、「猿の霊石」という人気の磐座がある。

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この2枚の写真は昨年、2,015年4月5日、「イワクラ学会」の「高島・山科イワクラツアー」の折に撮った。

かなり苔生している。

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この2枚の写真は、先日2,016年6月26日、上森三郎さん企画の聖地ツアーの折に撮った写真。

ことしの「猿の霊石」には苔が付いていない。

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すぐ上の「巌滝社」の側の、巨石の磐座は苔生している。

去年以降、「猿の霊石」はどうも洗浄されたように思われる。

僕には、苔の付いていない方が好ましく見える。

日本人は、国歌の「君が代」にもあるように、「苔の生すまで」が好きなようだ。

苔生した岩に風情を感じ、「詫・錆」を感じるらしい。

庭でも、京都の「西芳寺」を「苔寺」と称し、その苔生した様を称賛する。

確かに、その緑のグラデーションは美しい。

ところがヨーロッパなどでは、苔は厄介者としてあまり好まれなかったようだ。

日本とヨーロッパの湿度・環境の違による景観の差が、その好みにも影響しているのだろうか。

苔は、空中湿度と生存競争相手が少ない場所に好んで生える。

競争相手の草が生い茂る場所では、苔は少ないし、落ち葉が大量に積もっている場所でもあまり生えない。

「西芳寺」が苔で覆い尽くされた理由は、谷間の湿潤な環境と、徹底的な落ち葉の清掃がその原因らしい。
樹木ばかりで草が生えることが出来ない環境が、苔の繁茂に繋がっているようだ。
したがって、環境としては異常な状態であるともいえる。

しかしその淡い緑の絨毯は、何ともはや美しい。

しかし、「磐座」が苔生している状態の意味するところは、周辺の木々が茂りすぎ、陰でしかも湿潤な状態にあることを、端的に表している。

僕は、「磐座」には、「日の光」が当たり、朝夕「黄金色か茜色に輝く」ことが、「磐座の存在意義」であり「磐座の尊厳」であると考えている。

したがって、「磐座が苔生している状態」は、「磐座」に「日の光」が当たっていないことの証明でもあると思っている。

「磐座」を探索していると、殆どの「磐座」は「苔生している」か「落ち葉」で包まれてしまっている。

「磐座」は隠され、封じ込まれ、その機能を失っているように思えて仕方がない。

今年見た「猿の霊石」には苔が付いていない。

周りの環境は、去年と変わりはない。

という事は、何らかの意図を持って、「猿の霊石」が洗浄されたことを物語っている。

読者の方は、どちらを好まれるだろうか。

ご意見があれば、少し面倒かもしれないが、当ブログにコメントをいただけるとありがたい。

6月26日、上森三郎さんの企画による第7回聖地巡礼ツアー「最澄さまは全てを知っていた」に参加した。

集合場所は新大阪駅の「千成びょうたん」前。
参加人員は総勢で42名とか。
遠くは東京からの参加者もおられた。
(上森さんの当日のブログ「あなたに会えてよかった」参照)

大型観光バスで、大津市坂本へ。

到着後「鶴喜そば」で昼食。

バスを降りてすぐに目に付いたのが、 

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石鳥居の右手に見える綺麗な円錐形の山。

このところ僕は、短焦点レンズを使っているので、ズームアップ出来ない。

それでiPhone6のカメラで若干ズームアップ撮影。

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山は「日吉大社」の神体山である381mの「八王子山」。
山頂直下に2棟の社がかすかに見える。 
この「牛尾神社」と「三宮神社」の間に、巨大な磐座「金大巌 (コガネノオオイワ)」がある。

昼食後、 まず行くのが「伝教大師・最澄」の生誕地の「生源寺」。

その時俄然気になったのが、 左手の神社。

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坂本らしい「穴太積(アノウヅミ)の石垣」と赤黒の塀。
その背後に巨木が二本。

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鳥居の扁額には「大将軍神社(タイショウグンジンジャ)」とある。
この神社名は京都で見たことがあるが、祭神などについての知識はまるでない。神社内にも表記は無かったように思う。

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本殿は小ぶりだが、境内は結構広い。

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どんど焼きでもするのだろうか「火焚き場」がある。

塀際の樹木は根元から伐採されてしまっている。
塀の向こう側は、「生源寺」。

本殿の左手(西側)の塀際には、

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石仏や石塔、それにそこそこの巨木。
樹種はよく見ていなかったが「クスノキ」だったか?

