火(ホ)と「ニワ」と鍋釜

庭を造るという現場から体験したこと、そして「人はなぜ庭を造るのか?」考え続けてきたことなどを、ぼちぼち綴るブログ。 等ブログの履歴などの情報は、最下部にあります。

火はホと読む。「ニワ」は庭と漢字で書かずカタカナで書く。鍋釜は漢字。
火は唯一人だけが制御できるエネルギー。「ニワ」は人としての基盤。鍋釜は人の食の道具。
一見、脈絡のない言葉がつながる。

「伊那佐山」の山頂には、磐座と言えるほどの石・岩は無かったが、立派な神社が有った。

今は樹木がかなり生い茂り、360°の見通しはきかないが、かつてはよく見えていたものと思われる。

「伊那佐山」は神武東征の偵察陣地であったという説もうなずける。(「宇陀の伊那佐山にはやはり巨石・磐座-3 山頂」参照) 

僕はむしろ、「ピラミッド」を思う。

「地理院地図」で「伊那佐山」山頂部とそこから東側に伸びる稜線部を切り取ってみる。

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山頂部のコンタラインは、少し歪んでいるが「ハート形」に見える。
東側に伸びる稜線部の東端部分に、露岩と岩壁マークがある。

山腹を登ってきて、稜線部に達した時、「天狗岩、展望台」と書かれた大きな矢印が、その露岩のようだ。

山頂から降って分岐点までは、比較的なだらかな稜線。
しかし、南北の斜面は、地図のコンタラインよりはるかに急傾斜に思える。

案内板の有った分岐点から、少し勾配がきつくなるが、細い稜線を降ると、興味深い石・岩が見えてくる。

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大きくはないが、綺麗な三角形。

P1210657
横から見ても、三角形。
しかも稜線上に在る。
何か大きな意味を秘めているようにも思うが、今はまだ分からない。

位置情報
N34°30’14.75”  E135°58’8.27”  高度610.1m(誤差あり)

その先にも、露岩が見える。

登る途中で出会った二組の夫婦が、昼食を取っていた。

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この場所が「天狗岩」のようだ。

この場所から、南西方向に眺望が開けている。

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南西方向に、極めて特徴的な「三角山」が見える。

「地理院地図」で山を探してみると、それらしいコンタラインの山がある。

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「烏ノ塒屋山」と書かれているが、何と呼んでいいのか分からないので、ネット検索。
登山記録があり「カラスノトヤヤマ」と読むらしい。

ここでカラスとは当然「八咫烏」。
「塒」は(シ)、(ジ)、(ネグラ)、(トヤ)などと読むようで、全体的な意味は「八咫烏のねぐら」のようだ。その山様から「宇陀富士」とも呼ばれているらしい。(登山記録「宇陀富士(鳥ノ塒屋山)」参照)

近くに「恋の谷」という地名もあり、何とも魅力的。
さらに西側には「竜門岳」という904.1mの山がある。

「天狗岩」の観察。

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上から見たところ。
岩の隙間に鉄筋が突き刺さっていた。

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一段下より全体を見る。
「天狗岩」という名前の由来がよく分からない。

位置情報
N34°30’14.78”  E135°58’8.60”  高度609.3m(誤差あり)

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横から。
さらに下に岩盤がある。

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後方から。

標高637.2mの伊那佐山いなさやまの山頂に鎮座する都賀那岐つがなぎ神社」と題された登山記録に面白い記事と写真があった。(平成21年5月26日の記録)

猿岩展望台
この記録では、「猿岩」とある。
鉄筋も突き刺さっている。

「天狗」に「猿」。
まるでなぞかけのようであるが、僕には「猿田彦」が浮かぶ。
名前に「猿」。
風貌は「天狗」。

突き刺さった鉄筋は、今も残っているが「猿岩」から「天狗岩」に名前が変わっているのもなんだか不思議。

ここで出会ったハイカーから、興味深い話を聞いた。
その方は地元出身の方で、子供の頃よく遊びに来たと言う。

「ここから下は崖で、ロープを伝って崖を降りると、洞窟のようなものと少し平らな部分が有りましたよ。」

洞窟と平らな場所と聞けば、僕の血が騒ぐ。

「木を伝って降りれますかね?」と尋ねると、「たぶん、崖の横から行けば大丈夫でしょう。」との事だった。

岩壁の東側の急な斜面を、木につかまりながら降りてみる。

岩壁はかなり大きい。

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岩壁に凹んだ部分が見える。
ハイカーが子供の頃に見たという洞窟はこれだったのだろうか。
洞窟というほどのものではないが。

