前回からのつづき。
あの時、あの瞬間には、僕が真剣に悩んで、真剣に恋をして、真剣に考えた色んなことがあって、忘れられないこととか、忘れちゃいけないこととか沢山あって、だからそれをあんな根も葉もない形にされたら、僕はやっぱり納得がいかないし、みんなと一緒に素直には笑えない。
だからといって、松江さんにしても作品に労力を割いてきたワケだし、一方的に「納得いきません」ではあんまりだと思ったから、第一回ガンダーラ映画祭出品上映に限って僕は譲歩したのだ。というか、そもそもガンダーラ映画祭用に作ったものだったんだし、松江さんにしてもそこで納得するべきだった筈だ。
作品が完成した時だって「もし他で上映するようなことになるなら、その時には必ずまた相談するから」と約束したワケだし、僕としてはそこで改めてNGを出すつもりでいた(今思えばこれが甘かった)。
それなのに、「この前〇〇で上映したから」とか「劇場公開が決まったから」(「劇場公開はしないでください」と言ったのにも関わらず)とか事後報告で済ませてきて、それでも松江さんの顔をたてるつもりで僕は苦虫を噛み潰す思いをしながら我慢してきたというのに(無用なトラブルを避けたかったというのもあるし、何も知らずに尽力している関係者の方々への配慮という意味もあった)、テレビで勝手に映像を使ったり、それは悪質極まりないものへとエスカレートしていった。
細かい話をすれば、作品の著作権に関してだって100%監督一人の物なのかどうかだって疑わしいのに(ちゃんと権利考証すればわかることだけど)。
ましてやDVDなんて……。
結局、弱者は泣き寝入るしかないのか。
「口約束も契約のうち」という民法原則を持ち出すまでもなく、そもそも後から出てきた話に欲を出して「男と男の約束」にケチをつけるとはいかがなものか。
僕が勇気を出してどれだけ真剣に話をしても、ことあるごとに舌打ちをしたり、携帯をいじったり、少しでも気に障る話題になると隣の直井さんに「こいつ殴ってもいいですか?」とか聞いたり。
そんなこといちいち人に聞くなよ。殴るなら殴ってこいよ。人に聞かなきゃ喧嘩も出来ねぇのか?
本当に男らしくない。
あー、何だかただの愚痴になってしまった。否失敬。
ただ、なにも人権に対して鈍感なのは松江さんに限った話ではないのかもしれない。
世の中の風潮なんだろうか、テレビを見ているとよくそんなことを思う。
人の生き死にをエンターテインメント化する報道のあり方とか、無関心が人を殺す世の中で笑えれば何でもいいのか?
昔から身内ノリで人を貶める類いのお笑いが生理的・倫理的に大嫌いだったし、寧ろ世間ズレしているのは僕の方かもしれない。
でも、物事を深く考えず偉そうにキレイゴトだけを平気で並べたてる、その厚顔無恥な態度が僕は許せんのだ。
ましてや、性的な乱暴を笑いで肯定してはならないし、それを「口では嫌がっていても体は正直」なんていう前近代的且つアホ丸出しな理由で正当化してはならない筈だ。
あれがもし僕ではなくて、女性や僕よりずっと若い人であったならばどうなっていたというのだろう。
同じく、程度の差こそあれ(逆にいえば「程度の差でしかない」ということに留意すべきだ)、人を傷つける行為であるということに変わりはない。
僕一人が我慢して済む問題なら別に大したことではないのかもしれないが、あれを見て不愉快に感じる人は大勢いると思うし、実際に僕はそういう声を耳にしている。良識を持った人間なら当然の反応だ。
それなのに、あたかもそう感じること自体が、まるで恥ずかしいことかのように言うその感覚が僕は気持ち悪い。
ふざけた価値観がまかり通る世の中で、人として当然の感覚が失われていっているのかもしれない。
そもそも罪の意識が欠如しているワケだ。
