昨日2015年4月10日、「イワクラ学会」事務局からメールが届いた。
その文面は僕自身も危惧していたことだった。
西宮市に「越木岩神社」という古社が有る。「甑岩」という大きな磐座が有り、この磐座が社名(字は違うが)でもあり本体。境内には巨石がゴロゴロあり、全て磐座。
越木岩神社の北側は「北山」、その東側は「目神山」、さらにその北側には「甲山」が有る。また、甑岩神社の西側は「六甲山」の東南部の山麓。この辺りには沢山の磐座が有る。
しかし、これらの場所は高級住宅地として開発され、今や住宅とマンションが林立している。山麓なので坂道ばかり。店舗もほとんどなく不便なところと思われるが、なぜか財を成した人達が集まってくる。
元は風光明媚なところであったろうが、今や住宅地としてその風光を楽しめるところはごく限られている。
なぜ財を成した人達が集まってくるのが不思議でならないが、その要因の一つが「磐座」ではないかと思っている。その場の持っているパワーに惹かれてくるのではあるまいか。
しかし、その集まってくる人達が、磐座の持つパワーに何となくでも気付いている人は少ない。購入した敷地内に大きな岩が出てくれば、邪魔物として破壊し、石垣用の石として使ったり、小型のものはそのまま庭石として使ったりしている。
また屋敷内に有る岩の重要性を知り、その岩を大事にしている人もいる。
越木岩神社の隣に女子短大が有り、経営難から売却され、すでに旧校舎が解体され更地になっているのは知っていた。
Googleマップの衛星写真から取得した、越木岩神社周辺。越木岩神社の東北側が更地になったマンション建築予定地。
中央部とその南側の緑の部分に「磐座」が有るのを僕も確認している。
中央部の緑の部分をさらに拡大してみると、岩らしいものがいくつか見える。
その南側の緑の部分にはかなりはっきりと茶色っぽい岩が見える。
元短期大学の敷地はかなりの高低差が有り、緑の部分は東側が低く西側が高い。
昨年2014年4月13日、越木岩神社に行った折、更地になった旧短大跡地が気になって覗いてみた。
黒松が生え分かりにくくはなっているが明らかに岩が有る。
このような岩の繋がりも。
このようにかなり大きな岩もあるが、一部は削り取られてしまっている。この岩は中央部の緑の中に有るものだったと記憶している。
松の木で全体は分かりにくいが纏まって岩が有り、霞んで分かりにくいが、大阪湾が一望できる。この部分は南側の緑の部分だったと思う。
僕はこの岩の纏まりを「磐座」だと感じる。
一部破壊されてはいるものの、形の良い岩だと思う。
かつて女子短大が建設されたころは、この岩を重要視して破壊せず、校内の景観としていたのだろう。
北山の岩も見える。今は樹木が多い茂ってしまって、多くの岩は隠されてしまっている。この辺りは単なる岩山ではなく、超古代、極めて重要な祭祀場所であったのではないかと思う。今はそのごく一部、「越木岩神社」だけがその名残として祀られている。
祭祀されていたことを証明する文献を見つけるのはかなり難しいのではないかと思う。証明は出来なくとも、重要な岩であることは間違いなかろう。
開発業者にとっては、このような岩はただの邪魔物に過ぎないかもしれない。破壊するのにかなりの費用が必要であっても、マンションの戸数を多くすれば利益が上がるとの算段もしているかもしれない。
しかし間違いなく、パワーの源でもある岩「磐座」を破壊すると、何らかの祟りが有ると思っていたほうが良い。
越木岩神社にもそのような伝承が残っているし、鷲林寺近くの「道路のど真ん中に有る磐座」がそれを物語っている。
「大阪城の豊臣石垣」に越木岩神社に伝わる伝承も書いた。(以下それよりのコピー)
西宮市にある越木岩神社の境内に、興味深い案内板がある。
「この神の鎮まる霊石を大坂城築城のために切り出そうと、村人たちの静止の懇願にかかわらず、豊臣秀吉が石工達にめいじて割らせていたところ、今にも割れんとする岩の間より、鶏鳴し、真っ白な煙が立ち昇り、その霊気に石工達は、岩諸共転げ落ち倒れ臥し、いかにしても運び出せなかったと伝えられています。」と、案内板には書かれている。
越木岩神社周辺や、その上部の目神山、北山、芦屋の六麓荘周辺、六甲山系からも、おびただしい量の石が切り出されていたようで、その痕跡を今も見ることができる。
