続 オペラ座の怪女の日記 

アトピー重症~&膠原病闘病日記ブログです。 思うこと言いたい放題してるのであしからず。 まずはカテゴリー欄のサイトマップへどうぞ。 膠原病も発病のため13年9月から やもなく、ステロイドのプレドニンと免疫抑制剤を服用中。 ステロイド内服ゆえ、アトピーは落ち付きいていますが・・副作用が心配。

居場所

あんたには友達いないから。

朝ごはん。
母はチャーハンを作り その間に私は掃除機をかけていた。
私が台所ぶ掃除機をかけ始めたとき
母は「ほら、そこじゃなくて ここ! ああーこれじゃだめでしょ。」
色々指図をしたのだった。
「ちょっといろいろ言わないで!せっかく調子にのってきたんだから中断されるとやる気なくなっちゃう。」
母「そんなこと言っても○×△!」
私「○×△!!!」


朝、めったにつけないテレビをつけて台風のニュースをみたあと よっこらしょして
掃除機をかけ始めた私。
スイッチを入れるのには携帯で15分タイマーをかけて この間にやるぞ!っとゲームもモードに火をうけて(ADD)
とりかかって 順調に掃除機をかけてきたのに、 ここで茶々がはいったのだった。


私は私のやり方があるのだ。茶々をいれられて ムカついて 頭に血がのぼって それでもなんとか台所もかけ終えて そこでソファに。

あーあ お店も掃除機かけなきゃならないのに。 電池切れちゃった。 


そして朝食。
朝食後。


食卓の椅子に座り目をつぶりうとうと。眠そうにしている母。
「ここにいるより寝れば?」
テーブルの上のお皿をシンクに運びながら 言った。

母「いいの。まだご飯たべたばかりだから。眠るとよくない」
私「大丈夫よ。少し横になれば?」
母「アンタに言われたくない。」

たしかに ご飯を食べ手すぐに横になるのはよくないかもだ。
けれど、ここで母がNOといったのは、 とどのつまりは「アンタにいわれたくない」
私に指示されたくないってことなのだ。

人に指図ばっかりしてる母。娘の言うことは意地でもききたくないのだ。



台風一過とは裏腹に朝から喧嘩勃発していた今日。

私は思わず。
「ねえ。本当は眠いのに 素直にうんといえばいいじゃん。 娘にはうんとかそうだねとか言いたくないんでしょ?ほんとわらっちゃう。 よその人にはうんとそうだね。そうそうしか言わないじゃん。
お客さんだから仕方ないっていうけど 友達(お客から友達になった人で家の居間に入ってくる人)にも
そうだねー そうそうしかいわないし、 親友さん(母の高校時代の友達。遠くに住む)が来たときや電話でも
同じ。それって親友? 
あなたは 人に良く思われたいだけだよね。

とまくしたてたのだった。 まくし立ててしまった。




「友達のいないあんたに言われたくない。」


と母は言った。

母は言った。

私はシンクから母の座ってるテーブルの横を通り抜け ソファに向かった。
ソファにどんと 腰を下ろして

「それがあなたの本心なんだ? 私には友達がいないって見下してるんだ?」と 静かに言った。
静かに言った。

母「あんたが私と友達について余計なこと言うから。・・・・ それにあんたに友達いないじゃん」


私「いるよ。 N子とM子・・・。」

 学生の時の友達。ゆいいつ連絡を取ってる他県に住む友達。
Nちゃんは 東京にいる友達で 一年に1回ぐらい会う。あって長時間おしゃべり。
Mちゃんも 年に一二回だけど電話で話して 年に一回はお互いの好みのものを送りあう。
そりゃ 二人ともめったに会わない。 一緒にカフェめぐりに出かけたりお出かけするわけでもなく
友達と呼んでいいの? よね・・ ね。


母「めったに会わないじゃん」

私「・・・あのさ。私長年アトピー酷くてで動けなかったんだよ。出掛けられなかったし 友達とか減って当たり前じゃん。」

私「母さんは 私のことを 友達のいない子 友達もできない子と思ってるんだね?見下してるんだね?」

母「あんたが(母と友達について)余計なこと言ったから」

私 「だから本心が出たんでしょ? 普段からそう思ってるんだ^。長いことアトピーで苦しんでたのちっともわかtgてないよね」

って私は言った。
零れ落ちる涙を止めようと思いながら この母のことを書きとめようと 携帯のメール欄にうちはじめたのだった。

鼻須すすりながら・・

携帯には書ききれないと思いながら。

これは書き留めておこうって 

そう思って 久々にぱそこんを開いて書いている。

数年前Nちゃんちに行ったとき Ipadは便利だよ・って教えてもらって。
おととし始めたIPAD。
確かにネットサーフィンには便利で パソコンを開けることがめったになくなった。
青色申告の前ぐらいw。

だけど入力にはめちゃめちゃ不便なIPAD.f


携帯では書ききれずIPADのメモにも入力しずらい。


そうおもって パソコンを開いて 久々に更新しているのだった。



お久しぶりです。オペラです。
メッセージ コメントいろいろありがとうございました。

ブログの意思疎通の限界を感じて
そして ここでいくら叫んでも 結局はコドクなんだなー。って
思って。


しかし ブログはわかって! 誰か同じ気持ちをしてる人いませんか? って書くものだよな。やっぱ。」

自分の書きたいこと書いていいのよね?

