火(ホ)と「ニワ」と鍋釜

庭を造るという現場から体験したこと、そして「人はなぜ庭を造るのか?」考え続けてきたことなどを、ぼちぼち綴るブログ。 等ブログの履歴などの情報は、最下部にあります。

火はホと読む。「ニワ」は庭と漢字で書かずカタカナで書く。鍋釜は漢字。
火は唯一人だけが制御できるエネルギー。「ニワ」は人としての基盤。鍋釜は人の食の道具。
一見、脈絡のない言葉がつながる。

あらゆる物体-素粒子から宇宙まで-は、回転し振動している

地球も回転している自転

(ウイキペディアより)
公転面に対して、自転軸は23.4°傾いている

自転軸が南北軸

赤道上の自転速度=1674.4km/h=マッハ1.4

北・南極点は速度は限りなく 0 しかし回転している

地球上のどこにいても、人はその速度を感じない


地球は太陽の周りを回転している公転





(http://www.max.hi-ho.ne.jp/lylle/hoshi1.htmlより)
季節によって、日照時間が変わる

春分・秋分は地球上あらゆる場所で、太陽真東から登り、真西に沈む

見える星の位置も変わる

殆ど動かないのが、北極星



地球は歳差運動をしている

(ウイキペディアより)
約25800年かけて自転軸が回る

ほとんど動かないように見える北極星も変わる

星座の形も変わる




星は観測できる
しかし地球内部は直接観測できない

地球结构图(网易探索绘制)
(http://discover.163.com/07/0402/11/3B2PI2MK000125OC.htmlより)

「地核」の画像検索結果
(http://tech.qq.com/a/20130428/000016.htmより)
地球内部は、高温高圧で、光り輝いているという

しかしそれは、地震などの振動の観測や実験によるもの
直接の観測は出来ない


地球からのメッセージ、それが
イワクラ・磐座

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内宮の磐座-西側より

P1190902
内宮の磐座-東側より

P1190903
内宮の磐座-玉座
 

そして山

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葦嶽山




意思
意志
医師



イシカタカムナ思念読み

 (伝わるモノ ・ 陰)  
 (示し ・ 現象 ・ 死)

イシ  示しが伝わるモノ  
   
イワカタカムナ思念読み

 (伝わるモノ ・ 陰)

  (調和)     
 
イワ  伝わるモノの調和

イワクラカタカムナ思念読み

 (伝わるモノ ・ 陰)

 (調和)      

 (引き寄る)    

 (場)      

イワクラ  伝わるモノが調和し引き寄る場
 

今日9月22日は「秋分の日」。

「春分・秋分」は、世界中で太陽が真東から登り真西沈む日。
厳密にはどうか知らないが、一応そのように思っている。

夜昼の長さも同じと思っていたが、昼の方が少し長いらしい。

伊勢神宮の「内宮・外宮」の正殿は、南面している。
正殿は「遷宮」によって20年ごとに東西に移動する。

という事は、「東西軸」を作っているという事。

それで、「内宮・外宮」の「東西軸」について「地理院地図」上で調べてみた。

東側には、「伊豆諸島」の「鵜渡名島」があった。
(「内宮と外宮の東西軸-1 伊豆諸島の鵜渡根島と白山」参照)

西側を辿ると「対馬」に至る。

ここでも、「内宮」から西に伸びた東西ラインと、「外宮」から延びたラインに挟まれるように「海神神社」があった。

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「対馬」の神社を調べていて、いつも参考にさせてもらっている「中島尚彦」さんの「日本とユダヤのハーモニー」の「対馬と壱岐に秘められた古代文化の爪痕」を見つける。

残念ながら、このページはコピープロテクトがかかっていて、容易くコピペが出来ない。興味深い内容なので、ぜひ読んでもらいたい。

ここでは、東西1000kmも離れた「対馬」と「伊豆半島」の「伊豆山」の指摘がなされている。

地理院地図には書かれていないが「海神神社」の背後の山を「伊豆山」と呼ぶらしい。

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Googleマップの衛星写真からカットした「海神神社」。
この本殿の東側にある山が「伊豆山」という事になる。

