学会の選挙活動は・・・

知り合いの地区部長さんに、
「今度の日曜日、
  多宝会の◯◯さん達を闘争に連れて行きたいから
  車を出してください。 」
と電話がありました。

闘争とは、投票の依頼のために、友人の家庭訪問をすることです。
 地区部長さんは、
「広布のためにお役に立てる!」 と
喜んで引き受けました。

しかし、奥さんが、
ガソリン代と高速道路料金のことを考えて、
「そんな余裕ないから断って!」と
怒ってしまいました。

地区部長さんは、
「お前は信心が足りないんだ!しっかり題目をあげろ!」
と言って、夫婦喧嘩になってしまいました。

でも、どっちにしろ、本当にお金の余裕がなかったらしく、
週末の闘争の話は、なかったことになりました。

その数日後、
地区の多宝会のおばーちゃん達は、
「あの地区部長は退転するかもしれないから気を付けなくちゃね」
という話で、大盛り上がり。。。

(退転とは脱会のことです)

広布のために!という純真さを、
上手に利用して、政治活動が推進されていて、
金銭的な負担をすることを喜ぶような心理状態にある。

その負担を断った = 信心が足りない・・・(; ̄ェ ̄)

大体、選挙活動がなぜ広布の為になる?
そこを疑わない、タブーのような空気というか、
思考停止しているんだと思います。

「疑問を持たず素直な信心の人のほうが幸せになれる」
って言われたこともありましたっけね。



選挙と創価学会

そろそろ「支援」が始まります。

 「今日、地区の活動者会があるから参加してね」と、
私の大嫌いな白ゆり長さんから電話がありました。

一応、創価学会の会合ですが、
きっと選挙活動についての会合です。
私は参加しません。
選挙活動には一切関わらないと決心したから。

会合の中身は、事前には知らされない。
行って始めて、
ハチマキして「エイエイオー!」ってやってるおばさんを見て、
え?選挙活動だったの?って わかるのです。

 4年目になって、やっと、行かなくても雰囲気で、
こりゃ選挙だな・・・ってわかるようになりました。

 (ちなみに、
「公明党に立派な人がいるのはわかるんですが、
  そのハチマキが、猛烈に恥ずかしいんですけど。。。」
 というのが素直な感情です。    )

そして、会合では「F取り」の目標数とかを決めたり、
選挙違反になる注意事項の確認とか、
移動手段のない人の闘争のお手伝いをする人を決めたりすると思います。

「マルK」とか「マル外」とか、今なら「9S」とか、
そんな暗号がなんの説明もなく飛び交います。
 で、なんで暗号なんでしょう?
聞かれたらマズいことをやってるんでしょうか。。。
 
選挙に関する疑問を幹部にぶつけたことがあります。
「そんな考えを持つのは信心が足りないから」
「お題目をあげて自分で解決することだ」
「題目が足りない」
などと言われました。
中には、たるんどる!とか怒鳴り出す人もいます。

選挙になると、いつも、
キ◯ガイ的学会員の言動を目にします。
だから私は選挙が嫌いです。

立正安国の立場で、政治に関わる意義は理解してるつもりです。
しかし、だからって、
創価学会員全員が、公明党の支援を強制されるのはおかしい。

公明党である理由は?
組織で行動する理由は?
思想を統一しようとしてる?

大体それは広宣流布につながってるのか?

選挙になったら現れる人に
投票を依頼されたからって、
本当に投票する人がいると思ってるんだろうか。
「変に反論すると面倒だから、はいはい言っとけ。」
ってあしらわれて、広宣流布につながるのか?

私は日蓮大聖人の仏法を学びたいとは思う。
が、公明党の無条件支援はしていない。

「仏法の会合と思って出かけたら、選挙活動だった。。。」
それは騙し討ちだと思う。

創価学会の会合で
公明党の支援活動の打ち合わせは、
するべきではない!

それだけは確信してます。

大聖人と池田先生

創価学会に入会してすぐに、
違和感を受ける事がありました。

私は日蓮仏法のすばらしさや、
大聖人の生涯や御書についての講義に感動して入会しました。

最初「新入会の友へ」という書籍を購入して、
ワクワクしながら仏法について勉強しました。
座談会へ出かけ、老若男女問わずみんなで御書を読み、
学び合う姿を見て、学会ってすごい!と
確信を深めたのを覚えています。

が、活動をしていくと突然やってくる違和感…
最初のそれは「本部幹部会」の衛星放送。。。

裏切り者を厳しい口調で断罪する男子部長のスピーチ、
婦人部幹部の「先生、奥様のために♪」と生ぬるい笑顔で語る様子、
まるで軍歌のような学会歌、 
池田先生の提案で始まる、突然の万歳三唱、
統率の取れた元気なお返事、
今時あり得ないパステルカラーのスーツを着た「華陽の乙女」達、
何だか北朝鮮の中央テレビを見ているような錯覚を覚えました。 

たぶん昭和一桁の人の趣味なんだろうな。。。
池田先生がそういう時代の人だからなんだろうな。。。
 
なんかおかしい。。。と感じながらも、
そんなふうに自分を納得させました。

でも、実は、その突然現れた「池田先生」が
私の違和感の正体だったのです。


私は日蓮大聖人に帰依しました。

池田先生に帰依した覚えはなく、
師弟の契りを交わした覚えもなければ、ご縁すらありません。
なのに、突然現れて、ご恩に報いるよう遠回しに強制されるのです。

今の創価学会は、
「御書根本」と言いながら、
「池田先生は絶対」でもある。

なんとなく池田先生が悪い?ような感覚を持ちかけて、
でも、それを確かめようと、本や新聞を読みました。

すると。。。池田先生はかつて、
「自分などを絶対視してはいけない」とおっしゃった。
自分は戸田先生の弟子であり、
その意思を引継ぎ伝える存在だと。

なのに池田先生を批判することは、絶対に許されない。
それは、池田先生の問題ではなく、
組織としての創価学会の問題だと思うのです。

見せ方や演出の仕方、編集の仕方、運営する側のセンスの問題。
そのセンスというかテーマとして、
「池田先生」というイメージを利用している。

すでに、大きな組織なわけです。
「財務」と称して莫大な資金集めもされています。
池田先生もいつまでお元気かわかりません。

これからきっと、
何が正しく、何が本物なのか、
自分ではっきり言い切れる人でなければ、
創価学会という組織とちゃんと付き合っていけなくなるような、
そんな予感がします。 
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