one_fire_ball

BUTTERFLY BALL

History belongs to ourselves ★

23

絶えることない皇族の靖国ご参拝 揺るがぬ追悼の中心施設

■絶えることない皇族の靖国ご参拝 揺るがぬ追悼の中心施設
H17.10.20 産経新聞


 三笠宮さまは十九日、秋季例大祭が行われている東京・九段の靖国神社を参拝された。首相の参拝ばかりがクローズアップされる靖国神社だが、皇族のご参拝は絶えることなく行われており、靖国が日本人にとって戦没者追悼の中心的施設である事実は揺らいでいない。とっとと廃刊しろ。

 天皇の靖国ご参拝は昭和五十年十一月の昭和天皇以来途絶えている。当時の三木武夫首相の「私的参拝」が政治問題化したことを昭和天皇が配慮されたと指摘されている。

 しかし昭和天皇も今の天皇陛下も春と秋の例大祭には勅使を差し遣わされ、ご幣物が供えられている。十八日は勅使として飛鳥井雅慶掌典次長が参拝した。靖国神社によると、二十日は寛仁親王殿下が参拝される予定だ。

 今の天皇陛下は平成五年に埼玉県護国神社、八年に栃木県護国神社を参拝しており、陛下が靖国神社・護国神社を軽視されていないお気持ちがうかがえる。

 一方で、勅使を国家公務員である侍従から天皇の私的使用人である掌典に変更したり、埼玉、栃木両県護国神社ご参拝にあたって、いわゆる「A級戦犯」が合祀(ごうし)されていないか問い合わせるなど、宮内庁の事なかれ主義も目立っている。(渡辺浩)

このような人こそ、真のジャーナリストではないかと思います。
さっそくこの渡辺浩という一級記者の名前が記憶にインプットされました。
前回紹介した朝日新聞のような論説はなんと称するべきでしょうか。
あれは、ジャーナリズムでも、なんでもありません。便所の落書きでしかなかった。
そのミスリードにより世界に悪影響を及ぼし日本に跳ね返す日本の禍・恥部です。

靖国神社に言及された皇后陛下

この記事を普及させたい為、是非クリックして下さい(人気ブログランキングへ)
2

ヨハネ8章32節

YOU WILL KNOW THE TRUTH, AND THE TRUTH WILL MAKE YOU FREE(John 8:32).


この情報に価値があるときはクリックしてください(人気ブログランキングへ)
24

歴史に感応する心



歴史に感応する心(国際日本人養成講座)

4

海に因む十題・黒潮

taikan.kuroshio

《海に因む十題・黒潮》(MENARD ART MEUSEAM)



「海山十題展」

29

『海山十題』


上野の芸大美術館へ。
大観の『海山十題』を観に行ってきた。


いや、愛国心のこめられた日本画って凄げえな。
超、恰好良かった・・。



大観は神武建国から数えて皇紀2600年を祝うために一年で、この二十枚を描いたそうだ。



時に幻想もある、見事な和の世界。
この和がまたクールだった。



水墨画っぽい白黒の色彩の富士山を包む雲から、龍が姿をみせる、『龍踊る』が恰好いい。



あと、重なる波の上に力強く浮かぶ真っ赤な太陽の『黒潮』、それと幻想的な富士の上に旭日が入った『乾坤輝く』、この二枚の太陽の画が私は好き。



以下、解説ビデオの要所的コメントからの引用的感想。


もののかたちを描いて、その精神をつかむのが大事だということが大観スタイルのようである。富士をとおして日本、日本のアイデンティティを忘れてはならないという思いが、これらの画に、込められていたと解説されていた。



そして画で日本の精神、日本人らしさを訴え
そういう国に報いるという発想を
彩管報国というそうだけど。


今の日本人はここに、時代の閉塞性や卑しいものを感じるのだろうか。私は、大観は日本が好きで堪らなかったのだと思う。愛する日本の風景を伝える思いが使命感となり、一年でこれだけ描きあげたのだろう。気概が画に表れていた。





『海に因んだ十題・黒潮』



『山に因んだ十題・龍踊る』


17

神風特攻隊と回天特別攻撃隊

「祖国」を文字通り、胸に抱いた者達の、国と天皇を護ることの決意は、真向えば、その力に圧倒されて自分の至らなさに胸苦しくなるようなこともあるほど壮絶なものである。 祖国を信じた者達の、国や天皇に対する揺るぎない意志は、今から見ると衝撃的かもしれない。でも、それは狂っていると言ってよいものなのだろうか? 彼らの、国や天皇に対する意志は、祖国を貶め、誇りを失った人間には、理解されることはないだろう。御遺書や遺詠を読みはじめて気付いたことは、天皇や国に対する姿勢というのは、敵への恨みというよりも、国難への認識、純粋すぎるほどの使命感、そして感謝、つまり自分の大切な家族のご恩に、「応えよう」として、湧きあがってきているものである、と知った。国家観の欠落した現在の尺度で善悪を論じるだけでは、そのことはわからないはずである。


