火(ホ)と「ニワ」と鍋釜

庭を造るという現場から体験したこと、そして「人はなぜ庭を造るのか?」考え続けてきたことなどを、ぼちぼち綴るブログ。 等ブログの履歴などの情報は、最下部にあります。

火はホと読む。「ニワ」は庭と漢字で書かずカタカナで書く。鍋釜は漢字。
火は唯一人だけが制御できるエネルギー。「ニワ」は人としての基盤。鍋釜は人の食の道具。
一見、脈絡のない言葉がつながる。

数か月前、磐座の案内をしてくれないかと、「サラ・シャンティ」のオーナー「清水正博」さんから依頼があった。

対象はお医者さんらしい。

とにかく、イワクラ・磐座を広く知ってほしいので、快くOKした。

今までに「イワクラ学会」のイワクラ・ツアーの案内はしたことがあるが、それ以外では初めて。

この企画のの主催は「気の医学研究会」とのこと。

「気の医学研究会」で検索しても何も出てこなかったが、「気の医学会」で検索すると、今回参加されていた沖縄在住の精神科医の「越智啓子」さんのホームページが出て来た。

越智さんには一度会ったことがあるが、身体は小さいがいたってパワフルな方だった。

越智さんは僕を「タケちゃん」と呼ぶ。
こう呼ばれると、何と無く幼少に帰るような気がして嬉しい。

ただ僕は「タケちゃん」と呼ばれたことは今までにない。「おタケさん」と呼ばれたことはあるが。

今回の企画をされたのは「よこたクリニック」の「横田直美」さん。

7月16日、新神戸駅近くの「ANAクラウンプラザホテル神戸」でまず、カタカムナ研究家の「吉野信子」さんの講演会が行われた。

僕も参加して、イワクラ・磐座について話したかったが、当日は「Gardening研究会」の定例会で、「荻野寿也」さんの出版記念のパーティーで、参加できなかった。

7月17日、わが愛車、フィアット・パンダ4WDで「ANAクラウンプラザホテル神戸」に向かう。

7時30分ごろ到着。

すでに、清水さんと「神の数学」の「佐藤敏夫」さんも一緒だった。

前日に、「サラ・シャンティ」で佐藤さんのセミナーが行われたので、ご一緒だったようだ。

佐藤さんは、吉野さんのカタカムナ研究に多大な影響を与えた方で、僕もセミナーに参加したいのだが、開催日が毎月第三日曜日で、「Gardening研究会」の定例会と重なってしまい、参加できないのが非常に残念。

8時、リースしたマイクロバスでホテル出発。

総勢25名とか。

全国から集まってきているらしいし、診療科もいろいろらしい。年齢層も様々。

マイクロバスにはマイクが無く、地声で喋る。

先ず、自己紹介とイワクラ・磐座について。

時間的に余裕があったので、計画外だった「芦屋神社」にまず向かう。

主祭神は「天穂日命(アメノホヒノミコト)」。

六甲山山頂部に「天穂日命の磐座」が在る。

「芦屋神社」での見どころは、まるで古墳のような「水神社」。

石組による古墳の石室のような形態をしているが、入り口部の石の天井部の下面が真っ赤に焼けた痕跡が残っている。
奥にも煤のような痕跡が有り、ここで火が焚かれていたことは明らか。

「水神社」はもともと「弁天岩」に祀られていたらしい。

「弁天岩」に付いても書かねばならないが、まだ書けていない。

リンク記事から、「水神社」に「瀬織津姫」の縁を感じる。

境内の神木である「ヤマモモ」の巨木に興味を示す人が多かった。

続いて「越木岩神社」に。

ウイキペディアには、

本殿の祭神は明暦2年(1656年)円満寺の僧 教順が西宮神社から勧請した、蛭児大神(ひるこおおかみ、戎神)である。この周辺地域に村が形成されていく過程で、地域の繁栄のために西宮神社から蛭子大神が勧請されたと思われる。 しかし、元々は当地にある「甑岩」[2]等の磐座を祀ったもので、自然崇拝が中心であった、所謂古代信仰の時代、当地から北山・目神山や六甲山を一大霊場とした磐座・磐境祭祀のランドマーク・霊岩として「甑岩」が祀られたと考えられている。

と書かれているが、僕はむしろここが本体であると考えている。

「越木岩神社」と背後の磐座郡は、初めて磐座を見る方たちを案内するのには打って付けの場所だ。

磐座郡を参拝する方々も多く、いつもきれいに掃除がされている。

僕にはまだ「気」がよく分からないが、「越木岩神社」の背後には、「気の噴き出る場所」があるらしい。

この神社の杜の特徴は「姫ユズリハ」が多い事だが、その「気の噴き出る場所」の「姫ユズリハ」が皆異形なのだ。

凄まじいく幹が凸凹したものもある。(「越木岩神社の磐座・北山の太陽石・道路上の夫婦岩の再検証」、「再び越木岩神社へ」参照)

「気の医学研究会」の方々を案内しているので、この場所については入念に説明をした。

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何度見てもこの「姫ユズリハ」の迫力はすさまじい。

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説明をしていると、それまで非常に蒸し暑かったのだが、突然涼やかな風が吹き出し、誰もがその気持ちよさを体感した。

越智さんは、ここは「白竜の通り道」と言った。

僕は「心地よい風を呼ぶ男!」と公言してしまおうか?