「伊豆山」を調べていると、「伊豆山神社」が伊豆半島の熱海市にあることが分かった。

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ここでは「伊豆山」地名のようでもある。

そして「世界救世教本部」も。

「伊豆山神社」の祭神は、「正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊、拷幡千千姫尊、瓊瓊杵尊」の三神という事だが、何と無くしっくりこない。

この「伊豆」について詳しく調べているサイトを見つけた。
伊豆国奇譚」。

特に気になるのが、「伊豆能売(イズノメ)」。
以下、ウイキペディアの解説。

神名の「イヅ」は「厳」で、斎み清めることを意味する。神名の「メ」は女神であることを意味する。 神産みにおいて伊邪那岐命が黄泉から帰って来た際、黄泉の穢れから禍津日神が生まれた。その禍津日神がもたらす禍(災厄)を直すために、直毘神二柱(神直毘神、大直毘神)と伊豆能売が生まれたとしている。

またこのような記述もある。

出口王仁三郎の弟子で、世界救世教を興こした岡田茂吉は、伊都能売神(伊都能賣神皇)は古代日本の最高神であったが、中国を経由してインドへ渡って観自在菩薩と名乗り、釈迦に仏教を伝授し、その後、南中国地方に移って観世音菩薩と名を改めたのだという「逆本地垂迹(神本仏迹)」とも言える説を示した[1]。また、伊都能売大神は金龍となって琵琶湖に潜んでいたとも述べている[2]。

「世界救世教」の「岡田茂吉」は、「伊豆能売」を最高神としている。
それ故に、「世界救世教本部」は「伊豆山神社」のごく近くに在るのだろう。

僕は「神道」についてはほとんど何も知らないが、ふと「祓戸大神(ハラエドノオオカミ)」の四神「瀬織津比売・速開都比売・気吹戸主・速佐須良比売」が気になって、調べてみた。
ウイキペディアにこのような記述があった。

本居宣長は、瀬織津比売を八十禍津日神(やそまがつひ)に、速開都比売を伊豆能売(いづのめ)に、気吹戸主を神直日神(かむなおび)に当て、速佐須良比売は神名の類似や根の国にいるということから須勢理毘売命(すせりびめ)に当てている(当てているだけでその神と同一視されるほどのものではない)。

「速開都比売」を「伊豆能売」としている。

「伊豆山神社」には「役小角」や「空海」の伝承もあるようで、この場所は極めて重要な「聖地」であるようだ。

もう一点気になるのが『新たに「ハート形の山」発見、そして驚くべき繋がり』で書いた、松阪市の
「阿射加神社」。

主祭神は「猿田彦」であるが、「伊豆速布留神」という神名も出てくる。
ここでも「伊豆」。

そしてこのような記述を見つける(http://tokyox.matrix.jp/forum/discussion/136/猿田彦-火明命と邇邇芸命-スサノオ より)

『倭姫命世記』などによると、安佐賀の山の嶺に荒ぶる神がおり、宇治の五十鈴の川上の宮へ行くことが出来なかった。
倭姫命がこの荒ぶる神の所業を天皇に申し上げるため大若子命たち三人を朝廷へ遣わされたところ、天皇は大若子命に命じて様々な贈り物を荒ぶる神に捧げ、ついに安らかに鎮めることができ、安佐賀に社殿を建て、荒ぶる神である伊豆速布留神を祀ったのが当社の起源。
垂仁天皇十八年四月十六日のことであるという。その後、山上から現社地に遷座したとも伝えられているらしい。
この伊豆速布留神が当社の祭神・猿田彦大神のことであるという。

「伊豆速布留神」が「猿田彦」。

「内宮・外宮」の本殿から「東西」にラインを引くと、その行き着く先の「東西」の先に、「伊豆」という地名がある。

「伊豆」は「イズ」と読む。
「出雲」も「イズ」が付く。

「イズ」、この言葉が何を表しているのか、僕にはまだよくわからない。

もう一点気になることがある。
「内宮・外宮」のラインを東に伸ばして行くと「伊豆諸島」の「鵜渡根島」に至った。
「鵜」という鳥の名前がついている。

また、「内宮・外宮」のラインを西に伸ばして行くと「対馬」の「伊豆山」に至った。

そこには「海神神社」があり、その近くに「鳶崎」という岬がある。
岬だから勿論岩で、こちらも「鳶」という鳥の名前がついている。
「鵜」も「鳶」も日本神話上、重要な鳥。

