2008年06月

チューリップ・バブルは国家を衰退に導いた

18e1537d.jpg マネー革命3のチューリップバブルの話なんだが、1630年代におきた近世ヨーロッパのオランダアムステルダムでおきた3大バブルの一つなようで、当時のオランダはスペインからオランダ共和国として独立して、経済の黄金期に入っており、東インド会社を設立、東インドの植民地経営と貿易により豊かを享受していたようだ。

当時のアムステルダム証券取引所の株価記録にいれば、1636年3月229ギルダーだった株価が同年8月には412ギルダーとなり、翌年1月には500ギルダーになったようだ。

 株式と並行するように、土地の値段も高騰し、都市開発が盛んにない、居住地域が拡大するにつれ、運がが延び、運河が延びると都市が拡大していったようである。運河を利用する船の通行料金を投資家に分配するという方式が公安されたようだ。投資先を失った資金は都市整備などの公共的なものから時計細工のような趣味的なものに、流れ最後の行くついたのがチューリップの球根だったといわれる。

 チューリップの球根はそんなに高価なものではなかったが、球根が投機の対象として取引されるようになると、その価格は異常にはねあがっていく。最初は裕福な承認だけだったが、あっという間に中産階級た庶民まで取引に参入するようになる。

 現物だけじゃなく、来年にとれる予定の球根まで値段がつけられる先物取引が行われ、来年球根を一定の値段で買う権利だけも売買するようになる。

 1634年の記録によれば、球根一個は馬2頭と四輪馬車(金具つき)と交換されたようだ。またある球根の栽培家が飼っていた牛に球根を食べられてしまい、破産にい追い込まれて自殺したこともあったようだ。

 3年後の1637年の取引記録によれば、球根の値段が日々売買と急騰し、ついに球根一個6000ギルダーがついたようだ。現在の価格に換算すると1億円だそうである。球根一個と煉瓦つくりの2買い建ての家と交換されている家も現在も残されているようだ。

 結局1637年2月2日、チューリップの栽培の中心地であるハーレム市の役人があまりの高騰に歯止めをかける政策を決定した翌日、ある花屋が1250ギルダーで買った球根を転売しようとしたところ、誰も買い手がつまなくなり、それがきっかけに暴落がはじまり、そのパニックがオランダ全土に広がり、一夜にして5000ギルダーもした球根が50ギルダーにまで暴落、この暴落で数千人が破産したようだ。オランダの銀行もこの事件によって麻痺。破産した人たちはこのことを不服として政府の管理責任を問う訴えをおこしたが、裁判の判決は、先物やオプション契約はギャンブルであるから、この契約に関する損失についての補償は一切が個人の責任であると訴えを退けたようだ。

 チューリップバブルの崩壊はオランダのあらゆる資産価格を揺るがし、深刻な資産デフレ(価格下落)に陥り、国民の士気は長く続く不況のどん底で、かつて世界を制した国民が自信と気力を失い、2度に渡る英蘭戦争に敗退、フランス軍の侵攻に負け、東洋貿易の覇権を英国に奪われて国力を衰退させていく。

