火(ホ)と「ニワ」と鍋釜

庭を造るという現場から体験したこと、そして「人はなぜ庭を造るのか?」考え続けてきたことなどを、ぼちぼち綴るブログ。 等ブログの履歴などの情報は、最下部にあります。

火はホと読む。「ニワ」は庭と漢字で書かずカタカナで書く。鍋釜は漢字。
火は唯一人だけが制御できるエネルギー。「ニワ」は人としての基盤。鍋釜は人の食の道具。
一見、脈絡のない言葉がつながる。

11月10日・日曜日 Gardening研究会開催のお知らせ

不定期開催になっているGardening研究会ですが、開催を希望する声もあり、11月10日・日曜日に開催します。

長きにわたってGardening研究会を主宰してきた武部ですが、今年2月中旬に「脊椎炎」と言う思わぬ病気にかかり、2ヶ月以上の入院生活を強いられました。その後も後遺障害が残ったのですが、杖を突いての歩行も出来るようになり、現場に出たり軽い旅に出たりできるようになっています。


日時 2024年11月10日(日曜日)  11時から17時まで

会場 河南町立中央公民館3階研修室 (大阪府南河内郡河南町大字白木1387番地)

会費 無料 (庭に興味のある方ならプロ・アマ問わず、どなたでも参加出来ます)

昼食 希望者には昼食を用意します(2000円程度) 希望者は10月7日までに古川元一   (090-3165-0288)に申し込んでください。
(申し込みをしなかったっ方は、各自弁当を用意してください)


近況・作品発表

「荻野寿也景観設計」の荻野さん(http://www.o-g-m.co.jp/home/home.html)

「ガーデンデザインオフィス萬葉」の北谷さん(https://office-manyo.com/about/)

「グリーンスペースオオサカ」の辰巳さん(https://green-space1991.com/)

「gokan plus」の梅原さん(https://5kan-plus.com/)

造園業界の第一線で活躍されている方々の近況及び作品発表をしていただきます。


武部の「ちょこっと庭話」

武部は81歳という年齢ですが、開業してすでに58年にもなり、今だ気分は現役です。
家業を引き継いだ分けでもなく、専門学校にも行かず、師匠も付かず、我流で庭を造ってきました。
伝手もなく宣伝もほとんどしなかったのに、幸い仕事には恵まれてきました。
我流故に常に念頭にあったのが「人はなぜ庭を造るのか?」、「庭とは何か?」でした。
そして自分なりに「原初のニワ・庭」を探してきました。
つい最近、沖縄の聖地探索に行ってきましたが、やっと「原初のニワ・庭」と思える場に出会えました。
庭を造るにおいて、そのデザインや工法には直接かつすぐに役立つと言うものではありませんが、庭を造って行く上でのバックボーンになるのではとの思いから、「ちょこっと庭話」させていただきます。

ディスカッション

武部と司会役の古川さん、そして近況・作品発表された荻野さん、北谷さん、辰巳さん、梅原さんを交えて、「庭談議」をしたいと思います。

逐次会場からの意見や質問もお受けします。
このような話が、庭を造る人、庭に興味を持つ人への刺激になればと思っています。

2024年2月22日(木曜日)
第九回 222 金鳥山 カタカムナ祭」を開催します
2024年2月7日
武部正俊
2月22日」は近著山山頂の通称「狐塚」再発見の記念日です。
2019年2月22日」でした。「吉野信子カタカムナ研究会」のメンバーに
保久良神社と金鳥山への案内を頼まれて行った時のことでした。
金鳥山はピークらしい高みが無く、非常に分かり辛い山で、おまけに背丈ほどの笹が生い茂っていて見通しも効きません。
前年の「3月3日」に金鳥山山頂近くで一個の興味深い石を見つけていたのですが、大勢の目で周辺を見ると次々に石が見つかりました。
その時興味深い石組が見つかり「狐塚」と思われました。(その時の記録は「金鳥山とカタカムナ-1 金鳥山探索」参照)
その時は道具も持ってなかったので、本格的調査は、同年の「5月5日」に行いました。(その時の記録は「カタカムナと金鳥山-2 金鳥山の探索」参照)
そして「2019年11月1日」に「111 金鳥山 カタカムナ祭」を開催しました。(桜井陽子さんによるその時の記録は「
111金鳥山カタカムナ祭」参照。