豊臣秀吉の弁護をするわけではないが、越木岩神社境内にある岩を割るように命じたのは、おそらく秀吉ではないだろう。発掘された秀吉時代の石垣を見ると、殆どが自然石。割り石を使ったのは江戸期に入ってから。大名の印が残されているのもそれを物語っている。
目神山の磐座を破壊した事例でも、その家に病人が絶えないとか、逼塞したといううわさが絶えない。
僕は磐座を破壊することによって祟りが有るかどうか判断できない。しかしそのような伝承が各地に残されていること自体、磐座の重要性を示すものと思っている。
破壊すると、元に戻すことは出来ない。この旧短大跡地に残された磐座を、どのように扱うか、開発業者はいろんな意見を聞いて、慎重に対処すべきだろう。
マンションが建つこと自体は避けられないだろうが、この磐座を景観の一部として大事に残し、利用することは難しいことではない。そうすることによってマンションの付加価値を高めることも出来るのではないかと思う。
Vol-1・・・2015年4月11日
Vol-2・・・2015年4月12日
Vol-3・・・2015年4月25日 越木岩神社からのメールの内容を削除しました。
その文面は僕自身も危惧していたことだった。
西宮市に「越木岩神社」という古社が有る。「甑岩」という大きな磐座が有り、この磐座が社名(字は違うが)でもあり本体。境内には巨石がゴロゴロあり、全て磐座。
越木岩神社の北側は「北山」、その東側は「目神山」、さらにその北側には「甲山」が有る。また、甑岩神社の西側は「六甲山」の東南部の山麓。この辺りには沢山の磐座が有る。
しかし、これらの場所は高級住宅地として開発され、今や住宅とマンションが林立している。山麓なので坂道ばかり。店舗もほとんどなく不便なところと思われるが、なぜか財を成した人達が集まってくる。
元は風光明媚なところであったろうが、今や住宅地としてその風光を楽しめるところはごく限られている。
なぜ財を成した人達が集まってくるのが不思議でならないが、その要因の一つが「磐座」ではないかと思っている。その場の持っているパワーに惹かれてくるのではあるまいか。
しかし、その集まってくる人達が、磐座の持つパワーに何となくでも気付いている人は少ない。購入した敷地内に大きな岩が出てくれば、邪魔物として破壊し、石垣用の石として使ったり、小型のものはそのまま庭石として使ったりしている。
また屋敷内に有る岩の重要性を知り、その岩を大事にしている人もいる。
越木岩神社の隣に女子短大が有り、経営難から売却され、すでに旧校舎が解体され更地になっているのは知っていた。
Googleマップの衛星写真から取得した、越木岩神社周辺。越木岩神社の東北側が更地になったマンション建築予定地。
中央部とその南側の緑の部分に「磐座」が有るのを僕も確認している。
中央部の緑の部分をさらに拡大してみると、岩らしいものがいくつか見える。
その南側の緑の部分にはかなりはっきりと茶色っぽい岩が見える。
元短期大学の敷地はかなりの高低差が有り、緑の部分は東側が低く西側が高い。
昨年2014年4月13日、越木岩神社に行った折、更地になった旧短大跡地が気になって覗いてみた。
黒松が生え分かりにくくはなっているが明らかに岩が有る。
このような岩の繋がりも。
このようにかなり大きな岩もあるが、一部は削り取られてしまっている。この岩は中央部の緑の中に有るものだったと記憶している。
松の木で全体は分かりにくいが纏まって岩が有り、霞んで分かりにくいが、大阪湾が一望できる。この部分は南側の緑の部分だったと思う。
僕はこの岩の纏まりを「磐座」だと感じる。
一部破壊されてはいるものの、形の良い岩だと思う。
かつて女子短大が建設されたころは、この岩を重要視して破壊せず、校内の景観としていたのだろう。
北山の岩も見える。今は樹木が多い茂ってしまって、多くの岩は隠されてしまっている。この辺りは単なる岩山ではなく、超古代、極めて重要な祭祀場所であったのではないかと思う。今はそのごく一部、「越木岩神社」だけがその名残として祀られている。
祭祀されていたことを証明する文献を見つけるのはかなり難しいのではないかと思う。証明は出来なくとも、重要な岩であることは間違いなかろう。
開発業者にとっては、このような岩はただの邪魔物に過ぎないかもしれない。破壊するのにかなりの費用が必要であっても、マンションの戸数を多くすれば利益が上がるとの算段もしているかもしれない。
