2008年08月23日

『恋愛のフツーがわかりません!! ゆらぎのセクシュアリティ考2』

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めちゃくちゃ久しぶりの更新です。

2冊目の本が出ました。

前作『トランスがわかりません!! ゆらぎのセクシュアリティ考』が好評をいただき、2冊目も作らせていただけることになりました。

今回はポリアモリーなど性の関係性や性行為についての話題にもかなりつっこんで書いています。

もしよかったら前作とあわせて読んでみて下さい。

アマゾンがまだ配本できない状態みたいですが、版元のアットワークスやジュンク堂などのネットショップなどではすでに買えるようです。

http://www.atworx.co.jp/works/pub/44.html

浮気? フタマタ? ポリガミー? 恋愛/SEXの常識って何!! 
……と、問いかけ、性(SEX)について語り合う中で、自他の性自認もゆらいだりゆらがなかったりするセクシュアリティの有り様を考察する赤裸々ホンネ本。

主な内容●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●

恋愛のスタイル?

脱・モノガミスト宣言! 〜わたしがROSに参加する理由〜  
複数の相手に開かれた関係性 ポリアモリーについて
ポリアモリーなおっさんトーク
ROSポリアモリー座談会
敢えてロマラブな生
「誰に欲情するのか」という問題

勝手に語っていいかしら?

自称FtMのマンコ独り語り
あたしのバラまんこ
オナニー奮闘記
行き来するジェンダー 揺らいでるような揺らいでないようなセクシュアリティ  
結婚するトランスジェンダー
変わりゆくこと、変わらないもの

これからどうする?

「ソレを子どもたちに教える必要はない。」? 〜性の多様性と学校〜
私が髪を伸ばす理由 〜身体の意味を付け直す
男のセックスはなぜつまらないのか?
ノンケのセクシュアリティ研究者についての研究 〜その行動と思考の分析〜
トラウマとアディクションとセクシュアリティと
スイカは割れるのか 〜マイノリティ問題の構造的な関連をふまえて関係性を築くために〜

セックスについて語ること
書評  『トランスがわかりません!! ゆらぎのセクシュアリティ考』における「ゆらぎ」考

まんが ロマラブを楽しむための設定
    カノジョ
    遠くの芝生
    収納不可能
    しんぶんし
    トランスがわかりません!!

コラム るパンツ  秘密の用語集
         オスカルはFtMゲイなの?
         若年性希少価値症候群
         その場で。あるいは、一歩だけ、前へ。

おまけコラム   ヘテロ男は長い髪がお好き?
         トランスジェンダーとコスプレイヤーの共通点?

執筆者プロフィール



open_eyes at 23:54|PermalinkComments(0)TrackBack(0)ポリガミー/ポリアモリー 

2007年03月07日

障害者の性を考える 3月25日 京都市

私も関わっている会の案内です。 

 

毎日に載っているということでコピペしました。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070306-00000259-mailo-l26


学習会:「障害者の性」考える−−下京で25日 /京都
3月6日17時2分配信 毎日新聞


 扱い方の難しいナイーブな問題と認識されやすい「障害者の性」についての学習会が25日、下京区の「ひと・まち交流館 京都」である。「ベトちゃんとドクちゃんの発達を願う会」事務局長で「知的障害者の恋愛と性に光を」などの著書もある河原正実さんと、「たった5センチのハードル 誰も語らなかった身体障害者のセックス」の著者、熊篠慶彦さんの講演後は、参加者同士の交流会もある。
 企画したのは「障害者の性(セクシュアリティ)について話し合う会」。同会の代表を務める南丹市の女性(32)が、昨年9月にウェブサイトで「イベントを開きたい。協力してくれる関西圏の人を求む」と表明したのが始まりだった。現在の会員は16人。
 代表の女性は「障害者が生活するうえでバリアフリー化が進む一方、生きていくために欠かせない『性』の話題は閉ざされがち」と話す。「誰もが恋をする。障害があることでぶつかる性の壁について、多くの人と話し合い、理解の輪を広げたい」と、参加を呼びかけている。
 午後2〜5時で、交流会は同5〜6時。事前申し込み不要。参加費1000円(介助が必要な場合は介助者1人は無料)。問い合わせは同会(075・322・3560)へ。【山田奈緒】

3月6日朝刊 
 



open_eyes at 23:38|PermalinkComments(0)TrackBack(0)イベントレポート 

2007年02月26日

本が出ました。『トランスがわかりません』

とっても久々の更新です。

何をしていたかというと、本作ってました。

昨日、ついに出ました。嬉しくって涙が出てきます。

『トランスがわかりません−ゆらぎのセクシュアリティ考』
アットワークス ¥1680
http://www.atworx.co.jp/works/pub/23.html



とくにトランスジェンダーや性同一性障害に関する内容ですが、女性の身体についてぶっちゃけて書かれた部分などとても面白い本だと思います。
公然と「まんこ」とか書いとるし。しかも身体の性の枠組みを越えようとするトランスの人が。
素晴らしい。


以下、紹介より


これ以上「女」や「男」を演じるのはイヤだ!!
自分の色のままでいたい! 私のままで行こう★
性別なんて、気が向いたときに、気が向いたように変えられるんだな。
「性」に揺れ動いたり動かなかったりするトランスジェンダーやセクシュアリティについて論じ合う。

 ●もくじ●
目からウロコのセクシュアリティ ROSってどんなサークル?
入門! トランス講座

からだを語ろう
 まんこはひとりでかたれますか?「ヴァギナ・モノローグ」(白水社)を受けて 
 まんこ独り語り 性別という属性を捨て、楽になることを選びます
 あるFtXのマンコ独り語り
 続・まんこ独り語り
 MtF独り語り やる気のない女
 身体違和は思い込み?
 ポートレートエッセイ シンたいわ(身体対話)わたしのからだはわたしのもの

ゆらいでいくこと
 関係が変える私の性
 女からFtMになったけれど途中で辞めたワタシ
 ゲイでトランスな私の恋愛、恋人、セックスetc.
 箱
 「マンコ独り語り」に書かなかったこと
 果てしない旅
 彼女の本当の性別は何か? 映画『コニー&カーラ』をもとに

これからどうする?
 トランス問題提起集 ぶっちゃけないでどうすんの!?
 トランスリブの行方 トランスプライドは確立しうるか
 性的少数者の連帯について
 come out of the closet…?
 「自分らしく生きる」ってどういうこと?
 最近、考えたこと。

 ROS

 執筆者メッセージ
 執筆者プロフィール
 

 圭のブレイク・コミック
 千鶴のおまけまんが




ROSでは月イチのミーティングで1年間にわたる編集会議とうちあげ飲み会しかやってないという体たらく。
校正・編集・いろいろあって大変でしたが、ついに出産!
いや出版にこぎつけました。

しかも、自費出版ではない。 印税も入る。素晴らしいです。

今はまだアットワークスに注文するか、直接私らが売るしかない(笑)ですが、大手書店には3月頭には入る予定だし、順次アマゾン、紀伊国屋、ジュンク堂、楽天、喜久屋書店などのサイトで手に入ります。



open_eyes at 00:58|Permalinkポリガミー/ポリアモリー | セックスの可能性

2006年03月23日

「セクシュアル・ヘルス学入門」に参加してきました

立命館の「セクシュアル・ヘルス学入門」 〜新世代型セクシュアル・ヘルスプロモーションの可能性〜 に参加してきました。

「セクシュアル・ヘルスプロモーション」と「セクシュアルヘルス・プロモーション」で微妙にニュアンスが変わってくるというのが面白い。
(ヘルスって風俗じゃないですからね)

セクシュアル・ヘルスの概念の変遷を辿り、健康な性のあり方を求める権利と追求する方法を考え、実践例としてぷれいす東京のHIV啓発活動である“Living Together”を紹介するという、バランスのとれた内容だったと思います。
“Living Together”ではHIVに感染した人の手記を朗読したり、カフェで自由に読めるようにして、感想を書き込めるノート(他の人の感想も読める)を配置したりと工夫がなされていました。朗読はやはり効果的で、自分の口から発することでより感覚の伴った理解ができるようになります。他人事ですまなくなってくる。

