火(ホ)と「ニワ」と鍋釜

庭を造るという現場から体験したこと、そして「人はなぜ庭を造るのか?」考え続けてきたことなどを、ぼちぼち綴るブログ。 等ブログの履歴などの情報は、最下部にあります。

火はホと読む。「ニワ」は庭と漢字で書かずカタカナで書く。鍋釜は漢字。
火は唯一人だけが制御できるエネルギー。「ニワ」は人としての基盤。鍋釜は人の食の道具。
一見、脈絡のない言葉がつながる。

「八禰宜山」から「地理院地図」にも記されている「八大龍王」に向かう登山道は、さほど起伏も無く歩き易いが、尾根筋近くを歩いていても、残念ながらほとんど見通しはきかない。

尾根筋に時々現れる巨石・磐座群については「八禰宜山~八大龍王へ-3 尾根上の巨石・磐座群と地質」に書いた。

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「剣峠」から「八禰宜山」経由、「八大龍王」までの登山ルート。

西側の366mの山まで行きたかったのだが、雨は止んだものの、ガスが架かって何も見えないので、「八大龍王」へと向かった。

尾根筋から少し降ると、社を覆っている屋根が見えて来た。

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社は残されているものの、「八大龍王」は「朝熊山山頂」に遷座されている。

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上二枚の写真は「朝熊山山頂」の「八大龍王」。

一見立派になり、車で乗りつけできるが、「八大龍王」を祀るにふさわしいかどうか、聊か疑問。

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こちらは、割拝殿かお籠り場か?すでにボロボロ。

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社の右手には、新しい石碑。

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「福引山・飯盛寺跡」と書かれた石碑。

ネットで調べてみたが、情報はまるで無し。

下の平らな石が氣に成る。

大きくはないが、天端は真っ平。

何らかの祭祀がおこのわれていた場所だと思った。

そして、磐座が在るとの確信も持てた。

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このような、龍頭・舟形の手水が在った。

しかし、石製ではなく、セメントで作られたもの。

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このような形の手水を見たのは初めて。

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少し上に、石仏。

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大きな「如意・宝珠」を両手で持っている。

穏やかな顔が何とも良い!

ここでもまた「如意・宝珠」が現れた。

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石仏の左手に階段。

今年は台風が多かったので、いささか荒れ気味だが、参拝に来る人もほとんどいないようだ。
「朝熊山」に遷座されているので、致し方ないかもしれない。

巨石・磐座に付いては、つづきで書くとして、社の左手に興味深い場所が在った。

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石垣と割拝殿。

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その左下に、まるで泥沼。

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泥沼は、かつて聖水の溜まった池だったのだろう。

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聖水の湧き出る井戸が在った。

近付くと、数匹の蛙が井戸に飛び込んだ。

大きさや形から、たぶんカジカ蛙だと思う。

水を飲んでみたが、甘くおいしかった。

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ほぼ南北。

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「水神明王」の石碑。

「八大龍王」だけに聖水が重要。

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泥沼化してしまっている池から、かつては聖水が滝となって流れ落ちていたのかもしれない。

落ち葉や枯れ枝で、荒れた感じがぬぐえない。

8月27日、生駒の「八大龍王・総本山・龍光寺」に行った。

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ここにも「小桜龍王」として祀られている聖水の湧き出る池が在った。。(「生駒の八大龍王と稲倉神社の磐座-1 八大龍王の磐座」よりコピー)

龍には聖水が欠かせない!

「八禰宜山」の西側に在る「八大龍王」には聖水があり、さらに巨石・磐座群も続々見つかった・

やはりただならぬ場所。

巨石。磐座につづく


雨の影響もあって、いささか時間が押していたが、雨はすっかり上がり、雨具の必要もなくなった。

「八禰宜山の壷」から「八大龍王」へはなだらかな尾根道を伝う。

実際の登山道は、時々山腹を巻く。

尾根の北側は「神宮林」で、五十鈴川の源流。

ウマベガシなどの常緑樹が多く、全く見通しはきかないが、歩き易い道を進む。

尾根上に次々と巨石・磐座が現れる。

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これも、東西線を示唆しているように思える。(「透明コンパス」で撮影)

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南面する「鏡石」のようなのが現れる。

何と無く、右側が動物顔を思わせ、あるいは猪か?

