火(ホ)と「ニワ」と鍋釜

庭を造るという現場から体験したこと、そして「人はなぜ庭を造るのか?」考え続けてきたことなどを、ぼちぼち綴るブログ。 等ブログの履歴などの情報は、最下部にあります。

火はホと読む。「ニワ」は庭と漢字で書かずカタカナで書く。鍋釜は漢字。
火は唯一人だけが制御できるエネルギー。「ニワ」は人としての基盤。鍋釜は人の食の道具。
一見、脈絡のない言葉がつながる。

2016年10月2日に、尼崎市武庫之荘の「磐長姫神社」に行った。

今は、完全に住宅地に埋もれた神社であった。

しかし、「磐長姫神社」の鎮座地の重要性は、地理院地図でラインを引くことによって、すぐに理解できる。

10月3日に「武庫之荘の磐長姫神社からの繋がり-1」を書いた。

この時に参照した記事により、「君が代」が「磐長姫」の神託を讃える歌だという事を知った。

それから僕は、「君が代」を「磐長姫賛歌」として大声で歌えるようになった。

10月6日に、「武庫之荘の磐長姫神社の繋がり-2丹後半島の岳山」を書いた。

「地理院地図」上で、武庫之荘の「磐長姫神社」から丹後半島の先端部に在る「岳山」に向けてラインを引いてみた。

「岳山」には自衛隊のレーダー基地があり、おそらく近づくことは出来ないと思うが、地理的条件でも極めて重要な山だろうと思われる。
「岳山」という山名がそれを示している。

この二点を繋ぐラインは、ほぼ「磁石の南北軸」に沿っている。
これも大いなる意味を秘めている。

ライン上には面白い山がいくつも出てくるが、極めて興味深い山が一座ある。
山といってもその山は極めて小さい。

しかもその山頂付近に巨石のマークがしるされてていて、その北側には神社がある。

「櫛岩窓神社」と記されている。

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地図で見ても、山は極めて小さい。地図で示されている高度は、272.9m。神社部分の高度は、243.3m。
したがって高度差は、29.6mなのでコブのようなもの。

「櫛岩窓神社」で検索して見ると、情報は沢山見つかる。
巨大な磐座も在るらしい。

興味は持ったものの、その場に行くには、何事もタイミング。

今年3月20日、「上森三郎」さん、「田中孝子」さんと共に京丹後町の和知(ワチ)・安栖里(アセリ)という所に聖地探索に行った。

上森さんが重要な場所とするところで、それなりの成果は得たものの、磐座に出会う事は無かった。

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このような面白い石には出くわしたが、磐座とはいいがたい。

上森さんとの探索では、たとえターゲットには無くても、必ずその近辺で、磐座というにふさわしい石群に出会うので、その時はいささか物足りなく思っていた。

帰り、上森さん達と共にわが愛車、フィアット・パンダ4WDを走らせていた。

コースはスマホのカーナビまかせなのでなので、何処を走っているのかもよく分からない。

篠山あたりか、「櫛岩窓神社」という道標が目に入った。

一瞬、磐座が目に浮かんだ。

そして,Uターン。

うろ覚えであったが、見逃せない。

「たぶん磐座が在るはず!」と僕。

時間はすでに午後5時。

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一の鳥居。

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拝殿とその背後の本殿。

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ブロック塀に囲われていて、本殿には近づけない。

拝殿と本殿の間が異常なほど広く空いている。
こんなに離れている配置は、今まで見たことがない。

しかもこの祭祀広場は、ほぼ真っ平。

これは、僕の探し求めている「原初のニワ」。

しかしブロック塀は、いかにも無粋。

本殿の背後は、すぐにコブ状の山。

まだ若い杉が沢山植えられている。

磐座が在るとするなら、ここでも隠されている、と思いつつ、本殿の背後に回る。

杉が多くて見えずらい上、かなりの急斜面。

僕の眼はもうかなり衰えてはいるものの、木立の隙間を注視する。

何と無く、石・岩がある気配。

上森さん達には声もかけず、その急斜面を登り始めた。

何だか呼ばれている気分がした。(「僕は磐座に呼ばれているのであろうか?-1 プロローグ」参照。この速報を3月21日にアップしたものの、その後書けていなかった。)

