火(ホ)と「ニワ」と鍋釜

庭を造るという現場から体験したこと、そして「人はなぜ庭を造るのか?」考え続けてきたことなどを、ぼちぼち綴るブログ。 等ブログの履歴などの情報は、最下部にあります。

カテゴリ: 武部正俊の仕事

奈良の若草山が真正面に見える場所に、ある有名会社の創業者が造営した邸宅があり、今はその会社の厚生寮として使われている。

そこに在る枝垂桜の大木が、「元気がないように思うので、一度見てほしい」との依頼があった。

僕は「樹木医」ではないが、樹木を扱う仕事を始めて50年以上にも成り、自分の感性で樹木に相対して来たので、ある程度の対処は出来ると自負している。

落葉期に一度現地に行って、枝垂桜の状況を見に行っている。

管理人の方の話によると、この場所に植えられて80年ぐらいになると聞いている、とのことだった。

したがって樹令は100年以上と思われる。

それだけの風格を持った大木であリ、この場のシンボルとなっていた。

そのすぐ東北側に、大島桜が植わっていて、枝垂桜同等の大木であった。

この大島桜の枝が、枝垂桜に被さるように伸びていて、枝垂桜はその枝に押されて、東北側に伸びれない状況になっていた。

また、台風で枝が折れたのか、幹に大きな傷があった。

樹勢は、さほど悪いとは思えなかったが、樹勢回復の方法はいくつか閃いたので、樹勢回復作業を引き受けた。

作業は落葉期に行っておくのがベストだと判断したが、その時期は仕事が忙しく、花後にと考えていたが、今年は何かと忙しく、時間が取れなくて、樹勢回復作業は7月1日に行うことに成った。

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右側が枝垂桜で、左が大島桜。(作業当日の7月1日に撮影)

大島桜の根元から延びている枝や、右側に曲がり伸びている枝が、枝垂桜に被さっている。

大島桜が枝垂桜の北東側に生えているので、この状態では、朝日が枝垂桜に当たらない。

大島桜が覆いかぶさっているので、枝垂桜はこの方向には伸びられずにいる。

それで、大島桜の覆いかぶさっている枝の撤去をすることにした。

枝と言ってもかなりい大きいので、切除には細心の注意を払わないと危険でもある。

枝をロープで吊り、細かく切り落としていった。(切っている時の写真は、撮り忘れてしまった)

根元から延びている枝は、幹元から切ったので、

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大きな傷が出来る。

このような大きな傷をそのまま放置すると、この部分から水分が蒸散して、樹勢に影響するし、この部分に腐朽菌が付いて、幹を腐らせる原因にもなる。

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切った部分を、チェーンソーでえぐって凹ませ、

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その切口にたっぷりと「カルスメイト」を塗布。

凹ませると、カルスの形成がスムーズになると考えている。

「カルスメイト」はかなり長く使っていて、その効能は立証済み。

傷口に膜面を造り、水分の蒸散を防ぐとともに、腐朽菌などの侵入を防ぐ。

殺菌剤は含まれていないようだが、菌の侵入を防ぐ強固な膜面が出来る。

カルス」形成を促進するホルモン剤のようなものが入っているようで、比較的「カルス」の形成が遅いとされるサクラ類でも、しっかりと「カルス」が出来てくる。

これだけ傷口が大きいと、「カルス」の形成にかなりの時間を要するが、「カルスメイト」を塗布することによって、樹木に与えるダメージをかなり軽減できる。

勿論、他の小さな傷口にも「カルスメイト」を塗布。

大島桜の枝を切除することによって、

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枝垂桜と大島桜の間に空間が出来、枝垂桜に朝日がよく当たる状態になった。

勿論、大島桜も新たな枝を出してくる可能性が大なので、今後も制御して行かねばならない。

一方、枝垂桜の幹に、

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このような大きな傷がある。

台風などの強風で、かなり大きな枝が折れたものと思われる。

折れてからかなりの年月が経っているのか、かなり腐朽も進んでいる。

その腐朽部分の一部を撤去すると、

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細かな発根が多数見られる。

これは予想通りで、多くの樹木は腐朽部分に水分があると発根して、自ら再生する。

それほど、樹木の生命力は強い。

これに人の手で工夫を加えると、その発根は加速される。

先ず、腐朽が進まず木部が硬い所を、

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チェーンソーを使って切除。

幹にビスを打って、杉バークを詰め込み、棕櫚縄で括りつける。

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大きな傷跡全面に杉バークを詰め込み、水をかける。

管理人の方にも、今後時々水をかけて乾燥させないように頼んでおく。

かつてこの方法で、ソメイヨシノの幹に発根させたことがある。

同様の処理をして、4~5年後に杉バークを外して見ると、腕ほどに育った根が幹となり、幹の洞を突き抜けて地中まで達しているようだった。

幹が補強されると共に、根の発達に伴って樹勢も強くなる。

枝葉が茂りすぎるという難点はあるものの、それは剪定によって制御できる。

樹木が元気になれば、その場の氣も向上する。

この枝垂桜も、その例のようになることを期待している。

この方法は、独自の閃きで行っているが、NPO法人「藪会」が「藪会方式樹勢回復」として行っているのと、原理的には同じ。

枝垂桜には、

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浮き根が見られるが、このような例は多い。

ただ、植えられて80年以上経っているということなので、幹近くの根詰まりや、水・空気の浸透がスムーズでないことも考えられる。

苔が生い茂っているのも気に成るところ。

それで、枝葉の茂っている下部に、多数の穴をあけることにした。

両スコでの作業は、大変な手間が伴うので、「アースオーガー」をを購入した。

エンジン式のアースオーガーは危険を伴うので、充電式の電池で駆動するアースオーガーを購入。

一定以上のトルクが架かると止まるので、危険は少ないし、逆転できるので、抜くのも楽。

石や根に引っ掛かると掘り進められないが、スムーズに穴があけられるので、難なく多数の穴をあけることが出来た。(またまた穴掘り作業中の写真を撮り忘れてしまった)

あけた穴に、

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剪定した枝葉と炭を詰め込んだ。

こうすることによって、水の地下への浸透が促進され、水の浸透と共に新鮮な空気も浸透する。

樹木の根が最も要求するのは、空気・つまり酸素のようだ。

植物は炭酸ガスを吸収し、炭酸同化作用を行て、酸素を放出すると、教科書的に習ってきたが、植物も生命体なので、生きてゆくためには酸素も必要なようだ。

酸素を放出するぐらいだから、その前に取り込めばいいとも思うが、その酸素を取り入れるのはどうも根のようだ。

水が浸透し、新鮮な空気・酸素が地下に浸透するためには、地中の隙間が極めて重要なようだ。

に図が浸透に伴って、古い空気は押し出され、さらに水が深く浸透して行くと吸引がかかり新鮮な空気・酸素が地中に取り込まれることに成る。

樹木を掘る時に、年御状態を観察すれば、この原理が理解できる。

関西の土壌は、真砂土や粘土質が多いので、目詰まりが起こり易い。

したがって、空気・酸素が地中深く浸透しにくいので、根の浅いものが多い。

浮き根に沿って、

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浅い溝を掘り、ピートモスと炭を埋めてみた。

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この単純な方法の原理は、千葉の造園家「高田宏臣」さんに教わった。

僕は、臨機応変にいろんな方法を取り入れて、環境改善に努めている。

作業終了後、根元全面に「メネデール」20L散布する。

「メネデール」はどうも「鉄イオン剤」のようで、「生命素」でもあるようだ。(「鉄と生命---鉄はなぜ生命に選ばれたか」参照)

「メネデール」の効能も立証済みで、よく使う。

枯れかかった樹木を、何度も生き返らせている。

以下は、作業終了時の写真。

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大島桜の枝を大々的に切除することによって、枝垂桜の側にスペースが出来た。

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この枝垂桜の枝の伸び方を見れば、大島桜の影響の大きさが分かる。

スペースを造ったことによって、枝垂桜がどのように伸びてくるのか?その結果が楽しみ。

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西側に大きく広がった枝垂桜。

今回、枝垂桜の剪定は全く行わなかった。

枝垂桜の枝葉が被さってしまって、かわいそうな状態になっている松。

枝垂桜の樹勢が回復して、より茂ってくれば、松は完全に枝葉の下になってしまい、陽が射さないことになってしまう。

このような状態では、枯れるのを待つだけ。

むしろ伐採撤去する方が、松にもこの場の環境にも良いように思うのだが。

僕は学校に行くこともなく、親方に師事するすることもなく、我流で庭を造り始めてすでに50年以上になる。

したがって伝統に接することもなかった。

しかし、「人はなぜ庭を造るのか?」との問いを発しつつ、いろんな情報に接し、応用できるものは何でも使い、創造性と好奇心の赴くままに仕事をやって来た。

それ故に自信の持てない時期もあったけれど、根本を追及して行くと、伝統のその先までに至ることに気付き始めている。

自分のやり方についても、常に再検討を続けてきた、今はある種の自信にも繋がりつつある。

自分のやっている方法が絶対とも思わないが、大きくは間違っていなかったと思っている。

そして今や、「庭を造る事は天職だ!!」と思えるに至っている。

今回の作業もそんな一環だった。

7月1日の奈良は猛烈な暑さで38℃ぐらいまで上がったらしい。

かつて「熱中症」になったことのある僕は、日向に出ると「やばい!!」と感じるほどだったが、幸い作業の殆どが木陰。

樹木のもたらす
「おかげ」を十分感じての作業でもあった。

顧客からの依頼で、伐採することに成っていた「ソメイヨシノ」があった。

その場所は、元かなり細長いが広い宅地で、三姉妹が相続され三分割されて、それぞれ新しく家が建てられた。

その内二軒の家の造園を我が「OM環境設計(オムカンキョウセッケイ)」が担当した。

震災後ではあったが、すでに20年以上のお付き合いになると思う。

その二軒の境界部分に、一本の「ソメイヨシノ」が残されていた。

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その「ソメイヨシノ」は、北側の道路沿いに生えていて、各々の塀で囲まれて、かなり窮屈な状態であった。

我々が出会った時はすでに、幹は空洞化して朽ちていた、枝葉も弱々しいものであった。

何度も切られたり、風で折れたりしたのであろう。

さらにコンクリート塀が造られる時、根も切られ、生育環境も厳しく成ったものと思う。

しかし、伐採されることなく、わざわざ塀を控え、共有する形になっていたのは、この木への思い入れ、記念的な要素があったのかもしれないが、詳しくは聞いていない。

我々は、土が落ちないように、周囲に石を積んだ。

石積みをコンクリートなどで固めることをしないっで、目地には「タマリュウ」などの植物を植え、「ソメイヨシノ」の根が呼吸できるようにしておいた。

樹勢は強い訳でもなく、枯れ枝も出ていたが、枯れ枝を切る程度の手入れをしている程度だった。

一昨年、猛烈な風の台風が近畿地方を襲った。

各地で沢山の樹木が倒れ、大きな被害が出た。

この木は、折れることも無かったが、かなりの片枝であり、バランスも悪く、しかも幹は空洞。

道路の傍でもあり、倒れると事故に繋がりかねない。

それで顧客から、「伐採を検討したい!」との相談を昨年秋に受けていた。

伐採後、また桜を植えることも検討したが、この「ソメイヨシノ」には沢山の蕾が付いていた。

「来年、花を見てからでも遅くはないので、それから再検討しましょうか!」と返事をしておいた。

コロナ問題や仕事が忙しかったこともあり、春の相談が遅れてしまい7月末近くになってしまった。

今年の春は、沢山花を付けたので、もう見れないかもしれないと、家族で記念写真を撮ったそうだ。

「根元で切って、ヒコ生えを期待したい!」と言うつもりで、件の「ソメイヨシノ」を観察してみると、「何故か元気が良い!」と感じた。

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西側への方枝でバランスが悪く、かつ道路側へのだいぶ出てきている。

