空海」の生誕地は通常、香川県善通寺市とされているが、他にもいろんな説があるらしい。

数か月前から、上森三郎さんが不思議なことを言いだした。
「空海さまが生まれたのは善通寺ではなく、徳島県勝浦の星の岩屋近くで、母親がマオという名前を付け、後に佐伯氏に養子に出された。空海さまからその生まれた場所を特定するように命じられている。」と言う。「さらにその場所を特定するのは上森では無理で、武部でなければ出来ない。」 と言う。
 
いずれ行かねばならないので、一緒に行ってほしいと言っていた。
僕には何のことかさっぱり分からないばかりか、ある種のプレッシャーが掛けられていた。
ただすぐに行動を起こさなくてもよかったようで、今回の「徳島県美馬市麻衣のシリウスの山」探索を兼ねて行くことになった。 

8月16日、天気予報は雨だったが、なんだか持ちそうだったので、まず宿舎の近所の「上一宮大麻神社」に行った。 

「上一宮大粟神社」では多くの発見とと共に、謎が深まるばかり。その謎には「空海さま」も絡んでくる。

勝浦町の「星の岩屋」には「イワクラ学会」の「イワクラ・ツアー」で行ったことがある。その時は盛りだくさんだったので、奇勝な聖地位の印象しかない。

運転は上森さんが自車で終始してくれた。 「星の岩屋」に近付くにしたがって、道は狭く曲がりくねっている。上森さんはこのような道は苦手らしい。僕はこのような道が大好きなので、本来なら運転を変わるつもりであったが、いささか体調不良で、それは口にしなかった。

通常「星の岩屋」で知られている「星谷寺(ショウコクジ)」は第19番札所「立江寺 (タツエジ)」の奥の院。本尊は「十一面観音」だそうだ。
この場所は何といっても滝と洞窟。滝が4段ぐらいに落ちている。その上から2段目の奥が洞窟になっている。

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2段目と3段目の滝。

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2段目の滝の奥が洞窟になっていて、難なく入り込める。
岩壁に不動明王の磨崖仏が彫られているので「不動の滝」と呼ばれているが、洞窟内に入ると滝を裏側から見る形になるので「裏見ノ滝」ともいうようだ。 

洞窟の中には、仏像や祠が色々祀られているが、何を祀っているのか僕にはよく分からない。ここでは神仏混淆。山奥なので明治時代の悪事「神仏分離令」が及ばなかったのか?

洞窟の前には壁のように巨岩がそそり立ち、その上に社がある。

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岩の上に社が見える。

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いかなる神が祀られているのか知らないが、型通りの挨拶。巨岩の上に社、よく見る光景。本来は岩そのものに神が依り付いている、「磐座」。社が造られることによって「磐座」の存在意義がぼやけてしまう。

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滝の前には「空海像」。この空海さま傘を被っていない。その背後に「不動明王の磨崖仏」。

そして空海像の斜め前には「大師堂」。
大師堂に掛けられている三つの扁額を見て驚いた。

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中央に「弘法大師」、向かって右に「大黒天」、左に「白髭稲荷大明神」。
上森さんは「大黒天=大国主命=イエス・キリスト」と言っている。
「白髭」は「猿田彦」。上森さんは「稲荷=イエス・キリスト=猿田彦」とも言う。僕には何のことやら分からない。
ところが、上森さんが導かれている謎解きとここではすべてが符合する。
僕も極めてややこしい難問に足を突っ込んでしまった。

僕はがぜんこの「大師堂」の裏側が気になった。

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やはり岩が有る。

荒れてはいるが、登り道もある。 導かれるように一人登る。

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次々に岩。期待が膨らむ。

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岩の庇の下に「役小角」が祀られている。「役小角」も謎解きのキイ。

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巨岩累々で、まるで「修験道」の 行場。「役小角」が祀られている意味も分かる。
この地は「空海の行場」だけではなく、それ以前からあるいは超古代からの聖地であり行場であったのかもしれない。

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クサリの張られた難所に出くわす。
ますます期待が深まる。

クサリ場の難所を越えると急に視界が開け明るい場所に出る。

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何とすごいものが祀られている。「倶利伽羅龍王(クリカラリュウオウ)」。「不動明王」が持つ剣。
写真を拡大してみると、背後の石版の上部には「劔山」の文字が読める。
ここが何を意味するのかよく分からないが、特別な場所であることに違いはないだろう。
この場所の一連の石像品はさほど古いものと思われない。横の石碑には「昭和十二年十月吉日」の文字が見えるので、それがこの「倶利伽羅龍王」の建立した年だろう。建立者の名前も見えたがよく判読できない、どうも女性らしい。

この場所が、上森さんが探すよう命じられた「空海誕生の地」であろうか?

南東に開けた場所で、iPhone6で撮影した写真の位置情報によると、N33°56’56.29” E134°30’53.83” 高度305.63m

「星の岩屋」付近はあまり見通しが効かない。この場所は見通しが効く。
このような難所を「空海の母親」はわざわざ産屋として選んだのであろうか?

