筋腫で5回手術、UAE10回。体験者は語る。皆一緒に乗り越えよう!

26歳核出開腹。27歳核出開腹。29歳子宮全摘。でも再発!?30歳~UAEを約10回。その後、筋腫が巨大に成長34歳4回目の開腹。しかし、直後に筋腫再発。36歳で4回目の手術(でも腹腔鏡!)しました。子宮筋腫の治療はFUS以外経験済み。ホルモン治療もプリン・ディナゲストやりました。筋腫発覚でたどり着いた方、良い治療方法が見つけられますように。お役に立てれば嬉しいです。

2014年06月

血管内平滑筋腫症

手術によって摘出した細胞をかなり細かく見てもらった。

筋腫の大ききくなるスピードがかなりはやいこと。
今までの再発から、もしかしたら普通の子宮筋腫ではないと、
先生方は思っていたんだと思う。

悪性かもしれない。
富細胞性筋腫かもしれない。
などなど・・・。
私は、どういう細胞検査をするのかは知らないけれど、
とても丁寧に検査して下さったのだと思う。

だって、
2回目の某大学病院では、細胞検査したけど
「子宮筋腫じゃないかった。何だったかは謎。悪性ではない」
という大雑把な結果だったので
無知な私は、「そういうこともあるのかな?」程度に思っていた。
悪性ではないから、大丈夫なんだ。と。

富細胞性筋腫というのは、細胞分裂が盛んで筋腫の大きくなるスピードがはやいものらしいです。
術前は、私の筋腫は、これなんじゃないかなぁ?と思っていました。

そして、手術後、細胞を調べてもらった結果・・・。
「静脈内平滑筋腫症」と病名が付きました。

あれ?
「子宮」って言葉、無くなってる?
というか、初めて聞く名前なんですけど?

子宮筋腫じゃない?と聞くと、筋腫と同じ良性平滑筋組織が
血管の壁にもあってそれが増殖する病気らしい。
血管は、身体の全体にあるから、どこかで再発する可能性がゼロではない。
とのこと。

早速、ネットで調べてみると(今は、便利ですね)
あまり数が多くないけれど、そういう症例で子宮全摘しているというのが出ていた。
それと、肺転移をしている人もちらほらみかけた。

ん~。

良性腫瘍というのは、転移が無い。と聞いたことがあるんだけども・・・。
良性だけと、転移する可能性がある腫瘍なの?
それって、悪性じゃないの?
なんだか、よくわからない・・・。

つづく・・・。


東京都議会ヤジ事件について。もしかして塩村議員は・・・。

都議会のやじ問題、臭いものにふたをしたい人達が頑張っていますね。
頑張れば頑張るほど、墓穴を掘るわけだけど・・・。

都議会だけじゃなくて、色々なところでこういう発言って、
まだまだまだあるんだと思いますが・・・。
「あの場所で、強い心を持って、反論すれば良かったんだ」
的な意見には、
「そうかな?」と思います。

もしも、塩村さんが、言い返しが出来ていたら、
ここまで問題にならなかったのではないかな?
なんて、思ってしまいます。
(今までも、こういう発言に対して、反論する女性議員はいたのだろうし・・・)

塩村さんのルックスで、あまりのことに反論できなくて、
あぁいう表情をしたことで、注目を浴びたってことはないかなぁ。
なんて、考えてしまいます。

ひどい事を言われて、どうしても言い返すことが出来なかった。
けれど、やり返す方法として、後でネットで発言すると言うのは、
現代ならありだと思う。
レコーダーなどに、音声は残っているわけだし。

ああいう発言をしたらいけない世の中になっている。
という、世の中の動きにうといような人は、
ICレコーダーの進歩なんかにもうとそうだから。
後々、大変になるなんて、考えなさそうだし。
(そもそも、そこまで考えて発言したわけではなさそうだけど)

問題になって、マスコミが動いて。(外国からも注目されて)、
そのから、自分が発言したなんて、言う方が大きなダメージになりそう。
発言した議員さんのご家族だって、
今までは、「先生の奥様。」だったのが、「女性蔑視発言のおやじの奥様」になるわけだ。
子どもだって、議員で偉いお父さんから、

はたして・・・。
女性蔑視の発言をするような人が・・・。
家庭の中で奥様を大切にしているのだろうか?

他にも数名、かなりひどいヤジをとばした人がいるようだ。
記録が残っているのだから、ゆくゆく名乗り出ざるえなくなるだろう。
もみ消せるのかなぁ?