「剱鞠」さんが上方の尾根筋が気になったようで、全員尾根筋に登る。

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かなりの巨石が在り、「神宮林」側に絶壁となって落ち込んでいる。

この辺りまでは、「八禰宜山の壷」周辺と同じ石質の「チャート」ではないかと思われる。

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スマホ用登山地図アプリ「Geographica」による位置情報。

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小さいが、それまでとは石質の違う石が現れる。

左側の石は「明らかに「チャート」ではない、水による浸食も見られる。

「石灰岩」かも知れない。

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面白い石群が現れる。

「石灰岩」だと思われる。

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志摩半島の地質は極めて複雑。(「地質図Navi」よりコピー)

茶色い帯は、「チャート 中期後記ジュラ紀付加体」。

ブルーの帯は「海生層石灰岩 中期後記ジュラ紀付加体」。

「付加体」について、「地質調査総合センター」の「日本列島の地質と構造」よりコピー。

  現在、日本列島で見られる岩石を調べた結果、日本は継続して大陸と海洋の境界付近に位置していたことがわかっています。そして、今日までの長い時代にわたって海洋プレートの沈み込みをうけてきました。

   海洋プレートは海洋地殻とその下のマントルの一部からなります。地球の内部構造について、詳しくは「 地球の構造 」のページを参照してください。海洋地殻は、海嶺で噴出した玄武岩溶岩の上に、深海堆積物や海山を載せています。これらの一部は海洋プレートが沈み込むときに、海溝にたまった土砂とともに大陸側に押しつけられ、はぎ取られてしまいます。これを付加作用といい、はぎ取られた地質体を 付加体 といいます。付加体のうち、海洋プレートの沈み込みにともなって地下深くもぐり込んだ部分は高い圧力を受け、変成岩となります。また、海洋プレートの沈み込みはマグマを発生させ、火山活動及び深成岩の貫入を伴います。

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  このように、日本列島は海洋プレートの沈み込みによって成長してきた生い立ちを持っています。そのため、以下のような地質の特徴を備えています。

1、過去から現在まで、幾つもの時代の付加体が集積し、その一部が再配置されたつくりになっています。
2、日本列島の基盤は一般に大陸側ほど古く、太平洋側ほど新しい構造となっています。
3、地質時代を通じてマグマ活動があり、さまざまな時代の火成岩が残されています。
   また、特に堆積岩・変成岩では、ある程度まとまった時代に形成された岩石が帯状に連続して分布する特徴があります。それぞれの境界は断層で接することが多く、その一部は構造線と呼ばれています。これらを慣習的に「○○帯」及び「○○構造線」(ふつう○○は地名) と呼んでいます。ただし、その基準は必ずしも同一ではなく、また帯や構造線の定義・解釈が研究者によって異なる場合もあるため、注意が必要です。このような構造は、日本列島の形成過程に起こった構造運動、すなわち海洋プレートの沈み込み方向や角度の変化、火成作用の活発化、大陸プレートの分裂などを反映していると考えられ、解釈が試みられています。日本列島の成り立ちは完全には解明されておらず、まだ研究途上にあるといえるでしょう。

そして「チャート」も「石灰岩」も生物由来の岩石。

この意味は大きいと思っている。

磐座の示唆する意味を理解するうえで、構成岩石の種類や地質を知ることが極めて重要だと考えている。

11月4日9時、「外宮」駐車場で待ち合わせ。

「剱鞠」さん桐畑さんと僕の三人で「外宮」を巡っていた時、少し遅れているとの連絡が、「藤田団長」から入った。

合計13名、2台の車に分乗して、雨の中「剣峠」に向かう。

スマホの雨雲レーダー情報から、間もなく雨が上がると予測したから。

「剣峠」に付くと、ほぼ雨は上がったが、雲は低いので、一応雨具を着て登ることにする。

「八禰宜山」までは通いなれた道。

「八禰宜山」山頂に付いても、全く見通しはきかない。

「壷」の状況を、上から覗き込んでみる。

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今年は何度も台風の影響を受けているので、枯れ枝や落ち葉が「壷」の中に落ち、水もかなり濁っている。

