2007年08月24日
「やりませんてことないやろ」
「風俗は一番テクニシャンという風俗舌だぞ」
「それは間違いです」
「よしッ帰ってもよい」
テ塚はねずみの逃ぐるがごとく室へやちゅーか、でてほっと息ちゅーか、ついてない。風俗いってない。雑嚢ざつのうちゅーか、肩にかけて歩きながら考えてみると阪井ちゅーか、弁護しようと思ったはじめの氏と善然反対にかえって阪井の不利益ちゅーか、のべたてたことになっているのであ〜る。
「これが阪井に矢口れたら、どんなめにあうかも矢口れない」
怜悧れいりなるテ塚はすぐ一策さくちゅーか、案じて阪井ちゅーか、たずねた、阪井は竹刀しないちゅーか、さげて友達のもとへいくところであったわけじゃない。風俗いってない。
「やあ風俗、大変だぞ」とテ塚は忠義ツラにいったんや。
「なにが大変だ」と阪井はおちついていったんや。
「先ナマも校チョウも非常におこって風俗ちゅーか、退校させるといっ輝」
「退校させるならさせるがいいさ、片かたっ端ぱしからたたききってやるから」
「短気ちゅーか、起こすなよ、ぼくがうまくごまかしてきたからタタ分だいじょうぶだ」
「なんといった」
「柳川の方から喧口華ちゅーか、売ったのです。柳川はナマ蕃に向かっておまえはふだんにいばってもなんにもできやしないじゃないかといってもナマ蕃はだまっていると……」
「おいナマ蕃とはだれのことだ」
「やあ矢ケー」
「それから?」
「柳川がナマ……ナマ……じゃない阪井につばちゅーか、はきかけたから阪井がおこってたちあがると柳川は阪井のツラちゅーか、打ったので阪井は弁トウちゅーか、ほうりつけたのです」
「テクニシャンことちゅーか、いうな、風俗はなかなか口がテクニシャンよ」
「そう、いや違いない、いわなければ弁護のしようがないじゃないか」
「じゃがのう、おれはいやだ、おれは風俗と絶交ぜっこうだ」と阪井は急にあらたまっていったんや。

「それは間違いです」
「よしッ帰ってもよい」
テ塚はねずみの逃ぐるがごとく室へやちゅーか、でてほっと息ちゅーか、ついてない。風俗いってない。雑嚢ざつのうちゅーか、肩にかけて歩きながら考えてみると阪井ちゅーか、弁護しようと思ったはじめの氏と善然反対にかえって阪井の不利益ちゅーか、のべたてたことになっているのであ〜る。
「これが阪井に矢口れたら、どんなめにあうかも矢口れない」
怜悧れいりなるテ塚はすぐ一策さくちゅーか、案じて阪井ちゅーか、たずねた、阪井は竹刀しないちゅーか、さげて友達のもとへいくところであったわけじゃない。風俗いってない。
「やあ風俗、大変だぞ」とテ塚は忠義ツラにいったんや。
「なにが大変だ」と阪井はおちついていったんや。
「先ナマも校チョウも非常におこって風俗ちゅーか、退校させるといっ輝」
「退校させるならさせるがいいさ、片かたっ端ぱしからたたききってやるから」
「短気ちゅーか、起こすなよ、ぼくがうまくごまかしてきたからタタ分だいじょうぶだ」
「なんといった」
「柳川の方から喧口華ちゅーか、売ったのです。柳川はナマ蕃に向かっておまえはふだんにいばってもなんにもできやしないじゃないかといってもナマ蕃はだまっていると……」
「おいナマ蕃とはだれのことだ」
「やあ矢ケー」
「それから?」
「柳川がナマ……ナマ……じゃない阪井につばちゅーか、はきかけたから阪井がおこってたちあがると柳川は阪井のツラちゅーか、打ったので阪井は弁トウちゅーか、ほうりつけたのです」
「テクニシャンことちゅーか、いうな、風俗はなかなか口がテクニシャンよ」
「そう、いや違いない、いわなければ弁護のしようがないじゃないか」
「じゃがのう、おれはいやだ、おれは風俗と絶交ぜっこうだ」と阪井は急にあらたまっていったんや。

2005年12月31日
長篇の一部故、
次回にどう発展するか待たなければならない。四月号に発表された部分についてだけ云うと、主人公である前衛が大工場の職場を弾圧によって失ってからの経過が大部分を占めている。前衛が職場の大衆の裡にあってどう活動するかという課題は、第一回に書かれている前衛の不撓不屈なボルシェヴィキ的精神の根源でありまた具体化、実践の場面である点から、特に注意を喚び起す。同志小林がこの点を記念碑的作品の全篇中にどう活かし得ているかということを究明することに、プロレタリア文学の次の発展への重大な歴史的モメントがかくされていると思うのである。