最上部の「北座」へ。

そしてここでも気になる石、僕が「陰陽合体石」と名付けた岩などを紹介。(「再び越木岩神社へ」、「またしても越木岩神社へ」参照)

続いて、未知の真ん中の巨石、祟り岩として名高い「夫婦岩」へ。(「磐座と祈り」参照)

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二つに割れた「夫婦岩」。

越智さんは右が男岩、左が女岩と言っていた。

「天ノ事音」さんもよく似たことを言っていた、(「越木岩神社の磐座・北山の太陽石・道路上の夫婦岩の再検証

「夫婦岩」の割れ目でにこやかな「越智啓子」さんと「吉野信子」さん。(越智さんがMessengerで送ってくれた写真)

予定より早く「甲山・神呪寺」に到着。

神呪寺」は「眞名井御前」と「空海」の逸話が付いて回るが、僕はこのところ、「甲山」が気になって仕方がない。

そして「神呪寺」の参道(階段)のラインは、ピッタリと和歌山県かつらぎ町の「丹生都比売神社」を指示している。
(「西宮の甲山と神呪寺のレイライン-1 眞名井神社と丹生都比売神社」、「西宮の甲山と神呪寺のレイライン-2 丹生都比売神社と兵庫県香住の庵月山」参照)

「甲山」の山麓に鎮座する「広田神社」は、「瀬織津姫」が晩年過ごした場所ともされている。

「瀬織津姫」の讃名「撞賢木厳之御魂天疎向津媛命(ツキサカキイツノミタマアマサカルムカツヒメ)」の中にある「厳之御魂」と、「眞名井御前」の名「厳子姫(イツコヒメ)」の「厳・いつ」がキーワードとして僕に取り付いている。

「神呪寺」での参拝を済まして、ほぼ同じ高さの道を東側に回り込んだところに、巨石・磐座が在る。

よく目立つにもかかわらず、あまり知られていない。

実はこの場所で、越智さんが素晴らしい発見をした。

極めて重大な意味を秘めていると思うが、まだここでは公表できない。

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ポーズをとる「越智啓子」さん。

そしてこの場で、記念撮影。(越智さんがMessengerで送ってくれた写真)


予定より少し早めに、神呪寺の展望所で昼食。

これがとても豪華な弁当。

見とれてしまって、写真を撮るのを忘れてしまった。

極めて多種類で、まるで正月のおせちのよう。

しばしくつろいでいると、目ざとく眼下に見える岩を見つけた方がいた。

その場所は「神呪寺・八十八ケ所」の最高点に在る磐座。

駐車場から山門を通って、「八十八ケ所」へ。

この時通る「山門」が極めて重要だと僕は思っている。

山門のと本堂の間に、今は道路が通っている。

この道路によって、重要ラインが分断されてしまっている。

やってはならないことを、便利さの追求だけでやってしまっている。

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神呪寺・山門。

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山門から望む甲山。

このラインが「丹生都比売神社」へと繋がる。

7月13日に、「八十八ケ所」の予備調査をしておいた。

先ずその時初めて出会った磐座に案内する。

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まるで「鏡岩」のような磐座。

この磐座は真北を向いていて、その先には「甲山」。

岩の上部には「矢穴」。

これも不可解な「矢穴」で、本当に岩を割って石材として切り出すのなら、真ん中・立てに「矢穴」をあけて「楔」を差し込み叩き込む方が確実に割れるはず。

「矢穴」をあける作業が大変なのに、わざわざこのようにしているのは、他に目的があったのだろうか。

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赤い矢印の中心が、写真の鏡岩のような巨石・磐座。(スマホ地図アプリ、Geographicaによる記録)

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岩屋になった処では、一人ひとり中に入って体感してもらう。

この岩屋から振り返ると、真正面に「甲山」が見えるのだが、今の時期、樹の葉が茂り見えづらい。

「八十八ケ所」最上部は、巨石が沢山ある場所でもあり、見通しもきく。

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「甲山」を背にくつろぐ、清水さん。
このツアーの立案者でもある。

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巨石の側の若松の幅綺麗と、記念撮影する、越智さんと吉野さん。

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ベンチのような岩に腰かけ、このイベントを企画した横田さん一家の記念撮影を、横から。

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頂上部で一番大きな岩の西面が割れている。当初自然かと思っていたが、よく見ると、天端に「矢跡」が見える。

