真剣に身近なフィールドと向き合ってみた5年

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物心ついた頃から魚釣りが好きで、
大学で人生を釣りに捧げる覚悟をした。
できる限りの釣りを体験し、学び、
「人生にとっての釣りはなんだろう?」と
釣り文学に再び触れながら、
哲学的なことを考える。

40歳と39歳が大きく違う。
「釣った」「釣れない」。
「大きい」「小さい」。
そんなことだけで満たされなくなった自分の心。
幸か不幸か。

ヘミングウェイやウォルトン卿。
そして開高健。
決して魚を釣るためのノウハウではない
釣り文学が身に沁みる。頭に入る。
こんな事、今までになかった。

結婚し、家庭があり
釣りばかりもしていられない環境を
「釣りが楽しくない」と
不幸に捉える人もいるけど
ボクは今、こんな状況も楽しい。

名著Trout BUMの前書きでラフォンテーンが書いた
「人生のややこしい問題を抱えずに
ただ釣りだけをしている輩は『バム』ではない」
と言った旨の言葉が身に沁みるわかる。
人生のそれぞれのステージで釣りの存在は変わってくる。

三陸での大学生時代を含めた若い頃
あれだけ夢中になった「渓流」でのフライフィッシングが
今年に限ってはゼロだった。

決してヤマメやイワナが嫌いになったわけではない。
自分にとって
「日常的にフィールドに立つ」
と言うことが
ボクの釣りの大切な部分だと
気付いたから。

東京で、遊びたい盛りの幼児を抱えた今の状況で
休みを取って渓流へ!と言うのは
カミさんへの申し訳なさが先に立つ。

それでも毎週の様にフィールドに立ちたい。
その気持ちを押さえつけるのは
今の仕事柄、やっぱり耐えられない。

6年ほど前
仕事で浜名湖でのフライフィッシングの番組を作った。
狙いはチヌ(クロダイ)。
衝撃だった。

チヌは瀬戸内の釣り少年にとっての憧れ。
メバルやサバは自分たちにも釣れたけど
やっぱりチヌは難しかった。
カッコよかった。
中学生の頃、宇品の堤防で
ダゴチン釣りで釣った最初のチヌ。
嬉しかった。
誇らしかった。

子供の頃に釣りにハマった人ってのは
ある意味でその頃の憧れや
ドキドキが全てを司っているのだと
最近は思う。
幼児体験は強烈に脳みそに刻まれる。
三つ子の魂は百まで続く。

その浜名湖での視覚的経験は
強烈だった。
番組を作り終えた後
プライベートでやってみた。
サイトフィッシングで50cm近い
チヌが釣れた。
膝が震えた。
 
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 ここ数年
夏場の週末は多摩川河口のフラットに立つ日々。
フラットと言えば聞こえは良いが
干潟だ。
フライフィッシングと言えば聞こえは良いが
泥遊びだ。

広島の河口にもチヌがうじゃうじゃいることを思い出し
多摩川の河口にもいるはずだ!
と思い込む。
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そんな漠然とした状態から 
 週末の午前中に干潮を迎える潮回りは
ほぼ通った。
 日常的に通える範囲で
フィールドに立てるし観察ができる。
そして何より家族にかける負担も少ない。

忘れもしない最初に向かった日。
「死にたて」のチヌを見つけて興奮した。

「いる」。
と言う絶対的な情報だった。
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浜名湖のごとく
サイトフィッシングで成立させたく
ルアーでシーバスを追っていた頃の記憶を頼りに
干潮時に立ち込める場所を歩く日々。
テイリングには何度か遭遇したが
ものにすることができなかった。

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2年目も同様に開拓の日々。
真夏の日中の干潟。
周りは野球場や高層マンションが立ち並ぶ都会の川。
それでも多摩川は干潟があり
そこには脈々と続く生物の営みがある。
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時にシーバスのボイル祭り
アミ類の大発生
植物プランクトンのブルーミング
などに遭遇。
潮の満ち引きの中に
突然訪れる生命のザワつきがあることに
改めて気が付いた。
この感覚もまた
たまらない。
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フィールドの特性上
サイトフィッシングには向かないことに気づいた。
途中広島や浜名湖に行き色々と試した。
起伏や流れを意識してブラインドでの釣りも始める。
すると何かのアタリを取れるようになり始める。
そのアタリは浜名湖でのサイトの経験から
おそらくクロダイの類。
そしてアタリの再現性を追求するために
潮の条件などを探っていく毎日。
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そして今年の夏
ついに釣れた。
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クロダイではなくキビレ。
それでもとてつもなく嬉しかった。
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これまでの5年間
1枚も釣れなかったのに
今年は行く度に釣れた。