ということで 思ったこと愚痴いろいろ書くことになるかと思いますが
聴きたくない人は見ない自由を行使してくださいね~、














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台風一過。塵が落ちて澄み渡ってる青空の朝。

台風でベランダの日よけの黒い布?が飛び落ちた・
人に手伝ってもらって ベランダの透明なプラスチックの屋根の上に半分かかっていたのがとんだのだった。
「○子~。ちょっと手伝いなさい。 ほらこれを付け直す。

母は椅子の上に立ち 日よけの黒い布を横棒を通して それを 屋根のところにつけようとしていた。
さすがに屋根の上にはつけられないので 屋根の下のひっかけるところ棒を通そうとしていあのだ。


私「危ないよ!足痛いのに。落ちたらどうするの?」
母「大丈夫」落ちないから;」

そんなこといってるけど高齢者が脚立や椅子から落ちるってことはよくあることで
ましてや二か月後に膝の手術を控えている足の痛い母は バランスを崩しやすい。


私「 いいじゃんつけなくても、もうすぐ涼しくなるし。またとるのが面倒だよ。」
母「まだ9月は日差しが強いでしょ。洗濯干すとき暑いし、~日よけが必要なの!いいから手伝いなさい。」
しぶしぶ手伝うのだけど 母が椅子にたってやっと届くのに 私に届くはずもなく。
かといって 椅子を持ってきてまでやりたくもなし。 
それでもなんとか手を伸ばして あとは母が片方のつるすところに棒をいれてから もう片方に入れて日よけは完成したのだった
しかし棒遠しの穴に両方ちょこっとしか棒が入ってない。 長く釣る下がってる日よけを通るうちに 棒が落ちるよ。
危ないよ・・。頭の上に落ちてくるよ。


そんなやり取りが早朝にあった朝のことだった。ー

二年前の今頃は

朝起きて  そうだよな・・確か今日だった。って思って
ボイスレコーダーのMYつぶやき録音を聞いてみた。(布団の中で~)
乾いた心に福音が。14年12月③ ボイスレコーダー。

こんな気持ちだったんだなー。2年前。(レコーダーを元に書いたのは1年前)

毎朝毎晩 録音したミサと入門講座を聴いていたっけ・・。
ミサにも行きたくて 行きたくて・・。
前の日からいそいそと支度して、
まるで遠足に行く日のように 夜なかなか眠れず何度も起きて。

福音を耳にしたくて・・  「キリストの祝福」を受けたくて。


2年前の12月、1月は ミサと講座に毎週のように通ったんだった。
寒いのに 早起きして・: すげえな、オペラ。


今は そこまでの熱意はない(爆)
ミサ熱はかなり冷め・・

ミサとか講座を録音してきても 聴いていない・・。

・・聴けないのだ。

うそぉ! って。  うそつき って。  

10月の連休 リトリート② やっぱりミサに行きたい。

体の調子が悪いときは ミサに行きたい!やっぱり救いが必要だ、ミサが必要だって回心するんだけど
それは本当なんだけど

だけど だけど・・ 柵の外におかれた羊は呻く。
まるで みんながサークルの中にいるような印象を 読んでいる人にあたえる説教に・・ 


嘘じゃん・・それ。

キリストに倣うものが そんなこといっちゃ・・。って

柵の外の羊は 思うの。

信じられなくなってしまっているの。




(オペラがメインに講座に通っている この神父さん、 時に すばらしい福音  
今の世知辛い世の中の 救いを求めている人の心の奥底に響くようなをかたる・・・・それも確か 
だから  オペラは。インターネットの片隅で。 ”そんなコトバ”と”そのコトバ。”) ったのだった。あの時。

確かにある面 救われた。 コトバによって。
後悔。 1月10日の入門講座。 この時思ったことも本当だ。

本当だ。

コトバによって救われた(ある面) からこそ コトバはとっても重要なのだ。




柵の外におかれてる羊は 
疎外がないように語る神父さんに ????なのだ。
(オペラだけなのかな・・こんなこと思うの? ほかにもいると思うのよね。)


だから 呻く。

  
そう コトバに誠実 であってほしいのだ。 キリストの衣を着る人には。

Billy Joel - Honesty 渇望。 





毎朝十字を切って起きていたけど 今はしていない。


ミサ熱はかなり冷め・・ おまっ!?