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根元も空洞で、向かって右側だけが生きているようにも見える。

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幹の上部も朽ちてしまって穴があいている。

生きているのは、右に伸びる枝のみ。

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幹も腐って殆ど空洞。

しかし、何故か「新芽」が出ている。

これを見た時、この「ソメイヨシノは生きようとしている!」と、何と無く感じた。

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去年、胴吹きした芽が、元気良く伸びている。

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根元近くからも、新芽が出ている。

別の場所で、一昨年の台風で折れた「ソメイヨシノ」のケアをしたことがある。

「ソメイヨシノ」は極めて生命力が強く、かなりの古木でも「ヒコ生え」が出る。

さらによく観察すると、

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枯れた部分に挟まれた真ん中部分が、生きている。

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写真では分かり辛いが、明らかに質感が違う。

鋏で一部を切ってみると、明らかに生きている。

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その上部は、さらに太く成っている。

「ソメイヨシノ」は枝と根が繋がっていて、強い枝に繋がる幹は太り、そして根に繋がる。

その形が顕著に現れるので、容易く観察できる。

このような状況を見たのは初めてだが、この「ソメイヨシノ」は明らかに生きようとしている。

去年秋、「伐採」の話をした時、それを聞いていて、まだまだ生命力が在ることを、あるいはアピールしたのかもしれない。

丁度、顧客が返ってこられたので、「生かす方向で検討したい!」と問いかけてみた。

この「ソメイヨシノ」は、おおよそ60年前に植えられたらしい。

60年生にしてはかなり細いが、生育環境が悪かったのかもしれない。

「生きようとしているので、伐採するのは忍び難い!」を強調し、「ソメイヨシノの寿命60年説」は、完全な間違いで、手入れが悪い故にボロボロになる!を、強調しておいた。

勿論、安全でなかればならないので、西に伸びた枝を短くし、バランスの取れた形に整形して行くことの約束もしておいた。

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西側に長く伸びていた枝を短く切り詰め、道路側に出ている枝も剪定しておいた。

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「ソメイヨシノ」は切口から腐朽菌が入り易く、そのまま放置すると、腐ってボロボロになってしまう。

切口には塗布剤を塗りケアしてやる必要がある。

我々は「カルスメイト」という薬剤を使っている。

塗り易く、防腐効果も高く、また「カルス」の生育を促進する。

傷口に被膜を作るので、傷口からの水分の蒸散を止め、木にダメージを与えることも少なくなる。

「カルス」が成長して傷口をふさいでしまうと、もう問題はない。

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強く伸びていた胴吹きの枝は、そのままだと道路側に伸びて行くので、上に伸びるように「矯めて(タメテ)」おいた。

聊か不自然な樹形に成っているが、2年位の間に、樹形のバランスが良くなるものと確信している。

何故か気になっていた樹木だけに、伐採せず活かすことに成って、ホッとしている。

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感謝!!

今年(2018年)5月初旬に、ある連絡が入った。

「壁面緑化の仕事があるが、出来ないだろうか?」という問い合わせだった。

連絡の主は「植山環境設計事務所」の「植山祥二」さんだった。

20年以上会ってなかったが、旧知の人だった。

植山さんは、かつて芦屋の「越智工務店」に勤めていて、同じ現場の仕事をしたことがある。

その後退社して、設計事務所を営んでいるらしい。

その「越智工務店」の事務所には、今も「壁面緑化」が残っている。

植山さんはそれを知っていたので、ネット上で僕の名を検索して連絡して来たらしい。

今から30年以上前になると思うが、「壁面緑化(垂直緑化)」に情熱を燃やしていた時代があった。

おそらく僕は、「壁面緑化」の先駆者の一人だったと思う。

一番最初に造った小規模な「壁面緑化」は話題になり、新聞記事になったり,NHKのニュース番組で取り上げられたりもした。

小規模ではあったが、垂直壁面の薄い膜状の設備でも、植物が十分育つ事が確認できた。

垂直壁面という環境での植物の育ち方についても観察できた。

可能性を見出し、ビジネスにもなると思ったが、それ以上の開発はしなかった。

作庭そのものが忙しかったし、資金も無いしという状態ではあったが、庭を造るその事への情熱の方がより深かったからだ。

しかし、壁面緑化の実験をしたことによって、得られた植物栽培のノウハウは大きく、その後の植栽技術にも生かすことが出来た。

1990年に大阪の鶴見緑地で開催された「国際花と緑の博覧会」では、壁面緑化の展示も行われていたようだ。

僕の造った壁面緑化はさほど多くなかったが、唯一残っているのが芦屋の「越智工務店」事務所の壁面だけだ。

花博の前に造っていたので、すでに30年近く経っている。

今も健在で、芦屋の花の人気スポットになっている。

芦屋市主催の「オープンガーデン」で何度も一位を取っている。

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まだ植え替えたばかりでいささか寂しいが、春にはほぼいっぱいに茂る。(2018年12月4日撮影)

厚みはわずか5cm。

給水は、天端からの「点滴潅水」。

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極わずかなスペースに、サルスベリも植えている。

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この丸い葉は、「カンパニュラ-ポシャルスキアナ」。

これは制作当時に植え付けたもので、今もこの環境で生き続けている。

春には広がって、ブルーの星型の花を沢山付ける。

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球根類も面白い生え方をしている。

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天端部分には、宿根草類が幾種類も残っている。(矮性のキンギョソウは今回植え足した)

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「越智工務店」の事務所の半地下部分にも、椿や花水木も植えている。

奥行き30cmばかりの狭い場所で、しかもコンクリートの上に植えられているが、今もしっかり元気に生きて花も咲かせている。

すでに30年ほど経っているが、何の問題も出ていない。

壁面緑化部と同様に、自動潅水装置を使って潅水している。

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横から見ても、なかなか見事。

一見過酷な環境に見えるが、工夫次第で、こんな場所でも植栽の可能性を証明してくれている。

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花水木も沢山蕾を付けていて、毎年見事に咲いて、道行く人の目を楽しませてくれる。

植物の生命力は強い。

それ故に、畏怖すべき存在でもある。

植物を扱う者は、これを決して忘れてはならない。

この「越智工務店」の壁面緑化があったからこそ、今回の仕事に繋がった。

まさに、御縁なのだ。

しかし、クリヤーして行かねばならない問題が多々ある。

先ずは、現場の状況を見、クライアントの望みを聞かねばならない。


つづく

8月9日6時、「いわみ温泉・霧の湯」で目覚める。

雨が降っている。

気温も22度ぐらいと涼しい。

昨夜はエアコンつけっぱなしで寝てしまった。

日頃エアコンを全く使わないので、風邪を引いてしまったのか、いささか体調が悪い。

腰も痛む。

日貫の現場に8時前に着く。

まだ小雨が降っている。

それまではカンカン照りで大地はカラカラだったので、正に恵みの雨。

コーヒーをいただきながらしばし雨宿り。

その間に我がスタッフ二人は「小薗末榮」さんから、霊石の説明を受けている。

小薗さんはこの霊石に「赤龍」が宿っているという。

僕にはよく分からないが、エネルギーの強い石には違いない。

霧雨状になって来たので、霊石に挨拶をして作業開始。

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作業は既存樹木の剪定から始める。

背後の「神奈備山」状の山を、将来的にも遮らないようにしたい。

横に枝を伸ばして、緩やかに近隣の建物などとの間を区切りたい。

地均しもして霊石を納める高さの目安を付けておく。

山田さんと小薗さんに霊石の移動の時が来たことを伝える。

小薗さんは霊石の周りに塩を撒き、祈った。

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慎重に担いで移動。

目方は100kgに満たない。

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石の上に載せ、

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「テラファイト・コスモ」と「テラファイト・アース」をダブルで通した水で霊石を洗う。

洗いながら、どのように据えるかを決める。

石が薄いので、立てて置くのには埋め込みが必要になってしまう。

勿論、モルタルで固定するようなことは、絶対にしない。

幸い飛び石のような天端の平らな石が在ったので、その上に伏せて据える事に決める。

そうすれば、霊石全体が浮いたように見えるはず。

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飛び石状の石を。クレーンで吊って据える位置を決める。

背後の甘南備状の山との軸線も考慮に入れる。

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霊石を担いで飛び石状の石の上に載せる。

鉄梃子で角度などを微調整し、飛び石状の石の周りを突き棒で固める。

霊石の裏面も比較的平らだったので、噛ませ石無しで、ピッタリとおさまる。

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祭壇石の据え付け。

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この石は、元このように据え付けられていたらしい。

遥拝石か祭壇石を思わせる。

かつて何らかの祭祀がされていたのかもしれない。

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全ての石がおさまり、既存の山野草なども植え付ける。

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持って来た木津バラスを敷き詰める。

1㎥持って来たが、ピッタリだった。

バラスを撒いておくと、土の流れ出しを防げるし、泥はねもしない。

草も生えにくいし、目に付くので抜き易い。

何よりも清浄に保てる。

御園さんは、家の床下に沢山の石が在るので、その内の三つを山田さんにより出してもらい、一緒に起きたいと言う。

第二の石として、霊石と共に出て来て、長く床の間に置かれていた石も、一緒に据え付ける事にした。

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ほぼ真正面から。

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庭門からも麻署メーンに見える。

エアコンの室外機がなければすっきりするのだが。

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午後2時過ぎ、小薗さんが祭祀を始める。

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小薗さんの祝詞は即興らしい。

澄んだ張りのある声が響き渡る。

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御園さんは山田さんに霊石の周りに酒を撒くように指示。

山田さんは裸足になってバラスの上に登る。

既存の土留め石積みが、磐境を成している。

この霊石が座った時、御園さんに歌が降りて来て、それをメモっていた。

御園さんはその歌をまだ公開しないでほしいと言っていたので、ここでは紹介できない。

五七調の和歌で、それを歌い始める、その最後に鼓で七度叩いて音を出したいと言ったが、鼓など無い。

それで、小薗さんは盆と金づちを用意した。

この辺りの臨機応変は、僕とよく似ている。

七度叩く予定が、山田さんは八度叩いたようだ。

これが何を意味するのか?小薗さんは気にしていた。

僕も以前神前や磐座前での挨拶時の柏手は2+5=7だったが、最近は3+5=8に変わって来た。

別に型にはめてやっている分けではないが、自然とこのような数になっている。

3時に我がスタッフ二名はトラックで帰った。

僕はもう一泊し、10日小薗さんと一緒に周辺の磐座探索をしながら帰るつもり。

10日8時過ぎ、日貫の山田さん宅に行き、裸足で祭壇石の前に蹲踞して、3+5=8で挨拶。

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僕自身としては、おさまるべきように鎮座したように思っている。