しかし割り方は下手で、岩の一部がはげ落ちた程度。
断片は転がっていないので、更に割って何かに使われたのかもしれない。

それにしても何故に、このような一番目立つ大事な岩を割ったのだろうか。
それも中途半端に。

「甲山」を後にして、このツアーのメインともいう場城「六甲比命大善神」に向かう。

「六甲比命神社」の拝殿前のデッキで「カタカムナウタヒ」の五首・六首の斉唱など。

ヒフミヨイマワリテメクルムナヤコトアウノスヘシレカタチサキ

ソラニモロケセユエヌオヲハエツヰネホン カタカムナ

日本語の基本音48音と1~10までの数詞を読み込んでいる。

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「六甲比命大善神の磐座」。
何度見ても巨大で圧倒される。

上部の巨石がせり出しているので、名を迫力を感じる。

この形から「兎の磐座」ともされているようだ。

「ホツマツタエ」研究家の「大江幸久」さんは、「瀬織津姫の磐座」と断言している。

西面しているので、木漏れ日の光が点々と当たっている。

こんなところにまで植林してあるので、今はほとんど影。

かつては、西日に照らされて、黄金色ないし茜色に照り輝いていたはず。

時間的にも余裕があるので、「六甲山カンツリーハウス」の中にある「天穂日命の磐座」にも行くことにする。

ただし、遊園地なので入場料がいる。

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「天穂日命の磐座」。
「芦屋神社」の本体でもある。

この磐座の少し下にも巨石が在るが、今回は観察できなかった。

「天穂日命の磐座」の磐座は遊園地の最上部にあり、磐座の前は平らな広場状に成っている。

これもまた僕の探し求めている「原初のニワ」。

さらにその先には、「ストーンサークル」が在る。

すると越智さんが、「ストーンサークル」の中で踊りだした。

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皆さんノリがよくて、併せて手を振り踊りだす。

僕は愉快でならなかった。

それで、「この場でこれだけの人達が、愉快に踊ったのは千年ぶりだろうかなー?」と言うと「三千年ぶり」という声も上がる。

僕は愉快だったので「ワッハッハー!」と大声で笑うしぐさをしてみた。

すると越智さんは。「ワッハッハー!ワッハッハー!ワッハッハー!」と音頭をとりだした。

それに合わせて、皆で唱和する。

だんだんと皆、心の底から笑いだす。

これぞ今日のこのイベントのクライマックス。

「磐座さん」もきっと大喜びだろう。

超古代、このような光景があちこちで繰り広げられていたのではないかと、強く感じた。

後は、ホテルに戻るだけ。

全て順調に進んできたが、六甲山から降る途中で、トラブルが起きた。

マイクロバスで降って行くと、異臭がしてくる。

ブレーキ・フェイドの焼けではないかと思ったので、運転してくれていた方に伝えた。

「ブレーキも効いているので、大丈夫!」という返事が返ってきた。

坂道を下りきって信号待ちをしていた時、対向車線のドライバーが、前輪を指さす。そして煙も見えてくる。

車を停めねばヤバイと感じると共に、消火器を探した。

少し広い場所に停め、全員降りる。

僕は消火器をもって、右側の前輪を見ると、かなり煙が出ている。

炎までは見えないものの、消火器の安全ピンを抜き、レバー握る。

勢いよく薄ピンク色の粉体が飛び出す。

このタイプを扱うのは初めてで、途中で止めることが出来ない。

まだ煙が収まらないので、ペットボトルの水やお茶をかけると、ジュンというぐらい熱を持っていた。

左前輪も同じ。

あと少しだが、このままホテルまで乗って行くわけにはゆかない。

帰りを急ぐ人たちもいるので、タクシーを拾い、ホテルに向かう。

とんだハプニングで、全員で最後の挨拶が出来ない状態になってしまった。

ホテルに戻った時越智さんから、越智啓子著「人間関係のしくみ」(青春出版社刊)をいただいた。

今年6月に出版されたばかりの本。

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越智さんのサイン。

越智さんと吉野さんは共に京都方面に向かうという事だったので、わが愛車フィアット・パンダ4WDで、JR芦屋駅まで送ることにした。

僅かな時間だったが、至福の時を過ごすことが出来た。


今回、医師という社会的影響力を持った方々に、磐座を紹介出来て嬉しく思う。

磐座という存在に目を向けていただけたら、この上ない喜びだ。

僕自身も、今回新たの発見をいくつか得ることが出来た。

菊池展明著「エミシの国の女神」(風琳堂刊)という本を読んだ。

副題は「早池峰-遠野郷の母神-瀬織津姫の物語」。
(「Behind the Days」というブログで紹介されているので、興味ある方は、まず読まれることをお勧めする。)

