学校のクラウンセサミは28歳になりました

2018年10月29日

Gオモフ28 自己責任についてー

自己責任論が問われる昨今ーちょっとその言葉そのものに違和感を感じてしまう。

自己+責任ーってなんか意味が重複してないだろうか?

もともと、責任って、自分でつまり自己でとるものだよね?

誰かにそれをなすりつけたら「責任転嫁」だから、責任は自己でとるもので、わざわざ「自己責任」って言う必要あるのかな?

自分で「責任をとります」って言う場合、「自己責任をとります」って言わないよね?

「自己責任」を使う場合は、たいがい、責任を誰かに取ってもらいたいとき。
つまり、責任を負わない立場の人が負わせられる人に向かって使うことが多い気がする。
その言葉の裏に「私は関係ないんですよ。」って言ってるような気がする。

気のせいかな?

クラウンになってグリーティングのように人前に出るのは、楽しいーけれど、同時に危険も存在する。
目立つ格好で何の知識もなく群衆の間に分け入れば、その人の数のぶん、嬉しい事も悲しい事も起こるものだ。

蹴られたり、悪口を言われたり、セクハラだって起こりうる。
みんながクラウンだからーという理由で笑顔とハグをかえしてくれるわけじゃない。
それでも自分なりの意義をみつけて、人の中に入っていく。

そこで悲しい思いをしたクラウンに対して、「それは自己責任だから仕方ないね」とは、言いたくない。それはあまりに突き放した言葉だ。それくらいなら黙っていればいいことだーと思ってしまう。

その体験をした人の「情報」は、耳を傾ける価値がある。
それが世相で、それを避けるためにはどのような準備が必要で、そんな災難が自分の身にふりかかることに対しての危険予測となる。

リスクを背負うーそれが自己責任だというなら、リスクが生じた時点でその人は責任を果たしているわけだから、回りがそれ以上に「自己責任じゃないか!」と責め立てるのは、過負荷になるはずだー。

それを言ったら、東京に暮らす私達の足元は、常に大地震のリスクにさらされている。
それでも東京に、日本に住み続けるのは自己責任じゃないのか?
地震に見舞われて、家も家族も失った人を「だって自己責任だよね?」と言うような人になりたくないし、会いたくない。

可能な限りー自己責任という人の反対側にいる「オモイヤル」人でいたい。
想像力をはたらかせて、なぜ、どうして、その人がそのリスクを選んだのか?
その方がずっと興味深い。

そういう人が安全にその責務を遂行できるシステム作りを考える、そんなフレキシブルな社会精神こそ、大事だと思うー。



clown_gigi at 23:30│Comments(0)Gオモフ | おしゃべり

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