冷めるの早くね???



・・・・・






今は 月1度ぐらいのペースでミサか講座。

先月13日にミサに出てから はやひと月・・・。

前だったら ミサに行きたくて行きたくて 呻いていたんだが・・。
日曜の朝10時には ミサが始まるぅ~!って思ってたのが、

今は 気づけば10時を過ぎていて・・

あ、ミサやってる時間だったわー。  ってな具合。


この夏は2か月半ぐらい行かなかった・  ミサに行かない期間最長記録。


このまま醒めるのか それとも覚めるのか。





今日も 母と喧嘩した~。
来週は 母関係の来客がある予定・・。

ふぅ・・ 


・・・・。


明日の入門講座 久しぶりにいってみよっと。(まだ母には行っていない。)

お店。

ボーナス前の平日。 お客は来ないかもw。
母一人でノープロブレムだ。

先週は なんだか 居間にくるお客さんが多くって・  オペラ 疲労中。
もうホントなら 一泊リトリートしたいところだけど・・無理だな。


よし 久々に講座にだけ行こう。
と思って さっき 持ち物の支度をしたのだった。


さて、明日は起きれるかな?
いつも寝坊だし・・朝 冷え込んできたしなあ。


朝7時過ぎに家をでないと 間に合わないぞ。


前よりわくわくしてないから 寝過ごしそうなオペラ。


はて さて。
早く寝ようっと。



2014年11月~12月を振り返る (14)



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やっぱり救いは欲しいオペラ。 

ってか 必要!

ないないづくしの私・・これから 生きていくうえで支えが欲しいから。



心の拠所も欲しい。
ありのままでも受け入れてもらえるっていう居場所ほしいオペラ・・。
教会は その場所となるのか はたまた 他にみつけなければならないのか・・。



救い・・

What is  救い?


みなさんに とって 救いとは何ですか?

どういうことが 救いですか?


コメントいただけると嬉しいです。





5時。春は近づいて。
キーボードにサランラップ。














ガス欠。

昨日、病院から帰ってきて
テーブルの上に 雑誌のページ 料理や掃除特集をページごと10pぐらい切り取ったものおいてあった。

何かな? ってみていると、
母「それ あんたの雑誌のやつだよ。」
私「え?」 ああ 去年入院中に買った雑誌だな・・これ。

去年の11月は入院中。
片目で読むのも辛いんだけど・・ 携帯もガラケーだし 目薬点眼も忙しかったけど
気分転換に数冊雑誌をかったんだよな。

目が疲れるからそんなに読めなかった。
普段買わないから また気が向いたら読もうと 居間の本棚においておいたやつ。
これは 「サンキュ:」 のだな・・ ごちそう肉料理とか 年末大掃除の仕方とか・・。

だけど・・なんで勝手に切り取ったん?

OP「ねえ、 これ私の雑誌でしょ。なんで勝手にきりとったの」
母「あんた どうせ見てないからいいじゃん:」
OP「そういう問題じゃないでしょ。人の雑誌を勝手に切り取るってひどいよ。」
母「見もしないくせに」

OP・・・・・・・・

OP「そういう問題じゃないの!! まず聞いてからでしょ?」
母「あんたいなかったし」

OP「じゃさ、 私が あなたの 雑誌や本を切り取ってもいいの?やでしょ? あそこにある画集たち
勝手にきりとってもいいわけね!」

母「画集は大事。雑誌は雑誌。どうせみないでしょ:

私は ムカムカした。
本棚に;向かい そこから画集をとって床になげつけながらいった。

「もう それじゃ あんたの画集もこうしてやる!!!」って 4、5冊を 取っては投げとっては投げ床に投げつけた。 (この頃のオペラは物騒ですw)

「なにを するの」1
母は 私のほうにずかずかむかってきて 背中を小突きながら「何するの!きちがいじゃないの?」

って言った。



OP 「だって 人の物を勝手に勝手に いじるから。  誰だって勝手に人にいじられたら嫌でしょ?じゃあんたがいない間に二階の 古布や端切れとか全部捨ててやるから!!:」


