■全国 九州 大分 豊前国 豊後国 中津・下毛 宇佐 国東 速見・別府 
大分 臼杵・津久見・佐伯 三重・犬飼・豊後大野 竹田 日田・玖珠

0487 顕宗03年 ■比丘形の像を作った者が近江国にいた。
0522 継体16年 ■大唐漢人・案部村主司馬達等が大和国高市郡坂田原に草堂を建てて仏像を置いた。
0527 継体21年 磐井の乱
0531 継体25年 ■豊前国彦山が北魏の善正によって開かれた。
0552 欽明13年 ■百済の聖明王が仏像・仏具・経論を献じた。「法師」という言葉が使われた。
0570 欽明31年 ■豊後国神角山が新羅僧によって開かれた。
0584 敏達13年 ■弥勒信仰が伝わる。
0607 推古15年 ■生部設置。
0609 推古17年 筑紫大宰、初登場
0639 舒明11年 ■百済大寺建立。
0646 大化02年 ■里制開始。
0649 孝徳05年 蘇我日向、筑紫大宰に就任。
0654 白雉05年 大宰府町大字南字般若寺に般若寺建立。
0663 天智02年 ■大津皇子誕生。
0663 天智02年 大宰府が整備される。
0664 天智03年 対馬・壱岐・筑紫に防人(さきもり)と烽(とぶひ)を置く。
0664 天智03年 水城設置。
0665 天智04年 長門城(ながとのき)・大野城・掾城(きのき)を築く。
0669 天智02年 蘇我赤兄、筑紫大宰に就任。
0670 天智03年 ■庚午年籍作成。
0671 天智04年 ■蘇我赤兄、左大臣に就任。
0671 天智04年 栗前王、筑紫大宰に就任。
0673 天武02年 ■大官大寺建立。
0673 天武03年 ■諸国の家毎に仏像・経典が置かれた。
0675 天武04年 ■諸国に遣わして「金光明経」と「仁王経」と説かしめた。
0675 天武04年 ■貸税(いらしのおほちから)の詔
0675 天武04年 ■借貸の詔
0675 天武04年 ■山川薮沢の利が公私共有のものとなる。
0675 天武04年 大分君恵尺病死。
0679 天武08年 大分君稚臣死亡。
0684 天武13年 ■諸国毎に仏舎をつくり仏像経典を安置させた。
0689 持統03年 ■浄御原令
0689 持統03年 河内王、筑紫大宰に就任。
0689 持統03年 防人の交代制。
0690 持統04年 筑前・筑後・肥前・肥後・豊前・豊後・日向・対馬・壱岐の七国ニ嶋成立。
0692 持統06年 河内王、沙門を大隈・薩摩へ派遣。
0694 持統08年 河内王、死去。
0694 持統08年 ■金光明経100部を諸国に置き、毎年正月の上玄の日に読ませた。
0698 文武02年 ■国司の郡司選抜に当たり偏りの無いように規定する。
0698 文武02年 ■伊勢国大神宮の神宮寺建立。
0699 文武03年 ■役小角が伊豆へ流される。
0701 大宝01年 早吸比暑N神社は、神宣を奉じ、神宮を曲浦(わたのうら)の清地に移す。
0702 大宝02年 ■貸税は出挙とよばれるようになる。
0702 大宝02年 薩摩と多褹の一国一嶋が成立。
0702 大宝02年 大宰府が管内の掾以下郡司の評議権を得る。
0703 大宝02年 ■大宰府の力が強かったことが続日本紀に記される。
0706 慶雲03年 ■山川薮沢の利を王公諸臣が独占することを禁止する詔。
0706 慶雲03年 ■1束5把を租として徴収することに改めた。
0706 慶雲03年 ■庸は半減され、特に太宰府管轄下、つまり九州の諸国は全免された。
0708 和銅01年 ■国貯(くにのたくわえ)開始。
0711 和銅04年 ■山川薮沢の利を王公諸臣が独占することを禁止する空閑地制再発布。
0712 和銅05年 鷹居瀬社建立。
0713 和銅06年 ■風土記の編纂を指示。
0713 和銅06年 ■諸寺が多くの田野を占有するため、占有面積を制限する処置がとられた。
0713 和銅06年 大隈国が成立。
0715 霊亀01年 ■里制が郷里制へ移行。
0715 霊亀01年 ■越前国気比神宮寺建立。
0716 霊亀02年 託宣により、小倉山の丑寅の小山田の林に宮柱を立て神殿を造り祭祀した。
0717 養老01年 ■行基一派が弾圧される。
0717 養老01年 ■調の副物(そわつもの)として染料・麻・油・塗料、雑器類を納める定めを廃止。