薄暗くなり始めた急斜面を、樹につかまりつつ、一目散に登った。

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苔生した石が出て来た。

これでここで間違いない、と確信が持てた。

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杉の木立の隙間から、巨石が現れる。

一気に興奮。

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北面している巨石。

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山頂近くにも、巨石群。

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石質は角張っていてかなり白い。

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円環状の石群の中央に、三角の石。
この石は意味がありそう。

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植林によって陰になり、かなり汚れてきているが、かつては真っ白で、太陽の光に照り輝いていたかもしれない。

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三角の石を、別の角度から。

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迫力ある石群。

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手前の石は、真っ白。

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南面に回ると、巨石に縄が掛けてある。
これを主石としているようだが、僕には山頂の三角石が最も気になる。

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添えの石も美しい。

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組み合わされた巨石群。

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素晴らしい。

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南面している。

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これが真っ白だったら、どれほど素晴らしいだろうか。
なぜこのような場所にまで、植林してあるのか、不思議でならない。

木材の生産性は低いだろう。
磐座を隠し、汚しているだけだと思う。
このようは植林は、磐座への冒涜だとしか思えない。

上森さん達も登ってきて、この光景に興奮。

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尾根上の磐座群を見返り、東側の比較的緩やかな斜面を降る。

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降りてきてから、禁足地であった事に気付く。

しかし、禁足地に何故植林しているのだろうか?

はなはだ疑問に思う。

祭神は、「櫛石窓命(クシイワマドノミコト)」、「豊石窓命(トヨイワマドノミコト)」、「大宮比売命(オオミヤヒメノミコト)」となっている。

この三神で「天石門別神(アマノイワトワケノカミ)」とされる。

ウイキペディアによる解説。

『古事記』の天孫降臨の段に登場する。邇邇芸命が天降る際、三種の神器に常世思金神・天力男神・天石門別神を添えたと記され、同段で天石戸別神は又の名を櫛石窓神(くしいわまどのかみ)、豊石窓神(とよいわまどのかみ)といい、御門の神であると記されている。天孫降臨の段に登場する神の多くはその前の岩戸隠れの段にも登場しているが、この神は岩戸隠れの段には見えない。
天石門別神は古来より天皇の宮殿の四方の門に祀られていた神である。天太玉神の子ともいう。

背後の磐座を見て、僕は何と無く違和感を感じる。

「磐長姫神社」と丹後半島の「岳山」を結んだピッタリの位置に在ることから、むしろ磐座は「磐長姫」ではないかと思う。

祭神は「磐長姫の磐座」を守っているのではないかと。

磐座郡の最上部に在った「三角の石」のあたりの位置情報。

N35°6’43.17”  E135°19’44.00” 

この緯度が気になったので、西側にラインを引いてみる。

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すると、神崎郡神河町の、上森さんが「イエスキリストの陵墓」と言っている山の「後円部」にピッタリと行き着く。
全くの「東西」の位置関係。