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Googleマップの衛星写真から切り取った「鳶崎」。

この岬の形に、何と無く見覚えがある。

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それは有田市の壁にある「ハート山と名付けた岬。
この場所の重要性については、『新たに「ハート形の山」発見、そして驚くべき繋がり』に書いた。

「対馬」の「鳶崎」が示す方向は、韓国の「チェジュ(済州島)」。

僕は「チェジュ」とは縁が深い。かつて大きな仕事をしたし、昨年(2015年)も仕事で度々通い、大量の石を組んだ。

この相似形はまた、何を現しているのだろうか。

この共通項は、ただの偶然だろうか。いやそうでは無かろう、何か重要な意味が込められているに違いない。
まだ僕には、今のところその謎を解く力がない。

ただ「地理院地図」上で、気になる場所から次なる場所へとラインを引いて行くことによって、いろんな事柄があぶりだされて来る。

9月20日、『新たに「ハート形の山」発見、そして驚くべき繋がり』を書いた。

「内宮」の真西のライン上に三つ目の「ハート形の山」を見つけた。

今回は、「内宮」から真東へのラインを探ってみる。同時に「外宮」からも真東にラインを引いてみる。

「内宮」のラインは「鍋釜落」という面白い名前の付いた岬を通り、後は太平洋。そして「伊豆諸島」に伸びる。その先は海ばかり。(「鍋釜落」という岬

「外宮」は 近鉄志摩線とJRの参宮線の「鳥羽駅」の真上を通り、「坂手島」と「菅島」を横切って、「伊豆諸島」に伸びる。こちらもそこから先は海ばかり。

両ラインとも「伊豆諸島」の島にはぶつからない。
そして、興味深い島を挟む。

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島の名前は「鵜渡根島(ウトネジマ)」。
名前通り「鵜」を思わせる形をしている。

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Googleマップの衛星写真。

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「鵜渡根島」は。北側のほぼ丸い「利島」と、南側の細長い「新島」の間にある無人島。かつては人が住んでいたのか、山の中腹に神社がある。

地図上の右上の赤丸ポイントは、「外宮」からのラインで、下は「内宮」から。

「鵜渡根島」は、両ラインに挟まれている。

画像検索すると、いろいろ写真が出てくる。

「鵜渡根島」の画像検索結果
(http://www7a.biglobe.ne.jp/~onagagure/diary/070617_udn/070617_udn.htm、より拝借)

「鵜渡根島」の画像検索結果
(http://ritou-navi.com/2015/08/31/秘境!!ほぼ岩の謎の無人島、鵜渡根(うどね)/、より拝借)