その後も新たなルート開発なども行い「金鳥山 カタカムナ祭」も「第九回」を迎えることになりました。

今回も、周辺整備や新たなルート開発を行いたいと思っています。
気に成っている未開拓の金鳥山南尾根の探索を行いたいと思います。猛烈な笹薮が予想されます。(無理な方は、従来の階段コースを降ることも可能ですし、寅屋哲哉さん開発の南側斜面を降ることも可能です。)

金鳥山 カタカムナ祭」は毎回、武部正俊が「この指とまれ」形式で企画してきましたので、軽いハイキング程度の体力さえあればどなたでも参加出来まし、参加費も無料です。

それ故に、「自己責任」での参加をお願いします。

開催要領

開催日・・・・・・2024年2月22日・木曜日

待合せ場所・・・・阪急・岡本駅・南改札口前

待合せ時間・・・・10時

持参するもの・・・昼弁当飲み物(岡本駅隣のコープで買えます)、雨具手袋、鎌や鋏など(なくても問題ありません)

服装など・・・・・歩きやすい靴と服装

参加資格・・・・・・カタカムナや磐座に興味のある方、軽いハイキング程度ですがしっかり歩ける方で、自己責任で参加できる方

参加費用・・・・・・無料

コース・・・・・・・阪急岡本駅→岡本八幡神社→八幡谷経由で山の神の祠→八幡池(周辺の磐座整備)→金鳥山北西尾根経由で金鳥山(昼食・周辺整備)→金鳥山南尾根開拓(無理な方は階段ルートなどを降る)→十字架の木→保久良神社→尾根上の磐座広場→古墳(古墳に至るルートに散在する磐座周辺整備お行う)→岡本駅

加表明など・・・・当ブログのコメント欄、当ブログはFacebookでシェアしますのでFacebookのコメント欄、あるいはMessengerにコメントを。勿論参加表明無しで当日直接来ていただいても問題ありません。

遅れて来た場合の連絡・・10時には岡本駅を出発して岡本八幡神社に向かいます、遅れた場合は武部の携帯電話 090-2599-7367 にご連絡ください。

中止の連絡・・・・・天候の都合等で中止せざるを得ない場合は、当日早朝までに当ブログないしFacebookでお知らせします。
遠くからお越しの方で前泊されている方がおれば、武部の携帯電話 090-2599-7367 にご連絡ください。
武部は雨が降っても岡本駅に行きます。(雨で登山できない場合、集まった方達で懇親会を開く予定です)

下山後、JR本山駅近くだ直会を行う予定です(希望者のみ)。

Gardening研究会開催のご案内

2022年1月以来長らく休会していましたGardening研究会を久々に開催します。

日時 2024年2月11日(日曜日・建国記念日)  13時から17時まで

会場 河南町立中央公民館3階会議室 (大阪府南河内郡河南町大字白木1387番地)

会費 無料
 (庭に興味のある方ならプロ・アマ問わず、どなたでも参加出来ます)

弁当は用意していませんので、昼食は各自済ませて来てください。

作品発表 「HUKUTAKE TRES 時の庭」 荻野景観設計 荻野彰大
「HUKUTAKE TRES 時の庭」・「福武トレス」は岡山市北区の半田山の麓に出来た建築と庭が一体となって里山に溶け込むような複合施設です。
福武書店(現:ベネッセコーポレーション)の創業者・福武哲彦氏が「福武書店迎賓館・庭園」として、伝統的数寄屋造りと、雑木の庭の小形研三氏が造り上げた建築と庭の復元と共に、新たなコンセプトで造られた建築と庭が、一体となって半田山の山裾に溶け込んでいます。
迎賓館の庭は、小形研三氏の作庭精神を受け継いで、
「荻野景観設計の荻野彰大」さんらによって忠実に復元されています。元在った場所に戻された朝鮮の層塔も見ものです。
「Fギャラリー」として新たに建てられた建築は「武井誠+鍋島千恵・TNA」さんが設計し、「自然に溶け込む建築」がテーマでした。庭は「荻野景観設計の
荻野彰大」さんが中心となって設計施工されました。
建築は極めて特殊で、細い丸鋼を沢山使った柱と総ガラス張りの壁、宙に浮いた床、そして細長い不等辺三角形の複合によって成り立っています。
「自然に溶け込む建築」をテーマにしている通り、雑木と石組によって構成された庭と背景の里山とに溶け込んでいますが、その尖がった先端部は、ハッキリと建築の存在意思を示しています。
建築も庭も、極めて困難な工事であったろうと思われます。建築と庭が混然一体となているので、工程の擦り合わせが大変だったと思いますし、お互いの協力なくしては造りえないと思えます。その辺りの苦労話などもお聞きしたいと思います。
「福武トレス」に付いては「GA JAPAN 184号」、「庭NIWA №.254 2024春号」などに掲載されています。
また「
庭NIWA」の編集長沢田忍さんと荻野彰大との対談が「荻野彰大×澤田忍「創造の場となるオフィスの庭」 | 第7回 庭シンポジウム - YouTube」で見ることが出来ます。