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岩壁に凸部分が。(iPhone6で撮影)

「天狗岩」の名前の由来はこの凸部分だろうか。

先ほどの凹みとこの凸で、「陰陽」。

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凸部分を真正面から見ると、何と無く顔のよう。

位置情報
N34°30’14.06”  E135°58’9.37”  高度578.0m(誤差あり)

P1210678
この部分も、小さな岩屋風。

P1210679
上を見上げる。
岩壁が、樹木で覆われているのが残念。

ほぼ南向きの岸壁なので、樹木に覆われていなければ、山麓からもよく見えるはず。
時には光り輝いていたかもしれない。

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岩壁のほぼ最下部。

位置情報
N34°30’14.21”  E135°58’8.60”  高度592.5m(誤差あり)

位置情報は、iPhone6で撮影した写真の記録。
写真ファイルのプロパティーの詳細で確認できる。

iPhone6のGPSによる位置情報はかなりの精度だと思っている。
勿論、周辺の環境によって精度は変わる。
条件がよければ、半径5m程度の精度で記録されているので、実用的にも十分だと思う。

高度については誤差はあるが、記録から計算すると、この岸壁の高度差は17m程度。

例によって「地質図Navi」で「伊那佐山」山頂部と稜線部の地質を調べてみる。

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三種類の地質が絡まっている。

山頂から稜線部にかけては黄色部分で、

中期中新世-後期中新世(N2)の火山岩類(非アルカリ火砕流)
説明: 約1500万年前~700万年前に爆発的噴火により高速で流れ下った軽石や火山灰(火砕流)

比較的新しい地質で、石質は凝灰岩のよう。

ただ、稜線部の露岩部、つまり「三角石」や「天狗岩」はかなり丸みがあるが、岸壁部は鋭角であり、見た目はずいぶん違うようにも見える。

水色部は、

前-後期白亜紀(K1-2)の苦鉄質深成岩類
説明: 約1億2000万~9000万年前にマグマが地下の深いところで冷えて固まった斑れい岩質の深成岩
 
紫部は、

前-後期白亜紀(K1-2)の花崗閃緑岩
説明: 約1億2000万~9000万年前にマグマが地下の深いところで冷えて固まった花崗閃緑岩

と説明されている。

再び、木につかまりながら稜線部に戻る。 

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この様な急斜面にも、なぜか植林されている。

上手く育たないので、殆どはヒョロヒョロ。

国策による無益な植林によって、山が荒らされているとしか思えない。
さらに、巨石・磐座の在るところにも植林されていることが極めて多い。

僕には、「巨石・磐座隠し」あるいは「巨石・磐座殺し」と思えて仕方がない。

意図的に補助金を出してまで植林しているように思えるのは、僕の僻みであろうか?

稜線に戻る。

「地理院地図」には登山道は示されていないが、はっきりとした踏み跡が、東へと降っている。

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稜線部の下部。

やがて、地図に示されている、山腹を横断する道に出る。
高低差はあまりない。

この様な細い道も、かつては街道であったのかもしれない。

P1210683
途中でこのような「道標(ミチシルベ)」と思われる石も出てくる。

やがて、登ってきた時の鳥居の場所に合流する。

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この鳥居を潜って登るのが今の参道だが、僕には、尾根筋ルートが、古来よりの参道であったのではないかと思える。

それは、ある方向性を示しているから。

なぜか気になる宇陀の伊那佐山」参照。

宇陀の「伊那佐山」の山腹にも巨石・磐座といいべきものが在った。
 (「宇陀の伊那佐山にはやはり巨石・磐座-1 山腹」参照)

それらの殆どは、植林された杉・檜などで隠された状態になっているので、多くのハイカーは、おそらく気にも留めないだろうと思う。

各地の山に「石・岩・磐座」を探し求め、藪の中にも分け入っている僕には、如何に隠されようとも、その片鱗を見つけ出す能力が備わってきているようだ。

すでに後期高齢者といわれる年齢で、元々あまりよくない視力は益々衰えている。それでもその片鱗を見つけ出すことが出来る。

あるいは好奇心のなせる業かもしれないし、あるいは 僕には未知の何らかの力に導かれているのかもしれない、と最近思うようになってきた。

ヘアピンカーブの連続の「伊那佐山」山腹を登りきると、

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大きな矢印が目に付く。
「天狗岩」と書かれている。
「磐座」が在るのかも知れない。
しかもそこは、見晴らしの良い場所でもあるようだ。

