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今を去ること24年前
京都大学前期試験の合格発表
元々は両親と一緒に行くはずだったが
98%落ちている確信があった私は
帰りの道中の気まずさを考えて
1人で行くことにしました

私は京大はずっと模試ではE判定(可能性ほぼ0%)でした
たまたまセンター試験が上手く行き、初めてC判定(可能性五分五分)が出て、挑戦する気になりました

ですが、実際2次試験ではコテンパンでした
【自己採点】
物理ー良くて3割
英語ー3~6割
数学ー3~7割
そして唯一自信を持っていた『化学』、ここで差をつける算段が京大史上最も簡単で、誰でも満点取れる問題でした

というわけで英語と数学次第、『工学部物理工学科』を受けているのに物理ボロボロ、以上から全て全て良い方に転んでスレスレ滑り込みの感覚でした

合格発表は受験番号を漢数字で縦書きで示されていました
受験番号を正確に覚えてませんが
4桁で1,2,3だけで構成されてました
例えば3231だとしたら






となります
横棒何本やねん⁉️と突っ込みたくなります(笑)

結果私の番号はあったのですが
その場でも5度見くらいして
帰路につこうと正門を出た時
やっぱり信じられなくて
もう一度横棒の数を数えに戻りました

それくらい私には『奇跡』だったのです
おそらく合格最低点圏内でしょう(笑)

当時は『サンデー毎日』という雑誌に東大・京大合格者の名前が載るのが通例でした
個人情報という言葉も存在しない時代でした
どうやって突き止めたのか自宅に記者から電話があったそうです
記者「お子様の名前が塾や予備校からの開示情報に見当たらないのですが、どちらの塾にお通いですか?」
親父「ウチの息子は塾に行ってませんよ」
記者「、、、、、、っわ、分かりました」

記者は絶句したそうです(笑)
私は塾ではなくて岐阜北高校教師陣の力を持って京大合格を勝ち取りました
当時の北高教師陣はとびきり優秀でした(^ ^)

以上、もう一度やれと言われても二度と合格出来ない奇跡の舞台裏でした❗️

恩田聖敬