0718 養老02年 ■僧が山や市里に入るのを禁ず。
0718 養老02年 ■太宰府も全国同様に庸を輸すことになり、全国半減の庸も旧に復した。
0719 養老03年 大隈日向の隼人が襲来するというので公家の「祈申」を受ける。
0720 養老04年 隼人の反乱
0722 養老06年 良田百万町歩開墾の計画。
0722 養老06年 隼人の反乱に際し武功のあったものに勲位が授けられる。
0723 養老07年 三世一身の法。
0724 神亀01年 ■聖武天皇即位。大赦。
0724 神亀01年 勅使を立てていかなる神社を造ったらよいかを問うた。
0724 神亀01年 放生会の託宣に従い、法蓮が虚空蔵菩薩を建立。
0724 神亀01年 放生会の託宣に従い、花巌が郡瀬で如意輪菩薩を建立。
0725 神亀02年 弥勒禅院建立。
0730 天平02年 防人が停止される。
0732 天平04年 ■節度使設置。
0733 天平05年 第二殿として比暑N(ひめ)神が奉祀され、翌年に遷宮した。
0734 天平06年 ■出挙による利稲の割合が田租による収入とほぼ同程度に増加する。
0734 天平06年 ■国司借貸の最高限度額が示される。
0735 天平07年 陽候史真身、豊後国司として着任。
0735 天平07年 ■天然痘が流行し始める。
0736 天平08年 ■庸は調の半分となって稲に換算して9束となった。
0735 天平07年 大宰府官人が禄物を衣食物と交易することが認められた。
0737 天平09年 『豊後国正税帳』
0737 天平09年 ■天然痘が猛威を振るう。
0737 天平09年 ■金光明経100部を諸国に置き、毎年正月の上玄の日に読ませた。
0737 天平09年 防人を本郷に帰し、筑紫の者に壱岐・対馬を守らせる。
0737 天平09年 弥勒禅院を社殿の西に移し、神宮寺の建立が始まる。
0737 天平09年 伊勢神宮などと共に宇佐八幡社が『続日本紀』に記載される。
0738 天平10年 ■橘諸兄、右大臣になる。
0738 天平10年 ■国司借貸停止。
0738 天平10年 陽候史真身、豊後国司解任。
0738 天平10年 小治田朝臣諸人、豊後国司として着任。
0738 天平10年 
弥勒寺金堂建立
0740 天平12年 ■郷里制が郷制へ移行。
0740 天平12年 ■諸国に命じ「法華経」を移し七重塔を建立させた。
0740 天平12年 藤原広嗣の乱
0740 天平12年 政府が大将軍大野東人を八幡宇佐宮に祈請させた。
0741 天平13年 ■国分寺建立の詔
0741 天平13年 朝廷は宇佐宮に封戸20戸、神宝・造寺・度僧・最勝王経などを納めた。
0741 天平13年 戦勝を感謝し、神宮に秘錦冠、金字最勝王経・法華経、三重塔、度者が寄進さ
             れた。
0742 天平14年 ■山川薮沢の利を王公諸臣が独占することを禁止する詔。再々発布。
0743 天平15年 ■墾田永代私財の法。
0743 天平15年 ■盧舎那大仏の造立を発願。
0744 天平16年 ■国分寺料稲の雑稲設置。
0745 天平17年 ■公廨稲(くげいね)設置。
0745 天平17年 ■信楽宮を廃して、都を平城京に移した。
0745 天平17年 天皇が大仏鋳造の大願を成就せんがために、大神に宣命を奉った。
0746 天平18年 ■造籍後2年に校田、3年目に班田するようになった。
0746 天平18年 ■正税・公廨・国分寺料の三本立てにより出挙制が行われるようになった。
0746 天平18年 百姓商旅の徒が調綿などの国物を、から難波に運んでいた。
0746 天平18年
 八幡神に対する三位の叙位と封400戸の施入が行われた。
0747 天平19年 ■造仏長官に国君麻呂(くにきみまろ)を任じ、鋳造が始まる。
0749 天平01年 ■大仏鋳造完成。
0749 天平01年 ■藤原仲麻呂、皇后宮職を紫微中台と改称し、その長官である令となった。
0749 天平01年 ■寺院に対する占有面積が寺院ごとに決定される。
0750 天平02年 八幡大神の託宣により正五位上藤原朝臣乙麻呂が従三位に叙される。
0750 天平02年