パネルディスカッションの話題提供者である清水さんが紹介してくれたのですが、セクシュアリティ関連の色々な立場の人をつなげて行こうというパワフルな意志を持った人です。
神戸で行われたICAAPで学生のピアグループと接っしたのがきっかけです。
社会人になるとなかなかピア活動ができなくなると聞いて、もったいないなーと思いました。学生にとっても、ちょっとお兄さんお姉さんの話って聞きやすいと思うんだけど。

ほか、HIV感染当事者の方や京都市の行政の方のお話も聞けました。近くにいるのに今まで出会ってこなかった人たちと知り合えて楽しい時間になりました。

中村美亜さんとまたお話できる機会があって嬉しかったです。以前私が書いた高嶺格氏の「木村さん」について書いた文章を好意的に読んで下さったようで、高嶺氏の作品について紹介記事を書かれたということをお聞きしました。びっくり。
http://www.jase.or.jp/kenkyu_zigyo/a5.html#sexolozy_11



open_eyes at 13:29|Permalinkイベントレポート 

2006年03月14日

「セクシュアル・ヘルス学入門」

企画詳細 転載・転送大歓迎

ということなので紹介します。面白そうですね。
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●「セクシュアル・ヘルス学入門」
 〜新世代型セクシュアル・ヘルスプロモーションの可能性〜

日時:2006年3月18日(土) 14:00〜17:00
会場:立命館大学 末川記念会館2階第3会議室
http://www.ritsumei.ac.jp/mng/gl/suekawa/
主催:セクシュアル・ヘルスプロモーション研究会

近年、セクシュアリティに関係する健康(セクシュアル・ヘルス)の課題が注目されており、
特に若者の性感染症や望まない妊娠・中絶の問題が取り上げられることが多くなっています。
果たして注目すべきはそれだけでしょうか?
多様なセクシュアリティや親密な関係をめぐる葛藤、恋愛やセックスへのプレッシャー、
さまざまな社会規範との折り合いなど、個人が向き合うテーマは多様化しています。
いまやセクシュアリティは個人のライフスタイルにとって重要な要素となりつつあります。
より包括的な支援に向けて、セクシュアル・ヘルス学を一緒にはじめませんか?

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内容:〔第1部〕 報告14:10〜
  「あらためて、セクシュアル・ヘルスとは?」
                 松島京(立命館大学人間科学研究所)

  「セクシュアル・ヘルスプロモーションの落とし穴」
                 斎藤真緒(立命館大学産業社会学部)

 「“Living Together戦略”にみる今日のセクシュアル・ヘルスプロモーションの課題と実践」
                 中村美亜(ぷれいす東京)
 
 〔第2部〕 パネルディスカッション16:00〜
 「新世代型セクシュアル・ヘルスプロモーションの可能性」

  話題提供者:清水誓子(立命館大学大学院社会学研究科)
  全体司会:松田亮三(立命館大学産業社会学部)


*参加費は無料、事前申し込み不要です。当日直接会場にお越しください。
*企画後、懇親会を予定しています。ご希望の方は受付にてお申し込みください。

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【問い合わせ】
〒603-8577 京都市北区等持院北町56-1
立命館大学産業社会学部松田亮三研究室気付
セクシュアル・ヘルスプロモーション研究会
E-mail:
kyoto_shp@yahoo.co.jp

本研究会は、大学生におけるセクシュアル・ヘルスの課題、
ピアによる支援活動の可能性を検討してきました。
なお、開催にあたり立命館大学産業社会学会の助成を受けています。



open_eyes at 09:43|Permalinkイベントレポート 

2006年02月06日

モテる呪文

…て何だ? 教えろよって感じですが、催眠術の本をたくさん押収された「一夫多妻男」のテレビ報道で、「このような一夫多妻をポリガミーと言い…」との表現がなされたらしく、
「ポリアモリー」とか言ってる私も同じ部類の人間と思われるんじゃないかとちょっと気になったので書いてみます。

「外に出たらミンチにされる」などと脅しただけで逮捕なんてありえないことで、警察が何らかのネタを握っているだろうとは推測されますが、まだ容疑者段階だから、「あんなのと一緒にするな」っていうのも過剰反応、マスコミに踊らされている気もします。今「ポリアモリー」についてのエッセイも書いていて発表するつもりなので、興味のある方はぜひ読んでみてください。

簡単に言っておくと、私の理解する「ポリアモリー」は、一夫多妻と言ったときに普通に連想されるようなツリー状の権力関係が働くものではありえません。相手を思い通りにコントロールしたいという欲望は、皆ある程度は持っているだろうとは思いますが、相手の意志をできるだけ尊重することこそが大事なのだと思います。
複数の相手を求める人間のところに、自分から行くような人間がいるのか? と疑問をもつ人もいるでしょう。マインドコントロールという言葉を持ち込むことで、そのような状況を理解しやすくはなるでしょう。しかし、マインドコントロールがなければ複数の相手と付き合うことがありえないのかというと、それも短絡的な判断だと思います。

相手が一人の方がいいか複数いてもいいかは、真面目か不真面目かとは別問題です。真剣に複数の相手と付き合える人間もいます。そういう人にはマインドコントロールなどなくても自分の意志でやってくる相手があらわれるかもしれません。



open_eyes at 17:42|Permalinkポリガミー/ポリアモリー 

2006年01月03日

新年のご挨拶

あけましておめでとうございます。
今年一年が皆様にとって素晴らしい飛躍の年となりますように。
昨年末は論文作成や新しい仕事の準備などでバタバタしていました。
今頃、掃除などしています。

私自身は旧暦が自然界の運行に沿っていると感じます。
今年の旧正月は1月29日だそうです。



open_eyes at 10:07|Permalinkつれづれ日記 

2005年11月10日

大峰山登山について

eyesです。
大峰登山に関して1000件を越えるコメントを頂いていますが、すべてに目を通すこともレスをつけることもできませんので、混乱回避のため、データとして保存の上、ブログからは全て削除させていただきます。

○ 当サイトは伊田氏ならびに登山企画者との関係はありません。

○ またブログ記事として紹介しましたが、私は登山に参加しておりません。

以上のことをご勘案頂きますようにお願い致します。



open_eyes at 10:33|Permalink

男のセクシュアルファンタジーについて

「男のセックスはなぜつまらないのか」に対して、予想外に多くの人の反応を頂いた。
荒っぽい議論だったのが申し訳ないくらいだ。もうちょっと考えていきたいと思う。

私たちのセックスについての幻想、セクシュアルファンタジーというものはポルノグラフィを通してはもちろん、広告やポップ音楽のPVなどを通して必要以上にかきたてられている。
モーターショーのキャンギャル、恋愛の歌を歌うセクシーな少女アイドル…私たちの性的欲望は商品の購買欲を引き上げさせようとする売り手たちによって常にたきつけられ、「自分はその(性的)満足を得ていないのだ」と思い込まされ続けている。
これはポルノグラフィを見ることで「私はこんなに感じていない」「私は不感症なのかも」と思い込まされる構造と似ている。

「これほどまでにメディアが発達していなければ、自分は小児性愛にならなかったかもしれない」という当事者の言葉を聞いた事がある。電車の中の痴漢にしても、あるいはSMや監禁のようなプレイも、今やフツウの人たちが少しだけ非日常を味わうために行うようになっている。
私たちのセクシュアルファンタジーはどんどん過剰になっていき、願望が大きくなるほど実現が困難になり、不満も倍増するという状態が起こってしまう。

では、セクシュアルファンタジーのすべてを実現できればいいのだろうか? いや、むしろそのファンタジーが、本当に自分の願望だったのかと考えてみるべきかもしれない。
「エロの極意はインポなのかもしれん」とは野坂昭如『エロ事師たち』の主人公スブやんの台詞である。エロ写真・売春・ブルーフィルムの編集・乱交パーティなど様々なエロ事の世界を渡り歩いた末に、スブやんはついに「立たなく」なってしまう。刺激を限界まで追い求めたスブやんは、ついにその外側にまで行ってしまったのだ。セックス依存の末のインポテンツとは極端な話だが、ある種の典型が描かれていることは間違いないだろう。