美しくおさまったとも思っている。

自分ではかなりリラックスしていたつもりだったが、かなりの緊張感もあったようで疲れもあった。

それでも総走行距離980km無事替えて来て、今このように報告ブログを抱えていることに、喜びを感じる。

そして、この一連の作業は公開すべきだと思うので、山田さんにも小薗さんにも理は入れていないが、実名を挙げて公開することにした。

小薗さんが
赤龍さんだというこの霊石は、来るべき人達が来るのを待っているように思えてならない。

磐座や山、神社などのポイントは動くことがない。

動くことの出来る人がそこに行かねばならない。

その場に身を置くことによって、人によってそれぞれ感じる事が有るだろう。

8月7日午後9時頃風呂に入っていた。

暑いので水風呂、窓も開けっぱなし。

急に風が吹いてカーテンが窓の外にまで引っ張られて行った。

空気が入れ替わって、爽やかになった。

熱帯夜が解消されたようだ。

エアコンを使わない我が家にとっては、実に有り難い。

8月8日、3時過ぎに起き、4時過ぎに我が家をカングーで出発した。

日の出前でまだ暗い。

先ず、八尾の「小薗末榮」さんを迎えに行った。

同行して作業をする我がスタッフも、2トントラックですでに動いているであろう。

6時20分、中国道の葛西サービスエリアに付き朝食。

途中、スマホのナビアプリの調子がよくない。

天気は快晴、GPS感度もいいはずなのに。

千代田ジャンクションで浜田道に乗るはずなのに、行きすぎてしまった。

ナビに導かれるままに、広島北インターチェンジまで行き、一般道に降りる。

後は、ナビに導かれるままに進む。

11時に邑南町日貫の「山田明子」さん宅に到着。

15分遅れで、トラックも到着した。

すぐに、霊石に挨拶。

到着直後の、これから改造して行く現場の様子を撮影。

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土留にしてある石は、そのまま使うと決めていた。

その他の石や樹木は全て使う事にしている。

草が沢山生えているので、

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先ず草取り。

植えられていた山野草は出来るだけ残し、再度使う予定。

作業中の写真は、意識集中故か全く撮っていない。

植わっていたサツキやツバキなどの灌木類はすべて塀際に植え替え。

既存の石をどう扱うかが、今日の要。

図面も描いていないし、どのように扱うかは一応頭の中で思案はしているものの、いざ仕事に取り掛かると、全て白紙に戻す。

これが僕の石に相対する方法。

そこに在る石と、周辺の状況からインスピレーションを得る。

別に石の声が聞こえる分けではない。

先ずメンヒル状の立石にチェーンをかけ、トラッククレーンで釣り上げる。

いすぉぐるりと回した瞬間に、どのように据えるかを決める。

僕の中には法則は無く、ただただ閃きだけ。

現場に在った5個の石を全て組み終える。

石を洗い、周辺の掃除をして、初日の作業は終了。

天気は良いが、温度は30度を超えていなかったようで、快適に仕事が出来た。

近くの、「いわみ温泉・霧の湯」に予約を取ってくれていたので、温泉に浸かって宿泊。

全く不思議なことがあるものだ。

2,004年5月3日、邑南町日貫の「山田明子」さん宅に大阪から三人の方が訪ねて来たらしい。

夫婦と一人の男性。

山田さんとその女性は、知り合いだったらしいが、一人の男性とは初対面だったらしい。

「小薗末榮」さんは三人とも面識があったらしい。

山田さん宅の床の間の下に霊石があると指摘したのは、その初対面の男性だったらしい。

遠く離れた場所の、全く人目に付かない床の間の床下のそれも土に埋もれている石を感知できるとは、信じがたい事だ。

小薗さんも感知能力の優れた人だけど、それまでに何度もこの家に泊まったこともあるらしいが、そこまでは感じられなかったようだ。

しかもその石が「表に出たい!」と意思表示していると言う。

石は、意思・意志でもある。

と、ここでも強く感じる。

吉野信子」さんのカタカムナ的には、「イ」は「伝わるモノ・陰」、「シ」は「示し・現象・死」。

「イシ」で「伝わるモノの示し」。

何と無く、その本質を表しているようにも思う。

墓として石が多く使われるのも、この意味故だろう。

この石の存在を示し、このような強い感知能力を持った人が現代でもいるという事が、僕には力強く感じられる。


超古代、多くの人達はこのような感知能力を持った人がいたのだと思うからだ。

したがって、人はダイナミックに地球上を移動出来た。

それはまるで渡り鳥的な能力なのだ。

地図も磁石も必要ない!

神社や寺院の建造物や参道が、ピッタリとあるターゲットを指しているのによく出会う。

「上森三郎」さんは、それを見つけ出す名人だ。

しかし上森さんには、地図と磁石が必需品だ。

古代の超能力者は、何も無くとも「こっち!」と指させば、その方向を言い当てたのかもしれない、たとえ何百km離れ、山などで見通しがきかなくても、何の問題もなかったのかもしれない。

そのような能力を持った歴史上の人物が「法道仙人」や「役小角」や「弘法大師・空海」だったのかもしれない。

沢山いたのだろう。


この霊石が、山田さん宅の床の間の床下の土の中に埋まり、出してくれとの意志を示していると感知しても、この霊石をどのように安置、おさめるかという所までは決められなかったのかもしれない。

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細い通路のような庭部分の塀際に立てられていただけだった。

それも14年間にもわたって。

この霊石の存在を示した男性はすでに他界していると、小薗さんは言っていた。

山田さんと小薗さんは、年の離れた姉妹のようで、大変仲良しで、家族ぐるみの行き来もしていたようだ。

山田さんは、現在一人暮らしで、高齢ゆえか終活に付いても考え始めているらしい。

そして一番気になるのがこの石らしい。

最初小薗さんから話が来た時には、「この石を家の外に出したい!」という気持ちだったらしい。

台座でも造って、その上に安置との考えだったのかもしれない。

僕はこの考えには反対した。

庭の中に安置する方がよいと思った。

何故なら、見た目は何の変哲もない石、外に出してしまえば、邪魔になるで、割られたり捨てられたりする可能性も無きにしも非ず。

石は間違った扱いをすると怖い場合もある。

しばし、庭に安置し、この霊石の物語を広く知らしめる必要もありそうだ。

何故この霊石が、14年間この場でいたのか?自分なりに問うてみると、それは「僕が現れるのを待っていた!」と思えた。

何故なら僕は、50年間庭を造るという仕事をしてきた。

大量の石も扱ってきた。

しかも、美しく組むという事を目的に石を扱ってきた。

しかも形にはまらない方法でやって来た。

しかも、磐座に興味を持ちだし、沢山の磐座に接してきた。

磐座の持つ重要性、神性・聖性もある程度分かっているつもりでもある。

この感覚をもって石組の出来る庭師は、おそらく他にはいないだろう。

僕自身も、このような意識で、石を扱えるようになったのは去年からだ。

大阪から感知能力を持った人を呼び寄せるほどの霊石ならば、あるいは僕の育つのを待っていたのかもしれない。

この霊石は「美しく組んでくれ!」と言っているようにも思えた。

そんな妄想が膨らむ。

そして、何時現場に行って作業をするのかが、問題だった。

山田さんから「8月7日以降にしてほしい。」との連絡が入った。

それなら、6日に準備をし、7日に現場に向かい下ごしらえをして、8日に霊石を据えることにしようかと思った。

そうすれば、2018年8月8日に収めることが出来る。

が、形的に並ぶことはそうざらには無いとも思った。

ところが連絡してみると、8日発にしてほしいとの事だった。

これが何を意味するのか分からないが、何と無く面白く思った。

石に惹かれるという「小薗末榮」さんに出会ったのは、2014年だった。

「上森三郎」さんのセミナーでよく出会う「松重輝子」さんの紹介だった。

磐座探索に一緒に行ったのは、2014年9月月16日だった。

「内宮の磐座」に連れて行ってほしいと請われ、一緒に行った。

「内宮の磐座」の掃除をし、新たな発見もあった。

「内宮」の真南の山「八禰宜山」にも行った。

この時、山頂直下で不思議な井戸状の壷を発見した。(「風が吹くの不思議」参照)

これが「八禰宜山の壷」で、今年一連の掃除をして、その掃除は2018年8月5日に完了した。(「八禰宜山の壷の掃除-それは勾玉か?」参照)

つづいて行ったのが、山添村の「神野山の磐座」だった。

掃除をしたいので連れて行ってほしいとの依頼からだった。

7名で行った。

当時、小薗さんが経営していた喫茶店の名前も「ナナ」だった。

一ケ所の磐座の掃除を終え、「鍋倉溪」の橋の近くで昼食を取った。

その時小薗さんが、「橋の下に水の溜まりそうな石が在るでー!」と言った。

即僕は反応して確かめに行った。

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小さいが、三点で支持された「ドルメン」。(2014年10月23日撮影)
(その時の模様は「神野山の磐座掃除」参照)

「神野山の磐座」について研究している「イワクラ学会」の柳原副会長の連絡して確認してみたら、「新発見だ!」と言われた。

この時、小薗さんの感覚の凄さに、本物を強く感じた。

この小薗さんから7月初め「島根県の友達の家に在る石の事で相談を受けているので、一度見てくれないだろうか?」という電話を受けた。

どうも、不思議な石らしい。

7月5日に出かけることになった。

天気予報では、大雨が予測されていたが、雨でも行くことにした。

中国道を走る中、所々で土砂降りだった。

事故渋滞もあり、兵庫県邑智郡邑南町日貫(オオチグン・オオナンチョオウ・ヒヌイ)」の「山田明子」さん宅に着いたのは、午後3時を回っていた。

幸い、雨は小降りだった。

早速、その石の経緯を聞いた。

山田さんは古くから衣料品店を営み、山田さん自身は地元の歴史の研究家で「日貫の歴史を伝承する会(日貫と龍神道を学ぶ会)」を主宰されている。

したがって、人の集まる場所でもある。

「この家には霊石が在る!」という人が時々現れるらしい。

「ダウジングして調べたい!」という人も現れたようだが、場所が特定できなかったらしい。

2004年5月3日に大阪からやって来た人が、「床の間の下に霊石が在り、出してほしいと言っている!」と言ったらっしい。

訪ねてきた人の一人は、何度かこの家に来たことがあるらしいが、床の間の下に霊石があると指摘した人は、初めてだったらしい。

近くに大工さんと左官屋さんがいたので、調べてもらう事にしたらしい。

床の間の床を外すと、カチカチの硬い土だったらしい。

記録写真が残されていたので、それを撮影させてもらった。

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「コンクリートよりも硬い土で、一日かかってしまった!」と山田さんは話した。

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石が見つかった時、このような写真が取れたらしい。

ピンク色の光の帯がはっきりと写っている。

しかも鱗状に写っている。

小薗さんは「赤龍さんだ!」と言う。

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この記録によると、霊石を掘り出すのに5時間40分かかっている。

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霊石の大きさ形は、床の間の下に石が在ると言った人が示していたの、殆ど狂いがなかったらしい。

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庭に14年間安置されていた霊石。

この霊石を、「第一の石」としている。

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飛石の上に置かれたピンクの小さな石が「第二の石」。

「第一の石」と同時に出て来た石だという事だった。

この霊石を、小薗さんは床の間に安置するよう指示していたらしい。

長年、日が当たらあず雨にも当たっていないので、カサカサという感じがしたので、僕は外に出し、雨にあててみた。

当然だが、ピンク色が濃くなり、喜んでいるように思えた。

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このような絵も見せてくれた。

元々倉の横に、このようなものが在り、イラストレーターに思い出を伝え描いてもらったと言う。

石で囲われた中に、「祭壇石」のようなものが置かれている。

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この絵が示す方向には、このような山が在る。

「神奈備山」を思わせる山。

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その「祭壇石」のような石は、沓脱石になっているが、山田さんは「ここから一度も下りたことがない!」と言っていた。