講演 「作庭57年・庭とは?を追い求めて」 OM環境設計 武部正俊
武部は1943年(昭和18年)生まれで80歳になります。夜間大学に通っていた23歳の時に突然庭造りを始めることになりました。家業が造園でもなく、専門学校に行ったわけでもなく、誰かに師事したこともなかったので、当然のことながら何の知識も技術もなく興味もなかったのです。何故か何の知識も技術もないのに仕事だけは次々でした。仕事に応じて道具をそろえ、分からないことは本で調べたり、専門家に聞きに行ったりで何とか仕事をこなしていました。当時他にやりたいこともあったので、いつまでやるのかも曖昧のままでしたが、いつしかこの仕事が面白くなり、気が付けば57年もやっていて、「天職だった」と思えるようになっています。
何の知識も技術もなかったのですが、常に考えていたのは「庭とは何か?」「人はなぜ庭を造るのっか?」でした。まだ未だ結論には足してはいませんが、何と無く見えて来たこともあります。
庭造りはほぼ「我流」で、造りたいことを提案し、理解していただいて今までやって来ました。宣伝活動も営業活動も全くやっていませんが、何故か仕事が切れることもなく、大きな仕事もやらせていただきました。自分でも不思議です。
殆ど参考にならないかもしれませんが、終末に差し掛かった我が人生を話しながら「庭・ニワ」について考えてみたいと思います。
話の途中でも「突っ込み」や「質問」も大歓迎です。

多くの方の参加、期待しています。

2023年11月11日(土曜日)
第八回 11111111 金鳥山カタカムナ祭」を開催します
2023年10月29日
武部正俊

11のゾロ目」が続く月日が年に三回あります。1月1日、1月11日と11月11日です。

時間分まで入れると、11月11日は「11111111」となり、1つも繋がります。

この日を特別な日と感じて第八回目の「金鳥山カタカムナ祭」を企画しました。

11時過ぎには金鳥山の山頂に登り、11時11分の時刻になると、通称「狐塚」と呼ばれている「ホト型の磐座」を囲んで、カタカムナ 1首・4首・5首・6首・80首を奏上します。

12時前の「南中する太陽の光」が「ホト型の磐座」に差し込むのを観察します(天候次第ですが)。


奇しくも「金鳥山カタカムナ祭」も第八回目です。

」は「八咫鏡」・「八尺瓊勾玉」・「大八洲」・「八咫烏」などにも繋がる数です。

また「」は「カタカムナ48音思念表」によると「飽和する」です。

「飽和」とは「最大限の状態」を表していますので、その状態を「金鳥山」で味わってみましょう。

2023年6月22日、この「ホト型の磐座」に人一人しゃがみこめるぐらいの「穴」を掘りました。

その「穴」は「産道(参道)」でもありますので、その「穴」に入り出てくることによって、「生まれ変わり(蘇り)」を体感できます。

また「竜宮道場の寅ちゃん」こと「寅屋哲成」さんが、「金鳥山南斜面」の笹を刈り新しいルートを開拓してくれていますので、降りはそのルートを降ります。

金鳥山カタカムナ祭」は毎回、武部正俊が「この指とまれ」形式で企画してきましたので、軽いハイキング程度の体力さえあればどなたでも参加出来まし、参加費も無料です。

それ故に、「自己責任」での参加をお願いします。

なお武部は「金鳥山の謎を探る」と題してブログ「火(ホ)と「ニワ」と鍋釜」に、その想いと考えを書いています。興味があれば下記のリンクにアクセスしてみてください。

http://blog.livedoor.jp/omtakebe/archives/91576490.html


開催要領

開催日・・・・・・2023年11月11日・土曜日

待合せ場所・・・・阪急・岡本駅・南改札口前

待合せ時間・・・・9時30分

持参するもの・・・昼弁当と飲み物(岡本駅隣のコープで買えます)、雨具手袋、鎌や鋏など(なくても問題ありません)

服装など・・・・・歩きやすい靴と服装

参加資格・・・・・・カタカムナや磐座に興味のある方、軽いハイキング程度ですがしっかり歩ける方で、自己責任で参加できる方!

