上森三郎」さんの7月4日のブログ記事「磐座や神社や寺院は、大切な場所を教えていました」に触発されて、「地理院地図」上で検証してみた。

上森さんは、兵庫県神崎郡神河町の「太田ダム」の近くに在る、前方後円墳のように見える山を「イエスキリストの陵墓」と言っている。

当ブログでも、何度も取り上げている。

その山のすぐ東側に、綺麗な「ハート形のコンターライン」が「地理院地図」上に浮かび上がっている。

これを「イエスキリストのハート山」と呼んだりしている。

上森さんは、このイエスキリストの陵墓」のさらに東側にある「779mの山」を「卑弥呼の陵墓」としている。

この山の頂上部は、何処から見てもドーム型に見え、近くには磐座もある。

この「イエスキリストの陵墓」と「卑弥呼の陵墓」を繋いだラインから、「直角三角形」になる明瞭なポイントを、上森さんが探し当てた。

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上森さんが「地理院地図」上に書いた直角三角形を、僕も書いてみた。

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上部の左側が「イエスキリストの陵墓」。
この角が90°。

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「779mの山」が上森さんが「婀月山」と名付けた「卑弥呼の陵墓」

結んだ赤ラインが「ハート形」の真ん中を通る。

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「直角三角形」のもう一方のポイントは、「七種三山」の中央部にある「554mの山」。

「七種三山」とは、主峰の「七種山」、東側にあるのが「七種槍」、南側の山が「薬師峰」で上森さんはこの山を「千鶴山」と名付けている。

「七種山」と「千鶴山」には、2016年6月4日に上森さん達と登っている。
いずれも三角形に尖った山で、厳しい上り下りを強いられる山だった。

今回上森さんが見つけた「554mの山」は、主峰の「七種山」から南東方向に伸びる尾根上にある。

谷に取り囲まれ、さらに「七種三山」に取り囲まれている。

この山容は、淡路島で見つけた「勾玉山」によく似ている。

上森さんが予測している通り、この「554mの山」もきっと意味ある山だろう。

この検証をしながら俄然気になったのは、「イエスキリストのハート山」。

「ハート形のコンターライン」には方向性があり、必ずその示す方向に重要ポイントがある。

ところが、肝心のこの「ハート形のコンターライン」について、その示すところのターゲットをまだ調べていなかった。

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丹後半島の東海上に向かう事は、予想が付いた。

さすれば「大本」の聖地とする若狭湾の「冠島・沓島」か?

先ず「冠島」の「168.8mの山」と繋いでみる。
少しずれている。

続いて「沓島」の「74mの山」。
これもまだ不十分。

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それでさらに北側にある岩島の「80mの釣鐘岩」と繋いでみる。

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「イエスキリストのハート山」を調べると、ラインはピッタリ。

殆ど何も知らないので、まず「ウイキペディア」で「沓島」について調べてみた。

地勢
面積約9,700m2。
棒島(南)と釣鐘島(北)の二島からなる安山岩の島。
中新世の安山岩類から成っており、まさに自然の宝庫である。北端には釣鐘岩と呼ばれる標高89mの岩礁がある。島は四方が断崖絶壁で切り立った急崖である。
海底地形は、冠島と沓島両島の東側は比高60m以上の急崖を形成しており、南北走向の断層が推定される。それ以外の島周辺の海底は水深100m程度の平坦な大陸棚地形を形成している。
大宝元年(701年)、大地震によって大きな島が水没し、その頂部のみが残って冠島と沓島になったという記述が『丹後国風土記残欠』にある。しかし、この地震は記事の内容から推定されるほど大規模なものではなかったとされている。

とある。

さらに読み進むと、面白いことが書かれている。

大本教関連の伝説
明治34年5月、大本教の開祖・出口なおが当地に渡島し、大本教で聖地としている場所から持ち込んだ神水(金明水)と、元伊勢の水を釣鐘岩の絶頂から眼下の海に散布したらしい。
明治38年5月に、当地にこもり(「沓島ごもり」と言われている)、世界の平和を祈願。大本教内部では、この祈願によって日露戦争日本海海戦に勝利できたと伝えている。

とある。

「開祖・出口なお」が80mの「釣鐘岩」に登っていたらしい。

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「Googleマップ」衛星写真で見た「沓島」。

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「釣鐘島」の北部をアップしてみる。
どれが「釣鐘岩」か分からないが、この岩島は、周囲が正に絶壁。

出口なお」はどこから登ったのだろうか。相当苦労したに違いない。

それだけ、この場が重要だったのであろう。

しかも、「イエスキリストのハート山」から「釣鐘岩」とを繋いだ紫のラインの角度は44°、つまり「北東」。
「丑寅・艮(ウシトラ)」の方角。

いわゆる「鬼門」として忌み嫌われる方角。

もう一つ、「イエスキリストの陵墓」と「ハート形のコンターライン」の真南には、これも「大本」の大聖地「上島」が在る。

「大本」が大聖地とする、共に断崖絶壁で守られた小島が、ここで繋がった。

その接点にあるのが「ハート」。

この意味するところは大きそうだが、僕にはまだ解けない。

しかし、「鬼門」として忌み嫌われる方角には、どうも別の意味があるようだ。

この方向を最も恐れ忌み嫌ったのは「天皇家」ではなかろうか。

支配の構図、あるいは何か隠したものが見えてくるかもしれない。