火(ホ)と「ニワ」と鍋釜

庭を造るという現場から体験したこと、そして「人はなぜ庭を造るのか?」考え続けてきたことなどを、ぼちぼち綴るブログ。 等ブログの履歴などの情報は、最下部にあります。

火はホと読む。「ニワ」は庭と漢字で書かずカタカナで書く。鍋釜は漢字。
火は唯一人だけが制御できるエネルギー。「ニワ」は人としての基盤。鍋釜は人の食の道具。
一見、脈絡のない言葉がつながる。

7月20日~21日は、「上森三郎」さん企画の「マリア様のお墓参りツアー」と称せられた、不思議なツアーに参加した。

JR岡山駅に集合し、マイクロバスでまず向かったのが「総社宮」。

「総社宮」が何故にまず最初の訪問先になったのか分からなかったが、僕にはそれが非常にありがたかった。

2,009年4月僕が主宰する「Gardening研究会」の見学旅行のおり「総社宮」にも行った。
その時、「総社宮」の神池で、不思議な石組を見た。

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池の中にUFOのような不思議な石組がある。(2,009年4月18日撮影)

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池の中から突き出た台石に、板状の石が乗り、さらにその上に宝珠のような石が乗っている。(2,009年4月18日撮影)

こんな石組は見たことがないので、不思議に思ったが、その時はあまり時間も無く、十分観察できなかった。

2,009年4月に「総社宮」に行った理由は、「重森美玲」大著「日本庭園史体系第一巻」に「総社宮神池・神島」として紹介されていて、そこに「庭の原点」が見られないかと思ったからだった。

2,008年に「イワクラ学会」に入会し、「磐座」への興味が増した頃で、「総社宮の石組」を見て、益々「磐座」にのめり込む切っ掛けになった。

バスを降りて、僕はすぐさま、あの不思議な石組に向かった。

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石組はすぐに見つかったが、何ともはや池の水が汚い。
アオコがわいて濁り、水の表面には何も写らない。

本来「神池」は「水鏡」でもあるはず。
さらには、「禊場」でもあったはず。

「水鏡」としての「神池」は、神との通信手段でもあったはず。
「禊の水」は清水でなければならないはず。臭いがしそうな濁った水では、それどころではない。

とりあえず、石組の構造を見てみたい。

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池底から立ち上がる基礎の石があり、その上にピッタリ合ったスペーサーのような石が挟まれ、その上に板状の石がほぼ水平に据え付けられている。その板状の平石の上の真ん中あたりに、宝珠のような石が乗せられている。

目地部分には、今はモルタルが詰め込まれ、接着されている。

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板状の平石は、四角いが、側面がギザギザなので、おそらく加工はしていないのではないかと思う。
他の石とは、石質が違うように思うが、僕にはこのような状態の石質を同定するだけの能力はない。

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当初、板石に貫通させてあるのかと思っていたが、どうもそうでは無く、積み重ねているようだ。
上に乗ってみたが、安定していた。

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それにしても、この奇妙な重ね石の石組は何を表しているのだろうか。

「重森美玲」は「日本庭園史体系」に、昭和10年(1,935年)にこの「神池」を発見したと書いている。
そして実測調査をしたのは昭和48年(1,973年)。
その実測図には、この石組も描かれている。

解説文には、石組については全く触れられていないが、写真は多数掲載され、この石組の写った写真もある。
おそらく昭和10年の発見当時にも、この奇妙な石組はあったのだろう。

そして、「神島」に沢山組まれている石組同様、太古からあったのではないかと推測するが、他の石組とはまるで表現が違う。

そしてこの石組だけが、池の中に在る。

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不思議な石組のすぐ横にある「神島」。
鳥居の扁額には「厳島神社」とある。
奥には社があるものの、手前の小ぶりな石組が気にかかる。
環状列石のようでもあるが、極素朴。

「磐座」というには物足りない。
「磐境」として祭事の場所にしていたのだろうか。

それにしても、水の中の重ね石である、あの奇妙な石組とは、表現がまるで違う。

もう一つの小ぶりの「神島」には「祇園社」が祀られている。

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この島には石組は少なく「護岸石組」程度。

それにしても、激しく折れ曲がり、幹が水没している松が、痛々しい。

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一番大きな「神島」、石橋がかかっていて、島に渡ることが出来るが、鳥居も無く、社も無い。
あるのは東屋。