アメンボウのような昆虫がいるのか、水面に動くものを感じる。

生き物がいる事が、何と無く嬉しい。

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水面高さも以前に比べて若干低い。

覆いも何もない現在の構造では、このような状態になることは致し方がない。

「壷」に再会の挨拶を、自己流ですまし、しげしげと壷上部の壁面を見る。

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曇天なので光がフラット。

今までは好天に恵まれたので、コントラストが強く、樹木の影や、光る部分もあって詳細を見分けるのが難しかった。

写真にすると、なおさら分かり辛くなる。

しかし今回は、クッキリと石面が見やすい。

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中央部の黒ずんだ部分がへこんでいる。

縦筋。

それは正しく「ホト」。

「女性器」を思わせる。

左上には、「蛇か龍の頭」。

それは、「男性器」を思わせる。

これは、「生命誕生の印」、「陰陽和合」。


「五十鈴川」上流の川沿いに巨大な「鏡石」が在る。

「剣峠」から東側を少し登った尾根上には、そそり立つ「剣岩」が在る。

「勾玉」が見つからないので、「八禰宜山の壷」を、表現の違う「勾玉」とした。(「八禰宜山の壷の清掃-それは勾玉か?」参照)

石面に現れた「ホト」は、僕の思いをさらに強めてくれた。

「内宮」の南側には「三種の神器」全てが揃っていることになる。

「八大龍王」に向かって歩き出した時、「剱鞠」さんが「空想していると、幕屋のようなものが見えた氣がしまた!」と言った。

超古代、この場に「幕屋」を巡らしたのだろうか?

当ブログ「火(ホ)と「ニワ」と鍋釜」を書き出したのは、2014年1月1日。

その明くる日の2日に、「モーセの幕屋と庭」と言う記事を書いている。

書いてから5年近く経っててから、繋がって来た。

しかし「八禰宜山・山頂」周辺には、幕屋を巡らせられるような空間はない。

少し離れた尾根筋には、可能な場所も在るが。

さらに「剱鞠」さんはまた、「王のような人の頭に水をかけるているような氣がする!」とも言っていた。

最初に「八禰宜山」を見つけたのは2013年8月10日、「鸚鵡岩の尾根上の磐座」からだった。

見つけたのは「上森三郎」さん。

「真西に綺麗な三角の山が在る!」と上森さんが言ったのが、一連の物語の始まり。

その「八禰宜山」は「内宮の磐座」の真南に在って、南北軸を作っている。

そして「鸚鵡岩」東側に鎮座するのが「伊雑宮」。

「ホツマツタエ」によると、「伊雑宮」は「アマテルカミ」の都。

仮に「剱鞠」さんが脳内に見たという王が仮に「アマテルカミ」とするなら、「伊雑宮」から「八禰宜山」へのルートはどのようにたどればよいだろうか?

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「地理院地図」上にルートを線引きしてみた。

「伊雑宮」から磯部川を登り、「天岩戸」に至る。

ここで洞窟から湧き出る聖水を汲むことが出来る。

「天岩戸」から山道に入り、「猿田彦の森」から「逢坂峠」に至る。
「逢坂峠」から島路川を降れば、「内宮」に至る旧街道。

「逢坂峠」から尾根道を進み「京路山」から「剣峠」に至れば「八禰宜山」はすぐ傍。

尾根道は古代のハイウェイ。

身体のなまった現代人事はキツイ道のりも、古代人にとってはいとも容易いルートであっただろう。

「八禰宜山の壷」は、正確に西面している。

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(スマホ・アプリ「透明コンパス」で撮影。

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水のオーバーフローも真西に流れ出す構造。

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明らかに人工的に彫られ、真西に水が流れ出すように造られている(
八禰宜山の壷の清掃-それは勾玉か?」よりコピー)