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7月6日時点での庭の状態。

石は組んであるが形は成していない。

これ等の現存の材料を全て使ってみようと思う。

この庭を改造して、「霊石」を安置することに決まる。

雨が強まりそうなので、帰る事にしたが、浜田道、中国道の所々で、土砂降りの雨となる。

ついに、高速道路は閉鎖され、滝の社で降ろされる。

山陽道もストップ、六甲山周辺の有料道路も全て止まってしまった。

宝塚へ抜けるか、神戸に抜けるか迷ったが、神戸に向かう。

ルートはいろいろあるものの、何処も大渋滞。

結局帰るのに12時間かかってしまった。

この雨が、兵庫県・岡山県・広島県。愛媛県などに大きな災害をもたらした。

「平成30年7月豪雨」と名付けられ、人的被害も多かった。

日頃降雨量の少ない地域に降った豪雨、何故かと思う。

3月末ごろだったろうか、知り合いの工務店の社長から相談が入った。

ある工場のメインエントランス部分に植えられているケヤキがぶつ切りにされてしまったので、その対策についての問い合わせだった。

4月中旬に、現場に行きその状況を見ると共に、その原因も探ってみた。

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これは4月下旬、二度目の現地調査の時に写した写真。

正にぶつ切り。

この工場は、元々緑化に力を入れているにもかかわらず、このような状態になってしまった。

その原因は単純だった。

昨年10月末の台風で、工場内の緑地帯の樹木が強風で倒れ、道路を封鎖してしまった。

この12本のケヤキ並木は、植え付けてから30年を過ぎ、かなり大きくなっていたので、強風で倒れることがあれば大きな影響が出ると判断された。

それで出入り業者に相談したところ、ある高さで切りそろえるという案が出され、それに従って剪定作業をする事になった。

メインエントランスでの作業なので、作業は日曜日に行われた。

たぶん指示図面だけで、作業員はこの高さで切りそろえればいいと判断して、ぶつ切りにしてしまったらしい。

あくる日、この状態を見た工場幹部は愕然としたらしい。

そしてそれが、僕への相談に繋がった。

何故このようにぶつ切りにされてしまったのかという原因に付いては、別項で考えてみたい。

丁度新芽時なので、ケヤキは、無残な状況を示していた。

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切口から樹液が滴り、それにカビが生えたのか、オレンジ色に変色していた。

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この時点で、一部のケヤキは芽を出していた。

丈夫な樹木なので、枯れる事はないが、樹形が乱れて見る影もなくなってしまう。

この写真の背後の樹木にケヤキも含まれる。

そのケヤキも枝先を切られているが、この程度なら、自然樹形に戻すことは技術的に可能だ。

しかし、枝の太い所でぶつ切りにされたケヤキは、元の自然樹形に戻すことは不可能だ。

さらに、切口から腐朽菌が入り、幹の内部にまで腐りが及ぶ。

かなりの時間はかかるものの、内部が腐って空洞になってしまえば、強風で折れることも考えられる。

僕が思いついたのは、「株立ち樹形」への再生だった。

かつて「株立ち樹形」がもてはやされたことがあった。

特に「株立ちのケヤキ」は樹形がよく立派だったので、高価で取引されていた。

「株立ち樹形」は、材木として伐採された樹木が、その下部元から再度発芽して出来た樹形で、ある種の廃材利用でもあった。

この工場の「ぶつ切り」されたケヤキに付いても、「株立ち樹形」として再生できるのではないかと考え、提案した。

案が承認され、6月26日、僕の指導のもと、出入り業者が作業をすることになった。

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このケヤキは、幹回り2mあり、最も元気がよい。

新しく伸びた枝の長さは、すでに1.5mを越えているだろう。

その全てが垂れ下がってしまい、とてもケヤキには見えない無残な姿をさらしている。

細めのケヤキから試みることにした。

地上からの高さ50cm位で切りたかったが、根の状態などから判断して80cmで切る事にした。

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トラック・クレーンで幹を吊り、チェーンソーで段切りして行く。

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切り口はしっとり濡れていて、枯れはほとんど見られない。

この切口に「カルスメイト」をべったりと塗り付ける。

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「カルスメイト」を塗り付けた状態。

「カルスメイト」の主成分はボンドだと思うが、殺菌剤と、「カルス」形成を速めるホルモン剤が入っている。

この薬の効き目は抜群で、僕は30年近く使っていて実績も上げている。

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さらに「メネデール幹注液」の注入も試みた。

この効き目の実績も僕は持っている。

しかし今回の場合、まだケヤキが水揚げをしているので、どれほど吸って行くかは観察しなければならない。

さらに、幹に直射日光を当てないために、仮に寒冷紗を被せておいた。

幹回り2mのケヤキも同様の作業を行う。

ケヤキの周辺に、アースオーガーで穴をあけ、その穴に落ち葉と炭を入れて、水と空気の流れを良くし、発根促進させる。

根がはびこっているので、穴をあけるのはかなり困難。

工場内の緑地帯の中から、落ち葉を採取することにした。

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腐葉土化し白い菌糸が見られる部分には、沢山の根が伸びてきている。

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空けた穴に、落ち葉と炭を混ぜたものを詰め込む。

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施術したケヤキの周りに、100倍ぐらいに薄めた「メネデール」を散布する。

「メネデール」は2価の鉄の水溶液「Fe++」で、植物ばかりではなくあらゆる生命の生命素。

この効き目も、長らく実感してきているので、いささか高価ではあるが、惜しみなく使っている。

幹に直射日光が当たると、乾燥するので、多くの樹木は枝葉を茂らせて、幹に直射日光が当たらないようにしている。

植え付けてすぐの樹木が傷むのは、幹への直射日光が影響していることが多い。

影を作って養生してやる必要がある。

今回は株元から切っているので、全く日影がない。

それ故に寒冷紗を張って、日陰を作ることにした。

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まだ仮設ではあるが、もう少しきちんと作ってもらうように指示しておいた。

この幹回り2mのケヤキに打った「メネデール幹注液」は全く減らない。

樹木が水分を要求している場合は、結構早く減って行くのだが。

その原因は、ケヤキが盛んに水揚げをしているからだと推察できる。

「カルスメイト」を塗った切断面を見ると、乾燥している部分と、樹液があふれている部分があるのが観察できる。

もう生命活動をしていない「木部」からの染み出しが顕著で、「形成層」のあたりからの樹液の染み出しは見られない。

教科書的には、根からの水は「道管」を通って枝葉に送られるはずだが・・・

この「株立ち樹形に再生する」という試みに、前例があるのかどうかは知らない。

とりあえず、今までの経験や知識、技術的な事も総動員して実験的に試みている。

一か月以内に新芽が出てくれば、再生できるのではないかと思う。

その新芽がある程度伸びれば、寒冷紗の天井部分を切って、日光を当てるようにしたいと思っている。

今回の経験から、そして今問題になって切る「ぶつ切り」について考えるために、「人は何故気を植えるのか?」ということについて、当ブログでシリーズ化して書いて行きたいと思っている。

3月31日、思い立って和歌山の「緑風舎」に向かった。

広大な敷地で、元々沢山の石を使った庭があった。

その庭を、数年かけて改造させていただいた。

樹木の残せるものは残し、移植すべきものは移植し、どうにも成らないものは伐採撤去した。

池があったが、組まれていた石をいったん撤去し、池を埋め、全く独自な石組を試みた。

芝庭を広げ、草花も沢山植えた。

ソメイヨシノを植え足して完工。

自由にやらせていただいた。

春、この時期は、石組と草花の饗宴となる。

先ず、改造工事を始めた時、茂みの中に、不思議な石組が在るのを見つけた。

不思議なことに、オーナー自身、この石組の存在を知らなかったと言う。

ただこの石組の前に、社があったとの事だった。

その社は、経営されている会社の屋上に移築されたとの事だった。

その石組は、「日本庭園石組」とは
明らかに雰囲気が違う。

何時ごろ組まれたのかは分からないが、社があったことと、真東を向いている事から、「磐座」と僕は認識した。

この「磐座」というべき石組が、その後の庭の改造と、石組の方向性を示唆したといって過言ではない。

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完全に樹木に覆われて見えなくなっていたが、周辺を整備し、「磐座的石組」を前面に出した。

邪魔にならない程度に、背の低い草花も植えてみた。

倒れかかっていた中央の小ぶりな石を少し起こしただけで、殆ど触っていない。

石組の構成力も素晴らしいと思う。

何時、どのような人が組んだのか、興味津々だけれど、今は知る由もない。

今、母屋は「緑風舎」の音楽ホール、画廊、各種イベント会場として使われている。

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玄関に至るアプローチ。

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玄関側から見た、真正面。

石組のまわりは、花だらけ。

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門前。

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道路との接点。

ソメイヨシノとトキワマンサクが満開。

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門を入った真正面。

左手のポール状の樹木はウバメガシ。

伐採廃棄処分しようと切って行くと、幹が真っ直ぐで面白そうだったので。棒状だったのを植え付けたらこのようなポール状に成った。

「トーテムポール」のようで、今や、シンボルツリー。

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芝庭側に回り込む。

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大きな棗型の手水鉢を芯にして、「フェロセメント工法」で作った長大なベンチ。

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周辺の石組。

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ベンチを真横から。

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東西軸線で組んだ石組。

反り橋の部分を窪ませたのは、排水のため。

この土地はフラットで、これだけの面積の雨水・表面排水を取るのは難しい。

砂地のため排水は良いが、大雨時の対応が出来ない。

井筒の部分は排水ピットで、雨水は一旦ここに集められ、ポンプで強制排水するようにしている。

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起点は、この伽藍石。

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中央の石は、この屋敷のほぼ東側にある「龍門山」周辺産の黄色い石だったが、かなり黒ずんできているので、一度洗浄しなければならない。

「龍門山」には「磁石石」という磐座も在るようなのだが、まだ登っていない。
気になる山の一つ。

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石の反り橋を、南北軸として据えた。

反り橋の中央部分が、東西南北の交点。
「ゼロ磁場ポイント」だと思っている。

この反り橋をいかに使うかが、作庭当初の課題だったが、収まるべき場所に収まった。

この庭の改造時、全く図面は描かなかった。
したがって見積もりも無し。

軸線だけを決めて、この場に在った石を、瞬間判断しながら組んで行った。

収まるべきところに収まって行ったと、僕自身は思っている。

このような無謀な方法を許可してくださったオーナーに感謝。

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ベンチ側を見る。

左側の背の低い黒松は、元々ここに植わっていた。
それをそのまま生かした。

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元々この部分の背後は石積みされ、一段高くなっていた。
それをそのまま生かした。

背後にテニスコートがあり、近隣の小学校の建物なども見えるので、シラカシの高生垣で、目線を遮断した。
それ故、落ち着いた空間と成った。

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「龍門山」周辺産の黄色い石。

石組とチューリップの組み合わせは、他に類例はないかもしれない。

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裏庭の中心部分。

井筒の場所に、井戸があり、ポンプアップして散水用などに使われている。

井筒も元々この庭に在ったものをを使っている。

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母屋のメインホールからの眺め。

水仙は、元々ここに植えられていたのを、そのまま生かしている。

この空間では、野外パーティーが行われたこともある。

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一重のヤマブキとの色のコントラストが美しい。

伝統の日本庭園の石組とは、ずいぶん趣が違うが、日本庭園の石組の根元には磐座が在ると、僕は思っている。

ここで説明するのは難しいが、磐座はデザインできるものではないと、僕は思っている。

方向性を決めれば、出会った石とその場の雰囲気で、おのずから決まるものがあるとも思っている。

使った石の総重量は150~200トン位あったのではないかと思うが、全く迷うことがなく、次々に組んで行けた。

草花との組み合わせも、僕の中では全く迷いがない。

「天・人・地」が繋がる場所、つまり「ニワ」に成ったと思っている。

この仕事は、去年の解体工事から始まった。

豪壮な和風建築で立派な庭も在ったが、クライアントは諸般の事情で解体を決意された。

庭には沢山の「伊予の青石」が在った。

「伊予の青石」は、「重森三玲」が多用した美しい川石。

石を廃棄処分するとすれば、クラッシュしなければならない。
それが忍びないと、相談を受けた。

全ての石を引き受けることにした。

その中に一個問題の石が在った。

在る霊能者から「この石には神さまが宿っているので、大事にするように!」と言われたとの事だった。

石垣の中に組み込まれた小振りな石で、お祀りされていた。

僕には、神さまが宿っているかどうかは分からないが、磐座探索をしている身でもあり、そのような石は大事にしたい。

石を運び出した最終に、その石を丁寧に外し、隣のご住まいに仮安置しておいた。

建物は規模を縮小して、住宅兼レストランとして新築されることになった。

中庭形式のプランであった。

庭は勿論僕が担当することになっていた。

中庭は、持ち帰っておいた「伊予の青石」で石組することに決めていた。

中庭形式なので、建築に先立って石組することにした。

建築の地縄が張れば、建築配置が分かるので、事前に石組しておいても問題はない。

今年2017年3月下旬、建築に先立って石工事を始める。

現場に残しておいた石の移動と再構成から始めた。

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6トン位の重量で最奥に在るため、35トン・ラフターを使った。