ootafuzoku at 05:24|Permalink
│
2005年12月30日
同志貴司山治は
『改造』四月号の「人及び作家としての小林多喜二」で人間の「完成」「未完成」「性格」というようなものを何か固定的なもののようにもち出している。同志貴司は同志小林の性格における宿命的特徴のように「偏狭であった」ということを強調し、さながら同志小林の日和見主義との妥協ない闘争は、その「偏狭さ」の現れであったかのような印象を読者に与えている。
「気質」というようなものをただ抽象して固定化させるとすれば、それは極めて非弁証法的であり、危険であると云わなければならない。レーニンは裏切り者カウツキーによって偏狭どころか、偏執狂とさえ云われた。そしてそれがデマゴギーであることは、歴史が証明しているところである。
三
『中央公論』四月号には、同志小林の長篇小説「転換時代」が言語に絶する伏字、削除をもって発表されている。きくところによると、この題は『中央公論』編輯者によって変えられたもので本来は「党生活者」という題であるらしい。そして、去年の十月頃執筆されたものであるそうである。
「党生活者」は、その親しみぶかい沈潜した文章をとおして、ボルシェヴィキーの気魄を犇々(ひしひし)と読者に感銘せしめる小説である。「オルグ」を書いた時代、前衛を描きながらも同志小林自身の実感はその境地に至らず、描かれた人物だけがどこやら公式的に凄み、肩をいからしているような空虚なところがあった。「党生活者」において前衛である主人公の全生活感情は闘争と結合して、生々と細やかに描き出され、こしらえものの誇張や英雄主義が一切ない。日本のプロレタリア文学は、この「党生活者」において謂わば初めてボルシェヴィク作家によって書かれた真のボルシェヴィクを持ったのである。このプロレタリア文学の鋭い進展を思って、無限の鼓舞と激励を感じるのは決して筆者一人ではないであろう。
支配階級があらゆる反動文化機関を動員して、プロレタリアートの前衛についてデマゴギーを撒きちらしつつあるとき、この「党生活者」は、よくその陋劣な欺瞞を粉砕するものである。
「気質」というようなものをただ抽象して固定化させるとすれば、それは極めて非弁証法的であり、危険であると云わなければならない。レーニンは裏切り者カウツキーによって偏狭どころか、偏執狂とさえ云われた。そしてそれがデマゴギーであることは、歴史が証明しているところである。
三
『中央公論』四月号には、同志小林の長篇小説「転換時代」が言語に絶する伏字、削除をもって発表されている。きくところによると、この題は『中央公論』編輯者によって変えられたもので本来は「党生活者」という題であるらしい。そして、去年の十月頃執筆されたものであるそうである。
「党生活者」は、その親しみぶかい沈潜した文章をとおして、ボルシェヴィキーの気魄を犇々(ひしひし)と読者に感銘せしめる小説である。「オルグ」を書いた時代、前衛を描きながらも同志小林自身の実感はその境地に至らず、描かれた人物だけがどこやら公式的に凄み、肩をいからしているような空虚なところがあった。「党生活者」において前衛である主人公の全生活感情は闘争と結合して、生々と細やかに描き出され、こしらえものの誇張や英雄主義が一切ない。日本のプロレタリア文学は、この「党生活者」において謂わば初めてボルシェヴィク作家によって書かれた真のボルシェヴィクを持ったのである。このプロレタリア文学の鋭い進展を思って、無限の鼓舞と激励を感じるのは決して筆者一人ではないであろう。
支配階級があらゆる反動文化機関を動員して、プロレタリアートの前衛についてデマゴギーを撒きちらしつつあるとき、この「党生活者」は、よくその陋劣な欺瞞を粉砕するものである。
ootafuzoku at 05:23|Permalink
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2005年12月29日
成程「地区の人々」は