矢印とは反対の、山頂方向にまず向かう。

頂上から延びる稜線はなだらかではあるが、その両サイドはかなりの急斜面。

案内板の有った稜線取り付きから少し上った左手(南側)に、石が在るのを見つける。

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写真では分かりづらいが、4個ばかりの小ぶりの石が形良く組まれている。
この石組の下部は、平らな空間で、広くはないが僕には「原初のニワ」である祭祀空間のように思える。
勿論僕が直感的にそう思うだけで、立証すべき根拠は何も無い。

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山頂に向かう登山道。
ここでは、「参道」という方がふさわしいかもしれない。

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山頂の神社「都賀那岐神社(ツガナキジンジャ)」が見えてくる。
(「都賀那岐神社」については「八咫烏神社 週刊ねぎ生活」に興味ある記事が掲載されている。)

階段手前の左手に、興味深い「立石」が在る。

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先の尖った「立石」で、そこに木が生え、石を割ってしまっている。
その剥離した石が、下に落ちている。

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階段脇の「手水鉢」もなかなか立派。
向こうに見えるのは「立石」。

「手水鉢」は勿論人工的に加工されたもの。
この場に運び込まれた石だと考えられる。

すると「立石」も人工的に運ばれ、据えられた可能性も大だと思われる。

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山頂の「都賀那岐神社」。
右側にかなり老朽化して危険状態になっている「参篭所」。
かつては、強く信仰されていたことがうかがえる。

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まだ真新しい「神武天皇」の歌碑。

この様な解説を見つけた(「標高637.2mの伊那佐山の山頂に都賀那岐神社」より)

伊那佐山は神武東征の偵察陣地があった所で、『日本書紀』神武天皇即位前紀戌午年11月7日条には次の久米歌で歌われたとされている。 
盾並めて 伊那佐の山の 木の間ゆも い行き守らひ 戦へば 我はや飢ぬ 嶋つ鳥 鵜飼が伴 今助けに来ね 
意味は、「盾を並べて伊那佐山の木の間より敵を見張りながら戦ったので我らは飢えている。嶋つ鳥(鵜にかかる枕詞)鵜飼が伴(奈良県五條市の東部、吉野川沿いで鵜飼をする民)今すぐ助けに来い」である。つまり、イワレヒコが東征の際この地に至って鵜飼いをしていた人に食べ物を持ってきて欲しいと要望する内容である。

「伊那佐山」は「神武天皇」の所縁の地でもあるらしい。

神武天皇」は、日本書紀には「神日本磐余彦天皇(カンヤマトイワレヒコノスメラミコト)」と書かれているらしい。

「磐余彦(イワレヒコ)」ここには「磐」という文字が使われている。

磐=岩。

「神武天皇」は、ここ「伊那佐山」で腹を空かせていたらしい。「鵜飼」の民に鮎鮨でも持ってきてくれと、歌ったのだろうか。

とても興味深い。
 
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「神明造」の本殿。

本殿の右側に、石の祠の屋根の部分が在った。

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元はこの石の祠が本殿だったのだろうか。

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本殿は東南東方向を向いているが、この石の祠は本殿に直交する形。

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傍らの木の根元には、小石が沢山。
全て角の丸い「川石」ないし「海石」。
明らかに運び込まれたもの。

同じような石をあちこちで見かける。
この様に小石を、川や海で拾い、山上に運ぶ風習が古来有ったのだろうか?

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「伊那佐山」は「神武天皇」の偵察陣地とされていたように、四方見渡せる山であったろうが、今は木が生い茂り、一部しか見えない。
見えているのは、西南西方向。

本殿の裏側はかなりの急斜面。
そこには幾つか石が見えるで、降りてみた。

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山頂直下の石の配列を見ていると、「伊那佐山」の山頂部は、人工的に積み上げられているようにも思えてきた。

僕は本来、「磐座自然説」の立場を取っている。
しかし、一部ないしすべてが「人工的」と思われる「磐座」にもいくつも出会っている。

ヨーロッパなどに見られる「巨石遺跡」は、明らかに人工であるが、日本の「磐座」に明らかに「人工」と思われる痕跡を見つけるのがはなはだ難しい。

それ故か、日本では「磐座」をアカデミックからは学問の対象外とされてしまっている。
これは、偏狭としか思えない。
まだまだ分からないことばかりだが、「磐座」には極めて重要な何事かが秘められているように、僕には思えてならない。