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仲間たちも
見事にキャッチしていった。
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「ちょっと釣りに行ってくる」
って言う時の「釣り」がフライフィッシングで
しかも街中できれいな魚が釣れるのは
なんとも嬉しい。
何よりこの魚たちは
ネイティブだ。
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いつまで釣れるのか?
そんなことも知っておきたかったので
釣れなくなるまで通った。
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9月に入り2度連続で
アタリもない日が続き
終わることにした。
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今年は特にキビレが多かったのかもしれない。
来年それを探ることもまた楽しみだし
「釣れたら満足するかな」と思っていたけど
色々と試してみたいフラットもあり
何よりクロダイを釣りたいし
まだ数年、楽しめそう。
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フライフィッシングが日本にやってきて
流行した時代はまさにバブル期。
子供の頃見ていた雑誌には海外の
魅力的な釣りに溢れていた。
そんな時代だったからこそ、
意外と身近なフィールドは
触られずにいたのかもしれない。
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日中の多摩川河口で
フライロッドを振っているのは
ほぼボクだけ。
羽田空港を行き交う飛行機の下で
ロッドを振っているのはなんとも気持ちがいい。
そして今の時代
海外へ頻繁に遠征する経済的な余裕もなく
身近なフィールドを再開拓することが
フライフィッシングの楽しみの一つだと気づく。
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40歳になった今年。
全体的な釣行日数は
学生時代から比べれば圧倒的に少ない。
だけどサクラマスと言い
5年越しの多摩川での釣りと言い 
ものすごく充実している。 

俺たちは、あの時のヒカリepisode-2

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スティールヘッド、ターポン、パーミット、ボーンフィッシュ、アカメ、イトウ、サクラマスetc...
釣り人それぞれにある「憧れの魚」。2年前、スティールヘッドを追ってアメリカに行った。
結果として二匹の憧れに出会うことができた。
 
この経験を経て、ボクの釣りが上手くなったわけでもない。ただ一つそれ以前より変わった事と言えば、「人生の残り時間」について考える事が増えた。 

学生時代、暇な時間を潰してくれる存在が、釣りだった。
でも今は、大切な時間。
一度の釣行を大切にしようと思うようになり、 「旅感」をより重要視するようになり、そして何より「意味」を持たせるようになった。

学生時代を共にした友人と、昨年から始めた夢追い釣行である「俺たちは、あの時のヒカリ」。
学生時代の自分たちは「ヒカリ」。今は「社会」と言う大海原へと旅に出た。そして東北へと遡上し、自分たちが「サクラマス」になれているかを確かめたい。そんな思いを込めた、40直前のオトコたちのちょっと気持ち悪くもある旅だ。

昨年は宮城のヒカリが「サクラ」になれた。
その旅から1年、今年もまた東北にボクらは集まった。 

1年前の旅、メインと呼んだエリアでのこと。
ボクは気持ちが前のめりになりすぎ、「きっと」ポイントとなるであろう石底を踏んでしまっていた。
見渡す限り、砂の川。

その中で彼女たちが頼りにするであろう変化と言えば、石底やカケアガリであることは容易に想像できる。そんなところでこそ彼女たちは休む事ができ、落ち着ける。
釣りとは魚の「好奇心」と「警戒心」のシーソーゲーム。
警戒心が解かれない限り、口を使うことは絶対にない。
「口を使う」と言うのは「好奇心」。
それは彼女たちに「余裕」があってこそ。

一年前のボクはその石底エリアを早々に踏み潰していた。
一面砂のそのエリアにあって、流心から右岸にかけてこぶし大から人の頭大の石が、カケアガリを形成しながら敷き詰まっていた。
明らかに「そこ」だ。
今年の旅は、とにかく「そこ」を徹底的に攻めようと思った。

そこの範囲は幅2ヒロ、長さにして15m位と言った決して広くはないスポット。
エントリーは左岸から。
下手なロングキャストより、およそ30ヤードの射程距離で丁寧に流しながらコンタクトを取ろうと決めていた。
最初のひと流しも、さらに奥の流れを攻めたくなり気持ちを抑え、決して奥へと立ち込まないように気をつけ、まっすぐ下流へと下りながらスイングを続けた。

