2005年05月
2005年05月30日
Tea Time
明日は中欧旅行の説明会。7月初旬の予定。チェコ(プラハ)スロバキヤ(ブラチスルバ)ウイーン、ブタペストを巡る。ウイーンは二度目だが、ウイーンの森、大観覧車(第3の男ジョセフ、コットンとオーソン、ウエールズが対決した)フンボルト、バッサーの建物など見ていない。時間制の市電でのんびりまわろう。前回の訪問で大事なことを忘れた。「ザハトルテ」である。オペラ座近くのホテル、ザハーが元祖(ホテル、デーメルと本家争いをしたのが有名)砂糖の入っていない生クリームと一緒にたべると超美味とのこと。ケーキをくるむチョコレートはショコラーデン、グラズールといいチョコレートのアイシングに高度の技術を要するとのこと。1人ウン10万払ってケーキを食べにいくのも悪くない。
2005年05月29日
最近の1枚
スマトラ沖地震は今世紀最大の悲劇だ。数々の衝撃的映像が流された。映像作家も争ってこれを報じた。悲惨な映像であればあるほどインパクトは強い。華氏911で鉄橋に吊るされた焼け焦げた遺体の映像などその最たるものだ。しかし、ベトナム戦争での映像、ロバート、キャパの「撃たれる兵士」等映像は強烈であるが、本当に心を打つものは全てをさらけだしたものではない。見る者に余韻を感じさせるものが本当に心を打つ。写真は今回の津波でインド南部カッタロールで身を投げ出し親類の死を悲しむ映像だ。この写真は今年度報道写真で大賞をとった。これくらいで、芸術家の社会参加の話は終わりにして、私本来の自分自身の絵に戻ろう。
2005年05月28日
ベン、シャーンとラッキードラゴン
1920年マサセチュー州の靴工場で警備員が殺され1万$が奪われた。イタリア系移民でアナーキストだと言う理由でサッコとヴァンゼッチーが逮捕された。無罪を主張したが死刑が執行された。ベン、シャーンは水彩画でこの事件を描き抗議した。民衆も立ち上がり官憲は冤罪と認めざるを得なかった。1954年3月焼津の延縄漁船「第5福竜丸」がビキニ環礁近くで被爆した。当時「原爆まぐろ」と言われまぐろの需要も激減した。23人が被爆し最後の1人久保山愛吉さんも「原爆の被害者は私が最後の1人にしてほしい」といって亡くなった。ベン、シャーンは亡くなる寸前の久保山さんを訪ね、描いた絵がこれである。この絵は世界に衝撃をあたえたが、依然世界の核開発は止まない。
2005年05月27日
時代を変える芸術家
ベン、シャーンのWE want peaceのポスターです。ベン、シャーンについては後日ふれます。スイスに行った時シオン城に詩人バイロンの繋がれた場所がありました。ローマ法王の隠し子と言われたギューロム、アポリネール(カリギュラム等私の好きな詩人)は第1次大戦に義勇兵として参加しています。ピカソの「ゲルニカ」しかり。世紀末思想を指導したウイーン分離派のクリムト、エゴンシェールの活動もあります。メキシコではシケイロス、リベラの起こした「壁画運動」はメキシコの市民運動のさきがけとなりました。(壁画運動を日本に起こした北川民治は有名です)エミル、ゾラは「ドリュフィス事件」を弁護しています。映画にもなりました。ピエール、フルネ扮する陸軍砲兵大尉ドリュフィスがスパイ容疑で(後日冤罪とわかる)襟章、ボタンをひきちぎられるシーンがいまだよみがえります。この事件についてはベン、シャーンの13枚の水彩を描き抗議しています。