現在樹木に覆われてしまっているので、西に沈む太陽光を受ける事は無い。

東側には岸壁も在り、一年中の日没を見れる場所ではないが、春分・秋分には確実に西に沈む太陽光が差し込み「ホト」や「龍の頭」の彫られている岸壁が光り輝くはず。

「アマテルカミ」の頭上に落とされる水も、同時に光り輝くはず。

全身を水に浸け、頭上から聖水を受ける。

これはまさに極上の「アーシング」。

尾根上の「幕屋」で一泊し、「八禰宜山」の山頂から日の出を拝む。

太陽と共に「蘇り」。

「八禰宜山の壷」こそが「勾玉」との思いが、ますます強まり、確信にもなって来る。

11月4日、「八禰宜山」から「八大龍王」へ行くという企画をしていた。

「八禰宜山」は「内宮の磐座」と南北軸を成す。

この軸線を境として「内宮」は20年に一度「遷宮」をする。

極めて重要な軸線。

その「八禰宜山」の南斜面に四角い穴を発見しそれを「八禰宜山の壷」と呼んでいた。

今年になって、その「壺」の掃除をすることになり、4度にわたって掃除作業をした。

上森三郎」さんが主催する「かごめかごめを伝える会」のメンバーが中心になって、その清掃作業を行った。

毎回十数名の方々が集まってくれた。

8月5日、水を汲み出し、最終の清掃を行った。(「八禰宜山の壷の清掃-それは勾玉か?」参照)

清掃中から「八禰宜山」の西側に在る「八大龍王」が氣になっていた。

清掃メンバーで「八大龍王に行きたい!」と言う方も少なくなくなかった。

それはまた、磐座探索でもあると思っていた。

その探索に「剱鞠」さんも参加することになった。

「剱鞠」さんについて詳しくは紹介できないが、彼女の「場に対する直観力」は素晴らしいと、かねがね思っている。

「剱鞠」さんとの縁は、2013年8月11日に「内宮の磐座」を案内した時から始まっていた。

長らく繋がりは途絶えていたが、今年になって急速に、縁が増した。

「八禰宜山~八大龍王」の探索だけではなく、「外宮」にも伝えたい場所がいくつかあった。

11月4日、伊勢に向かう道中、名阪国道を通過中に雨が降り出した。

雨は一応予測していたが、伊勢に近づくに従い雨脚は強くなる。

「外宮」駐車場に車を停める。

早朝にもかかわらず、参拝者が非常に多い。

「外宮」の駐車場の手入れ脇に在る「メンヒル」状の石がかねがね氣になっているので、まず紹介。(「外宮」の不思議な石」参照)

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「剱鞠」さんはこの石よりも、もう一つの石を氣にした。

それがこれ。

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雨が降っているので、平らな天端の窪みに水が溜まている。

「外宮」には何度も来ているが、この石に水が溜まっているのを見るのは初めて。

溜まって水が西側に流れ出すように出来ている。

勿論意図したものではないと思うが、「このような水の流れには意味がある!」と「剱鞠」さん。

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「透明コンパス」で撮影。

確かに西に流れ出している。

僕はその方位から、むしろ南側が氣になる。

多少ずれるかもしれないが、その南側には「多賀宮」や「風宮」が在るはず。

何故このようにトイレの横に三個の石が据えられているのであろうか。

この石はトイレ建設前から在ったはず。

その意味が分からないままに、トイレが建てられたのであろう。

しかし、このような石にも氣に成るのが、僕の性。

つづいて「三ツ石」へ。

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小さな3個の石だけど、この石の持つ意味は非常に大きい。

この「三ツ石」辺りを日本を南北に二分するような長大な大断層「中央構造線」が通っている。(「諭鶴羽山と内宮・外宮を結ぶレイラインと中央構造線」参照)

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(「諭鶴羽山と内宮・外宮を結ぶレイラインと中央構造線」よりコピー)

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「三ツ石」の真南に在るのは、切原の「浅間山」。(「行った場所は、石・岩・磐座だらけー速報」参照)

「浅間山」は178mと低い山だけど、綺麗な三角形の山で磐座も一杯。

山頂には江戸時代に噴火した「宝永山」が祀られている。

この「浅間山」と「三ツ石」で「外宮」の南北軸を構成していると考えている。

「中央構造線」と「富士山」。

この二つが揺れたり噴火すれば、日本に壊滅的な被害を与える。

「外宮」はそれを鎮めるべく配置されているのではないかとも思っている。

つづいて「多賀宮」へ。(「外宮・多賀宮の謎」、「高島の長田神社」参照)