母「そんなこというなら あしたから全部自分でしなさい。もう料理もしないから。」って母はいった。

私「すぐそう来る!。それとこれとは話は別でしょ?」

って 昨日も そのまま二階に上がってきて パソコンをつけたけど・・ だけど昨日は掻かなかった。

いつもいつも同じパターンの喧嘩。  っ
学習能力ないなあ。

てことで思いとどまったのだった。

一晩たって 穏やかなりに思い出さないとおもったんだけど

また喧嘩したので 書いちゃってる。

どこかで発散しないと ダメだから。


MYブログだもん・・ いいよね・

過疎ブログ。 今日のオペラが タイムラインにあがって目にはいってくるわけでもなしw 

※葛藤大杉なMyブログ・・  読まない自由を施行してくださいね・・。






母にとって 娘のものは 私の物なんだよな。 境界線がない。
雑誌もだけど 洋服も もういらないでしょって捨てられたことあるしなあ。
それも私のお気に入りの想いでの服に限って。

自分の布とか 着物の端切れとか は 全然捨てないくせに。
それどころか この間も 骨董市にいって袋一つ買ってきた。

・・もういまから洋服も作らないでしょ? いっぱいあるのに・・・。


母はな・・ 父が退職して数年たったら 父の背広を「もう着ないでしょ。って勝手にj捨てちゃって
いざ着ていくときに なかったんだったよな。
あの時はめったに 怒らない父も激高した。

ほんとに 自分のものは 全然すてないくせになあ・・・。






料理ね・・ 父がいなくなってから   朝はパン 夕ご飯はどちらにしろ 適当になっていて
トウモロコシがあれば トウモロコシだったり  サツマイモがあればさつまいもだったりしてるしなあw。

「料理なんかしてやらないから」は 一種の脅しだ。

母は私が料理に自信がないことを知っている。

どうして自信がないかって?

そりゃ たまに私が作るときがあっても
決して「おいしい」とは言わない。

どこかどうかダメだしをしてくる。

私がレシピ通り作っているのに
「あんた、 そんなやり方じゃぁ?」

「レシピなんかみなくても 料理は経験」

・・・  その経験を あんたが積ませないんですが?


私は料理に億劫になっているのだ。

だって また 「けなされるのだから」」 だめじゃん王

あの人はいつもいつも 私のマイナス点ばかりあげつらう。

自分から何かするということは 必ず母にダメだしをされるということで 

もう 私はこれ以上 私のハートをw
傷つけられたくないから 動かないのが一番の選択というかw。



そして お店に出るのも怖い。

母は私に呪いをかけている・・「この子(アラフィフw)一人で接客は無理。ってね。

確かに私は自信がないよ・・。
アトピー顔も作用してる。
お客にとって 店員がアトピーってさ・・人は見た目で判断するからね。


私が選んでくるものを 否定して 自信を持たせないようにしてるのはあなただし・・。
お客さんが 私が選んだものを選ぶと 母はすかさず別の物を選び「こっちのほうがいいかな」って言うんだよね・・。

母のほうが店主なわけで  母魔力で お客はそっちを選び 私は否定され・・自信を無くす。



どこかで自信をつけないとな・・

ひとりになっても 店やっていけるんだろうか??


っていうと今だって 家賃払っていたら 生活費もでないような 父の遺族年金があるからやっていけてるような生活で、 だから なんとかしたいのだけど・・。

いろいろアイデアはあれど・・ 実行できない。


やる気が出ない・・。。

気力が出ない・・・。

また「そんなことしたって 無駄」とか言われるんだよな。

応援の言葉はないから・・  暗に否定されたまま 成功するまで続けなきゃ
結果を出さなきゃならない。


褒め言葉というガソリンが全く与えられず 貶し言葉という 酸性雨ばかり降っていて
ガス欠の私

エンスト中の私には その余力がない。




家は 他の人の居場所にはなっていても 私のほっとする居場所ではなく、

第一 一番味方でいてほしいはずの 親が 味方ではないという・・・。

店だけでなく 誰かどうか奥まで来る人はいるわけで・・

そんな状況で エネルギーが生まれるわけもなく。

ガス欠のまま。

ガス欠のまま。

さっき 去年まで太極拳を一緒にやっていた人から電話があって
母は 金曜日 太極拳を始めるという。
なんでも先生を頼むには 人が足りないんだそうで・・
送り迎えをするから  一緒にやらない? って誘われたらしい。

「あんた 金曜は一人で店やりなさいよ」 って母はほくそえんでたな・・。

(うふふ・・ どうせ うまく稼げっこないんだから)ってなね。

私は その母の呪いを感じて だから 昨日はかかなかったけど 昨日のことまでさかのぼって書いちゃってるんだな。

私はいった。
「毎回送り迎えしてくれるんだからその人帰りにお茶とかするようになるでしょ?
居間にいれるのは×だからね! 絶対。 店までだよ。」

って言った。

「うるさいねえ~!」って母。


まあ このご夫婦は 奥さんががん闘病中。ポジティブ説教。  
ずーっと抗がん剤を拒否してた彼女。この後 また転移があり 
去年9月父が入院中の同じ時期入院してたっけな。 抗がん剤をやるやらないとあったけど 点滴ではないう
なんでも 1日1万円という飲む抗がん剤を始めたそうだ。(保険は訊くのだと思うけど)
それでも いろんな民間療法も並行して続けているみたい。