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元の庭で最も目立っていたのがこの石。

目立たせるとこの石だけが浮き上がってしまうので、アプローチ横の土留めとして控えめに使うことにした。

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土留として石を組んで行く。

引き続き中庭の石組。

建築の床高さとの取り合いを考慮して地盤高さを決める。
かなり土を盛らねばならない。

石は前日に選び、現場に運んでおいた。

例によって図面は描いていない。
工事が始まるまで、どのようにするかも決めていない。
現場での打ち合わせもしない。

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まず一番芯になる石を立てる。
瞬間的に神経を研ぎ澄まさねばならないが、一瞬で石の向きや配置を決める。
迷いはない。

中庭なので、見る方向は四方から。
裏表が無く、全方位からの視線にも留意しなければならない。

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一個目を据えれば、次々に配置は決まって行く。

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ここまでで30分。

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ほぼ配置が決まる。

時間的には2時間はかからなかったと思う。

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ステンレスのテーブルが、床高さ。

作庭記」には、「乞はんに従う」という言葉が出て来る。
石の声が聞こえる分けではないが、この言葉の意味はよく理解できる。
出会った石で、「乞はんに従って」石を据えて行く。

スピードが肝要だと思っている。

当日、駐車場部分の土留め石積みも同時に行う。

8月初旬、建築足場が外れデッキも出来たので、中庭の植栽と、砂利敷き等の仕上を始める。

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屋根越えの作業なので、8トンラフターを使う。

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必ず土壌改良は行う。

中庭にはあらかじめ透水管の設置を建築側でしてもらっている。

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水の地下浸透を促すために、砂利も埋め込む。

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屋根の2方には樋が無いので、大雨だと谷の部分から激しく雨水が落ちる。
土のままだと掘れてしまうので、穴を掘ってガラや石ころを埋め、その上に砂利を撒くことにする。

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表土に炭も撒いておく。

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砂利の搬入。

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最終、件の「神宿る霊石」を据え付ける。

場の雰囲気が一瞬にして変わったと、僕には思えた。

8月の暑い日だったけれど、涼し気な風さえ吹いた。

この時、僕は決断を迫られた。

元々、予算は厳しくタイトだった。

手の込んだことは出来ない。
これから塀やアプローチなど細かな作業が控えている。

如何にローコストで仕事を進めるかが課題であった。

しかし、この中庭が出来てしまった。

この中庭にマッチングした作業をしなければならない。
過剰なことはしなくとも、一切手は抜けない。

大幅赤字も覚悟した。

仕事を潤滑に進めて行くために、クライアントにも我がスタッフにも、僕の覚悟は伝えなかった。

ずいぶん手間取ってしまったが、9月末に完工出来た。

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解体されずに残った大きな長屋門を潜った所の石組と植栽。
塀は躯体を「フェロセメント工法」で造り、仕上は真砂土と「オートセット」と言う固化剤を混和した土仕上。

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アプローチ。

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土留め石組。

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玄関へのステップ。
古材を使用した。

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アプローチを振り返る。

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デッキ側から見た中庭。
中央の小振りの石が件の「神宿る霊石」。

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ライオンの顔ようにも見える。

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この中庭の石組をどのように評価してもらえるかは分からないが、
今まで沢山の石を扱い、沢山の磐座にも接してきた結果が現れているように思っている。

写真では、それを伝えることが出来ない。

幸この場所はレストランであり誰でも入り見る事がが出来る。

場所は、富田林市久野喜台2丁目。
南海高野線金剛駅の東側。
レストランの名前は「ガーデン和考」。
電話番号は0721-26-9159

今は昼のみで、喫茶だけでもOKとの事だった。
食事の場合は予約されると良いと思う。

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看板も出ていないが、この長屋門が目印。

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「フェロセメント工法」土仕上の塀と駐車場。

二度の現地調査の後、今日2017年4月25日、「宇陀プロジェクト」(仮称)、スタート。

詳しい場所、内容などまだ伝えることは出来ないが、まず現場の草刈り 、枯れ木・枯れ枝の撤去、伸び過ぎの木の剪定、などをしながら、現場の庭が、元どのような形をしていたのかを調べる。

このプロジェクトを担当する切っ掛けに成ったのは、「伊那佐山」の登山から。

2016年11月6日、かねてからの懸案だった宇陀市の「三郎岳」に、上森三郎さん、田中孝子さんとと共に登った。(「宇陀の三郎岳はピラミッドか?」参照)

その登山中猛烈に気になったのが「伊那佐山」。

探して近くまで行ってみたが、時間切れで登山は出来なかったが、
その時「八咫烏神社」に出会った。

それで、「なぜか気になる宇陀の伊那佐山」を書いた。

行かねばならない。

それで、11月13日に「伊那佐山」に一人で登った。(「宇陀の伊那佐山にはやはり巨石・磐座-1 山腹」、「宇陀の伊那佐山にはやはり巨石。磐座-2 山頂」参照)

この「伊那佐山」登山が切っ掛けで、このプロジェクトに参加することになった。

そして今年4月1日、オーナー一家と「伊那佐山」に登った。

先ずは、「八咫烏神社」に挨拶。

鳥居を潜り、振り向くと、

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鳥居の真ん中に「伊那佐山」。

このデザインが古来のものかどうかは分からないが、「八咫烏神社」と「伊那佐山」の深いかかわりを象徴しているように思う。
鳥居には昭和10年の年号が刻まれている。

鳥居から直角に曲がった所に拝殿。

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前の広場は、清々しい。
階段の上に本殿。

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赤と緑のコントラストが強烈。

これが元々の日本の配色。

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「八咫烏神社」の神紋。「丸に変わり葵」というらしい。

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真っ赤の本殿。

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傍らに石の祠。

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神社の由緒書きによれば、
これまで石神殿であったものが春日造りの社殿となりました。
とあるように、この石の祠が元の「石神殿」であったのかもしれない。

「八咫烏」と言えば「日本サッカー協会」のシンボルマーク。

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境内の片隅にひっそりと「三本足」。


現場に着いて、草刈り開始。

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門前。

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主庭も草ボウボウ。

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最初の調査時から気になっていたのが、この稜角を持った石。
ほぼ東を向いているので、「伊那佐山」を示唆しているように思っていた。

角度を測ってみる。

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少し南に傾いている。
あるいは、春分・秋分の日の出が、この傾き故に「伊那佐山」の山頂から出る可能性があるかもしれない。

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主庭の草刈り。

巨木に成っている梅の根元に、面白い植物が生えているのを見つける。

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二葉葵」のようだ。

「八咫烏神社の神紋」のモチーフ。(「葵紋」)

葉の形は「ハート形」。
意味深。

長屋門の右手に生えているクスノキの巨木は、かなり弱っているようで、枯れ枝が極めて多いし、芽出しも弱い。
かつ大きくなりすぎて、門を圧迫している。

何よりも、「借景」であるべき「伊那佐山」を隠してしまっている。

それで、強剪定することにした。
いわゆる「ぶつ切り」だけれど、樹勢回復の一つの方法にもなるのではないかと考えている。

切ると予想通りだった。

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中央の三角の山が「伊那佐山」。

座敷の主賓の席からもよく見えるはず。

家の配置も、庭の配石も「伊那佐山」を意識しているように思われる。

この発見はおそらく僕にしか出来ない。

磐座に強い興味を持ち、山にも登り探索をする。

同時に「原初のニワ」を探し求めている。
それは「平らな空間」としての祭事場。
そして磐座。

そして僕は現役の庭師。

庭から望む「伊那佐山」、さらに庭に
生えていた「二葉葵」。

この屋敷はただものではない。

僕達、造園業者の職種は多岐にわたっている。
日本には強いギルドが無いので、自分達で何でもやってしまう。
大規模だと専門業者に発注する方が効率が良いが、多くの場合は少しづつなので、勢い自分達でやってしまう。
今は、ホームセンターなどで、多くの材料は手に入るし、特殊な材料もインターネットで探すことができる。

しかし造園業者の最も基本的な仕事は、樹木などの植物を植え、管理する事。

最も基本的な仕事なので、誰でも専門知識を持ち、技術も優れているかと、問えば意外とそうでも無い。

人によってまちまちが現状。

常識の嘘も極めて多い。

樹木の剪定方も、その一つ。

間違った切り方を平気でしている業者も少なく無い。

その一つが、剪定切り口のケア。

切りっぱなしが、極めて多い。

指先より小さな枝だと問題は無いが、太い枝だと、後々問題が出て来ることが少なく無い。

切り口から腐朽菌が入り、幹の奥まで腐らせてしまうことがしばしば。
外見からは分かりづらいので、気付いた時にはすでにボロボロ。

もう一つ重大な事がある。元気の良い枝や幹を切ると、芯まで水分が豊富。

樹木の生命活動をしているのは、樹皮下の形成層だけと聞く。

水分が豊富な枝や幹の木部は、貯水タンクでは無いかと、僕は考えている。

だから、樹木は少々の水切れにも耐えることが出来る。

太い枝や幹を切ると、その切り口から、水分が抜けてしまい、貯水量が減る。
これが、剪定後樹木を弱らせる原因にて成っていないだろうか。

繊維が縦に通っていれば、なを水分が抜け易い。

直後に切り口をケアしてやれば、そのダメージを軽減出来るはずだ。

薬を塗ってやればいい。

いろいろ販売されているようだが、僕は「カルスメイト」を使っている。


宣伝する気はさらさらないが、扱い易く、効果も絶大。

直ぐにカルスが出て来るので、その効果が目視出来る。

薬効成分については何も書いていないので、よく分からないが、主成分はボンド、それに殺菌剤とホルモン剤が入っているのではないかと、推測している。

このような薬剤が無い場合は、木工用ボンドかコーキング材を使うのも良いかも知れない。

水分の蒸発を防ぎ、腐朽菌の進入を阻止出来る。

樹木を大事に思うなら、剪定後の切り口ケアは、樹木に対する最低限のマナーではあるまいか。

もう一つ問題がある。

剪定をすれば、枝葉が減る。
すると、幹に直射日光が当たり易くなる。
遠赤外線の熱がこもり、形成層にダメージを与える。

寒冷紗などで影を作ってやれば、効果はあるが、面倒だし見た目も悪い。

従って、光の当たり方などの配慮しつつ、剪定する必要もあると、思っている。
これが、なかなか難しい。

人の生活空間にいる樹木には、必ず剪定などの手入れが不可欠。

どのように手入れし、植物と共存してか行くかは、住み手の技量と、手入れする僕達の配慮にかかっている。

六甲山中の奥池で、桜を一本植え足した。
オーナーは桜が好きで、八重桜を中心に沢山植えている。

よく育って巨木になっているのもあるが、成績の悪いものもある。
原因は今のところよく分からない。

今回植える場所は、塀の外側の石積みの間で、空間的には狭い。

この部分にも、育ちの良し悪しがある。

掘って見ると、かなりの粘土質で硬い。

深く広く掘り、パーライトと炭を混和して、土壌改良。
関西は、相対的に土質はよくないので、必ず土壌改良は行う。

コンクリートのベースもあり、より狭い。

根鉢は、必ずバラす。
コンクリート・ベースに当たる部分の根鉢を削る。

少々根を切っても、問題は全くない。

さらに根鉢を崩す。

この方法は、盆栽の植え替えからヒントを得た。
40年以上前から、この方法で植え付けをしているが、活着率は非常に高い。
しかも、支柱なしでも転けにくい。
土壌改良した土と根の馴染みもよいので、発根も早い。