Facebook友達が、この本を紹介していて、すぐさま古本を買った。

隠されてしまった女神のベールを、丹念にめくりながら真実の奥底にせまろうとする、労作であった。

瀬織津姫」は「ホツマツタエ」での「アマテルカミ」の后。

しかし、「古事記」にも「日本書紀」にも登場しない。

唯一「大祓祝詞」に登場するのみのようだが、このところ大人気の女神でもある。

「六甲山」や「甲山」とも縁が深い。

「遠野」や「早池峰山」については、その地名を知っているぐらいだったが、この地に「瀬織津姫」が祀られているとは全く知らなかった。

「瀬織津姫」はさまざまにその神名を変えながらも、様々の場所で、言い換えれば普遍的に祀られていた女神のように思えた。

「ホツマツタエ」によると、「アマテルカミ」と過ごしたのは、磯部の「伊雑宮」。

そこでふと思いついたのは、「内宮の磐座」。
(「内宮の磐座」については当ブログでもいろいろ書いてきたが、まだ詳しくは取り上げていない。極めて重要ポイントに在るにもかかわらず、この磐座も隠された磐座。遷宮に先立つ最初の祭「山口祭」がこの磐座の側で執り行われる以外、文献にもほとんど登場しない。いずれ書かねばならないと思っているが、事が重大で、まだまだ検証しなければならないことが一杯残っている。)

「内宮の磐座」は見る角度によってその姿を著しく変える。
僕は「両性具有」ではないかと思っている。

それは「アマテルカミ」と「瀬織津姫」。

そして石質は石灰岩の変性した「大理石」で、本来は「真っ白」であったはず。

現在は生い茂った樹木によってかなり汚れ、その白さは、よく観察しないと分からない。

この「白」が、「瀬織津姫」を取り巻いているようにも思う。

まだ纏まらないので、ここでは端折って置く。

僕はこのところ、重要ポイントを「地理院地図」で繋ぎ、その関係性を炙り出そうという方法を取っている。

今まで見えなかった関係性が、何故か色々見えてくる。

場所というのは、それぞれに重要なのだ。
そして、ネットワークを形成している。

先ず、「内宮の磐座」と「早池峰山」とを繋いでみた。

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すると、三重から岩手に至る本州のほぼ真ん中を通る。
途中にも興味ある山や神社も多数現れている。

このような一連の作業をしながら、今まで何度も見ていた「朝熊山」にハート形のコンターライン」が在るのを見つけた。

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「朝熊山」は「内宮の磐座」のほぼ真東にあり、巨大な磐座郡も在る。

「朝熊山」には隣接して二つのピークがある。

555mの主峰「朝熊ヶ岳」。

その西側に「478mのサブピーク」が在る。

そのサブピークの山頂付近はなだらかで、ピークと言えるように尖ってはいないが、このコンターラインが「ハート形」。

ちなみにこのピークの真北に、「白山御前峰」があり、「白山奥宮」が鎮座している。

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僕は、この位置関係が極めて重要な意味を秘めていると思っている。

今回問題にするのは、「朝熊山の478mのサブピークのハート形コンターライン」の示すターゲット。

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ブルーポイントが、三角点の在る位置。

赤のラインがターゲットへ向けてのライン。

ブルーのラインが真北の「白山御前峰」を指す。

下の細い黒のラインの西側に「内宮の磐座」が在る。

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「ハート形のコンターライン」が示すターゲットは、伊豆諸島の島。

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その島の名は「神津島」。
つまり、神の島。
その一番幅の広い所を通る。

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「天上山」は不思議な形の山で、周辺は急峻だが山頂部は広く高原状。

最高峰は571.8mでラインはそのすぐ隣のサブピークを通る。
それで550mのコンターラインのここをポイントとした。

「神津島」はまた「ジュリアおたあ」の伝承の地。

「上森三郎」さんはこの「ジュリアおたあ」を求めて「神津島」に行ったと聞いている。

上森さんは、2015年8月10日「自分は貧しくとも人に施しをせよ」という記事の中で、「ジュリアおたあ」について書いている。

「朝熊山のハート形」と「神津島」繋いだラインは、面白い所を通る。

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鳥羽市の「弁天崎」を通る。

地名は「石鏡(イジカ)」、何とも不思議な地名。

地名の由来を調べてみた。

石鏡の沖合約1キロのところにある石鏡島。
昔、島の中央に空洞がありその空洞がまるで鏡ののようだったことから「石鏡」という地名が名付けられたとされています。
伊勢湾台風や船の座礁などで、今はその形は残していません。

とあった。(http://www.jalan.net/yad340987/blog/entry0001864286.htmlより)

手前に鳥居マークがあり、調べると「石鏡神社」。

この神社には「子宝の石」というのがあるらしい。

弁天=瀬織津姫、それに「子宝の石」。

何と無く「瀬織津姫」との縁を感じる場所。

ここから先、「神津島」までは海ばかり。

「神津島の天上山」から岩手の「早池峰山」に繋いでみる。

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伊豆諸島の「利島」や「大島」を通り、「早池峰山」に至る。