振り返ると、鳥居の左手(東側)にすさまじい樹形の巨木が。

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幹だか根っ子だか分からないような複雑さ。

今まで結構沢山の巨木を見てきたが、このような樹形は初めてで、すごい迫力を感じる。

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葉もびっしりついて、枝がまるで見えない。

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案内表示によると「スダジイ」。
県指定の自然記念物。

樹齢推定300年以上とあるが、それどころではあるまい。

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圧倒される迫力に、惚れ惚れしてしまう。

最初の写真でも分かる通り、ずんぐりむっくり。

これだけの幹回りであれば、樹高も枝張りももっとあっていいはず。

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子の巨木は、鳥居の西側にある落葉樹で、おそらく「ムクノキ」。

これも、太さの割には背が低い。
よく観察すると、切られている。

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根元には大きな瘤が。
正に「異形の樹木」。

「大将軍神社のスダジイ」も「異形の樹木」といえる。

幹の太さの割に背が低く枝張りも小さめ(といってもかなり大きいが)なのは、何度も切られているからではなかろうか。

幅びっしり茂っていた、枝も幹上部も全く見えないので、判断しかねる向きはあるが。

常緑樹は太い幹を切られても、枝葉が再び出て再生されるが、それにしてもこの「スダジイ」の生命力はすさまじい。

僕は当ブログに何度か書いてきたが、「異形の樹木」が生える場所は、「気の強い場所」だと思っている。

僕には「気」を感じる能力は無いが、おそらくこの場所もそうではなかろうか。

ツアー参加者にこの樹木のことを知らせると、ほとんどの方は見に行き、何か感応していたようだ。

帰ってから「大将軍神社」の祭神を調べてみた。

すると祭神は「大山祗神(オオヤマクイノカミ)」と「岩長姫神(イワナガヒメノカミ)」と記している。

京都市北区にある「大将軍神社」の主祭神は「磐長姫命(イワナガヒメノミコト)」とあるので、本来は「岩長姫」がここでも主祭神であろう。

京都には「大将軍神社」が五社あって「方位を司る神」として多くは「素盞鳴尊」を祀っているらしい。

僕は、坂本のこの神社に「岩長姫」が祀られてたことだけで、とにかく嬉しい。

これに「磐座」があればなお素晴らしいが、それらしいものは無かった。

「磐座」は無いけれど、「磐座」に匹敵する「異形の巨樹」である「スダジイ」がある。

古事記や日本書紀では「岩長姫」は「大山祇神(オオヤマツミノカミ)」の娘神で「木花之開耶姫(コノハナサクヤビメ)」の姉とされている。

そして有名な一節、

天孫降臨の後、瓊瓊杵尊はオオヤマツミの娘である木花之開耶姫と出逢い、オオヤマツミはコノハナノサクヤビメとその姉の磐長姫を差し出した。ニニギが容姿が醜いイワナガヒメだけを送り返すと、オオヤマツミはそれを怒り、「イワナガヒメを添えたのは、天孫が岩のように永遠でいられるようにと誓約を立てたからで、イワナガヒメを送り返したことで天孫の寿命は短くなるだろう」と告げた

(ウイキペディアの「オオヤマツミ」の項より転載)

イワナガヒメはあまりの醜さ故に、ニニギに送り返されたとされているが、僕はそうは思えない。

そのあまりの貴さ故に近寄りがたかったのだと、僕は思っている。

それ故に隠されてしまう。

今「磐座」の探索を続けていると、その殆どは樹木などに覆い隠されてしまっている。それは、何故か隠されてしまているのだ。

それはこの国が本来持っていた「高度な文明」を覆い隠したことを、隠喩しているようにも思える。

冒頭にも書いた通り、「八王子山」直下に「金大巌」があるが、今は二つの社に囲まれてしまっている。

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(2,015年4月5日イワクラ学会のイワクラツアー時に撮影)

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二つの社に囲まれ、樹木が生い茂り、ほとんど日が当たらないので苔生してしまっている。(撮影は同上)