元土が粘土質だったので、とっさに思いついた事があった。

それは、高田宏臣さんの環境改善法からのヒント。

根鉢の周囲に、切ったシラカシの枝葉を薄く敷く。

その上に、土壌改良した土を被せる。
パーライトと炭、ピートモス、パーク堆肥も混和。

さらに枝葉を敷き、土を被せる。

そして、根を洗うように潅水。

さらに枝葉、土を被せる。
合計3層。

土手を作って、タップリ水を入れ、スコップを刺して水を浸透させて、土を隙間なく行き渡らせる。

水が引いたら、さらに土を被せ、均す。
深い水鉢は作らない。

仕上げにバーク・マルチを被せるが、その作業の前に、僕は現場を離れた。

新しい試みは、根鉢の周囲に枝葉を3層に敷き込んだこと。

この枝葉に、菌糸が付くことに期待をしている。

菌糸と樹木の関係に付いてはよく知らないが、何らかの相互関係がありそうに思う。
自然環境には多々あり、人工環境には希薄。

結果については、2、3年の観察が必要だと思う。

僕は、実験もせずに、ひらめきをブッツケ本番でやってしまうことがしばしば。

いろいろやって来たが、ほとんど失敗はない。

さて、今回はどうか。

このように記録を取るのも、極めてまれ。

僕が造園-庭を造るという仕事を始めてかれこれ50年になる。
よくマー続いたものだといまさらながら感心する。

僕は造園について、全く習ったことがない。どこにも弟子入りしたこともない。
突然降って湧いたような切っ掛けで、この仕事を始めた。

何も知らないことには、良いこともある。
それは、常識というタガが嵌められていないことだ。

仕事上で起こるすべては、自分なりに解決しなければならない。
本を読んだり、先輩に聞いたりも出来るが、僕は自分なりの体感を大事にした。
そして、「庭とは何か?」 、「人はなぜ庭を造るのか?」という事を常に問い、それは今も続いている。

自分なりの答えもある程度見出してはいるものの、まだその全てを纏めるには至っていない。

それはそれとして、駆け出しの頃に出会って、今も使い続けている材料がある。

その名は商品名で「ネニサンソ」。

最初に出会ったのは、生産農家の温室だった。

何やら白い粉状の土のようなものに、挿し芽がされている。
訊ねてみると、「ネニサンソ」だと言う。
「これに挿し芽をするとよく発根する!」と教えてくれた。

「ネニサンソ」とはいかにも安易な命名だが、その用途をよく表している。
根に酸素を与えるという意味。
後々気付くのだが、植物の根には酸素が必要なのだ。

根の無いものを挿し芽しても発根するのだから、根の有るものをこれを使って植えれば、新根がよく出て、活着率が高くなるのではないかと思った。

植栽のノウハウや技術も全く無かったそのころ、ちょっとでも可能性のあるものを、使ってみたいと思った。

ところが売っているところが分からない。

ある時建材屋に仕入れに行った時、よく似た材料を見かけた。
それが何か訊ねてみると、「パーライト」だと言う。

見た目がそっくりなのに、名前が違う袋にも「パーライトC」と書かれていた。

当時は、インターネットで調べるという時代ではない。
どう見ても、同じに思えたので、「パーライトC」を購入し、現場の土に混ぜて使ってみた。 

土の状態が、サラサラになる。 
何となくいい感じ。

そのように土壌改良した土に、樹木を植えると、全くの素人とほとんど変わりない僕が植え付けても、何だか活着が良い。

ある時、見るからに悪い土ばかりという現場に当たった。
土は青っぽく、雨が降ればドロドロで、乾けばカチカチ。
これもあとで知るのだが「海成粘土」という酸性の強い土だった。
同様の地層が露出した場所は、草も生えない。
著しく植物を植えるのには適さない土のように思えた。

あまりにも悪い表土を取ってその土を盛土し、削り取った部分に真砂土を加え、さらに「パーライトC」を加えて、耕運機で混ぜてみた。
するとずいぶん土の状態がよくなったように思えた。
盛土部分も同様にした。

排水もいたって悪いので、透水管をを入れて、地中の排水を促すようにしてみた。

平面には芝生を植え、盛土部分にはヒラドツツジを主体に植え付けた。その他当時まだ珍しかったハナミズキも植えてみた。
全てがうまく活着した。
 
この土に「パーライト」つまり「ネニサンソ」を混和する土壌改良法を誰かに教わったわけではない。
直感と閃きで、このような方法を試してみた。

すでにこのような土壌改良法は、「ネニサンソ」のメーカー「三井金属」は研究していたと思うが。

この方法は、僕に自信を与えてくれた。

植物の根は酸素を要求する。つまり新鮮な空気が土の中に入ることによって、多くの植物の根が元気に育つ。
根が元気であれば、地上部の幹や枝葉も元気で、植物は元気良く育つ。

「元気」とは いいことなのだ。

8月11日、空堀通の「こんぶ土居」の先代当主「土井成吉」さん宅の、庭の樹木の剪定作業に行った。

作業を始める前に話し込んでしまい、実際に作業を始めたのは午後2時前。(「土井さん夫妻と行ったトルコ料理の店ナザール」参照)

空堀通界隈は、大阪城の近くにあるにもかかわらず戦災に遭わず、古い町並みを残している。

多くは長屋で、かつては商店が軒を連ねていたようだ。

「こんぶ土居」はそこで100年以上続く老舗。

土居さん宅は元、店兼用住宅だったが、店を引越し、住宅専用として新たに建て替えられた。

本物志向の強い土居さんは、無垢材、真壁にこだわって家を建てられた。

家の裏に庭スペースがあり、当初土居さんは自分で庭を造るつもりでいたようだった。

僕の顧客の、和歌山の「緑風舎」のオーナーである岡畑さんが、僕を推薦してくださった。

当初躊躇されていたが、何度か会って話をするうちに信頼を得、僕が庭を造らせてもらうことになった。

作庭したのは、2,009年3月。

庭スペースは広くはなく、四方を建物に囲われている。

環境条件は、決して良いとは言えない。

僕はまず「水はけ」を大事にする。

水が動くことによって、地中の空気も動く。そして外気も。
この動きが、環境の良し悪しに繋がる。

自然浸透だけではおぼつかないので、有孔パイプを使って、排水することにした。
周辺の雨水排水パイプの管底が高いので、植栽部分は30cmばかり盛り上げることにした。

これが視覚的にも変化をつけ、人の空間と植物の空間を区分することにもつながった。

僕は、「庭は空間を作る事」と考えているので、必ず「人が活動できる平らな空間」を確保する。

作庭当初植えた「砂苔」は、環境が合わなかったのか消えてしまったが、そのほかの植物は良く育っている。

狭い場所なので、樹木の生長をそのまま放置することは出来ない。
放置すれば、たちまち庭を覆い尽くし、人の生活を脅かすとともに、樹木や他の植物の生存も危うくなってしまう。
樹木が大きくなるのを抑制する選定作業が不可欠。

作庭後2年ほどはほとんど選定作業も必要なかったが、樹木が良く成長するように成り、ある大きさを超えると、選定作業をしなければならない。

植え付けた樹木の種類は、あとで説明するが、自然観を損なわないように剪定するのは、結構難しい。

樹木の性質をよく知ると共に、センスが要求される。

繊細な枝先をいかに残すかが、肝要。

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建物側から見た剪定前の庭の様子。

中央の樹木は「富士桜」系の品種(品種名は忘れてしまった)。
「富士桜」系の品種は、比較的成長は遅く巨木にもならないが、今年は良く伸びた。

右側手前の常緑樹は「テンダイウヤク」。クスノキ科の灌木で、ごく小さなものを狭い場所に植えたが、良く育っている。

その間にあるのが「イロハモミジ」。
土居さんが苗を取ってきて、鉢植えで育てていたものを、20cm程度の隙間に植え付けておいた。
「イロハモミジ」は成長が早い。
繊細な枝先を残しながら剪定するのは、結構難しい。

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親指程度の太さだった「イロハモミジ」も、今や腕ほどの太さ。
石とコンクリートブロックで挟まれた狭い環境でも、良く育つ。

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石の左手にある幹は、常緑樹の「イジュ」。
「イジュ」は照り葉でグリーンが美しいし、白い花も楽しめる。
日当たりの環境への順応性も良く、成長の抑制も比較的やりやすいので、最近よく使う。

その奥に常緑樹の「カラタネオガタマ」。これも葉が美しく、なんといっても花の香りが良い。剪定もやり易い。

真正面の大きめの葉は、「ハクサンボク」。アジサイのように咲く白い花は美しいし、真っ赤な実も冬に映える。照り葉の大きな葉も美しい。冬に紅葉する場合もある。

「砂苔」は消えてしまったが、「ヤブコウジ」は一面に茂りだした。
他にシダ類や花の咲く草物も植えている。

樹木が良く茂っているので、奥にアイキャッチとして据え付けた「鉄燈籠」がやや見えづらくなっている。

剪定作業は僕一人で、2時間ばかりで終了。

土居さん宅では、太い枝を切るという事はまだほとんどないが、我[OM環境設計(オムカンキョウセッケイ)」では、剪定切り口のケアをするように努めている。

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使っているのは「カルスメイト」。
殺菌剤と、カルス形成を促進するホルモン剤が入っている。
それ故か、これを塗るとカルス形成が早い。

主成分は水性のボンドだと思う。
切り口に塗ると膜を形成し、乾くと雨で流れることがない。
切り口に膜を作るので、腐朽菌の侵入を防ぐ。
最も重要なのを、切口からの水分の蒸散を防ぐことではないかと、僕は考えている。

季節によっては、樹木の切口から樹液が流れ出すこともあるが、水分が気化して出て行くのも少なくないのではないかと考えている。
それが、剪定後の樹木にダメージを与えるのではなかろうか。

切口のケアをする。それは剪定する側の、マナーであると僕は思う。

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散水する時には、「テラファイト』を水道ホースに挟む。
「テラファイト」は「ゼロ磁場」発生装置。
「ゼロ磁場」が不思議なエネルギーを生み出すらしい。
今は親しくしている「上森三郎」さんの発明品。
環境が変わるような気が、僕にもする。
そしてささやかな、僕のサービス。

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剪定後の庭。

燈籠や石がよく見えるようになった。

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僕にとっては最も重要な空間、「平らなニワ」。

土居さん夫妻はこの空間を良く活用してくれている。

庭を造る場合、景観を重視するきらいがあるが、このような空間があってこその景観美だと僕は強く意識している。

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鋳鉄製の「鉄燈籠」も良く見えるようになった。
景観を引き締める上で、重要な要素。そしてそれは「明かり」であり「火」。

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僕にとっては「石」は欠かせない要素。
ここの主要な石は、殆ど元々ここにあったもの。
僕は石をあまり選ばない。出会ったものを重視して組み立てる。

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作業終了後、お馴染みのスズメも飛来。
この庭で餌をねだり、この環境を楽しんでいるかのよう。

