服部印刷では外部企業とのジョイントで、ある新製品の開発を進めていた。当初の想定よりもかなり順調に開発が進んでいたのだが、ここである課題が発生した。


服部社長:
 大熊さん、今日もお忙しい中、お呼び立てして申し訳ありません。
大熊社労士:
 いえいえ、逆にご相談いただけない方が心配になりますので、いつでもお声掛けください。それで今日はどんなお話でしょうか?
服部社長服部社長:
 はい、実は当社では数か月前から関東のある企業とジョイントで新製品の開発を進めています。お陰様で非常に順調に進んでおり、来期の当社の目玉商品になりそうな見込みが立ってきました。
大熊社労士:
 そうでしたか、それは素晴らしいですね。
服部社長:
 ありがとうございます。そこでより本格的な生産体制の構築を行うために、当社の製造部の社員を関東にあるジョイント企業に1年ほど出向させようと考えています。もう誰を行かせるのかという目星も付けているのですが、ここで少し問題がありまして...。
大熊社労士:
 問題といいますと?
宮田部長宮田部長:
 はい、実はその社員には専業主婦の奥さんと2人の子供がいるのですが、同時に高齢の母親の介護をしているのです。現在は奥さんと手分けして、定期的に通院の手伝いなどどをしており、今回の出向によってその母親の介護に一定の影響があるのは間違いない状況なのです。当社の就業規則では出向を命じることがあるという記載がされているので、通常の出向であれば特に問題なく、命じることができると思うのですが、今回はどうしたものかと困ってしまっているのです。
大熊社労士:
 なるほど、そういうことだったのですね。
服部社長:
 大熊さん、この社員に転居を伴う出向を命じても問題ないでしょうか?
大熊社労士:
 ご察しのとおり、状況によっては問題になる場合があります。それでは今回の件について、基礎からお話ししましょう。御社の就業規則を見ると「業務の都合により必要がある場合は、社員に異動(配置転換、転勤、出向)を命じ、または担当業務以外の業務を行わせることがある」との規定があります。先ほどの宮田部長のお話のとおり、このように就業規則において転勤をさせることがある旨を規定してある場合には、転勤について労使間で包括的に合意していると解釈され、社員は原則としてその転勤命令を拒むことはできません。しかし、今回のように就業規則に定めがあるような場合であっても、人事権の濫用とされるような場合には、その命令を行うことは違法とされます。
服部社長:
 その基準のようなものはあるのでしょうか?
大熊社労士大熊社労士:
 はい、転勤命令が人事権の濫用とされるか否かの判断については、主としてゞ般馨紊良要性と∀働者の不利益の程度の2点により行われます。このうち,龍般馨紊良要性についてですが、今回のケースは御社の来期の主力商品の展開という大きな目的がありますのでまず問題ないと思われます。よって検討すべきなのは△力働者の不利益の程度です。転勤の結果、単身赴任となる事例は多く見られますが、転勤に関するリーディングケースである東亜ペイント事件の最高裁判例においては、単身赴任というだけでは労働者が被る不利益が「通常甘受すべき程度」を著しく超えるものとは言えないと判示されているように、単身赴任や遠隔地の配転というだけでは人事権の濫用にはあたりません。しかし、転勤による労働者の不利益の程度は、個人の事情によって大きく異なります。近年の裁判(ミロク情報サービス事件 京都地裁 平成12年4月18日判決、北海道コカ・コーラボトリング事件 札幌地裁 平成9年7月23日決定)においては、社員本人や家族の健康状態、育児や介護が私生活上の事情として考慮されるようになっています。そして、ネスレジャパン事件(最高裁二小 平成20年4月18日決定)においても、個人の事情を考慮した上で介護中の転勤は無効とした判決が下されています。
服部社長:
 なるほど。
大熊社労士:
 更には育児介護休業法においてもその第26条において「事業主は、その雇用する労働者の配置の変更で就業の場所の変更を伴うものをしようとする場合において、その就業の場所の変更により就業しつつその子の養育又は家族の介護を行うことが困難となることとなる労働者がいるときは、当該労働者の子の養育又は家族の介護の状況に配慮しなければならない」と定められています。