先日行った「三郎岳」の山頂部も「人工的」に積み上げられているように感じた。
(「宇陀市の三郎岳はピラミッドか?」参照)

この「伊那佐山」も「八咫烏神社」から見ると綺麗な三角形。

その形は「ピラミッド」を思わせる。

この辺りには、「綺麗な三角形に見える山」が多い。

あるいは「人工的に成形されたピラミッド」の可能性大かと、妄想が膨らむ。

つづく

GARDENING研究会2016年11月定例会ご案内
                      2016年11月14日
                        武部正俊
日時 2016年11月20日 11時より17時
会場 河南町やまなみホール(大阪府南河内郡河南町大字白木1387番地    TEL0721-93-6222)
昼食費 1,100円
随時参加者会費 2,000円
申し込みは11月18日までにお願いします。
TEL 090-2599-7367 
FAX 072-290-2813
E-mail  omtakebe@sakai.zaq.ne.jp

今回は、Gardening研究会会員である荻野寿也さんの事務所の新築に伴う庭の見学をさせていただきます。随時参加の方の見学も可能ですが、見学だけの参加は出来ません。
Gardening研究会11月定例会の参加者のみが見学可能になります。
弁当の用意などありますので、参加希望者は、必ず11月18日までにメール。Faxなどでご連絡してください。

テーマ1・・「素材シリーズ」樹木について②常緑広葉樹灌木・・・武部正俊
常緑広葉樹の灌木類は、極めて多様で、選択肢もいっぱいあります。花の咲くもの、葉の色合いの変化のあるもの、刈込剪定の出来るものなど様々です。そして洋の東西を問わず、古くから使われてきた植栽材料でもあります。使われ方も様々です。選択肢や使い方について、考えてみたいと思います。

テーマ2・・本物にいて・・・武部正俊
先月は僕の持っている小さな五輪塔を見てもらいました。今回も僕の持っているコレクションの何かを持って行って、本物について考えたいと思います。何を持って行くかはまだ未定です。庭に関係するものとは限りません。

見学会・・・荻野寿也景観設計・荻野建材の事務所の庭
荻野寿也さんは、今、作庭・造園分野で最も活躍されている一人だと思います。特筆すべきは、建築家とのコラボレーションが多いという事です。それだけ建築家に信頼されているという事です。今これが非常に重要になって来ています。見学と共に、このコラボレーションについても考えてみたいと思います。対等の立場で仕事をするためには、作庭・造園の知識技術ばかりではなく、建築についても知識、見る目が必要かと思います。

