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 江戸時代の江戸の町は、「八百八町」などといわれる。しかしその町の数は、実際の町の数にもとづいているわけではない。
 慶長八年(1603)、徳川家康が征夷大将軍になり、江戸城改修と町づくりが開始された。
 江戸城がほぼ完成した寛永13年(1636)当時、町の数は、すでに300あまりあった。それを、「古町(こちょう)」と呼んでいた。
 江戸の市街地が拡大するにつれて町の数は増えていく。寛文年間(1661〜73)には700近くになり、延宝年間(1673〜81)には800を超えた。江戸が「八百八町」になったのはそのころである。
 町はその後も増え続け、延亨年間(1744〜48)には1000をはるかに超えて1600あまりに達し、天保年間(1830〜44)のころには約2000町までになった。
 十辺舎一句の『東海道中膝栗毛』八篇(文化6年<1809>)に「大江戸の八百八町」とある。
 つまり、その「八百八町」とは実際の町の数ではなく、町数が多いことを意味している。この時の町の実数は、その2倍以上だったのだから・・・・。





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