「鵜渡根島」は急峻な岩の島であることが分かる。
見る方向によっては「ピラミッド」状に尖っている。

「鵜渡根島」の岩稜は地図からも分かるように、明らかな方向性を持っている。

示す方向は「北東」。
ブルーのラインがそれ。

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石川県の「白山」の「御前峰(ゴゼンガミネ)」。

「白山」は「富士山」、「立山」と共に「日本三霊山」の一つ。

2702.1mの「御前峰」の山頂には「白山比咩神社(シラヤマヒメジンジャ)」の奥宮が鎮座している。

主祭神は「白山比咩大神」で、「菊理媛神(ククリヒメノカミ)」と同一神とされている。

また「菊理媛神」は、「瀬織津姫(セオリツヒメ)」であるとする考え方が根強い。


「瀬織津姫」は記紀には登場しないようだが、秘められた女神として、非常に人気が高い。

「ホツマツタエ」では「アマテルカミ」の后としてとして登場する。

僕は未だ「白山比咩神社」にも「白山」にも行っていない。
一度は行ってみたい「聖地」。

精神世界の超人気ブログ「伊勢-白山 道」は、そのブログ名からも分かるように、「伊勢と白山の繋がり」を非常に重要視しているようだ。

僕はこのブログ主の特別な崇敬者ではないけれど、今までに数々のインスピレーションをもらった。

また「内宮」に磐座が在るのではないかと思いだした後、「内宮の磐座」に出会う切っ掛けを作ってくれたのも、このブログ。

ただ、伊勢の「内宮」も「外宮」も、「白山比咩神社」は「御前峰の奥宮」と南北にキチンと繋がってはいない。かなりずれる。

「御前峰の奥宮」が南北に繋がるのは「朝熊山」。

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その場所は「朝熊山の磐座」や555m山頂の「朝熊ヶ岳」ではなく、478.0mの三角点のあるピーク。

黄緑の立ラインが「御前峰」から「朝熊山」への「南北ライン」。
水色の横ラインが「内宮の磐座」から東に引いた「東西ライン」。

この「朝熊山」の478.0mの三角点のあるピークには、まだ僕は行っていない。ここも検証の必要がありそうだ。

「内宮の磐座」と「白山の御前峰」の「南北ライン」は、「内宮の磐座」を起点にすると、東に4.2kmずれている。
これにも何らかの意味が込められているのかもしれないが、今のところ推測もできない。

「内宮と外宮」共、その本殿は南面している。その本殿は20年ごとに東西に入れ替わる。それが「遷宮」。

遷宮の度に入れ替わる本殿は「東西軸」を示している。

その「内宮と外宮の本殿」が示すラインを東に伸ばすと、「伊豆諸島」の「鵜渡根島」を挟む。

その「鵜渡根島」も明確な方向性を示しており、その示すところに、「白山の・御前峰」がある。

その「御前峰」の真南に「朝熊山」があり、「伊勢」に戻る。

一見こじつけにも見えるが、これは「地形」が示す妙味。

その意味するところを読み解くことは、決して容易ではない。

かつて、聖者といわれる人々は、その場に何かを感じて、「聖なる場所」として祀ってきた。その印としてあるのが「磐座」であったり「山頂の祠」であったりする。

「祠」は明らかに人が作ったものであるが、「山頂」は元からそこに存在する。

「磐座」の成因については、いろんな考え方がある。
意外と「人工説」を取る人が多い。
僕は今のところ、「人工説」と「自然説」の両方を考えている。

元々在った巨石に人が少し手を加える。それが僕の考え。

それ故僕は、「その元は、地球さんが造り、その場所を聖なる場所と感じた人たちが、本の少し手を加える!」といっているが、今のところこの僕の説を支持してくれる人は少ない。

そして、「殆ど石・岩が無い聖なる場所」には、人工的に「磐座」を作ったり、樹木を植えたり、「祠」を作ったりする。
この「祠」を作る行為が、のちに「神社」へと発展し、人の生活が山上から平地に移るに伴い、「神社」も平地に移される。

「山上の祠や社」が元宮とされる所以。

そして参拝しやすい平地の神社が重要視され、「磐座」が忘れ去られてゆく。

9月24日、伊勢の鳥羽で「イワクラ学会」の年一度の行事「イワクラ・サミット」が開催される。
今回は会員限定。

今回はこれまでと違って、幾つかの問題提起が成され、それについて討議する。

その問題提起者の一人が僕で、「イワクラとレイライン(伊勢神宮内宮・外宮が示す南北ラインの重要性と磐座)」と題する。

このところ磐座探索するたびに、「磐座と磐座 」、「磐座と山」、「磐座と神社」などを、「地理院地図」上で繋ぎ、その関連性を調べることが多くなった。

僕にとってその始まりは、「内宮」からだった。

「内宮」の真北に、知る人ぞ知る巨大な磐座が在る。
僕はその磐座を仮に「内宮の磐座」と名付けている。

今のところその所在を公には出来ないが、極めて重大な意味のある磐座だと思っている。

「内宮の磐座」の側で、「遷宮」に先立つ最初の祭事である「山口祭」が行われるという以外、ほとんど何もわからない。

文献もいろいろ調べてみたが出てこない。ネットで調べてもほとんど何も分からない。
磐座に興味を持つ者にとって不思議でならない。

そのように不思議に思いながら、いろいろ調べていると、真南に「八禰宜山(ハチネギサン)」という山があることを知った。

「八禰宜山」は見る方向によって綺麗な三角形に見える。
いわゆる「神奈備山」であり、人によってはこのような形の山を「ピラミッド」だという 。
(「八禰宜山」については、当ブログにこれまでいろいろ書いてきている)