昨年の初経験ではもう一つ気づいた事があった。
それはスイングスピード。
スティールヘッドの時は、よりゆっくり流れるようにキャスティング後メンディングを重ねたが、サクラマスのルアーに対する反応や、フライの先輩たちの話を聞くと、速い動きが大切なのではないかと気付いた。

ひと流し目では反応がなく、ふた流し目へと向かう。最初の流しより、1ヒロ分右岸寄りを触れるように探っていく。ほぼクロスにキャストしノーメンディング。フライはコーンヘッドをヘッドに留めたチャートリュースのチューブフライ。着水後、沈下しながらすぐに横走りを始めるイメージ。
キャスティングで出すラインの量は一定に保ちながら釣り下る。
水面を使ったキャスティングを続けていると、時にリズムが狂いアンカー抜けや掛かり過ぎを生む。
シュートのタイミングが一瞬遅れ、リーダーの先がバラバラっと落ちた。
それでもメンディングを入れなかった。
シューティングヘッドが流れに取られ、下流に大きく膨らむ。おそらくその間、フライは流れに沿ってまっすぐ下流に沈下し、それがボトムに達するだけの時間があっただろう。そして急に横走りを始めた頃だった。

ガサガサっと生命感を感じた。
その刹那、ロッドティップがゴンゴンっとお辞儀を繰り返し、水面に大きな飛沫があがった。
銀色の魚体が水面直下でローリング。
憧れと繋がった。

ミスキャストからヒットまでは5秒くらいの筈だけど、はっきりと思い出せるくらい、落ち着いていた。
砂底の位置まで自分が移動したら、一気に川岸まで小走りに移動し、魚との距離を開けると同時に余ったラインを吐き出し、リールファイトへと移行した。
激しいローリングと下流への突進を繰り返す魚と、力勝負は挑まなかった。
しなやかな11ftのスイッチロッドは、まさに「柔よく剛を制す」。
魚をいなしながら、距離を詰めていき最後は文字通りのランディング。

目の前に憧れが横たわった。

全身の力が抜け、膝が笑う。
40間近のオトコが、50センチそこそこの魚を前に興奮を隠せなくなる。

スティールヘッドやサクラマスなどの遡上魚は、昔から人の心を惹きつけてきた。
それは決して釣り人だけではなかった筈。
「魚へん」に「尊い」と当てた人の感性にボクはこれまでも何度か思いを馳せた。
昔の人も、マスの生活様式を知って鱒の字が生まれたと信じたい。

「たった」一匹の魚を仲間みんなと喜ぶ。
これは仕事の時だってそうだ。
ロッドを持っていない我々スタッフは、どう間違っても釣れることはない。
それでも出演者が一匹のサクラマスを仕留めた瞬間、現場のみんなが幸せになれる。
本当に素晴らしい魚だ。

実は2週間ほど前。
大切な人を亡くした。
小柄な女性で、とてつもなく大きなスティールヘッドを100本以上キャッチしたスーパーなおばちゃん。映像制作の分野でも大先輩にあたるその人は、ボクが初めてスティールヘッドに挑戦した時も色々アドバイスをしてくれて、釣った時には、「いの一番」に祝福してくれた。
このサクラマスは、そのYさんが釣らせてくれた一匹。そしてYさんに捧げる一匹。

「ただの一匹」にしては、Yさんに怒られる。
このサクラマスとの出会いはスティールと同じくらい、今後のボクの釣り人生に大きな存在になると思う。

釣ってすぐでさえ、仕事を頑張らなきゃって思えたくらい。
もうすぐ40歳。
30代の最後に素晴らしい思い出ができた。

備忘録
ROD:J-SWITCH #9/10 11ft
REEL:WILD SPEC
RUNNING LINE:磯釣り用フローティングライン 8号
LINE:SA Atlantic salmon short F 520GR/34G DH8/9F
LEADER:POLY LEADER salmon&steelhead slow sinking/10ft
TIPPET:GM 3号矢引

クラフト

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ここ数年、冬場はクラフト。
昨年は鰻用のバンブーロッド。
今年はロッドチューブを作った。