僕が庭で選定作業をしている間、土居さんは熱帯魚の水槽「アクアリウム」の手入れ。

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ビフォアー。藻が茂りすぎている。

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アフター。すっきり。

やはりこのような閉鎖空間も、手入れが欠かせない。

何よりうれしいのは、土居さん夫妻がこの庭を楽しんでくれていること。

フェンス代わりに使用した「ヨシズ」は、見た目はまだ綺麗だが、痛みも出てきている。
国産ヨシズを使ったので、思いのほか長持ちしたというものの、来年あたりは、取り換えの必要が出てくるかもしれない。

消耗品をいかに取り換えるかも、課題の一つ。

僕は、このところ一日中現場に居て作業をするということは滅多にない。
昨日8月4日、炎天下、一日中現場に居て作業をした。

気温をネットで調べてみると、36°C越えとか。日陰は全く無し。
カンカン照りの炎天下、実温度はどれぐらいになっていただろうか?
金属パイプのスコップを持つと、まともに握れないほど熱い。

これが我々、外で仕事をする者の、夏場の現実。

僕にはたまの現場作業だったが、暑さが苦になるでもなく、問題なく耐えれたのは、日頃全く冷房を使わないからだろう。

我が家は、全く冷房を使わない。といって、涼しい所に住んでいるわけではない。ただ耐えているだけ。
我が愛車、フィアット・パンダも、エアコンは故障したまま。夏場は窓全開で走っているが、かえってこの方が、僕には気持ちが良い。
要するに、慣れだ。

勿論、エアコン無しでは、成り立たない場所のある事は、十分わかっているが。

注意しなければならないのは、熱中症。

僕は一度、熱中症になった事があるので、その怖さは、身にしみてしっている。

40°Cを超える体温。猛烈な汗。ガタガタ震える程の寒気。意識朦朧。食欲まるで無し。と言う、危険状態になってしまった。

水分と塩分補給。頭や首筋に直射日光を当てない事と、無理をしない事が、大事だと思う。

一応、注意をしながらも、僕は半袖Tシャツ姿。
腕は結構日焼けしていたが、さらに焼けて、真っ赤。


腕関節のシワの部分が白く見える。

作業中は、写真を撮る余裕もない。

少し長くなるが、仕事の内容についても書いておこう。

実は当日の仕事とは、庭の解体作業。
あまりしたくはない仕事。

4月30日に「庭の解体という仕事」という記事を書いた。 

5月に僕たちが行う建築解体前にをこなう石の移動と樹木伐採の作業はすでに終わり、7月初旬に、建物の解体作業も、すでに終わっていた。

引き続き、建物解体後でなければ出来なかった、自然石による石垣の解体と、その周辺の樹木伐採が残されていた。

早くしなければならなかったが、僕の「OM環境設計(オムカンキョウセッケイ)」は、初夏のメンテナンス作業が大幅に遅れていて、非常に忙しい。
本体スタッフでの、解体作業が難しくなってしまったので、助っ人を呼ぶことにした。
しかしこの時期、何処も忙しい。

僕の駆け出しの頃から付き合いのある、河南町馬谷の「藤山隆之」さんにたので見た。
5月に、建築解体前の作業も、藤山さんに手伝ってもらったし、搬出した大量の石の保管も頼んでいる。

藤山さんは、僕と同い年で、いつも気持ちよく僕の仕事を手伝ってくれる。
そしてよく動く、ありがたい存在。

今回の解体作業には、一つ大きな問題があった。

石垣の中の一個の石が「ミーさんが宿る石」として祀られている。

ある時、霊能者がその石に「ミーさんが宿る」とこの屋の娘さんに告げたらしい。
その言葉を信じ、娘さんはこの石の礼拝を続けていた。

その霊能者が本物かどうかは、僕には判断できないが、そのように祀られた石の取り扱いには、気を付けねばならない。

僕は「磐座」の探索をし、石自体が大好きなので、この庭にあった大量の石を、ゴミとして破壊され捨てられるの何とかすべく、その石を移動し、いつか使うときの来ることを期待し、もらい受けることにした。

樹木については、経済的負担が大きすぎるので、その大半は伐採せざるを得ないと判断した。

まず「ミーさんが宿る石」の扱いについて。
僕は霊能者でもないし、どのように扱えばいいのかは分からないが、今までの「磐座」探索から判断して、「石に対して敬意をもって挨拶しておく」ことが大事ではないかと思った。

当日、クライアントの家族と共に、石の前に立ち、塩と「テラファイト」を通した水で清めをし、神道式の型通りの挨拶をすることにした。

そして、隣の今の住まいの側に仮安置することにした。

石垣の石は思いのほか重く、その内の一個が、チャーターした8t吊りのラフターでは吊り切れない。

オペレータの計測では、7tを超えているという。
これでは、我々の2トントラックにも無理しても積めない。

オペレーターは、息子の12tラフターが今日空いているので、呼んでみると言ってくれる。
藤山さんは、4tダンプのリース車があるかどうか問い合わせてくれる。

全てがうまく段取でき、作業が続行できる。

8tラフターが開いて来るので、石を下ろす場所に行ってもらうことにする。能率がうんと上がることになった。

それでも、作業は炎天下で、丸一日かかってしまった。

全ての石を下ろし終え、倉庫に道具を片づけ終えたのは7時を回っていた。

途中で一日では作業が終わらないのではと思ったが、何とか作業を終えることが出来た。

この炎天下、作業を手伝ってくれた、藤山さん達に感謝!

さて件の「ミーさんが宿る石」の移動。

周辺の全ての石を、全て移動した後、その石をラフターで吊る。

石は大きくはないので、担いで運ぶことも考えていたが、何とかラフターで届く距離だったので、 吊ったまま運ぶ。

元は石垣に組み込まれていたので、合場を合わせていたので、一個石の設置とは違ってくる。

石はいわゆる「伊予の青石」。
「重森美玲」が好んで使った銘石。

据え方を変えると、石は三角形になる。

形的にも安定するし、白い文様も綺麗に見える。

伊勢神宮・内宮の小さな石」の多くも、三角形に据えられている。

三角形に据えられる理由は、おそらく「蛇がとぐろを巻いている姿」を表現しているのではないかと考えている。

「ミーさん」は白蛇らしい。
であるなら、三角形に成るように据えるのがこの石にとっても好もしいはず。

据えた後、水道ホースに「テラファイト」を挟み、石とその周辺を洗った。

この様な石の扱いをしたのは初めてだったが、なんだか石が輝いてみえ、僕自身清々しい気持ちになった。

クライアントから、石が元とは反対向きではないかと指摘されたが、この姿で据えるのが、本来であると、自信をもって説明することが出来た。

8月1日、芦屋のYさん宅の手入れに行く。
Yさんは、庭が好きで、あちこち見て回るらしい。
僕は芦屋近辺で沢山仕事をさせていただいたので、Yさんも僕の造った庭を、多く見て、気に入ってくれたようだ。
そんな御縁で、仕事をさせていただいた。
もう10数年たつだろうか。
面積的には、非常に狭い。
門周辺の2㎡位だろうか。
外構はすでに出来ていて、工事は植栽が主体。
樹木は、大きく育つことを期待して、十月桜と、シマトネリコを植え、足元に少々の石と潅木、あとは草花を植える。
狭い場所なので、勿論土の下ごしらえは、排水重視。
作庭後、毎年三度は手入れに行く。
それをYさんは、楽しみにしている。
二本の樹木は、期待通りずいぶん大きく育った。
育つのはいいが、困ることがある。それは、影。
夏場の影はいいものだが、草花が育たない。
このバランスが難しい。
狭い場所でもよく育つので、大きくなり過ぎても困る。
時には太い枝も切らねばならない。

作業前の写真は、撮り忘れてしまった。
樹木は、かなり切った。
切り口には、必ず薬を塗る。殺菌すると共に、切り口からの水分の蒸散を抑える。
切り口からの水分の蒸散が、樹木にダメージ与えるのではないかと考えている。

足元に、草花を植え、

パーク・マルチを施し、散水して作業はほぼ完了。
後は、掃除。
ずいぶん明るくなったので、草花も良く育つだろう。
何より嬉しいのは、Yさんがこの庭を愛し楽しんでくれていること。
規模には関係なく、僕にはやりがいのある、楽しい仕事。

先日、和歌山の「緑風舎」のオーナーの岡畑さんから電話をいただいた。
「今年はチューリップが綺麗ですよ!」と。

すぐ行けなかったが、今日4月18日から芝生への目土入れなどの 作業を始めたので、僕も訪ねてみた。

さすがにチューリップは盛りを過ぎていたし、ソメイヨシノも葉桜になっていたが、草花は咲き誇っている。

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門の外側。
この部分のチューリップはすでに終わっている。紫の小花は、クリーピングタイム。

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玄関へのアプローチ周辺。
ここもチューリップは終わり、ボタンが咲いている。
黒い石は「生駒石」。

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玄関前。
「生駒石」の石組周辺は色とりどり。
通常の日本庭園の石組からすると、邪道だと言われるかもしれないが、僕にとっては究極のスタイル。

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かつては嵩張り邪魔になって伐採処分寸前だったウバメガシを、幹だけの棒にしてシンボリックに植え付けてみたら、幹全体から芽が吹いて、ポール状樹木になった。
うどんこ病も見られたが、今年は綺麗な新葉。樹木の本来持っている生命力を感じる。そしてこの庭の一つのシンボルへと蘇った。

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「フェロセメント工法」で作ったベンチ回り。

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石組の隙間に植えた小花が咲き競う。

背後にわが愛車、フィアット・パンダ4WD。

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ソメイヨシノの足元に植えたネメシアが、見事な大株に。

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槇などの型物の既存樹木も、今のところ伸ばし放題にしている。今年から少しずつさばきながら、出来るだけ自然樹形に戻して行きたい。

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この庭の中心部。
既存の石橋や大きな手水鉢を据え変えて、今までにない表現を試みてみた。
この部分にはまだチューリップが残っていたが、淡い色を主体にしたので、あまり目立たない。それが狙いなのだが。

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排水を兼ねた窪みの石貼りの目地に植えた苔万年草も、だいぶ茂ってきた。苔万年草は丈夫だし、極めて使い出が良い。

目視では背後の勿忘草のブルーが綺麗のだが、写真では分かりづらい。

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この部分は、少し黄色を多めに。

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斜めから。

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井筒まわり。
実際に井戸があり、水はポンプアップされて今も使われている。

水が循環されることにより、ここの庭の雰囲気はずいぶん変わってきた。
水は動かなければならない。

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石の隙間に植えたリソドラのブルーが映える。
石の隙間は、なぜか植物が良く育つ。

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クリーピングタイムも同様に花盛り。

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アリッサム・サキサティレの鮮やかな黄色は、人々を元気づける。

「緑風舎」の庭は改造。
元々沢山の石が使われていた。僕は石が大好きなので、その全てを使い切った。少なくとも100トン以上はあったと思う。
選り好みは全くしない。不思議なほど、石はあるべき場所に収まって行く。

有るものを使うので、図面も描かない。現場で大まかな方向性だけを決める。

この現場では、まず「東西軸」を決めた。それだけ。

後は閃きだけ。「直感」、これが僕にとって全て。
迷いがないので、早い。

結局石が少し足らなくなり、僕の手持ちなどを少し加えた。

石組に花を植えるのは、最初から考えていた。

今、磐座探索をしていると、その殆どはジャングルに閉ざされ、日の光が当たらず薄暗く、落ち葉が積もり苔生している。まるで生気が感じられない。

僕は、「磐座には、日の光が当たっていた!」と考えている。
日の光が当たれば、当然「磐座周辺には草が生え、花が咲く」はず。

「磐座の春は、生命力に満ち満ちて、花も沢山咲いている」はず!

