視線入力で描いた「でんでんむしのかなしみ」が受賞
―日本肢体不自由児協会第38回肢体不自由児・者の美術展
―日本肢体不自由児協会第38回肢体不自由児・者の美術展
「でんでんむしのかなしみ」は、1935年に発表された新見南吉さんの創作童話です。

2016年春からお母さんと2人3脚で視線入力に取り組み始め、日常的な努力の積み重ねがこのような形で認めていただけたという意味で、今回の受賞は大きな足跡になったといえると思います。
また、障がいの重い方、支える方の気持ちが前向きになっていくことにつながるとうれしいです。
また、障がいの重い方、支える方の気持ちが前向きになっていくことにつながるとうれしいです。
雅也さんは聴覚情報処理に優れていて、感受性がかなり高く、音量についても少し大きい音には過敏に反応してしまい、ボリュームを下げるのを忘れた私が謝ることが時々ありました。一方、目からの情報処理は苦手で、脳症の後遺症の状態から医学的にも視覚からの入力は難しいと言われていました。
確かに、マイトビーの障がいの重い方向けの見やすく分かりやすいターゲットを使ったキャリブレーションでも、はじめの2年間は成功することはありませんでした。
*キャリブレーション=ターゲットを注視したり、追視したりすることによって、画面の見たところが正確に反応するようにする補正作業。
確かに、マイトビーの障がいの重い方向けの見やすく分かりやすいターゲットを使ったキャリブレーションでも、はじめの2年間は成功することはありませんでした。
*キャリブレーション=ターゲットを注視したり、追視したりすることによって、画面の見たところが正確に反応するようにする補正作業。
だから、視覚からの入力をあきらめて聴覚だけに頼るという選択もありえたと思います。でも、テクノロジーの進歩により、視線入力が身近になってきた20代後半にあえて苦手なことに挑戦してみるという冒険をすることを決心します。
視覚へのアプローチが他の感覚と統合されていく過程については、「視線入力への挑戦―その5―」で触れました。
視覚へのアプローチが他の感覚と統合されていく過程については、「視線入力への挑戦―その5―」で触れました。
お母さんは、冒険のための装備を整えるために、情報収集から始まり研修会への参加も含めて、入念に行ってきました。そして、ご家庭で日常的に視線入力に取り組める環境を整えていかれました。(「27歳からの視線入力―その2―」)
では、訓練のように取り組んだのかというとけっしてそうではありません。学習的なことや訓練的なことは、雅也さん自身が拒否することもできていました。当初私が訪問して、視線入力で形合わせや色合わせのようなマッチングの課題を画面に出すと、すぐ寝たふりをすることができたのです。
では、訓練のように取り組んだのかというとけっしてそうではありません。学習的なことや訓練的なことは、雅也さん自身が拒否することもできていました。当初私が訪問して、視線入力で形合わせや色合わせのようなマッチングの課題を画面に出すと、すぐ寝たふりをすることができたのです。
お母さんの話によると、4歳で受傷され、笑顔を取り戻すまで10年かかり、自分の感情を表出できる段階から、その後さらに10年位かかって、してほしいこと、やりたいこと等をアピールしている様子が見られるようになったそうです。
しかし、音声言語での発信は難しく、もっと分かってあげたい、ストレスを取り除いてあげたいという気持ちが視線入力への挑戦につながります。
今回の受賞に至るまでの道のりは、果てしなく長かったのです。
表彰式に参加したお母さんからコメントを頂きました。
今回の受賞は、現在までの軌跡をあらためて振り返る機会にもなりました。
「視覚からの入力をあきらめて聴覚だけに頼るという選択もありえたと思います。」
そうならなかったのは、雅也が拒絶するようでいてしなかったからです。視線入力導入の段階ではけいれん発作が誘発されたため慎重に進めていました。
雅也が取り組みたくないときに選ばない(逃げられる)環境も必要かと思いました。
私のゆるい姿勢に安心できたためかはわかりませんが、雅也はけいれん発作を乗りこえて、チャレンジし続けてくれました。
ワクワクすることを求めるのは障害の有無や重さに関わらないのだなと思います。
「生きる喜びを感じていますよ」と雅也自身が発信していることを、皆さんが受け取ってくださったらいいなと思っています。息子が生きることにひたむきであるゆえ、親もできるだけの応援をしてあげたいと考えて過ごしてきました。
それでいいですよと言っていただけたような気がしています。
感無量です。
*今回の絵「でんでんむしのかなしみ」が生まれるまでの足取りを次回「―その8ー」では、たどってみたいと思います。
(相澤純一)