参加費用・・・・・・無料

コース・・・・・・・阪急岡本駅→保久良神社→金鳥山→11111111 カタカムナウタヒ奏上→南中する太陽を観察してから昼食→ミトロカヘシの沼往復→寅屋さん開拓の南側斜面を降る→保久良神社の磐座案内→十字架の木から巨石ルートを降り→岡本駅(コースの変更ありかも。希望者で懇親会開催予定)

参加表明など・・・・当ブログのコメント欄、当ブログはFacebookでシェアしますのでFacebookのコメント欄、あるいはMessengerにコメントを。勿論参加表明無しで当日直接来ていただいても問題ありません。

遅れて来た場合の連絡・・9時半には岡本駅を出発して保久良神社に向かいます、遅れた場合は武部の携帯電話 090-2599-7367 にご連絡ください。

中止の連絡・・・・・天候の都合等で中止せざるを得ない場合は、当日早朝までに当ブログないしFacebookでお知らせします。
遠くからお越しの方で前泊されている方がおれば、武部の携帯電話 090-2599-7367 にご連絡ください。
武部は雨が降っても岡本駅に行きます。(雨で登山できない場合、集まった方達で懇親会を開く予定です)

2023年10月21・22日、長野県で「イワクラ学会」の「イワクラサミットin安曇野」が開催された。

今回は会員だけのこじんまりとしたサミットになった。

宿泊したホテルで、研究発表も行われ、発表者は三名であった。

武部も「ホツマツタヱ36紋のアグラ石は内宮の磐座か?」と題して発表することにしていた。

プレゼンテーション作成中にどんどん膨らみ、かなりの量になってしまい、発表の制限時間30分ではとても収まらないようになってしまった。

それで全文をプリントアウトして参加者に配るつもりでいたが、印刷途中で複雑な紙詰まりをしてしまい、修理時間もなく、結局プリントを配布できなくなってしまった。

発表の席上では、かいつまんで話すつもりだったが、それも出来なくなってしまった。

案の定、早口で話しても、きちっと伝えることが出来ないまま、時間切れとなってしまった。

準備不足で簡潔に纏められなかったことを悔いつつも、きちんと伝えたいとの思いもあり、リベンジを試みることにした。

時間制限もページ数の制限もないので、研究発表用のプレゼンテーションより詳しく検討できるものと思う。

何回のシリーズになるか分からないが、時間をかけて検討を重ねて行きたいと思う。

先ずはプロローグとして「内宮の磐座」(これはあくまでも仮称であったが、このようになずけてからその磐座を「内宮の磐座」と呼ぶことが独り歩きしてしまい、今やGoogleマップにもそのポイントが示されている)との関わりについて書いてみる。


「内宮の磐座」との関わりの歴史

1・・2008年8月「ガーデニング研究会」で伊勢方面の研修旅行に行った際、「外宮」と「内宮」の正式参拝を行った。参加者の知り合いのある神社の宮司の紹介もあり、その時の正式参拝は特別なものとなった。今から思うとそれは大いなる導きであったと感じている。武部にとって神社に接する始まりだった。

2・・2008年9月、「イワクラ学会」に入会。その後、深くイワクラ・磐座に接するようになり、人生が変わったようにも思う。

3・・2010年、志摩市で仕事をすることになり、その行き帰りに伊勢を通るので、しばしば「内宮」に行くようになる。「子安神社」と「大山祇神社」の存在を知り、宇治橋を渡って必ず挨拶するようになった。その場の雰囲気から「磐座が在るのではないか?」との思いが高まり、行く度に探して見た。祀られている小石を次々に見つけたが、磐座と思えるものは見つからなかった。

4・・2011年4月、スピリチャル系の人気ブログ「伊勢-白山道」のブログに、それらしい磐座が写真と共に紹介されていたが、最後に「行くな!」というような文言が書かれていた。

5・・2011年8月15日、神宮司廟の脇を通て北側に出て進むと三叉路があり、目の前の小高い丘の茂みの中にそそり立つ巨石を見つけ「これだ!」と感激する。その時はカメラを持っていなかったので写真は撮れなかった。