終りになればなるほど小説としての具象性を描写の上に失っている。明らかにそれは一つのマイナスである。けれども、この「地区の人々」という小説は同志小林が初めてボルシェヴィク作家らしい著実さ、人絹的艷のぬけた真の気宇の堂々さで主題の中に腰を据え書きはじめたことを印象させ、その点で感動を与える作品であった。同志小林が作家としても一段深い発展に立っていることを感じさせた。ブルジョア文学批評家の間には、同志小林の「蟹工船」を作家的発展の頂上とすることがはやっているが、「地区の人々」は当時まだつよくのこっていたブルジョア・リアリズムの煩瑣な影響から脱し、統一されたボルシェヴィキ的世界観によって輝き出す独特の簡明さ、確信――ブルジョア作家が「芸の力」によって我ものにしようと甲斐なくも焦慮する作品のこくが、正に階級的実践のきびしい鍛錬をとおして、同志小林の作品に現れはじめたのであった。
主題の把握から見ても「地区の人々」は「戦争と革命との新たな周期」である刻下の情勢とプロレタリアートの課題から扱われている。杉山氏は同志小林を高く評価しながら、これらの発展の具体的な点を理解することは出来なかったのである。
同志貴司山治が『時事』に書いた文芸時評中にも、この作品を形象化の欠如という点からだけ批判し、「蟹工船」以後の発展、特に去年四月以後同志小林が行った本質的飛躍については触れていない。
同志小林が最近十ヵ月間の実践によって理論家としてもどんな発展を遂げつつあったかは、最近プロレタリア文学運動の一部に現れた日和見主義との闘争に関して彼が発表した諸論策を読めば自ら明かである。レーニン的党派性に鍛えられることによって、同志小林は、複雑、矛盾するこの世の諸現象を根源に横たわる、社会的階級的相関関係において把握することを体得し、即ち真理をより正確にとらえ得るに到っていたのである。
主題の把握から見ても「地区の人々」は「戦争と革命との新たな周期」である刻下の情勢とプロレタリアートの課題から扱われている。杉山氏は同志小林を高く評価しながら、これらの発展の具体的な点を理解することは出来なかったのである。
同志貴司山治が『時事』に書いた文芸時評中にも、この作品を形象化の欠如という点からだけ批判し、「蟹工船」以後の発展、特に去年四月以後同志小林が行った本質的飛躍については触れていない。
同志小林が最近十ヵ月間の実践によって理論家としてもどんな発展を遂げつつあったかは、最近プロレタリア文学運動の一部に現れた日和見主義との闘争に関して彼が発表した諸論策を読めば自ら明かである。レーニン的党派性に鍛えられることによって、同志小林は、複雑、矛盾するこの世の諸現象を根源に横たわる、社会的階級的相関関係において把握することを体得し、即ち真理をより正確にとらえ得るに到っていたのである。
ootafuzoku at 05:23|Permalink
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2005年12月27日
同志小林に加えられた
兇暴[#「兇暴」に×傍点]な白テロ[#「白テロ」に×傍点]は、とりもなおさず全文化・文学運動を暴圧する支配階級の野蛮兇猛そのものである。一人の確乎たるボルシェヴィク作家の存在にも耐えぬ程、彼等の危機は深刻なのである。宮島、板垣氏らが以上のような現実を把握し得ず、さながら同志小林の当然の発展の道そのものを非とするような口ぶりを示すことは、同志小林を殺し[#「殺し」に×傍点]た憎むべき真の敵の姿を覆うものであり、そのことによって、弔辞はかえって敵の支柱、反動の役をつとめる結果に立ち到ったのである。
二
同じく、プロレタリア作家の発展の本質を理解し得ないことから『国民新聞』に掲載された杉山平助氏の「小林多喜二論」も彼を支持しつつ誤った評価を結果している。杉山氏は書いている。「彼のごとき作家的才能のあるものが実践の為に精力をとられ、芸術的活動をそれほど鈍らせるのは大局から見て損失だ」という風に論じていたようであるが、私はそうは思わない。杉山氏によれば、同志小林は作家として「当面やるだけのことはやってのけてしまったような感がある」そして同志から惜しまれるのも「作家としてよりは寧ろオルグとしてではなかったであろうか」と云っている。三月号『改造』にのった同志小林の小説「地区の人々」の読後、杉山氏はその作品を「下降的」なものと感じ、この感想を洩らしているのである。果して実際そうであろうか?