 八幡大神に封800戸、位田80町が寄進された
0752 天平04年 ■道鏡が内裏へ入り如意輪法を講じた。
0755 天平07年 防人が復活。
0755 天平07年 厭魅事件。神宣により、常用の神田を除く封戸・位田等は朝廷に返された。
0755 天平07年 大神杜女が朝廷から責められた。京の八幡大神宮は伊予国宇和領に移る。
0756 天平08年 ■聖武天皇崩御。道祖(どうそ)王が皇太子となる。
0756 天平08年 聖武天皇の平癒祈願のため従五位日下部宿禰古麻呂を八幡大神宮に遣わす。
0757 天平01年 ■公廨制度化。
0757 天平01年 ■雑徭の期間が30日に半減した。
0757 天平01年 ■道祖王が廃せられ、大炊(おおい)王が皇太子となる。
0757 天平01年 ■孝謙天皇は田村宮に移り、藤原仲麻呂は紫微内相となった。
0757 天平01年 ■橘奈良麻呂の乱。右大臣豊成まで連座して左遷される。
0757 天平01年
 榎井朝臣子祖父、豊後国司として着任。
0757 天平01年 東国防人廃止。
0757 天平01年 西海道7国の兵士のうち1000人が防人として配備された。
0758 天平02年 ■淳仁天皇即位。
0757 天平01年 ■藤原仲麻呂は右大臣に任じられる。
0759 天平03年 ■藤原仲麻呂、新羅征討計画を立案。
0760 天平04年 ■藤原仲麻呂、太政大臣に任じられる。
0757 天平01年 ■光明皇后が崩御。
0761 天平05年 榎井朝臣子祖父、豊後国司解任。
0762 天平06年 ■孝謙上皇が病に伏せ、道鏡が御薬に侍し、宿曜秘法を行った。
0757 天平01年 ■孝謙上皇と淳仁天皇は不和となる。上皇は国家大事と賞罰は自ら行うとする。
0764 天平08年 ■仲麻呂の息子3人は参議、1人は太宰師を兼ね、一族も高官に就いていた。
0757 天平01年 ■道鏡は上皇の信任をうけ、従八位上弓削連浄人に宿禰を賜る。
0757 天平01年 ■藤原仲麻呂の反道鏡の謀が発覚。藤原仲麻呂と石村石楯が誅せられる。
0757 天平01年 ■道鏡が大臣禅師に任じられる。
0757 天平01年 ■孝謙上皇は淳仁天皇を捕らえて幽閉、上皇は重祚して稱徳天皇となる。
0765 天平01年 ■加墾することが禁じられた。
0757 天平01年 ■道鏡一族が次々と高官に昇る。
0757 天平01年 ■和気清麻呂と姉の広虫売も真人の姓が与えられた。
0757 天平01年 ■道鏡派太政大臣禅師となる。
0757 天平01年 ■淳仁上皇が33歳で崩御。
0755 天平07年 官符が下され、宇佐公池守をもって大御神宮を造った。
0766 天平02年 ■中臣習宜阿曽麻呂(なかとみのすげのあそまろ)が従五位下に叙される。
0757 天平01年 ■道鏡に法王の位が授けられた。
0757 天平01年 ■弓削浄人は三位中納言となる。

0766 天平02年 残留していた東国防人を戌に配す。
0755 天平07年 八幡宮・八幡宮比暑N神(ひめがみ)に対し封戸600戸が突然与えられる。
0755 天平07年 八幡大神宮主神司大神田麻呂の罪が許され、豊後員外掾に任じられた。
0767 神護01年 ■弓削一族が高官に昇る。
0767 神護01年 中臣習宜阿曽麻呂が豊前介に任じられる。
0767 神護01年 佐伯宿禰久良麻呂、豊後国司として着任。
0755 天平07年 宇佐に八幡比売神宮寺が造られる。
0768 神護02年 浄人が大納言となり、太宰師にも任じられる。
0769 神護03年 中臣習宜阿曽麻呂が道鏡に皇位を与えよ、という八幡大神の託宣を受ける。
0755 天平07年 和気清麻呂は輔治能真人の姓を与えられ、神託を受けるために宇佐を訪れる。
0755 天平07年 清麻呂は道鏡に反する神託を報告したため別部穢麻呂と改名され流される。
0770 神護04年 ■稱徳天皇崩御。
0757 天平01年 ■白壁王が皇太子となる。
0757 天平01年 ■道鏡が下野(しもつけ)国薬師寺別当に左遷される。
0757 天平01年 ■中臣習宜阿曽麻呂が種子島守に左遷される。
0757 天平01年 ■和気清麻呂、広虫売は大隈国から京都に召還される。
0757 天平01年 ■皇太子が即位し光仁天皇となる。