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かなりの岩山らしい。
山頂に鳥居マーク。

1917mのピークは、本州で一番早く日の出の見れる場所とか。

この山の南側山麓が「遠野物語」で有名な遠野。

エミシの国の女神」によると、この辺りの神社は本来「瀬織津姫」を祀っていた神社が多いらしいが、中央の圧力で、祭神名が替えられている場合が少なくないらしい。

おしら様」などもそうらしいが、僕にはよく分からない。

でも、ここでも「白」。

このラインは結構面白い場所を通る。

北からたどって見る。

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遠野市の「稲荷穴」。

鍾乳洞で、ここから出る水は、名水として評判が高いようだ。

07-05-12
宮城県栗原市の「伊豆沼」。

渡り鳥の豊富な沼で、国の天然記念物に指定されている。

そして何故か「伊豆」。

僕はこのところこの地名が気になって仕方がない。

本来は「いつ」ではないかと思っている。

「いつ」、「瀬織津姫」の長い名前「撞賢木厳之御魂天疎向津媛命(ツキサカキイツノミタマアマサカルムカツヒメ)」にも、「厳之御魂」という文字が現れる。

「いつ」の言葉の意味を調べてみた。

いつ 【厳▽・〈稜威〉】
①神聖であること。斎(い)み清められていること。
②勢いの激しいこと。威力が強いこと。

納得(http://www.weblio.jp/content/厳

07-05-13
福島県の「霊山(リョウゼン)」。

ここも岩山。

07-05-14
栃木県茂木町の「174.6m小さなハートのコンターラインの山」の中央部を通る。

方向性も一致している。

最後に興味深い場所を通る。

07-05-15
東京都中央区の「築地・中央卸売市場」のど真ん中を通る。

築地」とはその文字が示す通りの埋め立て地。
リンクをたどってもらうと、「築地」の歴史が分かる。

築地市場」は正に東京の台所。

ところが「豊洲」への移転問題でもめにもめている。

今回の都議会議員選挙でも、大きな争点となっていたようだ。

この「築地市場」の中に鳥居マークが見えるので、調べてみた。

築地・波除神社」。

「倉稲魂」を祀る「稲荷社」。

摂社として「弁財天社」もある。

神社の由来がおもしろいので、コピーしておく。

今から350年程前、この築地一帯は一面の海でした。江戸開府(1603)時の慶長江戸絵図には、今の日比谷のお堀の辺りまで汐入を描き、八重洲の海岸に船の役所が見えます。開府前より始まった江戸城西丸の増築に掘られた、お堀の揚げ土を以って日比谷入江から埋め始められた、江戸東南海面埋立は、その後全国の諸侯七十家に千石に一人の人夫を出させ、後にはその埋立の役員の名をとり、尾張町、加賀町等と名附けられました。
そして70年の後、明暦の大火の後に4代将軍家綱公が手がけた最後の埋立の工事困難を極めたのが、この築地海面でした。堤防を築いても築いても激波にさらわれてしまうのです。

或夜の事、海面を光りを放って漂うものがあり、人々は不思議に思って船を出してみると、それは立派な稲荷大神の御神体でした。皆は畏れて、早速現在の地に社殿を作りお祀りして、皆で盛大なお祭をしました。ところがそれからというものは、波風がピタリとおさまり、工事はやすやすと進み埋立も終了致しました。萬治2年(1659)の事です。

人々は、その御神徳のあらたかさに驚き、稲荷大神に 『波除』 の尊称を奉り、又雲を従える<龍>、風を従える<虎>、一声で万物を威伏させる<獅子>の巨大な頭が数体奉納され、これを担いで回ったのが祭礼 『つきじ獅子祭』 の始まりです。

それ以来今に至るまで、「災難を除き、波を乗り切る」 波除稲荷様として、災難除・厄除・商売繁盛・工事安全等の御神徳に崇敬が厚いのであります。その御神徳はその後も益々大きく、当時辺境の地であった築地も次第々々に開け、現在の如く繁華街となったのであります。

とある。

「神津島」と「早池峰山」とを繋ぐレイライン上に、「築地市場」が在るのは偶然とは思えない。

あるべき場所に、それはあるのだ。

この「築地市場」を取り壊してしまえば、おそらく東京の食は崩壊してしまいかねない。

経済性や利便性を優先してしまえば、その結果は目に見えている。

それは「磐座破壊」と同じような取り返しのつかないことに成りかねない。

「瀬織津姫」から思わぬところに至ったが、一連のレイライン探索での大発見だった。

土地の持つ意味を再確認しなければならない。

このブログを書き終えてアップしたが、大事な書き忘れが在るのを思い出したので、末尾に書き足すことにする。

それは、岩手県遠野市上郷町来内に鎮座する「伊豆神社」。
元は「伊豆権現」と呼ばれていたらしい。

「遠野三山伝説」と深くかかわる神社らしい。
(詳しくは「伊豆神社(岩手県遠野市上郷町来内6-32-2)【上】」に解説されているので、興味を持たれる方は、リンクから)

「伊豆神社」はその「遠野三山」、「早池峰山・石上山・六角牛山」を見通せる場所でもあるらしい。

祭神は「瀬織津姫」。

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下の赤ポイントが「伊豆神社」。
上の赤ポイントが「早池峰山」。
右側のブルーポイントが「六角牛山」。
左のブルーポイントが「石上山」。

