大日本帝国憲法起草に中心となって関わり、初代内閣総理大臣となった伊藤博文。後に第5代、第7代、第10代の総理大臣も務めた人物である。このように素晴らしい経歴を持った人物だった彼だったが、彼は女性関係はふしだらで好色漢であったという。
 伊藤博文の好色漢が明らかになったのは鹿鳴館でのスキャンダル。第一次伊藤内閣の際には毎週のように鹿鳴館で舞踏会や夜会を伊藤自ら主催していた。伊藤はそこで片端から女性を口説いていたという。そんな中、鹿鳴館社交界の名花と謳われる美女・戸田氏共(うじたか)伯爵夫人との噂が流れ、「婦人に伊藤が乱暴を行った」「馬車の中で行為に及んだ」など、新聞がスキャンダルを書き立てた。新聞記事は実際どこまで真実かはわからないが、火のない所に煙は立たない。
 伊藤の好色漢ぶりは「博文のいくところ必ず女あり」といわれるほど有名になり、関西電力の祖である藤田伝次郎は伊藤への賄賂として、女性を連れていったという。
 また、妻がいるにもかかわらず自宅に芸者を呼んだことや、女性2人を相手にしたこともあったという。あまりの好色ぶりに心配した明治天皇は「少し謹んではどうか」といったが「博文をとやかく申す連中の中には、ひそかに囲い者など置いている者もいますが、博文は公許の芸人どもを公然とよぶまでです」と答えたという。





この食材!からだにどう効く?(毎日の食べ物の効能)

年金が分かって暮らしに安心!【(国民 共済 厚生)年金共通】

「厚生年金」早わかり!

「美味しい知識の収集屋」の頁のトップへ