そして「イエスキリストの陵墓」の真南には「上島」。

これは、いったい何を表しているのだろうか。

しかも、「櫛岩窓神社」のある福知山市福井には「武部」という名字の方がいるらしい。

境内の「稲荷社」赤い鳥居に「武部建設」と奉納者の名があったし、ネット上で見た「櫛岩窓神社」の祭礼の動画には「武部」と名乗る人が登場していた。

僕の名字も「武部」。

この日、磐座には出会えないと思いながら帰途に就いたのだが、ものすごい磐座と接することが出来た。

田中さんは、「神さまからのご褒美ですよ!」と言ってくれた。
僕は何と無く、嬉しかった。

そしてこの時以来、僕は磐座に呼ばれているという意識をはっきりと持つことが出来た。

2016年6月21日「夏至」に、女6名・男1名で、秘境であり大聖地である高砂沖の無人島「上島」に上陸した。

「カタカムナ」研究家の「吉野信子」さんの企画で、一連の神事の一環であった。

一連の神事が終了するまで、「上島」上陸については封印しておくよう、釘を刺されていた。

その一連の神事も、今年の1月10・11日の伊勢での神事で終了した。

その時点で一応、封印は解けたものと解釈していたが、なかなか書けないでいた。

今ここでこの「上島シリーズ」を書けるようになったのも、何故か仕組まれてようにも思えてくる。

上島-11 思わぬ繋がり」で書いたように、思わぬ繋がりで、宇陀で仕事をすることに成った。

宇陀の古い土地柄や、磐座が在ることも知ってはいたが、特別興味を持つ場所でもなかった。

それが俄然、僕の表舞台に登場してきた。

宇陀を調べていた時に、興味深い磐座記事を見つけた。

姫石明神」という記事。

それは、宇陀郡御杖村に在るという。

「倭姫」に所縁があるらしい。

何故か、行かねばならないと強く感じた。

5月13日、朝雨が降っていたが、昼前に止んだ。
スマホのカーナビで「姫石明神」で検索してもヒットするわけないが、すぐ近くの「宇陀丸山公園」で検索すると、一発でヒットした。
それで午後、一人で出かけた。

「丸山公園」に着いたのは午後3時頃だった。

雨は降っていなかったが、霧でかなり暗かった。

「姫石明神」と書いて「ヒメシミョウジン」と読むらしい。(前記のリンクでは「ヒメイシミョウジン」とルビが降ってあったが)

さほど大きくはないが、感動の磐座で、勿論「女岩」であった。

いつも通りの我流で挨拶をし、観察をしながら沢山写真も撮った。

iFone6で撮った写真は問題なかったが、最近中古で買ったばかりのLEICA X Varioで撮った写真は、ひどいブレ・ボケ写真だった。

しかも何か怪しげな雰囲気。
(「御杖村の姫石明神とブレ・ボケ写真、そしてその繋がり」参照)

僕はどちらかというと、いわゆる「心霊写真」をあまり信じない。
殆どはレンズのいたずらや、ブレ・ボケが主な原因で、逆光写真が多い。

しかし、全面否定も出来ない。
ごく少ない割合だが、不思議な写真が撮れることもある。
人によって写り方が違うのも不思議に思っている。
今回とれた写真が何を意味しているのか分からないが、それをSNSで公開すると、意見が分かれた。

完全否定する人もいる。その方たちの多くはプロのカメラマンかハードアマチュアであるのも特徴的だった。

そのような写真が撮れてしまったという事を、僕は再度その場に行くことを示唆されているものと解釈していた。

そして三日後の5月16日、現場で剪定作業をしていた時、脚立から落ち、背中を強打して、背骨の一ケ所を圧迫骨折してしまった。

整形外科医からは、三週間の安静を申し渡らされてしまった。
「出来るだけ寝ているように!」と。

僕はそれを勝手解釈して、「内省期間」とした。

「姫石明神にすぐに行くのではなく、そこに存在することの意味を感じ取れ!そしてよく考えよ!」といわれているように解釈した。

ブレ・ボケ写真の原因を考えると共に、「姫石明神」と他の場所との直線的繋がりに付いても、「地理院地図」上で調べてみた。

そして
御杖村の姫石明神とブレ・ボケ写真、そしてその繋がり」を5月20日にブログに書き、公開した。

そこで、驚くべき繋がりを発見した。

それは「上島」との繋がり。

それも、直線で単純に繋がって来るのではなく、あるポイントを経て繋がって来る。

それを、ここで再考してみたい。

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いずれも「御杖村の姫石明神とブレ・ボケ写真、そしてその繋がり」よりコピー。iFone6で撮った写真。

「姫石明神」の位置データ。
N34°30’40.33”  E136°12’55.14”  高度480.5m(誤差あり)

「姫石明神」の簡単な説明を「なら旅ネット」からコピー。

倭姫命ゆかりの地
伊勢本街道沿い、岩坂峠の山頂に安山岩の清らかな岩盤があり、婦人が俯せ臀部を露出したような奇怪な形状をしている。かつて倭姫命が婦人病の回復を祈られたことから姫石と呼ばれるようになったとされ、婦人病・子宝祈願・縁結びの明神として各地から参拝に訪れる。

とあり、「倭姫」との関わりが深い。

「倭姫」は「天照大神」の鎮座地を求め、「天照大神の御杖代」となって、旅をする。
そして、伊勢の地に至るとされている。

「日本書紀」には、(ウイキペディアよりコピー

神風伊勢國 則常世之浪重浪歸國也 傍國可怜國也 欲居是國
(この神風(かむかぜ)の伊勢の国は常世の浪の重浪(しきなみ)帰(よ)する国なり。傍国(かたくに)の可怜(うまし)国なり。この国に居(を)らむと欲(おも)ふ)