服部社長:
 やはり親の介護という状況は勘案しないといけないのですね。
大熊社労士:
 そのとおりです。以上のことから、今回のように介護をしている社員への転勤命令については、親の面倒をみる必要があり、かつ他の人に替わってもらうことが不可能な場合には、通常甘受すべき程度を著しく超える不利益があると認められる傾向が強いと考えられます。もっとも今回は専業主婦である奥さんがいること、また期間が1年と限定されていることから比較的問題は少ないのではないかと考えています。
宮田部長:
 そうですか、少し安心しました。
大熊社労士:
 とは言え、ご本人およびご家族にとっては非常に大きな影響がある事項ですので、できるだけ早いタイミングでご本人からのヒアリングを行い、対応を決定して頂ければと思います。
服部社長:
 承知しました。ありがとうございます。


>>>to be continued


[大熊社労士のワンポイントアドバイス]

大熊社労士のワンポイントアドバイス こんにちは、大熊です。今回は介護を行っている従業員への転勤命令の可否について取り上げました。高齢化社会の到来により、今後、従業員の介護の問題は非常に大きなものとなっていくでしょう。また一方で企業の活動のグローバル化は進展する一方であり、今回のような問題はあらゆる企業において増加することが予想されます。そうした状況を持つ社員に転勤命令を出す際には、その状況に配慮し、一定の猶予措置なども検討する必要があるでしょう。


[関連判例]
東亜ペイント事件(最高裁二小 昭和61年7月14日判決)
 上告会社の労働協約及び就業規則には、上告会社は業務上の都合により従業員に転勤を命ずることができる旨の定めがあり、現に上告会社では、全国に十数か所の営業所等を置き、その間において従業員、特に営業担当者の転勤を頻繁に行っており、被上告人は大学卒業資格の営業担当者として上告会社に入社したもので、両者の間で労働契約が成立した際にも勤務地を大阪に限定する旨の合意はなされなかったという前記事情の下においては、上告会社は個別的同意なしに被上告人の勤務場所を決定し、これに転勤を命じて労務の提供を求める権限を有するものというべきである。
 転勤、特に転居を伴う転勤は、一般に労働者の生活関係に少なからぬ影響を与えずにはおかないから、使用者の転勤命令権は無制約に行使することができるものではなく、これを濫用することは許されないが、当該転勤命令について業務上の必要性が存しない場合、または業務上の必要性が存する場合であっても、当該転勤命令が他の不当な動機・目的をもってなされたものであるとき若しくは労働者に対し通常甘受すべき程度を著しく越える不利益を負わせるものであるとき等、特段の事情の存する場合でない限りは、当該転勤命令は権利の濫用になるものではないというべきである。
 右の業務上の必要性についても、当該転勤先への異動が余人をもっては容易に替え難いといった高度の必要性に限定することは相当でなく、労働力の適正配置、業務能率の増進、労働者の能力開発、勤務意欲の高揚、業務運営の円滑化など企業の合理的運営に寄与する点が認められる限りは、業務上の必要性の存在を肯定すべきである。
 本件転勤命令については、業務上の必要性が優に存在し、本件転勤がXに与える家庭生活上の不利益は、転勤に伴い通常甘受すべき程度のものであるので、本件転勤命令は権利の濫用には当たらない。


[関連法規]
育児休業、介護休業等育児又は家族介護を行う労働者の福祉に関する法律 第26条(労働者の配置に関する配慮)
  事業主は、その雇用する労働者の配置の変更で就業の場所の変更を伴うものをしようとする場合において、その就業の場所の変更により就業しつつその子の養育又は家族の介護を行うことが困難となることとなる労働者がいるときは、当該労働者の子の養育又は家族の介護の状況に配慮しなければならない。


(大津章敬)

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