世の中の、特に男性の多くは、セックスにつきまとうファンタジーが多すぎて、本当に自分が求めているもの、感じたいこと、感じていることが分からなくなってしまっているように思うことがある。特にAVで育った世代にとってのセックスとは、何よりもまず他人同士が行っている映像がお手本になってしまっている。顔面発射がスタンダードだと勘違いしていた童貞クンというのはもはや古典かもしれないが、AVを見ながら心のどこかで「自分はあんなに感じさせられない」とか「長持ちしない」と気にしている男性たちの姿は、その童貞クンとどの程度に違っているのだろうか。

セックスに関する情報がまったくないというのも困りものだが、ないならないで自分の身体の感覚をたよりに、独自のセクシュアルファンタジーを作り、実現させることもできただろうと思う。今や、そこかしこに氾濫するファンタジーをかいくぐって(あるいは全部試して?)自分にふさわしいものを見つけなければならない。しかもたいてい自分よりも熟練し、情報量も豊かな先駆者がいるものだ。その人たちのことを気にせずにはいられないだろう。身の丈にあった性欲を見つけるなんていうことがこれほど困難になったとは、なんと馬鹿げた時代だろうか。

AV監督代々木忠が、民俗学者の赤松啓介から「セックスなんてやったらいいだけじゃないか」と言われたことがあったそうだ。乱暴な発言だからいろんな読み方ができてしまうが、きっと赤松はセックスについて「論じる」ということ自体をナンセンスと感じていたのだろうと思う。彼にとっては情報が多すぎて、自分にあったセクシュアルファンタジーが分からないなんていう状況は信じられなかったのではないか。

いつの間にか「やったらいいだけ」のことが非常に困難になってしまっている。古きよき時代を知る赤松にとってはつまらないことかもしれないが、現代を生きる私たちは氾濫するセクシュアルファンタジーと自分の身体感覚をともに腑分けして行かなければならない。

他人が作ったファンタジーに踊らされることそのものがいけないのではない。自分の身体感覚が育っていなかったり、身体感覚とつりあわないファンタジーを暴走させることが危険なのだ。
しかし、どのようにすればそのバランスは保てるのだろうか。拙いながらもその方法論を提示することができたらと思う。今後の課題としたい。



open_eyes at 10:11|Permalinkセックスの可能性 

高峰格「木村さん」

高峰格(たかみね ただす)、元ダムタイプの主要メンバーであり、身体性を強調した映像作品で知られる現代芸術家だ。この作品では、1級身体障害者「木村さん」のマスターベーション介助の様子を扱っている。
高峰は淡々と英語で語る。なぜだかわからないが木村さんといると英語で話したくなるのだと言う。

木村さんの身体障害の度合いは、他者の手助けなしにはほとんど何もできないような状態だ。つまり、木村さんはそもそもプライバシーを得たことがない。高峰は木村さんの「他者を拒絶することのない寛容な身体」と5年にわたる介助を通して向きあってきた。そのような経緯があって、マスターベーション介助の様子を使った作品を公開させてくれたのだろうと言う。

重度の身体障害者にはそもそもプライバシーがないという高峰の指摘は重い。
だが射精とともに高らかに笑いあう二人の声にその重さはない。「いつか木村さんがスーパースターになればいいのに」と言ってのける高峰の語りはクールな中にも内面的な力強さを感じさせる。

「自分たちは同性愛者ではない、だからこの空間は性的な欲望でない何かによって満たされている」と高峰は語る。異性愛の制度から離れ、介助者の手によって快楽を得る自分の姿を積極的にアピールする木村さんの姿は、徹底的に無防備であることによって逆説的になにものかを示しているように思われる。

私たち健常者は、自分のことを自律的で、自由意志を持って生きていると考えているものだ。しかしプライバシーがなく、他者を拒絶できない木村さんは私たちと根本的に違った生を生きているのだろうか。
性的な関係をもつために他者に対して自分の身体をあらわにするとき、私たちもまたプライバシーの感覚や相手を拒絶する意思を持たない「寛容な身体」にならざるを得ない。性愛関係をもつということは、だからこそ一種の賭けのようなものになる。

もちろん私たちは木村さんほど剥きだしの生を生きてはいない。しかしそれは程度問題にすぎないのかも知れない。
私たちもまた他者のまなざしに配慮し、他者の設けたルールに従い、他者をモデルにして性愛関係をもっている。介助を受けている自覚はないとしても、他者の存在を拒絶しては性も生も成立し得ない。それは性的欲望を喚起する観念や言葉のしくみがすべて他者を経由してもたらされたものであることに気づくときに、私たちに決定的に突きつけられるものとなるだろう。

私たちと木村さんの差は大きいようでいて、実際はさほどでもない。このことに多くの人が注意を向けられたなら、木村さんはきっとスーパースターになっていると思うのだ。



open_eyes at 10:09|Permalinkセックスの可能性 

大阪府立大学 セクシュアリティと社会福祉問題研究会のご案内 


大阪府立大学社会福祉学会「第53回研究会」
「第2回 セクシュアリティと社会福祉問題研究会」
セクシュアリティと社会福祉 ―性と生と人権について考える―開催のお知らせ

 <セクシュアリティと社会福祉>と聞いて、この二つの言葉がすぐには結びつかないという方もいると思います。でも、たとえば高齢者福祉の現場では、高齢者同士の恋愛や援助者に向けられる性的な行動など<性>めぐるさまざまな問題にどう向き合っていけばよいのかわからない、また、児童福祉の現場では、望まない妊娠というリスクを避けるために子どもたちに<性>のなにをどう伝えるのか迷う、あるいは知的障害児・者の領域で性的虐待から自らを守る具体的方法まで教えるべきかどうか悩むといった問題などは、皆さんの身近なところで存在しているのではないでしょうか? 
<セクシュアリティ>は、社会福祉に関わる人々にとって日常的に直面しうる、身近な問題でありながら、「語られることの少ない」問題の一つでもあります。この機会に、<セクシュアリティ>について学び、考え、共に語ってみませんか?

日 時: 2005年11月6日(日)午後1時30分〜午後5時
場 所: 大阪府立大学 A4棟(旧社会福祉学部棟)4階401教室
参加費: 無料(※事前申込不要)

プログラム
<総合司会> 
山中京子(大阪府立大学人間社会学部助教授)
東 優子(大阪府立大学人間社会学部助教授)

1:30〜1:35 開会の挨拶
1:35〜2:05イントロダクション 山中京子・東優子
人間の性の多様性
「セックス・エリート」と現代社会における「性的抑圧」
「性の権利」

第一部 LGBTって知っていますか?
2:05〜2:35 LGBTの目から見た社会〜政治の分野でできること
尾辻かな子氏(大阪府議会議員)
2:35〜3:05 トランスジェンダリズム宣言 
土肥いつき氏(セクシュアルマイノリティ教職員ネットワーク)
3:05〜3:25 ディスカッション

3:25〜3:35 休憩

第二部 生的な存在としての障害者
―主張する当事者、そして介助者・支援者はその主張にどう関わるのか―

3:35〜4:05 「障害者の性」の語られ方とジェンダー
松波めぐみ氏(大阪大学大学院人間科学研究科博士後期課程)
4:05〜4:35 障害者の性をめぐる今日的話題
横須賀俊司(県立広島大学保健福祉学部人間福祉学科・助教授)
4:35〜4:55 ディスカッション

4:55〜5:00 閉会の挨拶

★学外講師プロフィール★
土肥いつき氏: 1962年生まれ。京都府出身。同志社大学工学部卒。85年より京都府立高校教員(担当数学)。2004年、「いつき」に改名。現在は、「不完全フルタイムトランスジェンダー」として、日常生活を送っている。京都のミックス系グループ「玖伊屋」スタッフ。全国在日外国人教育研究協議会事務局員。
尾辻かな子氏: 1974年生まれ。兵庫県出身。韓国(ソウル大学校)留学、同志社大学商学部卒。「虹と緑の500人リスト・運動」会員。03年4月の統一地方選挙に立候補し、現在、大阪府議会最年少府議として、堺を起点に活動中。
松波めぐみ氏: 1967年生まれ。兵庫県出身。大阪大学大学院人間科学研究科博士後期課程(多文化教育学)在学中。障害学研究会関西部会共同世話人。
横須賀俊司氏: 1963年生まれ。兵庫県神戸市出身。1993年、関西学院大学大学院社会学研究科社会福祉学専攻博士課程後期課程、単位取得満期退学。現在、県立広島大学保健福祉学部助教授。専攻は障害学、障害者福祉論。

本研究会の目的は、参加者に対し、「当事者の語り」を通じて<人間の性(Human Sexuality)>の諸相とその多様性について学び、また<性>が個々人の生活・人生のあらゆる側面に与えうるインパクトについて考える機会を提供することにあります。本研究会における学びや気づきが、社会福祉領域におけるセクシュアリティのさまざまな問題や課題についての考えを深めるための契機になれば幸いです。


共同企画: 大阪府立大学社会福祉学会
セクシュアリティと社会福祉問題研究会(仮称)



open_eyes at 10:07|Permalinkイベントレポート 

2005年09月29日

男のセックスはなぜつまらないのか?