意味は、伊勢は常世の国からの波が何重も寄り来る国であり、辺境ではあるが美しい国なのでこの国に鎮座しよう、ということである。

と書かれ、「天照大神」の神託を受けて、伊勢に鎮座したとされている。

いささか理屈っぽい僕は、この説明だけでは、何と無く落ち着かない。

僕は、2008年に初めて「内宮」の正式参拝をした。
そして同じ年に「イワクラ学会」に入会し、磐座に目覚めた。

さらに2010年頃、志摩市の大王崎の近くで仕事の依頼があり、「内宮」の側を通るので、朝早く出てしばしば「内宮」にも立ち寄るようになった。

宇治橋を渡って、そのまままっすぐ行ったところに「大山祇神社(オオヤマツミジンジャ)」と「子安神社」が鎮座している。

ここを参拝する人は少ないので、朝早だといつもひっそりしている。

行くたびに、ここの雰囲気が他の場所と違うように感じ、磐座が無いものかと思い始めた。

2011年8月15日に、その磐座に初めて出会った。

その磐座は、「内宮の東西の御敷地」のほぼ中央部、つまり境界線上の「真北」の神宮の敷地外に在った。

いろいろ調べてみたが、その磐座の横で、20年に一度の遷宮に伴う、一番最初の祭「山口祭」が執り行われるという以外、殆ど何も分からなかった。

とりあえず僕は「内宮の磐座」と名付けた。

その後「内宮の磐座」に対する発見が次々あり、極めて重要な磐座であると、僕は位置づけている。(いづれ纏めねばならない!)

まだまだ検証しなければならないこともあり、まだ纏め切れないでいるが、「ホツマツタエ三十六紋」に出てくる「アグラ石」が「内宮の磐座」ではないかと思っている。

以下は2015年1月26日に書いた「白髭神社と内宮の磐座」よりの抜粋。

        ヨキミヤトコロ
サニアリト ワカコヲヤレハ
ヰススカワ フモヤヨロホノ
サルタヒコ ワカコニイワク

ワレムカシ カミノタマモノ
サコクシロ ウチミヤニイレ
アラミタマ ヤヨロホマチシ
カンタカラ アマツヒツキノ
サカホコキ ウツクシキスス
ワイキタチ カカンノンテン
トキマチテ ミチアラワセト

オホロケノ モノナラスカレ
コニモエス ソノヌシオマツ
コレサツケ ナカタウマレノ
ツチキミハ モトニカエラン
モチカエリ ツケヨトテサル

オオワカゴ カエリモウセハ
ヤマトヒメ ウチニイタリテ
ミテイワク コレカンカセノ
イセノミヤ ミクサハマツル
ミナモトト イヤマエカエス
アグライシ

       オオハタヌシ
ヤソトモニ 
ヰソススハラ
クサカラセ オチコチヤマノ
キオキラセ モトスエモトシ
マナカモテ オオミヤハシラ
シキタテテ チキタカシリテ
ミヤナレハ ミカトニモウシ

以下僕の拙い解釈
倭姫は「ワカゴ」を五十鈴川周辺に探索に行かせる。すると二百八万歳の「サルタヒコ」が現われて、ワカコに言った。「儂は昔アマテルカミに賜った宝を内宮(ウチミヤ)に入れて、八万年待っていた。この神宝を授けるので、帰ってヤマトヒメに告げよ。」と言って、消えた。ワカコは帰って倭姫に告げる。倭姫はその内宮の場所に至り、「これ神風(カンカゼ)の妹背(イセ)の宮、三種(ミクサ)は祭る源」と言った。そこにはサルタヒコが座っていた「アグラ石」がある。
そして、五十鈴川沿いの原の草を刈り、周辺から木を切り出して立派な「宮」を建て、帝に報告する。

ここに示した「猿田彦」が八万年待っていたという「アグラ石」こそ「内宮の磐座」だと、今の僕は確信を持っている。

それで、「内宮の磐座」と「姫石明神」を「地理院地図」上で繋いでみた。

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「姫石明神」の位置と、「内宮の磐座」と繋いだブルー・ライン。

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「内宮の磐座」付近。

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このブルー・ラインの微妙な傾きから、あるいは「上島」を通るのではないかと期待したが、やや南を通る。

