2005年09月15日

Kinsey  愛についてのキンゼイ・レポート

性科学者キンゼイの伝記映画を見てきました。なかなかいい映画です。

あらすじ(ネタバレ)
厳格なキリスト教信者でエンジニアの父親の元で育てられたアルフレッド・キンゼイ (リーアム・ニーソン) は、タマバチの生態の研究で注目され、インディアナ大学で教鞭をとるようになり、キンゼイは生涯の伴侶となるクララ・マクミレン (ローラ・リニー) と出会う。二人は結婚するが、処女と童貞だったためどうすればうまくセックスができるか分からない。専門家に相談しようと医師のもとを訪れ、自分のペニスが標準よりかなり大きいことに気づくキンゼイ。しかし医師の助言をもとに、二人はついにセックスを成功させる。同じような立場の人がたくさんいるに違いないと考えたキンゼイは、大学で「結婚講座」を開講する。1948年、男性に焦点を絞って書かれた『キンゼイ・レポート』が発表され、反響を巻き起こすと、1953年にはこのレポートの女性版が発表された。これらのレポートからは、性道徳によってタブーと考えられていたにもかかわらず、マスターベーションや獣姦、婚外交渉、近親姦、同性愛などの経験者が驚くほど多いことが分かった。

映画の中でキンゼイは、自らもバイセクシュアルの弟子と同性愛行為を行い、またその弟子が妻クララとセックスすることも認めている。弟子たちの間でもセックスパートナーのおおらかな交換から本気の恋愛モードに入ってしまってのトラブルなどが描写され、「一時の感情で大切な家族を壊してもいいのか」とキンゼイが弟子を叱るシーンもあった。
ポリガミーというよりはオープンマリッジだと思われるが、その関係がいきいきと描かれていて印象的。

最近、フーコーの『性の歴史機戮瞭表餡颪鬚靴討い襪里世、この映画の内容と重なるところがあってとても面白いと思っている。
西洋キリスト教社会における性のタブーは、17〜19世紀にかけてプロテスタンティズムや資本主義が浸透するプロセスと同時に成立していく。プロテスタンティズムはたえず神に承認されるかを気づかいながら、快楽を避けて勤勉・勤労を求めるあり方で、資本主義の発展に大いに貢献したと言われているのは周知のとおり。また資本主義のもたらした賃労働のシステムは、時間と労働力を徹底的に数量化することで、個人を労働力の単位として交換可能な存在と見なすきっかけを作った。
数量化できる時間・労働という概念がいったん現れると、生活の全体がそれを基準に考えられるようになってしまう。そして性のもつおおらかさ、肯定感は、この数量化できる時間・労働という概念とは根本的に対立する。性がタブーとされてしまう流れは充分に用意されていたわけだ。

いったん性がタブーとなると、それは逆に人の注意を引き、気がかりの対象となる。それまでは日常のはしばしにあったセックスの痕跡は、きれいに掃きだされてしまった。今やセックスについて男女が口を開くことは「いけないこと」とされ、TPOをわきまえて相手の承諾を得てからでないと切り出せないような、重大なトピックとなっている。
セックスについて語ることは危険な賭けであり、誰もが隠していると大衆に訴えることは革命のような高揚感をともなうものになった。

もともと「論じる必要などない日常茶飯事」だったセックスはタブー化されることで、ごくプライベートな問題となり、重要さを増していく。そのプロセスはヘテロ・モノガミー中心主義の成立のプロセスでもあり、「異常なもの」をラベリングして排除していくプロセスでもあった。

さて、数量化できる時間・労働という概念に隅々まで支配されてしまっている現代に生きながら、いかにすれば性がかつて持っていたおおらかさ、肯定感を感じ、実践できるだろうか。僕はずっとこの問題を追い続けてきていることに気がついた。



open_eyes at 17:38│Comments(0)TrackBack(0) イベントレポート 

トラックバックURL

この記事にコメントする

名前:
URL:
  情報を記憶: 評価: 顔