しかし間違いなく、パワーの源でもある岩「磐座」を破壊すると、何らかの祟りが有ると思っていたほうが良い。
越木岩神社にもそのような伝承が残っているし、鷲林寺近くの「道路のど真ん中に有る磐座」がそれを物語っている。
「大阪城の豊臣石垣」に越木岩神社に伝わる伝承も書いた。(以下それよりのコピー)
西宮市にある越木岩神社の境内に、興味深い案内板がある。
「この神の鎮まる霊石を大坂城築城のために切り出そうと、村人たちの静止の懇願にかかわらず、豊臣秀吉が石工達にめいじて割らせていたところ、今にも割れんとする岩の間より、鶏鳴し、真っ白な煙が立ち昇り、その霊気に石工達は、岩諸共転げ落ち倒れ臥し、いかにしても運び出せなかったと伝えられています。」と、案内板には書かれている。
越木岩神社周辺や、その上部の目神山、北山、芦屋の六麓荘周辺、六甲山系からも、おびただしい量の石が切り出されていたようで、その痕跡を今も見ることができる。
豊臣秀吉の弁護をするわけではないが、越木岩神社境内にある岩を割るように命じたのは、おそらく秀吉ではないだろう。発掘された秀吉時代の石垣を見ると、殆どが自然石。割り石を使ったのは江戸期に入ってから。大名の印が残されているのもそれを物語っている。
目神山の磐座を破壊した事例でも、その家に病人が絶えないとか、逼塞したといううわさが絶えない。
僕は磐座を破壊することによって祟りが有るかどうか判断できない。しかしそのような伝承が各地に残されていること自体、磐座の重要性を示すものと思っている。
破壊すると、元に戻すことは出来ない。この旧短大跡地に残された磐座を、どのように扱うか、開発業者はいろんな意見を聞いて、慎重に対処すべきだろう。
マンションが建つこと自体は避けられないだろうが、この磐座を景観の一部として大事に残し、利用することは難しいことではない。そうすることによってマンションの付加価値を高めることも出来るのではないかと思う。
Vol-1・・・2015年4月11日
Vol-2・・・2015年4月12日
Vol-3・・・2015年4月25日 越木岩神社からのメールの内容を削除しました。











コメント
コメント一覧 (10)
これはあくまでも僕個人の見解です。
手続き、法律、科学的見地、文化的見地に照らせ合わせて正統に反論するのは、おそらくかなり難しいと思います。
あまりにも資料がありません。過去の神社側の対応もまずいです。また神社間や神社庁の協力もあまり望めないようです。
客観的な見地で、磐座の重要性を論じるのはかなり難しいと思います。神様が宿るといっても、それを感じる人もおれば全く何も感じない人もいます。
だとしても沢山の磐座を探訪していますと、僕自身もその存在の意味をやっと薄ら感じ始めているところです。磐座に興味のない人にとってはそれはただの邪魔物の岩でしょう。でも何かあるのです。ところがそれを立証することは、極めて難しいことでしょう。
壊してから、やっぱりとなるケースが考えられます。
創建側もあの岩を生かす方向で計画する方が、将来的にはよほど得だと思います。
しかしまったく聞く耳は無いようです。
壊して工事を完成してから「あ、やっぱり!」となってしまう公算も考えられます。
そうなってしまうと全てが悪い方向に向かってしまいます。
そうならないためにも、僕は磐座情報を流してゆくしか手がないのが現状です。
心強いコメントありがとうございます。
磐座を破壊すると知って、地鎮祭を行う神官もいないのじゃないかとさえ思えます。もし地鎮祭を行う神官がいたら、正に笑いものです。
経済だけで物事が進む時代は、そろそろ終わりに近づいているようにも思えます。
どのように展開して行くかわかりませんが、良き方向に向かうことを願うばかりです。
嘆願書の署名も沢山集まっているようです。イワクラ学会理事の平津さんのブログによると19,000人を突破したとのことです。http://ameblo.jp/jet-2012/
さて、主様の指摘にもありますが、文化遺産とか歴史遺産とか言う以前に、やはりこういうものに手を出しちゃいかん!と思うわけです。個人的には、盤座が破壊されようと無事だろうと今後の生活に大きな影響があるとは考えません。それでもダメだと思うのです。昨年の広島の水害然りで、昔の土地の名前を知って皆がゾッとしたのと同じことです。阪神大震災の時に大きな被害に遭ったのも、河川の流れを人工的に変えた場所や海だったところを埋め立てた土地なわけで、まだまだ科学では十分解明できていないことがいっぱいある(痛い目を見て初めてそこに気づく)。京都や奈良がWWⅡで爆撃されなかったのも、そこに鎮守の森や盤座が存在するのも、単なる偶然ではない、そこに人智を超えた太古の知恵が存在するからだと思います。
