2017年04月22日

ニュートラルのマスク

imageクラウンのレッスンの中には「仮面」を学ぶプログラムがあります。

先日はとある劇団の主宰者からのご依頼で、某劇団メンバーにこの仮面レッスンをさせていただく機会をいただきました。
(画像は別WSのものです~)

セサミではおなじみの仮面のレッスンですが、おそらくクラウンを学ぶ中でこれを経験している方は日本ではごくごくわずかなのではないでしょうか?

演劇から身体表現、クラウンへと進んだロネジジにとって、仮面のワークに出会うとこは自然なことでした。
仮面をつけることで、そのものに「なりきる」ことを全身で行い、形だけでなく「考え方」や「感じ方」さえもキャラクターに近づけていくーそれを他者にも伝わるように視覚化していくことーが、仮面のワークの刺激的なところです。

仮面効果もあって、不自由ながらも自由で、息苦しさの中でも集中できるのです。
なんだかこう書くと、アブナい世界みたいですね(笑)ー

仮面のレッスンは「ニュートラル」の仮面からスタートします。
何の表情も無く、まるで宇宙人のような仮面です。
仮面は被りかたにもルールがあり、そんな細かい指導がレッスンの効果を上げる大切なポイントとなります。

ニュートラルのマスクを着けてもらう前には、必ず体を調整します。
ストレッチや深部筋肉を刺激して、自力でバランスをとれる体を自覚しておいてもらうのです。
今日の自分がどこまで動けるのか?という理解も大事です。
可動域が増えることは不自由な部位を知ることでもあり、それを理解していないと思わぬ怪我という可能性があるからです。

さて、そんな準備ができたらーいよいよ仮面をつけて、カラダを仮面化していきます。
身体のマスク化ーしかも無個性のー
国籍も年齢も性別すらない、人間の代表(べつにエライわけではなく・・・)になってもらいます。

生きている、でも感情も思考もなく、車で言えばエンジンがかかっていてギアがニュートラルにあるーということです。

これは言い換えれば何にでもなれるーという状態です。

そしてーこれが難しいんだけれど…いつもの自分にならないーということです。
この場合の「私」は人間の代表であって、「いつもの私」ではないんです。

自分を捨てろ!ということではありません。(いきなりそれは無理ですから…)
でも、今の自分だと感じている事、今の自分の動きーは、習慣・経験・刺激にによるものの積み重ねの結果であることが多く、本来の「私」の感性が閉じ込められた状態かもしれません。

思い込みや教育、後付の理論ーから、ひとときでも解放されることは、表現者にとってとても貴重な体験となるでしょう。

まあ、そんなわけで、ニュートラルな身体に近づいたら、それを保ったまま歩き出してもらいます。
さすが役者さんたちは、歩き姿がきれいです。「これが俺のありのままだからー」と踵をひきずって歩くような人はいません。

「自分らしく」と「自然に歩く」事の違いをきちんと理解しているわけです。
多くのクラウンは、ここのところをごっちゃにしています。
「自分がしたい」ことと「そのようにみえる」ことは違うのです。
一言でいえばー表出と表現は別だよ~って事でしょうか?
前者は「なっちゃった」という自分に近づけた演技。
後者は「こうする」という自分を目的に近づける演技。
当然、表現力という点で見れば後者のほうが格段にレベルが高いのですー。
んが、昨今はそういう構成されたものより、前者の天然で偶発的なものを好む傾向がありますね…。

歩いてもブレなければ、次は座らせたり、空を仰がせたりー探し物をさせたり…と少しずつ目的を誘導します。注意点は一つだけ「いつもの自分にならない」です。参加者の身体がどんどんこわばっていくのがわかります。

「はい、お互いを発見する!」「初対面、初めて自分以外の人間をみた!」
なんて課題に突入♡
戸惑いや、緊張やーがメンバーの仮面を通して伝わってきます。
感情表現をするのは大好きなはずの役者さんたちーでも、「人間が」という一言が、彼らのいつもの自由さを奪うのです。同時に、「何が人間にとって自然な反応で動きなのか?」の問を産みます。
「いつもの自分の表現」を封印された彼らが仮面をとった時の表情は、とても複雑なものでした。

ー私は、演技のワークは「褒められるもの」だとは思っていません。
(だからといってひどく叱ることもしませんが・・・)
「褒めて育てる」は決して悪いことではありません(特にこども達にとっては…)が、それ以上に昂奮と刺激のあるのが「腑に落ちる」ということだと経験から知っています。

ですから、自らの中に問いを生みだすことが、大切です。
答えは質問の中の一部だからです。疑問がなければ答えも得られませんー。

このニュートラルのマスクはそんな感覚を養う「発見の仮面」でもあるのです。

さて、果敢なメンバーは疑問を持ちつつも、次なる課題へと進みます。
後半で行ったのはニュートラルから何かになるーというレッスンです。

仮面をつけたまま、言われた物質に変化してもらいます。
例えば水ー。
水が糊になったり、固まってしまったり、ひび割れたりー
糊に浸っている自分ではなく、糊そのものになるのです。

そうやって説明ではなく、自分がそう感じるという質感に自分を近づけていくー。
演技の基本は自分とのコミュニケーションが土台になります。
集中したいのは自分のイメージ・感性・直感であって、誰かの評価ーではありません。

そうやって、自分の直観との絆を深めてから、ようやく、それが他者に伝わるかどうかを試みるわけです。

最後はそれぞれに火や花や木や色になってもらいました。
「火になれた?それとも自分だっだ?」
「彼はいつもの彼に見えた?」
「花はどんな花だった?」
「木は動いたら木じゃなくなるかな?」
「色は分かった?何色だった?どうして分かったの?」
演技の後はさまざまに意見の交換が行われます。
ここに否定はありません。なにが正しいか正しくないかーではなく、完全か不完全かという評価になります。共感したか?説明されたか?ということもあります。

演技するーのは、その対象の本質にできるだけ寄り添う事で、形骸を真似るのとは違います。
対象を漠然と捉えていては曖昧な表現となり、自分に引き寄せれば別な解釈が生まれてしまうでしょう。
本質に近づくとは、そのものになりきる経験を通して生まれる理解です。
小学生でも知っている「思い遣り」という言葉がぴったりきますね。

自分と対象を繋ぐものは「思い遣る」という表現で、それを保って他者に提供され、共感を引き起こして初めて完全なものになるーそれが演技力…というわけでー。

はぁ~道のりは長いですなぁ・・・・。
レッスンの終わりに、脳みそがいっぱいでーそれでもまだワークし足りないような役者さんを見ていて、講師としてはとても充実感をいただきました。
クラウンを学ぶ人には、チャンスがあれば是非受けていただきたいワークです。

 

clown_gigi at 17:25│Comments(0)TrackBack(0)スクール | おしゃべり

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