材料は塩ビパイプ。
耐衝撃性を考えると
「HIVP管」と言うのが良い様だけど
今回作るメインはあくまで自宅での保管用。
と言うことで
ごく普通のPV管を使用。

これまでステッカーチューンはしたけど
なんだかやっぱりしっくり来ない。
いや
最近は道具を愛でる癖が濃くなってきたので
見た目に拘りたかった。

錆びた金属の様にしたくてエイジング塗装にチャレンジした。

塩ビパイプを適切な長さに切ったのち
塗装の乗りがよくなる様に軽くサンディングし
プライマーを塗布。

その後、塩ビパイプ用のボンドでパーツを接着。

ところで
塩ビパイプの蓋というのは
通常の用途だと掃除用であって
あくまでもロッドチューブ用ではない。

うちの近所のホームセンターでは
左のタイプしか売っていない。
よく見るとわかる様に
これは中に内蓋を受けるための棚があり
メインパイプの内径よりも狭い。
これではロッドの出し入れ時に引っかかる。

ネットで探すと色々種類がある様で
内径の段差が出来ない右のタイプを購入した。

さて
エイジング塗装。
重ね塗りして
サンディングで剥がして
また塗って…
と言うのがあるべき手法なんだろうけど
ズルした。

いかにも錆びっぽくなる
テクスチャ塗装ができる便利なスプレーを購入。
これ便利。
右はおとなし目のテクスチャー。
左は名前の通りゴツゴツのテクスチャー。
ただ高い。
スプレー1本で
70センチの塩ビパイプ2本を
塗り終えるかどうか。

こちらが「まるで石」。
パタゴニアのステッカーを貼って
その上から2回塗布。
良い感じで古びた錆び感になった。

こちらはおとなし目の方。
こちらはちょっとインテリジェンスを感じる仕上がり。

いずれも乾燥時間を考えて
丸一日乾燥させ、それを2度。

これだけでも満足してたけど
欲を出して更に青錆びを演出。
ミルクペイントのインディアンターコイズ。
これを左のスポンジに薄くとって
ペタペタ。

一気にレトロ。

そして更にアクセントとして
「Fragile」の文字をステンシル。

うおーっ、ナウい。

最後に色止めのクリアを吹いて完成。

ええやん。

メタリックのステッカーを
ボンド止めした上から
薄くテクスチャースプレーを吹くと
錆びたプレートみたいになったりして
これまた、いいね。


ロッドチューブの付属しない
廉価版のロッドの保管用にと思ってだけど
旅に出たくなるやないか。
この冬の工作でございました。

写真展〜俺の三陸〜


岩手県大船渡市三陸町(旧 気仙郡三陸町)にあった幾多の学生の青春。
あの日をきっかけに
青春の姿は見られなくなった。

あの日をきっかけに
望郷人に揺すぶられ
学生時代の写真を眺める時間が増えた。

元学生たちが在学中に撮った写真は星の数ほど。
何気ないスナップ写真の後ろに映るモノが
今や誰かの大切なものかもしれないと思うようになった。

なんとなく
こんな事出来たら良いな
と思っていたとき
ボランティア仲間の後輩が
それやりましょう!
と食いついた。
一年前
数名の同士と開催に向けて動き出した。

Facebookを中心に
三水会(北里大学水産学部のオフィシャル同窓会)の広報誌などを通して
卒業生から広く写真を募集。

1000枚を超える写真が集まった。

我々の忘れ得ぬあの日。
東京神田に「俺の三陸」が集います。



写真展  〜俺の三陸〜
2017年3月10日(金)〜12日(日)
10日 14:00〜19:00
11・12日 9:00〜17:00

エッサム神田1号館
東京都千代田区神田鍛冶町2-2-2
《JR神田駅東口徒歩1分/東京メトロ神田駅3番出口前》


25年熟成 「美酒・旨酒」

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ボクがガキの頃、カープは強かった。
中学生の時の日本シリーズ対西武戦は
自習の時間になって
先生も一緒になって見た。

優勝したあとの街の様子は鮮明に覚えている。
店の軒先に振る舞い酒が出され
大人たちは何よりも「楽しそう」だった。

ボクもいつかその喜びに浸りたいと思った。


だがしかし…。


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旧市民球場は閑古鳥。
それでもボクらは通った。
高校生の頃
6番ゲートはボクらの待ち合わせ場所だった。

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大学で広島を離れても
帰省のタイミングは
カープのスケジュールに合わせていた。


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ボクと同じ35〜40歳くらいのくらいの世代は
ガキの頃の強いイメージのまま
みんな大人になっていたと思う。
この球場には本当にたくさんの思い出が詰まっている。

ブラウン監督くらいから
少しずつチームが変わっていった実感はあった。
それでもBクラスが続いた。


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旧市民球場に別れを告げて
マツダスタジアムへ。
そしてBクラスへも別れを告げて
クライマックスシリーズへ。
カープが強くなってきた実感があったけど
正直「Aクラス」が悲願だった。