0771 宝亀02年 ■藤原良継が内大臣、百川(ももかわ)が大宰師となる。
0771 宝亀02年 和気清麻呂は本位従五位下に復し、豊前守に任じられた。
0771 宝亀02年 佐伯宿禰久良麻呂、豊後国司解任。
0771 宝亀02年 紀朝臣鯖麻呂、豊後国司として着任。
0772 宝亀03年 ■再び墾田が許される。
0772 宝亀03年 六郷山惣堂達職相承が国東に移った
0773 宝亀04年 和気清麻呂が大宰府の役人の八幡宮派遣を要請。
0755 天平07年 禰宜正六位下辛嶋勝与曽売と宮司外正八位下宇佐公池守を解任。
0755 天平07年 小吉備売を禰宜に、無位辛嶋勝龍麻呂を祝に任じた。
0755 天平07年 大宮司に外従五位下大神朝臣田麻呂を任じた。
0774 宝亀05年 多治比豊浜が豊前国司として赴任。
0776 宝亀07年 紀朝臣鯖麻呂、豊後国司解任。
0781 天応01年 多治比真人継兄、豊後国司として着任。
0782 天応02年 ■造籍後、班田の実施がこの頃より遅延し始める。
0782 天応02年 多治比真人継兄、豊後国司解任。
0785 延暦04年 豊後国海部郡大領海部公常山が外従五位下に叙される。
0786 延暦05年 ■国司・郡司の悪政に対し太政官が命令を出す。
0792 延暦11年 陸奥・出羽・佐渡・大宰府を除く京畿7道諸国の軍団兵士の制が停廃。
0793 延暦12年 大宰府や国衙の官人が商旅の徒の交易活動を容認・利用していた。
0794 延暦13年 ■全国一斉の最後の造籍。班田は6年後に実施された。
0795 延暦14年 ■雑徭が再び30日となる。
0795 延暦14年 豊前国に国造田があった。
0795 延暦14年 壱岐・対馬を除いて防人廃止。
0796 延暦15年 ■京の都烽設置。
0795 延暦14年 豊前・豊後の三港と摂津の間を公私船で往来することが許された。
0797 延暦16年 ■国司交代解由の監視のために勘解由使が設置される。
0798 延暦17年 ■郡司世襲制を廃止しようとした。(失敗)
0798 延暦17年 宇佐宮の封物を大宰府庫に納めるよう、太政官符が出された。
0800 延暦19年 ■全国一斉の最後の班田。
0801 延暦20年 ■政府は班田を12年1班制へと改める。
0806 延暦25年 ■新任国司の貸借が許される。
0806 延暦25年 右大臣として朝政を主導する藤原園人が豊後守として赴任。
0807 大同02年 位禄・季禄の運京が許される。
0808 大同03年 国司と宮司が共同して神封物の検校を行うこととなった。
0811 弘仁02年 ■郡司世襲制に変更を加える。
0811 弘仁02年 ■開墾地占請制。
0795 延暦14年
 公廨稲(くげいね)の運京が許される。
0812 弘仁03年 ■郡司の国定制。
0813 弘仁04年 ■太宰大弐小野峯守らが公営田制を奏上。
0795 延暦14年 軍団兵士の減定。
0822 弘仁13年 ■雑務歴試権。
0824 天長01年 ■常荒田を再開墾した者に一身間の耕食を認める官符が出される。
0826 天長03年 大宰管内の兵士も全廃。代わりに統領・選士が置かれた。防人制崩壊。
0828 天長05年 豊前守伴枝嗣が政府に対し解状を提出。
0830 天長07年 弥勒寺の年分度者および購読師法服布施について太政官符が出される。
0833 天長10年 東大寺の恵運、弥勒寺読師となる。
0849 嘉祥02年 豊前守が政府に対し再び解状を提出。
0853 仁寿03年 ■国司に校田実施の裁量権が与えられた。
0862 貞観04年 ■畿内諸国に対し、京戸の徭分はみな免じ、土人は徭を20日とした。
0864 貞観06年 ■京畿内の雑徭は、京戸・土人の区別無く20日となった。
0869 貞観11年 豊前国貢絹綿掠奪事件。
0870 貞観12年 再開墾者死亡後、その子孫が6年間耕作することを許される。
0870 貞観12年 少弐藤原元利麻呂らが、新羅国との通謀容疑で拘禁される。
0873 貞観15年 大宰府の財源確保のため、府儲田(ふちょでん)の設定を行った。
0874 貞観16年 仁王経が諸国と下野薬師寺・観世音寺・宇佐弥勒寺に頒下された。