男性のセックスがつまらないと言われてしまう理由はいくつかあると思うのだが、とりわけ「感じさせること」にこだわる男のセックスはつまらない場合が多いように思う。テクニックのことを言っているのではない。テクニックは磨けば上達する。身も心も溶け合うようなセックスをして満足できるような男が少ないということだ。「感じさせること」にこだわっていては解け合うようなセックスにはならないということなのだ。
多くの男はセックスで自分が感じることよりも女を感じさせることにこだわる。そのことが男としての存在価値の問題であるとさえ思っている人もいるだろう。自分はこだわっていないと思う人もいるが、相手も同じように思っているとは限らない。実際はほとんどの男性が「感じさせること」にこだわっている。そしてそのことに気づいていない人が多い。

「感じさせること」にこだわる男は、自分が身も心も溶けて満足するのではない。
女があられもない姿で足を開き、声を出して感じ、涙まで流す、そういう姿を見て満足する男。自分の快感などほとんど排尿と同じ。パッとあがった花火が一瞬で終わってしまう。
だがそれは、自分の感覚にアクセスできていないということなのではないだろうか。本当は感じられるはずの心地よさが分からない、それが、かえって男を「感じさせること」へのこだわりに駆り立てているようにも思う。

社会的に要請され、大部分の男性が実際に引き受けている「男役割」の中には、自分の素直な感情や感覚を表現してはいけないというものがある。特に辛い、悲しいという感情や、甘えたいという欲求をおもてに出すことは男であるというだけで否定されてきている。
だからそういった感情が起こってきても自分で感じないように拒絶しようとする。自分の感情にフタをしてしまう男が多い。
世の男性が仕事面で成果を出せるように鍛えられる過程では、同時に感情操作も学ばされているのだと言えるだろう。抑圧された感情や欲求はつもっていき、別の形をとって満足を求めることになる。

自分は快感を感じられないのに、相手だけは感じさせたいという男の欲求は、どこから起こっているのだろうか。
女の興奮を感じて高揚しながらも自分は女のように好き放題にされてはいない。感覚的、受容的ではない、自分は女の身体をコントロールできる力を持っているのだとフィードバックさせる。男のセックスは自己中心的で観念的だ。自分自身が満足できない構造にはまったまま、相手に快感を与えて代理の満足を得ているのだ。

感じる女を見たいという男の願望とは、本当は自分自身が女のように感じてみたいという願望と裏腹なのではないだろうか。
(自分も声を出してよがり、涙を流して快感を感じてみたい…。)
しかしそれを自分の欲求だと自覚できないなら、どうしても実現する事はできないままだ。
そのために、より一層相手を「感じさせる」欲求が強化されていくのだろう。

自分の欲求にアクセスすることを禁じられてきた男は、本質的に虐げられた存在だ。セックスの場面でその補償を求めるなら、女に嗜虐的な快楽の責め苦を味合わせなければならない。男にとって女は、身体のコミュニケーションを通して快感を分かちあう仲間ではなく、男のかわりに快楽を感じさせられ、男によって一層おとしめられる存在になる。女にとってのセックスは本質的にレイプだというのはそういうことだろう。
行われるのはつねに男にとってのセックスだ。自分自身の感覚を感じとれなくなった男が、自分が得られたはずの快感を女に感じさせ、それでいったんは満足する。
男にとって女が心から満足しているか等、本当はどうでもいい。声をあげ、快感にのたうち回ってくれたらそれでいいのだ。自分が快感を感じる回路にフタをしているから、相手のそういう姿を見なければ満足できないのだ。だからこれは本当の満足ではない。「セックスをした」という確認みたいなものだ。

男のセクシュアリティというものは目の前にぶら下げられたニンジンをいつまでも食べられない馬のような状態だ。ニンジンがある、ということで少しの安心を得るだけ。
男のセクシュアリティが視覚に依存するというのもここから来ているのではないだろうか。
ポルノグラフィが一般に流通する時代はここ100年程度のことだろうから、それ以前の男は今ほど視覚中心のセックスに駆り立てられてはいなかったのではないだろうか。

AVで女の腹や顔にむけて射精するシーンが使われるのも「セックスが終わった」という確認の意味があるだろう。射精しないと終われないのも、女に「イった?」と尋ねるのもすべて確認だ。なんと強迫的なセックスだろうか。これでは心と心、身体と身体で溶け合うようなセックスには行き着けない。

本当に相手と溶け合いたいと感じる女性たちは、男が抱えるこの問題にうすうす気がついているだろうと思う。ただそのことを指摘したら男に嫌われるのではないか、もっと感じさせてあげようとしたら淫乱だと思われるのでは、という心配がおこる。女が自分から積極的にセックスを求めることは危険だ。だから女はそれを言えないのだと思う。

男は「感じさせよう」という思い込みを持っていることをまず自覚するべきだ。そしてそれを捨てることを覚えなければならない。服を脱いだからといって裸になれるとは限らない。そして裸になったときに自分が知らないような何かが出てくることが怖いのだ。



open_eyes at 14:49|PermalinkComments(4)TrackBack(3)セックスの可能性 

2005年09月15日

Kinsey  愛についてのキンゼイ・レポート

性科学者キンゼイの伝記映画を見てきました。なかなかいい映画です。

あらすじ(ネタバレ)
厳格なキリスト教信者でエンジニアの父親の元で育てられたアルフレッド・キンゼイ (リーアム・ニーソン) は、タマバチの生態の研究で注目され、インディアナ大学で教鞭をとるようになり、キンゼイは生涯の伴侶となるクララ・マクミレン (ローラ・リニー) と出会う。二人は結婚するが、処女と童貞だったためどうすればうまくセックスができるか分からない。専門家に相談しようと医師のもとを訪れ、自分のペニスが標準よりかなり大きいことに気づくキンゼイ。しかし医師の助言をもとに、二人はついにセックスを成功させる。同じような立場の人がたくさんいるに違いないと考えたキンゼイは、大学で「結婚講座」を開講する。1948年、男性に焦点を絞って書かれた『キンゼイ・レポート』が発表され、反響を巻き起こすと、1953年にはこのレポートの女性版が発表された。これらのレポートからは、性道徳によってタブーと考えられていたにもかかわらず、マスターベーションや獣姦、婚外交渉、近親姦、同性愛などの経験者が驚くほど多いことが分かった。

映画の中でキンゼイは、自らもバイセクシュアルの弟子と同性愛行為を行い、またその弟子が妻クララとセックスすることも認めている。弟子たちの間でもセックスパートナーのおおらかな交換から本気の恋愛モードに入ってしまってのトラブルなどが描写され、「一時の感情で大切な家族を壊してもいいのか」とキンゼイが弟子を叱るシーンもあった。
ポリガミーというよりはオープンマリッジだと思われるが、その関係がいきいきと描かれていて印象的。

最近、フーコーの『性の歴史機戮瞭表餡颪鬚靴討い襪里世、この映画の内容と重なるところがあってとても面白いと思っている。
西洋キリスト教社会における性のタブーは、17〜19世紀にかけてプロテスタンティズムや資本主義が浸透するプロセスと同時に成立していく。プロテスタンティズムはたえず神に承認されるかを気づかいながら、快楽を避けて勤勉・勤労を求めるあり方で、資本主義の発展に大いに貢献したと言われているのは周知のとおり。また資本主義のもたらした賃労働のシステムは、時間と労働力を徹底的に数量化することで、個人を労働力の単位として交換可能な存在と見なすきっかけを作った。
数量化できる時間・労働という概念がいったん現れると、生活の全体がそれを基準に考えられるようになってしまう。そして性のもつおおらかさ、肯定感は、この数量化できる時間・労働という概念とは根本的に対立する。性がタブーとされてしまう流れは充分に用意されていたわけだ。

