2004年10月22日

禁酒法と一対関係 04 06/15

20世紀初頭(1920-1933)、アメリカでは飲料用アルコールの製造が禁止された。
俗に「禁酒法」と呼ばれるものだが、この法律が禁止していたのは「酒の製造、販売、運搬、輸出入」であり、飲むこと自体は禁止しないザル法であった。
そのため、自宅に大量に酒を保管する金持ちや法律を守って破産した酒造業者が出た一方で、密造酒・密輸酒の流通で莫大な利益を得たマフィアがあらわれた。
有名なところでは「私が法を犯しているとしたら、シカゴの何百人という著名人も有罪だ」と語ったアル・カポネがあげられる。

法律論としては色々な論点が考えられるが、ここでは現代の男女関係との対比で考えてみたい。
というのは、一対一の固定的な男女関係を正しいものとする制度のもとでの男女間の姿は、どうも禁酒法が生み出した社会風潮に似ているように思えるからだ。

ムラ共同体が崩壊するまでの日本では、それなりに規範はあったものの、かなり自由に男女の関係がもたれていた。
しかし、一対婚家庭がスタンダードになると、結婚外の性交渉や恋愛が不倫と呼ばれ、タブーとされるようになっていく。
明治頃の進歩主義的な政治家や思想家にしてみれば、ムラでのそのような民俗は野蛮で恥ずべきことに思われただろうし、国の発展を思えばやみくもでも欧米の文化に追従しようとしたことは理解できなくもない。

さて、一対の男女関係の枠から外れようとする人間の中には、相手を性欲処理の道具のように扱ったり、数をこなすことを目的とするような者もいたが、相手を大切に扱い、ごく自然な付き合いの中で複数の相手と同時に関係を持っていた人たちもいたことと思う。
ムラ共同体ではそんな人間が排除されることはなかっただろうと思われる。

一対関係が正しい関係とされるようになると、素朴に複数の関係をもっていた人たちはその関係を維持しにくくなったが、言葉巧みに相手を言いくるめて身体だけを目的とするような人間は、抜け目なくその関係を持ちつづけただろうということは容易に想像できる。

ここに禁酒法と同じように、素直な者が自由を奪われ、ずる賢い者が得をする環境があらわれる。
隠れて飲む酒が金持ちのたしなみになったように、淫猥なセックスを夢見る男女が人知れずに身体をむさぼるようになった。
現代の私たちの男女関係は、相手の目をあざむき、自分が得をするように関係をコントロールすることに傾きがちだ。
大切な相手はいつも目の前にいるのに、素朴に相手を大切に扱う関係が成立することはとても難しい。
そして、つきあっている相手以外ともセックスしてみたいと思う人は少なくないだろうが、実行にうつそうとすると、まず抜け目のない遊び人にひっかかる危険性が高い。

結局、禁酒法がそうだったように、ダブルスタンダードを改めるべきではないのだろうか。
もしくはそのことに気づくだけでも私たちの認識は変わってくる。
一対関係が正しいと鵜呑みにする善意の人間が、結局自由で開かれた男女関係をもちにくくしている。
自由に楽しく飲む酒が旨いように、自由に楽しむセックスは気持ちよい。
当たり前のことだが、そのことを知っている人は案外少ないように思う。


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この記事へのコメント

1. Posted by 雅無乱   2004年10月22日 17:17
めっちゃ同感!
2. Posted by eyes   2004年10月26日 16:52
やはり。>雅無乱さん

でも議論としては禁酒法と男女関係を同じ俎上にのせるのはちょっとキレイじゃないんですよねぇ。

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