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「内宮の磐座→姫石明神」を通ってきたブルー・ラインは「家島の尾根上の磐座」を通る。(「上島-10 精子」参照)

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手前の石が「家島の尾根上の磐座」。
島々の間の真正面に見えるのが「家島」。

「家島の尾根上の磐座」の位置情報、
N34°40’37.12”  E134°32’16.07”  高度89.4m(誤差あり)

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ブルー・ラインが正にドンピシャで、「家島の尾根上の磐座」を通る。

僕はこの磐座を「卵子」と見立てた。

「上島は精子」。(「上島-10 精子」参照」

島々の間をすり抜けてきた「精子の嶋」が「卵子である岩」にたどり着き、「子宮である湾」に転がり落ちて、「着床」する。

その「精子」をもたらす元「男岩」はどれか。

僕はそれを「内宮の磐座」と見立てた。

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御杖村姫石明神とブレ・ボケ写真、そしてその繋がり」よりコピー。

それでは「卵子」の母体は「姫石明神」。

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この激しく渦巻くようなブレ・ボケ写真を見ていると、そのような気がしてくる。
御杖村姫石明神とブレ・ボケ写真、そしてその繋がり」よりコピー。

「内宮の磐座」と「家島の尾根上の磐座」が、「姫石明神」を通じて繋がり、ワンクッションをおいて、「上島」に繋がり、さらにその真北にある「イエスキリストの陵墓」や「キリストのハート山」にも繋がった。

この意味は僕にとって、極めて大きい。

今年の1月10・11日と、「カタカムナ」研究家の「吉野信子」さんの企画した最終の神事が、伊勢で行われた。

この神事には、全国から100人近い人達が集まった。

10日は「外宮」での正式参拝、「猿田彦神社」、「倭姫宮」、「伊雑宮」参拝し、二見ヶ浦近くの宿に泊まった。

11日朝食前に、「二見の夫婦岩」に日の出を拝みに行ったが、この時期は、そこからは見えない。
しかし、何という事か霞んではいたが「富士山」がかすかに見えていた。
これも極めて意味深い。

「二見・興玉神社」は「猿田彦大神」を祀る神社。
そこで、面白いものを見付けた。

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丸に十なので「カタカムナ文字」のようだと思い購入し、これを朝食の席で吉野さんにプレゼントした。

これが大きな意味を秘めていたとは、その時僕は理解していなかった。

11日は、「内宮」で正式参拝後、「内宮の磐座」で神事をすることに成っていた。

「内宮の磐座」を知る人はほとんどいない。

僕がその案内役だった。

僕は、正式参拝はしないつもりで、ジーンズ・スタイル。
他の方たちは皆正装。

御神楽奉納を済ませて、正宮前に集まったが、正宮では神事の真っ最中。
神事が終わるまで、正式参拝は出来ない。
時間が無い。

吉野さんはこのように宣言していた。
1月11日11時11分11秒、全て1が繋がる時間帯に、「内宮の磐座」の前で、神事を行わねばならないと。

それで、正式参拝をキャンセルする決断をされた。

僕の案内で「内宮の磐座」に赴き、1月11日11時11分11秒のほんの少し前から、神事が始まった。

それは、感動的であった。

しかし、僕は何の記録もとっていない。

参加者それぞれに想いはあったろうが、僕はこの場所で100人もの人たちが、この磐座の前に集まったことが意味あると思った。
かつて、100人もの人たちが、この磐座の前に、磐座を意識して集まったことなどあっただろうか?

僕には、それだけで嬉しかった。

それ故に、いろいろと繋がって行く。

さらにこのブルー・ラインを西方向に伸ばしてみると、思いもしなかったところに行き着いた。

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岡山県東区瀬戸町に「武部神社」が鎮座。

この神社も、ネット上で偶然見つけた。

僕の名字「武部」と同じ名前の着く神社。

「建部大社」など「建部」と付く地名は多いのだが・・・。

ここにも2016年10月30日、一人で行った。(「武部神社と上ノ山-岡山県東区瀬戸町」参照)