真っ平な面を持つ、明らかな「鏡岩」、で東方向に向いている。

二棟の社の下も岩なので、朝日に照らされると、茜色や黄金色に輝いていたはず。

それが、祭祀の名目で、社によって覆い隠されてしまっている状態。
僕には意図的に隠されているように思える。

しかも「金大巌」は、琵琶湖対岸の顕著な三角形の山「三上山」と呼応する配置になっている。

今はその機能が阻害されてしまっている。

形式的な祭祀にとらわれ、その本質を忘れ去ってしまっている。

この隠蔽の歴史はきわめて古い。

今何が大事なのか、問い直すターニングポイントに差し掛かっている。
そのように思えて仕方がない。

今まさに梅雨真っ盛り。
今年も、場所によってゲリラ的集中豪雨。
大きな被害も出ている。

大阪では、夜降って、未明に上がるというケースが、このところ多い。

僕たちのように、野外で仕事する者は、天気に左右される。
雨が降れば、肉体的につらいし、仕事の能率も下がる。

したがって、よほど忙しくない限り、雨の日は仕事は休み。

夜降って、朝上がる。あるいは間もなく上がると予測できる場合は、仕事が出来る。

この様な状態を、「親方日和」という。

「親方日和」をネット検索をしてみると、「隠語大辞典」には、

里へ行くによい天気のこと。又は親分の仕事をするによい日和のことをいふ。

とあったが、ちょっとニュアンスが違う。

ノブヤンの戯言」というブログに、面白いことが書いてあった。

早朝散歩⇒真夜中に雷鳴が轟き、凄い雨が降っていたのだが、6時前に家を出た時には、ウソのように雨は止んでいた。
こんな、天気のことを、建設業界の末端で働く人たちの間では、昔から期待はずれの親方日和と言って嘆くのである。(-"-)と言うのも、バブル経済盛んな頃、景気が良すぎて、忙しく、日曜祝祭日も休めずに稼ぎまくっていた。その為に、休みと云えば雨が降る日だけだったのだ。
親方には都合よく朝には雨が上がり、子方にはタマの骨休めと思っていたのに、休めない恨みの雨が親方日和なのだ。←どんな時にも天は弱い者の味方をしないもの。^^;
所詮、子方は親方(資本家)の財産を増やすために、この世に生まれてきた事に気が付かないで死んで行くのだが?コレは、なにも建設業界に限ったことではない。(笑)←知らない事が幸せかも。ネ

これでは、労働者は、まるで奴隷のようにこき使われているようなニュアンスだが、僕らの場合はちょっと違う。

親方も子方もどちらも仕事が出来るのだから、どちらも稼ぐことが出来る。

僕の所も、月給制ではなく、日当制なので、働かなければお金にならない。

この時期、造園業界はメンテナンス作業で忙しい。

僕の所は、通常の樹木の剪定作業と共に、草花の植え替えもするので、日々仕事に追われている。

だから、雨降りはつらい。

このところうまい具合に、夜雨が降り、日中は降ってもパラパラ程度。
カッパを着なくても作業が出来る。

正に「親方日和」。

親方ばかりでなく、お施主さんも含め、みんな嬉しい。

そして庭がよみがえる。

僕は、このところメンテナンス作業には、あまり出ないようにしている。
(それは、あまり働かないのに、日当が高いからか?)