一つ言えることは、上森さんや田中さんではまずこのような場所を探ろうとはしないだろう。僕は「石・岩・磐座」の匂いというか、魅力にひかれてここまで登って来た。上森さんが言っていた「武部でなければ見つからない!」のは事実。
それにしても先人はこの場所の重要な意味を知って「倶利伽羅龍王」を建立し行場としたのであろうか?

とりあえず上森さんたちを呼びに、「不動の滝」まで降りる。そして二人を案内して再び上る。

上森さんたちは感激してくれた。

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凄まじい形相の「剣に巻き付いた龍」。この形何かに似ている。

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デザイン的な違いはあっても、よく似ているではないか。
旧約聖書に出て来るらしい。

モーセは青銅で一つのへびを造り、それをさおの上に掛けて置いた。

「旧約聖書・民数記」に出て来るようだ。

曽爾高原の亀山」でも上森さんが描いた「カバラ」を紹介したが、このカバラにも蛇が巻き付いている。

08-16カバラ
「古代知恵と賢者の石の秘儀!」というブログの「生命の樹にみる上昇と下降の流れ」に素晴らしい図像を見つけたのでコピーさせていただく。(本文も素晴らしいので、ぜひリンクを辿って読んでみてください。)
カバラに巻き付いたエネルギーを感じる蛇。

この画像はウイキペディアの「クンダリニー」から拝借したが、「クンダリニーのシンボル」を表している。
その説明によると、「人体内に存在する根源的生命エネルギー。宇宙に遍満する根源的エネルギーであるプラーナの、人体内における名称であり、シャクティとも呼ばれる。」とある。

要するに巻き付いた蛇や龍は、根源的なエネルギーを表しているのであろう。

こう解釈すると、この場所は「空海」誕生の地としても相応しいように思う。

そしてもう一つは「明けの明星」、つまり「金星」。この場所は先の位置情報によると高度300m強。前方に山があるが、「明けの明星」が見える可能性がある。
「明けの明星」は「虚空蔵菩薩」の化身とされている。

「虚空蔵求聞持法」は「虚空蔵菩薩の真言」を百日かけて百万回唱えるという荒行で、これを修した行者は超人的な記憶力を得るとされている。
「空海」は何度も「虚空蔵求聞持法」を修しているようで、室戸岬の洞窟に籠って修した時「明けの明星」が口の中に飛び込んだという伝説がある。

「明けの明星」について調べていて、興味あることに気付いた。「明けの明星」はラテン語で「ルシファー」あるいは「ルシフェル」というらしい。
そして「ルシファー」は正統キリスト教において、光をもたらす者という意味をもつ「悪魔・堕天使」の名だという。

「星の岩屋」の伝承として、ウイキペディアにこのような記述がある
その昔、人々に災禍をなしていた悪星を空海(弘法大師)が法力で地上に引き下ろしてこの岩屋に封じこめたところ、悪星が石と化したため、この石を祀ったといわれている。

この悪星とは、天空高く上がることのない「明星」を指しているのであろうか。「明星=金星」は今も輝いているから、あるいは彗星を指しているのであろうか。
滝の前の大岩がそれであり、岩の上にある社に、悪星が封じ込められているのであろうか。

洋の東西で相反する意味の「明けの明星」と上記の伝承から、「景教」(原始キリスト教)の影響を受けているといわれる「空海」の立場が偲ばれるような気もする。
「倶利伽羅龍王」の有る空間の明るさに比べて、僕は「星の岩屋」の環境は何となく陰湿で暗く感じる。
謎が深まると共に、「星の岩屋」の景観の複雑さに色々な思いが重なる。この場所は決して単純ではなさそうだ。


上森三郎さんの8月17日のブログ「空海様の生誕地へ」で、下記のように書いている。

空海様について神様は私に次のようなことを教えてくれます。
774年7月16日 徳島県勝浦町の星の岩屋で生まれた。
そして1歳7ヶ月の頃、香川県の善通寺の佐伯家へと養子に行った。
実母が「マオ」とカタカナで名を付け、佐伯家が「真魚」と名付けた。
父母は、秦氏の血統である。
現在の暦で、835年4月22日(旧暦3月21日) 入定。
入定して15日目にそこを抜け出し、36日もの間、生野、神河へと行って帰って再び元の座に座り、
心臓が止ったのは 835年7月31日でした。 享年61歳
身長163cm。 血液型はO型である・・と。

この信憑性については僕には判断できない。立証すrべき事はなにも見いだせないが、 しかし上森さんが示す場所に行って見ると、何やらそれも有りそうな気がする。

僕が撮り忘れた、この場所からのビューを上森さんはきっちり撮影している。
 
08-16上森
そして下記の言葉を書いている。

空海様はこのような情景の見えるところでお生まれになり、1歳7カ月ほどで善通寺の佐伯家に養子に出されたと私に告げられます

全てが極めて具体的。

帰りがけ最下段の滝の写真を撮った。

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今は滝行をするために流れが変えられてしまっている。

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そのためにこの壺に水が流れ込まず、壺は枯れ死んでしまっている。
水が流れ込んでおれば、この壺からもう一段滝が落ちるはずだ。

そうだとすると、それは「亀ヶ壺」とそっくりではないか。
3014年7月2日に行った記録は「亀ヶ壺探索」に書いた。リンクを辿って読んでいただけるとありがたい。

地形、位置情報はなぜかリンクする。