「外宮」の真南にも「浅間山(センゲンザン)」というこれも綺麗な三角形の山がある。
(「浅間山」についてはまだ速報だけ)

「浅間山」にも巨石が沢山あり、山頂にはなぜか「宝永山」が祀られている。
山頂付近にある鳥居から、さらに南に同じ名前の「浅間山」が見える。

今回は、この「南北軸」について述べるのが目的ではない。
いずれ纏めたいが、検証しなければならないことが、まだまだ沢山ある。

「内宮」には明確な「東西軸」も見つけたが、「外宮」はまだはっきりしない。

「内宮」の真西に、「大和・葛城山」がある。
山頂付近は何の特徴もないが、偶然「石」があるのを見つけた。
(「大和・葛城山山頂付近の小さな石が示す事」参照)

その「内宮の東西軸」を「地理院地図」上で細かに調べていると、またまたコンタラインが「ハート形の山」を見つける。

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今回「イワクラ学会」のサミットで問題提起する「レイライン」。

薄い水色のラインが「内宮の東西軸」。

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三重県多気町に、明らかに「ハート形のコンタライン」。
このようにハート形には、凹んだ方から凸に向かっての「方向性」がある。
傾きは北北西方向。
茶色のラインがそれ。

もしやと思て、琵琶湖西岸の高島市にある「岳山」にポイントを打ち、繋げてみた。

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ばっちり「岳山」に繋がる。

「岳山」山頂には立派な磐座が在り、「ホツマツタエ 24アヤ」に登場する。
「ホツマツタエ」には「ダケノイワクラ オシハナチ」と出てくる。

僕は実際に「岳山」に登ってみて、その山頂の磐座は「猿田彦の磐座」と実感している。
(「高島の岳山は巨石・磐座だらけ-速報」参照、まだ詳しい報告はしていない)

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「岳山」山頂の磐座。(2016年3月21日撮影)

「岳山」には、山麓から山頂までたくさんの磐座が在る。

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「岳山」中腹に、全く草木の生えていない白砂の斜面があり、「岳山」を顔に見立てると、まるで「白髭」のよう。
「猿田彦」を「白髭」と呼ぶのは、これ故か、とも思う。

和歌山県有田市の「壁」という岬に「ハート形の山」であることを発見し、八幡市の「石清水八幡宮」と繋いでみると、「牧野車塚古墳」、「仁徳天皇陵」、「聖神社」、熊取の「小富士山」を通る。
このラインを北東方向に延長すると「岳山」の」すぐ近くに至る。

先ほど示した地図では、同じ「岳山」山頂にラインを引いたが、いずれのポイントとも誤差はごくわずか。

「岳山」を頂点に、有田の「ハート形の山」と多気町の「ハート形の山」が繋がった。

「内宮の磐座」と高島の「白髭神社」レイラインで繋がることを、すでに見つけている。(「白髭神社と内宮の磐座」参照)

このレイランで繋がるのはやはり「猿田彦」。

それで、今回見付けた多気の「ハート形の山」と「岳山」のレイラインにも、何か「猿田彦」の事績がないものかと調べてみた。

このラインは、松阪の近くの山間部を通る。

ここで思い出すのは「古事記」に登場する「アザカ」という地名。
「猿田彦」が「ヒラブ貝」に挟まれて、おぼれ死んだという場所。

そんなバカなことはないと思うけれど、「古事記」にだけそのように書かれているらしい。
「日本書紀」にも「ホツマツタエ」にもそのような記述はないようだ。

松阪には「大阿坂町」、「小阿坂町」という地名があり、どちらにも「阿射加神社(アザカジンジャ)」という社名の神社がある。
現在の主祭神は「猿田彦」。

両「阿射加神社」の向いている方向が気になって、ラインを引いてみた。

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右上の赤丸ポイントが「大阿坂町」の「阿射加神社」。神社の背後に「髯山」という687.6mの山がある。