6・・2011年9月25日、写真撮影。ネット上などで調べては見たが、ほとんど情報が見つからなかった。

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西側から見たそそり立つ巨石

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東側から見る

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南側から見る

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大きな杉の木の倒壊を防ぐために、ワイヤーロープが張られていた
(その後その杉は伐採され、ワイヤーロープも外された)

7・・2011年10月、Googleアースで、「内宮」の真北に在ることを発見。

8・・2012年9月、「イワクラサミットin日向」で研究発表。この時に「内宮の磐座」として紹介。

9・・2013年8月10日、重藤悦男さん主宰する「感動塾」の93回「なぜか秘められた内宮のイワクラ」と称して伊勢周辺の磐座を案内した。恵利原の「鸚鵡岩の稜線上の磐座」で参加者の「上森三郎」さんが、綺麗な三角の山を発見。その後その山が、「内宮」の真南の「八禰宜山」であることを教えてくれた。
   8月11日、「内宮」では「お白石持行事」が行われていて、大勢の人出で賑わっていたが「内宮の磐座」周辺は静かだった。この時、磐座の東端部に人一人立てるスリットを発見。そこに立つと、涼やかな風が吹くことを体感。その日は猛烈に暑い日だったが。

10・・2013年8月22日一人で「八禰宜山」の探索に出かける。「八禰宜山」周辺にも沢山の巨石が在った。そして、剣峠の東側の尾根で「剱岩」に出会っている。

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剱岩と巨大なウバメガシの生えている岩で引用を成している

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この時に写した内宮の磐座の「スリット」
ここに立つといつも涼やかな風が吹く

11・・2014年9月16日、「内宮の磐座」の天端が平らであることを発見。この時「ホツマツタヱ 36紋」に登場する「アグラ石」がこの磐座ではないか?と感じ始める。(「風が吹くの不思議」参照)

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写真では分かり難いが、磐座の天端は平らで、座ることも寝ることも出来るスペースがある

同日「八禰宜山」にも登り、山頂の南側の直下に、不思議な構造物を発見。

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明らかに人工的に彫られた痕跡があり、腐葉土化した堆積物から、水が溢れ出していた

12・・2014年9月23日、確認のため再度「内宮の磐座」に行き、磐座の石質が「真っ白な大理石」であることを発見。

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汚れてはいるものの、石質は真っ白で、大理石と思われる

13・・2014年9月28日、「イワクラ学会10周年記念大会」で研究発表。
この頃には「内宮の磐座」のすぐ東側の広場で内宮の遷宮の一番最初の祭「山口祭」が行われるのを知っていた。この時すでに「アグラ石」を気にしている。

14・・2014年12月、「検証ほつまつたゑ」に投稿。

15・・2015年1月26日、当ブログ「火(ホ)と「ニワ」と鍋釜」に「白髭神社と内宮の磐座」掲載。

16・・2016年2月11日、「八禰宜山」直下で見つけた人工的な遺構を調べに行ったところ、2m近い深さであることが分かった。(詳しくは「八禰宜山・山頂直下の井戸状遺構と磐座」参照)

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掘ってみたが、腐葉土化した堆積物ばかりなので、
2m近い棒を差し込んでみたが、底まで届かなかった

16・・同日、気に成っていた「外宮」の真北に在る綺麗な三角の山「五ケ所・浅間山」に登ってみた。沢山の巨石が在り、山頂には「宝永山」が祀られていた。標高178mの低い山だが、明らかに「富士山」を象徴していた。(詳しくは「五ケ所・浅間山の磐座」参照)

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「五ケ所・浅間山」の山頂には、宝永年間に噴火した「宝永山」が祀られていた
周辺には磐座群

17・・2016年9月24日、「イワクラサミットin鳥羽」開催。「イワクラとレイライン(伊勢神宮内宮・外宮の示す南北軸の重要性とイワクラ」と題して研究発表。(イワクラ学会HPより「イワクラサミットin鳥羽」参照。「石・岩・磐座-(イワクラサミット用の資料として)」参照)
    明くる25日、「伊勢イワクラツアー」で案内役(イワクラ学会HPより「伊勢イワクラツアー」参照)

18・・2017年1月10・11日、カタカムナ研究家「吉野信子」さんの一連の神事の最後として、伊勢に行き、その時「内宮の磐座」に案内をした。全国から100名を超える人が集まった。
11日の早朝、「二見興玉神社」に行き「輪注連縄」に出会う。この「輪注連縄」がその後の大いなるインスピレーションに繋がった。そしてこれは「猿田彦大神・申田彦大神」との強い繋がりとなった。
また当日内宮では「一月十一日御饌」と言う祭りが行われていて、予定されていた100名もの正式参拝が出来なくなった。これもまた一人正式参拝の参加をしないと決めていた武部にとって意味あることとなった。