僕は「毎日、同級生たちから挨拶代わりに尻を蹴られる」という学生生活を送ってきたけれど、もしかしたらその同級生たちからすれば、それは本当に「挨拶代わり」のつもりだったのかもしれない。
しかし、蹴られている方からしたら、とてもそんな風に思えるものではない。
相手に罪の意識がない以上、怒ろうにも怒れないし(「怒るのは恥ずかしい」みたいな空気を作っているから悪質だ)、逆に怒ったら怒ったで逆ギレされるのは目に見えているし。
その時に僕が出来た精一杯の反抗は、脳内でその同級生たちを僕の幽波紋(妄念)でボコボコにしてやるくらいが関の山だった。
僕は人にバカにされたりするのは馴れっこだから、別に僕の見た目とか気持ち悪さを笑ってもらう分には全然構わないし、寧ろそれで誰かがハッピーな気持ちになれるのなら僕は嬉しい。
でも、何も知らないクセに僕の周りの人を悪く言うのだけは許せないし、松江さんが自らの上位承認欲求を満たす為だけに、人前で何の根拠もなく平気で人を貶めるような言動をしたことも僕は我慢ならない。
今思えば、その時何も言えなかった自分が本当に悔しい。
もうキレイゴトはうんざりだ。
要は作品がどうのこうのという以前に、僕はあの強烈な自己愛からくる他人への侮蔑と歪んだ選民意識が反吐が出る程気に入らない、ってだけだ。
皆様からコメントやメッセージでご意見をいただきました。誠にありがとうございます。
これを真摯に受け止め、僭越ながらお答えさせていただきます。
タイミングに関してですが、単純に今まで言う機会がなかったからというのが一つです。
今回の内容は事実上「告発」という感じになってしまってはいるものの、松江さん含め関係者には幾度となく話してきた内容ではあります(聞く耳をもっていただけなかったのが実情ですが)。
このブログは日記の形式をとっており、その時思っていること、感じたことなどを正直に書いていこうという趣旨のもと行っており、若干躊躇する内容ではあったものの、事実は事実として隠す必要もないだろうと判断し、掲載した次第です。事が事だけに感情的になってしまった部分はあるにせよ、個人を誹謗中傷する目的で掲載したわけではありません。
出演に際して、僕に落ち度がなかったのかといえば決してそうは思いません。
舞台上でのパフォーマンスや告知に関しましても、どこか色気というか欲を出した部分があるのではないか、と思われても仕方はないのかもしれません。
しかし、劇場公開を止められなかった(劇場公開を強行された)僕としては表に出て誤解を少しでも解いていきたい、という意味でも、あの作品を観た人たちを少しでも繋ぎとめておきたかった、というのが僕の正直な気持ちです(誤解を恐れずにいうと、僕はいわゆる「出たがり」とかでは決してありません。サービス精神が過剰なのは認めますが)。
それでも、あの場での宣伝活動が単純に集客に繋がったのなら、それで一応の納得をするべきなのかもしれませんが、どうしても割り切れないのが今の僕の心情です。
キレイゴトに聞こえるかもしれませんが、それを不愉快に思われる方がいるのは当然として、それでも多少のご理解はいただけるものと信じたいし、こうして少なからず反応をいただけたことは、今までずっと一人で悩んできた身といたしましてはまったくもって嬉しい限りです。
本当にありがとうございます。
今回の文章に関しましても、『ドキュメンタリー』というエンターテインメントの延長線上にあるものとしてご理解いただければ幸いです。
これからもどうぞよろしくお願い申し上げます。
あの時、あの瞬間には、僕が真剣に悩んで、真剣に恋をして、真剣に考えた色んなことがあって、忘れられないこととか、忘れちゃいけないこととか沢山あって、だからそれをあんな根も葉もない形にされたら、僕はやっぱり納得がいかないし、みんなと一緒に素直には笑えない。