神体山と思われる裏山は「上ノ山」という127.6mの三角点のある山。

「上ノ山」は当然「神ノ山」。

磐座が在るだろうと思って、探ってみたらやはり在った。

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武部神社と上ノ山-岡山県東区瀬戸町」よりコピー。

これより上にも磐座が続いていたが、時間切れで調査しきれなかった。

「内宮の磐座」→「姫石明神」→「家島の尾根上の磐座」と重要ポイントを繋いできたラインが、「武部神社」鎮座する「上ノ山」の中腹に至った。
磐座が在るのではないかと思われる。

なぜ「武部」と名が付く神社の鎮座する山にこのラインが至るのか、その理由はまだよく分からない。

ちなみに「武部神社」の祭神は「稲依別王(イナヨリワケノミコ)」。
「日本武尊(ヤマトタケルノミコト)」の長男とされている。

この「上ノ山」のすぐ近くの東北方向に「天神山」という山が在り、前方後円墳のような形をしている。

この「天神山」を「イエスキリストの王族の陵墓」としている。

この山にも上森さん達と、二度登っている。(「岡山の天神山はやはり聖なる山」、「再度天神山へ、そして日蓮宗-1」参照)

「天神山」には二ヵ所の祭祀場があり「日蓮宗」系らしい。

それで、「上ノ山」と「天神山」を結びそれをさらに北東方向に伸ばしてみる。

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「上ノ山」から「天神山」への水色のライン。

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「天神山」の詳細。

このラインを伸ばして行くと、意外なところに繋がる。

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神河町と市川町の境界線上にある「520mの山」に至る。
この山の尾根も方向性を持っており、ほぼ水色のラインに沿っている。

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この地図上のラインで繋がった関連付けを、どのように謎解きしたらよいのか、僕にはまだ分からない。

しかし、何故か僕の役割を示唆しているようにも思われる。

つづく

奈良県宇陀市に「三郎岳」という山が在る。

上森三郎」さんは、自分と同じ名前という事と、山の形、その位置等から、この山を重要視していたが、何故かなかなか行こうとしなかった。

僕は、別のことを調べていて、何故かこの山の名前が出て来た。

気になって、上森さんを誘った。

2016年11月6日に、田中孝子さんと共に登った。
(「宇陀市の三郎岳はピラミッドか?」参照)

登山前に「地理院地図」上で「三郎岳」を調べていると、その南側に、「ハート形のコンターライン」を示す山を見つけた。

「ハート形のコンターライン」は方向性を示し、その先には重要なターゲットが必ずある。

それで「地理院地図」の作図機能を使って、ラインを引いてみる。

二点間を繋ぐのは簡単に出来るが、方向を決めながらターゲットを探すのは、それなりの感と慣れがいる。

上森さんは、三角法などを使いながら、多様なラインを引きながら、ターゲットを探す。
それは正に、神業。
上森さん自身は、「自動書記のように描かされる!」と言っているが。

「三郎岳」の「ハート形のコンターライン」が示す方向に「上島」があった。

そしてそのライン上に、同じ宇陀市の山「伊那佐山」がある。

「伊那佐山」の山頂にも少し形は崩れているが「ハート形のコンターライン」がある。
さらに、山頂から続く稜線が、さらにその方向性を強調している。

その示す方向は「上島」ではなく、さらに北方。

もしやと思って繋いでみると、ドンピシャ。

それは、「イエスキリストの陵墓」の東側にある「ハート形のコンターライン」(以後「キリストのハート山」と記すことにする)。

見事に関連付けられた。
なぜか気になる宇陀の伊那佐山」に詳しく書いている。

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「三郎岳」と「ハート形のコンターライン」の位置関係。

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「伊那佐山」。

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「上島」にドンピシャ。

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「キリストのハート山」と「伊那佐山」の繋がり。

「伊那佐山」は「上島」と「キリストのハート山」の両方に繋がる存在。

地図上のライン引きは、我田引水式の戯言と思われる向きもあるかもしれない。

しかしこれも、数が揃ってくると、戯言では済まされない。

「位置」は極めて重要な「神聖ポイント」でもあり、「ネットワーク」を形成して行く。

勿論、「伊那佐山」にも登った。
2016年11月13日、一人で。

やはりそこにも磐座が在った。
(「宇陀の伊那佐山にはやはり巨石・磐座-1 山腹」、「宇陀の伊那佐山にはやはり巨石・磐座-2 山頂」参照)