それでも、来るよう声を掛けて下さるお施主さんもいる。

昨日今日と、ほぼ一日中現場に出て働いた。

樹木は元気で、よく伸びている。

元気なのは良いが、そのまま置いておくと鬱陶しくなる。
影ばかりになって、樹木の下の植物は、日照不足。

特に草花は日照不足になれば、綺麗に花を咲かせてくれない。

バランスを考慮しながらの剪定が必要。

今回は思い切って、強めの剪定をすることにした。

これは、結構難しいし、決断もいる。

責任を持った仕事をしなければならないので、責任という事で親方的判断も必要。

こんな時が、僕の出番。

この現場はかなり広い。

草花の植え替え時の、草花の配置は、出会った材料とその時の僕の感性で進めて行くので、毎年同じことをするということがない。

ポット苗をもって、庭中をウロウロ歩き回る。

立ったり座ったりの連続。
その度に腰をかがめる。

僕は10数年ほど前に腰を痛め、激しい腰痛でこの作業が出来なくなってしまった時期があった。

色んな治療を試みたが、いずれも一過性で、苦痛は取れなかった。

四年ほど前、上森三郎さんに出会い、「胡散臭い!」と思いながらも、上森さんの発明した「テラファイト」を買った。

それが、僕の腰痛改善に繋がり、仕事が出来るようになった。
誰にでも効くかどうかは分からないが、少なくとも僕には効果があった。

スマホの歩数計によると、今日は現場で1万歩以上歩いている。
歩くたびに腰をかがめ、多数のポット苗を並べて行く。

本来楽しい仕事なのだが、腰痛激しい折は、苦痛な作業と成っていた。

今は結構楽しく仕事が出来る。

それでも、やはりくたびれる。

明日は、給料計算などの事務仕事。

今日は正しく「親方日和!」。

「竜王山」のすぐ北側に「銀峰山(ギンポウザン・ギンブセン)」という614mの山がある。

地図を見ると山頂に鳥居マークがあり、行ってみることにする。

上森三郎さんも僕も、予備知識全く無し。

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鉄筋コンクリート製だと思うが、赤い大きな鳥居。

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「式内大社 波宝神社(ハホウジンジャ)」とあり、由緒のある神社のようだ。

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鳥居に架けられた扁額の文字が読めない。
下三文字は「大明神」。一番上は、一番下と少し違うが、やはり「神」か。
二番目がまるで読めない。

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参道を上る途中、木間から見えた先ほど登ってきた「竜王山」。
左手に伸びる尾根が、ほぼ水平なのがよく分かる。(「五條市の竜王山と磐座-1」参照)

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建物も多くやけに立派。

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元は神宮寺もあったようで、左手の建物がそれ。
正面の神門のような建物が、「割拝殿」。
やはり「神門」であり、絵馬堂でありいろいろな役割を複合した建物のように思う。

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銅の鳥居と、二棟の本殿。

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二棟の本殿の真ん中に、壁画。
色褪せかなり剥げてはいるものの、素晴らしい。

真ん中の黄色い丸は、太陽。そして三羽の丹頂鶴。

拡大してみる。

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分かりづらいが、太陽の下に銀色で月が描かれているらしい。

太陽を一部隠しているので、「日食」を表している。

祭神についてはまだ書いていなかったが、入り口の石碑、案内板、それにリーフレットによると、「住吉大神(底筒男命、中筒男命、上筒男命)」と「神功皇后」。

「住吉大社」と同じ。

僕はこの祭神には、なんとなく違和感を感じる。

しかし、この地の「夜中」という不思議な地名には興味がわく。

「神奈備にようこそ」の「波寶神社」の項を参考にさせてもらう。

口碑によると、神功皇后が三韓征伐の帰途、この山に休んでいると、白昼がにわかに暗闇になったので、ここの神に祈ったところ、再び日が照り、明るくなった。 地名の「夜中」はこの口碑に由来するという。 
本殿正面の日食図はこのことを現しているようだ。

とある。

史実とどう符合するのかは分からないが、「日食」がキイワードになりそうだ。

「夜中」のように暗くなったとすれば、それは「皆既日食」か?

また、同記事を参照すると、

また役小角がこの山で秘法を行ったところ神女が現れ、国家を鎮護し群集を伝導せよと告げて石窟に入ったので、神蔵大明神と呼ばれる行場となり、大峯修験の先達が来山して入峯修行をしたとも伝わる。

読めなかった、赤い大鳥居の扁額の祭神名は「神蔵大明神」のようだ。

扁額に書かれている神明なのだから、本来は「神蔵大明神」が主祭神ではなかろうか?