だからといって、松江さんにしても作品に労力を割いてきたワケだし、一方的に「納得いきません」ではあんまりだと思ったから、第一回ガンダーラ映画祭出品上映に限って僕は譲歩したのだ。というか、そもそもガンダーラ映画祭用に作ったものだったんだし、松江さんにしてもそこで納得するべきだった筈だ。
作品が完成した時だって「もし他で上映するようなことになるなら、その時には必ずまた相談するから」と約束したワケだし、僕としてはそこで改めてNGを出すつもりでいた(今思えばこれが甘かった)。
それなのに、「この前〇〇で上映したから」とか「劇場公開が決まったから」(「劇場公開はしないでください」と言ったのにも関わらず)とか事後報告で済ませてきて、それでも松江さんの顔をたてるつもりで僕は苦虫を噛み潰す思いをしながら我慢してきたというのに(無用なトラブルを避けたかったというのもあるし、何も知らずに尽力している関係者の方々への配慮という意味もあった)、テレビで勝手に映像を使ったり、それは悪質極まりないものへとエスカレートしていった。
細かい話をすれば、作品の著作権に関してだって100%監督一人の物なのかどうかだって疑わしいのに(ちゃんと権利考証すればわかることだけど)。
ましてやDVDなんて……。
結局、弱者は泣き寝入るしかないのか。
「口約束も契約のうち」という民法原則を持ち出すまでもなく、そもそも後から出てきた話に欲を出して「男と男の約束」にケチをつけるとはいかがなものか。
僕が勇気を出してどれだけ真剣に話をしても、ことあるごとに舌打ちをしたり、携帯をいじったり、少しでも気に障る話題になると隣の直井さんに「こいつ殴ってもいいですか?」とか聞いたり。
そんなこといちいち人に聞くなよ。殴るなら殴ってこいよ。人に聞かなきゃ喧嘩も出来ねぇのか?
本当に男らしくない。
あー、何だかただの愚痴になってしまった。否失敬。
ただ、なにも人権に対して鈍感なのは松江さんに限った話ではないのかもしれない。
世の中の風潮なんだろうか、テレビを見ているとよくそんなことを思う。
人の生き死にをエンターテインメント化する報道のあり方とか、無関心が人を殺す世の中で笑えれば何でもいいのか?
昔から身内ノリで人を貶める類いのお笑いが生理的・倫理的に大嫌いだったし、寧ろ世間ズレしているのは僕の方かもしれない。
でも、物事を深く考えず偉そうにキレイゴトだけを平気で並べたてる、その厚顔無恥な態度が僕は許せんのだ。
ましてや、性的な乱暴を笑いで肯定してはならないし、それを「口では嫌がっていても体は正直」なんていう前近代的且つアホ丸出しな理由で正当化してはならない筈だ。
あれがもし僕ではなくて、女性や僕よりずっと若い人であったならばどうなっていたというのだろう。
同じく、程度の差こそあれ(逆にいえば「程度の差でしかない」ということに留意すべきだ)、人を傷つける行為であるということに変わりはない。
僕一人が我慢して済む問題なら別に大したことではないのかもしれないが、あれを見て不愉快に感じる人は大勢いると思うし、実際に僕はそういう声を耳にしている。良識を持った人間なら当然の反応だ。
それなのに、あたかもそう感じること自体が、まるで恥ずかしいことかのように言うその感覚が僕は気持ち悪い。
ふざけた価値観がまかり通る世の中で、人として当然の感覚が失われていっているのかもしれない。
そもそも罪の意識が欠如しているワケだ。
僕は「毎日、同級生たちから挨拶代わりに尻を蹴られる」という学生生活を送ってきたけれど、もしかしたらその同級生たちからすれば、それは本当に「挨拶代わり」のつもりだったのかもしれない。
しかし、蹴られている方からしたら、とてもそんな風に思えるものではない。