いちばんおおきな「神島」なのに、何故に祀られていないのか、いささか不思議に思う。

しかし、大きくはないが興味深い石組がいくつかある。

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「立石」と東屋。
この周辺の石組を見ても、様式化された日本庭園の石組とは明らかに違う。

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「立石」を角度を変えて見ると、先のとがった面白い形をしている。
組まれてはいないが、何らかの強い意図は感じるが、よく分からない。

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「立石」を背後から見る。
石橋はほぼ真北に在り、石橋そのものはあまり古いものとも思えない。石組とは明らかに時代が違う。

この「立石」は北を気にしている。

この一番大きな「神島」で最も興味深いのは、

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この石組。島の東南角にある。

大きくはないが、力強くバランスも良い。
三個の「立石」による石組で、「三尊石」を思わせる。

この石組が、「神池・神島」の造成時、「重森美玲」が指摘するように上古(時代がはっきりわからないのでこのような時代区分をしたのだろう)に、石が組まれたとするならば、それは仏教伝来以前。

神仙思想や仏教の影響を受ける前ではなかろうか。

僕はこの石組を、日本庭園の典型的な石組様式の一つ「三尊石」の原形ではないかと思ったりしている。

同様の巨大な石組が、「出雲」にある。

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「須我神社の夫婦岩」。(2,015年10月19日「イワクラツアーin出雲」)
中央の主石は「スサノオ」を表している。

大きさはまるで違うが、配石はよく似ている。

いささか物足りない思いで、本殿に挨拶をし、本殿の裏側、北西側に回ってみる。

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二社の小さな社と、五石で組まれた興味深い石組が見える。

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社の前には、狛犬。獅子ではなく正しく犬。

稲荷神社の「狐さん」とも雰囲気がずいぶん違う。
「狐さん」は尻尾を立て、その先が宝珠型をしている。
この犬は尻尾を体に付けている。
向かって左側は、口を開け「阿形」。右側は口を瞑り「吽形」。
そして何もくわえていない。

説明書きには「木野山神社(キノヤマジンジャ)」とある。

帰ってから調べてみて興味深いことが分かった。

そのヒントをくれたのは、時々アクセスする「愛媛伝」というブログ。このブログは「瀬織津姫」を追っている。

日本には数少ない大神信仰の神社「木野山神社」

あの狛犬は「狼」だった。
「狼」は、音的には「大神」に通じる。

祭神については煩雑になり、僕の力量ではまとめきれないので、割愛させてもらう。

ただ、右側の社には「佐田彦」とが祀られていた。つまりは「猿田彦」で「稲荷神」。

社の手前の五石による石組が気にかかる。

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四石で囲われた縦長のラインの方位を調べてみると、「南北」。
つまりこの五石の石組は「東西南北」を示す方位石。

社の裏側を覗いてみると、さらに興味深い石組が。

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「への字型」に降り曲がった細長い池に、突き出すような石と、かなりの角度をもって据えられた「立石」。

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突き出した二個の石の隙間は、西方向を示す「方位石」でもある。

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対岸から見ると、石は小さいが力強い。

さらに対岸には、石組と土盛り。

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左側に傾いた「立石」が見える。

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細長い斜めに据えられた石にがっちり囲われた「立石」。

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この様な形態の石組も「磐座」も見たことがない。

これはいったい何を表しているのだろうか。

思わず「陰陽合体」かとも思ってしまった。

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土盛りの上には「平石」も据えられていて、全体的には「亀」にも見える。

前回来た時は、この本殿北西部の石組群を見落としていたので、これらの力強い石組を見て、僕はいささか興奮してしまった。

ところが、時間が無い。

いずれの日にか再調査が必要に思える。

備中国総社宮」のホームページによると、主祭神は「大名持命(オオナムチノミコト)」、つまりは「大国主命」。

僕にはなんとなく「スサノオ」の匂いがプンプンとする。

それで、「地理院地図」上で線で結んでみた。

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上が出雲の「弥山」。
下が「総社宮の石組」。

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繋いだのは「出雲大社」の東側にある「弥山」。

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赤ラインの端末が、あの不思議な池の中にある「重ね石の石組」。

