「わきあがる闘志」
ー与えられた学びから本人の望む学びへの転換―

28歳の誕生日に想う
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 望さんは、訪問大学生涯学習コースの3年生になった。
   しかし、4月以降、コロナ禍で訪問大学の授業を全面的に休止したため、始業式もできていない。

    4年制の訪問大学を卒業すると、希望者は生涯学習コースに進む。ただ、生涯学習コースというのが分かりにくいので、望さんには、「訪問大学院」という名目で説明している。
「大学院だとしたら、生涯学習コース2年生の修了式は修士課程の修了で、4月からは博士課程だね。」
   と、伝えてある。望さんは学ぶ意欲が旺盛で、訪問大学の授業は月2回だけだが、日常的にかかわりのあるヘルパーさんやボランティアの大学生と絵本を読んだり創作活動をしたり、屋外に出かけて自然の変化を体験的に学んだりもしてきていて、日々、学ぶ活動を大事にしていた。

   
残念ながら、4月からコロナ禍で、今は、生活に密着した関わりが中心になり、学ぶ時間はかなり限られてしまっている。

    望さんは、28歳の誕生日を今日、迎えた。
    障がいの進行を想うと、ご家族にとっても支援者にとっても、1年1年の記念日がとても貴重で、命の足跡として心に深く刻まれる。


自分から学びたい、やってみたいことに挑戦するときとそうでないときの目力の違い

 望さんの授業のメインの手段として、視線入力を取り入れて、5年目になる。訪問大学入学後の1年目はキネクトカメラを設置してOAKを使った演奏やiPadのアプリを使った授業を行っていた。       
 視線入力については、特別支援学校時代に試したことがあるが難しそうだったという話も聞いていて、OAKを舌の動きで使えていたので、あえて積極的に導入しないできていた。

 元教員の私は、「どんな課題でも、全力で取り組んでほしい」と心の隅で思っていた。
 一方、「大学は、自分のやりたいことを学ぶ場・機会だということ」も頭の中で理解はしていた。

 望さんは、正直に表情や視線や声で、やりたいこととあまりやりたくないことを表現してくれていた。分かりやすかったので、少々気持ちの読み取りが苦手でやや鈍感な私も気づくことができた。明らかに前者と後者で目力が違っていたのだ。

与えられた学びから本人の望む学びへの転換

 音楽で、電子キーボードの内蔵曲を1スイッチで演奏する課題にすると、OAKのカメラでとらえている舌の動きが止まることが多くなっていた。私は、大好きな「嵐」の曲の演奏なら楽しめるのではないかと思い込んでいた。
 「嵐」の曲を聴くのは好きかもしれない。でも、演奏となると、また別物だ。
 長く一緒に取り組んでいるヘルパーさんのアドバイスもあり、OAKを止めて視線入力の導入を決断した。

 といっても、視線入力なら、何でも一生懸命取り組めるわけではない。
 手段がよいとしても、動機がなければ「学び」にはつながらない。
 たとえば、DropTalkで視線入力を使った文字の学習に何度か取り組もうとしたこともあるが、それは、残念ながら望さんの心をとらえなかった。

 望さんが選んだ課題は、絵を描くことと、SOUNOS VALKAでの即興の演奏だ。
 手段としては、OAKやスイッチを使った学びから視線入力を使った学びに変更したわけだが、望さんにとって大きかったのは手段の変更ではなかった。
 「やってみたい」「やり続けたい」と心が動く内容が大切だったのだ。

わきあがる闘志

 
3月の修了式の望さんの生涯学習コース2年生のまとめは、大宮エリーさんの詩画集「虹のくじら」の中から「わきあがる闘志」という詩の朗読とのコラボ演奏だ。
 詩の題名でもある「闘志」が、望さんの内面から湧きあがってくるのを肌で感じた。
 射るような視線に心を打たれて、しばらくその余韻に浸ることになった。

  
 
 前日まで体調を崩していたこともあり、帰る前に挨拶をしようとした時には、ぐっすり眠ってしまっていた。
 寝顔は、2時間、真剣に画面に向かい力を出し切ったことを物語っていた。(相澤純一)