相手に罪の意識がない以上、怒ろうにも怒れないし(「怒るのは恥ずかしい」みたいな空気を作っているから悪質だ)、逆に怒ったら怒ったで逆ギレされるのは目に見えているし。
その時に僕が出来た精一杯の反抗は、脳内でその同級生たちを僕の幽波紋(妄念)でボコボコにしてやるくらいが関の山だった。
僕は人にバカにされたりするのは馴れっこだから、別に僕の見た目とか気持ち悪さを笑ってもらう分には全然構わないし、寧ろそれで誰かがハッピーな気持ちになれるのなら僕は嬉しい。
でも、何も知らないクセに僕の周りの人を悪く言うのだけは許せないし、松江さんが自らの上位承認欲求を満たす為だけに、人前で何の根拠もなく平気で人を貶めるような言動をしたことも僕は我慢ならない。
今思えば、その時何も言えなかった自分が本当に悔しい。
もうキレイゴトはうんざりだ。
要は作品がどうのこうのという以前に、僕はあの強烈な自己愛からくる他人への侮蔑と歪んだ選民意識が反吐が出る程気に入らない、ってだけだ。
皆様からコメントやメッセージでご意見をいただきました。誠にありがとうございます。
これを真摯に受け止め、僭越ながらお答えさせていただきます。
タイミングに関してですが、単純に今まで言う機会がなかったからというのが一つです。
今回の内容は事実上「告発」という感じになってしまってはいるものの、松江さん含め関係者には幾度となく話してきた内容ではあります(聞く耳をもっていただけなかったのが実情ですが)。
このブログは日記の形式をとっており、その時思っていること、感じたことなどを正直に書いていこうという趣旨のもと行っており、若干躊躇する内容ではあったものの、事実は事実として隠す必要もないだろうと判断し、掲載した次第です。事が事だけに感情的になってしまった部分はあるにせよ、個人を誹謗中傷する目的で掲載したわけではありません。
出演に際して、僕に落ち度がなかったのかといえば決してそうは思いません。
舞台上でのパフォーマンスや告知に関しましても、どこか色気というか欲を出した部分があるのではないか、と思われても仕方はないのかもしれません。
しかし、劇場公開を止められなかった(劇場公開を強行された)僕としては表に出て誤解を少しでも解いていきたい、という意味でも、あの作品を観た人たちを少しでも繋ぎとめておきたかった、というのが僕の正直な気持ちです(誤解を恐れずにいうと、僕はいわゆる「出たがり」とかでは決してありません。サービス精神が過剰なのは認めますが)。
それでも、あの場での宣伝活動が単純に集客に繋がったのなら、それで一応の納得をするべきなのかもしれませんが、どうしても割り切れないのが今の僕の心情です。
キレイゴトに聞こえるかもしれませんが、それを不愉快に思われる方がいるのは当然として、それでも多少のご理解はいただけるものと信じたいし、こうして少なからず反応をいただけたことは、今までずっと一人で悩んできた身といたしましてはまったくもって嬉しい限りです。
本当にありがとうございます。
今回の文章に関しましても、『ドキュメンタリー』というエンターテインメントの延長線上にあるものとしてご理解いただければ幸いです。
これからもどうぞよろしくお願い申し上げます。
コメント
コメント一覧 (36)
面白ければなんでもいいとか、
自分の利益の為に利用したり、強く物を言って黙らせたりだとかは、
私は嫌いです。
私がそんなこと言ったからって、だから何?といった感じかも知れませんが、
私は加賀さんを応援しています。
これから色々と大変だと思いますが、負けないでください。
映画を作る以前に、人間として本当に大切なものは何なのか、みなさんわかっているはずです、照れくさくて言えないだけです。
だから自信を持ってがんばって下さい。
加賀さんの味方はきっとたくさんいらっしゃいますよ!