今は飲む抗がん剤(飲む薬は副作用はマイルドらしい)も続けながら  
療法も試しながら 悪化もせず 落ち着いているみたい。




父もがんだった。 
だけど 結局は動脈硬化が進んでいて 点滴抗がん剤の副作用で 動脈硬化が悪化。
それが死因。

彼女は転移しても 生きていて 太極拳はできるほど元気。


そこのところ 比べられたくないのよね。



父は運動はしてなかったけど・・さ。 最後まで酒もたばこも飲んでいたけど・・
人それぞれじゃん。 生きる楽しみが酒とタバコなら 奪ってどうするよ。
そりゃ 減らしては 欲しかったけど  好きなモノ辞めてまで生きていても張り合いなかっただろうし。
私は これでよかったと思っているのだ。




彼女は生きるために必死にいろいろやっている。
去年入院中も 病院食は食べず 旦那さんが有機野菜とマクロビオティックフードをもちこんでいたそうで。

これは たしかに 頑張ってるなあ・・とは思うけど・・・

心の中に それをしないことの ドヤ顔が見えるのよね。


これぞ民間療法や前向きに生きてるからとか  言いそうだからで やだったりするw。
(これオペラの想像でなくこういう人たちは 心の中で思ってるのはわかる。)

少しは転移を遅らせてるかもな・・だけど そもそも抗がん剤並みにきくのなら
民間療法がただしければ そもそも転移も起きないんじゃないの?

抗がん剤は確かに強い薬だし 不安もある。





オペラだって その場になれば 浮けるかどうかわからない。。
強い薬の副作用にびびって拒否する口っぽいw。
オペラは ステロイド 30ミリ服用といわれて拒否した口だしな。
(それは さまざまな副作用が怖かったからでもあり
私の膠原病の種類の場合 ステロイド大量服用が効くというエビデンスが少なかったからでもある。)


だけど 一概に否定もできないんだよね・・。
母の従妹のおばは  がん転移両胸したけど 二度とも抗がん剤をして それから10年
今も元気に暮らしているし。

抗がん剤をしたけど 副作用が強すぎて 苦しい思いをした上に 亡くなった人もいる。


効く人もいれば 効かない人もいる。

すべてにおいて ひとそれぞれであり・・。




民間療法だって サプリだって効くものもあれば 効かないものもある。
人それぞれ 会う合わないもある。
費やせるお金だって ある人もいれば  そんな余裕ない人もいる。
なんとか 前向きに 運動とかできるときもあれば  心も体もくたくたでできないこともあるんだよ・・。

だけど 闘病上手く行ってる人は

人それぞれいろんな事情があることをわすれて
「ああすればよかったのに」 「これをやらないから・・:」 「こうしてるから 私はこうなの!」って

ドヤ顔しがち。


人は 病気になっても マウンティングせずにいられないのだろうか?


太極拳で一緒だっただけでそんなに親しくはないから 母も中には入れないとおもうけど・・ 
今回のお誘いも強制的というか
5人そろわなきゃ 先生に頼めないからってことで。

なんで 店をやってる家の母に白羽の矢をたてるのか・・ 
こっちのこと考えてないよな。
娘さんがいるから大丈夫でしょ? ってこともあるかもだけど
営業日だぜ?
5人いなきゃ 頼めないなんて 抜けられないし。

(まあ 母も 毎回送迎してもらうのが  逆に負担になることは必至なんだが 娘の手前、自分から辞めるとは言わないだろうな)


この前一緒の時期に太極拳に通っていたメンバーが 数人集まったとしたら・・
帰りにうちによることも 考えられる。

店に人がいて お茶ができない場合
中へどうぞ はありえなくもない。



嫌だ。

向こうはがん闘病中かもしれないけど 私も膠原病とアトピー闘病中だ。



私はいった。

「あちらも闘病中でも 私も闘病中よ!よその人より 家の人を大事にしてよね!!」 って。


よその人の居場所作るより 娘の居場所作れよな・・ ほんとに・・

あの人は 自分が他人によく思われることが 大事なんだよな。


たとえば  何もしない できない だらしない娘  なんでもやっちゃう 料理上手で話上手の母。

ってなね・・。

そんな構図 を母が望んでいて 私もそのシナリオを演じているのかもしれない。

それが唯一 愛される道だから。


成功するな。 ダメでいろ という 呪い。


呪い解きたいなあ・・。







弱音を吐く自由。

人それぞれ 育ってきたバックグラウンドも違うわけだし
ガス欠無気力 鬱気味のオペラなんて 本当に  前向きポジティブな人からみれば 説教したくなるんだろうけど・・

ガス欠無気力になるわけには それなりに理由もあるわけで・・


♪わかってくれよと言わないが(言ってるけれどw) ララバイララバイ おやすみよ~。



金曜が母外出なら


今週末は 私が出かけてミサに行くかなあ・・。


だけど 居場所を求めて救いを求めて  暖かい居場所と謳っていたから私も受け入れてくれるかなと
教会という場所にいったけど

なかなかね・・・。

そこにも 居場所がなさそうで・・。


それじゃ救いないじゃん。


救い・・。




かなりのダメージ。


キリストかあ・・。

出会えたと思ったのは

幻・・・?