紫のラインは、「神津島」と「早池峰山」を結んだレイライン。

ライン上にある赤ポイントは「稲荷穴」。

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「伊豆神社」周辺の地名も興味深い。

「伊豆神社」とレイラインは15kmばかりも離れているので、レイラインとの関連は、薄れると思うが、全体を考える上では抜きには出来ない。

「伊豆神社」について検索していて、素晴らしいブログを見つけた。
それは「不思議空間「遠野」 -「遠野物語」をwebせよ!-

そのブログの「伊豆神社の語源」に「いつ」について触れられている。

僕の考え方と共通する部分が有るので、全文コピーさせていただく。

遠野の創世神話の拠点である伊豆神社がある。この伊豆神社の伊豆の語源は、遠野の先人で有名な学者である伊能嘉距のアイヌ語の転訛説を一般的としている。 

アイヌ語の「山の鼻」という意味の「Etu(エツ)」より、山の鼻に鎮座する神「エツ、カムイ」と呼ばれたものに、後から「伊豆」という漢字があてられて「伊豆の神」と呼ばれて、後に伊豆から飛んできたという神話が発生したものだというもの。これには伏線があり、伊豆神社の鎮座する地名を「来内」と云い、やはりアイヌ語の「ライ・ナイ(死の谷)」という意味がある為むなのか、この来内一帯をアイヌ語の普及している地と考えたのかもしれない。しかし、祀られている女神・瀬織津姫との関連が示されていないのが現状だ。

大抵の場合、地名とは地形に由来するのが殆どだが、他にも宗教的意義から名付けられる場合もある。ましてやこの伊豆神社は、遠野の創世神話の大元でもあるから尚更である。

ところで伊豆といえばやはり、静岡にある伊豆を思い出してしまう。伊豆山神社にはイザナギと共にイザナミが祀られている。イザナミは地母神的存在であるのはいうまでもない。「斎つき」という言葉がある。この「斎つき」とは、神を祀る事だ。「斎つき」は「斎つ」とも同じ。そして「斎つ」は「厳つ」にも通じる。対馬にある居津山は、神を斎き鎮める山であるそうな。つまり、神域でもある。

また「厳島」は「斎嶋(いちきしま)」とも呼ばれた。そこで見えてくるのが宗像三女神の市杵嶋姫(いちきしまひめ)だ。実は、瀬織津姫の原型は、この宗像三女神からきているとも言われる。奇しくも「伊豆山」は「いつやま」とも呼ばれる。「いつ」がいつしか「いず」と濁って呼ばれたのだろう。となれば、遠野の伊豆神社は、「斎つ神社」であり、神を祀る場としての役目からそう呼ばれたのだと思う。そして祀神も当然、宗像三女神に通じる瀬織津姫が祀られているのだろう。 

(この記事は2010年に書かれている。僕が磐座に目覚めだした頃。)

この記事には伊豆半島の「伊豆山神社」や対馬の「伊豆山」にも触れられている。

(この辺りのことは、僕も当ブログで触れている。「http://blog.livedoor.jp/omtakebe/search?q=鵜渡根島」参照)

まだまだ膨らむが、煩雑になりそうなので、これぐらいで・・・

上森三郎」さんの7月4日のブログ記事「磐座や神社や寺院は、大切な場所を教えていました」に触発されて、「地理院地図」上で検証してみた。

上森さんは、兵庫県神崎郡神河町の「太田ダム」の近くに在る、前方後円墳のように見える山を「イエスキリストの陵墓」と言っている。

当ブログでも、何度も取り上げている。

その山のすぐ東側に、綺麗な「ハート形のコンターライン」が「地理院地図」上に浮かび上がっている。

これを「イエスキリストのハート山」と呼んだりしている。

上森さんは、このイエスキリストの陵墓」のさらに東側にある「779mの山」を「卑弥呼の陵墓」としている。

この山の頂上部は、何処から見てもドーム型に見え、近くには磐座もある。

この「イエスキリストの陵墓」と「卑弥呼の陵墓」を繋いだラインから、「直角三角形」になる明瞭なポイントを、上森さんが探し当てた。

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上森さんが「地理院地図」上に書いた直角三角形を、僕も書いてみた。

07-04-2
上部の左側が「イエスキリストの陵墓」。
この角が90°。

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「779mの山」が上森さんが「婀月山」と名付けた「卑弥呼の陵墓」

結んだ赤ラインが「ハート形」の真ん中を通る。

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「直角三角形」のもう一方のポイントは、「七種三山」の中央部にある「554mの山」。

「七種三山」とは、主峰の「七種山」、東側にあるのが「七種槍」、南側の山が「薬師峰」で上森さんはこの山を「千鶴山」と名付けている。

「七種山」と「千鶴山」には、2016年6月4日に上森さん達と登っている。
いずれも三角形に尖った山で、厳しい上り下りを強いられる山だった。

今回上森さんが見つけた「554mの山」は、主峰の「七種山」から南東方向に伸びる尾根上にある。

谷に取り囲まれ、さらに「七種三山」に取り囲まれている。

この山容は、淡路島で見つけた「勾玉山」によく似ている。

上森さんが予測している通り、この「554mの山」もきっと意味ある山だろう。

この検証をしながら俄然気になったのは、「イエスキリストのハート山」。

「ハート形のコンターライン」には方向性があり、必ずその示す方向に重要ポイントがある。

ところが、肝心のこの「ハート形のコンターライン」について、その示すところのターゲットをまだ調べていなかった。

07-04-6
丹後半島の東海上に向かう事は、予想が付いた。

さすれば「大本」の聖地とする若狭湾の「冠島・沓島」か?