いったん性がタブーとなると、それは逆に人の注意を引き、気がかりの対象となる。それまでは日常のはしばしにあったセックスの痕跡は、きれいに掃きだされてしまった。今やセックスについて男女が口を開くことは「いけないこと」とされ、TPOをわきまえて相手の承諾を得てからでないと切り出せないような、重大なトピックとなっている。
セックスについて語ることは危険な賭けであり、誰もが隠していると大衆に訴えることは革命のような高揚感をともなうものになった。

もともと「論じる必要などない日常茶飯事」だったセックスはタブー化されることで、ごくプライベートな問題となり、重要さを増していく。そのプロセスはヘテロ・モノガミー中心主義の成立のプロセスでもあり、「異常なもの」をラベリングして排除していくプロセスでもあった。

さて、数量化できる時間・労働という概念に隅々まで支配されてしまっている現代に生きながら、いかにすれば性がかつて持っていたおおらかさ、肯定感を感じ、実践できるだろうか。僕はずっとこの問題を追い続けてきていることに気がついた。



open_eyes at 17:38|PermalinkComments(0)TrackBack(0)イベントレポート 

2005年09月06日

セクシュアリティの冒険 どうしていつも男と女?

近年、各鉄道会社には女性専用車両が導入された。満員電車での痴漢や、人目をはばからずスポーツ新聞の「エロ面」を眺めるオヤジに嫌悪感をもつ女性たちには好評のようだ。一方、男性の目が届かないのをいいことに車内での化粧などマナーが悪くなっているという声も聞く。

ところで、どう見てもオヤジにしか見えない人物が女性専用車両に乗っていることがある。つい、「女性専用って書いてあるのに非常識だな」と思ってしまうが、実はその人が男性に違いないと言い切る根拠は私たちの中にはない。ひょっとすると「オヤジにしか見えないが、実はオバサン」かもしれない。あるいは男性の姿形をしているが、内面はとてつもなく乙女で、自分のことを女性だと思っているのかもしれない。外見から人の性別を判断するということは、とてつもなく困難な作業なのだ。

 

そんなことぐらいパンツを脱がしたら分かる! という人もいるだろう。しかし、実はそうではないのだ。

1985年のユニバーシアード神戸大会で女性として登録された選手が実は男性だと診断されたという話がある。といってもその選手は性別を偽って出場したのではなかったらしい。まず外見が女性そのものだった。女性として育ち、家族も本人も女性だと思っていた。しかし性染色体の検査では男性を意味するY染色体が検出されたというのである。

パンツを脱がしたら、女性らしい性器があるかもしれない。それでも染色体の性が男性ということがあり得るのだ。

あなたは性染色体の検査をしたことがあるだろうか? 私も含めて多くの人はしたことがないだろう。ちなみに子どもが出来たからといって100%女性、男性とは言い切れない。医学的にと限定するにしても、男性と女性の間はグラデーションをなしており、明確に分けることはできないのだ。

 

人間は生まれたとき、医者が外性器の形を見て男の子か女の子を判断する。オチンチンとタマタマがあったら男の子、なければ女の子ということになっている。しかしオチンチンがあるように見えても精巣のかわりに卵巣がある人や、オチンチンだと思ったら大きなクリトリスだったということがある。

お母さんのおなかの中では、赤ちゃんはもともと女性の形をしている。妊娠後4〜5ヶ月がたってホルモンの作用でクリトリスかオチンチンか、大陰唇かタマタマか、どちらかが形成される場合が多い。「多い」というのは当然、別のパターンもあるということだ。性はグラデーションをなしており、中間的な性のバリエーションも一定の割合で存在する。この人たちは「半陰陽」あるいは「インターセックス」と呼ばれてきた。

 

「インターセックス」の人たちは社会的には存在していないことになっている。性別欄には男・女しかない場合がほとんどだ。中間の性があることすら知らない人も一般には多いだろう。

医学的には「インターセックス」の存在は認められている。しかし医者たちは、「インターセックス」当事者の性器を手術し、性ホルモンを投与し、女・男として生きられるように操作してきた。特に本人の意思が確認できない幼少期に行われることが多く、正確な説明すらされずに医療の対象にされていることもある。

恐ろしいことではないだろうか。医者は「インターセックス」の存在は知っている。しかし社会的に認知されていないからという理由で、「インターセックス」の身体を変えさせようとしてきたのだ。

 

同じ問題がトランスセクシュアルの場合は逆になって表れてくる。これまで当事者の意思で性転換手術をすることは不可能だったのだ。妊娠能力のある生殖器官を取るということは罪だと見なされていた。日本では1969年に手術をした医者が「優生保護法(現在の母体保護法)」違反で有罪判決を受けている。手術が可能になったのは1998年のことだ。

トランスセクシュアルには手術が認められず、インターセックスには勝手に手術をする、これは一体どういうことなのだろう。そんなに男か女かという枠組が重要なのだろうか? ひとりひとりの価値観や幸福よりも?

 

インターセックスは生物学的な性のグラデーション上に存在する。性別という場合には他にも、自分を女・男と見なす、自認の性がある。これにもグラデーションがあるのは言うまでもない。自分のことをどこから見ても100%男だと思っている人よりも、80%くらい男だけど20%くらい女かも? くらいに思っている人の方が多いだろう。男か女か分からない、決められないという人もいる。

 

トランスジェンダーとは、生物学的な性別と自認の性が逆転している人たちのことだとされてきた。

生物学的といっても実は明確なものではないというのはインターセックスの説明から分かっていただけるだろう。「生物学的な性別」でさえも、実は周りがその人につけた性別のレッテルにすぎない。正確には「生物学的な性別と思われているもの」なのだが、ややこしいので「見かけによって判断される性別」としておこう。

つまりトランスジェンダーとは見かけによって判断される性別と、本人が自分で思う性別とが一致しない状態のことなのだ。

 

女性的な外見の人が自分を女性だと思っているとは限らない。実は外見と性自認が逆転している人だっているかもしれない。一致していない人に接して違和感を感じるのは、実は感じる側の問題かもしれない。だって、一致しないといけないという理由がどこかにあるだろうか?

角刈りに着流しのおネエがいたっていい。ヒゲでボインでミニスカ着用なんてアナーキーだけど別に犯罪ではない。逆に平日にスーツ姿で出歩けば誰にも怪しまれない。だからといってその格好をしている人が「マジメな営業マン」とは限らない。営業マンのふりをした空き巣かもしれない。外見に意味づけをして、勝手に納得すると危険な目にあうこともしばしばだ。

セクシュアリティ系の講習会をすると、たまにこんなことを聞かれる。「美輪明宏さんは男が好きなんですか?」 そんなこと本人じゃないのに答えようがない。ていうか、なぜそんなことが気になるんだろう。なぜ他人のことを放っておいてあげないのだろう。

 

自分の判断基準を超えるものがあると不安になるということ自体は分からなくない。理解できないものは怖いものでもある。だからといって他人を自分の枠組の中に押し込めようとするのはよくないことだと思う。

あなたに理解できなくてもそういう人はいるのだし、人の感覚をとやかく言うなよ、ということなのだ。理解できない相手を尊重して理解しようとするのは難しいだろう。それならせめて放っておくだけの気づかいが欲しいと思う。

 

他人を見かけによって男か女に分けなければおさまらないのは、他者を自分の枠組みの中だけで詮索することと同じだ。どうしてあなたが人の外見を見て行った判断が相手の自己認識と一致していると思いこむのだろうか? これこそが問題だ。



open_eyes at 17:56|PermalinkComments(2)TrackBack(0)セクシュアリティの冒険 

2005年08月16日

性関係の多様性

ちょっとブログの使い方を変えようと思っています。
よりメモ的・ラフなものとして。
レポートちっくなものを書こうとすると時間がとれないし、
書いている間に関心が変わってしまったりするし。
月に2本くらいしかアップできないのもなんかもったいないし。

自己紹介をいじってみましたが「性関係の多様性」について
考えると面白いんではないかなと思っています。
「セクシュアリティの多様性」というと性指向・性自認・生物学的性・ジェンダーあたりの固定化できない多様なありさまを言うことが多いと思うんだけど、
シングルであることとかポリガミー/ポリアモリー的なあり方を指向することも、多様性の一部として考えることができるわけで、
逆に言うとモノガミー的規範がどれほど強く機能しているかがわかるという気がします。
 
恋愛至上主義とモノガミー主義が「性関係の多様性」を阻んでいる。
この問題とジェンダー規範意識が性役割を固定化させていることってパラレルだと思う。


open_eyes at 17:07|PermalinkComments(2)TrackBack(0)恋愛とは? 