10月の連休① リトリート。

連休前の金曜日。
朝起きるとき 体が重い。 朝からめちゃめちゃ疲れていて。
この間の診察で 先生にそのことを話したら
「CRPが高いからね」とのこと。とうとう4台後半。
疲れていて当たり前なんだなーと。
膠原病の主症状には倦怠感ってあるんだもんな。

って改めておもったんだったっけ。

連休前の金曜日。

母は11時ごろからお客さんとお出かけ。
@お店。
「○子~ ○さんがあなたにお酒くれたわよ」
お店に出ていくと Aさんが お取り寄せしたという 吟醸酒半升をくれたのだった。
「わー ありがとうございます!楽しみ~!父にそなえてからいただきます!」って 私は受け取った。

「お母さんお借りしますねー」って。母はお客さん二人組と出かけた。

私は店番。
母がでかけると 私はそそくさと何かをやり始める。
体が軽くなるというか ううん空気が変わるんだな
支配、命令 小言をいう人が出かけると 空気が軽くなるんだー。

タイマーセット 掃除機かけて 箪笥の整理をして 書類の整理をして~
私ってもしかして怠けものじゃないんじゃ?
ってなくらい動いて。

母がいると 体が動かなくなるんだな・・。

丁度!お客さんがこなかったからいろいろとはかどった。

そう 土曜の支度も。
三連休の土曜日は 久々のリトリートで東京に行くんだもん。
もうホテルとってあるんだもの。
アーリーチェックアウトで8時半までにチェックアウトするプランで 5800円なんだもの。

うふ。 
この時はすごいめちゃめちゃスケジュールを入れてた。

土曜の朝早く出て 午前中は都内のA教会の入門講座に出る(4回目)
午後は 都内の修道会での勉強会。 去年の6月7月10月と参加したここでのA神父の講義。
めちゃめちゃわかりやすくて、慈しみにあふれていて オペラはファンなのだ。
今年もあるはずだ!って検索したけど出てこず・
修道会に電話したけどなかなか通じず。 もしかして 移転しちゃった? 電話番号変わった?
とか思ったけど 今回やっと電話が通じて
「今週の土曜日にありますよ」って聞いて。 
「今年の講座は3回で もう二回は終了していて これが最後の講座です。」
がーん 出たかったでたかったぞ。
だけど 最後の講座に出席できるんだもん。 ってテンションあがってたから

いつものように 外出一泊するときの持ち物リストをプリントアウトして 鞄に詰め込んだ。
ラッキー。母さん外出。 だから 母の目を気にせず支度ができる~。

って 箪笥の引き出しから着替えを出したり 薬や ノートとか いろいろ詰め込んで。
よーし支度OK.

ホテルに一泊したら 翌日は ミサ。 主日のミサに行くのだ~。
地元の教会の主日のミサには 8月末に参加した。

ただ・・ 私が初めてミサにでて「キリストの祝福」を受けた H神父様の 主日のミサには 復活徹夜祭以来 預かっていない。神父さんは他教会に異動。・・遠くなったゆえ。
出たいのよね・・主日ミサ。チャリン チャリンって侍者さんが鐘をならし 聖歌にオルガンの伴奏があるミサに

都心の修道会で月1度ある このH神父様のフォーク調聖歌のミサには 4月 5月6月、そして三か月ぶりに9月と4回 でかけてはいるのだけど。(このときは3回 午前中はA教会の入門講座に出席 夕方から ミサ)
普通の聖歌のミサ・・にね・・。出たいのだ 

説教は ちょっと自慢がはいるときも多く・・orz.. (最初のころとは違い、少々冷めてるオペラ)
 
ミサにでたり 福音をきいて 
神父様が関わって、
あの人も救われた~って この人も~って w。
ダイエットのCMっぽいところ ってか 宣伝っぽい ところが 時折あり・・・ うーん・・・・。
(※注、オペラの主観です)