先ず「冠島」の「168.8mの山」と繋いでみる。
少しずれている。

続いて「沓島」の「74mの山」。
これもまだ不十分。

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それでさらに北側にある岩島の「80mの釣鐘岩」と繋いでみる。

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「イエスキリストのハート山」を調べると、ラインはピッタリ。

殆ど何も知らないので、まず「ウイキペディア」で「沓島」について調べてみた。

地勢
面積約9,700m2。
棒島(南)と釣鐘島(北)の二島からなる安山岩の島。
中新世の安山岩類から成っており、まさに自然の宝庫である。北端には釣鐘岩と呼ばれる標高89mの岩礁がある。島は四方が断崖絶壁で切り立った急崖である。
海底地形は、冠島と沓島両島の東側は比高60m以上の急崖を形成しており、南北走向の断層が推定される。それ以外の島周辺の海底は水深100m程度の平坦な大陸棚地形を形成している。
大宝元年(701年)、大地震によって大きな島が水没し、その頂部のみが残って冠島と沓島になったという記述が『丹後国風土記残欠』にある。しかし、この地震は記事の内容から推定されるほど大規模なものではなかったとされている。

とある。

さらに読み進むと、面白いことが書かれている。

大本教関連の伝説
明治34年5月、大本教の開祖・出口なおが当地に渡島し、大本教で聖地としている場所から持ち込んだ神水(金明水)と、元伊勢の水を釣鐘岩の絶頂から眼下の海に散布したらしい。
明治38年5月に、当地にこもり(「沓島ごもり」と言われている)、世界の平和を祈願。大本教内部では、この祈願によって日露戦争日本海海戦に勝利できたと伝えている。

とある。

「開祖・出口なお」が80mの「釣鐘岩」に登っていたらしい。

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「Googleマップ」衛星写真で見た「沓島」。

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「釣鐘島」の北部をアップしてみる。
どれが「釣鐘岩」か分からないが、この岩島は、周囲が正に絶壁。

出口なお」はどこから登ったのだろうか。相当苦労したに違いない。

それだけ、この場が重要だったのであろう。

しかも、「イエスキリストのハート山」から「釣鐘岩」とを繋いだ紫のラインの角度は44°、つまり「北東」。
「丑寅・艮(ウシトラ)」の方角。

いわゆる「鬼門」として忌み嫌われる方角。

もう一つ、「イエスキリストの陵墓」と「ハート形のコンターライン」の真南には、これも「大本」の大聖地「上島」が在る。

「大本」が大聖地とする、共に断崖絶壁で守られた小島が、ここで繋がった。

その接点にあるのが「ハート」。

この意味するところは大きそうだが、僕にはまだ解けない。

しかし、「鬼門」として忌み嫌われる方角には、どうも別の意味があるようだ。

この方向を最も恐れ忌み嫌ったのは「天皇家」ではなかろうか。

支配の構図、あるいは何か隠したものが見えてくるかもしれない。

Gardening研究会7月定例会

荻野寿也氏 出版記念パーティー・講演会のご案内

開場  スイスホテル南海大阪・7階 「花桐」
    (南海電鉄難波駅上)

開催日 7月16日(日曜日)
開場  12時30分
開会       13時
閉会  17時30分

会費  10,000円(現地での受付時にいただきます)

参加ご希望の方は、7月12日(水曜日)までに下記にお願いします。

E-Mail omtakebe@sakai,zaq,ne,jp
Fax  072-290-2812
Facebookでも公表しますので、コメント欄に参加希望を記入していただいても結構です。

(荻野氏の著書の購入ご希望の方は、その旨お伝えください。ちなみに定価は2,300円+税です。サインもしていただけます。)

(パーティー終了後、二次会も予定しています。二次会参加ご希望の方は、その旨銘記してください。)

お願い
パーティー用の料理を人数分予約しますので、ドタキャンはご遠慮ください、


趣旨

今年2,017年4月末に、荻野寿也著 荻野寿也の「美しい住まいの緑」85のレシピが、X-Knowledgeから出版されました。

荻野氏は古くからのGardening研究会の会員で、今も参加されています。
Gardening研究会の会員が雑誌等に掲載されるという事はしばしばありましたが、単行本を発刊するのは初めてです。