河南町やまなみホールでの定例会は、2時半ごろには切り上げ、片づけをした後、荻野さんの事務所に向かいます。



案内は武部正俊のブログやフェイスブックでも公開しています。随時参加も可能です。
随時参加費は2,000円とします。 

11月6日、「上森三郎」さん達と「三郎岳」に登って気になったのは、「伊那佐山」。

「伊那佐山」から出雲の「稲佐浜」を連想して、「なぜか気になる伊那佐山」を書いた。 

「地理院地図」にも山頂に鳥居マークが付いている。神社がある。

調べてみると「都賀那岐神社(ツガナキジンジャ)」というらしい。

祭神は、「高龗大神(タカオカミオオカミ)」と「頬那芸神(ツラナギノカミ)」という事らしい。
水に係わる神らしい。

僕にとっては、まず「磐座」。

ハイキング記録を調べてみると、多少石が出てくるが、殆どのハイカーは石・岩などあまり興味はないようなので、参考程度にしかならない。

「伊那佐山」と「稲佐浜」の「弁天島」を、地理院地図上で繋いでみると、そのライン近辺に、次々と重要な聖地が現れる。

「伊那佐山」が重要ポイントだという事を表している。

やはり行って、直に調べないと分からない。

それで、11月13日一人で出かけてみた。

スマホのカーナビアプリで「八咫烏神社」を行く先に指定すると、一発でヒットした。 

「八咫烏神社」へは前回11月6日に上森さん達と来ているが、再度チェック。

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二の鳥居のど真ん中に「伊那佐山」が収まる。

「八咫烏神社」は、「伊那佐山」の遥拝所のようにも思える。

「八咫烏神社」の本殿は、鳥居の向きとは直角に折れ曲がり、高い場所にあり、ほぼ北を向いている。

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階段の両側の樹木の奥に、赤い本殿の門が見える。

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朱塗りの本殿には明るさを感じる。 

祭神は「建角身命(タケツノミノミコト)」またの名を「八咫烏大神」。
加茂族の祖先とされる。

古事記、日本書紀の「神武東征神話」の影響を大きく残している場所なのだろうけれど、僕はなんとなく違和感を感じている。

「八咫烏神社」の二の鳥居の真正面には、「橿原神宮遥拝所」がある。

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広い空間を取っているが、かなりの湿地。

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「伊那佐山」と重ねてみる。

「伊那佐山」-「橿原神宮遥拝所」-「橿原神宮」を地理院地図上で繋いでみたが、若干ずれる。

ここから、「伊那佐山」を目指す。

地図でルートは調べていたが、車を少し走らせると、登山口を示す看板が在った。

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榛原山路の登山口。

案内標識も多く、ハイカーも多い。
登山道も歩き易い。

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歩き始めてすぐに現れた石碑。

梵字が書かれている。

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不動明王を表す「カーン」であろうか。

さらに登ると「山神」。

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「伊那佐山」が古来強い信仰の山であったことが分かる。

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道標と鳥居。

これより神域。

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道標には「嶽大明神」とある。

僕にはこれがまだ理解できない。

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石鳥居も立派なもので「大正十四年四月建之」とある。

周囲は植林されているが、どの木もヒョロヒョロ。

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今回初めて出て来た石組。
小さいが、僕には意図的に組まれているように見える。

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一丁毎に立てられている「丁石」。
さほど古いものではないと思う。

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また現れた道標。
この様な細い山道も、かつては村々を繋ぐ街道であったのだろう。

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左手の斜面に、かなり大きな石・岩が現れる。

斜面をよじ登って観察。

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これは人面岩ではないか。

位置情報
N34°30’13.66”  E135°57’57.61”  高度541.2m(誤差あり)

P1210593
少し横から。

P1210596
アップ。

P1210597
さらにアップ。

人工的に作られた、抽象彫刻のよう。

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顔の左側のエッジ。
シャープなラインで、全体的に南面している。

P1210600
この様な溝も。

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人面の上部。
ここは自然のまま。

P1210603
切り取ったコッパのような石が転がっている。

自然のなせる業か、それとも人か?

登山道へ戻り、さらに登って行くと、このような石が現れる。

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登山道を挟むように据えられたと思われる石。

僕はこのような石に、今まで沢山であって来た。
それは上方の「聖地」、「磐座」に誘うような道標(ミチシルベ)と僕は思っている。
必ずそれが存在するから。

P1210611
これも同様。

P1210612
この石はごく小さいが、その丸みや割れ方が、僕には興味深い。

さらに登ると、また登山道の左手に、植林に隠されてはいるが、かなり大きな岸壁が目に留まる。

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写真では非常に分かりづらいが、石・岩・磐座を探し求めている僕には、直ちに目に付く。
長年の経験からの感と技術であろうか?

見付ければ、少々の急斜面でも確認に傍まで行く。

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高さは10m強あるだろうか、柱状節理の岸壁。

P1210617
植林された杉・檜によって隠されてしまっているので、影が多くコントラストが強い。

もし植林されていないなら、この岸壁もちょうど12時前の日の光を受けて輝いているはずだ。(撮影時間は11時40分)

この岸壁も南面している。

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この様な窪みもあって面白い。

位置情報
N34°30’14.75”  E135°58’1.35”  高度599.8m(誤差あり)

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登山道脇にこのような石も。

P1210622
この様な石の連なりも。

登山道はつづら折れ。

P1210624
丁石も二丁。
間もなく山頂稜線。

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目の前が山頂稜線。
手前には「道標の石」。

ここで、例によって「地質図Navi」による地質表示。

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ブルーのラインが、山腹部の登山道。

地質は三種類。

紫色部分は

前-後期白亜紀(K1-2)の花崗閃緑岩
説明: 約1億2000万~9000万年前にマグマが地下の深いところで冷えて固まった花崗閃緑岩

とある。

ブルー部分は

前-後期白亜紀(K1-2)の苦鉄質深成岩類
説明: 約1億2000万~9000万年前にマグマが地下の深いところで冷えて固まった斑れい岩質の深成岩

とある。

黄色部分は

中期中新世-後期中新世(N2)の火山岩類(非アルカリ火砕流)
説明: 約1500万年前~700万年前に爆発的噴火により高速で流れ下った軽石や火山灰(火砕流)