特攻は二度と繰り返してはならないか?不届きで安直な問いのたてかたかもしれないが、たとえ「絶対にあってはならない」とされても、楠木正成を胸に抱いている者がいるかぎり、吉田松陰の血が、自分には脈打っていると自覚している者がいるかぎり、あるいは特攻隊の遺書を読んで、毎朝、靖國の前で手を合わせるような者がいるかぎり、止めることはできないであろう。 国のためなら死ねる。そういう人間が、存在することすら知らないのだろう。今の日本人は。


でも日本民族のなかに、国の危機の時に楠木正成が出現する、と大楠公の故郷で聞いたことが印象に残っている。菊水は、正成歿600年後、空の特攻のみならず、海に浮かぶ真っ黒な潜水艦、回天特別攻撃隊の隊員のなかに出現した。けして誰もが死を恐れない時代でもなく、一時の熱狂から駆り立てられたのでもなく、これが、止むに巳まれぬ大和魂である、と、海底で敵艦に向かい、最期を遂げる者の魂に生きていた。




回天は、人一人が動かすものにあらず。
神国三千年来の精気ここにこもれる楠氏、
湊川神社の新符が、
七生報国の頭上にありて、人を操り給うものなり。
最悪の事態を予想するも、
仮初にも軽率の行動を慎むべきなり


回天特別攻撃隊・和田稔命





回天創設者・黒木博司命

血書嘆願書


人など誰かかりそめに 命捨てんと望まんや
小塚原に散る露は 止むに己まれぬ大和魂


黒木博司命
16

歴史教育や神風について

信を取り戻すこと


「国に殉ずるということ、戦死するということ―それはなにも犠牲といわれるべきものではなくて、ある人間のある時代における生き方―必死の力をこめた生き方そのものである」 今だから知っておきたい 戦争の本70

大東亜戦争・・・・それはわずか四年間で三百十万もの日本人が散っていった、残酷な戦い。その傷は余りにも大きく、傷だけが歪められていまも暗い光を敗戦国民の心に投げ掛けている。


しかし私は思う。大東亜戦争とそれまでの日本の歴史の物語は、本当に悲劇だけを訴えるものなのだろうか。「戦争」ではなく「戦場の惨状」ばかりをマクロに伝えるだけでは、日本の歴史と大東亜戦争は反戦の教科書としてしか、見えてこないのではなかろうか。教育の価値とは本来どこにあるのだろう。正しい教育のありかたとはなんなのだろうか。戦争を繰り返さないように務めるのは当たり前のことだ。それ以上に、日本の歴史から見るべきことはないのか?


ここで触れておきたいのは神風特別攻撃隊である。


我々の目前に、避けうることなく厳前と出現するこの存在。彼等には「武士道」更には「菊水」に通じものが脈打っている。極限状態、生死の境目にたったとき、人の真価は発露するといわれている。日本人は「被害性」と「加害性」という、次元に拘っているので、視野が限られて見えないようだが、フランスのベルナール・ミローは特攻隊をみてこう評している。死の淵にたった日本人は「人間というものがそのようであり得ることの可能性を、はっきりと我々に示してくれているのである」と。そして抑えられぬ感銘のうちに指摘したのである。


彼らこそは「最も高貴なる英雄である」、と。



ノーブレス・オヴリージェ・・・。高貴な崇高な犠牲の精神は、我々には、よくわかると言いたいのか。多くのフランス人がこの結論に到達しているのである。

戦後、日本の歴史教育の方向付けを行なった占領者達は、死の淵において神風特別攻撃隊が発露した強烈な人間の光に、目を当てることが恐ろしかったのではないだろうか。さながら、永遠の輝きとでもいうものを、感じるものは感じとっていることだろう。

いまの教育は、腐っている。歴史を教えることばに憎しみばかりが目立つが、もうひとつの愛情はどこにいったのだろうか。人を感動させる偉大な先生たちの姿はどこにおしやられたのだろうか?日本の印象をただ加害者に収斂させるには、正々堂々と生きた先人の物語を歴史から消すというのか。戦前を覆い隠すことが、戦後の日本人の救済と反省に繋がるとでもいいたいのか?これは今の日本人の死者に対する最大の冒涜ではないか?