女性蔑視の発言をした男性が、たたかれるのを見るのは気持ち良い。
実際に、面と向かって女性蔑視発言をされた時に、
くだらな過ぎて反論する気にもなれないから・・・。

だんなさんに、「産めないのか?」発言は、どう思った?
と、聞くと、言語道断。人としておかしいと思う。
と答えた。
福井のような田舎でも、30代だとおかしいと思うらしい。
というか、自分の夫が、そういう発言をする人でなくて良かったな。

3回目の手術

自分の人生で、一番つらかった時は?
と、問われたら、間違いなく、ここだったと思う。
3回目の手術の後も、幾度となく再発をするのだけど。
3回目の手術が一番、心が辛かった。

今でも思ってしまうけれど。
「子ども、欲しい」です。
養子をもらえばいいじゃない?
と、思ったそこのあなた。
養子縁組に対して、あまり知識がないんでしょうね。
養子縁組は、子どもの幸せを考えてできているもの。
養親の条件に、「健康」というものがあります。
私は、除外されます。
養子の話は、いずれ・・・。

この時は、病棟は、産科と違うところにして下さい!
と強く言いました。
今までの病院で、産科と婦人科が近かったことがあったので。
(この時は、自分もいつか産むものだ。と思っていたので、
 お母さんたちの病院食が、自分のものと違って豪華というのを見たり。
 赤ちゃんを連れたお母さんと話をしたりしてた)

3回目の手術では、
1・2回目の手術の(同じ場所を切ってもらった)横の傷跡ではなく。
縦に臍くらいまで切らなくてはならない。
と、言われた。
最後の手術になるだろうし、手術の安全が第一だと思っていたから、
納得していたけど・・・。
別にビキニを着て、海で泳ぐこともないだろうけど。
お腹に縦に横に傷跡が残るのかぁ~。と少しだけ思った。

手術室に入って、担当医の先生が手を握って、
「お腹に縦と横の傷がついちゃうけど、かんにんな」と言って手をさすってくれた。
手術まで、色々泣いたけど。
手術室の最後でも、うるっと来てしまいそうだった。

でも、術後、意識が戻ると・・・。
お腹の傷は、横だった。
先生が、頑張って横にして下さったのだ。
これは、嬉しかった。
だから、今でも私のお腹の傷跡は1つしかない。
思い出したくない手術後、少ないのは嬉しい。

3回目の手術は、癒着があるだろうし、腫瘍の大きさがかなり大きかったので、
自己血をたくさんとった。1.2リットルだったかと思う。
それでも、手術後は、ヘモグロビンが7まで下がって、貧血になった。
腸壁が癒着をはがすので、傷がついたらしく、
ウンさんが通るのが数ヶ月痛かった。

でも、子宮を取ることで、もう二度と子宮筋腫にはならないと思ったし。
仕事を休んで病院に行くこと。
治療費を考えなくてよくなること。

病気から解放されると思っていた。


けれど・・・。


子宮をとっても、腫瘍は再発した・・・。

子どもが出来ないということ。

手術が近づいて、色々ネガティブな考えが浮かぶようになっているのかもしれない。
子どもが出来ないということについて、
色々考えてしまう。

5年前に子宮をと取ったあの時に比べれば、
泣くほどでもないし、少しだけ胸が痛くなる程度ですんでいる。

子どもが出来ないのは、現実だし。
これから出来るようになる可能性はないのだし。
受けとめて、生きていかなければならないのもわかっている。

だけど、一生この痛みと付き合っていかなくてはならないのかと思うと。
少々うんざり
自分だけが不幸なわけじゃないし。
五体満足に動けて、美味しいものを食べられて毎日生活出来るのに。
ふとした瞬間に、子どもを持てない自分が、
すごく劣った人間と思ってしまうことがある。
そのふとした瞬間というのが、年を追うごとにあまりこなく無くなってきているけど。
ゼロにならないかなぁ?

他人をうらやましいと思う自分もいやだし。
何気ない言葉にも少し嫌な気持ちになる自分もいやだ。
慣れたい。
いや、そこの辺の感覚が麻痺してしまえば楽なんだと思う。

うーん

私の場合は、結構荒療治で慣れなくてはいけなかった。
2009年の冬。というか、クリスマス前後。
京都の病院で子宮全摘手術の日程を決めてきた。
「子宮を残すことは、可能だけれど。
 残しても、出産が出来る子宮ではないし。
 すぐに再発すると思われる。全摘にするかしないか自分で選んで」
と言われ、これ以上の手術をするのを避けるために、
出産が出来ないのであればということで子宮をなくすことを選んだ。
さすがに、子宮摘出を決定してから心が辛かった。

その2日後、兄から電話があった。
「子どもが出来たんだ」
だった。
兄夫婦に、初めての待望の子どもが出来たとの連絡だった。
「おめでとう」
とは、言えたけれど。

神様は、なんで私に子どもを与えてくれなかったんだろう?

