2016年07月06日

戦後の闇市

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NHKの朝ドラで、戦後の闇市のシーンが出てきた。懐かしい。今のアメ横付近に闇市があった。私は敗戦後、中一で米軍のLSTに乗せられ上海から引き揚げてきた。親戚の下谷区(今の台東区)車坂の家に一家して、転がりこんだ。中学は上野の山にある有名校に入った。上野の山中に浮浪児がいた。登下校の折にカミソリの刃を持った浮浪児に脅かされた。対抗するため、私達は「肥後守(小型折りたたみナイフ)や自転車のチエーンを持って、登下校した。現在のガード下の地下鉄入口が彼等のねぐらで時々、警察の刈り込み(逮捕)があった。学校帰り、よく闇市に遊びに行った。御徒町への道へはインチキ露天があった。絶対詰まない将棋屋。一見簡単そうだが絶対詰まない。指し手、1回5円だといいながら、1手に5円だといい、ぼったくった。私達がそれを知っていたので、チャリを入れると、怒って、本気で追いかけてきた。インチキ、ルーレットは景品を指す針を足でコントロールしていた。ナキバイもいっぱいいた。1番多かったのが万年筆だ焼け焦げたらしい万年筆を並べ、万年筆工場が火事になった。焼け跡から出てきたものだ。磨けば、ほら、こんなに綺麗になる、これは高級万年筆モンブランだ。と言ってだまして高価にうる。また同じ手口で焼け焦げた剃刀の刃を並べ、これはゾウリンゲンと言って高価に売る。山手線の中に、インチキの傷病兵が回ってきて、金をせびる。お祭りの時もインチキ傷病兵が営業していた。左上の写真は当時の新宿だ。「人民シチュー」というシチュー屋があった。実は材料は進駐軍の残飯だ。時に、中から、タバコの吸い殻や梅干しの種が出てきた。私はここで天丼を食べた。そうしたら、気の弱そうな学生に「お前が食べたのは天丼ではなく、天婦羅丼だ。」と脅してボッテいた。こんな話は山ほどある。まさにカオスだ。怖かったが楽しかった。

oobasakura at 09:14コメント(0) |  

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