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「一月十一日御饌」に先立つ祓の行事

    この時の神事の前日(1月9日)に「白髭神社」に正式参拝をしている。それは「外宮・多賀宮」の謎を知ったからだ。「「外宮・多賀宮の謎」参照)

19・・2018年4月であったろうか、「上森三郎」さんのセミナーで、「八禰宜山の壷の掃除をしなければ、とんでもないことが起こる!それは発見者の責任だ!」と血相を変えて言ったそうだ。その時武部は参加していなかったが、「とんでもないことが起こる!」とは武部に命の危険が及ぶというような意味だったらしい。その時に参加していた人から、「私達も手伝うから、八禰宜山の壷の掃除をしましょう!」との申し出があった。掃除をしたい気持ちはあったが、少人数では難しい仕事になることが予測された。
    5月6日、一回目の掃除をすることになった。当日11名もの人が集まってくれた。必要な道具は用意しておいた。

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腐葉土化した堆積物を、スコップとバケツで掘り出して行く

20・・2018年7月1日、6月も発掘清掃するつもりだったが、台風が来て出来なかった。それで7月1日に開催した。この時は「上森三郎」さんも来てくれた。
人数が多いとやはり作業は進む。堆積物の全てを掘りだした。底から多少の砂粒が出て来ただけで、ほとんど全て腐葉土化した落ち葉の堆積物だった。何か歴史的な遺物が出てくることを期待していたが、そのようなものは何も出てこなかった。

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バケツリレーで堆積物を運び出す。

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深さは1.8mぐらいで、途中に段があるので、底まで降りることが出来る

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掘り終えたら、祝福するかのように光が差して、満面の笑み

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上から見ると明らかに人工的に掘ってあることがよく分かる

21・・2018年8月5日、最後の「八禰宜山の壷」掃除。

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「壺」一敗に水が溜まっていた

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バケツで水を汲み出し

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水に浸かって、壁面を洗う

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これで構造がよく分かる,明らかに階段が造られている

21・・2018年11月4日、再び「八禰宜山の壷」に。

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雨上がりだったので、壁面にハッキリと「ホト型の筋」が現れていた

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その「ホト型の筋」は、西を向いていた

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この「内宮」の真南に在る、明らかに人工的に造られた「八禰宜山の壷」は、いったい誰が何時頃、何のために作ったのだろうか?

22・・2019年11月14日は「大嘗祭」の日であった。伊勢で行われたあるイベントに参加するために伊勢に向かって、まず「外宮」に行った。

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「外宮」の正殿から出て来た、このような列に出会った。

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列は二手に分かれ、「刀」を捧げ持った列は、「多賀宮」に向かった。時間は8時21分だった。
その時の我々の目的は、先ず「多賀宮」に行くことだったが、神事が1時間ぐらい津木菟とのことで行けなかった。
イベント終了後、内宮の磐座に一同で行った。

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「大嘗祭」の日であるのにもかかわらず、「内宮の磐座」は、益々荒れていた。

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正宮に行かず、宇治橋を渡ろうとしたら、2台の乗用車が、宇治橋を渡って来た。
朝「外宮」で出会った「刀」を持った神官が乗っていた。
「宇治橋」を車で渡れるのは、天皇と天皇の勅使だけだと聞いている。
「大嘗祭」がこの日の夜に行われるので、明らかにそのための勅使の一行。時間は13時19分だった。
この日が「大嘗祭」の日とも知らず、イベントに参加すべく伊勢に行ったのだが、その時「外宮」でも「内宮」でも、「大嘗祭のための新天皇の勅使」一行に出会ったのにも不思議な縁に感じる。

「内宮の磐座」は「内宮」の真北に在り、「八禰宜山」との南北ラインを作っている。しかも遷宮の最初の祭「山口祭」は、まるで「地鎮祭」のようで、「内宮」の位置を決める起点(ベンチマーク)でもあると思うのだが、新天皇の最も大事な行事である「大嘗祭」の日でも、まるでほったらかしなのだ。

知っているのか、知らないのか?
あるいは無視しているのか?

この「秘められた磐座」の謎を、探ってゆきたいと思う。

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