「第1回横浜トリエンナーレへのno-ten-keyなreview」 君は踊るサチュロスに触れたか−愛知万博・イタリア政府出品文化財への賛歌

October 13, 2003

「マリア・カラスとエイダの映画」


 冷夏のこの夏は緊縮バカンスとなって、ある水曜日の夜、新宿で映画を2本立て続けに見ただけで終わった。「永遠のマリア・カラス」(Callas Forever,2002)と「クローン・オブ・エイダ」(Conceiving Ada,1997)の組み合わせは、単に時間帯がうまくあったという関係ではすまないように思えてきた。
前者は、フランコ・ゼフィレッリの愛情溢れる回想とフィクションの取り混ぜだが、妙にリアリティがあって思わずウルウルさせられてしまったのは、カラスが深夜に一人、絶頂期のレコードを聴きながら練習するシーンである。イタリア人のメイドが証言している事実だという。もう一つは、ゼフィレッリ本人と思しき男が若い男性画家と恋に落ちて、その間柄をカラスが明るく嫉妬し、二人の夕食の約束に無邪気に割り込んでいく場面。ミラノのスカラ座を舞台にした有名な三角関係を知っている人なら大いに笑えた。おすぎが墓場までもっていきたいと喧伝する所以もわからなくはない。それ以上にゼフィレッリの言いたいことは、もちろんカラスが代言している。デジタル技術を駆使して絶頂期の声をかぶせた劇場映画を作ったとしてもそれは客を欺くことになるのだと。この映画自体がそれだから自己矛盾といえるが、ハリウッド型の映画批判というのは読みすぎだろうか。
後者は、レイトショーのマイナー作だが、女性監督のリン・ハーシュマン・リーソンはビデオ制作では数々の国際賞を得ているカリフォルニア大学の教授である。詩人バイロンの娘であるエイダ・バイロン・キング(1815−1852)の名前を知ったのは、1980年代半ば、イギリス政府の男女平等委員会がつくった、女の子に理数系を選ばせる教育キャンペーンポスターだった。日本ではこのようなキャンペーンは記憶にないが、EU諸国ではかなり行われたらしく、工学系を含む自然科学分野への女性の進出度を比較すればその少なからぬ効果は歴然としている。エイダは、コンピュータのプログラム原理を開発した陰の立役者として最初に記憶される女性であり、情熱的な恋愛関係を科学者たちともった壮絶な人生は、西垣通『デジタル・ナルシス』(岩波・同時代ライブラリ)に詳しい。修士課程に入ってすぐ入院というつまらない時間を過ごす間にこれを読んだとき、彼女の強い生き方と子宮ガンで苦しみぬいたという最期が、こちらも産婦人科病棟にいただけに印象深かった。リン・ハーシュマンはビクトリア時代にこのような女性がいたことに驚き、映画にしてみたいと思ったそうだ。
映画では、記憶遺伝子の学者を志す女性が同棲相手との間の妊娠・出産に迷う一方、過去の世界のエイダとDNAを介した交信に成功し、研究の佳境を迎える。子育てで自分の才能を十分に開花できなかったと嘆くエイダに対して、クローン技術によって生命力は半減するが現代に生き直すチャンスを与えようとする。結局、エイダはこの技術を拒み、自分の夢、つまりコンピュータ言語で進めるあらゆる創造活動を実行してほしいのは、コンピュータ画面を通じて過去の世界をのぞくあなたたちというメッセージを残す。それをsave(「助けて!」と「(自分の記憶)を保存して」の意味を重ねている)というキイワードで伝えようとするのだが、全体に少し中途半端な印象もぬぐえないのは、米国でとらえたビクトリアン・テイストをデジタル化して借用しているからだろう。エイダのためにデジタル技術を駆使したと、リン・ハーシュマンは説明しているが、時代背景を描くベースが本物でないと、やはり安っぽいアングロアメリカン・テイストのソープドラマに陥る危険がある。それよりも素直にできのよいフェミニズム映画とみたほうがよく、人文・社会系の人物を赤やピンクのお決まりの色調やデザインでしか扱えない、日本のそれと比較すると、はるかにチャレンジングであり表現に幅がある。エイダとの交信のエージェントに金色の小鳥を使うといった小技は、JRの券売機や銀行のATMで強制的に見せられる制服を着た女性のおじきよりはずっとましではないか。
重要なのは、二人の女性、エイダもカラスも現代に生き直す先端技術に身を委ねきっていないかのように映画作品が仕上がっていることである。ここに制作者の情報技術に対する倫理観が偲ばれる。技術的に再現できるほど人間の人生は単純ではないのである。

・参考
リン・ハーシュマンの自作解説サイト・イタリア語
エイダ・バイロンについて
エイダ・プロジェクト〜女性の能力開発と情報技術〜のサイト・フランス語とドイツ語
(米国エール大学で開催された同名プロジェクトは94年から99年まで行われたあとミルズカレッジに継承された。)




初出(2003年10月13日)
山口順子が著作権所有者です。

onore at 09:33│エッセイ 
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