ところがこの「神蔵大明神」を調べても「波宝神社」出てくるぐらいで、よく分からない。


蔵を座に置き換えて調べてみると、ラーメン・チェーン店の「神座(カムクラ)」が出てくるばかり。

「神蔵」=「磐座」ではないかと期待して、本殿周辺を調べてみたが、そのようなものは無い。

どこの神社に行っても、本殿だけではなく、いろんな神々が祠に祀られている。

本殿右手に四つの祠が並んでいた。

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何という神々が祀られているのかよく分からなかったが、左手の一番小さな祠は、分かりやすい。

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三体の狐さんがいるので、明らかに「稲荷社」。

僕は、このところ「お稲荷さん」と「猿田彦」が気になって仕方ない。

「波宝神社」は立派な神社であったが、僕にとっては謎ばかり。

上森さんが「高野山に行きたい!」と言ったので、カーナビをセットする。

来た道とは違う方向に、カーナビに従って進む。

途中、やけに目立つ祠が見えた。

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目立つので車を止めて、祠の中を覗き込む。

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祠の中には、かなり大きな砂岩製の「空海さま」。

「空海さま」に導かれている上森さんは、「やっぱり!」という感じで大喜び。

赤いよだれかけは、まるで「お地蔵さん」。

たぶん、この地域の人たちに敬愛されているのだろう。

少し進むとカーナビは、三叉路を左に進むように指示する。

タイトなカーブで、一回のハンドリングでは回り切れない。
その時右手に、階段と燈籠が見える。

気になるので、車を止める。

いち早く降りた上森さんは、「磐座ですよ!」と。

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自然石の階段の山道の脇には、杉並木。

正面に祠が見え、その背後は「巨石」のようだ。

僕は、「やっぱりあった!」と、階段を走り登りたい気分になる。

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祠の周辺は、「巨石」だらけ。

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これは、左手。

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これは、右手。上にも石は続いている。

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祠を真正面から見る。

台座は明らかに人工的に積まれたもの。

祠の真上にかなりの「巨木」。

そしてその左手にある、「光る石」が目に付く。

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三角形の尖った石がある。

いかにも置いたという感じがする。

これは何か大きな意味を秘めているに違いない。

その向きを、iPhone6の方位磁石で確かめてみる。

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ほぼピッタリ「東西」。

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「Geographica」の記録。(iPhone6の表示画面を撮影する方法をおしえてもらったので、このような記録も残せるようになった。)

「銀峰山」から「磐座」の在る方向に伸びる尾根のコンタラインも気にかかる。

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「磐座」は「西面」している。

したがって、参道の階段は、東に向いて登る。

階段の両脇に植えられた杉も何らかの演出をしているのだろうか。

入日が差し込む。

道路わきの、入り口部分にある燈籠には、年号が記されていた。

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角型の石灯籠は砂岩製で、記された年号は、「文久二年(1,862年)」。

後程、この磐座について何かインターネット上に記録が無いものか調べていたら、見つかった。

それは「吉野へようこそ」というホームページの「吉野に坐す神」の内、「竜王山と銀峰山」。

その記事によると、この祠は「八王子社」と呼ばれているらしい。


そしてこのように書かれていた。

参道入り口の石灯籠には、正面に「八王子社 御神燈」
側面に「文久二壬戌年 正月吉日」と刻されている。
『西吉野村史』には、
――平沼田字ムネノタイラにあり。祭神は八衢比古神・
八衢比売神(あるいは五男三女神)。
明治十年一月一六日新宮及び市杵島姫姫神社を合祀した。
――と記されている。

燈籠の正面には「御神燈」とは確かに刻字されていたが、僕は「八王子社」という刻字は見落としている。

この記事で気になるのは、「 祭神は八衢比古神・八衢比売神」という神名。

気になるので調べてみた。
ウイキペディアによると、「岐の神(クナトノカミ)」の項に出てくる。

解説には、

岐の神(くなと、くなど -のかみ)、とは、日本の民間信仰において、疫病・災害などをもたらす悪神・悪霊が聚落に入るのを防ぐとされる神である。

と。

つまりは「道祖神」や「庚申」。

いろいろ複雑な集合はあるようだが、「道祖神」や「庚申」は、「猿田彦」と繋がって来る。

先ほど見た「三角の石」は、「猿田彦」の象徴か。

まだまだ調べねばならないが、どうも僕の気がかりは、どんどん繋がっている。

この「磐座」さらに上にも、何かあるかもしれない。

時間も無く、後ろ髪惹かれる気分で、その場を離れ、道を左方向にとる。

すると、左手に赤い鳥居。明らかに「お稲荷さん」。

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また気になるので、車を止めて探索。

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赤く塗られた祠には「狐さん」。

それに正面から見ると、屋根の上に「十字架」のように見える。
何かの暗示か?