まるで 神父さんが 救い主?・・みたいに・・なっちゃう。
自分に注目集める説教はちゃうと思う。



正直もうちょっと イエスキリストについて話しをしてほしいし
聖書を通じての福音を話しをてほしいと思う。

神父さんが 関わった人の証も いいけれど、 もっとイエスを通じての話も語ってほしい。

>キリストの人柄、人々に示しただろう深い憐みについて!どんな風に共に喜び どういう気持ちで共に泣いてくれたのか。どんなふうに憤ったのか。
人として 神としてのイエスキリストについて。
キリストの 深い憐みスプランクニゾマイが体感できるようなお話をしてほしい・・。 
(2年前の1月ごろの日記より)




けれど、
けれど、
この神父様
時折 稀有な 福音を語るのだ。
 それは「耳にしただけで 魂が甦る」福音で よそではなかなか聴けない。
オペラはその 救いの言葉 福音 を耳にしたいのだ(洗脳w)

(まーね、「福音だけ」じゃホントには救われない・・けどね)渇望。 




ってな感じで 月1回は東京へでかけ 2つほどの教会の ミサか 入門講座に出ている今年。 



ま、 今 オペラの関心ごとは これなのよね、 キリスト教、信じるに値するものか 否か・・って。探索中。
まっさか キリスト教探究が趣味になるとは思わなんだw。
今他に趣味もないしなー。 地元に遊んでくれる友達もいないし。
東京に行けるぐらい体力回復したから ご褒美ご褒美。

実は 色々と感じることもあり、
ミサ熱は・・この頃冷めてるのだけど・・ だけど 今回のもう一つの目的はこれ。

A神父のキリスト教講座は出たいのだ~。
去年6月 この神父様の説教と言葉と雰囲気に オペラは涙したんだっけ・・オペラ走る。2  墓とラザロと説教と。
ハトが豆鉄砲。

慈しみを感じられる説教をなさる神父様。 
去年6月から 数回講座に出て 本を読み、  慈しみ と 救い に出会った。

よかった 最後の講座に間に合った!!



ってな感じでわくわくしてた。





夜6時母帰宅。
送ってもらったお客さんとお茶タイム始まる。
場所はお店と居間の中間地点。
在庫がおいてある場所でもあるけど 今だけ ちょっと空いたスペースがあり
そこに座卓がおいてある。
母はそこへ招いて お茶を持っていった。


私は「ほっ」とした。よかった 居間じゃなくて。
母にはあらかじめ言ってあった。
「ねえ 古くからのお客さんだけどさ・・お願い居間に入れないでね。
これ以上中に来る人を増やさないで。 私の居場所がない。」って。

「そんなこと言ったって」
「お客と私とどっちが大事!!!!! 中に招いちゃうと 次から中に来るのが当たり前になる可能性あるでしょ。 これ以上中に来る人を増やさないで プライバシーも必要!”!!」

二人のうちの一人は母と太極拳を一緒にやってたこともあり おくってもらった帰りに中には2~3度きたことあり
その時は夕飯をたべてったりしたのだけど・・



この二人のペア。 去年の12月の末 父の弔問にきてくれたんだけど。。
お仏壇にお線香をあげてくれて そのあとキッチンテーブルで お茶を出して。

だけど なーんと2時間半ぐらいいたのよね・・。
途中近所のおばさんも 加わったこともあり話に花が咲いたってこともあるけど。。
近所のおばさんが 毎年作ってもってきてくれる 「新年のお煮しめ」
お重にはいったこれを Aさんが見てこういったのだった。

「わぁー すごーい! 豪華~! 私料理下手なのよ~。 ねえ、来年はここでおせち教えてもらえないかしら?
私材料もってくるわ~」
って言い出して・・


私はカチン!ときたのだった。

父が亡くなってひと月もたってない。
弔問に来てくれたはよいけれど・・長居しすぎ・ 父の話より 雑談がおおくなってたわけで・・
そこへ 「来年」「ここで」 料理教室?


もう 私は爆発寸前。
(心の中)
ざけんな!!! おめーなにしに来たんだよ? 父の弔問にきたんだったら お茶30分ぐらいしたら帰るのがホントだろ。 なんでほかの話に花をさかせ そして 「来年」 「ここで」 料理教室?