赤ラインは、本殿そして本殿の北西側の石組群の間を通り抜ける。

それから先、「弥山」までの間に、神社や特徴ある山の峰が多数見受けられる。

村再起のラインの端末は、一番大きな「神島」の南東側にある「三個の石組」。
こちらのラインは、いささかずれる。

出雲の「弥山」については、『出雲の「弥山」は「ミヤマ]-4 弥山の磐座』で報告している。

「出雲大社」の真東の稜線近くで「磐座」を発見した。それを「大国主の磐座」とした。
そして「弥山山頂」は「スサノオ」と見立てた。

この引いてみたラインが何を表すか、まだまだ謎ばかりだが、石の並びが、出雲の「弥山」を示しているように思えたならない。

これらの「総社宮の石組群」を「磐座」とするかどうかは慎重を要するが、極めて興味深い。

まだまだ追わねばならないテーマにもなりそうだ。

それは「日本庭園の石組の原点 」を示しているように思えるから。

2,016年5月28・29日、「イワクラ学会」のイワクラツアーで、岡山県笠岡市の「高島」と「白石島」に行った。
両島とも元は「花崗岩」の産地で、両島で出会った「磐座」の全ては「花崗岩」だった。

それらの「磐座」の内、奇妙な抉れのある石が、ずいぶんあった。

ある時偶然見たテレビで「タフォニ」という言葉を知った。

それで、「高島・白石島で出会った奇岩はタフォニ」という記事を、当ブログに書いた。 

「タフォニ」という岩石の風化現象は、塩水と乾燥の繰り返しによっておこる、自然現象であることを知った。

この風化現象の原理を知っていれば、人為的に「タフォニ」を作ることも可能ではないか、 今朝ふと思った。

海水を組んできて、凹ましたい部分に塩水を塗り付け、乾燥させる。
それを繰り返すと、硬い岩石の表面が脆くなり崩れ始める。
それを繰り返すことによって、思い通りに石を形作って行く。長い年月がかかるかもしれないが、不可能ではあるまい。

火を使って熱を加えれば、 浸食速度を速めることも可能ではなかろうか。

鑿を使わずに、自然浸食したように見える加工が、可能かもしれない。
実験すれば、証明できるだろうが。

「高島」で出会った「子孕石」は巨大でかつ奇怪。

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地元の磐座研究家「薮田徳蔵」さんが、案内してくださったが、薮田さんは勿論人工説を取っている。

「イワクラ学会」の会報「イワクラ2号」(2,004年11月19日発行)に、薮田さんの研究発表が掲載されている。

僕が「タフォニ」を知ったとき、人工説よりも自然説に大きく傾いた。
しかし、「タフォニ」を人工的に造ることが出来れば、部分的に加工することも可能になる。

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これらの微妙な造形も可能になる。

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この怪物のような造形も。

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この複雑で奇怪な造形も、あるいは人為なのだろうか。

僕は今、「磐座」の存在を「地球からの意志」と「超古代の人の意思」の複合ではないかと思い始めている。

エジプト、ヨーロッパ、中南米で見られる巨石文明は、人為的な加工の痕跡がありありと残っている。
その工法が解明されていなくても、それは決して自然現象ではなく、人為であることははっきりしている。

ところが、日本の各地に存在する「磐座」は、明らかな人為的な加工の痕跡を見出すのが難しい。

それ故に、地質学者は全て自然現象として解釈しようとする。

僕もその殆どの成因は、自然現象だと思っている。

しかし「磐座」は「神宿る石・岩」として信仰されていることも少なくない。

さらに、「磐座」は単独で存在するのではなく、ネットワークとしての繋がりをもっているようにも思われる。
ネットワークが存在するなら、単なる自然現象だけでは説明しきれない。