(偉そうにすいません)
みなさんありがとうございます。
でも、おかげさまで元気が出てきました。
ちゃんと生きていきます。
本当にありがとうございます。
ですが
加賀さんは裁判を起こすべきです
応援しています
なんと言ったら適切かわからないのですが10年前に酷い目に遭わされ、その後も様々な面で何度も嫌な思いをさせられてきたのですね。本当にたいへんでしたね。一方の言い分だけを聞いて判断するのは危険とわかってはいるのですが、きっと貴方様が正しいことを仰っているのだと思います。そうでなければ、あれだけのことはできないはずですから…
何もできず心苦しいのですが、貴方様を指示して、応援する者が居ることだけでもお伝えできればと思い、書き込まさせていただきました。勇気ある行動だったと思います。本当にお疲れ様でした。
自分も10周年記事や動画を見て、こちらのブログを覗かせてもらった者です
自分は元々松江さんの「ドキュメンタリー風」という撮り方がとても嫌いです
松江さんの関わっている山田孝之さん関連の作品にも言えますが、出演者に責任を擦り付けといて、宣伝広告では堂々と「ドキュメンタリーです!」と言い切っちゃう感じ
観ていてとても不快に感じます
加賀さんも恐らくその類の被害者なんでしょうね
パロディならパロディとして撮って、その上で評価を受ければ良いのに
そこを「ドキュメンタリー」としちゃうのは、単に低予算を補えるだけの撮影や演出技術が足りないからだろうなと
観ていてアホらしく思えてきちゃうのです
いわゆる「ドキュメンタリー風」とされる作品は世にいくつも存在します
マイケルムーアの作品など恣意的に世論誘導をしようと「ドキュメンタリー風映画」の代表でしょう
しかしマイケルムーアの作品と、松江さんの作品で違うのは、限りなくドキュメンタリーに近い素材を使うのか、最初からパロディに近い素材を使っているかの違いです
つまり松江作品には「ドキュメンタリー風作品」とも名乗る資格が無く、単なるヤラセ作品だと自分は考えています
あなたを信じます。
汚い心の人から離れられますように。
傷が癒えますように。
あなたのような優しく不器用な人が、心から笑える時がこれからたくさんきますように、願っています。
私は加賀さんを応援しています!
悔しい思いを沢山されたのですね。
加賀さんの今後の人生が、穏やかで心安らぐものでありますように…
ネットで今回の事を知り、出来る限りの情報を得ながら書き込みをさせていただきます。
今回、問題になった動画を見て、そしてこのブログを読み加賀さんが心から辛い思いをしながら、今まで生き抜いてくださっていた事が心から嬉しかったです。
それと同時に、涙が出て来ました。どれほど辛い想いをされながらこの10年を過ごされたのだろうかと私には想像を絶するからです。
'空気をよめよ'とか、'お前馬鹿ダァな'といった人を侮辱しながら笑いやエンタメにすることがどれほどの悪(イジメ)を作り上げているだろうかと考えてしまいます。
ネットで今回の事を知り、出来る限りの情報を得ながら書き込みをさせていただきます。
今回、問題になった動画を見て、そしてこのブログを読み加賀さんが心から辛い思いをしながら、今まで生き抜いてくださっていた事が心から嬉しかったです。
それと同時に、涙が出て来ました。どれほど辛い想いをされながらこの10年を過ごされたのだろうかと私には想像を絶するからです。
'空気をよめよ'とか、'お前馬鹿ダァな'といった人を侮辱しながら笑いやエンタメにすることがどれほどの悪(イジメ)を作り上げているだろうかと考えてしまいます。
まだ若かりし加賀様は、何の心への配慮をなく面白おかしく利用されたのですから、この
上なき辛さがあったとおもいます。さらにそれを公に施されていたのですから、あまりの酷い状況に言葉にもなりません。女性が無理やりレイプをされた映画を放映しているのと何ら変わらないからです。
私は、ものすごくマイノリティです。
ゲイであり、在日であり、片親であり、虐待もあり、誰からも馬鹿にされるような酷い環境で過ごしてきました。