一見、住宅造園のハウツー本のようにとらえられるかもしれませんが、それとは一線を画す画期的な本に成っています。
全編、荻野氏の作庭であり、荻野イズムに満ち溢れた構成に成っています。
写真も図面も多数掲載されていますが、けっして作品集でもありません。
荻野氏の庭への思いと思想、技術から植物選択にまで至ります。
(この本は現在、Amazonの住宅建築部門の本の売れ筋ランキングで5位です。)


この出版を期に、荻野氏の講演だけではなく、今後の庭の在り方、植栽の方法論にまで話を進めたいと思っていますので、ディスカッションに多くの時間を割きたいと、企画しています。

住宅ばかりでなく建築と、庭・あるいは植栽とは切っても切れない縁があります。
今まではどちらかというと、建築主導で都市や住宅地が構成されてきましたが、庭的あるいは造園的展望も含めた計画を立てて行かないと、世の中疲弊するばかりだと思います。
建築家・都市計画課と庭師・造園家とのコラボレーションも望まれるところです。

どちらかというと庭師・造園家は発言力が弱く、いつも後からの纏め役に成っていたきらいがあります。

荻野氏は建築家とのコラボレーションを主体として仕事をされていますので、設計段階から関わっておられます。庭からの発言も多くされています。
今後あるべき姿を、今実践されつつあります。

その成果がこの本です。

庭師・造園家ばかりでなく、建築家、植栽材料の生産・販売に係わる方、その他の資材流通にかかわる方も含めて、多くの方の参加を希望します。勿論、庭や植物に興味を待たれる方なら、どなたでも参加できます。


タイムテーブル

12時30分       会場
13時00分       開演
13時00分~10分    主宰者挨拶-Gardening研究会・武部正俊
13時10分~50分    荻野寿也・講演
13時50分~14時00分  小休止、セッティング
14時00分~15時30分  ディスカッション「これからの庭・植栽について」
           (パネルディスカッション的なフリートーク)
15時30分       料理・ドリンク搬入、パーティー開始
           (引き続き、フリートークは続けて行きます)
17時30分       終演

Gardening研究会は、発会してすでに25年に及びます。毎月第三日曜日に定例会を開いています。
ごく小さな会ではありますが、庭・造園の最先端を目指すと共に、視野を広くすることをもっとうとして、続けてきました。
それなりの成果はあったものと自負しています。

「ガチンコ・イワクラ・バトルロワイヤル」と名付けられたイベント(トークショウという方がよいのか?)が、7月9日(日曜日)、阪急・六甲駅前の「サラ・シャンティ」で開催されます。

イワクラバトルweb

企画したのは、宇宙哲学研究家を名乗る「ハリー山科」さんです。

外に、ホツマツタエ研究家の「大江幸久」さん、古代史・イワクラ研究家の「平津豊」さん、と僕・庭師で磐座大好きの「武部正俊」が出演します。

「サラ・シャンティ」オーナーの「清水正博」さんがレフリーです。

各自、持ち時間20分程度で話をし、それからバトルとなるようです。

どのような展開になるのか、予測も尽きません。

僕は、磐座に多くの人が興味を持ってもらえることが先ず第一だと考えていますので、このような催し物は、大賛成です。

最近興味を持つ人が増えてきたとはいえ、まだまだマイナーで、僕たちのような磐座大好き人間は、時には変人扱いです。

確かに変人なのかもしれませんが、磐座は、時空を超えてとても大事なものと、僕は思っています。

どんな動機でもいいから、磐座に興味を持ってもらいたい。
そして、磐座に接してほしいと願っています。

磐座のある場所は、パワースポットで、そのようなところに行くと願いことが叶ったり、良いことが起こったりと、ご利益があると期待する向きがあるかもしれませんが、むしろそのようなことを期待せず、ただただ、磐座近づいて接してほしいと思っています。

感じ方は、人によって様々です。

考え方も様々です。

しかし、磐座は超古代から存在し続けています。

ところが、その多くは忘れ去られ、藪の中に埋没してしまっています。

僕はまだ何が何だか分からな状態ですが、「石・岩・磐座」には超古代からの、あるいは地球や宇宙からのメッセージが込められているように思えてならないのです。

多くの人達が接することによって、そのメッセージが少しづつ紐解かれるのではないかとも思います。

僅かな持ち時間ですが、僕・武部は「内宮・外宮のレイラインからその位置の重要性」について話してみたいと思っています。

「地理院地図」を使って説明します。
そして重要ポイントには、何故か磐座が在るのです。

場所は、神戸市灘区八幡町3-6-19 クレアール六甲2階です。

開場は13時。

開演は13時30分です。

終了は未定です。

参加費は3000円です。

終了後、懇親会も予定されています。

参加希望の方は、事前予約しておくとよいかもしれません。

Tel・Fax 078-802-5120
E-Mail sala_santi@rondo.ocn.ne.jp

です。

追記
レフリー役の清水さんが、つい最近怪我をされたようです。
僕より重症と聞いています。

当日、レフリーとして参加できるかどうか今のところ未定ですが、早い回復を願っています。

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