当時、芦屋で工事をしていた。

施主に「伊那佐山」に登ったことを話すと、思わぬ方向に話は展開した。

施主の会社の創業者(会社名を言うと誰でも知っている有名会社)でご先祖の出が、その「伊那佐」。

「伊那佐村」という地名はすでに無くなっているようだが、「八咫烏神社」のすぐ側。

現地に家屋敷が残っているが、長く人が住んでいなかったので荒れているので、再建を検討しているとの事だった。

それで、その屋敷の庭の状況を調査してほしいと依頼された。

磐座探索が仕事に結びつくのは初めてだが、これは嬉しい出来事だった。

きっと僕でなければ出来ないことが待っているはずだと直感した。

今年の4月の末から、その調査に入った。

その庭には不思議な庭石が在った。

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そのには石にははっきりした陵角がある。

磐座探索時にもはっきりした陵角を持つ石・岩によく出会う。
僕はそのような石・岩を「スクレーパー」と呼んでいる。

「スクレーパー」ははっきりとした方向性を持っているので、「方位石」でもある。

この石の陵角はほぼ真東を示している。

その先に在るのは「伊那佐山の山頂」。

左手にある石もよく見ると、「伊那佐山」の左手に見える山の稜線とよく似ている。

ご先祖は、明らかに「伊那佐山」を意識して、この地に家を建て、庭を造っている。

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座敷の中央部に座ってみると、真正面に「伊那佐山」。

しかも「伊那佐山」はほぼ真東。
つまり、春分・秋分前後の太陽は「伊那佐山」を中心に登ることに成る。

この家は、春分・秋分の日の出の遥拝所でもある。

先ず、ご先祖はそれをはっきりと意識していたに相違ないと思う。

この調査するまでは、著しく樹木が茂り、山は全く見えない状態になっていた。

僕は、庭石の陵角から、「伊那佐山」が見えると推察して、かなり強めの剪定を行った。

結果、すっきりと「伊那佐山」が見え、ご先祖の意思を理解することが出来た。

この庭の石から「伊那佐山」に繋がり、「上島」と「キリストのハート山」にと繋がって行く。

勿論、ご先祖はそこまでの繋がりは意識していなかっただろう。

しかし、無意識下でそのような意識があったのかもしれない。

「伊那佐山」は、「神武天皇」とのかかわりが深い。(「宇陀の伊那佐山にはやはり巨石・磐座-2 山頂」参照)

上森さんは言う。

「神武天皇=イエスキリスト」と。

また、「イエスキリスト=大国主命」とも。

トンデモ説と捉えられがちだが、常識という既成概念を取っ払ってしまうと、この説も有り得るのだ。

僕にはまだよく理解できないが、決してこの上森説を否定はしない。

「伊那佐」と聞けばもう一つ思い浮かべるのは、出雲の「稲佐浜」。

漢字は違うが、読みはどちらも「イナサ」。

「稲佐浜」は、「出雲の神有月」に「八百万の神々」が上陸する場所。

その「稲佐浜」の「弁天岩」と「伊那佐山」を結んでみると、実に興味深い所を次々に通る。(「なぜか気になる宇陀の伊那佐山」参照)

この「伊那佐山」から延びる三本のラインを見ていると。

「神武天皇=イエスキリスト=大国主命」も有り得るように思えてくるのだ。

歴史的年代と著しく異なるなどという、野暮なことは言わないことだ。
全ては「象徴」なのだと思うから。

「上島」は思わぬ方向とも繋がって行く。

そして僕の仕事にまで繋がった。

つづく

「上島」の存在を知ったのは、「上森三郎」さんの話から。

上森さんと初めて出会ったのは、2012年5月。
一緒に聖地・磐座を求めて山に登りだしたのは、同年9月。

本格的に行動を共にするようになったのは、2013年1月から。

何時の時点で「上島」の話を聞いたのかは、忘れてしまった。

僕が「上島」を強く意識したのは、2013年12月8日に、「イワクラ学会」会員の「平津豊」さん「岡本静雄」さんと、家島諸島の「西島」と「家島」の磐座探索をしてから。
(「家島群島の磐座」参照)

