11月6日、「上森三郎」さん達と「三郎岳」に登って気になったのは、「伊那佐山」。

「伊那佐山」から出雲の「稲佐浜」を連想して、「なぜか気になる伊那佐山」を書いた。 

「地理院地図」にも山頂に鳥居マークが付いている。神社がある。

調べてみると「都賀那岐神社(ツガナキジンジャ)」というらしい。

祭神は、「高龗大神(タカオカミオオカミ)」と「頬那芸神(ツラナギノカミ)」という事らしい。
水に係わる神らしい。

僕にとっては、まず「磐座」。

ハイキング記録を調べてみると、多少石が出てくるが、殆どのハイカーは石・岩などあまり興味はないようなので、参考程度にしかならない。

「伊那佐山」と「稲佐浜」の「弁天島」を、地理院地図上で繋いでみると、そのライン近辺に、次々と重要な聖地が現れる。

「伊那佐山」が重要ポイントだという事を表している。

やはり行って、直に調べないと分からない。

それで、11月13日一人で出かけてみた。

スマホのカーナビアプリで「八咫烏神社」を行く先に指定すると、一発でヒットした。 

「八咫烏神社」へは前回11月6日に上森さん達と来ているが、再度チェック。

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二の鳥居のど真ん中に「伊那佐山」が収まる。

「八咫烏神社」は、「伊那佐山」の遥拝所のようにも思える。

「八咫烏神社」の本殿は、鳥居の向きとは直角に折れ曲がり、高い場所にあり、ほぼ北を向いている。

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階段の両側の樹木の奥に、赤い本殿の門が見える。

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朱塗りの本殿には明るさを感じる。 

祭神は「建角身命(タケツノミノミコト)」またの名を「八咫烏大神」。
加茂族の祖先とされる。

古事記、日本書紀の「神武東征神話」の影響を大きく残している場所なのだろうけれど、僕はなんとなく違和感を感じている。

「八咫烏神社」の二の鳥居の真正面には、「橿原神宮遥拝所」がある。

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広い空間を取っているが、かなりの湿地。

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「伊那佐山」と重ねてみる。

「伊那佐山」-「橿原神宮遥拝所」-「橿原神宮」を地理院地図上で繋いでみたが、若干ずれる。

ここから、「伊那佐山」を目指す。

地図でルートは調べていたが、車を少し走らせると、登山口を示す看板が在った。

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榛原山路の登山口。

案内標識も多く、ハイカーも多い。
登山道も歩き易い。

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歩き始めてすぐに現れた石碑。

梵字が書かれている。

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不動明王を表す「カーン」であろうか。

さらに登ると「山神」。

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「伊那佐山」が古来強い信仰の山であったことが分かる。

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道標と鳥居。

これより神域。

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道標には「嶽大明神」とある。

僕にはこれがまだ理解できない。

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石鳥居も立派なもので「大正十四年四月建之」とある。

周囲は植林されているが、どの木もヒョロヒョロ。

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今回初めて出て来た石組。
小さいが、僕には意図的に組まれているように見える。

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一丁毎に立てられている「丁石」。
さほど古いものではないと思う。

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また現れた道標。
この様な細い山道も、かつては村々を繋ぐ街道であったのだろう。

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左手の斜面に、かなり大きな石・岩が現れる。

斜面をよじ登って観察。

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これは人面岩ではないか。

位置情報
N34°30’13.66”  E135°57’57.61”  高度541.2m(誤差あり)

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少し横から。

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アップ。

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さらにアップ。

人工的に作られた、抽象彫刻のよう。

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顔の左側のエッジ。
シャープなラインで、全体的に南面している。

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この様な溝も。

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人面の上部。
ここは自然のまま。

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切り取ったコッパのような石が転がっている。

自然のなせる業か、それとも人か?

登山道へ戻り、さらに登って行くと、このような石が現れる。

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登山道を挟むように据えられたと思われる石。

僕はこのような石に、今まで沢山であって来た。
それは上方の「聖地」、「磐座」に誘うような道標(ミチシルベ)と僕は思っている。
必ずそれが存在するから。

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これも同様。

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この石はごく小さいが、その丸みや割れ方が、僕には興味深い。

さらに登ると、また登山道の左手に、植林に隠されてはいるが、かなり大きな岸壁が目に留まる。

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写真では非常に分かりづらいが、石・岩・磐座を探し求めている僕には、直ちに目に付く。
長年の経験からの感と技術であろうか?

見付ければ、少々の急斜面でも確認に傍まで行く。

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高さは10m強あるだろうか、柱状節理の岸壁。

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植林された杉・檜によって隠されてしまっているので、影が多くコントラストが強い。

もし植林されていないなら、この岸壁もちょうど12時前の日の光を受けて輝いているはずだ。(撮影時間は11時40分)

この岸壁も南面している。

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この様な窪みもあって面白い。

位置情報
N34°30’14.75”  E135°58’1.35”  高度599.8m(誤差あり)

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登山道脇にこのような石も。

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この様な石の連なりも。

登山道はつづら折れ。

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丁石も二丁。
間もなく山頂稜線。

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目の前が山頂稜線。
手前には「道標の石」。

ここで、例によって「地質図Navi」による地質表示。

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ブルーのラインが、山腹部の登山道。

地質は三種類。

紫色部分は

前-後期白亜紀(K1-2)の花崗閃緑岩
説明: 約1億2000万~9000万年前にマグマが地下の深いところで冷えて固まった花崗閃緑岩

とある。

ブルー部分は

前-後期白亜紀(K1-2)の苦鉄質深成岩類
説明: 約1億2000万~9000万年前にマグマが地下の深いところで冷えて固まった斑れい岩質の深成岩

とある。

黄色部分は

中期中新世-後期中新世(N2)の火山岩類(非アルカリ火砕流)
説明: 約1500万年前~700万年前に爆発的噴火により高速で流れ下った軽石や火山灰(火砕流)

とあり、山頂部分の地質が一番新しい。

赤のラインは、山頂稜線部。

ここの地質は黄色部分で、「三郎岳」と同じ。
(「宇陀市の三郎岳はピラミッドか?」参照)

この赤のラインで示した山頂稜線部は実に面白い。


つづく