FAで次々と選手が流出。

貧乏を恨んだり
FAで潤う球団を恨んだり…。
挙句
それまでカープの為に尽くしたFA選手に憎しみをぶつけたり…。

ボクだけじゃないと思う。
多くのカープファンがやさぐれていたと思う。

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ボクの高校時代
一つ上の先輩に
二岡さんと福原さんがいた。
夏の広島県大会。
県工に負けた。
そこに新井さんがいた。

その後大学を経て
カープに入った新井さん。
どれだけミスしても食らいつき
やがて本塁打王に輝いた。

そして黒田さん。
讀賣キラーとして
強きチームに立ち向かう姿を見てきた。
FA権を行使せずカープに残ると会見をしたとき
心の底から感動した。

でもカープは弱かった。
新井さんは阪神へ。
黒田さんはメジャーへ。



当時のボクの記憶。
新井さんに対しては
正直「そりゃねえよ…」と失望した。
黒田さんには
「(カープが弱くて)申し訳ない」と思う気持ちが強かった。
自分の夢を封印して
何よりカープの為に残ってくれたのに
ガラガラのスタンドは…。
当時のエントリー

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正に暗黒時代。
チームは迷走を続け
ボクたちは「優勝」って言葉を
口にしちゃいけないんだって・・・。

そう思った。

ボクは広島を離れた。
それでもカープは忘れられない。
カープが好き。
ガキの頃から日常に「カープ」があって
家族や友達と市民球場に通ったのは
良い思い出。
ゲートをくぐって視界に入ってくる
緑の芝に
いつもワクワクした。
球団創設からの初優勝の頃は知らない。
だけど親戚たちからよく聞いていた。
広島の夜空に初めて
ナイター照明が灯った日の事も。

だから広島を離れても
カープは誇りだった。


カープの球団歌「それ行けカープ」の4番の歌詞に
『晴れの暁 旨酒を酌みかわそう』
と言う一節がある。

ガキの頃見た
優勝に湧く広島の街の姿。
酒が飲める歳になったらボクも!
と夢見るも
『鯉のぼりの季節まで』。

本当にずっとそんな感じだった。
とにかく長かった。

先述の球団歌の4番はこう続く。

『栄冠手にする その日は近いぞ
優勝かけて 優勝かけて
逞しく強く踊れ』

今年のカープはこの歌詞の通り
逞しく強く踊った。

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「現実は小説より奇なり」
「野球は筋書きのないドラマ」

黒田さんと新井さんのカープに戻る経緯は
今やそこら中にあふれているので割愛するが
こんな結末が待っているとは
思いもしなかった。
黒田さんと新井さんが戻ってきてくれた事ですら
物凄いドラマなのに
それが黒田さんの登板日に
最後のボールを新井さんが捕って優勝。

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この試合を東京ドームで見られたことは
ボクの一生の思い出。

25年間はあまりにも長かった。
初優勝を知る親戚のおじさんたちの多くが亡くなった。
歓喜に沸く広島の街を見せてあげたかった。

 
優勝の瞬間の東京ドーム。
喜びと奇声と涙。
色んな感情が爆発していた。

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おじさんが
おばさんが
兄ちゃんが
ネエちゃんが
こぶしを突き上げ
笑いながら目を腫らす。


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その夜は
東京ドーム
飯田橋
三軒茶屋
と飲み歩いた。

酒が飲める歳になってすでに19年が過ぎた。

25年熟成の「美酒・旨酒」

カープファンで良かった!
 

記憶

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あの日から71年。
あの年に生まれていても、71歳。
いったいどれだけの人が
あの日の事を「記憶」として覚えているのだろうか。

ご挨拶

カテゴリ:
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あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。

足元にあふれる「夢」

カテゴリ:
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分からないものが分かり始めることに
「コーフン」を覚える。
「探究心」が人間の本能なら
釣りは至高の遊びとなる。
身近に久々にドキドキできる遊びを見つけた。

24H三陸弾丸釣行

カテゴリ:
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移動8時間、釣り8時間、移動8時間。
三陸への釣行は一日で可能。

あの震災以来、初めて三陸に「遊び」に行く。
それだけでワクワクしていた。

不束者

カテゴリ:
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すべての魚に感謝しないといけないのは分かってる。
だけど、こっちにだって事情がある。

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