二
同じく、プロレタリア作家の発展の本質を理解し得ないことから『国民新聞』に掲載された杉山平助氏の「小林多喜二論」も彼を支持しつつ誤った評価を結果している。杉山氏は書いている。「彼のごとき作家的才能のあるものが実践の為に精力をとられ、芸術的活動をそれほど鈍らせるのは大局から見て損失だ」という風に論じていたようであるが、私はそうは思わない。杉山氏によれば、同志小林は作家として「当面やるだけのことはやってのけてしまったような感がある」そして同志から惜しまれるのも「作家としてよりは寧ろオルグとしてではなかったであろうか」と云っている。三月号『改造』にのった同志小林の小説「地区の人々」の読後、杉山氏はその作品を「下降的」なものと感じ、この感想を洩らしているのである。果して実際そうであろうか?
ootafuzoku at 05:22|Permalink
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2005年12月25日
これ等の意見は皆
同志小林のプロレタリア作家としての価値を認めようとしながらも、プロレタリア作家の発展における階級的必然性というものを全く理解していないところから、遂に基本的な点において救いがたく誤りに陥っているのである。
宮島、板垣氏等は、自身の属す階級の小市民的制約性に見解を狭められ、プロレタリア文学というものは階級闘争に立ち向うプロレタリアートの精鋭な武器とならねばならぬものであること、またプロレタリアートがその発展の歴史から見てもこの世に社会主義社会を招来[#「招来」に×傍点]し得る唯一の階級であるから、プロレタリア作家こそ社会主義建設のためにはその全活動を集中するものであるという動かすべからざる必然性を会得していない。
同志小林多喜二が、宮島氏等をして痛惜せしめる程傑出したプロレタリア作家であり得たのは、同志小林が宮島氏らによって反覆されている「文学的才能」や「頭脳のよさ」などを書斎で小まめに磨いたからではなく、彼がその不撓の精神でプロレタリアートの闘争を全く自身の闘争とし、その課題を課題として、倦むことなく刻苦しつづけたからである。真のマルクス主義者にふさわしく、文学をも階級の全闘争の欠くべからざる一部として従属せしめ、その正しい理解故に益々プロレタリア文学作品の価値を認め、自身率先して、常にその課題に答えるべく努力したからこそ、彼の根づよい前進があったのである。
このような発展の必然によって、同志小林が実践とともにボルシェヴィク作家として高まり、プロレタリアートの党派性の最高の組織に参加したことは、極めて当然である。
宮島、板垣氏等は、自身の属す階級の小市民的制約性に見解を狭められ、プロレタリア文学というものは階級闘争に立ち向うプロレタリアートの精鋭な武器とならねばならぬものであること、またプロレタリアートがその発展の歴史から見てもこの世に社会主義社会を招来[#「招来」に×傍点]し得る唯一の階級であるから、プロレタリア作家こそ社会主義建設のためにはその全活動を集中するものであるという動かすべからざる必然性を会得していない。
同志小林多喜二が、宮島氏等をして痛惜せしめる程傑出したプロレタリア作家であり得たのは、同志小林が宮島氏らによって反覆されている「文学的才能」や「頭脳のよさ」などを書斎で小まめに磨いたからではなく、彼がその不撓の精神でプロレタリアートの闘争を全く自身の闘争とし、その課題を課題として、倦むことなく刻苦しつづけたからである。真のマルクス主義者にふさわしく、文学をも階級の全闘争の欠くべからざる一部として従属せしめ、その正しい理解故に益々プロレタリア文学作品の価値を認め、自身率先して、常にその課題に答えるべく努力したからこそ、彼の根づよい前進があったのである。
このような発展の必然によって、同志小林が実践とともにボルシェヴィク作家として高まり、プロレタリアートの党派性の最高の組織に参加したことは、極めて当然である。
ootafuzoku at 05:22|Permalink