とあり、山頂部分の地質が一番新しい。

赤のラインは、山頂稜線部。

ここの地質は黄色部分で、「三郎岳」と同じ。
(「宇陀市の三郎岳はピラミッドか?」参照)

この赤のラインで示した山頂稜線部は実に面白い。


つづく

11月6日、「上森三郎」さん、田中孝子さんと僕の三人で、上森さんと同じ名前の「三郎岳」に登った。(「宇陀市の三郎岳はピラミッドか?」参照)

登った前日、登山ルートを調べるために、ネット上の「地理院地図」を見ていた。

 「三郎岳」の南側に「ハート形のコンタライン」があるのを見つけた。
「ハート形のコンタライン」は今までにいくつか見付けている。

そのポイントはいずれも重要な意味を秘めている。

上森さんは、「ハート形」はイエスキリストのシンボルマークだと言う。

「ハート形」には、切れ込み部分と 尖っている部分がある。
このラインは方向性を示している。

「三郎岳」の南側の「ハート形のコンタライン」は、西北西位を向いている。

もしやと思って、高砂沖の「上島」と繋いでみた。

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「三郎岳」と「ハート形のコンタライン」の位置関係。
紫色のラインは、「地理院地図」上で「上島」 と繋いだライン。

「ハート形のコンタライン」の示す方向性と符合する。

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高砂沖の「上島」。

「上島」はまるで精子のような形をしている。

「大本」の「出口王仁三郎」は、この小さな島を極めて重要視していたようだ。

実は「上島」に、今年6月21日、カタカムナ研究家の「吉野信子」さん達と行った。

小さな岩の島、「上島」は不思議な島に思えた。

その北部の海岸べりに、巨大な「人面岩」が在った。

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平面的ではあるが、完ぺきな「人面岩」。
僕には何故だか「猿田彦」に見える。

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この「人面岩」は、涙を流している。

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この「人面岩」は真っ直ぐ北を見ている。

その見ている先に、上森さんが「イエスキリストの陵墓」という、神河町の「前方後円墳」形の山がある。
(今まで吉野さん達との申し合わせで、上島上陸については封印してきた。ここで初めて、「人面岩」の写真を公開することにした。いずれ、上島についても報告したいと思っている。)

「三郎岳」の南側の「ハート形のコンタライン」と「上島」が繋がった。
この示す意味は僕にとって大きいい。

このライン上に、山や神社等の聖地がないものかチェックしてみた。

すると、「三郎岳」の西側に「伊那佐山」という山があり、鳥居マークまで付いている。

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紫のラインが、「ハート形のコンタライン」と「上島」を繋いだライン。

「伊那佐山」の山頂部のコンタラインをよく見ると、これも少し変形した「ハート形」。
しかも、とんがり部分が細長い。
より方向性を強調している。

それで、「伊那佐山」の示すところを探ってみた。

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すると、凄い場所と繋がった。
上森さんが「イエスキリストの陵墓」と言っている山のすぐ傍にある「ハート形のコンタライン」の中心に行き当たった。
水色のラインがそれ。

近鉄榛原駅で待ち合わせし、出会ってすぐさま、上森さんに「伊那佐山」について話した。
実は上森さんも、この山を重要視していた。

「三郎岳」登山後、時間があれば「伊那佐山」にも登ろうかと話し合った。

「三郎岳」から下山後、スマホのカーナビ・アプリで「伊那佐山」へのルートを探ってみたが、うまくヒットしない。

それで近くまで行ってみることにした。

するとそこには「八咫烏神社」が在った。

「伊那佐山」に登るのは時間的に無理と判断して、「八咫烏神社」に行ってみた。

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何と、「八咫烏神社」の鳥居のど真ん中に見える「三角形の山」が「伊那佐山」。

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赤のラインが「八咫烏神社」と「伊那佐山」を繋ぐライン。
このラインは、磁石の示す東。

「いなさ」と聞いて思い起こすのは、出雲の「稲佐浜」。

漢字は違うが、読みは同じ「いなさ」。

方や山で、方や海。

それで繋いでみた。

「稲佐浜」それなりの広さがあるので、そこにある最も注目すべき場所「弁天島」と繋いでみた。

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「弁天島」に伸びる黒のラインがそれ。

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長大な黒のラインがその全体。
ライン上や近辺に、山、神社、古墳などの聖地が次々に出てくる。

