
今月で47歳になります。ALSとの付き合いも11年が過ぎました。不自由な身になって10年以上が経ちました。諦めと奮起の繰り返しの日々でした。私はスーパーマンでも何でもありません。毎日葛藤を続けています。かつての私の武器はフットワークの軽さとひたすらなコミュニケーションでした。しかしALSは私の武器を両方とも奪っていきました。これは本当に辛いことです。
一方で日本ALS協会は来年に設立40周年を迎えます。つまり私が7歳の時からALS患者及び家族の支援活動を行なって来たのです。40年前当時はALSはまさに不治の病でした。人工呼吸器を使える人はほんのひと握りで、ヘルパー制度も確立しておらずもちろん進行抑制薬もありませんでした。コミュニケーション機器もほぼなかったはずです。そんな絶望的な状況から今日に至るまで課題に一歩一歩向き合って来ました。本日私が葛藤を抱きながら命をつないでいるのは日本ALS協会の活動の積み重ねのおかげです。
とはいえALSにはまだまだ課題が山積しています。日本ALS協会はALSが治る病気になる日まで、引き続き活動を続けていかないといけません。私は歴史ある日本ALS協会の会長として未来にバトンを渡すことが使命だと考えています。それが先人への恩返しであり、後輩への歴史の継承です。
医学とテクノロジーは確実に進歩します。あと10年のスパンでALSでありながら私の武器が取り戻せる日が来るかもしれません。ALSの根治薬が誕生するかもしれません。少なくともALSのために必死になって研究してくださる方々が世界中にいます。未来には希望があります。是非みなさんも応援よろしくお願い致します。日本ALS協会は個人、法人、団体問わず寄付を受け付けています。また賛助会員も募集中です。政治を動かすのは最終的には数がものを言います。我々は常に仲間を欲しています。共にALSと戦ってください。
私は諦めません。ALSが治る未来の日々が来ると信じています。その時には長年お世話になった支援者に感謝して、家族との時間を思い切り楽しみたいと思います。私の武器も戻ると思います。仕事も大いにしたいです。それまでは今の自分に出来ることをやっていきます。みなさんよろしくお願い致します。
恩田聖敬
一方で日本ALS協会は来年に設立40周年を迎えます。つまり私が7歳の時からALS患者及び家族の支援活動を行なって来たのです。40年前当時はALSはまさに不治の病でした。人工呼吸器を使える人はほんのひと握りで、ヘルパー制度も確立しておらずもちろん進行抑制薬もありませんでした。コミュニケーション機器もほぼなかったはずです。そんな絶望的な状況から今日に至るまで課題に一歩一歩向き合って来ました。本日私が葛藤を抱きながら命をつないでいるのは日本ALS協会の活動の積み重ねのおかげです。
とはいえALSにはまだまだ課題が山積しています。日本ALS協会はALSが治る病気になる日まで、引き続き活動を続けていかないといけません。私は歴史ある日本ALS協会の会長として未来にバトンを渡すことが使命だと考えています。それが先人への恩返しであり、後輩への歴史の継承です。
医学とテクノロジーは確実に進歩します。あと10年のスパンでALSでありながら私の武器が取り戻せる日が来るかもしれません。ALSの根治薬が誕生するかもしれません。少なくともALSのために必死になって研究してくださる方々が世界中にいます。未来には希望があります。是非みなさんも応援よろしくお願い致します。日本ALS協会は個人、法人、団体問わず寄付を受け付けています。また賛助会員も募集中です。政治を動かすのは最終的には数がものを言います。我々は常に仲間を欲しています。共にALSと戦ってください。
私は諦めません。ALSが治る未来の日々が来ると信じています。その時には長年お世話になった支援者に感謝して、家族との時間を思い切り楽しみたいと思います。私の武器も戻ると思います。仕事も大いにしたいです。それまでは今の自分に出来ることをやっていきます。みなさんよろしくお願い致します。
恩田聖敬
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