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そして周辺の土は、かなり赤い。

「赤い土」には、いろんな場所で出会っている。
これも、何かの暗示を感じる。

そして祠の背後に、石碑。

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「古蹟 松彌塚」とある。(刻字通りの文字は調べても出てこないので、間違いであろう。)

「松彌塚」で調べていると「神奈備にようこそ」の「八王子神社」の項に、出て来た。

また「松彌(マツヤ)」とは、京都の和菓子らしい。

「八王子」もまた気にかかる。

大津の「日吉大社」の神奈備山は「八王子山」そのすぐ下に「金大巌(コガネノオオイワ)」という巨大な「磐座」がある。これは明らかに「鏡岩」であったろうが、今は苔生してしまって、機能は封じられてしまっている。

「日吉大社」の祭神は「大山咋神(オオヤマクイノカミ)」とされているが、僕はなんとなく、その神は「猿田彦」ではないかと思っている。

益々謎は深まるばかりだが、いろんな繋がりが出来てきている。

この「日吉大社」には、上森三郎さんの企画「最澄さまは全てを知っていた」というツアーで、6月26日に行くことになっている。

これも一つの繋がり。

そして、「銀峰山」や「八王子社」の「磐座」周辺を、再調査してみたいと、僕は強く思っている。

6月17日金曜日午後9時過ぎ、ある打ち合わせ中、上森三郎さんから電話が入った。
「明日空いていますか?」。

僕はこの電話を待っていたので、すぐOK。

行く先もほぼ予測が出来ていた。
それは、奈良県五條市の「竜王山 」。標高618.9mの三角点のある山。

上森さんは、「竜王山」を「オリオン座」の「サイフ」としていた。(詳しくは後で説明)

17日、帰ったのは11時半ごろだったので、行く道を調べただけで、「竜王山」に対する予備知識は全く無し。

6月18日11時半ぐらいに、JR和歌山線五条駅で待ち合わせ。

僕は愛車フィアット・パンダ4WDで向かい、上森さんと田中さんは電車で。

昼前なので、駅近くで昼食。

上森さんは、「竜王山」付近の地図を「地理院地図」からプリントアウトして持ってきていた。

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地図を見ながら、上森さんも僕も、「竜王山」山頂には何もないように思えた。
ただ、山頂から「南東方向に伸びる尾根」のコンタラインが興味深い。
山頂から急に降り、570mのコンタラインに起伏が少ない。
尾根はやや幅広く平らそうだが、その両側は勾配がきつくなっている。

僕は、頂上直下の「南東側斜面」に、岩があれば面白いと予測した。

赤のラインの行く先は、兵庫県神河町の上森さんが「イエスキリストの陵墓」と言っている山。

「竜王山」の「南東方向に伸びる尾根」はそのラインとぴったり一致する。

事前情報は全くないし、地図上の登山道も山頂を避けている。

予測が当たるかどうか、とにかく行くしかない。

五條市は「柿の葉寿司」で有名だが、わが愛車フィアット・パンダ4WDで山に取り付くと、周辺は柿畑ばかり。

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柿畑と、向こうに見えるのは「金剛山と大和葛城山」。

林道のような通行可能な細い道が山頂方向に向かって進んでいるが、車をデポして歩く。

とりあえず山頂に向かう尾根に取り付き、ジャングルかき分けてを進んだが、再び林道に出る。

山頂直下に小屋があったが、「Geographica」で確認しながら、ジャングルに分け入り、山頂を目指す。
すぐ山頂に到達。

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「竜王山」山頂の三角点。

そしてやはり、

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アンテナが。
超太古から今に至るまで、展望のきく山頂は「通信基地」。
そして、神宿るとされる「神奈備山」。

「竜王山」という大きな名前が付いているにもかかわらず、何も祀られていない。

山頂から「南東方向に伸びる尾根」を見下ろすと、

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やはり「植林」。
良く育っているとはいえないし、手入れが行き届いている分けでもない。