ユースフォーラムの報告

<日本−在日−韓国>ユースフォーラム2005 でのセクシュアリティワークショップ、遅くなりましたが報告しときます。
18名程度の参加をいただき、韓国語への同時通訳も入り(すげー)、2時間ノンストップ。
初心者向けにしてはかなり濃い感じでした。
参加者もけっこう熱心に聞いてくれて、心配していたバックラッシュ気味な人の参加もなかったのでよかったです。
内容的にはゲイ・レズっぽい行為の日韓比較が面白かったです。
意外と韓国人男性が手つなぐ行為に拒絶感を示していました。
他の参加者が韓国の喫茶店でおっちゃん2人組が仲よく手つないで出てきたのを見たことがあるということで、個人差があるみたい。
女性どうしは手つないでもハグしても、同性愛行為には見られないってことでした。
特筆すべきは韓国では同性どうしでラブホに入ることにあまり抵抗がないってこと。
というのは安宿とラブホの差があまりないということらしく、終電がなくなった時とか酒もちこんでワイワイやりたいときに使うらしい。
その他トランスやインターセックスについての説明もかなり丁寧にできた気がします。

楽しみにしていたナメクジ星人は出番がなかったです。(ToT)
まぁ、これは爆弾テロみたいな破壊力のあるネタなんで、また別の機会にやりましょう。

ともかく現場はスリルがあって楽しいですね。またやりたいです。

ROSムック「トランスがわかりません」第2版もちょろちょろ売れています。
手元に数冊あるので、興味のある方はご連絡ください。


open_eyes at 16:38|PermalinkComments(2)TrackBack(0)イベントレポート 

2005年07月28日

<日本−在日−韓国>ユースフォーラム2005 でのセクシュアリティワークショップ

<日本−在日−韓国>ユースフォーラム2005 でのセクシュアリティ

ワークショップの講師をROSの皆さんと一緒に行います。

平和・人権・国際理解系の分科会が多い中(こちらもかなり面白そう)、ジェンダー・セクシュアリティについてのものを一部任せていただきました。といっても7月29日〜31日開催なので宣伝には遅すぎですね(^^;) ちょいとネタバレしときます。

 

詳しくはユースフォーラムHP http://youth-forum.soc.or.jp/ から「次回フォーラムの概要」をご覧ください。

ROSはこんなグループ http://ros2004.com/index2.htm

mook『トランスがわかりません』第2版 大好評販売中です。

 

 

ユースフォーラムの流れ

29日 ウィメンズカウンセリング京都スタッフによるワークショップ(以下WS)

   「ジェンダーの基礎」 場所はドーンセンター

    教科書資料館(堺市)訪問 歴史とジェンダーをテーマに学習

    大越愛子氏講演『歴史問題とジェンダーフリーバッシングの背景にあるもの』

 

30日 ROSのWS 「セクシュアリティについて考える」

    場所はドーンセンター 9:30〜12:00

    mook『トランスがわかりません』第2版販売します。

 

31日 公開シンポジウム「日韓中青年シンポジウム 歴史の分か

     ちあいと共有のために」

    場所は森ノ宮中央青年センター  午後1:30〜5:00

   (開場は1:00)

    mook『トランスがわかりません』第2版販売します。

 

 

WSの内容

     男どうし、女どうしでやっていいこと/わるいことの日韓比較

(例、手をつないで買い物、肩を組む、同じ部屋で寝る、同じベッドで寝る、一緒に風呂に入る… スキンシップはどこまで許されるか等)

 

◆´,里笋辰討呂い韻覆い海箸蓮▲殴ぁ▲譽坤咼▲鵑辰櫃す堝阿世隼廚い泙垢? 

  友人にゲイ、レズビアンの人がいますか? 

   → いる  その人とどんな風につきあっていますか?

     いない 本当に「いない」と言えますか? 

自分がゲイ、レズビアンだったら友達に言えますか?

(在日の置かれた状況に似ていないか?)

 

     日本では男どうし手をつなぐと「ホモだ」とからかわれる。

逆にレズビアンが「女の子の友達」としか見なされないということがある。あるいはポルノ的な理解しかされない。

トランスジェンダーなどの説明。

 

     スペシャルゲスト「ナメクジ星人」が登場。(あとはヒミツ)

 

 

こんな感じです。ワクワクしています。



open_eyes at 10:48|PermalinkComments(2)TrackBack(1)セクシュアル・マイノリティ 

2005年06月20日

アジア・太平洋地域エイズ会議の周辺イベント情報

7月1日(金)〜5日(火)神戸にて、第7回アジア・太平洋地域エイズ国際会議が開幕します。http://www.icaap7.jp/jpn/
場所は神戸・ポートアイランドの国際会議場。
来場予定者は海外からの1,700人を含めて約3,000人、参加費は40,000円! 高すぎるっ。

しかも使用言語は英語が基本。敷居が高そうな印象。

でも本会議周辺で一般向けに低料金で行われるイベントもたくさんあるみたいなので、紹介します。ちょっとここのホームページを見る限りでは分かり難いので、独断で編集しときました。他にも面白そうなイベントをご存知の方、コメント欄で追加してください。

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コミュニティ・フォーラム 

日 時: 7月1日(金) 12:00〜15:30

場 所: 神戸国際会議場

参加費: 無料 事前登録が必要

コミュニティ・フォーラムは各小グループに別れて行われます。

初日の開催式前にコミュニティ・フォーラムが開催されます。

各コミュニティーは
ゲイ、レズビアン、トランスジェンダー、移動労働者、セックスワーカー、エイズサービス組織、麻薬使用者、宗教コミュニティ、労働組合(職場でのエイズ)、先住民コミュニティ

トランスジェンダーグループ問合せ先:072−254−9793(大阪府立大学人間社会学部 東優子)

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第7回アジア・太平洋地域エイズ国際会議の企業・団体展示会場の一般解放  

日 時: 7月3日(日) 14:00〜17:00

場 所: 神戸国際展示場

内 容: 国連機関、各国政府機関・企業・NGO展示、キルト展示、ほか

問合せ先: 06-6377-2188 (7th ICAAP事務局)

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kavcaap2005

日 時: 6月30日(木)〜7月3日(日) 11:00〜21:00

場 所: 神戸アートビレッジセンター(KAVC)

内 容: 映像作品の上映、トークプログラム、ほか

H  P: http://www.kavcaap.org/

未来のドキュメント - 他者への想像力
エイズという病気に対する医療はこの10年間、格段の進歩をとげました。でも、日本は 先進国で唯一、エイズの原因となるHIV(ヒト免疫不全ウイルス)の感染者、およびエイズ患者の報告数がともに増え続けている国です。HIVに感染したかどうか心配で悩んでいる人、感染したからどうすればいいか相談したい人、感染を予防したい人、発症した人やその身近にいる人・・・。HIVの存在する時代に生きる私たちみんなが、それぞれの立場でできるだけ納得して生活できる場を作っていくのは、そう簡単なことではないかもしれません。
kavcaap(カブキャップ)では、HIV陽性であるなしに関わらず、「自分の切実さ」を持ってそれぞれの立場から今をとらえる人たちの表現を展示・上映します。それは、この時代を生き抜くため他者への想像力を希求する私たちのドキュメントの未来型、そして未来についてのドキュメントなのです。

ブブ・ド・ラ・マドレーヌ/kavcaapプロデューサー

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コミュニティ・シンポジウム

日 時: 7月2日(土) 13:30(開場)、14:00〜16:00

場 所: 神戸国際会館4階

テーマ:  〜私たちのリアリティ

「Positive prevention, positive sex」〜

H  P: http://www.icaap7commun.com/kobe/

日本では、昨年1年間の新規感染者・患者は、前年比189人増の1165人となり、1984年からの累積も1万人を突破するという状況です....