登山記録を調べてみると、巨石もあるようだ。山名が「白髭」を思わせる。

側を通る茶色のラインが「ハート形の山」と「岳山を結ぶライン。

さらにラインの側に730.6mの「矢頭山」があり、こちらにも巨石が沢山あるようだ。

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右側のラインの上の赤丸ポイントが「小阿坂町」の「阿射加神社」。

神社が向いている方向に山がある。右下の赤丸ポイントがそれで、大台町の「浅間山」。

こちらの登山記録には、巨石は見当たらない。

あと、滋賀県竜王町の「鏡山」の近くの「善光寺川」の側の神社の裏山を、ラインは通る。

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この神社についてネット上で調べてみると「石部神社」という社名だった。
祭神は「天照大神」。
背後の山には古墳があるらしい。

「鏡山」も気になる山で、巨石もある。

何よりも、「鏡山」は「上森三郎」さんが「イエスキリストの陵墓」といっている、兵庫県神河町の山と繋がる。

この「イエスキリストの陵墓」のすぐ傍にも「ハート形の山」がある。

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赤丸ポイントを2点打った836mの山が、上森さんが言う「イエスキリストの陵墓」。

細い黒の横ラインが、竜王町の「鏡山」に繋がる。
そのラインが、東側にある「ハート形の山」の中央部を通る。

さらにそのラインは、「日吉大社」の神体山「八王子山」と巨大な鏡岩「黄金大巌」を通る。

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細い黒ラインが、竜王町の「鏡山」と神河町の「イエスキリストの陵墓」を繋ぐライン。

興味深いのは「イエスキリストの陵墓」は「前方後円墳」で、この2点の方向は、徳島の「剣山」を超えて、「次郎笈」の側にある「槍戸のピラミッド」に至る。

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下の赤丸ポイントが「槍戸のピラミッド」。
細い北北東に伸びるラインが、「剣山」から「イエスキリストの陵墓」に至る。

東北東に伸びる茶色のラインが、湯浅の壁の「ピラミッド型の山」の凹みと凸の向かうラインが「槍戸のピラミッド」にドンピシャ。

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北北東に伸びるラインが「岳山」に至る。

西南西に向かうと「槍戸のピラミッド」。

このラインを東北東に伸ばして行くと、三重県志摩市磯部町恵利原の「鸚鵡岩」のすぐ傍を通り、鳥羽市国崎町の「鎧崎」に至る。

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そしてここにも神社があり、現在の社名は「海士潜女神社(アマノカヅキメ・アマクグリメ・ジンジャ)」

ネットで見つけた情報の解説が興味深い。

当社はもと海士御前と称していたのを明治二年海士潜女社と改称したもので、『志陽略誌』に「八皇子社国崎村に在り、亦神明熊野権現伊雑宮弁財天鏡宮牛頭天皇白鬚明神八幡宮蜒御前山神社等あり」と見える延御前がそれで「外宮旧神楽歌」にも、「国崎にはつヾみの御前、白髭の御前、つるぎの御前、ひめ社」とあり、ひめ社が当社のことである。主祭神の潜女神とは、倭姫命巡行の時に御贄の鮑を捕って献上した、潜女お辨(お弁)のこと。

とある。 

ここに出てくる「白髭の御前」とは何を表すのだろう。
単純に考えれば「白髭大神=猿田彦」。
そうだとすると「猿田彦」での繋がり。

「つるぎの御前」 についてはよく分からないが、このラインは「剣山」に繋がって行く。

また「鮑」は、神宮の御贄の中でも最も重要な物。

ラインを引くことで、いろいろな「磐座・聖地」が繋がり 、まるで複雑なパズル。

さらに、「内宮・外宮」を芯にしたラインを、東に伸ばせば伊豆諸島の「鵜渡根島」に至り、西に伸ばすと「対馬」に至る。

また、加賀の「白山」にも繋がって行くが、それは次回に。 

「上森三郎」さんと共に「聖地」探索をしていると、目的の場所とは別に、特徴ある地形によく巡り合う。(丹後半島の「依遲ヶ尾山」、曽爾の「鎧岳」、五条の「竜王山」など)

