2017年09月30日

夏の終わりのカーニバル 終幕

夏の終わりのカーニバル2017 (8)ライブ「夏の終わりのカーニバル2017」が無事に終演を致しました。

素敵な会場を提供してくださったラパン・エ・アロさんと、熱心なスタッフのみなさん、セサミになくてはならない音響のKさん、SE操作のGさん、表も裏も自在に働きまわるクルーメンバー、今回は歌も演技も盛り沢山だったAYAJIさんーその他にもさまざまにお気遣いいただいた皆さん、そして何よりライブ会場で作品を受け止めてくださった皆様にー心より感謝申し上げます。

本当にあっという間の夏で―気が付いたらもう秋のど真ん中ーなのですね。
時間が過ぎるのがどんどん早くなっている気がします。

今回の作品のテーマは「いのちのゆくへ」でした。
わたしたちはどこから来てどこにゆくのかー?そんな遥かな思いをクラウンの世界とまぜこぜにしてみたわけです。

折しも、本番1週間前は、急きょ母の猫の看取りを行う事になり、失われていく老猫の生命力を受け入れながらの日々でした。小さい体の生きようとする力のものすごさと、肉体というものの限界を静かな心で受け止められたのは本当に貴重な体験となりました。

生きているかいないかーは、それがどんなに小さな火でも全く違い、呼吸と心臓の鼓動が、最後の最後まで肉体を生かそうとするのは、きっとその瞬間にも意味があるのだと感じられます。
それはまるで劇場の幕が音もなく閉じるかのような穏やかなもので、死への移行は恐ろしいものでも醜悪なものでもないのだと教えてくれます。老猫のエメラルド色の瞳は、最後まで透き通ったままでした。

20年という猫の一生は、私などよりよっぽど早く過ぎて行くわけでーそれでも後半はいつものんびりと母の布団で伸びをしていたミケーそんな彼女の唯一のお仕事は、定時に母をベッドへと誘うことでした(お昼寝と就寝時間になると母を呼びに来るんです。)

ハッピーで生命力あふれたクラウンの世界に「死」はあまり持ち込まれません。それでも私が今回それを主題としたのは、再演ということもありますが、生きることの意味をもっと深めたかったからです。良く生きることは良く死ぬことですし、生き生きと演じることの裏側には、失われていく若さや時間があり、それを悲しむのではなく、カーニバルのように楽しみたいーと思うからです。

ひとの一生は舞台に良く似ています。いつか必ず幕が閉じるからです。
かならず何かの役を負っていて、そこに無意味なものは存在しません。
私は自分の役割をしっかりと演じているかー?
空の彼方から流れ星のように降ってくるメッセージを、ちゃんと受け止めて形にできているだろうか?

手渡すべき人に―手渡せているだろうか?

image46億年の最先端にある「いのち」号にのって地球人生を旅する私たち。
ひとりひとりが主人公で、それぞれの物語を生きていて、ひとつながりの波の上にあるー。
その波の間が友情と信頼でつながればいいのにーと願わずにいられません。

夏の終わりのカーニバルは、そんな思いをこめたささやかな物語りー。
いつかまた再再演もあるかな…?

ご来場、ご協力、ご支援、ご援助ー本当にありがとうございます。




clown_gigi at 23:30│Comments(0)ライブ 

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