実は山頂まで林道が伸びていて、山頂から北西方向の斜面は柿畑。
人家も550mのコンタライン近くまで建っている。

地名は「夜中」。意味ありげな不思議な地名。

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そして、「樒(シキミ)」の実生が沢山生えていた。
聖地探索をしていると、なぜか「樒」によく出会う。

ウイキペディアに次のような記事があり興味深い。

シキミ(樒)は俗にハナノキ・ハナシバ・コウシバ・仏前草という。空海が青蓮華の代用として密教の修法に使った。青蓮花は天竺の無熱池にあるとされ、その花に似ているので仏前の供養用に使われた。なにより年中継続して美しく、手に入れやすいので日本では俗古来よりこの枝葉を仏前墓前に供えている。密教では葉を青蓮華の形にして六器に盛り、護摩の時は房花に用い、柄香呂としても用いる。葬儀には枕花として一本だけ供え、末期の水を供ずる時は一葉だけ使う。納棺に葉などを敷き臭気を消すために用いる。茎、葉、果実は共に一種の香気があり、日本特有の香木として自生する樒を用いている。葉を乾燥させ粉末にして末香・線香・丸香としても使用する。樒の香気は豹狼等はこれを忌むので墓前に挿して獣が墓を暴くのを防ぐらしい。樒には毒気があるがその香気で悪しきを浄める力があるとする。インド・中国などには近縁種の唐樒(トウシキミ)があり実は薬とし請来されているが日本では自生していない。樒は唐樒の代用とも聞く。樒は密の字を用いるのは密教の修法・供養に特に用いられることに由来する。
古代にはサカキと同様に神社でも用いられたといわれるが、神式での「榊」(=サカキ)のように「梻」(木偏に佛、「佛」は仏の旧字体)と書く国字もある。現在でも京都市の愛宕神社などの神事には榊でなく、シキミが使われている。シキミを挿した水は、腐りにくいのである。

「磐座」は期待していなかったが、石・岩は無いものかと、探しながら急斜面を降る。

やはりあった。

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小さいしボロボロで、物足りない。

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少し大きいのが出てきた。

期待が持てそうなので、上森さんは上の方を探し、僕は下の方を探す。

「ありましたよ~!」の田中さんの声。声の方向に向かい再び登る。

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かなりでかい。

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しかも、上の石はオーバーハングしている。

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「岩屋」状の窪みも。

位置情報
N34°18’12.38”  E135°44’58.63”  高度605.09m(多少誤差あり)

この辺りの地質を「地質図Navi」で調べてみると、

後期白亜紀(K2)の付加コンプレックスの基質
説明: 約1億年前~6500万年前に海溝で複雑に変形した地層(付加体)

とあった。
割れやすい「泥岩」ではないかと思う。 

「竜王山」の北西斜面は柿畑として利用され、古くから人も住んでいたようだ。

「竜王山」の南東斜面や「南東側に伸びた尾根筋」は、長年放置され、近年になって杉檜の植林が成されたのではないかと推察する。

本来、 「竜王山」の南東斜面には露岩があったが、岩石の風化や樹木による落ち葉などで、露岩の大部分が覆い隠された可能性がありそうだ。

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南東斜面は植林されている。

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570mのコンタラインに達すると、植林は消え、細い雑木林となる。
元々は、松林だったようで、枯れ腐っり倒れた赤松が目立つ。数は多くはないが生きている赤松もある。

推測するに、元々は赤松林で、明るい林床には沢山の松茸も出たのであろう。
「マツノザイセンチュウ」による被害により、殆どの赤松は枯れてしまっい、その後、落葉・常緑の雑木類が多種生えてくる。どこででも見るパターン。

何故、松が枯れ、杉檜の植林が成されているのか、「磐座探索」の度に不思議に思う。
陰謀論」も頭をかすめる。

「石・岩・磐座」を隠すため!
そのように勘繰りたくなるぐらい、それが夥しい。

「南東方向に伸びる尾根」の端に到達。
この場所は、ほぼ平ら。それは祭祀広場であり、僕が探し求めている「原初のニワ」。

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この場所に到達して、感慨深げな上森さん。

「ここから竜王山方向を拝めば、その先にイエスキリストの陵墓がある!そして、竜王山はオリオン座のサイフ(このようには言わなかったが)。こんな偶然がありますか?!」と言う上森さん。

