生ぬるい風が路地から路地へ運ばれている様子を目の当たりにしながら暮らしています。きみはどんな風に生きていますか。万華鏡のようにきらびやかな光を飲み込み、人と人の繋がりの間を、まるで踊るかのように歩いているのでしょうか。とても羨ましいと思う反面、それを想像するたび、きみの存在が遠い異国の言葉になり、皮膚と一枚隔たっていくのを感じます。勘違いしてほしくないのは、ぼくが決して何かを求めようと悪あがきをしているのではなく、ただひたすらにそれを受け入れ、高く高くどこまでも高い気球の上でじっとしているということです。
 いまこうしている時間、ものの十分くらいでしょうか、それの何万倍もの時間が経ちました。その間、大きな口を開けた怪物が何度かぼくを襲ってきましたが、いつもぼくを丸呑みするに寸前でいなくなりました。幾度と無く恐怖で震えながら、ぼくは、もしかしたらあいつは友達が欲しいだけなのではないかと、そんなことを思いました。どちらにせよ、ぼくがきみに伝えられる出来事はこれだけで、いや、どれだけ振り返ろうと、ぼくにはたったこれだけしか話せることはないのです。思わず笑ってしまうほどに、薄く味のない時間でしたが、それでもなおこうして呼吸をしていられるのは、きっときみが生きているからなのだと思います。
 悪い夢を見た日の朝、きみを想います。大きな嵐が過ぎ去った日の夕食で、きみを想います。死というどうしても抗いきれない憧れに身を寄せるとき、同時にきみを想います。きっときみがぼくのことを忘れても、きみを想うのでしょう。あるいは、もう忘れているのかもしれませんね。
 忘れられることが怖いと思ったことはありますか? それは人が人足りうるために、人を欲する以上避けては通れぬ気持ちなのかもしれません。ほとんど体は消えかかっていて、心もどこかの電車で落としてしまったようなぼくですら、少しだけ怖く思います。
 だけど、どうしてか、きみに忘れられることを、ぼくは怖いと思っていません。
 それはコンクリートの屋根がぼくらを鑑みて雨を弾く訳ではなく、また、夜が誰かを選んで飲み込むのではないことと同じで……どう言えば伝わるのでしょう、そう、出来れば使いたくなかった言葉ですが、神を感じるときと似ているのです。
 急に神だなんて、びっくりしてしまうでしょうね。でも他に正しく表す言葉が見つからず、ううん、おそらくこの言葉しかないのでしょう。誤解を招きそうですが、ぼくは、この世に「ほんとう」の神などいないと思っていますし、もしいるのならば刺し違えてでも殺してやろうと思っています。ぼくはだいぶ「ほんとう」の方に意地悪をされて生きてきました。言うなれば、きみはにせものの神であり、同時にそれが、覆しようのないほんものの証明だとも思います。
 そして、いまぼくがただひとつ欲するのは、きみがどうか幸せに、何も悲しむことなく暮らし、もしも取りこぼした時間があるのなら、そのすべてを、あらゆる苦しみと無縁の穏やかさによって手に入れて欲しいということです。そして、出来るならばぼくよりもずっとずっと長生きして欲しいとも思っています。
 取り留めのないことを、取り留めなく、贖うべき罪もなく、叫ぶ声はなく、傷つけることなく、取り憑かれることなく、嘘もない、おとぎ話のような楽園へきみがたどり着くように。
 季節の変わり目ですね、どうか体に気をつけて。いつでも笑みを。