「多賀宮」から降りて、「下御井神社」へ。

「下御井神社は空っぽ!」と「剱鞠」さんは言った。

つづいて最も見てほしかった場所へ。

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この「合体木」。

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これも「合体木」とまるで鳥の足のような根。

僕はこの場所に、強烈な思い入れがある。(「外宮での発見!-合体木が示す場の記憶」参照)

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この場所を「三ツ石~浅間山の南北軸」が通る。(「外宮での発見!-合体木が示す場の記憶」よりコピー)

この場所が「ホツマツタエに登場する「アマテルカミ」と「ホノコ(瀬織津姫)」の御子「オシヒト(天忍穂耳尊)」の生まれた場所ではないかと考えている。

「剱鞠」さんは面白そうに僕の話を聞いていたが、突然「サワラと言う言葉が聞こえた!」
と言った。

「サワラて何でしょうかね~?」

思い浮かぶのは魚の「鰆(サワラ)」と樹木の「椹」ぐらい。

帰ってから調べてみるがネット上で見つかるのは魚の「鰆」ばかり。

それで「吉野信子」さんの「カタカムナ48音の思念(言霊)表」から調べてみる事にした。

サ・・・遮り・差  28

ワ・・・調和    7

ラ・・・場     31

「遮りを調和する場」となるのだろうか。

「サ」は神を表す音でもあるらしい。

拡大解釈してゆくと「神との遮りを調和する場」となり、何と無く納得できる。

数霊の28・7・31を足してみると、66。

6は「マ」で「需要」、66と繋がるのでその協調形か?

さらに6+6=12。

12は「ル」で「留まる・止まる」。

それを繋げてさらに拡大解釈。

「神との遮りを調和する場と強く受け入れて、その場に留まる!」

それを二組の「合体木」と「鳥足樹木」が表している。

「その場の記憶を樹木が表現している!」と言うこのところの僕の思いへと、聊か強引に誘導。

果たしてどうだろうか?

つづく

GARDENING研究会2018年11月定例会ご案内
                      2018年11月03日
                        武部正俊


日時 2018年11月11日 11時より17時
会場 河南町立中央公民館3階-旧河南町やまなみホール(南河内郡河南町大字白木1387    
昼食費   1,100円
随時参加者会費 2,000円
申し込みは11月09日までにお願いします。
TEL 090-2599-7367 
E-mail  masatoshi@omtakebe.com


11月定例会は、武部の個人的都合により、第二日曜日の11月11日に開催することになりました。
よろしくご理解ください。

なお当日、富田林ロータリークラブ主催で行われます植物学者・田中修先生の講演会に合流します。

テーマ1・・武部は何故、庭を造って来たのか?・・・武部正俊
武部は、何も知らず、誰にも習わず、庭を造るという職業を始めてすでに50年を過ぎています。今までこの仕事を続けてこれた事を奇跡的にも思いますし、今では天職だとさえ思っています。
その原動力は、独自路線を歩んできたからかもしれません。
やりたいことを明確にし、分からないことについては人に聞き、あるいは調べ、それをそのまま信ずるのではなく、ある種疑い、実践して確かめる、の連続でした。
その疑うという事から、常識のウソを幾つも見つけてきました。その辺りを話してみます。

テーマ2・・植物の豊かな生き方を学ぶ・・・植物学者・田中修先生
富田林ロータリークラブ主催の講演会が、同日3階会議室で13時半から行われますので、その講演会に合流します。
田中修先生は、NHKの「冬休み子ども科学電話相談室」にも出演され、植物について分かり易く解説されています。

庭を造るという職業は、植物を扱う仕事でもありますので、その植物の基本的なところを学ぶ事が出来るのではないかと思います。

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テーマ3・・その他の新作発表、その他もろもろ・・・発表者未定
新作などありましたら、どんどん発表していただければと思います。


案内は武部正俊のブログやフェイスブックでも公開しています。随時参加も可能です。
随時参加費は2,000円とします。 



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