そこに、「大いなる意志」を僕は感じてしまう。

その「大いなる意志」が「神から発せられた」という解釈が、僕にはまだできない。「神さま」を感じることも理解することもまだできなくて、いささか悶々としている。

「神さま」と言ってしまえば簡単なのだが、まだまだ自意識が強いのか、そう言えないのが正直ななところ。

それで「地球の意志」などと言っている。地球を「ガイア」としての生命体と考えるなら、それも有り得るかと。

まだまだ僕は、素直ではなく理屈っぽい。

「タフォニ」現象を知ったとき、全て自然起因説で説明できるのではないかと思った。

しかし、今朝ふと思いついたように、人工的に可能ならば、その複合も考えられる。

益々、「磐座」にのめり込んで行きそうだ。
そこにはきっと大きなメッセージが隠されている。

そのメッセージが表に出ないように、樹木で覆い尽くしてその存在さえ隠されてしまっているのが、現在の状況だ。

作庭記」は、平安時代末期「橘俊綱(タチバナノトシツナ)」が書いた、日本最古の庭園書とされている。
平安末期とすれば、1,000年近い前。
内容は文書のみで、作庭の奥義を細々と書いている。
場合によっては、世界最古の作庭指南書、あるいはマニュアル。

その冒頭、

石をたてん事、まづ大旨をこゝろふべき也。

で始まる。 

その後も石の扱いについてこまごまと書かれている。

「石をたてん事」は、通常、石組をする事、とか、庭作りと解釈されているようだ。

僕は、「石」という言葉から始まっていることを重視している。

「石=意思=意志=医師 」という語呂合わせ的ダジャレを、当ブログにも何度か書いてきたが、「音」あるいは「言霊」を重視すれば、その根底はおのずと通じる。

「石組」は通常、仏教や神仙思想の影響を受けた表現形式とされ、江戸時代以降は定型化されてしまっているように思う。 

僕はその根底にあるのは、日本の超古代から続いていた「磐座」の影響を受けたものではないかと、思っている。

「作庭記」をザーッと読んでみても、「磐座」の影響は、今のところ見られないように思う。

しかし、「石の扱い」をやけに気にしているように思えてならない。

日本の作庭において、連綿と重要な要素であった「石組」が今あまり成されなくなってしまった。 

樹木、それも落葉性の「雑木」と呼ばれている樹木が、重要視されるようになっている。

これも時代の要請なのだろうが、僕にはいささか物足りない。

僕は、「原初のニワ」としての「平らな空間」の存在を探し求めるとともに、「石組の原初」としての「磐座」を探し求めた。

それが高じて「磐座」そのものの存在理由を追い求めるようになった。

今は、存在理由よりも、隠されてしまっている「磐座」と巡り合う旅を続けるようになっている。

ここで、僕の原点、「庭と石組」についてもフィードバックしておかねばならないように思い始めている。

僕は、元より古文を解釈するだけの、国語の能力も無い。「作庭記」を原文のまま読んでも、殆ど分からない。

でも、何か使命感のようなものも感じ始めている。

今僕の周りには、茫洋とした課題が渦巻いているが、「石」という言葉で始まる「作庭記」をどうとらえるか、それは僕にとって具体的な課題になりそうだ。

生来、怠け者でぐうたらな性格なので、いつ果たせるかわからないが、取り組まなくてはならないようだ。

とりあえず、「作庭記」は「石」という言葉で始まっている! 

毎月、第三日曜日は、GGardening研究会の定例会。このところ集まりは少なめで、今日は14名。遠くからの参加者もあり。
主題は、材料シリーズで、自然石。
日本庭園の重要素材。




















カタカムナ研究家の、吉野信子さんのカタカムナカードを使って、石・岩を思念読み。
石・意思・意志・医師は、音が一緒、思念も同じ。
まるで駄洒落のようだが、これが真理。
続いて、地中での水と空気の流れの重要性について。これが、生命の源。滞るとその場所の生命力は衰える。植物に端的に現れる。
その他色々。11時〜5時半まで、人数が少なくても、それなりの熱気。
GGardening研究は、毎回熱く、時代の最先端で、しかも真奥を探る。