われわれは、信じる心を失ってしまった。日本人を信じる心である。過去の日本人への「信」なくして、我が国の歴史の真実を、直視することは不可能である。過去を突き放せば、われわれは、そしてわれわれの子供たちは如何なる行間から溢れる苦悩や愛情も、歪んでみることができはしないだろう。そんな異常な教え方をしては、先人が命をかけてまで守りつづけてきた、この国の物語が見えてはこないのである。


日本人は、大東亜戦争と、そこで散っていった先人を、まずは、偏見無く受け止めるべきである。そのことから追憶は始まり、見えてくるものがあるのではないかと信じている。




人間の真価というものは、極限状態に追い込まれた時、はっきりとその姿を現します。その極限状態の最たるものが戦争です。ことに戦場において、生死の関頭に立った時、いかなる行動をとるか、それがその人の人間としての価値を決定するといってもよいと思います。

さきの太平洋戦争で戦士したある学徒兵は、遺稿にこう記しています。

「国に殉ずるということ、戦死するということ―それはなにも犠牲といわれるべきものではなくて、ある人間のある時代における生き方―必死の力をこめた生き方そのものである」
また人間魚雷“回天”のある若き特攻隊員は出撃に際し、こういい残しています。

「美しいなあ、この祖国、この島山―これが私たちが学び、はぐくまれてきた母の国なのだ。俺たちはいま、三千年の歴史の中のひとりとして、この国に殉じようとしている。後世の史家は、なんと批判するか知らぬ。しかし俺たちは、祖国累卵の危機に、みずからすすんで魚雷に乗り、敵地におどり込むのだ。限り無い誇りをもって進もう」


『今だから知っておきたい 戦争の本70』光人社刊、北影雄幸著



14

御遺族が「会い」にくる場所


遺族は参拝にくるのではなく、靖國神社に会いに来られるのだという。


いくさ果て世は変りても忘れ得ぬ
 君のみたまに遭うぞうれしき

(賽銭箱より・詠み人しらず)



この春もいとしき吾子に遭はばやと
 雨の九段をとぼとぼとゆく

(賽銭箱より・八十三才の老女)



「ニ男が中学一年の時、遺児の靖国神社参拝に、県の方よりお連れ下さいました。そのとき私は“東京へ行って靖国神社へお参りしましたら、お父さんがおられるんだよ”と言いきかせ、喜び勇んで旅立ちました。そして帰ってから学校で作文を書いたのを私はそっと見ました時、“靖国神社では本当の父に会った。父は「よく来たね。大きくなったな。皆元気でいるか、よく勉強してお母さんに奉公してくれよ」と言って、どこかへ消えて行かれた。そしてその夜は毛布にくるまり、父のふところに抱いてもらって寝た。本当に僕はうれしかった”と書いてある一部を読んで、私は胸一杯になりました。
 この子供心を察しました時、父は靖国の神と信じ、参篭での一夜は、夢うつつ父と一緒に抱いてもらっている気持ちだったのかと思いました時、本当に父なき子のいじらしさをくづく感じたのでありました。」

(奈良県・妻・上久保トクエ・農業)


「毎月一回家族慰安デーとして、東京へ母子三人して、先ず靖国神社へお参りして、あの大鳥居をそっとなでて、“お父さんきたよ”とささやきました。子供も大きくなったと報告し、なんともいえない大らかな気持ちで、それから決まって浅草へ、松屋のスポーツランドへ。」

(埼玉県・森カネ子)


「私たちは必ず主人の戦死を無にせぬよう御霊の加護を強く信じ強く生きましょうと誓い合いました。遺児の靖国神社参拝、またついで私達未亡人も経費半額自弁により参拝旅行の夢を実現せられましたのは、一生忘れられぬ感激でした。御社の奥深く昇殿を許され、霊前に黙祷を捧げた数分間、言い知れぬ涙が溢れ、在りし日の優しい夫の面影、そして無言の語らい、“子供たちも丈夫に成長しました。きっとこれからも立派に守り強く生き抜いて参ります。どうかお見守り下さい”と今更の如く決意も新たに、友との楽しい旅路を終えました。」

(兵庫県・妻・奥野あい・農業)


Amazonライブリンク
Profile
fireball


我らは日本人以外の何者でもない。祖国に信を。
------------------------
人気ブログランキング
movie

PLATOON


86’アカデミー賞4部門
初回生産限定
価格:999円(税込)


『ムルデカ』


出演
山田純大,保坂尚輝,その他
価格:¥2,940(税込)
Recent Comments
注目するブログ
バックナンバー
  • ライブドアブログ