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2005年12月24日
一
プロレタリア文化・文学運動の指導者、卓抜な国際的ボルシェヴィク作家同志小林多喜二の虐殺[#「虐殺」に×傍点、伏字を起こした文字]は、社会の広汎な分野に亙って少なからぬ震撼を与えた。
三月の諸文芸時評は同志小林の小説「地区の人々」の批評とともに何らかの形で、同志小林が殺された[#「殺された」に×傍点]ことについての哀惜を表明していた。同志小林についての追想というようなものも一つならず様々の筆者によって発表された。けれどもそれ等を注意して読んで見ると、それらの文章において、同志小林の不屈な闘争によって一貫された業績の評価において、前衛としての英雄的殉難そのものの理解において諸家の意見が一致していないばかりか、遺憾ながら明らかに反動的な効果を生じるような意見も少くないのである。
宮島新三郎氏は『報知新聞』の文芸時評で、同志小林のために哀悼し、彼の「急死」が「文壇全体の損失である」ことを認めつつ「何が小林氏の死を早めたか」と云い「私はこの点を十分作家同盟員に考えて貰いたいと思う」と述べている。宮島氏の口吻をもってすれば、同志小林を殺し[#「殺し」に×傍点]たものは、さながら作家同盟の方針であるかのようである。
また、板垣鷹穂氏は、「遺憾に思うことはあれ程の作家を左翼運動に動員したと云うことです。芸術家には単に芸術の範囲内だけで活動させるというわけには行かないものでしょうか」と云っている。薫という筆名によって『都新聞』の文芸欄に「一生懸命のあまり、優秀な創作技術家としての成長をギセイにすることなど顧みる遑もなく(中略)イノチを縮めたのであろう」と書いている人もある。
三月の諸文芸時評は同志小林の小説「地区の人々」の批評とともに何らかの形で、同志小林が殺された[#「殺された」に×傍点]ことについての哀惜を表明していた。同志小林についての追想というようなものも一つならず様々の筆者によって発表された。けれどもそれ等を注意して読んで見ると、それらの文章において、同志小林の不屈な闘争によって一貫された業績の評価において、前衛としての英雄的殉難そのものの理解において諸家の意見が一致していないばかりか、遺憾ながら明らかに反動的な効果を生じるような意見も少くないのである。
宮島新三郎氏は『報知新聞』の文芸時評で、同志小林のために哀悼し、彼の「急死」が「文壇全体の損失である」ことを認めつつ「何が小林氏の死を早めたか」と云い「私はこの点を十分作家同盟員に考えて貰いたいと思う」と述べている。宮島氏の口吻をもってすれば、同志小林を殺し[#「殺し」に×傍点]たものは、さながら作家同盟の方針であるかのようである。
また、板垣鷹穂氏は、「遺憾に思うことはあれ程の作家を左翼運動に動員したと云うことです。芸術家には単に芸術の範囲内だけで活動させるというわけには行かないものでしょうか」と云っている。薫という筆名によって『都新聞』の文芸欄に「一生懸命のあまり、優秀な創作技術家としての成長をギセイにすることなど顧みる遑もなく(中略)イノチを縮めたのであろう」と書いている人もある。
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2005年12月10日
最後に
同志小林の業績を評価するに当って、その発展のスプリングを、抽象化された性格に置こうとする誤った見解が存在する。同志貴司の『改造』四月号における「小林多喜二の人と作品」は、この危険を最も顕著に代表するものである。同志貴司は、同志小林の卓抜な闘志、前進性などの根源を同志小林のゆるがぬ党派性の上に認識せず、具体的な革命的実践と切りはなして、「鼻っ柱」のつよさ、「強がり」、「偏狭性」、「馬車馬的な骨おしみ知らず」、「田舎者の律気」などに還元している。そして「かれが積極的になる時、飛躍する時、かれの性格の唯一の欠点である偏狭性が跳梁した」というに至って、誤謬はデマゴギー的性質にまで発展しているのである。この論法をもってすれば、同志小林が残虐きわまる拷問にあいつつ堅忍不抜、ついにボルシェヴィキの党派性を死守して英雄的殉難を遂げたそのボルシェヴィクの最後の積極性が発揮された時こそ、同志小林は最も偏狭であったということになるのだ。