2004年、バンコクで国際エイズ会議が行われ、その中の一つのセッションに「Positive prevention,positive sex」がありました。このセッションは、エイズ患者・HIV感染者自身が自分たちの置かれている状況を発表し、また、セッションに参加していた他の感染者・患者からも様々な実情が発表されました。
そこには、まぎれもなく患者・感染者のリアリティが存在していました。そして、リアリティが存在していたからこそ、予防や性行動に対して、より現実的な議論がなされました。
このシンポジウムに参加したとき、こういう議論こそ、今の日本に必要ではないかと感じたのです。

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INSERT
7月2日(土)21時〜3日(日)午前5時

会場Cafe Fish(神戸・元町)
会議参加者と一般参加者の交流の場となるクラブパーティ。情報ブース、フリーマーケット、屋台、国内外のドラァグクィーン、ゴーゴーボーイ、パフォーマーによるレビューショウなど。ショウタイムは22時(主に海外チーム)、24時、2時、4時の4回
1ドリンクつき3,000円

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コミュニティ・カフェ

7月3日(日)17時〜22時

7月4日(月)17時〜20時

カフェ BASE KOBE  E-mail:cafe@icaap7commun.com

神戸市中央区磯上通5丁目1−26門屋ビル5号館1階 Cafe & Bar Base Kobe

JR三宮 東口 南東に徒歩7分 磯上公園 北側

ポートライナー 貿易センター駅 北東 徒歩5分

各1500円 軽食-アジア料理,ドリンク付き

※人数制限がございます。事前にチケットの購入をお勧めします。

今回、神戸で行われるエイズ国際会議期間中に、大阪で活動する市民団体チャーム、MASH大阪、学生達、神戸で活動するBASE神戸と一緒に、アジアから来る参加者と日本で活動する私達が食事を交え、日常活動の情報を分かち合いネットワークを広げる機会を持ちたいと思っています。
このコミュニティーカフェでの出会いを通して、アジアから来る参加者が地域で活動している団体を訪問したり、又日本で活動している私達がアジアに行った時に現地のNGOを訪問できる関係を築ける機会になればと願っています。

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平成17年度エイズ対策研究推進事業

「研究成果発表会(国民向け)」  

日 時: 7月3日(日) 13:00〜

場 所: 神戸商工会議所 神商ホールB

テーマ: 知識から意欲へ〜予防介入の実践とその評価

発 表: 池上 千寿子ほか

問合せ先: 03-3361-8964 (ぷれいす東京)

参加費無料、事前申込不要

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エイズ啓発活動実演「Youth Café 〜カフェいこや〜」
 
日 時: 7月3日 9:00-12:00  13:00-16:00 

場 所:神戸国際会議場の外、イベントホール
 ピア・エデュケーションを行う国内5団体が実践例の発表をリレー方式で行う。また、会場のロビーにおいては、国内外の参加団体のポスターやパンフレットなどの展示も行う。

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企業・団体展示会場の一般解放

日 時: 7月3日(日) 14:00〜17:00

場 所: 神戸国際展示場

内 容: 国連機関、各国政府機関・企業・NGO展示、キルト展示、ほか

問合せ先: 06-6377-2188 (7th ICAAP事務局)

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AIDS WALK in Kobe 2005
開催日時: 7月3日 (日) 11持30分 集合 正午 スタート
集合場所:中央区東遊園地 (神戸市役所南)
参加予定人数:250人
テーマ:「明日へ歩く道」
ウォーク参加者一人ひとりが困難に直面している世界を再確認し、エイズだけではなく、大震災、大津波、戦争などで失われた多くの尊い命を悼み、共に生きる明るい未来の実現をめざして、神戸の中心を歩む

7月 3日 (日)11:30に中央区東遊園地(神戸市役所南)集合
およそ250人がエイズをはじめ世界の諸問題への関心を呼びかけるウォーク。

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元気、やる気、本気、エイズ教育〜世界(アジア)に学ぶ 生き生きエイズ教育

日 時: 7月3日(日) 16:30〜20:30

場 所: 神戸国際会議場 3F国際会議室

内 容: 外国からの参加者による報告と、その国に詳しい日本人による映像を多用した解説的な講演

問合せ先: 03-6801-9307 (日本性教育協会)

資料代 500円(当日受付でお支払いください)
定 員 300名(要・参加申込み)

 【テーマと講師】

1.アジアにおけるHIV/AIDSの動向

  高井明子(国連人口基金[UNFPA]HIV/AIDS担当官)

2.タイにおけるピア・ユース・プログラムの実践

  Dusit Duangsa(チェンマイ大学教育学部教授、恵泉女子大学客員教授)

3.宗教的・文化的な壁を越えて性教育を実践するということ

  Rina Jimenez David(フィリピン)

  兵藤智佳(早稲田大学現代日本研究所客員研究員)

4.元気・やる気・本気:日本の性教育に必要な3つの木(気)の育て方

  池上千寿子(特定非営利活動法人ぷれいす東京代表)

 座長 東優子(大阪府立大学人間社会学部)

 

 

 

 



open_eyes at 19:35|PermalinkComments(2)TrackBack(0)セクシュアル・マイノリティ 

2005年06月03日

結婚におけるマインドコントロールと踏み絵

コミュニティサイトmixiでポリガミーと結婚が並存できるかについて議論することがあり、たくさん気づかされることがあった。こちらでもまとめつつ、考えを進めてみたい。

 まず、日本社会の現状に即して考えていかなければならないということ。一見、あたり前の事だがこれが実際には簡単ではない。

「現状に即して考える」ためには一旦この時代、この社会で常識とされている事柄を鵜呑みにせず、客観的なデータを調べたり歴史的な流れを追ったり他の文化との対比などを通して考えてみる必要があるからだ。

たとえば「結婚は幸せなことだ」と思っているとしよう。まぎれもなく自分の実感としてそう思っていると、その人は考えているはずだ。しかし本当にそうだろうか。

「結婚は幸せ」というメッセージは、流行歌やテレビドラマ、映画のシーンなどを通して私たちに向けて大量に流されている。もし「結婚はつまらない」というメッセージが同じ量流されていたとしたら、その人は「結婚は幸せ」と思うだろうか。

あるいは結婚することのメリットとデメリットをきちんと把握して「結婚は幸せ」と思っているのだろうか。もしそうでないなら、知らず知らずマインドコントロールを受けて、そう思い込まされている可能性が高い。

 恋愛→結婚=ハッピーという図式は、恋愛と結婚にまつわる数多くの商品(モノだけでなくエステに行ったり、モテる条件やお見合いパーティの情報も含まれる)を消費する動機を多くの人に与えるし、女性に対して妊娠と出産への準備を整えさせるにも効果的だ。このことは未来の労働力を確保させる点で、国家にとって好都合だし、商品が売れるほど企業が利益を得られることも当然のことだ。多くの人が「結婚は幸せ」と思っていた方が国も企業も得なのだから、マインドコントロールが行われるのも不思議ではない。

 さて、事実として結婚が幸せにつながるのかどうか。もちろん個々の付き合いについてここで論じることはできない。社会に生きる一人一人が「結婚」という制度を使うことによって経済的・制度的に優遇されたり、自由を保障されるといえるだろうか。答えは「かなり微妙」と言わざるをえない。

 カップルが共働きをしていた状態から、女性が男性の扶養に入ると世帯全体の給与所得は減る。年金についても同様だ。生活を共にすることで家事・育児の負担が減る、生活費を抑えられるというメリットはある。他にあるのは企業の各種手当や賃貸住宅の新婚補助のような制度だ。

その程度しかメリットがないということは、逆にいうと家族・知人からのプレッシャーも含めて、いかに多くの人がマインドコントロールに流されているかを示すものだ。

 さて、制度を利用して、そのつど都合のいい立場を選択するというのは結婚制度に囲いこまれた個人にとってお得であるとともに、制度自体をゆるがしていく実践として有効だと思う。