「家島」の尾根上の磐座から、途中の島々に遮られることなく、真正面に「上島」を見るという体験をしたことによる。

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これがその時の写真。

この磐座と「上島」の結びつきを強く感じた。

同時に「石の神」の存在も知った。

家島群島の磐座」にも書いたが、「上島」に強い興味を持ち、「地理院地図」を眺めていて、その島の形から、ある閃きを得た。

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これは、「Googleマップ」から得た「上島」。

何の情報もない島陰だけなので、反って分かりやすい。

これは「精子」の形をしている。

「Googleマップ」では、はっきり尻尾も形として示しているが、尻尾部分は、海面下の岩礁。
大潮の干潮時ぐらいしか、海面上にはその姿を現さないのではないかと思う。

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これは、「Googleマップの衛星画像」。
これでも海中の尻尾の存在がよく分かる。

すると、「家島」の湾は「子宮」。
とすれば「家島の尾根上の磐座」は「卵子」か?

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尾根上のブルーのポイントが「尾根上の磐座」。(ブルーのラインは別項で説明する)

2016年6月21日、「夏至」に「上島」に立ち、次に向かったのは「家島」。

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「家島の尾根上の磐座」から「上島」を礼拝する「名古谷昌代」さん。

「家島の尾根上の磐座」の位置情報、
N34°40’37.12”  E134°32’16.07”  高度89.4m(誤差あり)

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写真を拡大してみると、「上島」と他の島々の位置が絶妙であることが、よく分かる。

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地図上では、この通り。

「家島」には「国生み神話」の伝承もあるようで、この絶妙な島の配置を見ると、有り得ると思ってしまう。

家島群島の磐座」を書いたのは、2014年1月8日。
このころから僕は、「上島」の話題が出ると「上島は精子だ!」と言うようになった。

今回の「上島・神事」の主宰者である「カタカムナ」研究家の「吉野信子」さんは、「上島は精子だ!」に反応したのかもしれない。

本人に確かめた分けではないが、その後の動きを見ると、どうもそのようだ。

「上島」から「精子」の印をいただいて帰る。

それが大きな目的だったのかもしれない。

それ故に、女ばかりでなく、男の僕が同行する必要があったのかもしれない。

つづく

5月16日、現場での手入れ作業中に、脚立から落ちて、腰を強打しました。

そのまま落ちれば、肩から落ちて、肩か肋骨・骨折だったでしょう。

高校時代、クラブ活動で柔道をしていました。

柔道は、受け身から始まります。

徹底的にやらされました。

それがいまだに身に染みていたのか、とっさにくるりと回って、背中から落ちました。

頭は打ちませんでしたが、腰を強打しました。

唸ってしまいました。

昔、腰を痛めていたので、その部分に激痛が走りました。

その時は、骨折はしていないと、勝手判断をしていました。

そのことをFacebookに書いたら、医者に行くよう、強烈なアドバイスをいっぱいもらいました。

電話もかかってきました。

有難いことですが、僕はいたって医者嫌い。

滅多なことでは行きませんが、強烈なアドバイス故、重い腰を上げ、近所の整形外科クリニックに行きました。

結果は、背骨の圧迫骨折でした。

三週間の安静を言い渡されてしまいました。

それは、それで致し方がない事なのですが、一つ困ったことが起きました。

排便できないのです。

いわゆる便秘です。

僕は、毎朝いとも簡単にするりと出て、便秘などしたことがありませんでした。

それが、4日間も出ないのです。

便器に腰かけても、まるで腹筋に力が入りません。

お腹が張る分けでもありませんでしたが、いささか気持ちが悪いです。

食事量もその間、極端に減らしていました。

そのことをFacebookにに書くと、「カタカムナ」研究家の「吉野信子」さんが、コメントを入れてくれました。

便秘の時は「開門!」と叫んでみましょう。数霊「111」で振動が伝わってくるとopenします!(^_-)-☆

と。 
このコメントをいただいた時には、すでに出ていたのですが、その後しばらくは、「開門!」が遅いのです。

それで、叫ぶまではしませんでしたが「開門!開門!」と何度か呟いてみました。

何と無く、効く気がしました。

その後は、毎朝きっちり出てくれています。

もし、便秘でお困りの方がいれば、

「開門!」

を、お試しください。

本当にありがたい、アドバイスでした。

感謝の気持ちでいっぱいです。

やっぱり身体が動かなくなると、いろんな事に気付きます。

その気づきを、呼び覚ますために、カツを入れられたのかもしれません!

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