今は経済的にも社会的にも認めれるような環境で生活してます。それを知る友人からは逆境を跳ね除けてすごいね。と言われる事もあります。しかし私がどれだけ苦しみ、どれだけ違うことへと意識を無理やり変え、とにかく死にたい気持ちを押さえ込みながら生きてぬいてきたのかなんて、誰にもわかりません。むしろわかってもらおうともおもいませんが。
もし人生がやり直せるとして同じような成功があるとしても、私はもう一度過去を経験するぐらいであれば早い時期に命を絶ちたいです。
酷い痛みを抱えながら生きてきた人がこのプログを読めば加賀さんを心から応援するとおもいますり
加賀さんの心が少しでも安らかになると同時に、今後のご活躍を心から期待しております。
ただ、奇抜なことが目的だったなら多少なりとも成功だったのではないでしょうか?こうして赤の他人も知ることができたし、広まったと思う。でも、あなたの広めたくないという意思とは相反しているけど。
まったく関係ない話になるけど、その行動力は才能だと思いました。ただ馬鹿と天才は紙一重なんて言葉もあるし、今後はその才能を大切に生きてください。
あの監督はクズだったのかもしれないけど、世の中上にいるのはクズばかりです。
松江監督、直井氏は犯罪を犯してる上に上映を重ね金儲けをしてるのは悪質極まりないです。
謝罪文も読みましたが、表現という名の暴力をあたかも正論としてるのには吐き気がします。
該当部分をカットしても作品として成立したはずです。暴力行為で撮影した挙句、許諾の契約も交わさず、口約束で有耶無耶にしたのを確認せず、上映する監督や直井氏の傲慢さ、無知さに驚くばかりです。
加賀氏にあんな行動を起こさず、裁判すれば良いと言う人も居ますが、費用や年月にどれだけ負担があるか理解してないと思います。末端の映画制作者は雀の涙程度の謝礼しか支払われず、ボランティアで搾取されている人に裁判なんて起こせるはずはありません。
加賀氏の行動は、松江監督に自分と同じ状況で性を強要される場面を体験させることで真実を暴くという意味では成功したし、何より松江監督が要求に応えたら、許すとした加賀氏の懐の深さ、勇気ある行動に敬服します。
映画館での喧嘩の動画と
映画の予告編だけyoutubeで見ました
もし私が加賀さんの相手をした女優さんだったら
表面はにこやかにしていても
「仕事だからやれって言われたらやるけど
正直この監督の命令腹たつわー
病気のリスクとかも全然考えてないでしょどうせ」と
考えたと思います。加賀さんの勇気は
図らずも女優さんの溜飲も下げることになったと思います。
世界一優しいゲロの話は聞いていて泣けそうでした。
あなたが長い間、どんなに辛く無念だったか、赤の他人にも伝わります。
あなたはおかしくないです。ずれてないです。人を大切にできない表現者は暴力をふるう人です。
ずっと苦しかったですね。これからあなたが解放されて、安らかにいられますように。
僕のような者は周りを見渡しても極々少数派で、ましてやメディア関係の方にそんな方がいらっしゃるとは思いませんでした。
世間ってなんだろう。
人の中にいるといつも感じます。
大多数なら世間でしょうか。
ならば世間は変化するものなのですね。
自分の芯を持っていたら変化しないのでもれなく世間ズレしてしまいますね。
世間からズレたらいけないのでしょうか。
なんだかとりとめのない話になってしまいました。
僕は加賀さんの気持ちがものすごくものすごくものすごくわかります。
わかりすぎて、辛すぎてどうにかして穏やかな気持ちになってもらいたいと思います。
でも、知り合ってもいないので直接何もできません。
悔しいです。
今回の加賀さんの行動から、こんな僕のような圧倒的加賀さんの味方がいることだけは伝えたいと思いました。
曲げないで!負けないで加賀さん!
I have some mates that I think would dig
your post. Please let me know. Much appreciated.