僕には、「磐座」は造れないが、せめて石組の周辺に、それを具現してみたかった。
オーナーの岡畑さんも了承してくださったので、これが実現できた。

ところが、昨年の春は天候不順もあり、あまり花の状態は良いとは言えず、生命力に満ち満ちているとは思えない状態だった。

ところが今年は、生命力に満ち満ちている。
庭の雰囲気もずいぶん変わった。
僕がこうあってほしいと願っていた方向に、確実に進み始めた。
これからの展開が益々楽しみになってきた。

会ったこともないフェイスブック友達の記事から、僕自身を振り返ってみることになってしまった。

遠い昔、二十歳の頃、 僕は勤労学生だった。会社勤めをしながら夜間大学に通い始めていた。
そのころ夢中になっていたのは、登山と写真だった。

23歳で会社を辞めた。惰性に流されたくなったからだったと思う。

その時、ある事情で我が家に庭を造るという仕事(造園)仕事が入ってきた。誰も出来る者はいない。
勿論、 僕には知識も技術もない。たまたまプータロウだった僕が、その仕事を引き受ける羽目になってしまった。

今から約50年前、これが僕の庭との出会いであった。

何も知らなかったけれど、なんとなく「重森美玲」の庭に憧れていた。特にその石組に。

すると何故か、石を扱う仕事が入ってきた。
当時非常に高価だった「伊予の青石」が扱えた。

技術も何もないのに、なぜか次々仕事があった。

すぐに疑問が生じた。
「重森美玲」の庭の物まねをしていても、すぐに僕自身の限界が来る。それが目に見えた。

それで、憧れ尊敬しつつも「重森美玲」の庭を、批判的に見るようになった。そしてまねて造るのをやめた。

当時は、型物の木がまだ全盛期だった。
僕は、この型物の が好きになれなかった。
それを使うという事は、「重森美玲」 が強調していた、「創作」とは程遠いものだと思ったからだ。

ヒントは「山」から得た。あの伸びやかな自然樹形の樹木を植えたなら、さぞや面白かろうと思った。

関東にはすでに「雑木の庭」が確立されていたが、関西ではまだだったようで、自然樹形の山取りの木などほとんど販売されていなかった。

そのころ僕は、結婚して大阪では考えられないような山奥に住んでいた。
周辺には、いわゆる「雑木」がまだ沢山生えていた。それの山取りが、僕の雑木の庭の始まりだった。

雑木の庭を造る場合、関西の「真砂土」だけではうまく行かないのではないかと思い、「パーライト」などの土壌改良剤を使うようになった。
するとかなり活着率が良い。

それが好評で、次々に仕事があった。

ところが、雑木を植えても 足元が寂しい。それで灌木を植えこんでみたが、なんだか物足りない。
それで、草を植えるとより自然感が出て面白いのではないかと思った。

草物の知識は全くなかったが、面白そうなものを片っ端から植えてみた。
当時「グランドカバー」がはやり始めた頃だった。

草物を扱うには、より一層の「土壌改良」が不可欠だった。 
それで、植栽環境の重要さを知った。

同じ草物を植えるなら 、花が咲けばより面白いのではないかと思い、宿根草、一年草、球根類など様々の物をごちゃまぜに植えるようになった。

決して自然の写しなどではなかったが、僕の造る庭は自然な感じに見えた。
それが、女性から認められた。

そのころ初めて海外視察に付いて行った。
特にイギリスの庭に驚いた。花の庭がすでに確立されていた。

これだと思ったが、僕は登山をしていた関係で、環境には敏感だった。
イギリスのまねをしても、きっとうまく行かない。緯度の違いから日差しがまるで違う。
それで、暗中模索が始まった。

Gardeningという言葉に反応したのも結構早かった。

当時(今もそうだが)作庭家、あるいは造園家といわれる人たちは、植物の知識をあまり持っていない。特に草物の花物の知識はまるでない。
「日本庭園に 花を植えるのは邪道だ!」という人までいた。

でも、僕は庭に花を植えることによって、認められることになった。

婦人雑誌などに次々に掲載され、やがて間違った解釈の「ガーデニング・ブーム」なるものがやってきた。

今も僕は花を植えるので、「花の庭」のスペシャリストのように思われている。しかし僕の庭造りはそれだけではない。基本的なところは他にあるが、長くなってしまうので、それは別の機会にしたい。

ところが、僕が「何故、花を植えるのか?」、 というその根幹が今一つつかめずにいた。

今日4月15日、まだ会ったことのないフェイスブック友達の記事で、「なぜ、花を植えるのか?」疑問に光を当ててもらうことが出来た。

その方は、僕の記事によく反応してくれる、「近藤みずほ」という女性で、ヒーラーであり占い師らしい。

近藤さんのブログ記事「炎の花」にそのヒントがあった。

文字は花だった

ふと、花の中心は大源に繋がる
宇宙への入口ゲートであると気が付いた

花は宇宙、花は愛、宇宙は愛

宇宙を伝える為に花は存在していた
全ての花は花芯から宇宙の根源と通じていた

花は宇宙の呼吸を地球へ吐き出す

私達は日常に溢れる花から
宇宙の息吹を頂いて生きていた

花は私達をいつも見守る
普遍の宇宙の愛で

僕は今、磐座探索に惹かれている。
ここに磐座が在るのではないかと思えば、ジャングルをかき分けてでも、探しに出かける。

その理由は、おぼろげながら分かっている。

それは、「天・人・地」を繋ぐ、つまり「宇宙・人・地球」の繋がりの経絡のような場所が「磐座」ではないかと思っている。

僕は鈍感なので実感としてはまだ感じることもできないし、「磐座」から何かを読み取ることもできない。しかし、そこには何かある。

そして常々思うことは、「磐座」には、太陽・月・星の光が降り注いでいなければならないと。
今のように、「磐座」がジャングルに閉ざされ、落ち葉が積もり苔生すような状態では、 「磐座」にはエネルギーがこもらない。

光が降り注ぎ、エネルギーに満ちた「磐座」の周りには、きっと花々も咲き乱れているはずだと。

近藤さんの詩のような文で特に、僕にインスピレーションを与えてくれたのは、
 宇宙を伝える為に花は存在していた
全ての花は花芯から宇宙の根源と通じていた

の部分。

いみじくも使われた言葉「花芯」は「ホト」、女性器を表す隠語でもある。

花も生殖器で、未来への「種」を生む。

それは正に生命の謳歌であり、喜びの爆発でもあるのだ。
それは、地球の芯へも。宇宙の根源へも繋がりうるのだ。

まだまだ謎ばかり、分からないことばかりだが、大いなる繋がりを得た気がしている。 

3月22日から始まった、中央区の空堀通りの近くの古民家(長屋)のリノベーションが
、3月31日完工した。

この仕事の話があったのは 、今年1月。僕の顧客が、古民家を購入され、文化教室を開きたいという事から始まった。

空堀通りの近くでもあり、「こんぶ土居」の先代店主であった「土居成吉」さんを紹介した。 

土居さんは、信頼を置いている建築家「柳本」さんを紹介した。

柳本さん自身が、この近くに住まわれていることと、古民家リノベーションに詳しく、かつまた親身になって相談に答えてくれるという、土居さんの信頼故だった。

クライアントの希望している工期は、3月中旬。
柳本さんの想定は、7月完工。 
 それは、到底不可能に見えた。
僕もそのように思ったし、「慌てない方が良い」との アドバイスをしたが、クライアントはせいぜい延ばせても3月末だと言う。

それから、柳本さんの努力が始まり、不可能と思っていたものが、出来上がった。それも素晴らしい出来栄えで。

請け負った工務店の努力も大変なものだったと、傍目で見ていても分かる。

この長屋住宅は、築100年近く経つという。しかし、増築・改築がしばしばされているようで、ほとんど原形をとどめていない。

僕が成す、庭的にリノベーションする場所は、二階部分の元の物干し場と、一階部分のごく狭い所。 
二階部部分は重量の問題があり、一階部分は軒下で、しかもずいぶん暗い。

工事の経過は、いくらか当ブログに書いてきたが、構造をどうするかが一番の問題だった。
僕には「フェロセメント工法」という、特殊技術がるので、この現場でクライアントの要求に答えることが 出来た。

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二階へ上がる階段から見る。

左側に補強した梁を、建築で作ってもらった。右側は今は見えないが、パラペット状になっていて強度がある。
屋根部分は、重量に耐えれないので、両サイドの梁で重量を支えるように考えた。
水はけも必要なので、左手はアーチ構造で浮かして造り、今は見えないが、植え升の中に梁を設けて、全重量が直接屋根にかからない工夫をしておいた。

右手の壁は、隣の壁を隠す必要と、全体の一体感を持たせるために造った。

ここでの僕のミソは、土間部分。
安心してこの場に出ることが出来る平らな空間を造った。

僕の庭造りのコンセプトの一つが「平らな空間」。
人が立ち活動できる空間があってこそ、「庭」でありそれが「ニワ」だと考えている。

この空間も、重量を考え、スタイロフォームを芯にして、左官仕上をしている。

仕上は全て、土仕上。
土だけでは、勿論持たないので、「オートセット」という商品名の固化剤を混ぜて固めている。

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植え付け作業時の写真はいつも撮れない。

培養土は軽量化するために、粒の粗い「ホワイトローム」で排水層を作り、あとは真珠岩系パーライト「ネニサンソ」を 使う。それに、農業用の粉炭、バーク堆肥、ピートモスなどを混ぜる。

椿、つつじ類の常緑樹と、モミジ類の落葉樹を取り交ぜて植え、宿根系の草花とハーブも植え付けておいた。

ハーブがうまく育つかどうか、日当たりなどの関係で未知数なところもあるが、収穫できるものを少し植えておくことげ、出来るだけ外に出てもらいたいと考えている。

眺め鑑賞するだけでは、生活に密着した庭ではないと、僕は考えている。

ここは文化教室となるので、そのあたりも伝えたいという意思を込めている。

重量の問題もあったが、造っている過程で自信が持てたので、少し石も使ってみた。

この石は、おそらく年末に工事をするであろう現場から出てきた石(擁壁工事時に出てきた)を 使った。
通常なら、邪魔者として捨てられるか埋めてしまわれる石を、使ってみた。
特別な石ではないけれど、組んでみるとそれなりの表情が出る。石が無いと、まるで締まりがない。石が生きてくると、僕は何故か嬉しくなる。
 
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夜間も見れるように、少し明るい照明も付けておいた。

内部が明るくなると、反射して外部が全く見えなくなってしまう。
内部より明るくしないと、意味がない。(外部を明るくすると、逆に内部が見えない。これは場合によっては有効な手段となる。) 

一階部分。

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軒下であり、隣のマンションが隣接しているので、全く日が射さない。

それで、植物生育用のLEDライトを取り付けてみた。
いささか白っぽい。電球色のLEDも用意していたが、今はまだ取り付けていない。

勿論、二階も一階も、自動潅水装置を設置した。
スプレーで飛ばすと、飛散する危険性があるので、線状に水が出る、ドリップ式のノズルを設置した。

植物を育てるには、極めて条件は悪い。
樹種の選択と、技術的な解決策を練るとともに、今後のメンテナンスが不可欠。

僕は、このような空間を、屋内で作ることは、あまり進めることは出来ない。
リスクが大きすぎると思うからだ。
もしそれでもという向きがあれば、それなりの覚悟(メンテナンスに必要な経済的なバックアップ)が必要かと思う。
それも、できるだけ小面積にとどめるべきだろう。

イメージだけでは、生き物は扱えない。常に現実が付きまとう。

僅かな面積ではあるが、ずいぶんと手間がかかった。
材料運搬、現場での作業も大変な困難を伴った。

そのような困難を、逆に喜んでやってくれる「清水レンガ工房」の清水さん一家の存在は極めて大きく、僕にとっては有難い。

どうなるかと、楽しみと心配の入り混じった現場が、何とか完工できた。
何となく嬉しく、かつまたホッとしている。 

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