主様の本ブログを見て更に思ったことがあります。6枚目の写真で岩が削り取られていますが、これが無かったら夙川短期大は今でも存続できていたんじゃないか?そう思うと、盤座爆破の後に住むマンション住民にも何らかの不幸が訪れるであろう、建設業者もその責任を問われることになるだろう…そう思わざるを得ません。
盤座を保存することで、マンションの設計が変更になったり工期が遅れたりする等、業者にはデメリットもあるのでしょうが、
盤座を破壊することのデメリットに比べれば微々たるものなのだろうということは十分予想されます。
でなきゃ、建設の際にわざわざ酒撒いて、地鎮祭やる意味もないですよね!この業者がもし、爆破の後に地鎮祭やったら…バカ以外の何者でもありませんね。
何かの御縁かと思います。興味を持っていただき、ありがとうございます。
磐座は次々に繋がるものだと考えています。破壊はその繋がりを切ることになってしまいます。太古、この繋がりを知っていた人たちがいたのではないかと思っています。今の時代、磐座から何かを感じる人は極めて少なくなってしまっています。僕も磐座に興味は持っても、その奥底はまだわかりません。しかし何かあると感じています。未来の人たちのために残さねばならないものの一つではないでしょうか。
ただ何も感じないから、不要なものとして破壊してしまうのは、大きな過ちに成ってしまいそうです。
磐座保存のために、多くの方々が注目していただけるとありがたいです。
関係の薄いサイトで知って驚き、検索してここに来ました。
近所に住んでいますが(たぶん昔の境内内です)駅周辺なので神事以外神社には行っておらず、
署名活動があったことも知りませんでしたし、正直知らされていなかったことにショックです。
明日第一次〆なんですね。
こういった古代の宿神信仰跡を消してしまうなど愚の極致です。
宿神信仰から大国主西神社へ、また戎神信仰への変遷の不思議が残る大変稀有な証拠となる祭壇を守るのは日本人の民俗学見地から大変重要なことと思います。
これがなかったことにしたい方々も大勢いると思いますが、守るべきと思います。
コメントでのお知らせありがとうございます。
先日は行けなくて残念でした。
僕に協力できることが有れば、それなりにさせていただきます。
今はまだ世間一般にはなかなか理解してもらえませんが、磐座には人の根幹にかかわる重要性があると僕は確信を持っています。人と地球、人と宇宙との繋がりのポイントだと思うようになってきました。それが世界中に張り巡らされていたのが、次々に破壊されていっています。
これ以上破壊されてしまうと、人と地球・宇宙との繋がり、コミュニケーションも出来なくなってしまうのではないかとさえ思います。
これからも、訳が分からないなりに、この重要性(つまり面白さ)を訴えて行こうと思っています。
今後ともよろしくお願いします。
イワクラ学会の平津です。(武部さん割り込んですみません)
武部さんは、所用で来られませんでしたが、昨日、越木岩神社で打ち合わせをいたしました。
イワクラ学会としても協力することになりました。詳細は、学会のホームページ゛でお知らせしていきます。
以前から調査している場所なので、越木岩神社が重要な場所である事を訴えていきたいと思います。
甑岩と鳥のような磐座(下から2つ目の写真)、そして東翼の磐座との位置関係、ならびに北山公園の太陽石と陽石との関係については、嘆願書に利用すべく準備中です。そのあたりは、私のfacebook等でも詳しくお知らせしていきたいと思っています。
元短期大学の敷地に有る磐座は、今は更地になり白っぽく見えている部分の、中央部の緑の部分とその下の緑の部分に有ります。
越木岩神社の甑岩は本殿の真裏の方向に有り、さらにその上部(北側)には沢山の磐座が連なっています。
越木岩神社と旧短大の間にはフェンスが有りますが、覗き込むことは可能です。
この記事の反響が大きかったので、Googleマップの衛星画像をさらにアップしたものを付け加え書き足しました。
なんとか磐座が残ればいいがと思うばかりです。