 チューリップバブル崩壊からその150年後ついにフランス軍の制圧されるわけだ。

ジム・ロジャーズ

ae68bae2.jpgジム・ロジャーズ出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』移動: ナビゲーション, 検索ジム・ロジャース(Jim Rogers、1942年10月19日 - )は、アメリカ合衆国アラバマ州出身の投資家。ジョージ・ソロスの元パートナー。初めての仕事は5才のときのピーナッツ売りだった。 [編集] 経歴 1964年 - エール大学を卒業(学士)。夏休みのアルバイトにウォール街で働いたことで投資に興味を持つ。ウォール街で初めての仕事を投資銀行Dominick & Dominickで得る。当時、ウォール街については何も知らず、株式と債権の違いについてさえ知らなかったが、仕事にはすぐに熱中した。 この後、オックスフォード大学へ留学。奨学金で株式投資を行う。 1966年 - オックスフォード大学を卒業し(修士)帰国。数年間アメリカ陸軍に所属する。 1968年 - 見習いアナリストとしてウォール街で働き始める。 1970年 - 投資銀行Arnhold & S.Bleichroederに入社。 1980年 - 仕事を引退。その後、コロンビア大学ビジネススクールの客員教授になる。 1989年 - WCBSの"The Dreyfus Roundtable"で司会を務める。 1990年 - FNNの"The Profit Motive with Jim Rogers"で司会を務める。 2002年 - 毎週土曜日放送のFOX News Cavuto on Businessでレギュラーゲストになる。 [編集] ファンド Arnhold & S.Bleichroeder勤務時にジョージ・ソロスに出会ったことがきっかけで、1973年、ソロスとともにクォンタム・ファンドを設立する。ファンドは10年の間に3365%のリターンを得た(ちなみにこの間、ダウ工業指数は20%上昇したにすぎなかった)。この成功を受け、1980年に仕事を引退した。 1998年、Rogers International Commodity index(RICI)を設立。このファンドは、1998年8月1日以来326%の上昇を達成している(2007年12月時点)。2005年に、書籍Hot Commoditiesを著し、従来の投資における考え方とは逆に、商品投資は最良の投資のひとつであることを示した。 RICIのリターンは、1998年7月31日-2004年7月30日の6年間で次のようになっている(株式、債券、不動産と比較)。 Rogers International Commodities Index (RICI) +167.441% S&P 500 Index -1.69% Lehman Long Treasury Bond Index +49.36% Vanguard REIT Index +28.04% ちなみに、RICIと連動する日本のファンドとして、大和証券の「ダイワ・コモディティインデックス・ファンド」と三貴商事の「商品新時代」がある。 [編集] 旅 1980年代、中国の各地をオートバイで旅行。 1990年-1992年、オートバイで世界6大陸に渡って65065マイルを走破(ギネスブック記録)。 1999年1月1日-2002年5月2日、メルセデスベンツで116カ国を走破(もう一つのギネスブック記録)。総走行距離は、245000キロメートルにも及んだ。レイフ・エリクソンのアメリカ大陸到達千年記念の日にアイスランドを出発し、2002年1月5日ニューヨークの自宅に到着した。 [編集] 発言ロシア政府や、世界銀行から発表された情報を信じるなんて、正気か? 自分で調べた会社の株を買いなさい。さもなければ、家で映画を見ているほうがいい。(他人からの情報を信じるな) 幸運は、常に努力を怠らない人のもとへ訪れる。 口を開いてあれこれ喋って、自分が疑いようのない馬鹿だということを証明するよりも、黙っていて、他人に愚か者を見るような目で見られた方がよい。 中央銀行の連中は、木がなくなるまで紙幣を刷っているだけじゃないか? 私の母でさえ、あれがバブルだと気づいていたよ。(90年代のハイテクバブルを指しての発言) 子供には、中国語を教えなさい。 ジム・ロジャーズ 私のコメント・・・・・・・・・・・・中国バブル崩壊とか、中国について批判的な著作が多い中、彼は自分の頭や皮膚感覚に基づいて中国のマーケットや政治・経済など徹底して調べ目利きした傑作である。 マネー革命によれば、彼はアメリカでもアラバマという地方に生まれ、それからニューヨークのウォール街に出てきてソロスと知り合ったんだが、ウォール街に出てきたときは全財産が600ドルしかなかったという。ソロスとパートナーシップを組み、運用資産1200万ドルからはじめたようだ。当時はファンドをやっている会社は10もなく、めちゃくちゃ儲かったようだ。彼は何をしていたかというと、たくさん旅行して、他の企業を訪問したり、他の国々にいったり、世界中のすべての企業や産業の買うものを探し、旅行してないときは、世界中の定期刊行物や雑誌や新聞を読んでいたようだ。ソロスがファンドの基本方針とトレーディングを行い、ロジャーズがアナリストとして投資対象国の銘柄の選択うぃおしたようである。11年間で運用資産総額を33倍も増やしたようである。ただ彼も20代後半に壊滅的な経験をしたようで。どんなすごい投資家でも失敗しているのは世界共通だ。彼は37歳でウォール街のヘッジファンドから足を洗い、バイクで世界を冒険しながら投資家として今日に至っている。

おいおいしゃれにならんのじゃないの

9a16ffd3.png 中国マーケットは北京五輪後に下がると言われていたが、まさか北京五輪前
にこういう状況になるとは。

 一昨年から去年にかけて儲かるだけ儲けていた投資家も今どうしてるんだろうね。
メディアも中国市場を取り上げていたようだが、最近はきかなくなったなー。

リーマンブラザーズの女性株式ブローカー

2252c040.jpg そうなの?

中国よ大丈夫か?

10639419.png 今日の上海総合指数なんだが、▲7.729%の下げ。
NKも朝方は100円以上上がってたんだが、急に下がった。

 去年の中国はすごかったんだが、完全にバブルがはじけたようで、ジム・ロジャーズは強気なんだが、はたしてどうなるんかね。

 

マーケット史 1982年から1989年バブル絶頂から現在まで振り返る 

3eb67765.png 1982年から現在までの日経平均株価なんだが、絶頂は1989年12月29日の38915円が最高だ。1982年の6849年から右肩上がりで始まったんだが、この7年は何をやっていても儲かった時期。札束がどんどん増え狂気乱舞だったようで、おいらはバブルの時代は知らない。1987年にブラックマンデーという世界を震撼させた事件があったとはいえ日本経済は関係なかった。

 そして1990年に不動産総量規制によりバブル崩壊。この1990年の1年というのは地獄のような年だったようで、1年で20000円近くまで下がっており、1992年には15000円をついに割ることになるくらいすさまじい勢いで下げたわけだ。

 マーケットというのは景気より早く動く、景気が深刻になったきたのは1995年前後くらいで、ここから失われた15年という時代が続く。

 1997年にはアジア通貨危機、消費税引き上げによる景気の低迷、山一証券・北海道拓殖銀行破綻、1998年にはドリームチームLTCMの破綻・長銀の破綻により最悪の13000円割れの時代になるが、ついに日銀は0金利を開始、そこからIT革命によるドットコムバブルが始まるわけだ。

 その後2000年にドットコムバブル崩壊後、アメリカニューヨークにおいて同時多発テロ・エンロン・ワールドコムショック・そして竹中ショック・ついに日経も10000円を割り最悪の7000円代へ、そこからりそなの国有化から一気に流れが逆転、小泉の郵政解散からぐんぐん上昇したわけだが、ライブドアショックで暴落、さらにはサブプライムショックと続く。
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