2008年05月

2008年05月19日

約束〜先週は迷惑かけました、今週から復活します〜3

私事ですが。
先週、私の伯父が亡くなりました。86なので、長生きだと思いたいのですが、やはり心に大きな穴が開いた気持ちです。

私は大阪、伯父は東京で会うことはそんなに多くはありませんでした。でも、私の人生においてお話ししていただいたこと、生きる姿全てが私の目標であり、憧れでした。

伯父はずっと建築の仕事に生き、一代で会社を成長させるとともに、多くの弟子を育てました。そのお弟子さん達は今の建設業界の中心で頑張っています。それはそれで身内として誇るべきことですが、同じ家庭を持つ者として、見習うべきことがあります。

伯父の家庭は、本当に『サザエさん』宅そのもの。一人一人のキャラも極似。家族を持つならこのような家族がいいよね、と周りでいつも話していました。私が結婚した時に『忍耐と寛容』こそが家庭人の姿勢と教えられました。また、人に教えるには『怒るのは我が儘』とも。

引退してからはハーレーを乗り回し、ハムスター(血統書つき)を飼いながら、自分が作った公園の管理をしていたそうです。季節の節目に手紙よりも声を聞きたくて、電話をしていました。『いつ来るの?』にはとうとう夫婦で果たせませんでした。お葬式には両親を連れて車で行けたのに‥。怒ってるかな?でも家庭では怒るなと言ってたしなぁ。

遺骨になった時に、係の方が健康に気をつけておられたのですね、と話してくれました。『元気が一番だよね』と明るく電話をかけると話していたことが思い出されました。

伯父は、たくさんのことを教えてくれました。それは伯父と私との約束だと思います。いつかまた会えた時に、誉めてもらえるように一つ一つ心の指針にしようと思います。

帰ろうと、ふと見ると写真の前にお酒がありました。今日は車で呑めないけど、本当にまた今度来ます‥と注いできました。少し残念がっていた顔が、微笑んでいるように見えました。


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2008年05月09日

憲法の話〜教師だから熱くならなくてはならないはず!〜4

とにかくGWが終わり、いよいよここから『本気モード』全開になる。私の担当している生徒諸君、人格が変わったくらい『攻める』のでしっかりとついて来なさい‥なめた言い訳をしているとエライ目に会うことを忘れずに。

さて、昨年に引き続き今年も祖父が主催する『平和コンサートと講演会』に参加しました。祖父と言っても私には妻の祖父、でも本当に心が通じ合う、私のよき理解者でもあり、人生の師でもあるのです。ただ私はこれまで保守的な政党を支持してきたので、革新政党の政治姿勢は受け入れることができませんでした。また、友人が自衛隊の幹部にいることもあり、『憲法九条』については否定的思考を持っていました。

けれども、祖父の『教え子を戦場に送らない』という信念、いや執念に教壇に立つ自分の浅はかさを感じました。教師ならば、まずそのことを信念に持たねばならない、持たないことは教え子を戦場に送ってもよい、ということになります。
だから、私は党派云々ではなく教壇に立つ者として、というより日本人として平和を守り通すことが何よりも大切と思い参加しています。もし、祖父との出会いがなければ、また祖父が私を圧倒する人柄の持ち主でなければ、ここまでは憲法だの平和だのとは考えることはまずなかったでしょう。でも、小さな田舎町とは言え、わずか二ヶ月くらいの限られた期間で約200名近くを集めたパワーが、この催しの原動力なのです。

でも現実に目を転じると、日々『平和』とは掛け離れた事件ばかりです。世界からは紛争が絶えません。国内でも、毎日殺人事件が起こっています。人が人を思いやることが、一番の平和への近道。でも大人も子供もどんなに正論をぶっても自分のことしか見えていない、というより見えない状況に追い込まれているのではないでしょうか。

ライフライン、食料品、ガソリンなどの衣食住に欠かせないものの値上げ、年金制度や後期高齢者医療の改悪、行政の失敗を住民に転嫁等、よくもある意味日本人は耐えている、と思います。ですが時代は時に『いつか来た道』を歩み、『いつかの過ち』を犯してしまうことがあります。

流行に流され、自分の確固たる意志がなければ、知らないうちに『いつか来た道』を歩んでいるのです。日本人は国際社会においても、国内に対しても『過去の過ちを二度と繰り返さない』決意して『平和を希求』することで、『良心』としていました。

今日、中国の胡国家主席は『日本人も戦争で傷ついた』と述べました。日本人もあの戦争では被害を受けたのに、またその被害の危険に国民を追いやろうとする、政治の右傾化は看過してはいけないと思います。

誰かが戦争に行くのではないのです。我々一人一人が戦場に送られ、殺人を強制されて、殺人の危機に曝されるのです。教壇に立つ者でも、右傾化に反対しない者もいます。戦場に送られて、帰ることの出来なかった先生達、戦争を許してしまい、教え子を失い、傷つけたことを悔やみ続けた『二十四の瞳』の大石先生の気持ちに少しでも思いを致せば、まさか好戦思考にはならないはずですが。

私はゲームを始めとするバーチャルの世界でも何でも、子供に対して安易に戦争や人の命を扱い過ぎだと思います。今のこの平和は、当たり前ではないことを、教える側も教えられる側も猛烈に自覚して、子孫にもこの『本当の平和』『高尚な平和』を伝えなくてはなりません。


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