同志小林の業績を無条件、無批判に賞めることは、もとよりわれらの念願としないところである。しかし、レーニンは喝破している。「一体人は何か全く特別なものを考え出そうと努力すると、その熱心のあまり馬鹿げたことに陥るのである」と。また「環境と人間的活動との変化の合致、あるいは自己変革は、ただ革命的実践としてのみとらえられ、且つ合理的に理解することができる」(マルクス)のである。
プロレタリア文化・文学運動とその活動家全員がすき間なくレーニン的党派性をもって貫かれ武装されることは、活動を狭くするどころか、今日のように「近い将来において革命的危機に立つかも知れぬ」(第十二回総会決定)日本の情勢の下にあって、運動をますます強め、ますます広汎ならしめる唯一にして無二の原動力なのである。
かかる意味において、われらは同志小林の闘争の生涯がボルシェビキ的強情さ(確固性)によって貫徹され、高き規範を示したことに無限の敬意を捧げるのである。同志小林が身を挺して確保した革命的到達点を、理論、創作、組織的全活動の分野において更に推進させ、同志小林を虐殺した権力を粉砕することをもって評価の実践とするのである。
〔一九三三年四月〕
同志小林の業績を無条件、無批判に賞めることは、もとよりわれらの念願としないところである。しかし、レーニンは喝破している。「一体人は何か全く特別なものを考え出そうと努力すると、その熱心のあまり馬鹿げたことに陥るのである」と。また「環境と人間的活動との変化の合致、あるいは自己変革は、ただ革命的実践としてのみとらえられ、且つ合理的に理解することができる」(マルクス)のである。
プロレタリア文化・文学運動とその活動家全員がすき間なくレーニン的党派性をもって貫かれ武装されることは、活動を狭くするどころか、今日のように「近い将来において革命的危機に立つかも知れぬ」(第十二回総会決定)日本の情勢の下にあって、運動をますます強め、ますます広汎ならしめる唯一にして無二の原動力なのである。
かかる意味において、われらは同志小林の闘争の生涯がボルシェビキ的強情さ(確固性)によって貫徹され、高き規範を示したことに無限の敬意を捧げるのである。同志小林が身を挺して確保した革命的到達点を、理論、創作、組織的全活動の分野において更に推進させ、同志小林を虐殺した権力を粉砕することをもって評価の実践とするのである。
〔一九三三年四月〕
ootafuzoku at 05:21|Permalink
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2005年12月08日
戦争と革命との
新たなる周期」において、文化運動の内部に発生したこのような敵に対して、仮借なき闘争こそが必要である。同志小林は、この課題に率先して立ち向い、次々に、逞しき諸論策を送った。同志小林は、日和見主義発生の階級的根源を抉発し、日和見主義者の理論と実践とを具体的にあばき、そのレーニン的解決方向を明示した。
このような同志小林の闘争のための論文は、右翼日和見主義者にとって身をかわすに余地ない痛撃であった。それにもかかわらず、右翼日和見主義者とその眷族調停派たちは、自身の誤謬を固執し、作家同盟の一部の同志は、同志小林の指導的批判に対していささかも科学的根拠のないデマゴギー的漫罵をわめきたてさえしたのである。
同志小林の克己と努力とは遂にその逆流を克服した。プロレタリアートの党派性は勝利し、闘争の成果の一部は、最近作家同盟常任中央委員会が「右翼的偏向との闘争に関する決議」を発表するに至った事実にも認め得るのである。
同志小林は確固たる国際プロレタリアートの観点に立って今日の情勢を分析し、そこからプロレタリアートの課題を導き出し、革命的任務を遂行するためには、それを妨害するあらゆる小ブルジョア的日和見主義と闘い、それを克服することを緊急事とした。特にこの点における同志小林の指導的理論家としての功績を無視し、あるいは過少評価してぼやかすことは、そのこと自身誤った右翼的危険を示すものなのである。
