山河草木69巻聖師様巻頭お写真

(霊界物語 山河草木 69巻 巻頭の口述者近影)

このブログで出口王仁三郎の予言を紹介するのは読者の
皆さんを恐れ、怯えさせることが目的ではなく、本物の予言
とは何か、をお伝えすることで世間に溢れる「偽物」を判別
するための目を養って頂きたいということです。

そして、「本物」である出口王仁三郎のことばやその著書に
少しでも興味をもって貰えれば嬉しいです。

尚、出口王仁三郎本人が「万教同根」を唱える一宗一派を
遥かに超えた人物であったように、王仁三郎を紹介する
このサイトも特定の宗教に勧誘しようというものではありま
せん。宗教的な部分も含めより深く研究したいと言う方は
検索エンジンでお調べ頂けば既に豊富な情報が溢れています。

さて、いつものように前置きが長くなりましたが、本題に入り
ます。

ブログ主は実は関西出身で阪神淡路大震災によって
知人を3人失い、あの震災で私自身の人生も大きく変わり
ました。

ですので、この王仁三郎の阪神淡路大震災の予言を紹介
するのを少し躊躇しましたが、興味本位で軽々しくご紹介する
訳では無いということだけはご理解下さい。

出口王仁三郎の主著、「霊界物語」の69巻には
1995年1月17日に発生した大震災を予言したことばが数
箇所に散りばめられています。

このことは、「霊界物語研究、宣伝の専門家(宣伝使)」の
一人である中野揚子氏によって現「愛善苑」の発行する
「神の国」誌1997年2-3月合併号にて「霊界物語69巻の予言」
として発表されました。 

この記事で中野氏は、霊界物語第69巻には
王仁三郎が正確な日時を伏せ、謎を掛けながらも、
神戸で1995年1月17日に震災があるということを予言した歌
があるのではないかと指摘し、それを発見した経緯と共に記載
されていました。

そして、この中野氏の発表を基に王仁三郎の孫の出口和明氏が
この巻を精査することで関連箇所をさらに追加発見しました。

今日このブログで紹介する内容は
上述の中野氏や出口和明氏の論文と、該当する霊界物語69巻を
ブログ主が、読んだ上で個人的に要約した内容です。

(以下、ブログ主による纏めです)

この霊界物語69巻は出口王仁三郎が口述筆記の形で
大正12年12月に口述したものです。

まずは、このブログの読者に、この本が口述され、出版されたのは
阪神大震災の約70前であることを証明するために私が古書店で
購入した昭和2年刊行の本の写真、巻末ページの写真をご覧ください。

(膨大な霊界物語には12巻ごとに副題がついておりこの版の表紙
では山河草木という副題が大書されています。出口瑞月は王仁三郎
の号の一つです。)

山河草木69巻

山河草木69巻巻末

右上に昭和二年十月二十一日印刷 昭和二年十月二十六日発行
と読めますね。因みに定価は一円五十銭。まだまだ紙が貴重であり
本が高価な当時としてはなんとか抑えた金額だったようです。

次に目次のページです。

山河草木69巻目次

一ページ目に「巻頭言」とあります。
問題の個所はここで、次に、この巻頭言に王仁三郎が載せた
歌と日付の写真を見て下さい。 (このまま続きます)



写真 (10)

この「巻頭言」の中ほどに「第十八宇和島丸」という
歌が掲載されており、この歌が問題の部分です。

この歌の一部分、関連個所を下記に引用します。

尚、下記URLの「霊界物語ネット」にて、霊界物語全巻を

無料で読むことができます。
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm690001
(このサイトは宗教団体による運営ではありません。)

(引用開始)

第十八宇和島丸だいじふはちうわじままる

いま神港波止場しんかうはとばでむとし
しみ見送みおく八人乙女等やたりをとめら

…中略…

つちのさわぎを余所よそにして
かにうかぶあはぢ島山しまやま
十二夜つき波間なみまくだけつつ
火竜となりて海原うなばらをど
さむ御空みそらにふるひをののきて
のまたたききよ海原うなばら
十二月十二じふに月影つきかげびながら
御魂みたま初渡航はつとかうする
十二月十二じふにそら瀬戸せとうみ
火伏ひぶみづ大神おほかみ

…後略…

(引用終わり)

「神戸」、「淡路島」と言うキーワードと共に地震や
震災に伴う火事を連想する言葉が散りばめられています。

この年、大正12年9月には関東大震災が発生していましたが
路(あづまじ)つちのさわぎを余所よそにして
かにうかぶあはぢ島山

この歌は王仁三郎の神戸出港前に発生した、関東大震災の
余震騒ぎを余所事の様に静かに海に浮かび、まだ自分の出番では
無いとと云った風情の淡路島の姿を想像してしまいます。

さて、肝腎の点は、まだまだこれからです。
王仁三郎が当時発行していた機関紙「神の国」大正13年3月25日号
には上述の歌に示されている神戸港からの出港の詳細が記録されています。