と、強く思った。

今まで生きてきた中で一番嬉しいという流行語があったけど、
今まで生きてきた中で一番厳しい一日だったと思う。

そして、私は手術をして子どもが産めなくなり。
その中で、兄夫婦の子どもが生まれた。

考えて見ると、兄夫婦だって、こんな状態の妹の前で、
HAPPY!状態を出すのをためらったかもしれない。

義父の言葉

当時の日記を見て、こんなこと思っていたのかぁ~。
とか色々思うとこありです。

今、病気で苦しんでいる方。
子どもが欲しかったのに、どうしても子宮を全摘しなければならない方。
また、子宮全摘を終わって、身体がなおるにつれて、
心の方の痛みが出てきている方。

そういう方に、言いたい。

当時は、すごくつらかったけど。

今は、だんだんとそういう心の痛みに強くなっている。
一番辛い時を乗り越えたから、同じような立場の人の気持ちもわかるようになった。

時間はかかるけれど、いつか自分の苦しい限界値が高くなって、
大丈夫になる時が来ます。
全く、大丈夫って事ではないけど

でも、私は、無神経に人を傷つけるような鈴木議員のようなゲスな人間になるなら、
今の自分の方がずっと良いと思う。

辛かった、当時の日記をはります。

*************
昨日は、義父に子宮をとらなくてはいけないのか?
子どもはどうするのだ?などなど言われて、
頭にガーーーンっと打撃をくらったような日でした。
夜になっても、眠れなかった。
 
旦那さんは、2子ですが、長男なんです。
義姉には、子供が2人いるので孫はすでにいるのですが…。
やはり、嫁に子供が出来ないのはショックだったのでしょうか。
義父は、代理母の話もしていました。
やっぱり、自分の遺伝子がある子供がとか、なんとか…。
取り繕ったように、いや、お前たちが子育てをしたいだろうと思ってな。
(手術に関しての援助金は出さないけど)
代理出産だったら、お金を出すのを考えても良い。と。
 
旦那さんは、私の体調が戻ってから考えると言っていましたが。
嫁として、やらなければいけない事は、子孫?を作ることなんだなぁと、
改めて思いました。
結婚したてで、子宮をとるということになり、
結婚詐欺とか言われなかっただけ、ましなんでしょうね。
本当は、こんなことになって申し訳ないと謝らなくては、いけないのかと思うのです
が…。
昨日は、どうしても言葉が出ませんでした。
謝ったら、なんか私の存在を否定するような気がして。
でも、やはり謝るべきなのでしょうか。
謝ったら、じゃ、息子と別れてくれとなるのでしょうか…。
 
子宮筋腫は、なんで私の体を選んできたのでしょうか…。
何かの罰なのでしょうか。
義母は、静かに、2人が元気で過ごしてくれる事が一番だから。
と言って下さいました。
**************

この日は、すごくつらかった。
手術前でまだ心の生理もできていなくて、義父はそれまでにも、
私が少し体調をくずすと「妊娠か?」、電車で遠出をすると「身体は大丈夫なのか?」と
言ってきたりしたので、結婚したら子どもが出来て当たり前の考えの人だったから。
雰囲気で、「離婚しないのか?」って言うのを出してきていたし・・・。

今、義父を好きになれないのは、この日の影響がかなりあると思います。
嫌いではないんです。
優しい所もあるし・・・。

ただ、長男だし、家を継ぐ孫をという気持ちが大きかったんでしょうね。

家を継ぐのが大事だったら、
もっと子どもを産んでおけばよかったのに。
何%は、出来ない人がいるんだから。
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プロフィール

病歴10年オペ5回

26歳の時に、子宮筋腫を発症。核出手術をするも27歳再発。再び核出手術を行う。摘出したものが子宮筋腫ではないと診断される。治療方法もなく、29歳に腫瘍が巨大となり子宮全摘を行う。ここで子宮筋腫ではなく、血管内平滑筋腫症との診断を受ける。病名が決まるまで3年・・・。これで、病気とはさよならが出来ると思ったのだが、4ヶ月後には再発。婦人科では治療方法がなく、他の治療方法を模索。子宮動脈栓術を行っている病院を探し、ようやく対応可能な病院にたどりつき腫瘍の増大を止める治療を行ったが、コントロール出来る大きさで無くなってきたので、4回目の手術をしました。 すぐに再発;;5回目は腹腔鏡手術をしました。

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