僕は毎朝、愛用の鉄瓶で湯を沸かし、その「白湯」をちびちび飲む。

「白湯」を飲むのが習慣になって、もう5年以上になると思う。

先日フェースブックに「白湯(サユ・シラユ)」を飲むことで、ガン予防になるような記事を見た。
「へ~!」という感じ。

検索して見ると、いっぱい出てきてびっくりした。

僕は、別に健康法として始めたわけではないが、鉄瓶で沸かした「白湯」がなぜか美味しいので、習慣になってしまった。

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蛇口に付いている、ピンクの怪しげな物体は「テラファイト」。

2,013年5月、この怪しげなる物体の存在を知った。
開発したのは「上森三郎」さんという。

眉唾だと思いながら、なぜか気になって仕方がない。
あまりに気になったので、その年の8月末ぐらいに、上森さんの事務所に行った。
怪しんでいてもその実態は分からないので、とにかく買った。

それが、僕にとって大きな人生の転換点になってしまったが、それについては煩雑になるので省く。

今や僕にとって、「上森三郎」さんは、聖地・磐座探索のパートナー。

怪しげなピンクの物体である「テラファイト」を通した水を、愛用の鉄瓶に汲む。

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それをガスの火にかける。

すぐに沸く。

僕はあまりグラグラとは沸かさない。

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湯を、マグカップとグラスに注ぐ。

毎日感で水を入れるが、ほぼ正確にこの量。
毎日やれば、そのような感も出来てくるようだ。

鉄瓶の蓋は、しばらく開けておく。
余熱で乾燥させる。
これが、鉄瓶を長持ちさせるコツ。

僕のこの鉄瓶の内部は、薄っすら錆びている。
しかし、湯に錆が出ることは全くない。
錆が増えることも無い。

この「白湯」を朝食時にちびちび飲む。
これが結構美味い。

この鉄瓶についても少し薀蓄。

僕は、「鍋釜コレクター」で沢山持っている。
ただ、鉄瓶はあまり多くない。
最も多いのは「茶釜」。全て鋳鉄製。

この鉄瓶は「鉄砲口霰鉄瓶」という。
鉄砲口の鉄瓶は「手取釜」とも呼ばれる。

注ぎ口が、単純に上に突き出ているだけ。そしてそこそこ太い。

この形式は古い。

そして上半分に「霰紋」が打ってある。
「霰紋」は扁平で、やや不ぞろい。
鉄質はいたって良い。
時々ブラシで磨くだけで、真っ黒で艶々。

僕はこの鉄瓶は、かなり古いものではないかと思っている。
少なくとも江戸初期。勿論確証はない。

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注ぎ口の根元の横に、霰紋とは違う四角な紋が見える。これは「鋳掛」。

この鉄瓶、作ったときに穴があり、その穴を鋳鉄で埋めている。

今なら不良品。当時は貴重なものなので、その穴を「鋳掛」して埋める。
通常の「鋳掛」は真鍮などで埋められることが多いが、鋳鉄で「鋳掛」されている。
これが、技術的には難しいらしい。

「大西浄長」が「釜の作行」の「天明釜」の解説の項にこのように書いている。

天明の特色には又石鋳掛と云うのがある。これは山切れとでも云ふか生ぶ鋳掛で、鋳掛が現れていてしかも滅多に水が漏らない。これは石鋳掛と称して天明の名物とも云うべき上手なものである。

と。

この鉄瓶の「鋳掛」も「石鋳掛」であろうと思うが、この鉄瓶が「天明」のものであるかどうかは分からない。

全体のプロポーションも肌も良く、美しい鉄瓶だと思っている。
お気に入りは他にもあるが、サイズ的にも扱いやすく、何より湯が美味い。

僕は、鍋釜の素材によって、味が変わると考えている。

僕は健康志向で「白湯」を飲んでいる分けではないが、殆ど医者に行くことも無く、健康に暮らせている。

もうすぐ73歳になるが、殆どの人は年より若く見てくれる。
体力は相当落ちてしまったが、今でも磐座探索と称して、道なき山に分け入ることもできる。

毎朝、お気に入りの鉄瓶で湯を沸かし、「白湯」を飲めることに何となく幸せを感じている。

しかも、その水はただの水道水だが、「テラファイト」を通した水。

この「ゼロ磁場発生装置」を通った水は、特別な水に変化しているようだ。

いつの間にか、僕の健康法になっていたようだ。

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