「伊予の道後温泉へ出立せんと神戸港を
はなれたときは甲子の新の一月十七日
だった
この数字合わせて十八となる これは三六(みろく)の日数だ
波止場に見送る信徒は 男女合わせて十二人 随行六人
総計〆て また十八人となっていた これもやっぱり三六の数だ
乗込む船は第十八号宇和島丸の新船だ これも三六の数である
神戸立つ日は旧歴の 大正十二年十二月 十二日
の三拍子揃い
これも三十六の数 やはり三六の発出船 三六成就の宝船
一考七人七福神の 気取りて進む波の上 高浜港に来て見れば
迎えの信者二十九人 一考七人合すれば やはり三六の数となる
道後ホテルに着いたのも やはり十八
日だった
実にも不思議な三六の旅よ」

上記引用の中で、王仁三郎が神戸を出発した日は
甲子の新の一月十七日=新暦の大正13年1月17日であると
告げた後、その同じ日が、旧暦の大正12年12月12日でもあると
同じ年月日が新暦と旧暦で態々2回繰返し述べられています。

そして、もう一度、巻頭言の歌に注目して頂くと

十二月十二じふにそら瀬戸せとうみ
火伏ひぶみづ大神おほかみ

という歌が書かれていますが、この「火伏」を「日を伏せる」と読み
替えた上で下記の「巻頭言」の最後の日付を見てみましょう。

ここには、この文章を口述した日が書かれていますが、
新暦は伏せられており、旧暦しか記載されていません。
下記の写真ご参照下さい。

山河草木69巻巻頭言2

大正十二年旧暦十二月十三日とあります。

通常、霊界物語には旧暦と新暦両方の表示が
ありますが、この巻頭言には見られません。

これでは何か特別な「日を伏せて」あると言わんばかり
であると、思いませんか?

王仁三郎の予言では、何が起きるかを示す際には日にちを
明示することはありませんが、この巻頭言では地震を連想させる
表現を記載し、後世廃れる旧暦ではなく、「新暦の」日を伏せることで
地震が起こる日を震災前後に発見させる目的が込められていたのでは
ないかと思われます。

次に、「新暦の日を伏せた」ページから離れ、この霊界物語の
69巻の少し先の72ページに移ると、下記の歌が掲載されています。

黎明れいめいかはむとして天地あめつち
あさゆふなにふるひをののく
 
大空おほぞらつきれども村雲むらくも
ふかつつみて地上ちじやうえず
 
甲子きのえねはるをばちてひらかむと
ゆきへつつにほ梅ケ香

時はいま天地あめつちくら刈菰かりごも
みだれにみだ黎明れいめいまへ
 
天地あめつちかみめぐみのふかければ
まもらむと地震なゐふるいた

「震ひ」、「地震」等、起きるべき事象が明確に示されています。

そして、この「地震」という語が明確に示されたページ数は
「72ページ」であり、上述の、王仁三郎が神戸港を出発した
日の旧暦大正12年から丁度、72年後に当たるのです。

* 新暦大正13年1月17日 = 旧暦大正12年12月12日
   大正12年は西暦1923年なので、
   阪神淡路大震災の1995年は丁度、72年後だった!!

つまり、年度は旧暦で、月日は新暦で見ると霊界物語の
巻頭言と、「地震」と書かれた、この72ページの示す七十二年後
の両方を別々に記載することで、阪神淡路大震災の年月日と何が起こるかを
ピタリと予言し、後世の研究者にエビデンスとして遺したという訳です。

では、王仁三郎には全てが見えていたと言う事でしょうか?!

その可能性を考えるに当たり、
最後に、このページが掲載されている
霊界物語69巻第一遍第三章の関連部分をお読みください。


(引用開始)