0883 元慶07年 前筑後で国守都御酉の館を襲い、財物を略奪する事件が発生。
0887 仁和03年 藤原保則、太宰大弐となる。
0888 仁和04年 雑事二か条。
0889 寛平01年 宇佐八幡宮行事例定文
0902 延喜02年 ■延喜の荘園整理令
0903 延喜03年 ■これ以降、全国的に班田が実施されなくなる。
0912 延喜12年 豊後前司藤原世武の調庸未進が責められた。
0914 延喜14年 宇佐是憲、大宮司となり、正六位上に叙される。
0938 天慶01年 宇佐是憲、外従五位下に叙される。
0996 長徳02年 藤原有国が大宰大弐に任命される。
0996 長徳02年 丹波奉親が豊後国守に任命される。
0998 長徳04年 京都郡賀田郷で雨米が降る奇瑞が発生。
0999 長徳05年 元命、弥勒寺講師となる。
0999 長保01年 雨米事件を弥勒寺講師長祐が安楽時別当住算に報告。
1000 長保02年 宋の商人・曽令文が大宰府にて売買や金の直(あたい)について折衝を行う。
1000 長保02年 丹波奉親が藤原有国の苦責に絶えられず、京へ逃亡上京。
1001 長保03年 中納言正三位の平惟仲が大宰師に、大宰大弐藤原有国が京に召される。
1003 長保05年 藤原有国、宇佐宮の祝長興を招き、自分の子どもたちの祈願を依頼。
1003 長保05年 宇佐宮司らが大宰師平惟仲らの非行9ヵ条を太政官に訴えた。
1003 長保05年 宇佐神人が上洛して、大宰府平惟仲の苛酷を訴える。
1004 長保06年 宇佐宮神人数百人が惟仲が宇佐宮宝殿を封じてしまった非例を直訴した。
1005 寛弘02年 大宰師平惟仲はその任を停止され、かわって藤原高遠が大宰大弐となる。
1003 長保05年 平惟仲、大宰府で死亡。
1007 寛弘04年 宇佐宮領到津荘成立。
1008 寛弘05年 宇佐宮禰宜成子が無実を持って祓を科されている大宮司邦利のことを直訴。
1009 寛弘06年 宇佐相規、正六位上となり大宮司に赴任。
1019 寛仁03年 散在常見名田舟生津留畠地が宇佐宮に寄進される。
1024 治安04年 宇佐相規、従五位下となる。
1036 長元09年 日田郡において、府権検非違使早部為行が5ヶ所58町の土地を開発。
1045 寛徳02年 ■寛徳の荘園整理令
1057 天喜05年 紀季兼が田染荘内の原野を開発し、田原別符とする。
1063 康平06年 秦時重が府官として少弐となる。
1074 承保01年 散在常見名田勝津留畠を内蔵近次が領掌した。
1081 承暦05年 散在常見名田勝津留畠を津守常見が領掌した。
1085 応徳02年 ■京洛九条北烏丸西に太政大臣藤原信長が城興寺を建立。
1086 応徳03年 ■白河上皇が院政を創立。鳥羽離宮を造立。
1087 応徳04年 ■白河上皇が鳥羽離宮へ移る。
1091 寛治05年 藤原貞平が郷内39町余を開発し私領化。
1103 康和05年 ■信長の死後、後室が白河法皇に城興寺領を寄進。
1120 保安01年 ■白河法皇が関白藤原忠実を罷免。
1133 長承02年 ■鳥羽上皇は藤原忠実一女勲子を入内させて泰子と改め、翌年皇后とする。
1137 保延03年 ■鳥羽上皇が藤原家成に命じて鳥羽離宮内に安楽寿院を建立。
1139 保延05年 ■皇后泰子が高陽院を号する。
1148 久安04年 ■最勝金剛院を法性寺の境内の阿弥陀堂として建立。
1154 仁平04年 ■鳥羽法皇が鳥羽離宮内に金剛心院を建立。
1155 久寿02年 ■高陽院死去。
1156 保元01年 ■藤原忠実ならびに左大臣頼長の所領が没官される。
1157 仁平04年 ■藤原頼長の荘園が没官領として後白河天皇の後院領となった。
1164 保元02年 ■白河上皇の勅願によって蓮華王院建立。三十三間堂。
1176 安元02年 宇佐公通、大宮司を辞任し対馬守従四位下宇佐宿禰公通となった。
1180 治承04年 宇佐公通、宇佐大宮司に環任し、豊前守となった。
1180 治承04年 藤原頼経の長男宗長が豊後守に任命される。
1192 建久03年 弥勒寺金堂再建。
1278 弘安01年 宇佐郡内散在常見妙典に宇佐荘が成立。
1840 天保11年 ■光格上皇崩御。