赤丸が山。ブルーの丸が神社。赤の三角が古墳。

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「弁天島」。今は砂が堆積してしまって、陸続きになってしまっている。
(2015年10月18日、イワクラ学会のイワクラツアー時に撮影)

「稲佐浜」で11月9日(旧暦の10月10日)に、「神迎祭」が行われた。


「伊那佐山」と「伊佐浜」を結んだレイライン上には、沢山の聖地が在る。

「伊那佐山」から黒ラインに沿って北西方向に進んでゆくと「出雲」という地名が出てくる。

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奈良県桜井市出雲。
何故に「出雲」。
このラインの行き着くところも「出雲」。

鳥居マークは「十二柱神社」。

続いて「三輪山」。

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本殿を持たない「大神神社」の神体山。

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箸墓古墳」。
周辺も古墳だらけ。

広陵町の古墳群も通る。

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六甲山地西部の「和気清麻呂」や「空海」ゆかりの「再度山(フタタビサン)」。

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兵庫県加古川市志方町山中の上森さんが「イエスキリストの公の陵墓」という「勾玉型」もしくは「胎児型」の山。

神社は「大歳神社」と「白髭神社」。

南側には「高御位山」。

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姫路市の「八丈岩山」。
僕はまだ行っていないが、「磐座」があるという。

すぐ近くの「高岳神社」の「振袖山」には上森さん達と行った。(2016年2月28日探索、「高岳神社と巨石磐座と三角の山」参照)

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たつの市の「亀山(キノヤマ)」。(2016年4月24日探索、「たつの市の亀山は巨石だらけ-さわり集」参照)

そして興味深いのがここ。
島根県出雲市の「仏教山」。

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「仏教山」は本来「神名火山(カンナビヤマ)」と呼ばれていたようで、「万九千神社」の神体山。

「万九千神社」では、神送りの神事「神等去出祭(カラサデサイ)」が行われる。

「万九千神社」のホームページの
「神等去出祭」の説明に興味深い記事。

26日夕刻、御神前では、八百万神に出雲からのお立ちの時が来たことを奉告する「神等去出祭」(からさでさい)が厳かに行われます。神事では、宮司が幣殿の戸を梅の小枝で「お立ち」と三度唱えながら叩く特殊な所作をします。近世の記録や伝承によれば、この神等去出祭は、かつて神社の南方約数十メートルの地点にあった、屋号「まくせ」と呼ぶ民家の表座敷で湯立神事を伴うものだったとか、古くは社頭の東南に仰ぎ見る神名火山(現仏経山)の麓で火を焚いて神々をお送りしたとも伝えられています。

2015年10月19日、イワクラ学会のイワクラツアーで、「仏教山」中腹の「伎比佐(キヒサ)の石神」に行った。

「仏教山」中腹には興味深い「磐座」が沢山あったが、特に興味深かったのは「伎比佐の石神」といわれている巨石。

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一部オーバーハングした巨石。

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オーバーハングの一部が真っ赤。
これは「火の痕跡」。

古くは社頭の東南に仰ぎ見る神名火山の麓で火を焚いて神々をお送りした」という場所は、この巨石に違いないと、僕は考えている。

宮司さんは、その場所は特定されていないと説明していたが、山の麓という記録に惑わされている。

この巨石付近を発掘すれば、長年にわたって火を焚いた痕跡や、祭祀に使った遺物などが、必ずや発見できるのではないかと僕は思っている。

この巨石の上方部の崖で、興味深い「磐座」を見つけた。

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「ホト」。

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中に三角の石がピッタリ収まっている。

三角は、火を表す。

「ホト」は「女陰」であると共に「火床」。

意味深である。
(「出雲に武部という地名が!」参照、またこのような記事も書いている「内宮の磐座と出雲の弥山を繋いだライン上に武部という地名が」)

今まさに出雲は「神在月」、他の地域は「神無月」。

「いなさ」という言葉で繋がった「伊那佐山」と「稲佐浜」。

そのライン上に沢山の聖地。

これはいったい何を示しているのであろうか?

ちなみに、「デジタル大辞泉」によると、

いな-さ
南東の風。特に、台風期の強風をさしていう。辰巳(たつみ)の風。

とある。

益々「伊那佐山」が気になる。
行かねばなるまい!

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