… おく丸窓まるまどひらいて夏風なつかぜ室内しつないれながら、脇息けうそくにもたれ、作歌さくかふけつてゐた。

そこへしづしづとふすま押開おしあ入来いりきたるは末子姫すゑこひめであつた。
国依別くによりわけ作歌さくかこころられ、

末子姫すゑこひめ
たりしことにがつかなかつた。

末子姫すゑこひめ
両手りやうてをついて、
言葉ことばもしとやかに、

君様きみさま御気嫌ごきげん如何いかがでございますか……

四五回しごくわいかへした。

国依別くによりわけ
色紙しきしそそぎながら、

黎明れいめいかはむとして天地あめつち
あさゆふなにふるひをののく

大空おほぞら
つきれども村雲むらくも

ふか
つつみて地上ちじやうえず

甲子きのえね
はるをばちてひらかむと
雪にへつつにほ梅ケ香

とき
いま天地あめつちくら刈菰かりごも
みだれにみだ黎明れいめいまへ

天地あめつちかみめぐみのふかければ
まもらむと地震なゐふるいた

口吟くちずさんでゐる。末子姫すゑこひめ一層いつそうこゑたかめて、
君様きみさま御機嫌ごきげん如何いかがでございます
かへした。国依別くによりわけはハツとがつき、
アア末子姫すゑこひめか、Aなんようかね
末子すゑこハイ、至急しきふ御相談ごさうだんがございまして、御勉強ごべんきやう最中さいちうをおおどろかせいたしました
国依くによりナアニ、A勉強べんきやうでもなんでもない。三十一文字みそひともじ腰折こしをれをひねくつてゐたのだ
立派りつぱなおうためたでせう。わらはにも一度いちどかしてくださいませぬか
ナアニ、かせるやうな名歌めいかぢやない。あまりがムシヤクシヤしてゐるので、うたまでがムシヤついてゐる。今日けふはいつにない出来できわるいよ
あなたのうたのちになるほど、くなりますからね。みになつたときは、失礼しつれいながらこんなうたおもつてゐましても、後日ごじつになつて拝読はいどくしますと、うたがみな予言録よげんろくとなつてあらはれてをりますの。松若彦まつわかひこきみのおうたはウツカリ見逃みのがすことは出来できぬ、のこらず予言よげんだとつてをりましたよ
予言よげん五言ごげん妖言ようげんらぬが、たいしたことはないよ。ともかく自身じしんのためによんだうただからな、ハハハ
エ、なんとおつしやいます。またなぞつてゐらつしやるのでせう。ちかうち地震ぢしんがあるとおつしやるのですか
ウン、地震ぢしんかみなり火事くわじ親爺おやぢ現代げんだいはモひともの出来できた、それはいはゆるおかかだ、ハツハハハハ
わが君様きみさま上流じやうりう家庭かていにおいて、かかなんて、そんな下卑げび言葉ことばをお使つかひなさいますな。せがれむすめきましては、また見習みならつてこまりますからね
ナアニ奥様おくさまといつても、後室こうしつといつても、御令室ごれいしつといつても、やまかみといつても、かかといつても、ヤツパリ女房にようばうだ。人間にんげんした名称めいしようぐらゐに拘泥こうでいする必要ひつえうはないぢやないか
いまあなたは地震ぢしんかみなり火事くわじ親爺おやぢ……とおつしやいましたが、それもキツと深遠しんゑんなぞでございませう。どうも貴方あなたのお言葉ことば滑稽洒脱こつけいしやだつなかおそろしい意味いみふくんでゐるのですから、容易よういながしは出来できませぬワ
ハツハハハハ、地震ぢしんかみなりといふことは、国依別くによりわけ自身じしん神也かみなりといふことだ。まへ自信力じしんりよく神様かみさまのやうにつよいから、ヤツパリおまへ自信神也じしんかみなり
ホツホホホホ、よくしらばくれあそばすこと、そんな意味いみではございますまい。火事くわじ親爺おやぢといふことはどういふ意味いみでございますか、それをかしてくださいな
いま警鐘乱打けいしようらんだこゑこえてゐただらう。松若彦まつわかひこ伊佐彦いさひこ親爺連おやぢれんが、薬鑵頭やくわんあたま陳列ちんれつして、国政こくせいとかなんとかの評議ひやうぎ最中さいちう火事くわじがいつたものだから、親爺おやぢおどろいて高欄かうらんから転落てんらくし、こしつて、部屋へやへかつぎこまれ、かかアの世話せわになつたといふなぞだよ、ハツハハハハ

(以上、引用終わり)


如何でしょうか?
私はこの文章を初めて読んだときは鳥肌が立ちました。

王仁三郎はこの文章の口述当時、既に当局から目を点けられ
ており、霊界物語に何十年も後の地震のことなど書くことができ
ない状態ながらも、新旧の日付やページ数で「地震」が起きる
年月日を示し、上述のコメディーの中にも彼の心の叫びが込め
られています。


「… どうも貴方あなたのお言葉ことば滑稽洒脱こつけいしやだつなかおそろしい意味いみふくんでゐるのですから、容易よういながしは出来できませぬワ

「いま警鐘乱打けいしようらんだこゑこえてゐただらう…」

王仁三郎の「警鐘乱打の声」を「容易に聞き流さない」ように
して頂ける方が少しでも増えてくれればと祈るばかりです。

親爺連おやぢれんが、薬鑵頭やくわんあたま陳列ちんれつして、国政こくせいとかなんとかの評議ひやうぎ最中さいちう火事くわじがいつたものだから …」

蛇足ながら、この箇所などは阪神大震災の火災の発生や
政府の対応が遅く、国民から批判された事にまで言及しているようです。

そして、わたしの心には72ページのこの歌がとても強く焼きついています。


天地あめつちかみめぐみのふかければ
まもらむと地震なゐふるいた

王仁三郎がこの歌で訴えているように、恐ろしい大地震さえも
実は、天地(あめつち)の神の恵みが隠されているのかも知れません。

王仁三郎の警告する「三千世界の立替え立て直し」に伴う
大峠はまだ端緒にもついていないのかも知れず、今の内に、
「我良し、強いもの勝ち」の獣のような考えに染まりつつある我々に
方向転換をする時間的猶予という「神の恵み」が与えられたのかも知れないと
私は考えてしまうのです…

 聖師様晩年

(最晩年の出口王仁三郎近影

本日も最後までお読みいただき、有難うございました。