夏至自分には山頂方向に日が沈み、冬至には反対方向から日が昇る。
参道のような尾根筋の向こうに「竜王山」南東側の斜面に露岩があり、一年中、日の出を受けて露岩が黄金色あるいは茜色に輝く。

それをこの祭祀場、「原初のニワ」から松林を通して仰ぎ見る。
何と神々しいことか。
そしてそのはるか向こうに上森三郎さんが説く「イエスキリストの陵墓」。
脳内に素晴らしい光景が浮かぶ。
これは僕の夢想。

ここで、上森さんが地図上で示した「冬の大三角形」と「オリオン座」について説明しておかねばならない。

06-20-2
上森さんがブログ「磯砂山(いさなごやま)は、オリオン座の冠」より。

上森さんは、この地図上の図形を、彼のブログ「かごめかごめの真実とは」に何度も示している。

左側の黄色の塗りつぶしが「冬の大三角形」。ブルーの塗りつぶしが「オリオン座」。

その接するところがオリオン座の「ベテルギウス」で、地上に示されるポイントは、「イエスキリストの陵墓」。

「冬の大三角形」の左端は小犬座の「プロキオン」で、地上に示されるポイントは広島県庄原市の日本のピラミッドとして名高い「葦嶽山」。

「冬の大三角形」の下端は大犬座の「シリウス」で、地上に示されるポイントは徳島県美馬市麻衣の「権現山」。

「オリオン座」の「ベラトリクス」の地上に示されるポイントは京都府舞鶴市の「弥仙山」。(ここについてはまだ詳しい報告を書いていない)

「オリオン座」の「リゲル」の地上に示されたポイントは、奈良県曽爾村の「亀山」。

そして今回の「サイフ」は奈良県五條市の「竜王山」。

以上のポイントを示す山々には、上森さん田中さんと一緒に登った。

「イエスキリストの陵墓である神河町の836mの無名の山」以外、いずれの山も、綺麗な「ピラミッド状の山」で「神奈備山」。

「オリオン座」の中央の三ツ星は、「ミンタカ=交野山」、「アルニラム=生駒山」、「アルニタク=信貴山」で、いじれも生駒山系の山。

これらの三山には上森さん達とは登っていないが、いずれも「イワクラ学会」のイワクラツアーで行っている。
いずれにも勿論、「磐座」がある。

先日上森さん達が行った、オリオンの頭の部分に当たる「メイサ=磯砂山」には、僕は仕事で行けなかった。(上森さんのブログ
磯砂山(いさなごやま)は、オリオン座の冠参照。ここにも多数の磐座あり。)

上森さんは壮大な星座の図が、地上の山々を使って示されていると説いている。

そしてその交点「ベテルギウス」が名も無い神河町の836mの山「イエスキリストの陵墓」であるという事は、隠された「イエスキリストの陵墓」を示す「ベンチマーク・ポイント」であると、上森さんは強調する。

上森さんが示すように「名も無い神河町の836mの山」が「イエスキリストの陵墓」であるかどうか、僕にはまだ判断しかねるが、極めて重大な意味を持つ山であるこのには違いないと、確信を持っている。

下山ルートは、歩き易い林道を通って、わが愛車フィアット・パンダ4WDのデポ地まで戻る。

すぐ近くに「銀峰山(ギンポウサン・ギンブセン)」という614mの山がある。山頂に鳥居マークがあるので、行ってみた。
そこに行くことによって、またまた発見があった。
何処までも繋がって行く。

なお帰ってから、「地理院地図」上で「竜王山」から「イエスキリストの陵墓」の「前方部」にラインを引いてみた。

ライン上には幾つか興味を持てる山があるものの、特別注目すべきポイントは見つからない。
ただ、我が家の近所の「荒山公園(コウゼンコウエン)」に「多治速比売神社」がある。
ラインはこのすぐ傍を通る。

本殿は国の重要文化財で、清々しく気持ちの良い場所でもある。

06-20-3
中央の鳥居マークが「多治速比売神社」。

追記
上森さんのブログ「竜王山は大王イエス・キリストを遥拝する特別な山でした」。

つづく

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