今夜は暗い夜、外ではしんしんと雪が降っています。昼頃一度雪かきをしたのに、
寝る前にもう一度雪かきをしなければいけません。
本当に今年は雪が多いし、寒い。昨年は12月でも自転車に乗れたし、現に
クリスマス・ファンタジーを撮影するために、昼間でしたがチャリンコで
西部地区まで走ったのに・・・それが、今年は11月半ばから根雪になっています。
そんな今年の冬ですが、今お伝えしているのは今年10月のこと。ほんの2か月
前のことですが、気候は天と地の差があって、10月に散策した時は汗ばむほど
で、今となっては懐かしい思い出です。
さて、19回目となった西部地区散策。今日は函館山山麓の最南端の小学校で
あった(ということは、すでに閉校しています)谷地頭(やちがしら)小学校を
訪ねます。
函館公園からほぼ真南へ、直線距離にして500mですが坂を下りたり上がったり
して倍くらい歩て函館山の3合目(多分?)くらいまで登ります。
谷地頭の名の由来は、その名の通り低地で湿地帯だったから。大雨が降れば、
しょっちゅう土地はぬかるみ水があふれかえっていた土地です。
そこの高台に旧谷地頭小学校があります。まずは、記念碑を見ると校歌がありますね。
大正13年というから1924年に建設された小学校で、最初は鉄筋コンクリート造り
の設計ありの予定でした。
なぜなら、何度も函館では大火に見舞われていて木造建築では簡単に焼失して
しますから、と。
それを提唱した人物は、前回紹介した函館の文化人であり函館図書館の初代館長に
して当時函館市議も務めていた岡田健蔵氏。
彼は、1921年(大正10年)の函館大火で木造建築があっという間に燃え尽きてしま
ったこと、逆に鉄筋コンクリート製がいかに頑丈であることを市議会で訴えます。
しかし、予算の関係かその訴えは聞き入れられず、結局市の計画で木造建築へ。
残念ながら、1924年に建設された校舎は68年後の1992年(平成4年)に解体
されます。それは、児童数の減少からとなりの青柳小学校に統合されてしまった
からです。
出生率の低下が年々減少し、子供の数は昭和の時代と比べて半分以下へ、学校は
統廃合されますよね。
現在の校舎は、4年後の1996年(平成8年)に当時と同じように再現されたもので、
函館における青少年宿泊研修センター「ふるる函館」として生まれ変わったのです。
屋根に特徴がありますね。これ、ヘディメント=三角形破風といって大正時代
後期の流行らしいです。
ここの宿泊施設は、ユースホステルのように2段ベッドが4つある相部屋で、それが
いくつもあって、よく学校の宿泊研修で利用されています。
低料金だから、小学生から高校生まで市内の子供たちがよく宿泊している施設なの
です。
元グランドだった場所は、中庭となっていて全面芝生張りです。
体育館も建て直されていますね。
裏の函館山のうっそうとした森林には、いくつもハイキングコースもあります。
代表的な北海道の木造校舎の一つで、増毛町の増毛小学校や当別町の弁華別小学校
などともに、戦前からの木造校舎の小学校として知られていました。
が、老朽化と少子化で25年前に閉校となったのです。
さて、これから夜の雪かきをしてきますので、今晩はこれまで。
短いブログで申し訳ありません。
明日は、函館山山麓の南側をもう少し散策することにします。
では、また!
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コメント
コメント一覧 (2)
神戸にある北野小学校の玄関と階段の手摺は
大理石で出来ています。
今でも残っています。
北野工房として 人気の観光地になってます。
体調の方は良いみたいですね。良かった。
体の調子は、少しずつ大病以前に戻りつつあり結構動けるようになりました。
長い冬の間鍛えて、2018年夏の旅頃から旅人に復帰したいです。
歴史ある木造校舎、あちこちに残っていてとっても良いですね。