おいおい 父がいたら そんなこと言える? 「ここで料理教室」って?
いなくなったからって 家を集会所につかうんじゃねー!!!
料理習いたいんなら このおばさんを お前の家に連れてってやれよ。
おめーは  弔問にきたんじゃないんかい?お悔みの気持ちがあるんか?
だいたい今日は 30日だぞ。 普通他人の家に長居しないだろ。

この人・・次回から居間に来る気満々だな・

って。

アー早く帰ってくれないかな。って思い それから こいつらは絶対中に入れないぞ。
って思ったんだった。


Aさん退職したこともあり このペアから ここの所母にお誘いがある。
8月9月と音楽会とか 何かに二回ほど出かけてる。
この前も  今限定で テーブルを置いている 在庫も置いてある部屋で 3時間ぐらい話してった・・


そんなことを考えつつ 今日はいつごろまでいるんだろう? ってむかつきながら
旦那さんの夕食の支度はいいのだろうか?
思いつつ 
ソファに座って Ipadでネットをしてた私。
ソファから立った時 いたっつ!
右の太ももの裏側に鈍痛。 ん? どうした? 痛いぞ?何これ?
変な座り方してたからか・・

困るよ 明日・・ 東京だよ・・・・。
って思いながら そろりそろりと足を引きづりながらキッチンテーブルに 移った。



この日も結局  この二人、6時から 7時半ごろまでいたなー。





かえるとき 廊下から キッチンテーブルで書類整理をしていた私に 彼女はこういったのだった。

「ごめんね~ お尻に根っこがはえちゃって~」


私は 「いえいえ」 って いって にこってしたのだった。

腹の中は ・・・ すんません。

吟醸酒に 心ほだされて 中に入るのOKだしてたら
今頃母は「夕飯食べていけば? って夕飯だしてるよな。 時間も時間だし。

このキッチンテーブルは(居間とつながり) おばさんたちに占領されて・・

そして 次からは  今度中にくるのが当たり前になってたかもしれない。


よかった。


で、 だけど 足が痛い。うまく歩けない。
太ももをあげるのが大変。 

ああ 神様 腹黒いオペラ・・・。
バチがあたったのかなあ・・

すみません 神様。許してください。 (と許しを請うオペラ)

だけど・・私も限界で これ以上 マイスペースに他人が入ってくるのは アトピーや持病もちとして
心の休まる時間ないんですよ。。 (理由を述べるオペラ。)

すみません・・。 すみません。 (また回心して謝るオペラw・・本心?) 

ふう・・。 


明日行けるかなあ・・・。

今日はせっかく調子よくって ルンルンだったのに・・・。

ホテルも取ってあるんだよ。


どうだろう。


と思いつつ 8時に姪への電話でのレッスンをして、
そのあとお風呂に入って よーくあたたまって、

早めに布団にはいったのだった。
階段を上るのも よっこらしょ。
足を延ばしたり曲げたりしてみたけど痛い・・。


ふぅ・・ なんなんだ? ただソファからたちあがろうとしただけなのに
肉離れ? それとも膠原病の症状? 
んー 今日は割と寒かったのに 薄手のパンツはいてたから 冷えたのかもしれない。


明日の朝 悪くなってたらどうしよう。


て思いつつ 眠りについたのだった。




================

箇条書きに事実だけかいて 終わらすつもりが 書き始めると長くなってしまう。

そして 肝心の書きたい続き・・  出かけた当日のことを②で書こうとおもいつつ
余力尽きて 肝心の続き
毎回書かずに 終わってしまうのだよな・・。

さてはて今回はどうか・。・













ただ今仮出所中?

私はいまだガラケーなので ラインがない。
ほとんど在宅& 友達も希少なので スマホにする必要もなく。

お客さんをみるとこの頃 60代でもスマホ持ってるんだなー。
なにか話題があると 「ここへ行って」とか「これが孫」とかスマホを取りだし写真を見せてくれる。

娘からラインで送られてきた孫の写真とかね。
おおー 使いこなしてるじゃん。

ラインのグループかあ。

もし今 私がスマホにしたとして ラインするグループがない件についてw。


20代ぐらいの子は

小学校の幼馴染とのグループ、 中学の同級生学年クラスごとのグループ。部活のグループ
高校でのクラスやなかよし組、部活とのグループ 大学へ行けばゼミ、 バイト先、 サークル仲間でのグループ。

すっごいいくつものラインのグループに所属しているんだろう。

すなわち それが 輪=サークルであり 環であり 属するグループ=居場所であるわけで。

場所はいくつ?



ああ そうそう。 
家族 父母兄弟とのライングループもある。
「いつ帰る~」「飯は?」「買っていくものある?」とかね。


いくつもの ところに所属して こっちがダメでも あっちがあって、
疎遠になるグループや友人もいれば また新しい友達たちと ラインでつながって。



ラインだって メールや電話と同じで 連絡が便利ってだけで 普段から頻繁に連絡を取るものでもないのだろうけど。 メールより一斉連絡も取りやすく 今度会おうかーってな 機会もふえるのかもね。

三十路 四十路、
結婚すれば それに 子供つながりのママ友のライングループもいくつか加わる。

これはこれで また厄介なこともあるらしいけど。

今や幼稚園やPTA の連絡も ラインで回ってくると聞くし(未知w)
子どもの部活の連絡もラインなんだよね、
一斉にお知らせする、業務連絡系統は 確かに便利だね。

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