例えば新婚補助を貰ってマンション住まいをして、子どもができたら離婚して寡婦(寡夫)控除を申請して認められると保育所に入りやすくなり、保育料も抑えられる。このようなことを行う人が増えれば増えるほど制度そのものが陳腐化していき、やがて制度そのものが解体されていくだろう。

 ところが寡婦(寡夫)控除を認められるのは離別、死別の場合に限られ、非婚の場合は控除を受けられない。また婚外子が戸籍上の表記や相続権についても差別を受けていることを考えると、非婚者への差別を踏み絵にして個人を結婚制度に囲い込むシステムがあることに気づかされる。同性カップルの場合のように、法律上婚姻関係と認められない立場の人々は、囲い込みシステムの外に放り出されており、法的保護を受けことができない。また1対1で縛りあう関係をよしとしない人々の中にも、この法制度を積極的に利用する気になれない人がいるということも当然だろう。

 為政者にその意図があろうとなかろうと、人々の多様な生と性を認めない障壁として「結婚」制度は機能している。制度に守られている立場の人は、制度を壊してまであらゆる人の平等を実現しなければならないとは思わない。一方で制度に守られていない人の立場からは、都合のいい制度の利用など小ざかしい誤魔化しにしか見えないかもしれない。

だが、もし都合のいい制度の利用が制度そのものを揺るがしうるとしたら、制度の壁を越えた連帯を積極的に認めていいように思う。

 「結婚」という問題は文化や政治、宗教や教育など様々な問題が交錯して表れる複雑な領域だ。ポリガミー/ポリアモリーについて考える準備段階としてまず押さえておくべき領域だと思う。もっと考察を深めて行きたい。



open_eyes at 16:10|PermalinkComments(5)TrackBack(2)結婚制度について 

2005年04月06日

セクシュアリティの冒険2−2

クローゼットの二つの意味

さて、セクシュアル・マイノリティに対してだけクローゼットかオープンかを問うのはフェアではない。異性愛者は自分のセクシュアリティについてオープンなのか? むしろ異性愛者は二重の意味でクローゼットだというのが僕の考えだ。

自分をノーマルだと考えると、自分のセクシュアリティを説明する必要がなくなる。自分を掘り下げることもないので「ノーマルな男/女」というぼんやりしたイメージだけで自分を捕らえていることが多くなる。その枠内でおさまってしまい、特に考えることをしない状態は「本心を隠している」という意味ではないが、自分にも他人にも明らかにされていないという意味でクローゼットといえるように思う。

また、「ノーマルの枠内にいたい」という意識は強く働くために、例えば婚外恋愛をしてみたいとか、複数の相手とセックスしてみたいというような願望をもっていたとしても、自分で認めたがらない、あるいは自分の中では認めても人には話さないということがある。

これが異性愛者が「クローゼット」だというときの、二つ目の意味だ。

他の面ではラディカルな人でも、性的な話になると、他人に知られたら何と思われるだろうという意識が働く。セクシュアリティに関しては保守的な人が多いということだ。しかし何が「ノーマル」かきちんとした掘り下げや議論をしたことがある人なんて、ほとんどいないだろう。二重の意味と言ったが、ここで繋がっていることがわかる。

つまり、「自分はノーマルだ」と思っていたい → ノーマルではないような欲求が起こってもそれを認めず、隠す → 「自分はノーマルだ」という思いが強まる、というループができる。自分の中にある欲求を、自分が気づかないようにするということ。これは、ノーマルではないような欲求を口にしたり行動したりする人を、攻撃することにもつながる。自分が隠していることを公然と言葉や行動にされると、隠すべきだという思いや、自分には言えない、できないのに…という思いがわき起こり、混乱してしまうのだろう。

このように自分の思考パターンに無自覚であるということそのものを、別の意味でクローゼットと呼んでいいだろうと思う。

 

人格的な問題?

 

さて、性的にノーマルでない人は、人格的な問題があるように扱われていないだろうか。

たとえば性欲が人よりも強いということが、人間的に何か問題があるかのように考えられている。僕はそんなのは完全に偏った見方だと思う。

3大欲求の中でも食欲が強い場合にはそんな風に扱われることはない。食欲が旺盛で、いつも美味しい食事のことを考えている人が、人格的な問題を抱えているとは考えないはずだ。

健全な社会生活を営み、明るく社交的で、なおかつ性欲も強いという人がいても何もおかしくはないし、それはその人の欠点ではない。そのことを恥ずかしく思う必要もない。

性欲が強くて健全な人もいれば、性欲が強くて不健全な人もいるということだ。性欲が弱くて不健全な人だっている。それだけのことだ。

たとえばセックス依存になってしまった人がいる。その人は今までの人生の中でトラブルを抱えてきた可能性が高い。またセックスワーカーの中には虐待を受けて育ち、自分自身の存在に意味を見出しにくいと感じている人もいる。このような人たちには人格的な問題というよりも、育ちや自己価値意識の問題があるといった方がいいだろう。

家族や恋人のような親密な関係の中で、あるいは親−子、教師−生徒のような権力関係を背景にセックスの強要が行われれば、それこそ人格的な障害が起こりうる。その傷はながい期間にわたって残る可能性が高い。被害者の中には、自分が汚された感覚を反復するために、好きでもない相手とのセックスに応じる人もいる。抱えきれなかった傷を反復することで少しずつ消化しようとするのだが、そのプロセスが自分は汚れているという意識をかえって強めてしまう。レイプの傷が原因でセックス依存になる人がいる一方で、虐待の加害者が、実は自分もかつて被害を受けていたという話もよく耳にする。

このような状態におちいっている人を「何か問題を抱えていそう」と切り捨てるような態度には問題があると思う。少なくともこの人たちが巻き込まれてきた問題にきちんと向き合おうとする態度ではない。

一方でレイプや覗きをする人、小児性愛の傾向をもつ人たちは人格的な問題をもっている可能性がある。社会性が未成熟なために、相手の同意のもとに性欲を解消するプロセスを踏むことができない人もいる。性のはけ口を通りがかりの女性や幼い女の子に向けるような人たちだ。しかし後述するが、本当にこの人たちを人格障害と見なすべきか否かについては、なお慎重な議論がなされるべきだと僕は思う。何が正常で何が異常かという基準は、時代や文化によってさまざまに変化するからだ。

たとえば日本でも、江戸時代であればフリーセックスに近い男女関係が営まれていたし、男色や小児性愛などもありふれたことであった。明治維新の後、男女が結婚したら生涯をともにするというスタイルが作られ、結婚しないというだけで普通でないように見なされるようになった。同性愛をはじめとするセクシュアル・マイノリティなど存在することすら認めがたいものとなってしまった。

ところが2005年の不景気ニッポンにおいては、結婚しないで30代を迎える人が増加し、少子化はとどまるところをしらない。おそらく今後、結婚という制度そのものが形骸化して、様々な家族(あるいは親密な人たちのグループ)形態が生まれていくことだろう。

つまり、誰かのセクシュアリティを「ノーマル」かどうか判断すること自体が間違っているのかもしれないということだ。判断する人は一体どんな確かな基準をもっているのだろうか。

基準から外れたものはすべて病気だ、ヘンタイだという決めつけは差別だと思う。異性愛が世の中の多数を占めているからといって、それだけが正しいという根拠にはならないことくらい、ちょっと考えれば分かるはずだ。しかし差別をする人の多くは、自分のしていることを差別だとは気づかないし、気づいても認めたがらないものだ。

差別の根本には「わからない、怖い」という感覚がある。わからない、得体の知れない相手を自分の視界から排除して安心しようとすることだ。しかしその怖さは、自分が今まで正しいと思ってきたものが揺るがされることから起こってくるものだ。今までの認識を軽やかに超えてみよう。たとえ理解できないとしても、あなたの周辺にそういった人たちは生きているのだから。

結局、ヘテロの男女カップルが結婚するという形態が唯一の正しい性愛の関係であり、誰もがその形に倣わなければならないという規範を作ってしまったことが、多くの人の生きにくさを作っているのだと思う。

男は稼ぐ役割、女は家事と育児といった、結婚にまつわるジェンダーの縛りがなくなっていくにつれて、セクシュアル・マイノリティも過ごしやすい世の中になっていくのではないだろうか。

 

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