それは、目的の山から「舌状に伸びた尾根」で、その一部分が比較的平で、僕体は「遥拝場」と呼んでいる。

「地理院地図」のコンタラインから、事前に その遥拝場の存在を知ることが出来る。

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1208mの山周辺が「日月の山」。
その西側に「舌状の尾根」が伸びる。

林道のすぐ西側部分は比較的平らなように見え、赤丸ポイントを打ったあたりが一段高くなり「遥拝場」にはもってこいの場所。
 
「日のピーク」と「遥拝場」の赤丸ポイントを結ぶラインを、南西方向に伸ばして行くと、神河町の上森さんが「卑弥呼の陵墓」という「庵月山」に至る。
地図上の赤ラインがそれ。

飛騨の「日月の山」-2 富士神社』で書いたように、湯屋温泉の「富士神社」も、「庵月山」方向を向いている。
09-16-
779mの山が上森さんが「卑弥呼の陵墓」という「庵月山」。

飛騨から日本のラインがこの山に伸びている。
上のラインが湯屋温泉の「富士神社」から。
下のラインが「日のピーク」と「遥拝のピーク」を結んだラインの延長。
このあたりに来ると、ほとんど重なって二重には見えないが。

地図上にラインを引いていると、同じような方向性によく出会う。


9月4日、「日月の山」から降りて来て、すぐさま「遥拝場」に向かう。

09-16-2
ブルーのジグザグのラインが当日の「Geographica」で記録したトラック・ライン。

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林道わきから「遥拝場」方向を見ると、細い樹木が茂ったジャングルだけど、これぐらいなら問題はない。

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藪に突入すると、このような石がいくつも出てくる。
苔生してはいるが、明らかに「噴出した溶岩」。

先ほど登った「日月の山」では全く目にしなかった。

すぐ傍であるにもかかわらずこのような石が点在するのは不思議に思う。

「御嶽山」の噴火で飛んできた「火山弾」であるなら、「日月の山」でも見つかるはずではなかろうか。

これはあるいは運んだものかと、妄想を膨らます。

赤丸ポイントの「遥拝場」には、すぐにたどり着く。

P1200854
ただただ樹木の生い茂ったジャングルで、見通しはまるできかない。

僕が探し求めている「原初のニワ」空間とも思えるが、明瞭ではない。

いささか物足りないので、「舌状の尾根」を少し下ってみた。

P1200855
すぐに、鋭利に切れたような岩が現れる。

P1200856
層状の「安山岩」ではなかろうか。

先ほど見た「溶岩」とは形状はまるで違う。

コンタラインで3本分、約30mばかり下った所にも岩。

P1200858
露岩と共に、檜の切り株があちこちに散在している。
やはり、原生の檜は皆伐されてしまったのだ。

P1200859
赤丸ポイントの「遥拝場」付近に戻ると、上森さん達が、石の周辺を彫って調べていた。
殆ど腐葉土ばかり。

面白い膨らみが見えたので、近づいて調べてみた。

P1200861
倒木が「溶岩」を引き出していた。

先ほどの層状の「安山岩」とは形状がまるで違う「溶岩」。

これらの石は、果たして人為的に運ばれたものか、噴火によって飛んでみたものか、これぐらいでは、安易に判断できない。

人為的に運んで「遥拝場」を造ったと、希望的には言いたいところ。

だが僕は、「人工論」にはかなり慎重、軽々とはいえない。

しかしジャングルに成ってしまってはいるが、その場に立って感じるのは「遥拝場」。

「日のピーク」と「遥拝場のピーク」のラインを延ばすと「卑弥呼の陵墓」、「庵月山」に至ることは確か。
「卑弥呼=日巫女」が図式的にも成り立っている。

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