このような同志小林の闘争のための論文は、右翼日和見主義者にとって身をかわすに余地ない痛撃であった。それにもかかわらず、右翼日和見主義者とその眷族調停派たちは、自身の誤謬を固執し、作家同盟の一部の同志は、同志小林の指導的批判に対していささかも科学的根拠のないデマゴギー的漫罵をわめきたてさえしたのである。
同志小林の克己と努力とは遂にその逆流を克服した。プロレタリアートの党派性は勝利し、闘争の成果の一部は、最近作家同盟常任中央委員会が「右翼的偏向との闘争に関する決議」を発表するに至った事実にも認め得るのである。
同志小林は確固たる国際プロレタリアートの観点に立って今日の情勢を分析し、そこからプロレタリアートの課題を導き出し、革命的任務を遂行するためには、それを妨害するあらゆる小ブルジョア的日和見主義と闘い、それを克服することを緊急事とした。特にこの点における同志小林の指導的理論家としての功績を無視し、あるいは過少評価してぼやかすことは、そのこと自身誤った右翼的危険を示すものなのである。
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2005年12月07日
同志小林は
「組織活動と創作活動の統一」の課題に対し身をもって「文学を党のもの」とし、最も高度なボルシェヴィキ的解答を与えたのである。
同志小林多喜二が創作の実践にあたって非常に理論を尊重したことは上述のとおりであるが、彼は、決して「理窟のいえない小説家」ではなかった。従来執筆された文学に関する感想、論文などは、レーニン的理論の展開に際し確固性において十分でなかったとはいえ、理論家としての素質を示していた。
去年四月の暴圧以来、文化・文学運動の切迫した情勢は同志小林に新たな指導的理論家としての任務を課した。
同志小林が不屈な精神によって新たな任務を遂行し、しかも最近どんなに刮目すべきテンポで理論家としても発展しつつあったかは「右翼的偏向の諸問題」に関して昨年十二月以来プロレタリア文学、文化に堀英之助の筆名によって発表された諸論策が物語るところである。
昨年四月の白テロ後、文化運動の一部に日和見主義が発生した。文化運動の方針、批評、創作活動、サークル理論、その他日常闘争において、明らかな右翼日和見主義が生じた。「コップ」の中央機関への参加を拒否する同盟中心主義、あるいはさまざまな名目による運動からの脱落、敵との妥協。大衆追随主義としてあらわれた自然成長性への屈伏など。右翼的偏向は、複雑な組合わせと多様と度合とをもって現れたのであった。
同志小林多喜二が創作の実践にあたって非常に理論を尊重したことは上述のとおりであるが、彼は、決して「理窟のいえない小説家」ではなかった。従来執筆された文学に関する感想、論文などは、レーニン的理論の展開に際し確固性において十分でなかったとはいえ、理論家としての素質を示していた。
去年四月の暴圧以来、文化・文学運動の切迫した情勢は同志小林に新たな指導的理論家としての任務を課した。
同志小林が不屈な精神によって新たな任務を遂行し、しかも最近どんなに刮目すべきテンポで理論家としても発展しつつあったかは「右翼的偏向の諸問題」に関して昨年十二月以来プロレタリア文学、文化に堀英之助の筆名によって発表された諸論策が物語るところである。
昨年四月の白テロ後、文化運動の一部に日和見主義が発生した。文化運動の方針、批評、創作活動、サークル理論、その他日常闘争において、明らかな右翼日和見主義が生じた。「コップ」の中央機関への参加を拒否する同盟中心主義、あるいはさまざまな名目による運動からの脱落、敵との妥協。大衆追随主義としてあらわれた自然成長性への屈伏など。右翼的偏向は、複雑な組合わせと多様と度合とをもって現れたのであった。
ootafuzoku at 05:20|Permalink
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